Dec 30, 2005
つばきだ!
昨日の気持ちを引きずっていたので、欝みたいだった。さぶをとてもながく散歩させた。
セナとの散歩道の半分は行ったろう。
こんなことで、さぶは逞しくなってきた。
写真はカメラが壊れたらしく(!)また半分しか撮れなかった。
そんなので、わたしの欝気分は持続してしまった。
いらいらとして、午前中をすごした。
本は年末用に結構買ったが、年内は例年のように手がつかない。
ネットで「日本の椿花」という本を見ながら、椿の発注をした。
それが一番面白い作業だ。
毎年40本くらいは買うが、最近は少しは園芸の面白さがわかってきてる。
牡丹を買った新潟の業者さんに、電話をして来秋の椿まで予約をした。
みんな小さくて、わたしの年齢と競争のような気がする。
椿の生産業者というか、開発をしている業者の社長さんと話をしたのは二人目だが、とても印象がいい。
ブルーミング( 青くする)させるためには、珪石や軽石などを使うこと。
椿にはもともと青はないのに、火山活動なんかがでそれに近い色を出すようになったこと。
三倍体も面白いが、7ヘクタールもあるので、昆虫が悪さをして面白いものができるなんて話。
感動しちゃう。
椿を作っている人は真摯で、気さくで印象がいい。
ツバキと犬と・・・・・・人嫌いも悪くはない。
Dec 29, 2005
マラルメもみんな「要らない」と叫ばれた・・・、
母に、育った犬を見せに行った。ついでに情けなくなった、クリスマスローズに水をやろうとしていた。
母が風邪気味なのでその帰りに墓の掃除をしようと思っていた。
具合が悪いと言っていたので、家にいると思っていたが、留守だった。
犬はウッドデッキで遊ばせていたが結局、温室に閉じこめて母を捜しに近所のクリニックにいった。
幸いそこにはいなかった。
ウッドデッキに座って犬の相手にくたびれたころ、母が戻ってきた。
母と話していたら、わたしのなかにいっぱい悲しみと怒りがたまっていたようで号泣してしまった。
このまじめな母に育てられてきた。
このまじめな母にしばられてきた。
これは同義だ。
そして、それから開放されるまで「病んだ」のだと思う。
昔の話だ。
寝不足だったのかもしれない。
わたしのとめどない涙に母は狼狽していた。
一日そうしていて、夕方、倉庫に本を探しにいった。
汚くなってうち捨てられていた、プロレタリア文学の機関紙「戦旗」などをわたしは持っていて、研究者にあげると約束したのだ。
当時ウェイトレスだった佐多稲子や、夫窪川鶴次郎の、名がはいっている。
見つからない。
また、来ねばならない。
母はやさしかった。
でも、この家はわたしが来るのを拒んでいる。
本も、ビデオも、ライティングデスクも、マラルメも、はてはアルバムまで、何の断りもなく要らない」と叫ばれ倉庫に詰め込まれた。
わたしの部屋はほかの人のものになった。
わたしを歓迎してくれるものもなければ、いる場所ももはや無い。
わたしは弟一家にすべてを明け渡した。
葬式のあと、しかも父の49日も済まないうちに。
そして弟だけがいる。
つまり、お嫁さんもこないまま一年。
老人の喘息は死活問題なのだ。
身勝手も大概にしてくれ!
何をやってあげようとも、不平をいう人たちとつきあうのは、まっぴらだ。
恩にあずかっていて、「恩にきせる」から嫌だというくらいならさっさとケリをつけて、付き合わないことだ。
こういうことを昔の人は罰当りといい人でなしと言ったはずだ。
そういう言葉が「死語」になってしまった今、恩人になど決してなってはいけない。
わたしとの同居は、母がかたくなに拒む。
長男という言葉が、母の口をついて出る。
やっぱりわたしは、たたき出されたのだ。
父は病床で3度も「お前はどこに住むのか?」ときいた。
それは、暗にここに住んでほしいということのように聞こえた。
わたしは最後に、子供のいる弟に・・・と言った。
父は不服そうな顔をした。
癌の進行は一定までいくと速やかだった。
だがすこし、具合のいいときに、そんな会話をした。
父は遠いように見えて、とてもちかい存在になっていた。
わたしが注射をぬいたりして、二度目は長引いたので「痛いよ」といわれたが、それはわたしが悪かったのだ。
父はわたしを信頼していた。
いつも「小遣いあるか?」と聞いて、わたしは一回も貰ったことが無い。
一回くらい貰っておけばよかった。
Dec 28, 2005
正月のうちあわせ。
母から、電話がかかってきた。やつがしらが、なんとか言っている。
もう年なのだから、こちらも作って持っていく。
わたしは母に昆布巻きを頼んで、こちらでは煮豚、筑前煮、以前戴いた商品券で蟹、さしみを買って行くことにした。
あとはケーキかなんか。
正月の準備は重労働である。
同級生も「なければいい」といい、NYの友人も「冗談じゃないわ!」(英語だった)と言った。
ドイツ人の女も言いそうだな。
世界中の女が、そんなことを思っているとしたら傑作だな。
Dec 26, 2005
25日を過ぎるといきなり、暮れが立っていた。
わたしは、身内にたいしては直情的らしい。なんということはない、昨日の誕生日のわびしさを根に持っているのだ。
なにもいらないから、遠くに引っ越そう。
問題ばかり持ってくる、身内なんていらないやなどと思っていました。
犬のリードなどを買いにいくとき、もうしめ飾りがあっていきなり押し詰まった暮れになっていました。
父の墓を掃除しなくては。
あざみばかり可愛がってるわけではないけど。
おにいちゃんは、どんどん成長してゆく。一ヶ月の違いでこんななのかと思うほどあざみはあかちゃん。
もう大分、犬らしく鼻も高くなってきたけど公園で、こんなに歓迎されても震えているのです。
しかもお兄ちゃんは、帰宅途中に逃走。
お散歩が大好きになりそうです。
Dec 25, 2005
死にそうにひどいクリスマス・イブ
お酒を飲んだ、お坊さんから電話があった。「お誕生日おめでとう!」
わしは明日だっちゅうのに。
ありがたいが、この記憶違いはもう長い(笑)
それから始まった話は、ずーっと昔、お世話になった人が「ああ、こう」言ってるとか、「親が長生きのしすぎだとか。」
この人父親のときも言っていたなあ。
わたしが休暇をとって看護の手伝いをしたっけ。
そう思ううちにわたしはキレてしまった。
こういうことでは、相手は年上なのにいつも「説教」をしてしまう。
そののち、彼はオーロラを見に行くツアーがあると言った。
「おお、行きてえっ!」
もしそれが実現するなら行きますよ。
でも、この人の話は・・・・・だ。
そんな酔っ払いの「おばさんみたいな」話につきあっていたら、深夜でした。
クリスマスイブは、たぶん世界中で一番ケーキを食べる日だ。
わたしはなし。
台所で、こそこそ密豆を食べ「蜜をいれるか、どうかで葛藤している。」情けないおばさんである。
ツバキの芽を摘まれた方がひどいけど、これからこんな葛藤ずーっと死ぬまでなんだよ。
まあ、わたしはダイエットではなく、闘病なのだからしかたない。
犬のサークルを囲いにして、植物を守ります。
写真は「ソロモンの指輪」風です。
奥に三倍体の鉢があります。
ちょっと暗いねー。
Dec 24, 2005
サワフタギは反対が多く落とされちゃいました。
サワフタギは反対が多く落とされちゃいました。これで、うち沈んでいるところに、期待の曙という椿の芽を犬達に堀り返されました。
種ができて奇跡
芽がでて奇跡。
この椿こそ、この世にない・・・ようなものだったのに。
あざみのお尻をたたき、「きーっ!」
Dec 23, 2005
あろうことかサワフタギがオークションにでている。
小学校にいく道にあったきれいな実が、サワフタギだと知って同じ道を何度も通った。いつからかサワフタギはなくなっていた。
施設の裏なので管理はずさんだ。
枯れたのかもしれないし、持っていかれたのかもしれない。
サワフタギはそれから見ていない。
一昨年、東北の業者などにあたった。
30センチ。
それが一番の答え。
今日は、ヤフーにサワフタギが出ている。
大きい。
悶々としていて、母に相談したら期待通り「反対」。
この人は、いつでも反対。
Dec 22, 2005
グルダファンです。
アマゾンで一枚、一枚釣り上げたグルダ。コレクションというほど通じゃありませんけど今度買った「ピアノ協奏曲 第20番 二短調 k466」ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 k467」は、いわゆる垂涎の一枚でした。
指揮はアバド。
こういう天才は、もうきっと出ない。
モーツアルトの少ない短調の曲は、これが一番有名かな?
さぶが一緒に21番を歌った(吼えた)
Yahooのチャットで知り合った読書家に刺激され来年は、「マンを読むぞー」あああ、言っちゃった。♡!
寒かったので家にいようと思ったが
寒かったので家にいようと思ったが、午後から子犬を二匹連れて近くの公園まで行きました。初めてのあざみは、ぶるぶるふるえていましたが、「追いかける習性」のある犬は走り出すと、追ってきます。
そうなったらしめたもの。
公園の中では恐怖を忘れる。
帰りにやっていた道路工事の付近は、二匹を抱えて帰ってきました。
あざみも公園デビューでした。
よかったね、あーちゃん!
Dec 21, 2005
エチゼンクラゲ
心太、シラタキ、こんにゃく・・・・。糖尿病食だけど、お腹がすくとこんなものを食べます。
母に「わたし、エチゼンクラゲみたいな気持ちだよ。」と言いました。
ダイエットの文字がない、わたしの辞書に加除訂正して、果敢に減量につとめています。
でも、今日さぶと公園で少し走ったら眩暈が・・・・・。
あざみも公園まで行きました。
震えていたゾ。
Dec 20, 2005
宮沢賢治イーハトーブセンター編集委員会から、手紙がきました。
宮沢賢治イーハトーブセンター編集委員会から、手紙がきました。「投稿原稿の採否について」と題するものです。秋に勢いで書いた2枚。
採用となりました。
その後もスリリングな調査結果に、どんどん確信を強くしてきました。
タカサブローが高田三郎だという新説。
HPやっていなかったら、どうだっただろう?・・・・なんて思います。
応援してくれたみんな、ありがとう。
掲載予定は来年の三月です。
http://members.jcom.home.ne.jp/tomkm/kenjimd/index.html
さぶも男だ。
道行く人が「どうしたの?」と聞くくらいいじましく、抱っこされてたさぶ。♪どうせ~おんなのくさったので結構~中略~逃げましょうよね♪(高田渡)を実践中だったのが、今日は走りました。
やったね!!
三倍体のツバキの芽がでた!
種ができないはずの三倍体の実。それから発芽を期待して2ヶ月。出た~。
加茂本阿弥は、「シダレボタン」になるかもしれない。
でもたった一本発根した、曙の芽はどうなるんだろう。
新種?
先祖がえり?
ヤブツバキ?
期待がふくらむ。
嬉しくて眠られない。
生物の先生が言ったとおり、栄養はあるのだから、気長に・・・正解でした。
嬉しいなー。
長生きするぞー!!
Dec 18, 2005
Dec 16, 2005
Dec 15, 2005
もう、嫌ッ!
さぶがお腹をこわした。簡単なことでお腹をこわすが、原因となるとかなり難しい。
たとえば襖を食べたとか、バスマットを齧ったとか、歯ブラシの毛だとか、食べすぎだとか原因になるものはいっぱいある。
犬については「想定外」の家だから、もうすべてを諦めなくてはいけない。
本棚で爪を研ぐことも、風呂場のちょっと腐りかけた穴がどんどん大きくなっても絶対に愕いてはいけない。
食器棚も爪を研ぐにはいいところらしく、買って3年たっていないほど新しくとも、それこそが「快適」なのだと言わんばかりだ。
お腹をこわすと、さらに大変なのは、シート二枚をのりこえて、てんてんとう○ちの足跡が続くのだ。
スピーカーは恐怖だ。
大きいのでどかせないから。
そしていまのところ、いちばん金目のものはコレだから。
貧寒とした家のほうが、きっといい。
オオカミの末裔だから、その方がきっと相応しいのだ。
なのにわたしは、ほかほかに暖かい暖房と敷き電気毛布、そしてちょっと気に入っている疲れたバーバリーの毛布で、昼間も寝転がっていたりする。
ベッドの下を駆け回る子たちの上で、ぽかんとテレビを見ていたりする。
そして、知らないうちに二部屋をぶちぬいたシートの上の有様を見て呆然とする。
今日は、最悪だ。
だいいち大きくなってるのだ。
食べる量も多い。
しかもさぶはデリケートで、悪いことをしたと思うだけで、人目をはばかってしまう。
だからそれは、思わぬところにある。
扉の前、ベッドの下。
糞尿の連鎖。
そして二匹は影響しあう。
閉居・・・・煮詰まる。
犬が気がかりで、外出が減っている。寒いせいもあるが。
あまりいい傾向ではない。
この間、母から誕生日のお小遣いを貰う。
去年なら、絶対「おすし」を食べたが、今年は糖尿病なので・・・・。
医者で年末年始の食べすぎに注意の、ちらしをもらった。
シャンペンだってビールだって飲みたい。
おいしい、スコッチならストレートだって少しは飲んでいた。
クリスマス・ケーキも駄目だ。
ぅぅ。
「よし、今年は御節も作らないぞ!」
大根と白菜、しいたけと、こんにゃく・・・気が遠くなるぞお。
インド人に近づくのだ。
草を食べるようにするのだ。
あ、もしかして、吉牛も完食できない?
