Feb 28, 2005
灰皿町のblosxom blogを増やす
たまたま桐田さんがMac使いなので、MacのIEなどのテストが外部からできるので助かります。
これから灰皿町でこのblosxom blogをやってみたい方は、ご一報ください。
まず有働薫さんと高田昭子さんのblosxom blogを増やしました。
初め面倒かもしれませんが、おもしろいですよ。
Feb 26, 2005
EUC-JPからUTF-8に変換する。
iconvというのを使うと簡単なことがわかった。
brというフォルダにあるEUC-JPのファイルをutfというフォルダに一括変換して保存する。
open IN, "dir.dat";
@hen = <IN>;
foreach $hen(@hen){
@new = iconv -f EUC-JP -t UTF-8 ./br/$hen
;
open OUT, ">./utf/$hen";
print OUT @new;
}
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試しに『清水鱗造 週刊詩』の最初の3編を入れてみたが、アップロード順に整理されるため表示の順番に合わせてアップロードする必要がある。
これは手間ではないけれど、表示の問題がある。
右のカテゴリの「poem」というのを押すと、詩だけ表示されるし、そのURLも固定はされるのだが。あと一考。
引き出しの灰(1996.7.9)
消しゴムで消す
へのへのもへじ
もじゃもじゃ頭のカツオに目薬
掌に水芭蕉
そんな青い季節です
(引き出しにはネズミの死骸
だから怖くて開けられない)
消しゴムが日々の澱を消す
忘れっちまって
忘れってまって
カツオに目薬
いやにしみるね
その灰は骨から
その灰は紙幣から
引き出しから取り出して
投げる灰の虹
ほら、あんなところでファックしているよ
暗い駅(1996.6.18)
米粒に絵を描く
豚が飛んでいる
豚が飛んでいる
米粒に茶碗を描く
お茶が飛んでいる
みみずが飛んでいる
霧が手を出してお茶を啜っている
コンセントを挿す
ぼっと明りが点く
足跡が飛んでいる
泥に付いた足跡が飛ぶ
夏の前哨戦の風
蒸気
ネズミモチの花
僕の靴下は女の下宿
僕の靴下は女の下宿
僕はマダラの蝶みたいに
耳に粘土を入れていた
僕は尻に椅子をつけて歩いていた
あのイグサ イグサ
あの暗い駅
垂線(1996.6.11)
灰がビルの谷間に駆け抜けていく
いくつかの谷間に沿って街ができた
おびただしい文人がその旅篭に泊り
たくさんの色紙を残していった
紙は紙魚に食われ 穴が開き
墨はかすれ
やがて灰になった
血で血を洗う戦いは
やがて微小な刺の残骸になり
ポインターを連れた避暑の男が
古磁器の深く埋まる山の際を
歩いていく
その仕事の最中 彼はふと横を向く
そのように武士が横を向いた谷間
川はまだ天然の鮎をたくさん
含んで流れている
垂線 埋葬 祈り
ほんとうに祈りの言葉がこの谷間に充満したことが
あったのか
ほんとうに
確かなのは
透明な僧がここを通り過ぎたことだけ
その僧を垣根の隙間から見た
若い母こそ
じつは
その僧以上の求道者だった
それだけは確かなことだった
いま一台の四輪駆動車が砂利の音をたてて
寺の間に入っていく
ガソリンスタンドで停めて(2000.3.7)
ガソリンスタンドで
停めて
ぴっちりしたジーンズの尻と
長い髪を揺らして
降りていく
後ろ姿
さっきはバスルームの窓から
さかんに湯気が
流れていて
裸でタバコを吸ったし
クルマに乗るといくらかリズムもとって
環状線の街の音に
なんだか作るものもある気もするし
ガソリンスタンドに停めて
大きい健康的な尻が
昼の街に
向こうにゆらゆらしていくのを見て
ドアのポケットから
小銭を出して
ミネラルウオーターも買い
茶色の長い髪が揺れて
戻ってきて
ハンドルを左にきり
ジャズが鳴って
同時に火を点ける
遠い赤信号まで
3台
走っている
捨て猫(1997.10.7)
詰まっているから
道ばたの捨て猫を拾ってくる
病気の猫を
すると
またしても詰まるのは
これが日々というもの
桟橋で深いキスをしたあの夏
たぶん重いかけらが
桟橋のわきの深い小魚が群れている深みに
ゆらゆら落ちていった
仕事の合間に谷崎源氏を読んでしまって
疲れた休暇
樺の木は周りの明るい花の鈴で
祝福していた
だるい書斎の時刻に猫は
回復しつつある
次の日の朝
そっくりな病気の猫が
同じ場所にうずくまっているのを見るとき
なんだか笑ってしまうね
ぼくの気まぐれは
もうベルちゃんのことで精いっぱい
きみは次の気まぐれな
散歩男に
拾われますように
亀裂があいさつする(1997.3.5)
雁字がらめにしばられ
包帯男が蹌踉として
歩いている
トイレットペーパーに十文字に巻かれ
ラッパ水仙に吸い込まれる
包帯男の群像
ぞろぞろ
花弁の細い道に沿い
紙を後ろに垂らして
黒いジャケットのポケットに水仙を
詰め込んで
地下鉄への階段を下りていく
昼の月の
男
いまテーブルの
皿の上の駅を
フォークでつまみ
駅の女の年齢を聞き
忘れてしまう数を
そのまま風に吹かせてしまう
亀裂が亀裂に出会うとき
霧吹きで互いを濡らす
あいさつをする街
夜11時に書く日記(1997.10.21)
薄曇りの日
片目のつぶれた猫が
伸びをしている
夕方には雨が降りだした
でも彼は恵比寿までチャリで行くことにしている
夜のカラスも鳴き
煤けた闇に
コツコツとハイヒールの音が響く
今日は蕪の煮物を食べた
べったら漬けも
犬もあくびをする
そして
妻は眠っている
風呂では湯気がやがて滴になり
お茶は冷え
3日経った回覧板は
通販のカタログの上に放ってある
遠くのビルの先端で
二つのライトが
ゆっくり点滅し
今日の絵の具は
最後の色を
流す
窓ガラスをぬけてぼくが浮遊を始めるまえ
雨(2001.6.19)
道を渡るとき
生理と住まいについて
ピントが合う
それは
強い度のメガネを急にかけて
道の凸凹がはっきり
見えるように
jellyfish はゆらゆら流れている
いけないね
jellyfish
こりこり食っちゃう
そこいらじゅう雨の雫で
玄関から外に出るたびに
髪が濡れる
まだもやっている
クラゲたち
ついついと
鉛筆画になっていく
小道の蛇(1999.6.22)
昨夜はこのあたりは
嵐で
小道には折れた枝が
転がっている
靴で枝を除けながら
初めに歩く
「おや 蛇ですよ」
いつもの坂の
コンクリートの上に
蛇がゆるゆる
這っている
細い川は増水し
いつもは
そのあたりに棲んでいるのだろう
女たちはにこにこ笑っている
僕らを先導するように
蛇は坂を登っていく
下には森を通して水田がわずかに見える
「蛇に出会うと」
「なんか、いいね」
突き当たりのベンチに着くころ
蛇は石垣を水脈のように
藪に降りていく
あぶな街(1999.2.9)
鯉の肌
電柱にサカナの旗
雲は這いずり
家々の紅い
トサカ
さびる自転車に
汚れたビラが貼りつく
白い絡まり
紅い鯉と巻きついて
電信柱の上で
ぼろぼろの布に
現れる
あぶな街
アタマを運ぶ高速バス(1997.7.1)
車窓からは緑の景色と遮蔽物が
交互に流れていく
バスの上には渋滞5キロというような
インフォメーションが電光掲示板に出て
丸く口を開けて寝ている人もいる
いい天気で下のワゴン車の後部座席には
幼い子が寝ているし
助手席には女の太ももが見える
禁煙
バス会社の方、僕の健康を考えてくれてありがとう
禁煙印はいつも僕の健康のことを思ってくれている
よけいなお世話だけどね
少なくともバスを降りるまでは煙草は吸えない
いつか厚木付近で事故があり
珍しく途中のレストランの前で5分停車したことがあった
霧雨のなかで帽子をかぶった運転手が
うまそうに煙草を吸っていたのを思い出す
僕の趣味にあなたは興味がない
だから「チョコレート食べる?」というような
言葉がのどかな車内をつくる
アタマのなかの趣味
他愛なくもない趣味
アタマはのどかでない
でもいいんじゃない
のどかでなくても
風景が飛び
明るい高速道路がみんなの趣味を運ぶ
ある温泉街の話(1997.9.16)
標的の人形が
ゆっくりと回る
たぶんまだ中学生の女の子が
夜の仕事の手伝いをしている
坂に上っていけばそこは色町だったという
色素を思う
少女の顔の色素を
みんなまとまらない話を
携えて
清算するまで
時間を潰す
頬に傷のある三日月
ある夕刻
文字で館を破壊している
ある夜明け
叙するものは
手によって壊され
標的は
水茎によってすべて落とされる
鏡(1998.10.27)
鏡には
ふさわしい断片がある
反り返って
そして
燃えてしまう紙
反り返って文字は
識別の閾値を超え
砂に解けてしまう
鏡には
彼の父の文字があって
悶えながら
反り返り
燃えて
彼が父になる
そのドブ板の隙から見える
鏡のひとひらには
ふさわしい文字の
染みが
見る眼から投射される
金網のある道(1999.11.23)
ラーメン屋に遅い昼を食べに
公園を横切る
白い馬がいて
少女が乗る練習している
こぶしをなんとか って
はい って
本屋の前に並べられた安売りCDには
まったく興味が湧かない
風景を撮る気はしない
かりそめの
だから
かりそめの
夕景の
動物のキャラが
空に染みる
めぐる童話(2000.1.11)
童話のなか
でも苦いお話の澪が
何度でも童話に帰れるよ
かすかな偏頭痛のさなかにも
クスリじゃないけど
飛行機から見える
はがねのように張った空に
メアリー・ポピンズは飛んでいるかもしれない
そして苦く
甘い
恋を知り始めるかもしれない
秒速で数える春を抜けて
街はたくさんの十六歳を
氷片のように留める
でね
少女の
毛糸の耳当てとマフラーが
搭乗口でたなびくんだ
それはぼくの童話で
それがまた
あなたの童話でありますように
回転する帽子(1998.4.7)
いつのまにか4月は野原で
細長い目が
なんだかけんのんに転がっている
通り抜けると
整地された駐車場で
過ぎた生物は
みんな逆立つ毛を持っている
死体がごろごろしている街の夢を見て
僕の水が
斜めに
傾いて
獣が覆い被さるように
マーダーの
黒い帽子がいつまでも
駐車場にくるくる回転している
白い耳(1996.12.31)
老人の丸い背に
亀甲模様が現れている
眠い網が耳の縁から
綿菓子状に始まり
着物すがたの老いた小さな人が
靄に入り
とぼとぼと歩いてゆく
そしてきものの裾が
見え隠れして
ついには白髪が
靄に同化して
見えなくなる
砂糖ガラスに包まれた
耳の奥を
見ている人はいるのか
原生林のように
自律した真っ白い眼はあるのか
ただ網を
すたすたと
滴る花の色をひとつひとつ
背に追いやりながら
たぶん
その手の亀甲に
沈黙の油を
燃やして
水に逆立つ髪や眼鏡を
白い魚眼が
きれぎれに追尾する
どくだみの花(1997.5.20)
どくだみの
十字の花が咲いている
裏通りの水汲み場
今年もヤモリが西の窓に貼りつく
夏がくるだろう
氷担ぎのアルバイトは
もう浜のあたりでは見られない
ところで
僕の灰皿の周りは汚れている
一日の灰が多いからこぼれる
風物は形になる前に
ごちゃごちゃと消化される
あまりに透けていない?
はるかなる司祭は
モノをばかにしたりしないが
花を見る目が違う
僧が
藪で
立ち小便をするのが
この窓から見える
静脈の地図(1999.8.10)
アゲハチョウの形をした
張り紙を見たことがある
僕はその人を
垂直に生える草のように捉える
でなければその人は
僕の断層に耐えられないだろう
あの張り紙には
幾筋もの僕の
ゴムみたいになった静脈の地図が
描いてある
そう
山の駅の東側の木の壁の
張り紙
矢のように平面を解析し
耐性を増した血管が
みずうみのある街を
描いている
御殿場(1997.4.8)
隣の席に座った背広の人は
スポーツ新聞を何度も読み返していた
野球記事 競馬記事
缶コーヒーを啜りながら
煙草を吸いながら
何度も
松田を過ぎると雑木林や川
ところどころにある
桜や黄色い花
狼煙のような山の焚き火
景色に目を奪われるようになる
車窓の内側でも
たいてい僕はこのあたりで
印象的なページに当たる
外の景色と文字が融合し
気分が変わる
御殿場で降りると
徐々に雨粒が繁くなる
この旅には異物が交じらない
あの人たちが
輪郭をはっきりさせ
すっかり登り道はまっすぐになっている
僕はたずさえるべき人の手を知っている
その人の手は小さな手だ
熱くも冷たくもない
骨ばった手だ
旅は
御殿場で
濃密な粒子に満たされる
赤い染め抜き(1997.3.18)
卑俗な手ぬぐいの
商標の
おもてうら
赤い染め抜き
手帳に蛾がとまる
漏斗の
底のアパートに巻き付く
ハート形の葉に付くひと粒
おそらく
あの角を曲がると汚物を踏む
と
しゃれた男は気づかない
でもどうなのかな
ましなんじゃないかな
薄いぺらぺらは
側溝にある生活水で
ましなんじゃないかな
野菜を追いかけるなんてことは
たぶんあの男にはないはずだ
そういうのは
透明な男の特徴だからね
なんで
僕のナイフに気づかない?