Dec 14, 2005
犬との生活は・・・。
大分、大きくなったのだが排泄の失敗は続く。これはかなりうんざりだ。
ワクチンが済まないと散歩も無理だから仕方がないが、散歩のときにする習慣もつけないといけないのだな。
さぶは臆病なところがセナに似ている。
もうしっかりシェルティなのだが。
来年は、定住の地をみつけたい。
ここは環境が悪い。
嫌な家具や積年の垢を落としたい。
ついの住処というわけではないが。
犬が2時に起きたので、しかたなく昨日の煮物の汁を薄めてやる。
それから賢治の年譜を開くが、資料が増えるほどわからなくなっていく。
全集の8,9,10をさらったのだが、賢治のすごさと、全集になってまとまった資料を前にため息しかでない。
困ったなあ。
うすい切り口で・・・・なんとか。
キバナアキギリの種を撒く。
Dec 13, 2005
初雪が舞った。
母は、まだ思い出を追っている。わたしは、通院のつど家に寄るが、通院で気が重いので、付き合わない。
ここ10日くらい頭痛がするので、血圧を測ったら高かった。
降圧剤を使うことになった。
初雪の日。
「アポッたら嫌だから」(脳卒中などで倒れること)
「アポることはないでしょう」
それならいいけど。
親の病気をたどって行くようだ。
Dec 10, 2005
Dec 09, 2005
朝、4:00までチャットしたこと。
一年ぶりだろうか。ヤフーのチャットルームの、「読書の部屋」で割りに知ってる面子だったので、昨夜は盛り上がった。
この部屋は作家希望、実際の作家、国文の院生なども出入りしていて、メンバーがいいと結構、喧々諤々ということがある。
そういうのはたいてい深夜帯なのだが、それまで起きていない生活をしていたので、覗いてもメンバーが入れ替わっているなあという感想を持っていた。
なかなか硬派の新刊なども、紹介されて世間を知るという感じだったこともあった。
チャットはWTCのアタックのときには、やっていたから3年くらいだろう。
その後も、友人で続いている人もいて、そういうのは得した気分だが、たまたま最初に入った部屋は20才代の人が多い部屋だったので、調子をあわせるのがしんどかった。
またそういうところだと、ナンパ男が結構来るのだ。
そういう男を、いぢめるのも一興ではあった。
MSNはSEの間でも評判が悪い。
わたしも登録したとたん、どっとメールがきた。
アメリカの不動産業者からは、かなり来た。
そういうわけで、わたしはヤフーオンリーである。
程度の差ではあるが。
と言うわけで、昨日は、話の展開がとても面白かった。
明治時代の小説で、悪者をやっつけようと、資金調達に化石をほって、ず~っとほっていて、悪者にたどり着かない・・・が、ボスが化石マニアだったとか(有名な小説らしい)それがさらにどんでん返しで・・・・というような小説があるとか。
岩波から「座談会明治大正文学史」が出されていたのを知った。
加藤典洋の「敗戦後論 」が文庫おちしたのも、知った。
書ききれないが、結構刺激的であったのだ。
Dec 08, 2005
風の又三郎のビデオを無くした。
1940年に島耕二という監督が撮った「風の又三郎」という映画は、映画化された賢治作品のなかで白眉だと思う。わたしはこのビデオをどのように入手したか忘れてしまっているが、この一週間探せど捜せど見つからない。
ネットで見ると2万円近くするのだが、そんなものは買えないから忸怩たる思いである・・・。
この監督の映画は「残菊物語」も、近代フィルムセンターで見てよかったが、やっぱり「風の又三郎」が一押しだろうと勝手に思っている。
子供の大泉滉がエキセントリックな役回りをしたのと、又三郎の歌が耳に残っている。
今家には、「ああまいりんご」と「すっぱいかりん」がある。
喉が弱い家系なので、母のために今年もかりんシロップを作る。
バアソブの種を撒く。
オークションで買ったけれど、本当に小さな種なので意外だった。
Dec 06, 2005
昨日の引き続きの話など。
さぶがよく転ぶ。転ぶというか、逃げるときに足をよくすべらす。
これは多分、ここにきて体重が増え、身体が大きくなったことと関係がありそうだ。
成長期の彼らの体重は、平らかに増えていくわけではない。
時期によって急増するとき、停滞するときがある。
いまは、あざみが激増への助走をしているところだ。
すべるはこの体重の増加で、バランスを崩しているのに違いない。
窓の側のプランターを、三段にした。
土がとぎれて秋撒きのチャンスをのがした。
種を戸外において、冬越しをさせるけれど取り撒きのものがわからない。
ネットで買ったものも多いし、今年は去年咲いた、ヤマシャクヤクやレンゲショウマも生きている。
これらは、ちょこっと出た芽が嬉しい。
園芸は過激にやっているので苦情がでそうだが、おまわりさん事件以来、何もない。
誉めてくれる人とばかり話をしているからか。
でも、いつもとおるところのように、ガラス戸のそばから結構大きな松が道に一メートルくらいでっぱっていて、屋根から綱でひっぱっている家もあるので・・・・。
こういう風に超越していれば、苦情はよせつけないな。
でもああ、ごめんなさい。種を前にしてもう、やめようかななんて思っている午後です。
珍しくあざみがトイレの失敗をした。
ここ数日、あざみは飼い主が怒ることを知ったのだ。
セナと遊んだ公園
天気が悪く気がすすまなかったが、カメラを持って出かける。
気に入ってるサザンカを訪ねていくと、セナとよく遊んだ公園に着いた。
いつのまにかという感じだったが、去年のセナと過ごした時間を思い出し、おもわず泣きそうになった。
賢治の異稿を読んでいるが、耐えられない。
誰にせよ、こんなものを読むのは初めてだ。
Dec 05, 2005
動物のことあれこれ
一時期、病気を媒介するということで、憎まれ役になっていたビャクシンに、最近は行かなくなったペット屋で、以前であった。ビャクシンはしなやかな動きをし、夫婦で「ねえ、飼って・・・」と誘うのであった。
店の主は「咬まないよ。かわいいでしょ?」と言った。
しかし、指を入れたら大いに齧られた。
うそつき!と思ったが、主は自分で指をいれて「ほら、咬まないでしょう?」と言ったのだ。
わたしは血を流して、店をでた。
バンドエイドも貼ってくれなかった。
こどもの時、いとこの家の近くでミンクを飼っている家があった。
いとこの家は、子供を放し飼いにしていたから、わたしたちは楽しみで、家では絶対にできないようなことをやった。
鉄道の土手での草スキー、ザリガニ取り、花札。
ミンクはそのうちのひとつだが、「指をちぎられるぞ」と脅かされた。
初めて会う動物に、警戒心を持つのはあたりまえだと教わったのだ。
そういうことを今の、子供たちは教わっているのだろうか。
どこで学ぶのだろう。
子犬たちを見ていて、本当に不思議なのは自分の、身体のスケールをどこで学ぶのかということだ。
彼らは、鏡も使わず身体の大きさや、部分の大きさをどう体得してゆくのだろう。
自分の身体への了解を、どうしているのだろうか?と思う。
人間の場合は多く、言葉の体得でそれらを乗り越える。
たとえばメルロ・ポンティによれば、第二子が産まれると過去形を覚えるとか(仏語)ということさえあるそうだ。
最近、犬たちは迷惑そうな顔をしていた、頭をなでる行為を気持ちがよいと感じるようになった。
これはどういうことだろうと、考えるとすごく不思議なのだ。
言葉で生きている人間は、こんなことすらわからない。
言葉があるから、人間は人間のヒューマン・スケールを超えてしまったかも知れないのだ。
Dec 04, 2005
風邪は抜けず不機嫌。
ジョイフルホンダに、クリスマスリースを買いに行きました。帰ってきて、さぶを抱くと背中に傷のようなものがあり、よく見ると皮膚病っぽい。
急ぎ病院に行くことになりました。
やんちゃなわりにひ弱な奴だなあ。
バリカンで毛を切られて、大騒ぎ。
先生も「臆病ねー」だって。
あざみは、まだお座りも覚えておらず、ぐーたらな猫みたいな犬ですが最近は犬らしく吼えることができるようになりました。
Dec 02, 2005
電話のセールス撃退法。
家にいると、セールスの電話がかかってこない日はない。新聞、葬儀場、テープでのアンケート(と称するあやしい電話)、エアコン修理、家のリフォーム。
とくに葬儀場はひどく、「互助会に入っていますか?」から、切ろうとすると「おじいさん、おばあさんはいますかッ?」と電話口で絶叫されたことがある。
去年しましたと言ったら引くかと思うと「どこでですか?」
「うちかしら?」・・・・泣きそうになってしまった。
で、苦肉の果てに最近は「不幸がありましたので・・」とか「ペットが病気なんで」とか「(自分が)熱がありますので。」
こういう理由が効くということがわかってきた。
が、年配の人にこういう質問をするのだろうか?
昨日も種を無くし探し回って、おろおろしたわたしは、絶対にこの手の詐欺がきたら、ひっかかる自信がある。
駅前に、セレモニーホールが二つできたと以前に書いた。
よりによって駅前とは、あまりいい気分じゃない。
「あら、便利でいいといわれます。」これが生業としている人の言葉だ。
晴れと卦や「忌む」という言葉の意味を知悉しているとはとても思えない。
パチンコ屋の、新装開店やコンビニじゃあるまいし。
葬式なんてものが、便利で駅から近く立派で・・・・どうするんだ。
まあ、そんなことで道に水を撒いていても、油断がならなくなった。
ちょっと答えれば、互助会の人であったり、「見学できますから。」とセレモの人であったり。
そういう人が道を歩いている。
虎視眈々。
二件ほぼ同時だったので、そういう感じで競っている。
ところで、消火器のセールスでひどい目にあったことがある。
仔細は書かないが、その男の捨て台詞が「それじゃあ、あんたの家で火を出して近所が燃えてもいいんだな!」というものであった。
今、世間を賑わせているヒューザーの小嶋進社長は、消火器を売っていたことがあるらしい。
あの捨て台詞は、あんがい小嶋進社長だったかもしれない。
まあ、驚いたのはしゃちょおは、大卒が月収4万の時代に消火器時代の収入は40万だったこと。
同窓会に、飛行機で仙台まで行ったことだ。
むむ。カラヤンも飛行機マニアだったな。
Dec 01, 2005
歩道橋を渡ったら、明日は筋肉痛だと思った。
歩道橋を渡ったら、明日は筋肉痛だと思った。本当に出歩かなかった。
通院もタクシーだし。
「もう足が退化しそうっ!」と思ったころに、カメラを持って出るというのは何回もあるが、今日は特別だった。
あざみはやっと、少し復調してきた。
簡単に言えば、激しい食べすぎだったのだが、まだ何度でも吐きそうなのだ。
昨日は、石と葉っぱがでてきたし。
でも、セナもそうだったが、吐き戻すというのは、殆どなく飲み込んでしまう。
口を無理やりこじ開けても、化け猫のような声はだすが吐くことはまずない。
動物というのは、そういうものだという気がする。
とにかくわたしは、ひどい風邪だった。
ユンケルを飲まないのは、五日ぶりである。
今夜、また飲むだろうが。
動いたら、糖尿病食の量が足りない。
なんにでもとろみをつけてあって、それで空腹感をなんとか・・・・ということらしい。
これは男性にはきついだろうな、労働もしてたら。
肉体労働だったら、拷問だ。
味付けが濃いめなので、食が進みそうになるのをとめる。
これがなかなか残酷なのよだ。
Nov 30, 2005
具合が悪いとネットばっかり・・・しちゃう。
昨夜は、余裕がありました。レトルトの、糖尿病食を初体験したのです。
悲惨な病院食の覚悟をしていたのですが、おいしかったのです。
酢豚、ふかひれスープ。ひじきの煮物。
とても自分では作れない。
しかも一人分。
だからいたって満足でした。
その後、ペットの育て方やらなんやら、そういう関係のサイトを見ていたら、いきなり千葉県柏市産カナヘビ2匹400円。という広告を見ました。
そのあとに続くのは、アルビノボア、よく太っています。
もう、唖然です。
それで思い出しましたが、わたしが図書館で働いていたとき、いつもBMを不法駐車して来る利用者のお姉さんがいました。
いつも自慢気にお稽古ごとなどの話をしてゆくのですが、この日はちがいました。
「『イグアナの飼い方」の本ない?』」といきなりカウンターで聞くのです。
わたし達は、理由も聞かずみんな慌ててイグアナ本を捜しました。
捜した数冊の本を前にしてお姉さんが語るには、お姉さんは今朝イグアナを拾ってしまったのだそうです。
そして交番に届けると、気味悪がって受け取らず、飼い主がみつかるまでしばらく飼うように頼まれたということでした。
高級車の不法駐車に怒るわたし達は、この日だけはお姉さんに関心いたしました。
だって、道に落ちてたってイグアナ拾いますか?
私見ですが、こういうのを飼う心理は「レクター先生」が、自分にだけ胸襟を開いてくれている・・・という感じかなと思ったりして。
朝起きたら、風邪がもっとひどくなっていた。
そしてあざみの様子がおかしい。たとえわたしが肺炎になろうとも、あざみだ。
風邪といわれたが、何度も吐くので不安だ。
その動作が痙攣のようにも見えるのだ。さぶも遊び相手がいないので、やんちゃな甘えん坊に退行する。
交代に抱いていると、やはり精神的にはさぶの方が不安定だ。
それは、早すぎた母子分離のせいかもしれない。
とにかく、さぶには安定した愛情が必要なのだと確信した。
ところで二匹が寝入った時に、外のツバキなどの面倒を見ていた。
そして家の周りと思い、戸を開けると年配の知らない人が立っていた。
「あの。ここはツバキを売っているお店ですか?」
「いえ、お店ではありません。」
「ここを通るとき、いつも羨ましく思っているのですが、わたしは一重のヤブツバキを探しているのです。一体どこで買っているのですか?」
「あ、ほとんどネットで。生産組合とか・・・」
「ああ、やっぱりね。売っていませんものね。」
「でも、実生でよければ、差し上げますよ。」
「あの、実生ってなんですか?」
「・・・・。とにかく、これはお寺で咲いていたものです。発芽して3年たちます。」
生まれてはじめての鉢あげを、秋にしておいて正解でした。
冬の乾燥は、いろんなものを弱らせます。
まめに保水しないと、お肌もだめなんでしょうね(関係ないけど)
結局あざみは今日、二回通院しました。
食べすぎも、気管支や肺の炎症もあるようで、明日また通院です。はい。
Nov 29, 2005
また風邪だよ。
朝見た夢は動物に襲われた夢だった。(爆)さぶとあざみが、駆けずり回っていたからだろう。
間欠的な悪寒が走る。
加湿器を出し忘れた。
ホルツサイバーストアから、おまけまでついて種がきている。
今、種を選べば肺炎だ。
頑張ってはいけない。
時に身をゆだねよ、だ。
寝ていると、さぶとあざみが仲良しで、ほんとうに良かったと思う。
家の中は切れ切れのティッシュと、排泄物。
こやつらは、ティッシュとキャンバス地、ダンボールやスリッパが大好きだ。
セナもそうだった。
そういうもので遊んでいてくれると、とても助かるのだ。
あざみの遊ぶ力はすばらしい。
Nov 28, 2005
癒しってなあに。
花を見れば癒し、鳥を見れば癒し、最近家の犬たちも癒しといわれた。なんだ癒しとは。
家の犬は同士だ。
これからの人生を共にする。
わたしは、むっとする。
同じようにGetという言葉が嫌いだ。
いい大人が・・・と思ってしまう。
言葉についてどうこう言える立場ではないが、○○的にはも「なに?それ」という感じだ。
今日は激しい風邪になってるので、不機嫌である。
うつらうつらして、ちびどもにご飯をやって夕方無謀にも出かけた。
ツバキの美しい家に、通って三年になる。
今年は、家で咲いた「大日の曙」と千疋屋のフレーバー・ティーを持っていった。
夏には体の具合が悪そうだったが、今はしゃんしゃん。
ついでにお姉さんが、撮ったという南アの写真を見せてくれた。
すごいなー。
おばあさんが、イワシャジンを撮っている。
いい写真だった。
今年は花つきが悪いといったが、やはり期待できそうだ。
帰ってきてベッドに入ったら五分おきに目を覚まし、コーヒーを溢してるのすら気づかなかった。
昨日おでんを作っておいてよかった。
糖尿病の管理が不安だった。
父の糖尿病の管理を、母がとても厳格にやっていたので、同じ病気になったわたしは自己管理がとても不安だった。栄養のバランスがことに難しい。
50パーセントが遺伝するというこの病気は、外来にいっても結構いて病人食産業がなりたつと思っていたが、やはりそういう通販があるということをチャットで教わった。
チャットで知り合った人で、信頼できるひとはそうはいないかと思いがちだろうが、わたしには貴重な友人がいる。
かけがえがないと言ってもいい人たちだ。
さて通販の食事を試しに、一週間だけ取り寄せてみた。
一食、約千円のレトルト。
昔、喘息で仕事を休んでいたとき「わたしだって糖尿病があります。それくらいで休んじゃいられない・・・」と言った上司は明らかに酒の飲みすぎだった。
食事の管理がやられていないことを示すようにひどくデブだったのだ。
偉くなるとなにかと自慢するが、そういうのはみんなおかしい人たちだ。
年をとると、病気の一つや二つありますよ。
そういっていて無病だったり。
わたしの「肥満」だって「年をとったら、少しくらい太っていた方がいいのよ。」と年上のやせたお姉さまにいわれたり。
人はいたって自分の、立場性については鈍感なのだ。
話は違うがちょっと紹介する。
政府が生活保護のお金まで、減らそうとしている。
こういう時代だから必要としている人がいるのに。
受給マニュアルです。
http://orifure-net.cocolog-nifty.com/net/2005/09/post_e4a2.html
夜中に無理して風呂に入れられた子達。
ワクチンで洗えなかったさぶ、風邪っぽいかなと思っていたあざみをやっと風呂に入れた。入っているときは神妙に年貢を納めたふりをしているけど、出たとたん大騒ぎになる。
ぬれたままぶるぶるっとして、ドライヤーに狂喜する。
疲れたあというのと、ほっとしたのと。
今は、この子達が一番かわいい時期。
動画がとれませんなー。
昨夜の夢の続きで、マーサ・グラハムの最後の来日舞台を思い出した。
よろよろだったけど、以来、舞踏は見に行っていない。
Nov 27, 2005
母もわたしも喘息で。
挿し木の用意をしていたら、咳が出た。薬を飲んで母のところに電話をしたら、すごいしわがれ声。
なんだかなぁ。
へんな親子だねぇ。
今朝の夢
なんだかこんがらがった、夢だった。
NYにいるMallieという友人がでてきた。
セントラルパークで、ボブ・ディランが歌っていたのを知っていると彼女が言った。
わたしは驚いているのだが、それは以前に聞いた話しだ。
彼女とわたしの邂逅は、ほとんど必然のような気がしていた。
俳優学校で、ベティ・フリーダンと同期だったと言った。
初めてあうのに、共通項がいっぱいあった。
わたしはマース・カニングハムの大ファンだったので、彼女は無料の彼のイベントを教えてくれた。
セントラル・ステーションも映画などによく出てくるが、駅舎を劇場にしてしまう企画に舌をまいた。
帰国して、わたしは利賀村の、鈴木メソッドのテープを送った。
それはすごく昔のことで、その後、彼女がNHKに来たときも、セカンド・ハネムーンのときもあったのだ。
でも、わたしは初めてシングル・ペアレントであった彼女の家に行ったときの、衝撃的な時間が忘れられず、幾度も夢に見る。
それには必ずイタリアン街の濃いコーヒー、店のタイルがでてくる。
ここは、映画「レオン」にでてきたものとそっくりだ。
シシカバブーの匂い。
間違って入った、アイリッシュコーヒーの店。
酒臭さ。
マジソンスクエア・ガーデン。
わたしは、「また来るよ」といった。
家に帰ることを、Comeというのだ。
Goと言ってはいけない。
そういう夢のようになってしまったことどもが、何度も何度も練りあわされるように夢にでてくる。
彼女は演劇をしている。
夫は音楽家だ。
ハーレムの子達のために、芝居をしている。
そういうビジネス。
滞米中に彼女は、ラジオのインタビューに答えていた。
それを聞かずに5番街に行って、Tシャツをあさっていたわたしに、彼女の娘は断固として抗議した。
時間と、行為。
それらは競い合うように、わたしたちの前にある。
どちらを選ぶかは、わたしたちの自由なのに、あらかじめつかまってしまってしまっているのだ。
Nov 26, 2005
上がり症
昨夜は、休日の前ということで、ひさびさにへっぽこさんもカラオケに参加できた。へっぽこさんは、今、災難の渦中にいる。
会うのもなかなか難しいのだ。
そんなわけで、ファンたるわたしは上がってしまった。
声が、上ずる。
歌詞が頭のなかで、消えていく。
果ては、マイクをもったまま転んだ。
われながら無様で、驚いた。
転んだとき「大丈夫?」と、心配そうに聞いてくれたへっぽこさんが、嬉しかった。
「倒れたのかと思った」・・・・脳卒中とか。(爆)
へっぽこさんの歌はいつ聴いても、安定している。
ジャニスの「サマー・タイム」は白眉。
わたしはどんなに練習しても、駄目だと思っているから聞くたびに感動している。
声というものは、歌っていると出るようになると最近気づいた。
月に一回弱くらいでも、出るようにはなるものだ。
どうも声量は、得点にも影響するようだ。
で、この日、あろうことかわたしが97点を出してしまったのだ。
人生の苦労もこのように報われるのだろうかなんちって。
閑話休題。
以前、へっぽこさんとわたしは実は「中国は4000年の停滞である」とほざいた。
ずいぶん前の話である。
そのころは竹内好も読み、橋川文三も読んでいた。
ああ、そんな本があったなあという記憶くらいしかないから、今は、そんなことを言われてもしかたがないのだが、へっぽこさんはそのあたりをまた、勉強しだしたらしい。
漢民族の割合から、はなしはどんどん転がる。
やがて中国に四文字熟語がどれくらいあるか・・・・という話になった。
「多福来来」みたいなのね。
いい加減に言ったら「年功序列」は四文字熟語かな?
「横浜焼昧」は?
「餡饅肉餡」は?
「 国勢調査」
「香港風邪」
みんな日本語やんっ!。
四文字熟語の音は、中国語のリズムにあっているのだろう。
ちょうど、日本語は二音三音の単語が多いから、五七五になるように。
さて、へっぽこさん曰く、「中国は4000年前に、すでに完成されていたから、本当は「停滞」というか、そのままでよかったのではないか。」
大変な命題である。
Nov 24, 2005
セナの法要・・・・。
セナを火葬した、お寺つきお墓つきの火葬場から「大慰霊祭法要」1という大袈裟なものをやるという通知がきた。それを見て、ここがチェーン展開をしているのを知った。
法要代5500~15000円。
なんだか解せない。
セナを焼いたとき、弟と友人が「あれは、焼却炉で役所に届けてるよ」なんて話を聞いたので、余計そんなところへくる坊主にも腹がたってきた。
インスタント坊主が増えている。
サイドビジネスなのだ。
あんな山のなか、二度といくものか。
そろそろ為丸式を始めます。
ペットボトルは収集してあります。穴をあけたりするのが面倒だけど、今年も頑張る!
カメラもなく引きこもっていると終日、さぶと、あざみのおもりになります。
見ているとさぶは、いつもあざみの尻を追いかけています。
「おんなの尻ばかり追いかける」というのは、こういうのなのだなーと発見があったりします。
少し大きくなったので、二匹でどどどっと二間を走り抜けたりします。
ワクチンが済めば、お散歩できるのに「原虫」事件なんかがあって遅れています。
そろそろ首輪をつける時期かな?
親ばかな気持ちがわかるこのごろ。
Nov 23, 2005
家族の歴史
時期遅れだけど、挿し木の植え替えをしていました。クラプトンのオールド・ラブを聞きながら、わたしはわたしのオールド・ラブのことを少し思っていました。
あざみとさぶはころころ、すっかり仲良しで遊ぶようになりました。
「姉さんっ!」
「姉さん!」と声が聞こえ、「あれ?」っと思ったら、りんごと柿を持った、母と弟が玄関に立っていました。
あわてたわたしは、千疋屋のとっておきの、アップルティーをふたりに入れました。
「おいしい」とふたりが言いました。
母はさぶを抱きしめて泣きました。
「ごめんね。」
「ああ、セナそっくりだ。」
「セナもこんなうちに家にきたのよ。」
「ああ、セナだ。」
涙をため「最後までみられなくて、ごめんね」と二匹を交互に抱いて言いました。
「あざみちゃん、かわいいね。猫みたい。」
「バイブルーっていうんだけど、多分、劣性遺伝子なのね。この灰色は。」とわたしは答えました。
この一年、母はおままごとの道具を少しずつたたむように、父のものや自分のものを減らし、花を減らしてきました。
今日の突然の来訪もそんなことのような気がしたのですが、ただたださぶを確認したいという思いだったようです。
母はもう、犬を飼えない年齢なのです。
犬の頭をなでられるところに、引っ越してくるといいのに・・・とつぶやいた母。
柿を送ってきた坊さんが。(`・d・´)
佐渡に住んでいる友人から、柿をもらったのですが、そのとき「スカシユリ」の岩肌にある球根を、とって茶碗蒸しに入れたという。そして「苦かった・・・」とぽつんと言った。
ネットには食用にならないし、「苦い」と書いてあるのに。
この人は何かと食の関心がおおく、「食べられるか」が一番の問題らしい。
日本の植物学はそんなんで、遅れをとったのに。
どうか庭先のものを食べないでください。
自然のものは減ってるのですから。
Nov 22, 2005
出かけた。
加茂本阿弥、初嵐が咲いていた。
いずれもいい花。
初嵐は同じ名前の花が数種あるので、同定に不安あるも、今年は初嵐(佐賀)の集中挿し木を予定。
加茂本阿弥は、毎年売られるので探す。
加茂本阿弥は大きいほど見事。
カメラは昔のを引っ張り出したが、白い色が飛んでつぶれるし、解像度といい、信じられないというか、情けないほどひどい。
加茂本阿弥、初嵐が咲いていた。
いずれもいい花。
初嵐は同じ名前の花が数種あるので、同定に不安あるも、今年は初嵐(佐賀)の集中挿し木を予定。
加茂本阿弥は、毎年売られるので探す。
加茂本阿弥は大きいほど見事。
カメラは昔のを引っ張り出したが、白い色が飛んでつぶれるし、解像度といい、信じられないというか、情けないほどひどい。
Nov 21, 2005
喘息は飼いならせる。
ちょっとこの乾燥が気になるけど。
アトピーは手におえない。
昨日は、思いがけず一ヶ月早いクリスマスプレゼントをもらった。
すご~~~く嬉しかった。
中身は内緒。
質屋のバーゲンで、ヴィトンなんかに群がるやつの気がしれず。
母がいうのには「金余り」のご時世だそうです。
犬の医療費で超貧乏だぞー。
一周忌のとき、もう着られない服を、みんなで分けてもらった。
こんなに痩せてたの~ぉ。
そうなんだよね。
ちょっとこの乾燥が気になるけど。
アトピーは手におえない。
昨日は、思いがけず一ヶ月早いクリスマスプレゼントをもらった。
すご~~~く嬉しかった。
中身は内緒。
質屋のバーゲンで、ヴィトンなんかに群がるやつの気がしれず。
母がいうのには「金余り」のご時世だそうです。
犬の医療費で超貧乏だぞー。
一周忌のとき、もう着られない服を、みんなで分けてもらった。
こんなに痩せてたの~ぉ。
そうなんだよね。
Nov 19, 2005
カメラと一緒についにダウン。
風邪である。喘息もでている。
父の一周忌のお礼状を、出したあとで良かった。
きっと過労だ。
カメラもホーバーオールになった。
磨耗、砂入り、不具合など。
高い。
荒く使っていると言われてしまった。
知人から樽柿が送られてきた。
樽柿はおいしいが、流通が困難なのだろう。
市場に、まずでない。
毎年楽しみ。
Nov 18, 2005
子犬の毛のせい?
セナのときは、まったく大丈夫だった喘息が昨夜から動き出した。やば。
猫の毛にはアレルギー反応があるが、犬にはないはず。
子犬は別なのかな~。
朝からちょっと息苦しい。
犬はいつもお守りをもとめる。
サークルのなかで、ひんひん泣いている。
食後くらいじっとしてろ!