砂の旅(1998.3.24)
犬の喉の音でふと目覚めると
明け方の街の音が遠くに聞こえる
環状線の車が走る音は
東のほうから小さな響きで
まだビルから出た2本の手の先では
光が点滅しているだろう
犬は眠っていて
猫は起きたのに気づき
しっぽを立てて
あいさつに来る
遠いノイズは冷たい空気を
伝ってくる
無音の時は
一刻もない
だから
砂は
滑り落ち
何回も旅に出る
微かな湿りが
アスファルト上に降る
白い街(1997.4.22)
白い街だ
犬がうずくまっている
電柱の線が信号の向こうまで行っていて
まだ寒いのに
半袖で
マーケットの前を過ぎる
白いクリーム
食卓のコーヒーの表面を渦巻いて
映る顔が
揺らぐ
路が
静かに走る車を載せ
カップの円の向こうに
電線がつづく
いつここに来てしまったのだろう
いつ
顔が溶けて
白い路を歩きはじめてしまったのだろう
囁きの中に針が
でも
なにかつーんと耳に通じるかぐわしい針
あの
駐車場のすみに
血液が
うずくまっている
露岩(1998.12.22)
この尖り割れた
吹きさらしに
岩が露わだ
凍った粒がぴしぴし当たる
突き出た岩は
骨折した骨のように
ぎざぎざに
雲の前景にある
日は尖る耳のあたりから
徐々に晒され
やがて鉄が打ち込まれ
ねばねばしたものが凍るだろう
髭の毛先の水の
結晶が
ちらちらと汚れた靴に落ちるだろう
枯れ草(1999.8.31)
原っぱに
1メートルぐらいの直径で
草が枯れた部分がある
その景色は朝食中
トーストを食べているときに
浮かんだものだ
街を歩いていて
通りすぎていくたたずまいに
ふと あるプラスの道行きを捕らえることがある
それはなにかしら
すっと歩くことを認めて
やがて午前に沈んでいく
枯れ草は地下鉄で吊革につかまっているときに
また浮かぶ
さらに駅に着いて扉が開くときにも
階段から曇りの地上に出るときにも
枯れ草の円
幾本かの茎が白く折れている
枯れているのは欠けていることなのかと思うと
そうでもない
何かの印でない
道行きの目盛は
ゼロのところで
原っぱの枯れ草がゆっくり
点滅する
ボブ・ディランの干物(1997.9.23)
ハワイ・ツアーの給食には
ボブ・ディランの干物がでる
ポリ袋に入った切れ目を
すーっと開けると
平たいボブ・ディランが出てくる
鱈の干物に似ているが
金属製の味がして
まずい
長火鉢で炙って食べる
古い灰は火鉢の底のほうでは
白く石化している
ハワイの旅館にも各部屋に長火鉢がある
カニバリズムじゃないか
おい
古布団は粗大ゴミとして
玄関の前に山盛りになり
苗字が書いてある
「彼らが呼ぶ前に」
答えは布団が濡れていくなか
に書いてある
マック(1997.11.25)
「お腹痛いわけがわかったわ」
「え、どうして」
「マックでのバイトのせい」
はははは
と女子高生は笑う
「血液調べたら脂の変わった成分があったの」
「薬、きついのになっちゃった」
ははははは
「おとといチキンナゲット
いっぱい食べたからね」
はははは
僕は茶髪を見下ろしている
右前方には少女メイクしている女の子
僕は前に少し傾き集中して考えていることがある
集中して言葉を頭で反芻している
耳には彼女らの声が
もうひとつの空間を作っている
そうだ
僕はある文章の一節を繰り返し繰り返し
集中して思い出している
女の子の声が耳に入るのは
でも
苦痛ではない
頭に何度も同じ文章を書いては
消す
「はははは」
僕はほとんど自動人形のように駅に降りる
雑踏のなかへ
通路の音楽(2000.1.25)
暗い通路に
オートバイが入ってくることがある
この通路を
きわめて普通の人たちが
そのシステムを守って歩いている
しいていえば
その通路は
外の街と同じもの
違うのは
同じ塊のくせに
錐でついた穴のようなものを
人たちは守っていることだけとも思えるけれど
それだって外の街と
幾分か景色が違うだけだと
思い直したりする
僕もたまにオートバイになる
すると
あの異国の知らない楽器の
音とともに
知らない無垢な少女時代が
僕にも染みてくる
それは貧しい布に
日の光を受けていて
たまらなくなって
堪えているけれど
やがて
音楽に乗って
駅を素通りする電車のように
行ってしまう
栞となる鳥(2000.11.7)
いろいろなんで
屋根の鳥が
ぼくに「ちょいちょい」と言っている
あいつら怖いものが多いくせに
平然としている
同じ景色を見るのに飽きるのはなぜだろう
同じ本を何回も読んで飽きない場合もある
悪いことを考えて歩く街
パズルを解きながら
ただ景色の一端になって
買い物もする
セピア色
あの崖のあの星
ページをめくると
見開きに
ちょいちょいと鳴きながら
鳥が通りすぎていく
正午に下る坂(1999.4.20)
腕時計は
汗でぬるぬるする
木の階段を上ると
青い深い靄が
空の底のほうに
化学実験のように
ちぎれていく
上りながら
かすかに少年の独唱が
耳に響いている
頂きに
暈をかぶっている自分が見えてくる
正午に
下る坂
針はただ一本の矢印になり
文字盤は花びらの付け根のように
白く見える
正午に未明に向かい下る坂
まひる
野の生理に下る坂
少年の声は小さくなり
青は濃く
昼の星がいくつか見えている
木の輪(1998.1.27)
木の枝が
癒着して輪を作っている
垣根だ
ふと上を見上げると
裸の男女の図が
アラベスクのように
繰り返し模様を作る
木はネズミモチで
そばをたくさんの人がいつも通る
すり切れた垣で
すべすべしている
そんな木の輪は
使いふるしの工具の
柄の艶をもって
たんに道と庭とを分けている
裸体の男女の繰り返し模様は
なんだろう
人の通りにできる
泡のようにも思える
ホタルブクロの文字盤(1999.6.1)
石切り場の跡に
ホタルブクロがある
時計は水の間近にあって
カチカチ 秒針が進んでいる
この辺では
カエルは飢えていない
羽虫などいて
くるくると舌で巻きつける
文字盤にかすかに雲が
動く 葉叢とともに
粘膜の脚はホタルブクロを
過ぎり
霧を湧かせる
それを絵にしよう
文字盤の
絵に
猫(1997.11.11)
猫は夜にすばやく身を投げる
売春婦のような事情もなく
刀身は
花びらをスパンコールにして散らす
フェンスでは
青い電気がしばらくジリジリと
残っている
夜の血よ
甘い血の溜まりを
猫の瞳孔は吸い取る
辺りには真っ白な夜景が広がり
虹色のとかげたちが岩間に潜むのを
闇の白の中に
猫は見ている
女もののパジャマ(1998.3.10)
猫のスタンプが
本棚にある
くわしくは
復刻本のならんでいる
細長い本から
一冊とると
それが猫のスタンプである
横に長い猫の顔の
ゴム印で
青いインクで
何回も押した形跡がある
パジャマの紐がきれたので
赤い縞の女もののパジャマを
穿いているのだが
そんな春の宵
猫のゴム印を
取り出している
花の襲撃(1998.2.10)
桜草はガラスの中で屈折している
桜草自体が野に立っているのを
あきらかに幾重にもガラスを通した像として
目に入ってくる
ガラスの破片の
ひとつひとつに
ほんのり赤い桜草が
透き通って浮いている
この窓の桜草の
そのもう一面向こうの窓の桜草の
ガラス切りの
きーっという滑る音が
柔らかい毛の生えた
茎をたどり
右こめかみに28度の角度で
枝が伸び
右15センチほどの
ところに
花叢が浮いて
刺のように目に来る
裂ける男(1996.12.24)
砂が風に交じる
バスが雲に埋没していく
姦しく清冽な
温室のガラスに
たわわに映す果実になって
まわりに
溶け出して
愛しい人は
タバコの吸い口に
紅を残し
バスに乗る
あでやかな帽子が
相模湾に飛んでいき
僕の肩の夜中
戻ってくる
水を背負った男よ
あなたは右のこめかみから
裂けて
祖の礎に
透明に
排泄する
夕刻(1997.11.4)
ぼうぼうと
獣が草のように生えている
野路
猫科の顔が空の水に映るあたり
縦横に獣たちは
風を切って
ちりぢりになる
たなびいていく
青鉛筆を削り
その青の屑を脳幹に撒き散らすのに
父祖の泡が
サイダーの街並を
炭酸で作りだす
ビル群を
ぼくの靴の裏には
青い引っ掻き跡が
残り
手の桟橋から
鳥の群れが出入りし
腐蝕画が黒く成っていく
針を噴く指(1996.11.12)
つぶてが降る夜は
花のなかに入る
火は揺れ
つぶてがそそぐ夜には
花に入る
階段がゆるやかに始まる
道の真ん中の
白衣の少女が
ひそかに降りる階段の
その上につぶてがそそぐ街は
花のなかに
放射状に花弁が
頭上に回り
たくさんの炎が
アスファルトに点々と
揺れ
少女は降りていく
かすかなトンボの翅の
筋のように
ニンジンの塔がやがてできる
破れたジーンズで僕らはその階段を
上る
ラッパの縁に灯された火
いちょう
赤く 黄色くなる葉
指から出る
細かい針は
ちょうど中天に
霧のように噴き出すから
楽器を操る指から
噴き出すから
時代の霧(1999.3.9)
雲が過ぎると
透明な三角錐が
回って近づいてくる
そのガラスが通ると
花がくる
三角錐は1分の時代で
花も1日の時代で
やがて四方山話をする
縁側の男たちは
亡くなる
そのうえ
縁側の板も腐る
(板の湿りにゾウリムシ)
山の木々のあいだの
星は運行し
1秒の時代は霧になって
飛ぶだろう
星のおもてを
水面から ガラスの鯉のくち(1997.7.8)
透けた蜻蛉が
ガラスの鯉のくちに
入る
草木
すべてガラス
風にシャリン
鯉のくちびる
ビーカーの縁に似た
小さな曲面の
開口
一世代が通り過ぎていく
二世代が通り過ぎていく
中枢にシャリン
と枝をふれ
ぱくりと
ガラスの蜻蛉を
食べる鯉
過ぎていきました
赤い鼻緒の赤い浴衣の
女がひとり
落ちてきた
ガラスの花を握ると
赤い花が
掌に咲いて
斜面を
斜面を
下りていく
水面から ガラスの鯉のくち
鯉のくち
においのない歌(1999.4.13)
流れている
歌の
味がなく
においもなく
ただ道の上に眠るとき
色紙はこまめに
角の店を造っている
女や男が
水のように出入りする店
空のバインダーや
白紙の本が
においも味もなく流れるとき
(星形の紙は風かもしれない)
青い色の紙切れをポケットにいれる
人を
微かに僕は恋うている
草を追う(2000.8.29)
朽ちた船
周りの砂地には
ぼけっ と雑草が
流木にインスタントカメラを置く
海から山に登る道と
左に行くと雑木林をぬけて
集落に出る
小高い山の斜面には柑橘類の畑
とちぢんだような松の幼木がある
左の道の雑木林の向こうには
池があって
小魚も見えるだろう
どちらに行ってみよう
道はどちらにしろ
埃っぽく
汗がおちると
たちまち乾く
日を追って
道端の
草を追う
草の生える手帳(1997.1.28)
雑草が手帳に生えている
戦前のガリ版刷りの古い戸籍
笑うように文書には
ペンペン草がバチの形の実をつけている
けっきょく
明るい便所で
何を考えていたのか
途方に暮れる
今年の手帳の事項は
赤鉛筆でひとつずつつぶしつつある
野
となれ
とある港町のアパートの一室
内縁の夫を
10年ぶりで帰ってきた男が殺す
だから偉くも卑しくもなく
ただ行ってしまった
乾いて芯だけ残るランプ
埃を落として
びっしりと
手帳に数字を埋めていく
千枚通し(1999.6.8)
電車の窓から見える
塀の猫
重くなって
それから背に乗って
暗く駅を降りていく
それから
軽い一日になる
砂袋には小さな穴がある
(ささやくから)
踏み台に上がり
千枚通しを使い
紙縒りを挿し込む
写真帳
つまり
測れないまだら色が
手のひらに貫いている
たなびく魚(1998.3.31)
右端の突堤から
薄い煙が上がり
なびいていって
黒い人影を作るのは
雲の躍りの
入道が
臍のあたりから
ちりぢりに
島の林に融けてしまい
その影だけが
気になっているからだ
僕はあの極微の町の
夕景に魚を焼く
漁夫の女房が
斜めになった駐車場の
壊れたテレビのモニターに
映るのを見る
あの影を
否定することは
ついに極微の町を否定することに等しい
つまりは
右端の突堤から
たなびいているのは
魚の僕なのである
ネジまわし(1997.12.9)
境涯というのは大げさな
たばこに火を点けるのはこのとき
明太子の腹から出す手術というのは
醤油をかけるときに
ネジを思うことのように
なつかしい
口紅を引くのは
菊の懸崖仕立ての
そこから滑り降りる
耳の張りぼて
ちっちゃなガラスのトナカイさんは
いつもみんなの敬い者
偉いもん
ホンジュラスは経緯何度か
挿入ことです
毛づねを剃ることが罪なら
僕はもう小遣いが倍欲しい
焼けた鍋を舐めてはいけない
ネジ溝を痛めたら
すぐバンドエイドを貼り
メエルシュトレエムの
内側を蚊取り線香の煙で満たす
ぎりぎり
回す
周りを焼いてみる(1999.1.5)
周りを焦がした紙
周りを
ライターで焼く紙
炎はちろちろと舐める
書かれた字が4行
紙の中心にある
炎を手で押さえると
黒い複雑な枠ができる
B5の紙が丸くなっていって
焦げが
字に触れる
灰は字の骨になるだろう
しかし酸化反応は
手によって止められる
焦げは
4行を装飾するのか
傷(1998.11.10)
もし頬に傷がないのなら
あなたは僕を好めない
なぜなら
けっしてあなたは
あなたの傷を見る僕の目を
見ることができないから
傷がどのへんにあるのかを
探したりはしないけれど
流星のような傷が
あなたの外の
森のなかに落ちていることもない
耳たぶに触る
でもその柔らかい肉の完璧な造りは
予兆にはならない
予兆はただ
夕闇の
白い横顔の頬に
針のように流れる
見えない傷だけだから
チューブ(1996.12.17)
チューブの右に入ろうとすると
細かな棘があった
水澄ましはいない
では左は
わけもなく蠕動している
管は分岐していて
その膚を確かめて
進むことになっている
棘の向こうに
水辺の糸トンボが群れ
羽黒トンボも地面を這うように
飛んでいた
小さく見える
あれは魚眼のなかの
映像でも
いつでも回復の手だてがあると思う
排出口のほうへ動いている
管は孕んでいて
子プロセスが
数字を送っていた
じつは
糸トンボにも
神経が内壁にミクロンの単位で通じている
後ろから懐中時計がくる
鎖を
じゃらとさせて
「おーい」
誰もいないらしい
タバコに火をつけた
イッソスの戦い(1998.8.11)
夏の届け出を
イッソスの戦いより
夢枕で受ける
それは夏の
まだら模様の履歴書だ
一 傷口がぱっくり開きます
一 傷口を縫い付けます
一 傷口から音が鳴ります