結局、夕食後になってサークルに入れて戸を全部閉めたら、静かになった。
さぶはお兄ちゃんだけれど、一人遊びができずトイレの失敗も多い。
ペットショップで、放置されていた時間が長いのかもしれない。
アザミは可愛がられていたのだと思う。
おっとりと抱かれ、そのまま寝てしまうことがままある。
一方、さぶの原虫のことを、消費者センターに相談した結果の連絡がくる。
先方は「よくあること」と言っているそうだ。
消費者センターの人も首をかしげている。
医師同士で見解を一致させないと、逃げられてしまいそう。
Nov 17, 2005
レッスルする。
さぶと、あざみの便の調子がいいので、朝ケンポナシの実をC大にとりに行った。思ったよりいっぱい落ちていたが、カメラが悪い。
とにかくその実を、タネタネットに送ろうか迷っています。
ケンポナシは種と種の間を齧ると梨っぽい味がしました。
また、ウバユリの種は、母の庭に植えちゃおうと思います。
気にせず撒いて気がついたら、あららってのがいい。某書によると開花まで7年!だそうです。
しかも根っこはとてもささやか。
縄文人が食べていたことを考えると、改めて農業の改良技術とか、一年草がきっと増えてるんだとか、はるか昔に思いをはせ。
*ケンポとは仙人のことらし。
Nov 16, 2005
あざみちゃん、倒れる。
吐いて、食事をせず、下痢をした。もう、絶対医者だ。
と思い必死になって病院に行けば、原因はやはりストレス。
なんとか菌が増えてるそうだ。
ぐったりしていたあざみが、注射ではすごい声で泣いた。
「しばらくは別々に飼ってください。」とK先生は言った。
マウンティングは権力の誇示という一面はあっても、「さぶちゃん、それ・・・・」ってときも多かったから、やっぱりと思う。
あざみは夜中にないたので、「わたしの布団の中」。
タキイからキッコウハグマがくる。
ウバユリの種を収穫するが、花を持つまで7年かかるそうだ。
タネタネットでケンポナシの種の移植をうったえている。
http://tanetanet.hp.infoseek.co.jp/
朝、ユリを植えてもどってきたら。
朝、ユリを植えてもどってきたら、あざみが吐いていた。二匹いると、どちらがとも確定しにくいのだが、おそらくあざみ。
さぶのマウンティングから逃げるストレスかなあ。
大人になってもさぶがそんなだったらどうしよう。
http://www.haizara.net/~kirita/doga/sab/res1.mov
また、通院だよー。
で、帰ってきたらまた、「ホテイアオイください。」
「そこの小さいのもうひとつ」だって。
Nov 15, 2005
サカマキガイ part2
カメラを修理に出した。仕方がないのでサカマキガイ退治。
子犬共は、食べるとしばらくレスリングをしてトイレをして寝る。
そっと外でヒツジクサの鉢を見る。
減ってると思って葉裏をひっくりかえすと、あらら。 http://www4.ocn.ne.jp/~joso/sakamaki0.htm
暖かい日に、鉢ごと全部洗おう。 こいつはとんでもないヒールだ。
ところで、今年一番のツバキです。
これなかなか品がいい色なのです。
色が出なくて残念。鉢の中だし・・・丈が15センチくらいの木なので、間引いた花です。
Nov 14, 2005
やらなきゃいけないことが・・・やれない。
犬の暖房でぬくぬくしていると、不精なので出かけられない。写真も、カメラのオート機能をこわし、マニュアルだけしか使えなくなった。
金魚の餌。
メダカ鉢のサカマキガイの退治。
もうこれだけでうんざり。
サカマキガイ
サカマキガイというのは、左巻きの小さな淡水マキガイのことで、弟に言わせると、夜中に子メダカを食べちゃうんだそうです。
わたしも夏には気がつくと捨てていたのですが、繁殖力が旺盛で、外来種くさいなあと思っていたら、弟いわく「これで水槽内の食物連鎖がこわれる」のだそうです。
わたしは、淡水の貝には偏見を持っています 。
カワニナといい、タニシといい、日本住血吸虫やジストマをもっていたり、魯山人はこれで死んだんだもん。
で、えんえん話すと長くなるのだけど、この夏、わたしは80円の和金を二匹飼い、弟はらんちゅうを数匹飼った。
「らんちゅうとは贅沢ではないか」とわたしが言うと「なんとなく売れるかな?なんて思えるのがいいじゃない。」という。
ヘラブナ釣りや、ルアーをやっている友人も飼いだしてトレードしているというから、荒稼ぎができそうな、飼い主の共食いがありそうな・・・。
「金魚屋になってもいいなー。」
うっ!
金魚屋の弟かぁ。
わたしが小学生の時に父は、電車の破損したガラスを器用にあわせて水槽にし、金魚を飼っていた。
その水槽は水漏れもしたけど、父はかなり長いあいだ金魚を飼っていたので、いろんな名前はそのとき覚えた。
図鑑も持っていたかもしれない。
弟は、父がそれらをトレードに出していたと言う。
親子と言うのは恐ろしい。
サリバン先生は、お昼前に
サリバン先生は、お昼前に二匹の犬をお風呂に入れました。さぶは二度目ですが、緊張しっぱなし。
お風呂には慣れさせたいの一心なのに、まだまだのようでタオルをかけたまま脱兎のごとく逃げ出しました。
で、あざみと言えば・・・・しっかりつかまってゆっくり浸かって、湯をのんだりする。
身体を拭くタオルのなかで、寝ちゃいました。
大物!
お昼を食べると、またお昼寝。
みんなで、すーぴー寝ていました。
でも、先生は一番最初に起きたのでした。
ふに?
ぺちゃ!
スリッパの下まで。
ああ、みんなオネショシーツからはずれている。
これぞ伏魔殿ッ!
昨夜は二匹とも検診。
あざみは眼を、さぶは原虫の検査。セナを最後まで、ショート・ステイでみてくれ、終末医療を担ってくれたK先生。
さぶのときは「かわいいー」だったのが、あざみもいたので「二匹ですかー」と他の先生も見に来た。
帰宅後、おぢさん現れさぶをえこひいき。
わたしは「ばかさぶろー」と悪口。
というわけで夜更かしと、あざみがなくのでなだめていて全員寝不足。
朝食をやったら、全員睡眠・・・みたいな。
でも、わたしは正直言って、ヘレンケラーの先生だったサリバンさんみたいな気持ちです。
あざみはまだ、自分の名前も覚えていないし・・・。
昨夜はさぶの○ん○んをあざみは、乳頭だと思って追いかけていたし・・・。ぶは。
煩悩の棲家なりや。
Nov 13, 2005
父の一周忌。
一周忌。母は風邪・・・・ちょっとかわいそうです。
一年たったのですね。
行ってきます。
帰ってきました。
お坊さんが、大学の先生なので、いつも質問をしてしまいます。
まず、三方向を棒で払う。
これは多分、三界の魔よけ。
そしてお皿のようなものに、棒をつっこんでかき回し払う。(これはガンジスのお水で、払ってるのではないか?)
などなどあって、「色即是空」は、実際はあるのですが、実は「方便」で、それがゼロの発見につながるなんてことを聞きました。
毎回、思うのですがこのお坊さんは、美声です。
和賛なんて聞いてみたいな。
とまれ一年たったんだ・・・。
セナの写真を、仏前にそなえました。
仏教の国は「とびどぐもたない」から好きです。
帰ってきたら、さぶもあざみも一回り大きくなった気がします。
Nov 12, 2005
さぶとあざみが追いかけっこをしている。
約、一ヶ月違いなのだが、体のハンディは思いのほか大きい。さぶが、マウンティングなんかしちゃうのだから。
ころころ、小太りのアザミは、いともさりげなく逃げて、遊んで椅子の下で寝ている。
わたしは当分、うん○をふいて「ぺこケンネル」のおばさんになる。
あざみちゃん。
内緒なんですが、「あざみ」♀です。 よろしくね。植木といい、イヌといい、非難ごうごうの一部の親戚のみなさま。
でも、植木なんかほめられない日はないのですから、責めないでね。
アザミはブルーのちょっと変わり種。
毛足が長く、パンダみたいな背中です。
もちろん、お尻はもっと可愛い。
買い物バスケットできたのでした。
Nov 11, 2005
へっぽこさんが、さぶを見にきたのだ。
さぶが食抜きで、いる間。へっぽこさんが、さぶを見にきたのだ。
そしてさぶ騒動でお腹のすいていた、わたしたちは「ヤキトリ」を食べたのだった。
ひさしぶりのへっぽこさんの訪問は、すごく嬉しかった。
なにせファンなのだから。
わたしはといえば、日露戦争と日中戦争を間違えていたりして。
しかし世の中どこが、景気が良くなっているのだろう。
へっぽこさんは、残業まみれだし、昨日きた郵便局の人は下請けで配達すると一個何円の世界。
しかも雇用保険はない・・・・だそうだ。
タクシーのおじさんも「迎車」だと法外な値段だったり、客がいないとかぼやくのに。
ニートだってフリーターだってパートだって潜在的失業者だと思うよ。
好景気のときはいなかったものねー。
自分が「立派なおとなじゃないから」、なんだか、レッテル貼って排除するの嫌いです。
怒りまくった!
さぶの「おなかの原虫のこと」で業者にクレームをつけた。
社長はいない・・・・移送の際に寄生した。・・・・などとバイトらしき男が答える。
さぶの医療費1万数千円とわたしにも、いる可能性があるという。
人的被害もこわいし、・・・・なんで社長から一言謝意がないのだ。
さぶだって、これから19歳を目指すんだ。
ばっくれられてたまるか・・・。
Nov 10, 2005
ジアルジアとトイレ話。
さぶの便が血便になった。移動のストレスからだと最初は、医師も言っていた。
だが、また血便。
どうしていいかわからないので、病院に便をたくさん持っていった。
それがよかったらしく、ジアルジアであることがわかった。
ブリーダーの犬舎などで、集団発生したりする原虫。
夕方には、吐いた。
わたしはもう口も鼻もみんな、顔の前面はなめられっぱなしだから、絶対にうつってる!
リステリン
さぶのおしっこの失敗が多いので、「リステリン」という強烈なうがい薬を薄めて畳を拭いた。
結果はいわずもがな。
さぶちゃん、かしこい説という風聞がすでに・・・・・天才説とか。
幻聴ですか・・・?
犬話ばっかりなので・・・。とーとつに・・・・。
八百屋は、スーパーよりよっぽど面白いと思う。品揃えがおもしろかったり、気取っていないから結構、八百屋は好きだ。
昨日、買ってきた、うろぬき大根。
わたしはわざわざ、そういうものを買ってくる。
なぜって新鮮だから。
これからの時期の大根は、急成長するので間引く。
そして大根の葉は日持ちがしないから、取れたてがわかる。
たぶん、自家栽培や農家の人はそういうサイクルを知っているから、買い物上手なんだろうな。
少々痛んでいるからと、目くじらたてるより「あ、代えるね」くらいの対応で結構。
パックもラップも本当はいらないんだから、こういう八百屋さんいいなー。
ユズにカボス一個とか買えるしね。
消費税が上がったら、ますますファンになるかもです。
あげちゃいけないって!
Nov 09, 2005
もしも、あなたが庭弄りをしていて
疲れてお茶を飲もうとし、ドアをあけたら上がりかまちにまるで三つ指を揃えたように子犬がお座りをしていたら、どんな気持ちだろう。さぶは、座る、座る、座る。
餌をもらおうとして、もう、ほとんど「乞食」である。
くじけるさぶちゃん。(うそ)
*さぶは出世犬ですので、出世にあわせて名前がかわることにしました。(例 レイザーラモン又三郎とか・・・)
Nov 08, 2005
昨日はぐったり疲れたので早寝をした。
朝になったら、サブがチワワより大きくなっている気がした。まだおっぱいを飲んでいた記憶があるようで、抱くと口から鼻の穴までなめられる。
毛はひよこだ。
今日、二回目のおしっこはセーフ。
うん○は失敗。
セナはこんなだったかなぁ。
遊ばせすぎは幼犬には、時としてストレス。
今日は、お留守番をさせるぞー。
Nov 07, 2005
実も蓋もないことを言えば。
実も蓋もないことを言えば、もう疲れてぐったりだ。サブは転がるように歩き、歩きかたも斜めだったり、横だったり、そしてふいに飛び上がる。
紙を咥え、ジーンズを咥えぶら下がる。
襖を齧る。
20センチ余の大きさが、全身で動きまわるのだ。
犬の能力の大半は3ヶ月までと本で読んで、早くケージから出そうとしたら、こうなった。
わたしは女々しいから、壁紙のセナは消せない。
母にセナの写真を焼いてきた。
父の一周忌に報告をする。
Nov 06, 2005
Nov 05, 2005
Nov 04, 2005
さぶちゃん。
子犬のサークルを買いにいく。メダカと金魚の餌も。
具合が悪い間、水を撒かなかった植物が傷んでいる。
追い詰められた感じになり、「枯らしてしまおう」と思う。
父の一周忌をするにあたり、母が気をもんでいる。
最近はろくなことがない。
ワコムも不調。買い替え。
「さぶちゃん」沼津を出発。
Nov 03, 2005
いよいよ椿の季節です。
今年は、家の周囲に牡丹を植えた。わざわざ聞きにくる人もいて、楽しみにしてくれている。
普通はそんなところにそんなものを植えない。
春から順にどこかで花を持つようにする計画で、あまり芳しくない様子の物もあるが。
とまれ、今日は椿だ。
酒中花(しゅちゅうか)という名の椿がある。
俳人の石田波郷が、好んだ椿だそうだ。
犬の名前「さぶちゃん」
足をむけて寝られないような「恩人」のおじさんがきた。犬のことが気になってきたのだ。
が、わたしは、ただいまユンケル中。
おじさんは昨日から「風の又三郎」を読み出したらしい。
「今まで読んだのと違う。」とのっけから言い出した。
だからさ、とまあ説明したら簡単に納得する。
理系はよろず簡単でいい・・・・なんちって。
その刺激から、「又三郎」とつけてくれと言ってきた。
わたしもまた、そんなような名前を思っていたのだが、母が「北島さぶちゃん・・・」と笑い出すし、弟は「姉さん、いつもやくざみたいな名前つけるね」と言うし。
「さぶちゃん」の名前はいたし、かゆし。
ジロキチだってやくざではなく侠客というのだ。←次郎長と勘違い(笑)
又三郎の名前は呼びにくいし、わたしは「又」が気に入らない。
二文字がいいよねといいつつ、星の名前を考えていた、フォーマルハウトはかっこいいけど、「ヴェガ」と言ったら「お、それいい!」と言った。
「駄目だよ。」
「何で?」
「女神だよ。」
「・・・・・」
おじさんの頭の中は白くなったらしい。
セナを最後まで、可愛がり散歩させるのが大好きで「人語を解す」とまで言っていたから、わたしが「飼うよ」と言ったら、「絶対シェルティだ。」
子供のようなおぢさんであります。
セナを助けるとか、ロッテのサブローとかサブウエイのサブとか山本周五郎の「さぶ」、サブファミリーだとか、いろいろ解釈はありますが・・・・( 聞いた人が)「又三郎だと思ったらえらい」とおじさんは言っています。
それにしても、北島三郎の名前はビッグでありますね。
写真はネットで知り合った米、オークランドに住むTさんの愛犬
Nov 02, 2005
サツマイモの花があると・・・
サツマイモの花があると、メールをくださったご近所の方と散歩をした。秋の日はやわらかい。
まだ、風邪がなおらない。
帰宅して、毎日一回の電話を母のもとにする。
母は最近NHKのドラマを見ているらしく、「北条政子」の話などしてますます知的になって(!)いたりする。
そして今日は、与謝野晶子だ。
「本棚にあったね」といい、「みだれ髪」から大正ロマンや夢二、「青鞜」の話になる。
こういう話が母の口をついてでるのは、最近はおどろかない。
いつの間にか、石牟礼道子などの本を読んでいたりする母だ。
自分の頭で、考え始めているのがわかるので、ほっとする。
「いかなることがあっても、戦争はしてはいけない。
絶対、改憲はしてはいけないと言って、母は、電話をきった。
あちこちで、今度の内閣を「オットセイ内閣」と聞いた。
なんとなく、水商売風のキャリア・ウーマン達。
男社会と密通しているような女達は職場でも、ちょっとは見てきたが、上野千鶴子を批判したり、挑発にのる男がもしもいるなら、こういう女達を先に批判してもらいたい。
オットセイ内閣の性の馴れ合いはなんとも気味がわるいのだ。
サツマイモ話
サツマイモは関西のあたりでは、古くから栽培されていた。
それを北限の関東にまで広げたのが、青木昆陽。
もちろん背景には、一握りの麦を残すために餓死するような大飢饉があったのだが、このプロジェクトX(笑)には、徳川吉宗、大岡越前などがかかわっている。
昆陽はもとは経済学者であった。
関東はいまだに北限。
Nov 01, 2005
母と久しぶりにお茶を飲んで。
「犬を飼うよ」とわたしは言った。「49日過ぎてからと思っていたのだけれどね。ネットで、見つけて売れそうになったから。」
これからは、あまり子犬は生まれない季節だろう・・・・。
里親も考えたのだけれど、また、病気なんかだったら、財布がなくなる。
そういう、自分のエゴが嫌になった
だからセナと同じで、シェルティーのトライに決めた。
意外なことに、母は「へぇ。楽しみだねぇ」と言った。
父の仏壇にセナの骨がある。
三人の生活にもどって嬉しい、安寧な生活だという。
でね。名前は何がいいと思う?
母は嬉しそうに、「自分で決めりゃあ、いいのに」と言う。
小さなセナが、むかし落っこちた、階段のそばに眼をやって・・・
わたしは、なにもできない。犬の躾も犬の名前を決めたこともない。
ずっと考えている。
全集の欠本。
宮沢賢治全集をとりに、自宅へ行く。弟が入居するにあたって、新設した倉庫のなかにある。
邪魔者扱いは嫌だといつも思うのだが、狭いのでしかたがあるまい。
10巻を取りに入って、欠本があるのに気づいた。
あるいは、ダンボールが別なのか。
全集の欠本は許せない。
日を改めて絶対、整理をする。
わずかだけれど倉庫の中には、サイン入りの本や、もう入手できない全集もある。
本はあまり読まないのだけれど、こういう状態を見ると「欲」がわく。
もう一生読まないのだろうか。
わたしは蔵書家ではなく、ずいぶん寄付などもしたのだが、悋気なので高価な本はあげずにある。
たとえば友人の誰の家にもある、ヘルマン・ブロッホの「希望の原理」とか・・・(笑
ミシェル・フーコーは偉かった。
その師匠の、フィリップ・アリエスもさらに。
そこで、脳みそがちぎれた。
図書館で終日、重い本と向き合い、休み時間にも本を読まされたら脳みそはちぎれる。
まじめに思ったことは、シモーヌ・ヴェイユだって8時間労働だぞ!
わたしは学者ではないとはいえ、シモーヌよりきつい仕事をしているのだと・・・・。
以来、本といえば「帰化植物図鑑」とか、シーボルトの画集とか、椿の図鑑が愛読書だ。
後遺症はまだ続いている。
集中力がないうえに、眼が悪くなっているので、もう一生読まないかもしれない。
「校本宮沢賢治全集」は、発刊された時に買った。
今日その歳月がつけた、黄ばみに傷ついた。
貴重な「トーマス・マン」全集も、もう開かないのかな~。
Oct 30, 2005
Oct 29, 2005
ヒメサユリとミスミソウの土をつくる。
ツバキの実験は、まだ可能性があるらしい。昨日にひき続き「土」をつくる。
通称ユキワリソウだが、本当の名前は「ミスミソウ」だったり「スハマソウ」だったりする。
土は初めての名前ばかり。
こんなに神経質につくるのは「売れる」からだろうと穿った見方をしてしまう。
一芽数千円、ならぬ一万円などごろごろしている世界だ。
植え替えをして、ひとごこちして、外を見たら雨だった。
ずっと週末は天気が悪いじゃないか・・・・。
日記みたいになっちゃったね・・・と電話でおじさんは言った。
日記だもん。ナニを期待してるんだろう。
そういえばラブホ話で、反響があった。
もうひとつのラブホ話をしよう。
こっちは酔っ払って、女三人で泊まった話。
ラブホというより、旅館だった。
終電を飲んでのがした。
女三人で泊まらせてくれるだろうか?
これが最大の問題だった。
「無理よ」A美が言った。
「聞いてみよう」S子が言った。
S子の勤務先の近くの旅館だ。
そして「つげ義春にでてくるみたいな、おばあさんがいる」と言った。
疚しい気持ちでやっと聞いたら、OKだった。
真夏の熱帯夜に、外ですごす馬鹿はそうはいないだろう。
あんまり交渉が簡単だったので、三人は浮かれてしまった。
布団を敷いてくれて、「喘息だから、ここで寝たらいいよ」とA美は言ってくれた。
もちろん、眠るつもりだった。
だが、ふたりは「はい」とグラスをくれた。
意思が弱い・・・のが分かった。
三人で、宴会になってしまったのだ。
そして、しばらくして飲むものが絶えてきたころ、ついに「お客さん、隣はいるんですよ」とつげ義春に怒られたのだった。
Oct 28, 2005
天気がよいねー。
セナのことが、こころのどこかにひっかっているのだろう。気分が浮かない。
カメラは持ったが、まだでかけない。
何をしたかというと、ミズゴケをすりおろしていた。
弱ったミスミソウ(スハマソウ)の植え替えをするのだ。
乾燥を嫌うので、鉢底にミズゴケを入れる。
しかし先週たのんだ土がまだ来ないので、作業は進まない。
いろいろあったので、へっぽこさんに連絡をしていなかった。
久しぶりに会いたいなぁ。
そういえば、へっぽこさんの息子は、今年ベニバナ栽培をしてTVにちょっとだけ出たという。
それを聞いてわたしは、今年の種をしっかり取って来年は、1メートルくらいに育てようと決心した。
世間には背の高い花が少なく、歪性種が多いからだ。
すでに「ヌバタマ」(ヒオウギ)も植えた。
「また、おまわりさんがくるぞ」と、時々脅かされる。
夏に「わけてください」と言われたもののトップは「ホテイアオイ」だった。
結局6人になった。
金魚やメダカも入っているのだが、うすいハイポネックスを入れたのが正解だったらしい。
株も増え花もまだ咲いている。
残念だったのは、メダカがたまごを産んでいたのにどうしていいかわからなかったこと。
分けた弟の水槽では20匹くらい孵ったそうだ。
Oct 27, 2005
C大の前は駅前です。
C大の前は駅前なので、当然タクシー乗り場がある。「薬草園」の管理をしているおじさんは、二人代わったが一人は長く勤めていて、わたしが通っていることも重々知っているから、たまに花などを切ってくれる。
今日はそんな日だったから、荷物が多くてタクシーを使った。(贅沢だねー)
犬のときにお世話になったのは、隣の駅のタクシーだから運転手さんは違う。
それなのに、「ああ・・・」と言うのだ。
びっくりした。
すると、「去年もここからタクシーに乗った」ということらしい。
そのときにわたしは、モミジの種の話をしたのだ。
運転手さんは、そんな話は聞いたこともないので、わたしのことを覚えていた。
一年後もそんなことをやっているわたしは、実に進歩がなく、これからの球根植えや種まきに、うんざりし始めているのでした。
Oct 26, 2005
秋は、紅茶がおいしい。
昨日、母のところにネットで知り合った人が送ってくれた蕎麦をわけた。
長野の蕎麦はうまい。
最近になって、しみじみそれを知った。冷たいお蕎麦はとくにだ。
昨日は夕方になって、ようやく店屋ものの、みそラーメンを食べた。
やっと温まったと、話していたら母が突然「最近のもやしはきれいね」と言った。
そういえばそうだなあ・・・。
同級生のYちゃんの妹さんが、もやし屋さんの社長夫人になっていた。
もやし屋さんの景気なんかは、わからないけど「しょっちゅう海外に行っている」らしい。
「おおきくなったら、○(弟の名)ちゃんのお嫁さんになる」と言っていたマセた子だった。
そのついでにカイワレの話がでて・・・・・。
話題は、カイワレの話になった。
「あまり見ないなぁ」とふと思った。
転じて、最近知り合った人の、携帯の電話番号が4949という末尾だった。
「あまりいい番号ではないんですが・・」営業には確かにむかないだろう。
だがとっさにわたしの頭に浮かんだのが、0157という電話番号だった。
そのおばさんは、たまたま知り合っただけだが本が好きなので話題が合った。
パトリシア・コーンウェル、サラ・パレツキー。
わたしの周囲では、かなりの人が読んでいた。
ハンバーガー・ショップで、わくわくとそんな話をしていたら、彼女は「電話番号教えるわ」と言った。
そしてその電話番号が、0157だった。
「家は墓石屋なのよ」
以来、わたしは、この人のファンになった。
昨日、母のところにネットで知り合った人が送ってくれた蕎麦をわけた。
長野の蕎麦はうまい。
最近になって、しみじみそれを知った。冷たいお蕎麦はとくにだ。
昨日は夕方になって、ようやく店屋ものの、みそラーメンを食べた。
やっと温まったと、話していたら母が突然「最近のもやしはきれいね」と言った。
そういえばそうだなあ・・・。
同級生のYちゃんの妹さんが、もやし屋さんの社長夫人になっていた。
もやし屋さんの景気なんかは、わからないけど「しょっちゅう海外に行っている」らしい。
「おおきくなったら、○(弟の名)ちゃんのお嫁さんになる」と言っていたマセた子だった。
そのついでにカイワレの話がでて・・・・・。
話題は、カイワレの話になった。
「あまり見ないなぁ」とふと思った。
転じて、最近知り合った人の、携帯の電話番号が4949という末尾だった。
「あまりいい番号ではないんですが・・」営業には確かにむかないだろう。
だがとっさにわたしの頭に浮かんだのが、0157という電話番号だった。
そのおばさんは、たまたま知り合っただけだが本が好きなので話題が合った。
パトリシア・コーンウェル、サラ・パレツキー。
わたしの周囲では、かなりの人が読んでいた。
ハンバーガー・ショップで、わくわくとそんな話をしていたら、彼女は「電話番号教えるわ」と言った。
そしてその電話番号が、0157だった。
「家は墓石屋なのよ」
以来、わたしは、この人のファンになった。
昨日は忙しかった。
風邪なのに、出かけて「ジュウガツザクラ」を撮りに行った。ちっとも咲いていなくてがっかりしたが、そこで歩いたのが失敗だった。
昼にはぐったりしてしまった。
午後は病院と、郵便局と区役所にいかねばならなかった。
その前に、しなくてはならなかったこと。
タクシーの会社に、お礼を言う。
電話をすると、いつもの無線の女性がでた。
「亡くなりましたが、大変お世話になりました。」そういうとすぐ、「ああ、ワンちゃん」と反応があった。
一ヶ月あまりの往復だから、かなりの運転手さんにお世話になったことになる。「ご丁寧に。」という言葉に続いて「おとうさまにもよろしく。」と言われた。
わたしは、おじさんの娘になった。(爆)
次は、郵便局だった。
紛失した通帳の作成。そして通院。
母の家のそばの、診療所は、なかなか親切で、担当医がかわったにも、かかわらず快く風邪薬を出してくれた。
軽い糖尿病の管理で通院しているのだ。
糖尿病っていうのは、かなりかっこ悪いが、父からの遺伝もあるんだそうだ。
空腹だったし、これだけ動いたら、すっかり風邪は悪くなった。 母は以前より少し、しっかりしたように見えた。
犬のお骨がもどってきたので、落ち着いた。
毎日、もう危ないという言葉を聞くのが嫌だったと。
Oct 25, 2005
つばきの三倍体の実験。
三倍体のつばきの実の、発芽実験は失敗したようだ。毎日のように見ていて、先週「発芽しない」というのもアリだなと考えた。
もちろん発芽の条件を、整えられなかった可能性もあるけど。
悔しいなー。年に一回のチャンスを。
Oct 24, 2005
うむぅ。少年法・・・・。
少年法のもとで、死刑判決がでた。なぜだ?
司法試験を落ちた友人三人に聞いたが・・・はて?
司法試験の範囲には、少年法はないんだそうです。
死刑廃絶の方向に世界は向かっているのに、なんだか最近死刑が多い。
少年法については、独学しまする。
風邪をひいた。
カラオケに行く前からおなかをこわしていたから、もうそのときには風邪をひいていたのだと思う。昨夜は、早寝をした。
エリック・クラプトンのDVDを見ていて寝ちゃったのだから、よほどだったのだ。
よって朝は、早く目覚めた。
風邪はちっとも良くなっていなかった。
最近は、セナのことで貧しい食事をしていたので風邪もいごこちがいいらしい。
というわけで、外の片付けは後回しにして、種の選別をすることにした。
種まきは全部、春だと思っていたら、今が適期のものもあるらしい。
先日あわてて「チングルマ」の種を撒いたら、もう芽が出てしまった。
この種は北海道産だったので、起きてしまったのだ。
業者には二通りある。
「取り撒きですよ」なんて、すましていう業者と、「関東じゃ今頃ですよ」と言ってくれる業者。
去年も迷った・・・。
しかし、学習しないなあ。
発芽の瞬間は嬉しいのだけれど。
ムカゴメシを放っておいたら焦げちゃった。
昔、白州正子が作っていたなあ・・・・でも、これはそんな上品なものではない。茶飯に、お芋がのった感じで(まんまじゃん)まぁおいしかったし、煮たのは食べちゃったから・・・・また、流離う。(爆)
でも、わたしは料理は好きではない。
椀は深川のお気に入りのです。
Oct 23, 2005
昨夜はカラオケを6時間もやったーっ!