しかし
雲もだいぶくすんで
町もくたびれて
なんだか
夫婦して
写し絵のように
くっきりと
履歴書の裏側に張り付く
木と木(1997.5.6)
病んだ花
というのをどこかで読んだ
理由のない恐怖は
自分を圧縮する
つまり外圧を創造する
エディット・ピアフがそうであったという
色情への囚われはどうだろうか
ピアフはまず
街路の向こうに見える信号までは
色情のことは考えない
ところが街路を曲がるとき
欲望に対する理路は整然と生成される
たとえばこの丁目に住む男のアパートに
小走りに向かっていく
決壊しやすい低い堤が延々とつづき
際限なく決壊が繰り返されるようなものだ
恐怖に比べればよほど
脳髄に貼りついている
ベッドの上で
パラシュートのように感情が開くのに
エンドレスに開くのに
依存して気づかぬのは
病んだ花が自身だからだ
それは傍から見ればラフレシアのようでもあるが
苦しい色彩に満ちている
ジャニス・ジョプリンの声にはドラッグを感じる
あのかすれた声に
ジャニスは死ぬ前のホテルの受付の男に
話しかけた
グッド・ナイト
でもジャニスは受付の男との距離に
木と木の距離を見たはずだ
木と木
ジャニスの頭蓋骨は
若いほどさらに苦しく咲き
花は疲れていったのだと思う
痕跡(1998.10.13)
水を
ナイフで傷つけることはできない
ただ水は刃先が通りすぎるのを待つ
それから水は
また雲を映す
水は赤く染まる
雲のあいだの日の光を映して
水において
過ちは
痕跡にならないのは
手のひらの器に
遠い耳の産毛が
いっさんに来歴を
満たすからに違いない
新しい冬に
刃の跡がない
ない
男ワルツ(1997.8.12)
男のワルツ
ぼくのなかにたなびいているのは
男ワルツ
ドーナッツが揚がります
真ん中に穴開けて
ドーナッツが
並びます
水平にもやもやして
換気扇が吸い取る
油のにおい
穴に通したひもで
くるくるやれば
ワルツのリズム
火のにおい
お料理は女装して
ワンツーお鍋も磨いたし
ワンツーお皿も並べたし
ワンツー出刃包丁も研ぎました
ドーナッツに淡雪砂糖をまぶし
パンツ一枚 ぼくは食らいつく
ワンツー胸毛
男ワルツ
涵養される机(1999.2.2)
机の畑
涵養されるか
耕される
畑
やせぎすでびくびくと
畝を歩いている
机の上の
人
いま
小さな手で耳を押さえる
微小な人が
見える
響きが
煙のように
机の上を這っている
缶(1999.4.6)
赤い草
穂
破線
糸
市が立つ
ちゃんちゃんこを着るひげ面の男が
皿に
細い赤い筋を10本ばかり置いて
街のビルの罅を売る
缶は死にます
路肩の缶を
思いきり蹴ると
通りの中空に
斜めに止まる
風のルビ(1999.12.7)
風のルビは
かぜ
電線のルビは
でんせん
整理すると 奥まったところに
砂が少しざらついていて
音が耳道にかすかに
通る
長い布の航跡は
泡立ち光の細かい粒に飾られている
おしゃべりをする
そのときのシャンプーの匂いのルビ
遠いところで本を重ねる
電車の中で読むために
駅前で買った文庫たち
並べて
糸の玉のように
明るい坂を
下りる
糸のルビは
いと
風のルビは
いつも かぜ
ビンの中の羽(2000.1.18)
通りから
小さい公園に出ると
羽が一枚落ちている
すると
僕はビンを思い出す
ビンに羽
だけれども羽が
地面に一枚落ちている画像を
飾ってみたい
気持ちも遠くにある
写真に撮ってみたいような
下を向けば顔を思い出す
顔は水面の波紋に乱れて
やがて
冬の池のそばに
立っているひとり
街路をあがる(2001.2.27)
プリズムの
街の女
ある日何かが内省的な傷を
構造化して
ピエロに加わる
渇いていくことが
なにか
その辺の景色を乾かすのが
輪郭だけになり
やがて骨になり
僕の影に溶けていくのが
歩行と思われる
プリズムの街
を地面の茶色に溶けて
歩くと
影が影のまま黒く
街路をあがる
ウェザー・リポート(1999.1.26)
風はひんまがって
童話の大袋を
飛ばしていく
等圧線にうなだれる
春の雲
魚の
ひらりとした線が
小さい蜘蛛を
口に入れていく
あの
天秤
崩れやすい層雲の
雨雲の
灰を除け
電線
割れるような無音
ランドサットが
白い犬に
綿ぼこりのように圏点を打つ
いちごと毒虫(1997.12.2)
いちごを入れたボウルに毒虫もいる
赤い粒の周りを這う
黄色い毒虫
壁に汁を塗る
傾いたピンナップ写真が震動し
毒汁が一本筋をひく
いちご畑に下りていこう
霧でできた虫も
レースの羽根の虫が揺れる
毒虫も
小さな黄色い角は
煎って食べたいほどだし
植物たちのアルカロイドも
靄に溶けてしまうから
位相空間(1996.11.19)
カラスの群れは
雲の隙から棒状に伸びる陽光のあいだを飛んでいる
僕は自分の動物的な勘を恐れる
それは強迫観念にも似た
暗示体系だ
群れはふつう組織された群能とよぶべき
規則に従って
真下のヒバの木に吸い込まれ
また放出される
コーヒーを飲み
アトラクタを見ているときに
ふいに
黄色が点滅する
それは
ふつう仰角からの視線によって
論理的に見捨てられ
時系列の記述によって
生体の現象の要素に還元されるべきものだ
でもどうだ
あの陽光の棒が宗教的でもなく世俗的でもなく
黒い気分のかたまりと交じり
a,b,c,dの四つの軸のうち一つに
日常のこなすべき時間の軸に旗
目の快楽の軸に旗
遊びの軸に旗
そして短いもう一つの軸に
黄色い点滅の旗が掲げられている
その加速度を介した対数軸と
数人の人のそれぞれの加速度を介した対数軸の
位相空間では
やがて
なんでもない旅をつくり
そしてほんとうに
あの暗示体系は
消滅する
ある遠近(2000.9.19)
小さいものより
大きいものが大事とは
さくらんぼの思想で
古いバケツにはいっている
粘液みたいのが
拒みつつ
地平線に波打つのだが
もうプレートの上の小さなものに
大きなものが飲みこまれている
ちろちろ燃えてる火
プレートの上の
大きい街並みが
盗人を含み
手配を含み
さくらんぼのアタマは
酔いどれの道に
濃い血痕を残して
道にバケツを
がんがんぶつけている
流れ星(1998.1.6)
ちょうど午前4時に目覚め
窓辺で煙草を吸いながら
湖上の星を眺めていると
妻も起きてきた
「これくらいの光なら
星座がはっきりわかるね」
山のギザギザの上に星座は
半分隠れていて
惑星はいやに明るい
たいていの流れ星は
1ミリ程度の塵が
大気に突っ込むときの発光だという
中也の「月夜の浜辺」では
彼は疲れていない
ボタンのようなものを捨てられない
エネルギーは
疲れていない証拠だと
星座を見ながら
行を追ってみた
でも夜の光は
疲れても
なんだかしつこいものを湧かせるように
思える
か細くだけれど
煙草の先の光が灰皿の上で瞬いている
空の星と同じに
つかの間の海(2000.11.14)
海へ抜ける道をさがして
国道を渡り
松林のあいだのトンネルのような小道を
見つけると
すでに雑木に射す光は
海のもの
やっと海辺に出ると
好きな打ち上げ物はなく
ペットボトルや
合成樹脂の切れ端
藻はなぜかない
戻る道の八百屋さんで
渋抜きの柿を買いこみ
一三〇円の花も
またいつか
船で南下したいな
花と機械(1999.8.3)
開く熱で焼けて
黒い穂になる
星じるしになるなんて
この街で見えないにしろ
花は燃えるから
青い火は時折
街を透けて見せるから
だから僕の腕は
金属の骨と伸縮する鋼の筋と
でできている
裏山の草(1997.2.4)
小山の誰もいない
草むら
草間の踏み固められた土
三匹が斬る
には虐殺場面が必ずある
ロケの機材が片づけられて
丸い草むら
ノイズ効果をモノクロ写真に入れる
ちょうど水たまりに落ちた
古い写真
草間の土
紙芝居が去った後の
情が果てた後の
草
モノクロの草
腋毛から発生する(1997.6.10)
けだるい砂嵐は
しぼみつつある
茶色いコーヒー袋切れを
頭に掛け
砂時計はまた逆さにされる
(豹と仲のいいティッピは
かわいい女の子だ
豹は彼女の肩をまるのまま
甘噛みする)
目盛りはほうっておくと
いつのまにかずれている
深夜修正すると
砂はさらさらとまた
地球の中心に向かう
またしてもけだるい砂嵐が
腋の毛の
毛母のあたりで
発生する
拾得(2000.9.12)
ちょっとポルチニを拾ったり
空がすっとお出かけになったり
猫のおなかの毛もいい
イスが水の上にある
ぼくはなにか垂らしている
眼が行き来するのみで
浮かんでただよっていく
顔の形の雲に
太い手がだんだん崩れ
ぼくはなんだか
燃やしている
落雁を拾い
健康なお腹を思い出す
遠い
お出かけになるいろんな刺のほう
推理小説(1998.9.29)
空白というのは
意味の不在から訪れることが多い
とはいえ
周りから見れば空白は恐怖であるが
また空白に引き寄せられたものにとっては
あまりに明白に行為を起こさせる
空白は凶器ではあるが
それは
神経が思考を支配するものとは違う
トリガーを引く人は
かぼちゃ頭ではない
言い換えよう
傍から見れば空白は凶器であるが
トリガーを引く人は
明白は空白に支配されているから
箸で
一片の
芋を
口に
運ぶ
ことにすぎない
火口(1997.12.16)
硫黄のにおいの漂う
火口原に
溜まる水
バスなどが跳ね
二匹の白い鳥が
窓から眺められる
馬やヒトの行列は
古い時間に溶け
旧道は湖を避けて
山を蛇行している
熱い脈はいまだに
打っていて
茶屋のある場所からは
遠くにしぶい着物の女が
見える
官能の道が僧の道へと
絵巻が
ゲームのように
じりじりと
モニタの上を
下る
草書を残し
野良犬(1999.5.25)
ときたま
毛皮は汚れ
荒んだ野良犬になりたくなる
一人で斜の風体で
路地裏に入り
ごみのにおいのする舗道を歩く
渇いた喉をむき出しにして
うらぶれた板塀のあいだの
ただれた夕日に
融けたくなる
街灯の下
瓶の底に放り投げた
絡んだ5色の紐になって
新しく
より荒んだはらわたを
発生させたくなる
金・新市街(1998.9.8)
しろがねの
風
記録されない9月の雲
金が映る
それを僕は秋のなかで
熱として頬に受けている
246が多摩川を渡りきったあたりで
頬に受ける
金・新市街
遠くの明かりが
ぶれて
虫のようなクルマが
流れているのを見る
(たしかに僕はひどいよ
でも涙腺はある)
金
新市街
僕らは煙草に火をつける
《とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ》
吉本隆明「涙が涸れる」より
虹の管(1998.8.4)
箱は開けられて
虹の管が
たくさん弦を描く
赤青縞模様のラッパや
青い煙のジェリーを含んだ
山高帽など
そして
くちびるの端の微笑みも
箱の隙からのぞいている
かすかにおぞましい
かすかに皮剥ぎの
正方形の街(1997.4.1)
正方形の青空に
雲が動いている
路地では
魚が相変わらず焼かれている
コンクリートの電柱に登って工事した人は
夕食でみそ汁を啜っていたが
もう当分この電柱には来ないだろう
街には
とても平凡な顔がある
とても平凡な言葉が
走り書きされている
ごく単純に彼らは
交わしあっている
焼き魚のにおいに
気まぐれに買った花のにおいを少しだけ交ぜて
僕は正方形の街を知っている
そこでは誰もが夕食の野菜を買う
ペットボトルの水を買う
小さなハンカチが
落ちた
物干しから
落ちた
そのとき昼の喫茶室で
無駄話をしたのが
四角い街に生きた証しだと知る
粉々に正方形の空に沈殿していくのを
見ているのが
証しなのだと
ゆっくりひらひらと
落ちていく
青い正方形のハンカチは
知っている
銀色の迷走(1998.4.14)
ある飛行機が
制御不能になったという
計器盤は全部狂ったという
パイロットは
あまりおかしいので
腹を抱えて笑っていたという
町角から町角へ
それぞれ獣たちが
奇態な風習により
ぼこぼこ皮膚をたたいている
希塩酸や
血の霧が
ぼうぼう街に満ちる
お眠りなさい
虹の風よ
君の好きな人があつらえた
ラベンダーオイルの匂いのする
枕に虹を拡散させましょう
巨大な耳を持つ
僕たちの街から
それぞれの角を曲がると
また優しい夏や冬の実が
ぶら下がっているかもしれない
すべての街の窓ガラスは
銀の飛行体が躍っているのを
映していたという
紋様(1999.5.11)
空き地を過ぎると
アタマがぼーっと夏の絵草子を浮かべている
地味な紋様の紙に
一文字
そこから始まる夏の歳時記
絵草子は水辺の草に群れる昆虫から
黄色い花などに移っていく
一人で道から外れ
丘の畑に出て
なんでもない木々の揺れをみているような
ことどもも描いてある
江戸の水
紋様は青海波だ
くすんだ色が艶をもってくる
夜 海に出てみよう
線路のほとり(1999.3.16)
金粉を見る
小さい瓶にいれる青い細い
ほうき形の
えもいえぬ
質素な飾り
帆布のかばんから
ちりぢりの絵模様が出てくる
あなたはたしかに始める
始めの始めを
瓶のふちをなめるように
先頭に顔の描かれたデコイチ
町の線路のほとりには
ほうき形の
青い
草が
ぼうぼう
赤い花(1999.9.21)
彼岸花とすすきが
交じっている
罅は
滑らかに
日々の面に色をつける
白いパレットの
水彩絵の具
たぶんあの水は
とても大きい要素だが
赤い花が
次々に沈むので
保っている
ね
僕の街はわりと勁いだろ
それは街を耳で聞いているから
その斑らを
じっと聞いているから
青(1999.1.19)
シャーレのふちに
わたしの襤褸がある
その襤褸を
風のように着て
放浪者は
虫になって吹いていった
みしみし いう
光
毒虫の甘い汁が
舌に染みて
シャーレのふちに
わたしの生温い旅が
はらわたの紐の
靡きになり
微かな戦士が
映って
青に染みていく
一代記(1998.3.17)
鶏の首の柄の
杖
春は闌けて相変わらずの渦だ
窓から白いものが覗く夜
あれは
テレビの残像で
辛夷の木が平屋の前に
2両電車と埃を思い出させる
煙草のなか
長いキセルを叩く女
の一代記が
僕のなかにある
寺の石畳が
続き
女として物乞いをしている
血は灰色に
瓔珞や
襤褸が
傷の溝に流れる夜
鶏
の首の
柄の杖
もし(1999.12.28)
僕がもし/もしもし
もし
スクワットをやって
もし/もし/もし
重いな
僕がもし/もし
もし
細いサングラスをかけて
もし/もし
お茶ちょうだい
もし
もし もし もし
あの人は いるから
充電すんだよ
充電すみましたの?
もし/もし もし
カナリヤ
もし
夜を歩こう
月に
コペルニクス火山が見えているし
砂層(1997.7.15)
砂に満たされた層に
砂の蝉が飛ぶ
夜
歌が終わると
砂嵐になるテレビ
飛ぶ砂の中ににおぼつかなく
蝉がいて
もう幹の形であるかもわからない桜の木に
とまる
真空管のノイズは
寒天のように四角く加工され
砂菓子として
砂の身体を貫き
四角いまま
床に突き刺さる
満たされた層は
変幻する街の内臓で
告げている
いま
砂でできた建物が
地平線にあり
平たい巨きな魚が
潜り込むのを
ただ
傾ぎ
うろたえる砂の中で
フラッシュされるのが
見える
水面の呼び出し音(1997.8.26)
網の目に似た
カラスウリの花
グロッタの画家の好みも
思い起こさせるが
晩夏のパッケージが
やがて草むらのそここに
つり下がるのを
用意している
ほとんど見えないくらいの
細いテグス糸が
さざ波をわたって
竿の先がたわむ
やがて細長い筋肉のような
ハヤが手元で跳ね
水と光がかしましい
水上に電話が鳴る
そういえば
昔から電話は水面に鳴っていて
とんと受話器を取ったことがない
蚊柱が川を移動するころ
ぼくは受話器を取る
受話器を耳に当てる
それが陶の巨大な火鉢になり
足元にゆらゆら沈み
聞き取れない声が
水音に交じっている
C棟3号(2000.11.21)
さて会が終わると
抱いてきた子猫がいないのに気づく
瞬間的に客は庭園の向こうに移動してしまった
捜しはじめる
この建物は長くて8階ぐらいまである
入口と反対方向に向かうと
すぐ和風の造りにした寄席の階に着く
ここにも誰も来ている人はいないが
メモが落ちていて
C棟3号
と書いてある
C棟とは斜め上の鍵状の向こう側である
たちまち8階のバルコニーに出る
すると
どこからともなく
捜していた子猫が現われた
よかった
抱きあげて1階分下りると
すでに1階である
そういえばいとこのJさんが1階の入口付近で
展示会を開いているとのこと
覗くと展示会の部屋は菓子の空き袋が散らかっている
ぼくは猫に
「帰りにペットショップでカゴを買わなきゃ
抱っこじゃ疲れるよね」
と言うと
子猫は初めて日本語をしゃべる
「そうだよ
初めからカゴで連れてきてくれれば」
それをきっかけに
ずいぶん話したと思う
「あの人は目が見えないの?」
ぼくは「君も拾ってきたときから片目だし」
猫の目を見ると見えるほうが少し白目がちになっている
でもすぐにきれいな目になる
抱いて外に出ると
予告編がはじまっている
紅い車で水流を走る話だ
接合点(2000.2.15)
だけれども
僕は接合点をみつける
その地点は
そこから街を切開できるポイントのように思われる
その接合は花鳥を飛ばすことができる
周囲の木々
蜜鳥の羽のささやき
きっと
木の幹にそれぞれ隠れた少女たちは
戻っているように見える
低血圧の街の地面
たぶんあの暗い木の洞から現われるように見える少女は
明るい春から走ってきている
(微細な罅がその球面に
入るだろうか)
そんなことはけしてないと思う
あの真っ白い法的文書の虚妄が
告げている
告げている正当性を
ナイフとたんぽぽ(1996.7.30)
ナイフを振り回したくなることって
ある
でも抑えて道のはたの
たんぽぽを愛でたりする
っていうのは
犯罪だね
それともはらわたを引き裂いて
ゲロみたいに
道端に捨てる時代に
その君は
虐殺のかどで
つるし首
こま切れの刑を受けたのって
その君の
心の清さを物語っているじゃないか
これは高速度の乗り物
びゅんびゅんホッケの干物の中を飛ばす
たんぽぽ愛でる
たんぽぽ愛でる
って汽笛を鳴らして
干物の中を走る
トラフィック・インフォメーション(1997.4.29)
車窓からシャッターを押し続ける
地平線にでこぼこになった建物を
撮るために
合間にコーヒーの紙コップも
煙草の箱も撮った
隣には老人が座っている
まっとうな人が老いて
まっとうな老人ができた
みんなよけいなことは考えない
だから
快楽について均した肉体で
弁当などを食べている
では
記憶のない人は
超え出ているのか
などと現象学の本みたいなことを
つまりよけいなことを考える
コーヒーにやたらに砂糖を入れるのは
老人も妻もFさんも同じだが
Fさんの場合コーヒーが溢れんばかりに入れるから
これは一考に値するだろう
老人の砂糖の量は多少アベレージより多い程度だ
車窓からの地平線を
もう90枚も写したのは
合目的的だが
後ろの人は不思議そうに煙草をくゆらせていた
たくさん地平線の写真を撮る男と
老人
電光掲示板に
トラフィック・インフォメーションが
流れていく
立ち枯れ(1998.7.7)
立ち枯れた草のある
野のはじ
フェアリーリングなのか
円く短く枯れている
その高い丈の草は
灰色で
小さなビーズは散乱し
裁縫箱がひっくり返っている
黄色い麻の糸と
十数本の銀色の針
溶ける金属のような
タケニグサの
立ち
枯れ
水の残像が縞模様に
波動する
野のはじ
向こうでは樫の木が
さかんに風に鳴っていて
透けた動物が
リングのなかに
うずくまってもいる
蓋がない(1998.11.24)
テーブルの
からのジャムの瓶の蓋を
探している
手のひらで包み込むくらいの
空に境界を作るために
蓋は僕が開ける
空気は耳から抜けるような
すーっと音にならない音で
瓶から移動する
たぶん
瓶には僕が目を凝らす
45度前方のテーブルまでの空と
同じものを宿す
蓋がない
蓋が夢になる
そう
蓋が夢なんて
蓋が
梅干し(1999.10.26)
かすかに
紫蘇のにおいがただよう芝生の上
むしろの上のあの
揉みこんだ赤い照葉の名残だ
字は知らないが
草の名はすべて知っているあの人は
空のどこかにいる
大きなちくちくした繊毛のある冬瓜が
電線を伝ってずいぶん上のほうに成っている
「梅干しはね
三日三晩干すの
昼間しわくちゃになるの」
そしてすべての梅は朝露を吸う
すると露を吸い
膨らみ
昼間
また皺になる
「でね
ひっくり返すの
一つ一つ」
ぱたぱたぱたぱた
喫茶店のテーブルの上
すばやく見えない梅を
ひっくり返す
ぱたぱたぱた
「そうじゃなくてこうよ」
忘れない秋(1999.10.19)
この夏は
いつも骨が見えていて
いまぐらいの時分になり
骨から
肉や筋がほろほろと
剥がれて消えていく
これではね
水が入ってこない
草本は徐々に
灰色を増しているけれど
建物や鉄骨
街の肩や腰
うすい白茶の骨は
ほろほろと肉を落としだし
僕は管と管を繋げる
そしてようやく街の骨に
水が少し流れて
9月は10月に重なり
10月は11月に重なり
忘れない秋が終わる
いちごジャムはまぼろし(1998.12.1)
開ける瓶
いちごジャムは血の凝り
ナイフを差し込んで
甘い凝りを塗るために
ところで
開ける蓋はない
手で
蓋ぐらいの輪を作り
反時計回りにまわす振りをする
砂の半分埋まる瓶を
拾ってきて
いちごジャム遊びをする
だから
ジャムはない
カチカチとナイフが瓶の内面に触れる音がする
いちごジャムはまぼろし
箱(1999.9.14)
今日はあなたの胸に
小さな箱を置いてきました
それは5センチ四方ほどの箱で
封印されています
中では
X線で透いたように骨まで見える
青白いサカナが泳いでいるでしょう
いえ
そんなに箱を丁寧にしないでいいけど
よかったら本棚の隅に置いてください
箱の中には確かに僕の好きな女の心の影が
あります
あなたの部屋の本棚の隅の箱は
あなたの血や
その他もろもろ
大事なものの息吹を
僕が遠くから受け取る装置です
また僕の大事なものの息吹
植物のにおいや
風が作り 道に並ぶさまざまなヒトの模様を
送りたい
霧のように
青い粒子が
夜の窓から入ってきます
封を切らなくても
庭の水盤(1997.12.30)
傷の深さは
たぶん耳の真奥に
垂れた重りの形で
血にまぼろしになって
景色を映すのだ
あの廃屋から
ヒトが去る日
また動く日
きっとロココ調の庭の装飾品は
傷の深さに釣り合わない渇いた
波のなかに
誰もいない客室の夢を
何度も何度も
その無を語る
カマキリが広い玄関の欄間から侵入する影は
時間が肥大させたマンガの
滑り落ちる
重石の
ふきだしには
字はない
葦を進む(1999.12.21)
空港は
かすかな醤油のにおいがする
冬はそういう
頑丈なにおいで
そのたびに
夏野の草いきれを
思い出す
街は
草がないにおい
あの
娼婦のにおいは
クスリくさいのにまじって
路地裏にたなびく
塩辛いのは
塩分を舐め尽くしてないからで
舐めつづければやがて無味に近い
体液に変わる
だから夏おもう冬に
川を渡る
もやがただよう葦を船が折り
芽キャベツ(1997.3.11)
芽キャベツもクスリを飲む
うっすらとバターが塗られて
コーヒーとともに嚥下される
芽キャベツも
クスリを飲む
リーダー罫のような湯気が
10ばかり立ち
芽の中に芽がいくつも
臼歯でつぶされる
小さなキャベツを
覆う2センチほどのキャベツが
クスリを飲んで
スプーンはクリームに汚れ
フォークは卵で汚れ
その横にはジャム付きのトーストが
乙女の形で皿にのり
眠い食卓の
スイートピーがほんのりささやく
ころん
と芽のキャベツが
畑では数十の芽キャベツが
太い茎についている
食卓にのって違うのは
蝶が鱗粉を落とすかわりに
銀紙で包装されたクスリの
空の一区画が
クロスの上にのること
芽キャベツは行ってしまった
洞穴に行ってしまった
皿にはバターの汁と
濡れたフォークが朝日に光っている
小さく歌舞く(1999.11.16)
ぼくは見知らぬところにいってしまい
CDプレーヤーはつけっぱなしになっていて
何か信号を読み取っている
ここで弁当を広げよう
おんなたちは
歴史ものを読んだりしている
それで顎の骨は
すっきりしていて
それぞれ厄介なものを抱えたりしている
恋は月より遠いか
なんでだろうね
数式の裏には花の力があるなんて
億の入れ子の計算式の
天に
歌舞いている人がいる
涼子ちゃんはマルボロを吸う(1997.10.14)
仕事の帰りみち
疲れた涼子ちゃんは
マルボロを吸いながら歩く
傷のある上弦の月
点滅するコーン
ヘルメットを着けた夜中の工事人が
マンホールからぬっと顔を出す夜
モグラたたきの
槌を思い
マルボロの煙を
ふっ
ふっ
空は魚の絵柄
黄色い十月(1998.10.6)
十月のカレンダー用紙は
黄色だ
それは83年7月の末
パニックディスオーダーに襲われ
タクシーに乗ったり降りたりした
発端の色だ
この十月はやさしい目が
隠れる月で
僕は何度かドクターに相談した
彼は言う
「密約は疲労ではない
果たされるまでは」
「しかし 果たされた後は
まさに疲労だ」
「黄色は
単なる三原色のひとつにすぎない」
「カレンダーの黄色は
ネガティブな黄色なので
あのときの黄色ではない」
僕はヘモグロビンが多量の酸素を
体じゅうに運んでいることを意識する
十月 その十の形は
あの人の胸にかかる金属の十と同じ色だ
気泡(1999.7.27)
その建物はひとつの町で
箸から履物まで買える
(ある日 棍棒が
頭の後ろから 振り下ろされる
しかし 棍棒は
粉々になり 足元に散る)
まっすぐ5階の突き当たりの
窓へつづく廊下
見れば 気泡の混じり込んだ
水槽がある
麦科(1999.4.27)
朝
夢のつづきに雨雲が
肌から溶ける
いつもの住宅街の小道
竹薮の前のフェンスから
無理やりたけのこがよじり出ている
先日麦科の猫草を
ベランダの木のプランターに移植して
そいつは繁り
猫はときどき
日にごろごろしたり
昆虫を追いかけたりしている
季節がぼやけて見える
今日のたけのこは
ついに金属のフェンスを破っている
道の文字は「とまれ」ばかり
透明な畑がアタマのそこここにあって
猫草がゆらゆらしているのは
午前の点景ではある
雲を見上げる人(1998.2.17)
高原に行くと
裂きイカを食べたくなる
生物というのは排気を
後ろのほうに引きずっている
酒も飲まずに
裂きイカを食う
ワゴンはあまりの傾斜に
駐車できない
ずるずると下がっていく
たぶん西だろう
その庭に出るガラス戸は
ペットボトルで作られた風車が
融け残る雪のうえの枝で
からから回る
僕たちのプリンスたちは
いま競馬場にいるかもしれない
煙草の吸い殻を
舗道に踏みつけて
希釈された彼らもたぶん
ほんとうは数百キロ離れた男が見上げた
雲の分裂に託された
錐になっている
私信(1999.2.16)
紙を燃やすのはたのしい
よりわけて
要らない文字を燃していく
破ろうとする私信には
約束の文字が見られる
それが守られたのか
どうか
目からたぶん草むらが入る
それは茂って茂って
地面に落ちた虫ピンを隠す
それは錆びながらも
相変わらず尖っている
セーターを着た青い柱の
陰に
耳鳴りが届くのは
草むらに
ピンを見つけるから
ケータイで(2000.5.23)
ケータイで
あっちの森の葉を呼ぶ
ぼくはひっきりなしにたばこを吸って
みんなひっきりなしにたばこを吸うから
ときどき窓を開けると
後ろのクルマからは煙がもうもうと
出るのが見えるだろう
足柄のレストハウスでイカゲソを食べる
ずいぶんどこにもエスカレータがあるようになったもんだ
人形焼きを買ったり
サーティワンアイスクリームを食べてたり
(あいつはとくにぼくは好き
あいつも)
だから
ね
頭骨からね
ビュービュー
肉が風に飛んでいるビジョンも含めてね
(あいつはぼくを好きなんだ
あいつも)
ケータイで森の葉を
よぼう
水路からバサバサ(2001.5.29)
この水が生きる季節は
水路の掃除をする
こんな家回りにも繁茂した
水草 ワカメのような
小ザカナはついついと
胸までのゴムで武装して
水路の外に水草をほうり投げる
日が陰ったり照りつけたり
気持ちよく水につかっていると
赤い服のあなたが
模造の緑を水に投げ込む
どんどん
「水草、いい感じなんでしょ」
笑っていう
そうなんだよね
水路から
バサバサ
雨の入江(1999.5.4)
船が凍ったように停泊し
マストに霧がかかる
ひなびた漁村が
雨の中にある
街の舗道で
あの夏
バスで通り過ぎた入江の
海の色を描いている
どの夏だったのか
ときどき濡れた窓に
枝と葉が掠めた
いなかの路線バス
最後の入江でバスを降り
飽きないで海面を見つめ
煙草を吸う
窓からの街
の雨
ポツポツと音のなかに
湧いてくる
旋風(1997.2.11)
こんな日には
丸いサングラスをかけよう
花びらがぶすぶすと腐り
においが刺す日には
ヒヤシンスを愛した
やせっぽちの男
耳を削った人たちが彼の前を
足早にとおりすぎたのではない
ヒヤシンスの
錐のような小さい旋風が
耳を削った人のあいだを
とおりぬけたのだ
夢はまだその先に続く
かそけきものは
幾重にも偏在し
やがてあなたはサングラスを
かけて
まぶしさを抑える
粒子はわずかに
金属を通過し
網膜に
ヒヤシンスの青い色を
シャワーのように
断片(1997.1.7)
雨戸を閉めなければ
灯油を撒く人もいるから
カーテンが燃える
床が燃える
布団のほうにも来る
ふと起きた夜中
住宅街は静まりかえっている
断片がしみじみと尽きてゆくね
あの地下の時代
それは財と同じくらい貧しいだろうか
尽きてゆくのは甘受していた曲がり角にいる
ピエロの眼が
小さな汚い箱に断片を収めたからだ
掘り返される群れ
昆虫や菌のように
小さな群れ
起きると夢は
光る床の上に消えている
たてがみを持って
夜中のコーヒーを啜る足下で
犬が見上げる
ゴースト
意味のない言葉を犬は聞いている
地上で尽きながら
断片は頭上に
ちらちらと増える
黄色いネオンと白い皿(1997.9.9)
火を使っていないのに
換気扇が回っている
曇りガラスの向こうには黄色いネオンが
ちかちかして
じれている
わけありの空白
の
罅のなかに醜のヴィジョンが
ほぼ等間隔で並んでいる
櫂を一突きすると
船は瀞にすーっと動き
細い竹藪に舳先は流れる
わけありの
しとねでは
映画のなかで
わけありの男女は
血を見るが
いま
台所で
換気扇が回って
インスタントコーヒーの粉を
カップに入れている
白い皿に
クリームを一筋流してみる
その皿にネオンがちかちか
またたいて
タバコを夜中にふかす
静物の図柄だ
池袋(1999.11.9)
駅前の舗道では
宙返りがはやっている
ひゅーひゅー だぼだぼズボンはいてね
コンクリの柱の陰では女子高生がキスしてる
そういえばその辺で
キレた人がいるうわさも聞く
雑司が谷墓地の横を通り
びっくりガードを抜けるコースは
何回となく歩いたけれど
高層ホテルの前のコンドミニアムには
気を留めたこともない
そうか
宙返りがはやっているのか
夜は明かりがちかちかしすぎで
遠く街の音が響いている
西口公園で
僕は一度
宙返りをする
寝る前に
妻の好きな陽水ベストヒットを聞きながらだけど
朝はカレー(2000.1.4)
朝はカレーがいい
一夜おいて
ヒコーキも飛んでるし
セクハラでもなんでも
朝はカレーでね
好きな人はまだ寝ている
あの人が二階に上がってくるのを
待つまでもない
どうせ 夢のハーブガーデンを歩いているだろう
いいにおいでも吸って
寝ていなさい
犬と猫
君ら 擬態もできないの?
俺 できる
みんな食ってしまえ
みんな食って
つつましくしようかな
ある駅の陰(1997.2.18)
時折り
ある駅前の街が浮かんでくる
黄色と黒の遮断機
質屋のガラスケースの古いギター
額のあたりに木漏れ日をまだらに受けて
歩いている駅前の
街が
噴水が黒い水を夕陽に
すすけた屋根が続いていた
管から噴いていたもの
いつごろから水たまりを作ったのか
右のこめかみ
駅に上る階段の陰が
庇のように連なってくる
見られていたのだろうか
そうは思えない
あの人が現れるのは
まだずっと後だった
小さな響きが始まるのは
豊作(1998.4.21)
帰ってきたら
玄関にACアダプタが転がっている
下駄箱の上を見るとまたACアダプタがコードをまるめて置いてある
寝室のドアを開けようとするとACアダプタがひっかかる
洋服ダンスにはベルトの束といっしょにACアダプタがぶら下がっている
階段を上ると踊り場にACアダプタが黒い大きな虫のようだ
テーブルにはお茶とACアダプタがある
テレビを見ると上にACアダプタだ
机のある部屋を開けると床に7つACアダプタがまとめてある
机の上にACアダプタが当然のように主張している
本棚から文庫本をとろうとすると招き猫の左右にACアダプタがある
パソコンのスイッチをいれるとキーボードの上にACアダプタが置いてある
ケーブルを直そうとパソコンの後ろにACアダプタが3つある
ケーブルのあいだの
ファックス用紙には
発信番号匿名の
ACアダプタの写真がプリントされていて
そんなACアダプタが豊作な1日である
鮫洲(2001.5.22)
浜にナマコが落ちている
そんなに
場末の海かなあ
たしかに鮫の肌はざらざら
南の雲は雨を孕んでいまにも
冷たい粒が落ちてきそうだけど
ぼくは若いころ
雑駁な旅をして
きみもいま
雑駁な旅をして
時はむくむくと
いろんな
黄色いものや
黒いものを
生やすね
逝く夏(1996.8.13)
街が死んだとしよう
その骨の構造体のなかで
生き物がうごめいているとしよう
夕日は西に黄色絵の具を溶かして
生き物は見下ろしている
街の血は地面に染みてしまった
一人の釣り人も
歌う少女も
この書き割りにはいない
千代紙に染みる墨文字そらの母
なんて
耽って
いっぱい悪いことをしたくなる
いっぱい
写経する
耳なし僧に猥画とか
火照ったものがなにもないとすると
街が死んだとしよう
夏の旅の色合いが
細かい格子縞の
水路になって僕の手のひらに濯ぐ
濯ぐその水
の街が
無音になるとしよう
旧市街(1998.9.1)
ビルが融けだして
街路に流れ出している
(わたしも
溶けているのか)
暑さでも寒さでもなく
あの
遠い箱の蓋を
歳月が開ける
それはまた
旧市街から
人々がいなくなることでもある
そして
わたしは忘れ物をした
舗道の上に
小さな
虫ピンを一本だけ
溶解する冬(1998.12.29)
木の骨が
散らばっている
耳が凍るような夜
手のひらに載せた葉が
寒さの結晶のようなのは
靴が野道を行く
その意思を表わす
葉が変哲もない
茶色の残骸であるとき
靴は凝っている
じっと見ていると
葉の上に街が展開される
それは放浪者が見る
幻視に似ていなくもない
溶解する冬は
それは
まぼろしと
播種に似ている
カーニバル(2000.2.22)
願わくば
濃い虹のカーニバルを!