お友達のような親戚の子をさそって(彼もまた、セナのお見舞いにきていました。「僕、あっていてよかったよ」と言っていました)お互いカラオケで、世代間の交友をはかろうとしたのですが、「やっぱメッセでモーターショーに行く」と振られました。この「セナ追悼メモリアル・コンサート」の企画は誰あろう、おじさんでした。(うう。いいやつだ)
6時間の濃さは、なんと書いていいやら・・・。わたしが究極の93点を出したこと。
ウッドストックのように、裸族にならないだけで、ソファーの上で飛んだりはねたり。(爆)
ま、おじさんは途中でぐったりしていましたが・・・・。
実はこれは、カラオケダイエットと密かに名づけているのです。
痩せないけど。
店を出るとすでに12時を回っていました。
そとはいつになく、濃い霧です。
出来立てのマンションの、踊り場の明かりだけが点っていて「あの後ろで、キングコングがウィンクしてるのよ」と言うとおじさんは、笑いました。
おじさんは子供のときから「ゴジラ」ファンで、追いかけられる夢を数え切れないくらい見たのだそうです。
そういえばロッテ、阪神戦が10:1。
亡くなった父が知ったら喜ぶだろうな~ぁ。
写真を見ると泣きますが・・・大丈夫。
母が「どうもありがとう。ごくろうさま。」と言ってくれました。「おかあさんは、やっとわかったの。人は死ぬっていうこと。」
日も夜も明けず、泣いていた頑是無い母の一年の結論でした。
「お骨になった犬は、庭に埋めるよ。」
「墓参りにそうは行けないし。チロもいるし。」
「そうだね」身近なところがいい。
焼き場で5000円の「懐刀」を思わず買ってしまい、墓苑を見たわたしは、この聡明な結論に納得しました。
休暇をとって駆けつけてくれたおじさんは、「ペットの最後なんて、なかなか出会えない。喋れないんだしぺこを待っててくれたのかもしれないよ。」と言ってくれました。
ペットを焼くのは、絶妙な温度なのだそうです。
低くしないと骨が残らない。
セキセイインコを焼いたときが大変だったそうです。
セナは、歯も爪も喉仏も、ちゃんとありました。
母は風邪をひいていて、火葬場には行きませんでしたが、弟も搬送してくれ秋晴れの日でよかったなと後で思いました。
Oct 20, 2005
Oct 19, 2005
ぐったりしたセナを病院に連れて行き、ぐったりしたセナを家に連れて帰る。
家で看取ろう。
それだけ。
スポイトで水を飲ませ、二時間ごとに体位を変える。
朝まで。
心臓のせいで、足はむくみ、点滴で傷だらけ。
でもさ、今朝はおしっこをした。首をあげようともしている。
飼い主は昨夜から、菜の花弁当を探し続けている。
だが、彼はそれも食べたくないのだ。
家で看取ろう。
それだけ。
スポイトで水を飲ませ、二時間ごとに体位を変える。
朝まで。
心臓のせいで、足はむくみ、点滴で傷だらけ。
でもさ、今朝はおしっこをした。首をあげようともしている。
飼い主は昨夜から、菜の花弁当を探し続けている。
だが、彼はそれも食べたくないのだ。
Oct 18, 2005
ねえ、べんじー。
今日は、あの子がやっと来てくれたよ。犬の顔をじっと見ていた。
運転手に気を使うこともなくて、とても助かった。
忙しいっていつも応答のない電話だけど、べんじーがかけるとあいつは違うんだ。
あの子は若いうちから、身内には冷たい。
せっせと海外に行っても、奥さんは家にいる。
「欲張り」ってわたしはときどき思うよ。
わたしは、犬に見つからないように、ずっと泣いてた。食べるものは食べてたけど。
犬はなにも食べずひたすら寝ていた。
散歩も食事もなしで。
そして朝には失禁をした。
少しばかりのうんちをした。
ちゃんと場所をかえて。
掃除は悲しかったよ。
入院をさせ帰ってくると、つたやでかりた小田和正が歌っていた。
べんじー。身内ってなんだろう?
今日は一日泣いてるよ。
Oct 17, 2005
セナの具合が悪い。
セナの具合が悪い。非常に悪い。
この数ヶ月は、どんどん悪くなってゆく過程を見たようなものだ。
最近出てきた不整脈もすでに、薬だけでは安定せず「いつ、何があってもおかしくない状態だ」と医師はいう。
わたしといえば動転して、携帯をパーカーのポケットに入れたまま洗濯をしてしまった。
新しいものを、買う手続きに3時間もかかった。
わたしは犬が待ってるの・・・・もう歩けない犬が。
Oct 16, 2005
セナのこと。
昨日は、セナの具合が今迄で一番悪かった。食事を摂らない。
横たわったまま、荒い息をしている。
ジャーキーから焼き鳥、プリンまでやって鼻先で臭いをかいでそっぽをむかれた。
いかにも苦しげで、なすすべもなくやっとポカリスエットとコーンスープを薄めてスポイトで飲ませた。
非力な飼い主は、鼻先にだすものをあれこれ考え、買いにいっては拒まれ涙するだけだった。
おでん種もいろいろ買ってきた。
そしてやっと食べてくれたのが、「ちくわ」であった。
食べたらぐったり寝る。
空調を整え、寝ている時間に、約束していたカラオケに行った。
へっぽこさんは、また会社の事情でこられなかった。
ダイエットカラオケと名づけて、のっけからストーンズを三曲。
これはストーンズのコンサートに、一生懸命行っていたおじさんには大うけであった。
今回の収穫。中島みゆきの「キツネ狩りの歌」が歌えそうなことと、小田和正の「さよなら」に挑戦したこと。
「イパネマの娘」がややよくなったこと。(得点には結びつかない)
チキンライスやおにぎりを食べたので、ダイエットはならず。
サランラップを巻いてくるといいなどと言われた。
セナは夕食には禁断のビーフジャーキーを食べ、散歩(トイレ)にはやっと行く。
何回も抱いて、これからあと何回抱けるだろうなんて考えて、また涙するあほな飼い主である。
Oct 15, 2005
セナとよく遊びに行った公園を過ぎ、大通りを渡ると道路の中心に穴をほり、その周りに計測器があるのに出くわした。
作業員が数名いて、計測器を守るように立ちはだかっている。
天沢退二郎さんの家の人がそこにいて、なにやら指示をしている。
「あ、増築するんだ」と思うが、マンホールの蓋があったり、道路の中心だったりするのが納得がいかない。
そのまま帰っていくと、途中で自転車にのった天沢退二郎さんに出くわす。
会釈をすると向こうも目で会釈した。
今朝の夢でした。
作業員が数名いて、計測器を守るように立ちはだかっている。
天沢退二郎さんの家の人がそこにいて、なにやら指示をしている。
「あ、増築するんだ」と思うが、マンホールの蓋があったり、道路の中心だったりするのが納得がいかない。
そのまま帰っていくと、途中で自転車にのった天沢退二郎さんに出くわす。
会釈をすると向こうも目で会釈した。
今朝の夢でした。
ホトトギス・子規
ホトトギスは日本原産がおおい。昨夜の某新聞では11種とあったが、牧野では7種。
野草大図鑑では9種。
これは亜種があるためだとおもう。(シロバナやベッコウホトトギスなどはでていないから。)
このホトトギスという名前には二説ある。
花の斑がホトトギスの羽の模様に似ているからというのと、「鳴いて血を吐くホトトギス」からきたものと。
牧野は前者の意だと書いている。
ところで子規とはホトトギスの異称で、正岡子規は結核で喀血した自分を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えてその名をつけたという。
そうすると二説とも捨てがたいのだ
いまホトトギスは家には4種あるが、先日春先に挿し木をすると簡単に着くのだと、花屋に聞いて唖然としているところ。(←タネから育てた。)
Oct 14, 2005
「ラブホ」のこと。
おじさんは休みの日に、セナのお見舞いに来る。お世話になりっぱなしなのだ。
先週、セナのお迎えのときに、駅前にあるラブホの前を通った。
隣はセレモニーホールである。
古い記憶がよみがえった。
あのね。わたしここに泊まったことがある。
○○さんのお店で、泥酔した若いサラリーマンを拾ったの。
お店が終わりになって、そいつは歩けないくらい酔っていた。
わたしは、失恋話を聞いていて、ふたりきりになった。
しゃくりあげている坊やを、どうしていいかわからずに、そのラブホに入った。
ベッドの横で吐いているのを尻目に、わたしはフロントに電話をかけた。
「今、お金がないので、明朝銀行に行きます。
人質は置いていきますから。」
電話の向こうで笑い声がはじけた。
ムカゴ発見。
毎朝、セナをタクシーで病院に送る。帰りはバスだったり、歩きだったり。
距離はちょっとある。
そこを歩くのも飽きて、新しいものの発見もつきている感じになっていた。
しかしまた、ノブドウを撮っていて、むかごを発見。
常時、持っているビニール袋(三角コーナーのです。)に摘むとかなりいっぱい集まった。
むかごを食べることは、近所に住んでいた山梨出身のおばあさんに教わった。
かるく、甘煮にする。
あるいは酒と塩で炊き込む。
わたしは、このおばあさんに、実にたくさんのことを教わっている。
こどもを真剣に相手にしてくれたことに、いまさらながら感謝している。
作ってもらった真綿の半纏は、いまだにある。
昔の女の仕事を楽しんでやっていたような人だった。
さて、むかごである。
チャットで知ったのだが、姫路の方では朝売りに来るという。
結構、買う人もいるらしい。
こんな小さなものにも、野趣があるのはうれしい。
Oct 13, 2005
アオギリ話 part2(いつの昔?)
去年、おじさんをつれて撮影に行った。おじさんは、まだまだ修行中の身であるが「床屋談義」が好きだ。
そしてアオギリの前に来た。
「あ、アオギリだ。」
そういったときに玄関から、年配のおばさんが出てきた。
「そうなんですよ。だから切れないんです」とおばさん。
「昔は女の子が生まれると、植えたんですよね」とおじさん。
「そうそう、下駄なんかにもね」とおばさん。
今年行ったら伐られていました。
桐とアオギリは、ぜんぜん違うのです。
「璧梧」(アオギリ)という字
C大の農園で、もう全部「冬支度で刈ってしまうよ」と聞いてヒオウギのタネだけは欲しいと、駅から歩いていった。すると自転車やさんだったところに、チャイニーズ・フードのお店ができていた。
ザーサイ一袋170円。(桃屋はもっとびびるがよい。)
「ちまきもおいしいよ」と奥からでてきた子は、かわいらしかった。
「中国語はお友達をつくると、覚えるのがはやいよ。」なんて話から上海の大学にある木が、C大の周りにもいっぱいあるのでうれしいと言った。
「トウカエデ?」「アオギリ?」
彼女は、さっと辞書をだした。
答えはアオギリだった。
それから言葉の糸がほどけて、土地の歴史の話しをした。
愛新覚羅 溥傑邸のことまで話したら、彼女の顔が赤らんだ。
彼女にしてみれば、どきっとするようなことだったのだ。
アオギリは、戦後の大学なんかでは良く植えられたのだろうが、同じような発想で中国でもそうだったのかもしれない。
あるいは、逆もまた真なりということか。
アオギリは日本にも一部自生があるようだが、東南アジア原産とする。
街路樹はそれなりに、強くなくてはいけないとして1907年(明治40年)に林学博士 白沢保美、子爵福羽逸人によって選ばれた街路樹は、 スズカケノキ、イチョウ、ユリノキ、アオギリ、トチノキ、トウカエデ、エンジュ、ミズキ、トネリコ、アカメガシワ 。
東大にある木はこれを網羅している。
排気ガスなどに強い、ケヤキはその後に入ったらしい。
璧梧は、河東壁悟桐のもとになった漢字だと思われる。
Oct 12, 2005
つばき、ごろごろ。
小さい椿や、種から鉢上げした(多分、ヤブツバキ)ツバキ。去年買った小さいものも、日照が原因で少し死んでしまった。
いいんだ、一生のうちに大きくできる気にいったものに出会うまで(笑)
ツバキの三倍体の実験は、生物学の先生も注目してくれてる(?)ようで、励ましのメールが来た。
彼はスイバでやっているが、わたしは「木」だっ!
このハンディは埋められないが、こちらは趣味の世界だものね。
でも、毎日種の入ったミズゴケを覗いています。
三倍体の実験は来年もやろうとしていて、種のできやすい三倍体のツバキ・・・・買おうかしら?
三倍体などの説明にいいサイト見つけました。
http://web-seisan.agr.ehime-u.ac.jp/dr.yamaguchi/CamelliaPolyploidy/Whycamelliabreeding.htm
園芸家の喜び・・・休眠。
植物の休眠というのはすごい。今年は、アネモネ属の休眠におどろいた。
もう駄目だと思った頃、芽がでてくる。
花が咲く。
それを発見すると、絶望から歓喜という感じになる。
今、休眠中のアネモネ属はアズマイチゲ(mitsui K&Tさんから戴いた)ニリンソウなどがあり、さらに外来の園芸用のものがある。
これは根茎がみえているので来春も期待できそうだ。
とにかく植物は休眠中は、わずかな水だけでいい。
本当にわずか。
いわば仮死状態なのだ。
でも、それはわたしにとって、ツタンカーメンがよみがえったみたいな感じだった。
鉢植えで夏を越すとか、冬を越すとかは初めての経験だったから。
セツブンソウは、タネを撒いたまま消えてしまった。
やっぱりである。
春向けの球根を植えている。
いつも風邪気味のときに、球根やタネが「植えて、植えて」と騒ぎ出す。今日は、バイモと黒百合。
終わったと思ってはっと、気付いた。
ユリ科は結構、深植えでもいいのだった。
ふぅ。初級者はこんなもんだ。
去年はササユリを咲かせた。
こちら(関東)では、花屋でも見られない。
玄関先に出したが、ちょっと得意だった。
そのあとの球根の管理を失敗したので、今年も買うことにした。
ササユリの分布も、中央構造線で分かれる。
関東はヤマユリ。
したがって、万葉集などに出てくるユリはササユリということになる。
古典の風景が、こんなことで変わって見えるのはおもしろい。
来年はさらに、タメトモユリを予約した。
ヤマユリの亜種で、伊豆方面にあるのを栽培したもの。
ついでになるが、さいぐさ(さえぐさ)というのはユリのことだそうである。
Oct 11, 2005
稲村ガ崎まで。
ノブドウを撮りたくて、ずっとようすをうかがってきたのです。それでも、なかなかいいのがなくて、ちょっとのつもりで鎌倉へ。
極楽寺のそばのを、と思っていたのにそこは切られてしまっていました。
海も見られるし稲村ガ崎まで・・・。
鎌倉のすごいところは、ノブドウのようなものが縁先にあったりするってこと。
でも、一世代が終わると、庭のない大きな家が建ってきているようです。
奥が深いところだったのに、なんだか違う。
由比ガ浜の行きつけだったレストランの、おばちゃんが元気なのでほろり。
ケーキもコーヒーも、昔より美味しかったです。
液もれ
セナを引き取りに行ったら、点滴の液漏れ。
前足がはれて立ち上がれない。
たった十五キロの体で、前足から肩まではれるまで気がつかないとはどういうこった。
セナは今でも食事できないぞーっ。
Oct 09, 2005
セナは・・。
セナは、発作のようなものを起こして動かなくなり、救急で病院に入院。酸素部屋(セナ用にいつもあるんだって!)に入りました。
発作様のものは、病院に着いたときは収まりかけていましたが、高熱がありました。
わたしは、脳梗塞か、心臓を疑っていましたが、先生は癌のことを気にしていました。
関さんが前に仰ってた人工呼吸は、拒否されてしまいました。(-_^:)
Oct 06, 2005
毎日、犬にかまけていると・・・ツライ
今朝は、セナは高熱が出たようだった。ぐったりしていた。
そして、わたしは病院に行く元気がない。
ようやく奮立たせて病院に行った。
帰りはカメラをもって、ゆっくり歩いた。
今の時期の野の宝物。
ノブドウ。あの賢治が愛したメクラブドウだ。
セナが急遽入院!