食べ物を備え
男は緩い服を着て
髭をのばし
女は胸の開いた服を着て
光るスパンコールを胸につけて
愛の物語を
シミュレーションする
僕たちは窓から咲き乱れる花々を見て
ピンクの飲み物を飲む
枷はないし
(あいつらの作る枷をじっくり壊して)
昼のワイングラスには
日光を閉じ込めるぐらいに
濃い液体が
虹を詰めて
カーニバルを待っている
8800(1998.11.3)
地下鉄の遺失物係に電話する
書類の袋を網棚に忘れて
大急ぎで知らせる
彼は
8800という数が書かれた
薄いトレーシングペーパーを渡す
僕はある行の空白の部分にそれを
貼り付けるのかと思う
8800は裏から見ると0088
そして左右逆にしても0088で
彼がこちらに向けた8800を
信じるか信じないかで
変わってしまうことに困る
黒い塊である遺失物係は
ベッドの右に下がった僕の手を握って
何かを責める
これがあなたの忘れたものだというのではなく
電話するまでもなく彼はベッドの右にいる
塊であることを主張している
イワシの群れ(1996.10.29)
イワシが曲がってくる
街角から
群れをなして
こちらのビンの中に
眼鏡のガラスの縁に
細かい魚が通りすぎ
冬のにおいを嗅いだ
かすかな青魚の
はらわたの
におい
耳元のイヤホンでは
デスペレートでも
明るい音楽が鳴っている
あの人の苗字がちぢに
くだけて
しばらく思い出せないのが
茶色い駅に着くと
集合して
淡い氏名が
人々のなかをすっと通り抜け
改札口から地下に沈んでいった
ちぢに
名称はくだけ
はらわたのにおいをたなびかせ
地下駅に
沈んでいく
散歩のコース(1997.2.25)
考えながら
天秤が揺れる
昼の月が片方に
ずれて
足が前にでる
濡れた鼻はすっかり定位されて
かすかな季節の移りを感じている
金網で囲まれた公園で放すと
子犬のころのようにはしゃいだ
見る目が哀れだ
そんなに信用している
そういえば北東の学校を回り
桃の花の咲く畑のそばを行き
信号を渡って歩くコースから
珍しくはずれた
おまえが子犬のころ
いつも駐車場を横切り
金魚屋の前を通って
そこから東にまっすぐ戻ってくる道
ふとその南西の方向に
歩いている
うらぶれたその方位
時計はそこに戻ってきたのかもしれない
辰巳
八犬伝の方位
ほとんどそちらには足を向けたことがない
北西は安らぎだ
あの方が年をとらないように真に望む方角
天秤が
少し水をこぼす
歩くコースを
おまえはこの影に沿って
楽しんでいる
ヒノキの上空の鎌のような雲が
こめかみを刺し
ロックンロール・サマー(1998.6.23)
ぷつ
ぷつ
回る不健康な僕ら
黄色から炭酸水に
溶けていく
服の裾
クスリはずいぶん礼儀ただしく
丸い焼け跡の
グラウンドに
踊る少女たち
木は
缶の炭酸に
熱く消える泡
ロックンロール・サマー
ぷつ
ぷつ
回って
溶けていく
踊る少女たち
角砂糖(1998.6.16)
ざらついた街の
細い路地を
次々に
灰色の車が曲がっていく
角の青い炎
夏の看板のペンキは
剥げている
歩行者の
アタマの立方体
角から
青い炎を出す
砂糖
つまり角砂糖
路地を走る
車の動線が
無数の線の重なりになる
火を出す
角砂糖の頂点が
見える
回転棒(1998.4.28)
綿菓子が
耳から発生することはよくある
すーすーと
それはエニシダの枝に絡む
甘い夜は
ついに来ないし
また行かない
つまり
この耳がゼロの穴で
そこから
綿が出て
筒の闇が
みなもとであることは
木々が知っていること
ほら
闇の雲の塊は
ビニールに包んだお土産の
綿菓子で
剃刀なんか
だんだら棒の店の奥で
タオルの上に並んでいるだけの夜
熱く立ち昇る(1996.7.16)
暑い靄の夜
街灯に一瞬照らされる顔は
化粧していたか 否か
真紅の縁どりをしていたか
卵の白身の緒のところ
そこから眼球を覆う毛細血管が
ぱっと広がる
夏は迷う
じとじと湿って迷う
塀の上
黒いウロコをもち
ずるずると移動する蛇
カラス(2000.5.2)
いつも2時ごろになると
カラスは
かかかかかか
という低音のトレモロを奏でた
で今日は厚い辞書を引いているときに
滑稽な歌を歌う
たぶん
カラスはぼくが好きで
ぼくもカラスが好きだから
きみは今日こそ
ぼくに何かを言おうとしている
かっかかかではなく
ごちゃごちゃの糸の塊みたいなことを
つまりは
ぼくがでたらめが好きなことを
きみは知っている
かりに(1996.9.10)
風下の種火は
たちまちに草木に広がっていく
つつましく蘆でできた鳥の巣も
火の玉になって散っていく
見事に意識されない石だけが
熱くなり
そして冷え
黒焦げの草木のあいだに
ぷつぷつと燻っている
その高速移動の果て
曇天が囁き
山が黒く四囲を巡る地方
おそらく花を愛でるだろう
新聞はもう来ないかもしれない
ときどき地下室での筆記に
記すかもしれない
「かりに」と
「かりに」
と記すとき俗のまっただ中に堕ちるだろう
かりに
コスモスの畑のなかの
つば広帽子のあなたが
あんなに楽しく歩くのなら
もしも
花がそんなに鮮やかにスケッチされるのなら
たぶん焼けた石のぷつぷつする
野は
いちめんの俗に堕ちるだろう
かりに
老婆が野を歩いているのなら
それは少女が野を歩いていると
そう記せ
虚空(1999.11.30)
古い手紙やハガキを
破りながら見ていると
とても誠実な文面の文章が
綴られているものがある
そんなにまじめに
返信してくれて
なんだか後ろめたくなるのだが
でもそのときには
きっとぼくもちゃんと書いたのだろう
でも紙は古くて
汚れていて
関係がね
ああ 関係がね
衛星から降ってくる文字みたい
相対するって
すっと
野菜みたいに食べ
ぼくも虚空で
無為な
人力車を引いている
美女と肛門(1997.7.29)
よこしまな
服の横に縞がある
そんな人がいたり
坊ちゃんがいたりする
ね。
でもアタマはバタイユ状態
肛門から目玉というのを考えながら
バタイユは濃緑のフランスの森を
紳士然として
素敵な微笑を浮かべて歩いているわけだ
美人でSM趣味の極上のインテリ女性が
しつけのいい犬とともに
向こうから来ると
もう
目と目で趣味が合致するわけだ
それはきれいな
散歩で
詩的で
言葉にして
残すべきだ
肛門から眼球なんて
高山の樺の木の間の清水みたいなもの
たいてい
俗がべろべろに伸びたようなことが
関与してくるのは
もう
肛門もなにも考えていないのに
顔自体が肛門だ
という人もいる
とてもとても
いいにくいが
ぼくのあの人にもちゃんと
おしりに肛門がある
でもここ数十年そう数十年だ
その言葉を口に出したことはない
この詩をこっそり読まないでね
卑怯だから書いておこう
「僕にも肛門がある」
バタイユは中葉の崖縁を
渡って木漏れ日のなかで
肛門眼球を見る
見者といえる
ハンサムなおじさん
時効になる骨(1997.4.15)
時効になる骨がある
期間は人によって違う
おもに
関係を形づくる機構は
この時効によっている
闘争は
リズミカルである
時効になるまで
骨にはありったけの文書の文字が
写される
そして
青い骨董品みたいに
古い金庫で灰になるのだ
白樺の細い枝で作られる
箱が生の骨を納める時を延ばせ
骨壺が
透けた忍従を青い灰にし
ふいにせせらぎの映像が
手のひらの溝に流れるまで
かたかた(2000.5.16)
ずいぶん壊れてるね と君はいう
そうさ もうこの耳のあたりからゼンマイが飛び出しているだろう
と 僕はいう
ね この街がいくら前から同じ形の雲を流しているにしても
こんな壊れてサボテンの刺のようなアンテナが
幾本もアタマから飛び出しているような僕が
時刻を秒まで合わせて 新しいくつなんか買って
ひょこひょこと
猫みたいな光る眼をさせて
ゼンマイを揺らしながら歩いていることもたしかなんだ
草々(1996.10.1)
ガラスの盆地を行く電車は
草々の立方体の
思いを
じゅんじゅんに重ねていく
ガラスの中に積まれていく
立方体の思いは
国道から連なる
西や東を分析していった
紙上にコーヒーを垂らしながら
文庫のくっきりした活字の痕を
染みにして
頭がひとしきり
立方体になって
その中を草々が泳ぎ
またその奥に池があって
たき火が燃え
魚が跳ねているような
ガラスの盆地に
思いが透明な煉瓦の形に
重なる
この広い時計の文字盤に
青い絵がいっぱいに広がり
街の建物が活字の痕に
ぎざぎざの陰を作る
その本の上
ガラスの盆地は
じゅんじゅんに思いを
草々のように溜めていく
哲学者としての玉虫(1997.7.22)
上空に玉虫が飛んでいる
雲の端にたしかに認めた
メガネのレンズの反射を
彼は見て
廃園を見下ろし
やはり
と思ったかもしれない
訪ねてくる人は
ぜんぶアブラだ
アブラ
油
でも空の見えない角を
なんて直角に
風に応じて虫は曲がるんだ
哲学者の意思は
すっかり生活までも
瑠璃色に染めてしまう
上空の哲学者
玉虫
さて僕は
木造建築の要素を
古い水になる窓を
染めてしまおう
刈り取られた雑草の間に
ぎらりと光った
凹レンズの明るい矢が
たぶん
絵日記のように
その
キチン質の
ミクロの
穴に
入り込む
経度緯度が
この夏の印影だ
大月みやこ(1996.10.22)
大月
の膚の静かの海
空中の水瓶に虫の死骸が浮かんでいる
このみやこ
犬も一家に一台の時代
NHKの
大月みやこの電波は
奄美の
砂糖キビの収穫を終えた
食卓に
届く
大月
のざらざらのコペルニクス山
に着物を着た
白粉がたくさん
の電波が
届く
みやこから
大月は南
水道瓶は東
大月みやこは
振りをする
その夕べ
おでんを食べ過ぎて
吐いてしまったその日
道の見え方(2000.5.9)
道のでこぼこが
まだ水のころの
神経を
漂わす
無 音 というのは
メガネの蔓のあたり
幼時が
ひそかに
回帰しているから
ぼくは
滑るように
眼が疲れているのだが
言えないことも
つーぅっと
水の上を
あの
ひとも
しわが
増えるけれど
Perl の本が
性の幻影に混ざる
セロファン虫(1998.8.18)
たばこの包み紙が
アスファルトの上に
ひらひらしている
あの地面の
熱に
セロファンは
伸び縮みしているのだろう
だから
赤い封印の細い透明なひもが
虫のように
アタマをもたげたりする
極微の血の滝に
菌の感情が
浮かんでいないといったら
それは嘘だろう
いいね(2000.3.14)
すれっからしの
安たばこの1本みたいなのが
ようよう灰色の味が
身に染みる
ちょうど
とことこいく軽トラックが
のんびり高速道路を走るように
なんだか気分いいじゃない
ずいぶん来た
はるかな雑草という具合だ
からりとグラスの氷の音がする
この音色は
いいもんだ
もし汝
赤いスポーツカーがはじめにありき
だったらつまらない
汝 はじめにハードな日々の
ががんぼの取れた足ありき
いいね
砕粉(2001.9.4)
かぼちゃの花が露に濡れてるところに
オミズの人が朝帰り
ぼくのアタマにも水 かぼちゃにも
ボーダーコリーが道の向こう側
ウチの犬が座ってじっと見て
さっさっと赤信号のほうに
行ってしまうボーダーなやつ
ミズスマシって
赤いエイに似てないけれど
3丁目あたりの標識を
細かく通る
ことがある
ちちふさの
たらちねの
あれです
逃げ水(2001.8.14)
クスリ屋さんが駅前にあって
クスリもずいぶん安くなってるもんだ
狭い道があって
ウサギなどが行き来している
汗をかいて
アイスコーヒーのラージサイズを飲む
話が耳鳴り
耳鳴り
ヒマワリがね
釣りに行きたい
青い魚を捕らえて
アスファルトに
逃げ水
水銀(1999.10.12)
闇に水銀が落ちる
カブトムシ
は
全部 石化して
時計が精密なのは
片なもの ウィルスがついてるのに
今日 お風呂でしたことを
話すつもりは
(ある)
けれど 蛾 蛾は
ガラス化して
ヒイラギの扉を
押すものが
じゅじじゅ
鍋の底で気化し
皮が残る
水銀
に血管が浮き出すまで
腕に
中庭(1999.9.28)
中庭には
物干しがあり
濡れ縁が見え
曇り空が
塀の向こうに続く
巣ではなく
泡でなく
ちぎれた紙の一枚
の模様に
刃物が
台所から飛んでくるもの
それは
菱形の千代紙に
狼藉の
繰り返し柄が
虎の声とともに
びゅん と
しおらしくなり
宙に見えなくなる
虹(1999.8.24)
橋がある
その橋は光でできていて
だからもっと強い光の中では
透けてしまう
その橋を歩けるのは僕ではない
でも橋を歩くのは儚い人だともいえない
いったい垂線はどのあたりにある?
空からの垂線が届いている山のどのあたり?
それは
お話があるあたり
橋は光に透け
お話のかたまりが見えているところに
降りるから
垂線が貫く
橋は儚くはない
透明なトランク(1999.8.17)
ドラゴンフライは
ボンネットの上でのんびり
これからつるつるの車体は
街を映す
透明なトランクを持って
君が向こうに行くのはいつかな
手をこうして広げて
道をじぐざぐに行くのは
大人のすることじゃない
でも
手を羽にして
そうして
この1丁目から2丁目に入るように
透けた境を行って
それからおもむろに
もう何万年もいないように
たんに
つるつるのボンネットが
246を走るのは
なんか
つーんと
途方に暮れる
木偶が走っているような僕だ
透明なトランクの中身が
透明な荷物であることは
しごくもっともで
途方に暮れる
ガラスの帽子(1998.3.3)
診断がくだされる朝
誰でもガラスの裏にびっしりと
蛾の卵があったり
エノキダケが
衿のあたりに生えていたりするのを見る
しょっているものは
マクワウリでもなく
のどかな物売りが
午後とおり過ぎるのでもなく
1メートル四方のガラスを頭に載せて
歩く男
ほど遠く
わっとびっくりさせたくなる
その男も
ガラスを頭に載せている
ミントの中庭(1996.9.24)
いっぱいに中庭にはびこったミントの間で
コオロギが鳴く
彼らにはいささか異国情緒でしょう
ミントは
さんざん二階から鉢の土を落としたせいだ
花が終わると土を落とし
花が枯れると引っこ抜いて落とし
ぺんぺん草なども生えていたのだが
ここは一つ
弱い栽培植物の味方をしてやろうと
雑草を刈り取った
網戸を通してきつい植物の香りが枕元まで
押し寄せる
それはロッテクールミントガムのにおいとは
ぜんぜん違って
ちょっとアクがある
枕元の灰皿にたばこを消して
眠りにつくとき
異国のコオロギは
ミントの林のなかで
みんな赤いスポーツカーに乗っている
塀のきわのミョウガのそばには
日本製の米粒の
地蔵尊
待合室(1998.6.2)
こしかけて文庫本を読む
ががんぼが
すりガラスに当たり
見知らぬ街は空白のように思える
しかし星は移動している
屋根に少しずつ星座が隠れている
駅員が吸い殻などを掃いていて
その中に乾いた注射器があるのが
視界の隅に映る
181ページの染みは
僕の唾液かコーヒーの染み
頁岩の羽虫の化石のように
また琥珀のなかのぶよのように
ひとつの駅は
本に閉じ込められる
ががんぼは
駅舎の空間の澱に
飛ぶ姿で凍結される
鬼火を数える(1996.7.24)
泡の時間
ビニール管を通らないと
いけない
山積している書類を
いちいち見ると
泡沫の
禁欲の
金欲の
なんか 時間
あなたは大事なものを捨てていない
大切なものを網棚に忘れても
それは
泡沫の札束でしょう
引き出しにあの人は骨董品を入れていた
泡沫な
草ぼうぼうの
あの人が助けることができた
日銭
それはいくつかの人魂となって
ひゅーひゅー
飛び回るでしょう
ぼくはそれを数えてあげましょう
髪の砒素(2000.2.29)
もしベッドで
あっというまに白髪になり
父祖たちの飢えや欲が
砒素のように白く凝縮しても
あなたは
自分で標識をみつけてくる
たぶん
苦い標識で
道なりに気弱に歩いて
辿るのだけれども
夏の秤(1999.6.15)
風はまだ
そこにいる
と思う
風はただ休み
木立は黙るけれども
風は木々の作る球に
たたずんで
数人の子どものように
丸太に座っている
蓮の葉の照る寺の裏で
汗を拭き
カメラを向ける
すると
子どもたちは
ゆっくり立ちあがり
小さく
小さく伸びをする
そしてあなたの痩せた背中を
手のひらで
ほんの少し押す
それから痩せた背を見る僕に
君たちは笑いながら
葉の音で話し
夏の秤を
贈ってくる
境界(1998.10.20)
一枚の布をまとった僧が
僕のそばを通って
岩山に行くように見える
赤黒く日に焼けた僧の
一枚を
見る
僧が山を登る
薄い一枚
そこには赤黒い顔と
布の破れとが
フィルムのように
平面で
頭骨が
移動しているのを
岩に鳥の糞があるのを
斜に見る
向こう側の
その器に
錫のスプーンを右手で
斜に投げると
フィルムのなかの器に
スプーンは落ちていく
水盆を持つ男(2000.10.24)
騒いでいる町もある
行進している町も
いつまでも秋にならない
と思っているうちに
もう十一月か
ぼくは平らな
盆のようなものを抱えていて
水が薄く張ってあり
しずくが周りに
落ちないように
公園を歩いている
思いっきって沼で遊んで
なんかヘロヘロになって
紅葉を抜けると
けっこうしゃんとしている
向こうで女が
右方向からヘロヘロのぼくを見て
一瞬木々に隠れ
しゃんとして歩くのを見て
あれはなんだ
と思うだろう
芝生のベンチでタバコの煙が青に散るのを見る
ビー玉遊び(1997.6.17)
人は一日のうち
一度は変態になる
なんだかだ言って
台所ではひじきを煮
おばあさんは老いていく
ハンカチにアイロンがかけられる
灰皿を洗う
コーヒーを沸かす
血液検査をやる
領収書を破り捨てる
巷が恋しくなる
秘匿するからビー玉遊び
箱を開けたり閉めたり
遠い夕立(1998.7.21)
靄が通り過ぎ
木々が水を含む
遠い建物の向こうに
夕立が
細かいガラスの傷のような
雨線を示すのが見える
猫に半分食いちぎられたカナブンは
壊れたボタンのように床に落ちている
おびただしい風鈴の音は
波になってくるが
風を
送ることはできない
風鈴は求めてもいない
ただせわしなく
7月を占める
遠い夕立が
子どもたちを軒下に
導くにしても
風は左から右へ
ガラスの音を運ばない
有機音を収集した円盤が
短い話のように街を洗い
移動する雨足のなかで
おしゃべりしている
かすかな瑠璃(1996.8.20)
螺旋の階段に
古書を持って上る人
その古書の表紙の
蝶の翅と
隷書体の文字
翅のかすかな瑠璃色
その色から
古い柚子の樹の上に
もくもくと入道雲が湧き
麦藁帽子に釣竿を持って
少年が歩いていく
そのころもうあなたは
大人だった
遠く
遠く
あなたは僕を包んでいた
かすかな瑠璃色は
歩く少年の背に
届いていた
確かに
口紅型ライター(1999.7.13)
口紅型のライターを
かばんから取り出すと
ゆだんもすきもないんだから
ライターは探していたものだという
きのう角のたばこ屋の自動販売機で
白箱に入った100円ライターを買って
道々
たばこを吸った
積乱雲が東に見え
鳥の首のような風洞がみな北西に向く
バイオの赤、口紅
えらくもなく、夏のよじれる花
骨ビル(1998.2.24)
鉄骨だけになった建物を
風が通過していく
ポリエチレンの切れ端が
錆びたボルトから
いくつもたなびいている
白い骨には
目が仮構する骨の人の念が
染みついているだろうか
その音楽は
人体ビルの骨に
それは君が見る壁面の染みだ
と鳴っている
だから色素は
僕の知らない水の流れに
消えかかる灯篭の
またたきであり
骨ビルにもびゅーびゅー風が通る
でも溶岩は
細かく目に沈殿し
像を結ぼうとする
黙す唇の
ささくれに付いた絵の具で描かれたと思われる
伝言を遂げることが
骨を少しは白くする
霧の中で
骨ビルは常に風にさらされて
一面のビル群が
目覚めてくる
夏樹のマシーン(1997.8.5)
桐の木の股に
金属の
塊が
増殖する
それは夏のマシーン
工場の3階の窓から見下ろす
夏の機械
ゆくりなく
蒸気を発する
積乱雲の窓に
アルミ色して
埋め込まれる
木々の立方体
熱い風下のものたちよ
熱い風上のものたちよ
窓ガラスは液体だ
だからそれは
蒸気圧に
キラキラ散る水滴
異本(1998.9.22)
蜻蛉の翅が
塔につづく脈をもつことを
確かめる
豆のさやが
4個の粒をざるに落とす
翅の脈が夕景と二重写しになって
虫の装飾の森を
つくり出す
豆のさやが
一つの黒い粒を含んでいる
それはお話というものだ
4粒の豆はざるに
いい肌でころんと落ち
それはそれで鍋を待つ
もうひとつのサヤから出た豆は
塔につづく脈をたどり
異本への記載が長くつづく
涸れた泉に
沢蟹のむくろが
半分埋まっているところに
黒い豆はたぶん
行くのだと思う
蝸牛と螺旋(1998.5.19)
小枝のなかに虹を見る
ガラスの枝にいる蝸牛は
5ミリの虹が懸かるのを
這いながら
色が分かれるのを
のんきに見る
殻の中の有機体の渦は
ねじれて
洞に満ち
暗くなったり明るくなったりして
耳鳴りがしーんと
数秒つづき
空にいる
ガラスの蝸牛は
つのを雲のあいだに隠し
午前の灰が
指に
粉々に眠りはじめる
耳鼻科へ(1996.11.5)
触角がふれた
コンビニの前の屑箱と
耳の奥の傷口と
重い図書館に
粘る静電気を残す
フィルムの書類に一字一字記し消し
軽トラックを避けながら
印を捺す一日の契約書
鳥の剥製が玄関にある耳鼻科
の受付の窓へ
漂いだす今日
地図を背景として
低音部が鳴る
ノイジーな街の音が
作る一種の白い顔
印象に罅いらせ
破片を集まらせ
長い顔の道化師が
その白い手袋に煙を差し出す
それは白くそして赤く
窓のほうへと続き
つぶてが
追い
耳の奥の傷に
情事が重なってくる
フィルムの罫線に
地霊との妥協(1998.9.15)
蓋を開けると
石たちが
すっきりと転がっている
そうあの縁のあたり
水が南西に流れていく
それは実際の
東への流れとは逆で
数多の尼が
居住している
いわば上昇した気流が
僕に
数々の妥協を促してくる
寺は単なる風のもろもろを
刻んだ響きにすぎない
地は錆びない刀身を見せて
僕の目の剃刀に
妥協を促す
あの地
この地
僕は地霊との妥協をする
微細な幣帛が
そのとき
素早く手のひらを
通過するのを
僕は決して
見逃さない
猫は(1999.10.5)
猫は
長屋の板の穴くぐって
裏の石に座ってタバコを吸っている
カップ酒のカップが
汚れた人形のあいだに転がっているし
割れガラスはガムテープで補修してある
窓から見えるテレビは
サンドストームで
古い新聞が袋に溢れている
猫は
爪を立ててタバコを右手に持って
ヤブガラシの蔓の向こうの
もう一つの長屋の玄関を見ている
裸電球が昼なのに点いていて
おしろい花がはみ出している
夜逃げって
なんかいい
遠い不知火海岸とかってふう
どんな場合だって
女の尻はつるつるのお肌
女の尻はつるつるのお肌
猫は
精巧なキチン質(2000.10.31)
ときどき
キチン質の甲虫や
もやもやする有機性のものが
さまざまな段階ののちにくることを忘れる
そう
まとまりなんだ
集落を作って
その
微細な
習俗が
それで全部のまとまりなんだ
熱が胸を開くように
気圏の外にいく矢印をもって
でも
還るのが
たちまち消える蒸気みたいに思える
種 昆虫
種 街でいろいろ燃やす
ジーンズの裾が三年間でずいぶん擦りきれる
そのように
習俗が
沈殿していく
かぐわしい花と血
豹(1996.12.10)
皮膚の内側を豹が走る
血管の網目を蹴って
ときどき背中のあたりでじっとするのだが
砂みたいな誕生日
それも
色のない野原に
かさぶたを目の前に垂らした
傷ついたウサギを遊ばせて
瓶入りのやつをたくさん作ったから
ひとつひとつ割っていく
豹は笑う
チューブのなかを
ぴりぴり稚い目を据えて
砂を耳からこぼして
寝返りをうつ
透明な回廊(1996.9.3)
木の葉がぼろぼろになっていくようには
あちらへの回廊は変質しない
透明なガラスが
さらに透明になって
ついに水が通るように
回廊は変質する
たしかにガラス片を踏んで
肉体が曲がるころ
ところどころ甘い飴でできた回廊には
血の染みが
点々と着いた
でも木の葉のような染みは
途轍もなく透明になることによって
床は虹色の本当の菓子になる
ガラス片はザラメであったかのように
往くのである
車窓からの眺めが
網膜に映り続ける
同胞が甘受したところへ
往かせない
同胞が謎に思ったところへは
往かせない
私の身近な空へ
引き寄せてしまう
それができるのは
高速度で往ける透明度が
あなたにすでに保証されているから
私の空にかならず
引き寄せてしまう
蓴菜(2000.12.5)
ぬるぬるした葉
茎もゼリーに覆われている
味はないけれど爽やかな水に浮かんだ蓴菜を
食べる
沼地
ナイフ形のすばやい魚がいる水の表に
蓴菜は浮かんでいるのだろう
菱は山の池で泳いだときに
手に絡んで除けつつ
向こう側へ進んだ
浮き草は粉のような花をつけて
ひたすらゆらゆらしている
畳目の
微細なホコリの通り道
一年草(1998.6.30)
ひょろ長い葉が
編んでいる日がな一日
そいつらはまだらに
地面に生えていて
時折キュラソの口を開けて
青い汁を出したりする
斜めに日に波をつくり
水を求めているふうもない
耳の後ろの乾いた毛
白金のネックレスも
黄色いピアスもない
ただ水溜まりを地上1メートル70センチの皿に
ぷかぷか支えて歩いている
脳の上の風を感じる触角
水皿 水皿
長くなびく
一年草
それで虹の染みを
白い布に飛び散らせている
まだらな青い演技で
膨らんで
乾いたり
湿ったりして匍匐していく
凹レンズ(1999.9.7)
男が
矢のように放つのは
女に懸かるのだと書くと
なんだか
女の白いお腹を見ていると
思われるかもしれないが
女は見られる矢印と同じだけ
凹むと書くと
おへそを思い出すかもしれないが
風に女が加える文字は
白いお腹を見られることを
そのまま25度だけ逸らすことによっている
凹むとき そのまま海に入る
男が虹の視線を
しぶきのように腿の上に横切らせるとき
準備している
それがしなやかな
すなわち凹レンズは
つくる
つくる
つくりきる
街は
そのようにしてできる
黄色いナンバープレート(1998.2.3)
水底のほうから
黄色いナンバープレートが浮かんでくる
数字は引っ掻き傷で消えかかっている
老人が三人いる
どうしてこうも
はっきりとしたものが顔に出るのだろう
ナンバープレートの境地は
黄色いことで
性格を表わし
それはすべてで
淵のほうから上がることで
示されるのは
フィールドが消えていることだ
方眼紙が
景を分割する
推移は
そのように微量の色の砂を
こぼす過程のように
なっている
百日紅(2000.9.26)
濡れ縁に座って
池の小魚を眺めていると
きものを着た隣の人が
スポーツ紙を読みながら歩いている
こちらも三面記事を見ながら
お茶を啜り
百日紅の終わりの花のフリルのような花びらを
いじったりする
これから日光へ紅葉を見に行ったり
横浜に釣りに行ったりとも思うけど
テントの中の人形劇が
何か輪郭を求めてさまよっているのがわかる
そして 夜 夏はまだ
「あの日々」と言ってみたくなる
抗菌六角形(1998.7.14)
抗菌をほどこした
六角形が平面にある
平面のはじはどことも知れない
菌類は六角形を避ける
つまりは
蜂の巣の区切りの洞に
菌類は繁殖するのだが
その壁の六角形には
菌が生えない
という
のに似ているが
ぼくはその
六角形をじっと見ているしかない
菌類が
外側からじわじわと来て
抗菌六角形は抗い
外数ミリは白い面を残す
つまりは白い六角形は
抗菌六角形の拡大形である
六角形の内部はどうだろうか
胞は飛ぶ
菌は六角形の上空数ミリの外を通過する限りは
六角形の内部に落ちる
つまり六角形の内側に
菌は生える
そして抗菌六角形の内部数ミリに
白い六角形の縮小形ができる
六角形の彼方平面の無限
つまり
全部は菌類の背景に
三つの六角形がある
溶色(1999.2.23)
桃の花は
水がゆれるたびに
色を溶かす
花びらの雨というのは
どこか定型的な空だけど
たびたび見上げることになる
それは
齢が
祝われるのでも卑下されるのでもない
ほかい人が
筵の笠を持ってくるのでもなく
姫がお茶にくるのでもない
垣根のそばに一列に植えられた花桃の
幹にはゼリー状の樹液が
こごっている
その通路を越えて
右に雪柳を見ながら
等速度で
竹薮のほうに抜ける
逆立つ髪(1996.12.3)
いたずらに花が揺れる
ささくれ立つ毛髪が
北や南また渦を巻き
花の像はコートに映る
その渦のままに
なんでそんなに焦れている
そんなに襟をたて
髪をつんつんさせながら
歩くのか
四角く凍り
それが丸く解けて
いつも路上に染みをつけるだけではないか
顔に当たるもの
それは棘でも真綿でもない
時空を形作ったものが焦れて
襟を立てさせる
いらいらと
脳をめぐり
蜜はなく
茫漠とした海浜に
クラゲのまぼろしが去っていく
コートに映る花むら
それは真っ赤なアザミである
黒い手帳(2000.2.1)
あるクラブの名前を書いた紙を
はさんでおいた手帳を
ロッカーに置いてきてしまう
隠した花は
いつのまにか潰れていて
紙片には紅い染みだけがついているのだが
せいぜい街にまぎれてしまい
ただ紅い残像だけが
歩くときにあたりに漂っている
暗い引出しの中で花はまず重力で崩れ
紙に張り付くように広がり
そして腐り
におい
乾いて
紙に染みだけが残る
駅から地上に出ると
赤に打たれ
そして赤から離れ
タバコを買うと
桃色の水が路地を流れ
赤は消えて
暗証番号を押す
ぼくは字を書く
黒い手帳の次をめくると
紅く女陰のようにシンメトリな染みが
かがり糸までも紅くして
乾いている
反る板(1999.6.29)
小屋の
板が浮いてくるので
5寸釘を打つ
反りの力は
とめることはできない
余りというものは
追求することで
レポートも書ける
でも余りは
反る板のように
いつもヒトから浮き上がる
熱い昼の舗道に
虹の余剰が飛沫になって降ってくる
小屋は彩られた家になり
また雪洞になる
つかの間 余りを旅して
それから飛沫が沈むと
葉裏が照りかえる
梅雨の晴れ間に
海のにおいがくる
道を歩いている
犬への文書(1997.1.21)
しっぽのほうに
這っていく文書
古い
まだ毛生え薬のないころの
禿の文書が
つややかな毛並みに沿って
這っていく
船は水を求めて座礁していた
砂にまみれて
列車は線路を求めて
寝ていた
海溝に
犬は右隣にいる
僕らは写真に写る
いい
帆柱に勢いよく揺れる旗のように
いい
廃屋の鍵を挿し込むと
向こうからも鍵を挿している
暴かれないものがほとんどだった
100の鍵束の
そのひとつの
文書が
しっぽに向かって這う
清潔な毛の先だ
畑に入る(1998.6.10)
狭い茄子の畑
雑草は周りに生えて
去年の豆の茎が
なかに2本だけつつましい
青い卵形の実が
擬人化されるのを待っているかのように
ふらふらしている
狭い畑のきちんと並んだ苗のあいだに
草履で踏み込むと
空気は鈍いのんびりとした光を
含んでいる
憩う実たちに
破れジーンズの裾が触れ
僕も眼鏡の縁をキラつかせながら
鈍い日を浴びている
手に軽く握る茄子
遠くの歩道橋の上を
白い帽子を被った女の子が
かばんを回している
赤い血のような日の下に
青いツヤを持つ実のような日が
鈍く埋まっている
それは茄子の毛根が
もうどんよりと安全な腐食した剃刀に
絡み付いていることからわかることで
煙草の煙は
一かたまりになってそのまま
道の向こう側に移動している
夜桜はまだ(1999.3.2)
深夜
電車を降りて坂道を下る
たばこをきらしているが
自動販売機は停止している
横目で見て通りすぎる
コンビニの前の椅子に座り
たばこの空き箱を捨てていると
金髪に染めた二人の若者が
「どうぞ」
とたばこを箱からとりやすい状態にして
僕の前に差し出す
この町の
無数の数ミリの歯車に指が適っている
この町の
悪酔いして見あげる花弁の角度
この町の
イージーライダーは僕に二本のたばこをくれる
雑踏(1998.5.28)
下着姿で歩く
僕を奇態な姿だと
だれも指摘しないので
下着のまま
雑踏までいってしまう
あるいはズボンの代わりに
パジャマのまま
プラットホームを歩いている
通り過ぎたあと
みんなそれが
イリュージョンだったと
納得して事務所に急ぐのだろう
冬景の布置(1998.1.13)
凍えた闇に溶け入る翅を
渦風はちりぢりにする
雪雲に湧く稲妻が
路地の壁に鋭角に線を走らせる
雲が顔のかたちに凝集する
港町の物干しの
上の空
夕景にくずおれる人の影の
虹の縞模様
雪の鏡上に
カチカチとガラスの虫は触覚を震わせ
掌紋は
冷えたドアノブに付いた傷に触れ
遠い池の泥の中に錆びたコインの
5ミリほどの鳳凰堂が
隠匿されている
夜中の手つき(1998.5.5)
午前4時20分
鳥が鳴きだす
南の空が濃いすみれ色
(昆布、昆布、昆布つゆ)
3時に起きだして冷蔵庫をのぞく
理解できない
ラップに包まれた肉など
竹の子はいまは
コーヒーをいれる
ネスカフェを買ったら景品に時計が
ついてきた
それも4時20分を指している
(昆布をぎょうさん……)
北洋の昆布の森の魚の口に
小エビが入る
まだ薄い黄色い花が
蛾が
ガラスに溶け込んでいる
立方体の各面に
配置したい
(つこてるの……)
昆布を
昆布を
ベッドに戻る
カエルさま(2000.8.15)
窓の脇にカエルの
のんびり
いらっしゃる
茶でも飲め
弦楽四重奏でも聞け
お嬢
カエルさまは
露をアタマに浴びて
いらっしゃる
葉っぱの傘は
いかがでしょうか
で あれどうなったの?