Oct 04, 2005
毎日、セナを病院へ。
わずかに頑張っている腎臓を応援。
尿毒症というのはつらそうだな。
おととい、スーパーの前を横切って八百屋に行く途中に「すみませーん」と呼び止められました。
「ん?」
「なにか?」と思ってむきあったら、彼女の 視線が肩越しに「あ、あった。」「ありました。」 産婦人科でした。 わたしのおなか、そんなんです。ぶひ。
わずかに頑張っている腎臓を応援。
尿毒症というのはつらそうだな。
おととい、スーパーの前を横切って八百屋に行く途中に「すみませーん」と呼び止められました。
「ん?」
「なにか?」と思ってむきあったら、彼女の 視線が肩越しに「あ、あった。」「ありました。」 産婦人科でした。 わたしのおなか、そんなんです。ぶひ。
Oct 03, 2005
もう、どうしよう。
ツバキの種の寝床を大きな、プランターで作っていたら、春に頼んでおいたボタンが10本ほどとどいた。オーマイゴッドです。
しかたなくボタンをそこに植えたが、底の深さなんかはどんなもんだろう?
休眠中ということか、土もつかないで来た。
初めてのことばかりで、本当に驚く。
それでも、実生ツバキの実験は絶対やるもんね。
金ペ○堂の親爺いわく。ってCMがあったなぁ
動物病院からカメラを持って、帰ろうとしたら突然、メガネのレンズが落ちました・・・・!!!
メガネはいつもお茶の水の井○眼科です。
わあ、どうしよう!。
駅から、通勤していたときのように電車に乗って御茶ノ水。
メガネやさんに。
その後、十年以上使っていた万年筆の変わりも買いました。
金ぺ○堂です。
ここの万年筆は、結婚式のお祝いなどにも使いました。
頼んだペンは廃盤、今はウォーターマンが近いというので、早速。
実は、すごく高価なのも持っているのですが普段使いのがほしかった。
それから・・・・。
本屋にも行きませんでした。
本当に興味がなくなった。
明治のマロニエの木も、なかなかよい感じになってきました。
このあとわたしは、園芸店に二箇所も行き、美容院にも行ったのです。
Oct 01, 2005
今年の秋は一瞬で終わりそうだが、
今年の秋は一瞬で終わりそうだが、夏からずっと集めた種が3年分くらいになってしまった。そこへタキイから、また今日きた。
好みのものだけじゃなく、面白そうなものまでやるから3年分になるのだ。どれくらいの広さの3年分だろう!今の「庭」の四倍くらい。
採ったり、買ったりしているうちはどんどんビンのなかにより分けていく。
「絶対撒く分」「撒いてもいいかな?」「まあまあ好きにして」くらいのビンで。
ビニールに小分けにするが、発芽率は、保障の限りではない。
でも、それに木や球根がはいるのだ。
整理していて、われながら呆然とした。
ツバキの種の実験だってする。
ケーキと交換にもらって来た貴重な種だし、大賀ハスだって待機中だし、プロテアも。
第一オダマキだけで十種類以上あってどうする?
母に電話をする。
預かって!
そう叫ぶ以外ないではないか。
Sep 30, 2005
動物病院から2
いつもと違った道を帰ろうとした。シベハスを連れている人が、いた。
ひさしぶりにシベハスを見た。
クズの葉のからむガードレールの横を通っていった。
前に短パンの男の人が見えた。
なのに、行き着いたところは行き止まりだった。
あの人はどこに行ったのだろう。
引き返して、バスを待った。
待っている間に、踝のうしろがひやっとした。
鳥のふんでもかぶったのか?
くるりと回るとまた、足に冷たいものが・・・・。
バッグの中の「生茶」がこぼれていたのだ。(爆)
動物病院から。
腎臓の数値があまりにも悪いので、一昨日入院したセナが、病院の食事をまったく食べないというので、医師の了解を得て連れてきた。持続点滴をちょっとだけ中断して。
家に着いたら、ササミジャーキーを一生懸命食べて、キャベツも食べて、アジの干物も食べた。
セナは神経質なのだ。
今朝はセナを再び病院に連れて行った。
毎度なので「ワンちゃん元気ですかぁ?」なんて言ってくれるタクシードラーバーさんも、そろそろでてきた。
タクシーを毎度呼んで、セナを乗せるのは結構神経をつかう。
箱に入れて運ぶのだか、吠えたりしないもののカーブなんかで揺れると、ばたばたする。
「犬がいます」とちゃんと言ってるのに、不服そうな運転手さん。
静かに運転してくれる人もいるけど。
今朝は、わたしも虫の居所が悪かった。
降車時にダンボールをずるずるひきずっているとき、ばたばたと犬の毛は嫌いな人もいるんで・・・とやりだし、「ガムテープ持っておいでよ。安いんだし」としつこく言い出した。
はいはいと言いつつ、病院の玄関をみたら能弁な医師が見守っていてくれていた。
わたしは若いときハイヤーの運転手を、怒鳴りつけたことがある。
「いやあ、びっくりしたよ」経理のおじさんが、言った。
老人ホームに行く、おばあさんの荷物を、そのハイヤーの運転は持つのをしぶったからだ。
持ってくるのは、行李ひとつと施設の人は言った。
どれだけ悲しい思いをしていただろう。
そうやって詰められただろう荷物を、大切に扱わない。
だから、腹が立った。
わたしにできることは、そういうことだけだったかも知れない。
動物病院の帰り道、最近見つけた乾物屋でキャンディーをたくさん買った。
乾物屋さんは不便なところにあるが、しっかりしたものを売っている店だ。
「ワンちゃん、どうですか?」
「末期なので・・・。でもいなくなったら父がいなくなるような気がすると思います。父がかわいがっていたので」主は顔をくもらせた。
もう、それだけで充分だった。
わたしにとって特別なものが、他人にとって特別とはかぎらない。
そういう見方をしようと自分を支えているからだ。
死は本来個人的なものだ。
そんな思いで帰ってきたら、昨夜セナと一緒に寝たからか熱がでた。
Sep 28, 2005
大げさですが
大げさですが、みんなの健康を願って植えておいたオケラの花が切られてしまいました。ナツロウバイも枝を折られ、朝顔のネットもはずされ、鉢もひっくり返されたみたいで、もうたまんない。
落ち込みます。
セナがあまり動かないので、病院に行ったら腎臓の数値がひどかった。
尿毒症ですね。
がんの治療はストップです。
負担が重過ぎる。
こういう選択ってつらい。
一緒にすごす時間の、カウントダウンが始まっているようです。
Sep 27, 2005
ツバキの実を集めてわからなくなったこと。
ツバキの実は4種類になった。いずれもピンク、白、赤と単純なものだ、
昨日は公園のをひろって、ポケットにいれたらまぜこぜになってしまった。
わたしはこういうことをを、結構やる。
なんだか今日ははげしくだるい。
犬も一日どんよりと寝ている。
賢治の異稿など読む・・・が老眼がっ!
Sep 26, 2005
ピンボケ、昭和の人
以前は鎌倉の町を走り回った。
ラーメンならあそこ、中華ならあそこ、ピザなら・・・というくらい町のそこここを知っていました。
若い人がいっぱいいて、不思議な店がありました。
今回はちょっと、巣鴨っぽいなんて思ってしまいました。
若宮大路なんて、ぴかぴかのお店が多くて。
昔はおばあさんのやってる鰻やがあって、堀辰雄が来たとかそんな話しを聞きました。
こまごました店とは消え、今は鎌倉ってお寺の周囲しかないみたい。
地の魚もみませんでした。
今日は、疲れちゃった。
これくらいで疲れるなんて!
Sep 25, 2005
後藤田正晴という人
その昔、福祉関係の法の陳情で国会議員の部屋を訪ねたことがあった。わたしは国会議員の顔なんて知らないし、その人がナニ党かすらわからない。
紹介議員はいたけれど。
そのなかで、すきっと話がとおる議員さんがいた。
唯一と言っていいほど見識があった。
これが当時は官房長官をしていた、後藤田正晴氏だった。
警察官僚ということで敬遠しがちなのに、この人はただならないという印象。
インテリだという印象を強く持った。
たった5分ぐらいの会話だったのに。
最近の議員は勉強してると思えない。
合掌。
http://www.tfcc.or.jp/govem/gotouda.html
Sep 23, 2005
歯ブラシを持って歯医者に。
交差点では、歯磨きしながら、歩いては写真を撮りながら歯医者に行った。地下鉄で、基礎体温を測ったり・・・・そんなことをしていても、「すんません」みたいな感じでやり過ごせる。
ただ、そういう時に、バッグの中を覗こうとする奴は、ゆるせないなー。
セナは、やばい薬でも。
セナは、やばい薬でもやったのではないか(爆)・・・・と思うくらい元気です。問題はいっぱいあるけど、騙し騙しいかないかしら。
昨日は、セナをあずけた帰りにホームセンターに行こうとして、三人に道を聞き、どの道を使っても行けなかった。
うそつきが三人なんてアンビリバボーです。(爆)
Sep 22, 2005
8000円の元気。
セナは元気になった。この間も点滴で元気になった。
だけど一日しか持たなかった。
置き針で、痛そうでもなくぴょんぴょん跳ねそうになる。
食意地がでてきた。
うれしい。
癌は進行してるのだけど。
朝8時半に病院にセナを連れて行った。
いつもの女医さんだった。動物病院って女医さんが多いなぁ。
セナは目をはなすとぐったりしていて、いつものように顔をなでると、泣きはらした目から涙がでたように目ヤニがある。
食事は見当もつかず、氷砂糖をあげる。
ショートステイで病院で全身管理。処置後、帰宅。
首なんか皮下注射で、打つところがないくらいぼこぼこ。
足の起き針で点滴。
「なんでもしますから、助けてください」気がついたら、そんなことを言っていた。
18年の記憶が一気にこみ上げそうになった。
Sep 21, 2005
スポイトでポカリスエットをあげて
ずっとスポイトで飲み物をあげている。医師に連絡するとポカリがいいのだと言う。
食事も全然とらないまま、おしっこが出ていたので散歩によろよろと出す。
階段の上りも下りも、持ち上げてあげないと駄目だ。
散歩コースを短くしようとしたら、動かなくなって見つめる。
こういう頑固さはうれしい。
帰宅したら、ふと思いついて「縮緬雑魚」をやった。
お腹がすいたのか、少しだけ食べてくれた。
スポイトを使うとき、やりかたがまずかったのか、顔をかまれた。
こんなことは初めてだ。
痛くて泣いて他の部屋に行ったら、セナは歩いて様子を伺いにきた。
申し訳ないといったふうだった。
家では寝たきりに近いので、明日は病院に行く。
今日は徹夜で、見るつもり。
腎不全も、癌もやっかいな病気だ。
人はごたごたになれていない。
もういいやとおもって寝た。朝になったらそれで、折り合いがついた。
どうでもいいや。
セナが食事をとらない。
このままで行ったら「老衰」だ。
せめてと、氷砂糖をあげる。
肉はいけないので、肉からとった出汁をセナの好きなうどんにかける。
セナがどうにかなったら、ますますどうでもよくなっちゃうじゃないか。
Sep 20, 2005
ごたごた
弟の会社が、大変なので、わたしはなけなしのお金をかした。退職金である。
わたしは何度か催促をした。
昨日かえってきた答えは「恩着せがましい」「銀行から借りたほうがマシだ」。
わたしは、すごくがっかりした。
最初から銀行に借りればよかったのだ。
だいたい借金をしていたら、恩に着るものだと思う。
かえってくるかわからないなけなしの金を貸して、このていたらく。
わたしに何の罪があるのだ。
普通は恩人というのだ。
残金は母が払う。
この立替で、母は二重にはらうことになる。
わたしは、父の一周忌には行かない。
父も母も可愛そうでならないからだ。
本人は払えないだろう。
母は親ってなんなんだろう、と言っている。
兄弟付き合いはやめようかとさえ思っている。
Sep 19, 2005
セナの退院。
昨日、退院をさせた。胸に内出血もでき、食事は吐く。
ゆっくり振る尻尾がやっとみたいな感じだ。
腎不全のため、食べるものも制限されている。
抗がん剤の副作用のピークは、過ぎようとしているが腫瘍はちいさくなっていない。
ぼろぼろ。
家にいさせよう。そう思って退院させる。
それにしても、7万余。いったぁ~。外来でも1万円だけど。
Sep 15, 2005
セナのお見舞い。
毎日、病状を聞く。昨日は改善していなかった、電解質もろもろの数値はよくなったが、白血球数も減って咳がでる。
今後の治療方針について話し合いたいという獣医師の話で、とんで病院に行った。
セナはうろんとして、ケージに入ったまま点滴をしていた。
元気がない、やっと立ち上がった。
退院はのびるだろう。
母は昨日、夜半に二回もセナの声を聞いて目が覚めたという。
普段は鳴かない近所の犬かもしれぬとのこと。
わたしはここを通るとき・・・・。
本日は、歯医者の予約の日。時間調整で、遅い水撒きをしていたら、通りがかった二人の主婦に声をかけられた。
いつも「珍しいものを、どこで買っていらっしゃるの?」
「インターネットです。」
「あら、そうなんですか」
質問にこたえて、ひとしきり話して、わたしはマツモトセンノウを一株あげた。
すると二人はどんどん調子にのってきた。
あげく「わたしたちが、どうして歩いているかっていうと・・・」
パンフレットまで持ち出した。
○光教だった。
「わたしはここを通るとき、このお花に手かざしをしてる」のだそうだ。
「あ、医者にいかなきゃ」そうわたしがいうと、二人で「どこが悪いの?」
「歯医者ですっ!」
それを聞いて、がっかりしたような二人でした。
Sep 14, 2005
サイモンとガーファンクルのliveを見た。
頭はそれなりに薄くなっていたが、全然ト-ゼンなのでした。なんでこんなことを書くかといえば、オークションのカテゴリ、園芸の「苗」のところに毛根を強くするというブラシがでていて驚いたからです。
秋からツバキ、春からアサガオ
昨日は、わたしの通院の日でもあった。あまりいい検査結果ではなかったが、とりあえずはそれどころではなかった。
セナに後ろ髪を引かれて帰宅。
ずっと泣いていた。
今日になって、ついでにもらって来た「9条の会」の署名用紙と忘れ物を思い出した。
署名は母もやってくれたし、こつこつ頼もう。
朝、水を撒いて、カメラを持った。
ツバキの実の偵察。
実のならないはず木の、ツバキの実をもらう約束はしてある。
問題は時期。
ヤブツバキの一部はもう、実が割れている。
しかし、大きな花のツバキは咲くのが遅い。
だから実も熟すのは遅い。
もし発芽したら、当然遺伝子の撚れたツバキになるはずだ。
この実験は何年もかかりそうなので、命と気の長さが必要になる。
そんなことをずっと考えていたら「アサガオ」を、思いついた。
アサガオは、メンデルのえんどう豆みたいに一年単位だ。
変化アサガオなどはとても種類が豊富だ。
うむぅ。やらいでか。
そういえば、原坊のアサガオというのがある。
ブルーのアサガオだが、サザンオール・スターズの原由子が、なかなか妊娠しないので悩んでいた時、栽培して咲かせ、みごと身ごもったというので、そういう名前になった。
いまや子宝祈願の、アサガオのようになっているらしい。
実際に種もたくさん取れるのだそうだ。
子供の年と、アサガオの年が同じということかな?