であれど
であれどかしまし
であれ
ピーちゃんであれ
ピーヨコちゃんであれ
ストッキングというものはあったかいのかな
カエルさま
お虫をお待ちでございますか
くるとよろしいですね
羽虫も飛んでいらっしゃいます
ミミズです(1996.8.6)
いままで言うのを避けてきましたが
じつは私はミミズです
煙草くわえて
駅への道を急ぐのは
そこはかとなくミミズです
泥棒もいっぱい
変態もいっぱい
詰まったカバンは
しおれっちまった
しおれさせた
帽子をかぶり
カバンを提げて
南から歩くのは
ミミズですミミズです
影が
一年草の茎みたいに
ゆるゆるしおれて
しおれさせて
跡が白く残る
菓子屋のおばさんが
水を撒く
夏の正午の知らせに
白く
時計塔(2000.8.8)
熊のぬいぐるみが
怪物になる夜
子猫がライオンになる夜
そんな夜を
たどりながら
幾夜も
見る
渇きにけしかけられて
なまぐさいところへと劇を
幾夜も演じるという
二重の街
塔
時計塔
ピューマの描かれた文字盤
1935年ごろの行進が
恋が
いまごろにじんでいる
塔
飛び散る厨子(1997.8.19)
二本の脚を失ったハナムグリ
夏も終わりかけると
部屋に昆虫が入ってくる
厨子に御す仏像を拝みに
盆に帰る人たち
やがて厨子は
粉々になりキラキラと
舞い出て
麦藁帽で釣りをする人の上を
西方に向かって走り去るだろう
かわらけ
土器
みじんになった
地への贈与
泡立つ汁の流れ
その子供の口に触れた縁を
撫でれば
旋回が始まる
それは夏から夏へ
また夏から夏への
旋回
手のひらを見ると
ハナムグリは
セロファンのような翅を
硬い背を割って菓子包みのように広げ
日のゼラチンに
溶けていく
服喪(2000.9.5)
本は小鳥のようにぼくの部屋に入ってくる
そんなに本を読むぼくじゃないけど
小鳥はたちまち むくろになる
ある朝まだやわらかい陽射しの時刻
おもむろにむくろの胸を右手で開ける
すると
砂糖の結晶のような文字が
ぱらぱらと机にこぼれる
そいつを眼で拾う
輝かしい喪の時刻
官能小説家(2001.2.20)
植物の官能
っていうのは
花畑から飛ぶ花粉
もやもやと
水路に官能がある
裏道にひっそりと咲いた
雑草の花
あなたは官能の風景が
渇いたところに反照して
灰色に見えることはある?
ごちゃごちゃ花を取りまとめて
さまざまな模様
の
菌の
官能小説家
は
細菌学者は書けなくて
菌が
菌のいろんな
有機質の培地に
つくる
菌は言葉をもたないのか
というように
官能小説家は
納豆を食べる
豆花(1999.3.23)
竜骨弁
しべをつつむ竜の骨
紅い小さな竜がするりと
青い畑に群れる
その粉は
町の隅に
電気を送る
「あやしいやつ
斬って捨てるぞ」
と片目の素浪人が
見得をきるが
刀の周りに竜の粉は回る
鼻をぐずぐずさせて
じゅんじゅんに傾ぐ髷
紅い竜は飛ぶ
左膳は鼻薬を吸う
畑の向こうには大きな
セピア色の群像写真
セピア色の子どもが
蝿はたきで竜を落とし
畑に
並ぶ豌豆は
しっかり
敬礼している
トケイソウ(1997.6.3)
一昨日
トケイソウの花が
5丁目の社宅のフェンスの蔓に咲いていた
今朝は写真に撮ろうと犬と出たのだが
時計の文字盤は花びらに丸くくるまれていた
寝ている花
まだこれらの花には虫が来ないか
すでに花アブはツツジに群れていた
背中から花粉を溜めた脚を
さすって挨拶したが
気にも止めずに次の花へいく
なぜトケイソウはそれなのに
閉じているのか
寝坊なのか
ヒトの
野暮ったい性行動に入る瞬間を思い
急いでそれを打ち消した
肉や野菜を食うものにとって
微かな幕間劇が
舌の裏のように広がり
トケイソウが
花を広げる一瞬の
シャッターチャンスが
ヒトの脳の視覚野に
擬態の皮膚のような色素を
流す
時計は
ぶら下がっている
消える 費やす(1998.7.28)
火がある
消す 費やす
灰は零れる
花が打ち上げられる
夜空に消える
水色のカップを買う
コーヒーを入れる
ある日床に落とす
費やされた朝の数だけ
を買う
を買う
を賭ける
貨幣が屈折する
を費やす
を紙の上に火に炙る
還る
積乱雲は法的文書を意識せず
のうのうと消えていったこともある
遥かな真空に
三角錐が
いつでも飛んでいる
優しい鳥の骨も知らずに
夢の陶器(2000.10.10)
家並みが見えるね
キリコは言う
さくさくした
パウンドケーキのような
雲にはトゲの稲妻が光り
皿に載る花火付きのケーキは
二段重ねで足でつぶせる紙みたい
ところで
あんたって
私んちを通りすぎて
すぐに私のことは忘れて
ひとりで水と遊んでいるでしょう
亀甲の一区切りにあんたは
たたずんで
もやもやしてるのかな
お話を吸うスポンジケーキ
それで
そこから小さい小さい鳥が飛ぶ
でも
それはやっぱり霧みたいに見えるのね
キリコは五百円玉を
出窓の貯金箱に落とす
ざらついた夢の陶器
捺印される童話(1997.5.27)
瞬時の
甘い童話には
道具建てが要る
氷砂糖の窓に
チョコレートの鳥が
おあつらえ向きに顔を出し
泣きみその双子が
2階に寝ている
子供たちが
残酷な悪夢で目覚めると
じっさいにダークスーツのドッペルゲンゲルが
残酷なことをやっているわけだ
童話に立てこもることができないことを
知っているのは
犬たちも同じで
ついには
俺たちは反童話を破壊しに来た
とこうなる
だから童話が捺印される
いい童話はこうして作られる
夜の紅茶を飲みながら
砂糖菓子を食べて
テーブルの横では
赤ん坊がすやすや
眠っている
鯛焼き(1997.11.18)
やがて地下鉄電車は
渋谷駅に入った
人々は青い椅子や白線のところに
たむろして
ドアが開くのを待っている
僕は人の出入りは気にせずドア付近で
ぼんやりしていた
ちょうど目の前は階段の下だ
OLふうの女性がふたり
鯛焼きを袋から出し
熱いので手の上で跳ねさせている
やがて鯛焼きは同時にふたりの口に入る
「おいしいね」
と言ったのが
唇の動きから
わかる
電車は急行に乗るために待っている人を残し
闇に入っていく
並木(1997.10.28)
黄色い並木道は
細く遠くに続き
葉の色や実は
嚢状に
つながれた
まがまがしいものであるけれど
並木が手のひらの上で
ケイカク性を持ち
脱色されるまで
また
並木は
手のひらから指の先まで続く
僕を旅している街(2000.2.8)
「毛細血管がヒトミにまで来ていますね
酸素が足りなかったのでしょう」
小さな旅に出る
「あなたが生成した隠微な花は
でも張り付いていますよ」
旅は地下鉄の七つ目の駅を降りた
路地だ
変哲もない建物の一角にその家はある
たぶん
僕が街を旅しているのではなく
街が
僕を旅しているように思える
でなければ
境もなく どうして自動販売機と
塀とドアとつながっているのか
廊下には
普通の服を着たOLが歩いているし
競馬がテレビで映し出されてさえいる
こののっぺりした路地と建物が
僕を旅している
水音(2000.11.28)
水芹がなびく水路沿いに
歩を進めていく
あのとき
軽やかなものがふと沈み
木々が池の前景にあって
そして羽がなでていく
戦があって
忘れさられる
隣村のポチはおとなしい犬で
週に一度しか出会わなかったけれど
ぼくの顔を覚えていて尻尾をふった
あのポチにはもう会えない
そのように
軽やかなものが
戦に壊れ
いつしか顔を羽はなでる
水芹
なびく水芹
歩を進めるにしたがい
音が湧いてくる
ホテル(1997.12.23)
非常口から階段を見ると
ウェディングケーキの残骸が
トルソのように
踊り場に立っている
細い机の引き出しに
ロゴが印刷された便箋と封筒
大きなバッテンを書いてみる
笠からぬくい光を
受けて黙っている
赤い屋根のホテルの窓から
クリスマスの蝋燭を灯す
芝生の絵を見ていると
そのそばで
レストランで会った子が
くるくる
回っている
砂糖のススキ(2001.8.28)
魚がすっ
と泳ぐと背中あたりから
甘い味のススキが出てきて
菓子の野原になる
それはかなり前の野原
コンペイトウのある
ころ
鍬はじくじくになっていて
それでもなお
川面に垂れ下がる枝は
それ自体が
砂糖でできている
瓶にコンペイトウを詰めるころ
全部錆びて
刃がもろくなり
甘いザラメになって
ただ顔は陰で
見えない
瓶の底(1998.11.17)
破線のような形で
瓶の底から立ち昇るものがある
薮は死んだ
羽黒蜻蛉のひらひら伸びる航跡も
誰もいない
両側に木々がある道
瓶の底
微かに乾いた澱
ジャムの瓶
破線のように散るもの
沈んだ藪
雲が
瓶の上の
宙に
しんしんと
ある無音(1999.7.20)
広い駐車場 白い建物のすがた
僕は植え込みの石に座り
夜のたばこを吸う
だれもいない
近くの街の光 隔離された棟
何も考えてはいなかったと思う
ただ 広い平面を見て
たばこを吸う
建物の中については考えない
強いていえば
いま思い出す空のそのへんに
三角錐のかたちを単に
浮かべてみること
1階の舗道に面した部屋にいるひとが
ふと立ち上がった僕を見て
カーテンをゆっくりと閉める
せつないヴィジョン(1997.1.14)
鋭い人が
ミルクのように崩れる瞬間がある
せつないヴィジョン
たとえば
ふつふつと煮えている男女が
ちょうど正午
パン屋の前で
出くわす
そして
きつく抱き合う
キスする
葉脈が肉を落とし
落下する昼間
あなたへの査定は
貸金庫の
せつないヴィジョンは問題にされない
朝市が始まり
見えだす女
男
ガラスに映るいかつい髭面
不条理劇のエキスパートが
ミルクのように崩れる
理路が黄色くまだらに
定型ハーブ(1998.8.25)
ミント 四角の箱
パセリ 三角錐
ローズマリー 星形
オレガノ バケツ形
紫蘇 耳形
生姜 膵臓形
畑を歩くと
ハーブがさわさわと鳴る
四角い箱が並んでいる野のきわ
老人が四角や
三角や
星や
バケツ
付け鼻や
張りぼてのだるまなどを
籠に収穫する
星や耳のあいだに
虫が集く
夏の山を越えた
小さな幾何学模様が
白い豊かな後れ毛にも
ほのかな星々の香り
はがれかかるa(1999.7.6)
アルファベットのaが
はがれかかるのは
居間にいるときにふと思い出すこと
aの四角い紙には
黒くaが書いてあるが
背景には薄く
牧羊犬が追う羊の群れが描かれている
それは右上角に群れが移動し
左下に犬が走っている図だ
アルファベットのaがはがれかかるのは
ふと
萎えるaが浮いて
知らせるサインかもしれない
微小な鯰(1997.9.2)
黒檀の
鯰の
キーホルダー
黒い木地を使い
腹のほうは白いところ
一対の腹鰭も
彫ってある
銀の輪に鍵を通して
ポケットで泳いでいるうちに
細かい線がこすれてしまうのを恐れ
引き出しの隅に入れてある
隅で
黒い鯰は
小さく小さく泳ぐ
ピンの入ったフィルム入れや
雲形定規を縫いながら
五月挽歌(1997.5.13)
骨壺の包みは
マニエリスム好みのNさんの書棚には
合っていなかった
線香はしゃれた官能的な香ではなく
親しい匂いで
その煙の形は
美術書の背にマッチしている
つげ義春の漫画で
死体の周りで饗宴し
ついにはふざけて死体を持ち上げたりする
というのがあったが
いたずらに
死を何かの色に染めるより
彼の「ゆいごん」のように
何もやらないのもいい
というようなことを連想しても
いいものかどうか
死者に気兼ねするのだが
死者もふだんの僕を
僕と同じ距離だけわかっていなかったろうから
仕方ない
僕が知るのはそれだけだ
Nさんはどんな人であるのか
窓は開け放たれていた
窓の向こうにやはり街路はつづく
遺品のジーンズをもらった
僕はあなたの言葉と
あなたの愛した女性に会いに
この部屋に来た
そのように街路がつづいていたのだ
乾いたくちびる(1997.3.25)
乾いたくちびるに
甘い蜜が欲しくなる
瓶に沈む文字片
が欲しい
ぼうふらのように沈んで
豆腐のように四角で
眼の縁は乾き
耳は粉を噴き
花がすべて沈殿してしまったら
少し甘い
液が
線路に沿って垂れている
蜜が欲しい
罅のなかの罅の
雲の白濁した
蜜に
一尾の淡水魚が
火になって泳いでいく
骨董(1996.8.27)
煙草の煙が綿菓子ふうで
売れる
カビが菌糸をいたずらに伸ばし
良い印だ
骨董だ
骨董だ
あなたの嘘だけを信じよう(ベルレーヌふう)
だから嘘が骨董だ
といって
うちの犬を筆頭に信じられる人ばかりだ
だから飯を食う
米を食う
とはいうものの
昼はイタメシだった
まだ火のついていない煙草
これは税金ふくむ定価だ
煙が
骨董だ
売れる
売れる
売れるものは燃やしてしまえ
煙の柱をいくつか背負い
骨だけの男は行きました
そこに腐ったミルクの甕を持った商人が通りかかりました
それだけ
滓になる
滓に
地面がなにもないように
ひらべったい
風紋(1997.9.30)
幾分かは微細な形が
人の線によって
おおまかに捕らわれる
微細な砂は
フェティッシュな
指によって再構成され
ともすれば
町の人が奈落と呼ぶ
段ボールハウスのほうへ行くこともあるが
それが財を呼ぶのを知れば
右往左往して
回収しようと蟻のように動きだす
だが
彼らには不可解なのだ 砂が
風紋をないがしろにするとき
じつは風をないがしろにしている
ほら
作っているでしょう
台所で しとねで
脳神経を流れる電流の縞は
観察すべき
雲の流れ
バラ(1999.5.18)
バラは好きでない
なにかしらおおざっぱ
雑草の花はいい
花びらが腐る
ヒメジョオンのジャズに
バラがくると
ジャズが消される
ジャズが消えると
菌が消える
菌が消えると
脱脂綿にアルコール
お手ふきのお嬢さんは
きーんと高音を発する楽器
車両の視界(2000.10.17)
窓からの風景のない
地下鉄車両に乗っていると
単純なその箱に
いろいろな動きを
組み立てたくもなるけれど
砂嵐のようなものから
人の顔を作りはじめると
駅の明かりがそれを砕く
寝入りばな
はっきりと数人の覚えのない顔が
浮かぶことは頻繁にある
壊れた顔ではなく
微細な絵を描くこともできる
横に流れて行く壁の向こう側には
地下室があって
川も流れている
遺構もあるかもしれない
だから
花の中心に人の顔を
描くのは
隣に座った女性のかすかなにおいのように
跳躍ではない
エクリン腺からの汗のにおいが
流れの中に徐々に
血液を意識させはじめる
包丁群(1998.12.15)
一般的な家庭では
包丁や鋏などが飛び交うものだ
いいことがあることは
家人はすぐ忘れる
僕も
いまや些細な流星の跡が
感情の琴線に触れたりするのに通じる
いいSEXをしていれば家庭は安泰だ
という90年の箴言は
SEXがガス抜きになって
過剰な power of imagining が減少して
サザエさん状態が来るのをみんな求めていることを
知らしめるだけで
フーコーやバスキアみたいに男色乱交して
AIDSに罹るのを防ぐだけの話だと思う
庄野潤三は「カーソルと獅子座の流星群」という
とても平和な家庭についての短編を書いた
それから一周期
獅子座の流星群はやはり平和な家庭の
一こまだったが
同時に包丁や鋏もリビングに飛び交っている
ほんとうは当時も出刃かなんかが
壁に突き刺さる家もあったのかもしれない
で、どうだろう
自殺未遂や包丁沙汰は
おお こんなに愛しているの あなただけしかいないの
というイタリアふう狂詩曲に日本では終わるだろうか
つまり性交でね
終わらないと思う
やはりイマジンのパワーは過剰なままで
すでにサザエさんや
庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」
や「白鳥の歌なんか聞こえない」みたいなイマジンや
川崎長太郎のようなハッピーエンドの娼婦の絡んだ私小説は
古層になり
びゅんびゅん包丁などが飛び交う
僕はね
バーチャルな痴話喧嘩はいつでもあると思う
でね
阿部定みたいなラジカルなね 感情も生きてもいる
では
この都市の上空はどうだ
砂の恋人たちがぞろぞろ歩いている
ゲーテはなんであんなにたくさんの妻と暮らす性格なのに
「若いウェルテルの悩み」のような垂直的なアドレセンスの
物語を書いたのだろう
ゲーテは典型的なものを求める
科学者の態度でアドレセンスの典型を書いたのかな
眷属はたくさん自殺しているけど
さあ包丁を飛ばそう剃刀を飛ばそう
というとおかしいかもしれないけど
包丁や剃刀の流れる上に
ちゃんと「星に誓いを」の流れ星も計算尺のカーソルのように
流れているのが見える
だから包丁が飛ぶのも悪くない
一家に一丁の包丁は
ごはんを作る隙に
包丁群になって
街の上を飛んでいる
血がバーチャルなものでありますように
ない蓋を閉める振りをする(1998.12.8)
ここに蓋があるとして
から瓶の上に手を当てて
右へまわすとする
(変に大人
(変に大人
よーっと駅で手を上げると
わたしは蓋がないことに気づく
(変に大人
やっと気づくなんて
ペンペン草は
瓶のペンペン草は
下手な絵を描きはじめる
それがね
完全にピカソよりいい
蓋がないから
(大人...
デビッド・マッカラムの金髪(1998.1.20)
イギリスミステリーふうに
長い小題の付いた
いくつかに分割されている
30年も経っての再放送
「口ひげの男は変わったマシンをもっている」
「恋はマッチの火の消えるまでのこと」
「サボテン好きの男がなぜ毒の瓶をポケットに入れているのか」
「舳先にくくり付けられた油紙のメッセージ」
「ほらお嬢さんスリップの紐が見えてますよ」
「チョコレートを頬につけたボスは気のいい老人に戻る」
でたらめに考えた小題だ
ローハイドのフェイバーさんも
たしかに人格者だったし
よきアメリカと伝統が感じられた男たちだった
サザエさんの家状態で
テレビの前で異国の物語の興奮を感じている図が
とりあえずの家族の姿だった
ところでサザエさん一家は
きっちり時間などは守り
働いてはいるが
とても
めんどうな手続きを学んで
ようやく再放送にたどり着く
デビッド・マッカラムは金髪だったが
モノクロで見ても
たしかに金である
赤い絵の具(1996.9.17)
原っぱの
ちりぢりにある廃屋
古い机の上にぽつんと残ったチューブから
赤い絵の具を指に出してみる
それを掌に塗ってみた
僕はダナキャランのTシャツを着て
窓にはコスモスが揺れていた
机の上のぽつんと残った
赤いチューブ
羽衣のように蜘蛛の巣が舞い降りる
砕けた電球
そして焦げた紙
白い掌に赤い筋が
ついていく
雑草をかき分けて
靴を濡らして
こじ開けた廃屋
赤い指紋がダナキャランのTシャツに着く
僕はたばこを吹いながら
錆びた扉から外に出る
右手に赤い色を握りしめて
路地が夜になっていく(2000.10.3)
トカゲのレントゲン写真のある本が
気になっていて古本屋に行くたびに
その洋書の写真のページをひろげてみる
夕刻にはすでに店は閉まっていて
入口にはワゴン車が止まっている
いつまでもその本は売れないのに
片付ける様子もない
坂を下り信号でたばこを吸う
電車には帰りの人々が
つり革につかまり
こちらの道路を見ている
西には三日月があって
ときどき雲でくしゃくしゃになる
この路地には骨はない
緑ふかい草と
フェンスに絡んだ蔓と実と
抑えきれない火照りの残滓
アート紙に印刷された
トカゲの骨
駐車場にボンネットをきらめかせて
車がはいっていく
秒針(1998.5.12)
薄い油紙のような色の皮膜は
食われている
中にいるのは僕であるが
でも
皮膜も僕の蛋白でできている
つまり皮状ではあるが
弾力のない包む目的も
その質には感じられないもので
さくさくと
微細に皮膜は砕けている
僕は中にもいるが
皮膜には
衣服が溶ける飴のように流れて見え
はるかに生体が
青に洗われる
秒針が
複数になっていく
廃される空(1997.6.24)
この空は
捨てられつつある
廃港の
水際には前には指が漂着していたものだし
その数年前には
ポリエチレン袋が
もっと昔には木片が着いてた
港や空
地表が酸で溶けていると思ったのは
もう間違いだったかもしれない
廃市がいくぶんか
旅の気分を誘うときは
酸で溶け
廃市が
ネガに変容しきて
旅人はもう身の置き場もなく
無人の駅のベンチに座る男は
そのまますっきりと落ちていく
廃された街が
また廃された街にネストされ
ただ男の画像だけが
捨てられる空に
ぼうぼうと
走っている
水面の火(1999.3.30)
水草は
なびいている
その葉に水沢のからだを宿して
水沢は春の箱で
風を立方体に切断する
つまりのこぎりで切る
氷の煉瓦のように
風を沢に積んでいく
その継ぎ目を虫はすりぬけ
そのときに
翅は屈折し
血管のような筋が
グラスの表についていく
涯は箱にある
でも涯は目にもある
ぼうぼうと繁るものに戻り
また往くようにして
微小な火が
真昼に
水を走る
秋葉原(1996.10.15)
万世橋の石の手すりに
草履があってユニックスの本が載せてあった
ぼくらはネギを食う
昼食の蕎麦のためにネギを刻む
梱包されたネギは
まだ開かない八百屋さんの
前の道路に投げ出されてあった
ツクモ電機の
エレベーターのなかで
太郎くんと花子さんに会った
「あなたもコンビーエヌイーポンですか」
と笑って言った
「いえ僕はマッコンチュチュチュです」
と言った
「そうっす」
ソースをトンカツにかける
漫画がうれしい季節になりました
携帯テトリスを
あの若妻は
1300円で買った
カリフォルニア大学サンタクルーズ校の
黄色いナメクジのTシャツは
映画のギャングが着ているほど
好まれてる
太郎くんは漫画の吹き出しのなかで
花子さんに
篠原ともえみたいじゃん
と言った
あのフォント
巴があるフォント
タンタンは太郎くんのトレーナーに描かれ
僕のナメクジに話しかける
毎週水曜
古いクラウンに乗ったおじさんが
燃えないゴミを漁り
がらくたを後部座席に載せる
秋は紅葉
でも見に行くか
ちゃぶ台(1996.10.8)
路地の奥の
百日紅の木のある家から
西へ曲がって
破れ塀がある貸家
それは元病院の診察室で
受付の窓が廊下に開いていた
目が覚めると
看護婦さんの尖った帽子の残像が
よくドアを通りすぎていった
物や本は十分だった
冷蔵庫に肉も魚も詰まっていた
ただ
ちゃぶ台がなかった
ズボンプレッサーも
掃除機もラジカセもあったけれど
ちゃぶ台だけがなかった
ちゃぶ台が欲しかった
ちゃぶ台でお茶漬けを食べたかった
折り畳み式のちゃぶ台が
望みだった
遠くおばさんがたき火をしている
煙が路地一帯に立ちこめている
神田川と赤い手ぬぐい
向こうからきたのはちゃぶ台じゃなかった
女だった
鰹の叩きを食べたのは
みかん箱だった
ちゃぶ台じゃなかった
靴の上の砂(1996.11.26)
ふと靴のほこりが
円錐の渦になって
立つ
波が寄せて返す岩の
隙間の
潮だまり
アスファルトの潮だまりに
駒がいくつもひゅーひゅーと過ぎていく
ボウフラが空き缶の水にいた夏の
どこかのどぶ川のそばにいる
ひっかき傷をつけた猫が
僕の頭の上を浮いていく
恋に封をした
のは
洪水を防ぐためで
靴の裏側から
地面にかけて
円錐状に
僕の水が
歌う人を
含んでいて
パラドクシカルな砂が
いくつもの
てのひらの街を
徘徊している
眠らない街のように
滑り降りている
茶室(1999.12.14)
茶器の
冬もようは
荒くれる海で
その汀に
白足袋が歩く
枯れ草や渇く実が
床の間から
細い川のように
濡れ縁につづく
ほっかりと
チョコレート色に固まる
なんか
僕はミカン畑でしたことあるよ
リヤカーを引いたおじさんが
見て見ぬふりをしてくれた
青空に雲がうごくもと
きれいな乳房が
小さな山のように見える
性的なハイキング
なんでもないことだから
抹茶を
注ぐ
そんなこともあったな
冬の山水
すすっとにじり出る
紅葉(1999.11.2)
定点なら
葉の色が
変わるのがわかるけど
そんなに部屋がぐちゃぐちゃな人が
観測なんかやるわけないね
さよう
汚いモニタが床にあり
こないだは踊り場に
使わない8メガメモリが
落ちていて
常に本や紙で充満しつつあるから
定点なら
水道塔で
数日前までペンキ塗りのために
足場が組んであって
人がいたこともある
今日はカラスがいるし
猛烈な朝焼けが東の空を覆い
もし窓の前に大きい木があれば
とは思う
200編以上の詩を新しいカテゴリに入れる
ということで、brタグを付けたファイルに一括変換しましたが、そういえばこのblogはutf-8の文字コードだ、ということでもうひとつperlスクリプトを書かないと。
jcode.pl かJcode.pmを使うんだろうな。
明日やろう。
あ、後で更新するとその日付のになるのか……。
RSSフィード
このblosxom blogはRSSフィードによって、いつだか長尾さんと樋口さんに誘われたGREEとMIXIというサイトに自動リンクされている。
NucleusのほうもRSSを使えるのだが、文字コードがEUC-JPだとRSSに不具合が生じるようだ。
もうLinuxのエディタだとutf-8も気にせずに使えるので、Nucleusの文字もutf-8にすればよかったなあ。
灰皿町ニュースでもここのRSSフィードを使った。
具体的にはこの「Haizara-Cho::Fujimi 3」blogのRSSのURLは
http://www.haizara.net/~shimirin/blosxom/blosxom.cgi/index.rss
だ。
何ができるかというと、たとえば灰皿町にblosxom blogが複数存在するとして、その目次を集めたページができる。この目次は個々のblogが更新されると自動的に更新されるところが便利。
Feb 25, 2005
話題のカテゴリ分け
話題のカテゴリ分けは簡単にできるようです。
さらにそのカテゴリのURLに直接アクセスすると、そのカテゴリのblogのみ表示されます。
これはNucleusのほうでもできるんでしょうけど、まだちゃんと実験したことがありませんでした。(^^)。
あとで実験をしてみることにします。
Feb 23, 2005
Feb 22, 2005
blosxomの今後
これから少しずつpluginを試したりしながら、調べるつもりです。
http://blosxom.ookee.com/blosxom/plugins/v2/counter-v1i6
上のカウンタpluginを使用。