*家のユウガオと思っていた、株はどんどん大きくなり、とんでもないのでタネができないうちに刈り取りました。南米の方のアサガオかも知れず。
Sep 13, 2005
セナの入院。
腎不全。血液中のカリウムの量が多いので、改善するまで。
人間だったら人工透析みたいなこと。
帰宅すると、火が消えたようなさみしさ。
話は飛びますが、先日のカラオケで加川良の「教訓」と「リリーマルレーン」を歌いました。
ドイツ語でこれを歌って下さった仲良しのT大教授は、父と同じ肺がんで亡くなってしまいましたが、歌の意味をわたしは知らなかったのです。
Sep 12, 2005
開票速報ε=Σ(´ )/ ケッ
開票速報で、こんなにまで自民圧勝というのは信じられない思いでした。おじさんに電話をかけると「日本人は馬鹿だ!」と言いました。
「わたしは、外国はもっといいの?」と聞くと「そうだ」といいました。
そうかも知れない。
友達は「わたしたちって、なんて狭い世界に生きてるんだろう・・・と思っちゃうわ」といい、周囲で自民党に投票しそうな人はいない世界を、共有している確認をしちゃいました。
それでふて寝。
セナは今朝、薬を飲みませんでした。
のどちんこが見えるくらいの、奥に薬を入れても「ぺっ」とはきだす。
そしてだるそうに畳のところで、横たわっている。
ただ、ひき肉の炒めたのと煎餅(これはかなり、いけないこと)は食べました。
いつものお医者さんは夏休みで、口と鼻がキムタクに似ている先生登場です。
明日は持続点滴を約束。
「セナよ~」
午後には、ポカリスエットとパン、肉団子、離乳食の買出し。
書店で久しぶりに、岩波ブックレットを買う。
高校の時は、結構岩波にお世話になった。
もはや岩波新書も、岩波文庫も並んでいないけど。
とにかく、セナよどれか食べてくれ~。
Sep 11, 2005
むむむむぅ。
午後からセナをつれて、やっぱり動物病院に行きました。点滴をして様子を見ましょうということで、帰宅。
でも、食べるのはささみジャーキーだけ。
横になって大儀そうに、こちらを見るつどあわれになってしまいます。
家にはレジャーシートを、敷き詰めました。
選挙に行って思い出したこと。
セナは、息遣いも荒く辛そう。朝食にいくら、とりのささみをいれても食べない。
ビスケットも拒む。
心配だ。
今日の選挙は、ほとんど開場と同時に行った。
暑くなりそうだからというのはあるが、昨日のカラオケ後、おじさんの家に行きレッド・ツェッペリンのDVDを遅くまで見ていた。
おじさんは、「やっぱりいいなぁ」と言い、ちょこちょこ話す会話はど忘れと、記憶違いで誰かが聞いていたら笑ってしまうだろう。
ジミー・ペイジはかっこ良かったし迫力もあったけど、わたしの耳は、わーんとなっていて、それが耳鳴りのようになり寝付かれなくなった。
そして早起きもしてしまった。
カラオケ+ツェッペリン効果だ。
そうして選挙のあと、母に電話をした。
「このへんは、お金持ちでもないのに、自○党だから、「えーっ」
お金持ちそうな家もあるけど、そうなんだ。
以前、東大の社会学の論文で、公○党と共○党の票田が、貧困層であると書いてあったのを思い出した。
ただ、共○党の方がやや知的であるのだそうだ。←わたしの意見ではありません。
貧乏人から、お金をとってはいけない・・・・とわたしは思う。
それで思い出したのは、数年前、職場で上司二名に「話がある」と言われ、ついていったら密室で「かわいくない」と言われたことだ。
当時わたしは、こういういじめに沢山あった。
公○党の上司に目をつけられたからだ。
「男ふたりで、卑怯な・・・」と第二弁護士会の弁護士は言ったが、こういうときは本当にどうしたらいいのだろう。
Sep 10, 2005
いそがしい。
昨日から食欲不振でおしっこをもらす、セナの様子が気がかりで、抗がん剤をのませて、病院に行きました。点滴を半日して、状態の改善をするのです。
肝臓と、とくに腎臓が非常に悪く体重の増加は、体内によけいにたまった水分だということでした。
治療は半日かけてゆっくり点滴をするそうで、検査値がわかったあとセナを病院に託しました。
わたしはその間に予約しておいた歯科に。
この歯科医をわたしはかなり信頼してるのですが、今日は、虫歯を、けずっていて「あ、でちゃった!」と、いきなり言ったのです。
次の言葉を待っていたら「神経でちゃった」だって!
この先生、腕が確かなので、「神経を抜きます」と言われたら、はいはいと同意しなくちゃひどいことになります。
で、はいはいと言ったら、結構な時間です。
昼食抜きだぁ~といじけていて、ひらめいたのがカラオケです。
カラオケ屋は病院と家の中間点という絶好の位置にあります。
よって、電話をすると、久しぶりにおじさん登場。
へっぽこさんは家庭の事情、だそうです。
まぁ、おじさんはクラプトンとニール・ヤングが歌え、好評だったので、嬉々としてきました。
最近は、採点の伸び悩みでくじけそうなわたしに、中島みゆきの好きなおじさんは「きつね狩の歌」など紹介してくれて、変化球もみせる余裕です。
がっ!わたしは、「じゃプロジェクトエックスの歌なら歌えるよ」と言いました。
「風のなかの~♪」ってやつです。はい。
なんと、それで91点!!
やなぎの下を狙って、もう一回。
すると92点。「二回目はうなぎがいたねー」なんて言われつつふたりで驚いたのでした。
セナのお迎えは、おじさんもついてきてくれました。「戌年なので犬が好きだ」といい、わたしは「アマゾンの~雪女ぁ~」とわけのわからないことをいい・・・・(はぢ)
セナは、まるで子供みたいです。
点滴ですごくしゃんとして遅い夕飯も完食。
でも、やっぱり抗がん剤のせいで、一回吐いたのだそうです。
今は尿漏れれ用のシーツは使っていますが、レジャーシートみたいのを買ってこないと、嘔吐などの広い範囲に対応できないかも。
それにしても、抗がん剤がんばれ~。
Sep 09, 2005
痒い痒い病
今日はC大の薬草園に行った。涼しいのでその気になった。
午前中に行ってお昼には帰ってくるつもりだった。
ヤブミョウガとシュロソウを撮ろうと思って、カメラを向けているうちに足が蚊でぼそぼそになっていた。
下を向いたら20匹くらいの蚊で、足が黒ずんでいた。
小学校の同級生で、美紀ちゃんという仲良しがいた。
法務省の官舎にいて、家に良く遊びに行った。
一番の記憶は、美紀ちゃんとトイレに入ったこと。
次がトイレの扉を、美紀ちゃんのお父さんに開けられたこと。
なんでこんなことを書くかというと、美紀ちゃんのお父さんは、かのイタイイタイ病で名裁判官といわれる判決をだした、その人だった。
噂では美紀ちゃんは京大に入った。
法学部ではなかったが。
蚊にまみれて、「痒い痒い」病なんてことを思ったのでした。
Sep 08, 2005
転倒記
わたしは、カメラを持ち出してからすごく転ぶようになった。十回はゆうに超えて、救急車に乗ったこともある。
委細はともあれ今までカメラが無事だったのは、わたしにナニかがついているのかも知れない。
で、今日は近所の愛新覚羅 溥傑邸を出るときだった。
普通の住居の門みたいなところにさしかかったとき、狭い道に無理やりのようにトラックが入ってきた。
それを確認して、すこし身をずらしたら、障害者用のスロープに躓いて倒れた。
転ぶのが、うまくなったと瞬間思った。
というのは転倒時の音で、カメラが無事かどうか見当がついたのだ。
打撲と擦り傷だったけど、すぐに起き上がれなかった。
トラックが止まる音がした。
運転手がくるのがわかった。
「かあちゃん、だいじょぶかっ!」
そういいながら彼は、わたしが立ち上がるのを助けてくれた。
去年、転んだときは、わたしより年齢がうえだと思うおじさんに「おばさん、大丈夫?」といわれた。
こういうことにまったく心の準備がない方が、不覚なのだね。
帰宅してみたら、カメラは三回、ぶつかった音がしたのに、三脚を立てる底の面に擦り傷がついていた。
「おじょうさん」と言われるより100倍もマシだけれど。
一夜あけて、思いついた。
スーツとか、いい洋服を着てると言われないんじゃないか・・・まあ、悪あがきですけど。
なつかしい~痛みだわ~♪
携帯を新しいのに代えた話は、さきに書いたが最近の携帯は(多分、老人向けだろう)文字が大きい。それはよしとして、着メロのダウンロードの仕方は相変わらずわからない。
69年~71年までの曲しかダウンロードできない。
やっと「スイート・メモリー」と「レイラ」を落としたが、モーツアルトなんかどこにあるのか。
この電話は、さらに間違えてカメラがない。
それも買ってから気がついた。
Sep 07, 2005
黒星四つ。★★★★
接木を10本やって、全然着かないので原因を考えていたら、ペットボトルで密封したところを、水やりの時にあけたのがいけなかったらしい。そういうことを、台木をわけてくれた椿の専門店にメールで報告した。
すると「接木後の管理のしてはならないことをしてしまいましたね。」という返事が来た。
この書き方はこわい。
主は気難しいとは思っていたが、それは当たりだ。
接木はまだ葉がついているのがあるが、やっぱり駄目だろう。
流通している椿は、全体の4割だそうです。
流通していないものを、接木をして、みなさまにプレゼントできるまで楽しみにおまちください。
遅い訃報
宮沢賢治賞というのがあって、それを受賞した小林敏也さんという方は、大変無口な方で、お酒をがやがや飲んでいてもひっそりとしていた。そんなふうだから、本郷の出版村界隈では「失語症の敏也さん」と言われていた。
わたしは敏也さんのファンで、足立さんと画本のサイン会に行ったことがある。
足立さんは忘れちゃってるかなぁ。
わたしは、そういうことで出歩くというのはめったにないのだ。
そのときに、敏也さんと仲良しの「画伯」とよばれるみるからに、居丈夫な貝原浩さんがいた。
とても仲が良いらしく、飲むときに何回か同席した。
画伯はわたしの知っている女性だけの出版社で、本の表紙などを描いていたが、生活はさながらボヘミアンで南米に行ったり、チェルノブイリに行ったりしていた。
それを知るくらいで、わたしは喘息と心中しそうになっていたからお付き合いは皆無になってしまった。
思い出したように、今日はそこの編集長に電話をかけた。
話はそちこちいったが、「画伯死んだの知ってる?」と唐突に言われた。
一応、新聞各紙に出たんだけど。
居丈夫だったのだ。
「癌だったの。」
胸に突き上げるものがあった。
画伯の絵が、家の階段の突き当たりに飾ってある。
いつもそれを見ていたから、「実際の画伯より親しく思えるみたい」と言った。
彼女は、最後まで付き合ったと言う。
それを聞いただけで少しほっとした。
画伯は飲むと、よく「ポランの広場」を歌った。
ひとなつっこい笑いが、魅力的だった。
敏也さんは友人を失ったのだ。
*敏也さんの画本は、ここで知った。
書評を書けば本をあげると言われたので、早速書いたのでした。
台風お見舞い
今度の台風は大きいですね。TVを見たら本州がすっぽりはいっちゃう。
最近の地震といい、なんだか自然がどんどん人間に報復してきてるみたいです。
セナと散歩をしていました。
彼は腎臓が悪いので、大量にお水を飲みます。よっておしっこもたっぷり。(笑)
台風で人がいない、久しぶりにのどかな松林にいきました。
台風が来るので(?)チェンソーで木を、切ったりしていました。
セナは最近で一番のびやかに、草とたわむれていました。
最近は、公園に水飲み場がしっかりあって、セナのような病気持ちはたいそうたすかります。
怖いもの見たさに、カメムシが大量発生するマユミも、見ましたが、小さいのもざわざわいて、びびった。
Sep 06, 2005
なんとなく具合が悪くて、店じまいを。
なんとなく具合が悪くて、店じまいを考えてしまっていました。風邪のようでもあり、喘息のようでもあり全然すっきりしないのです。
四則転々。
今のところ、わたしにとって、文章を書くというのは虚しいものです。
さらにセナが、階段を飛び上がれなくなったり、腫瘍がつかめるほどの大きさだったり失禁をしたり、ぐらぐらの歯が、また一本増えているのを見ると、もうこちらが小さくなってしまう感じです。
夜におじさんが、電話をくれました。
「ぺこちゃん、セナの写真アップしたでしょ?」
「うん」
「あれ見て、おれ泣きそうになっちゃったよ」
毎晩セナの寝息を確かめずにはいられない、わたしも、かなり泣きそう。
新しいお札にまだなじめない。
新しいお札にまだなじめない。伊藤博文が一番高いというのが気にくわない。
この順番が、納得いかない。
お札を出すときいつも、「なんか違うよなー」と思うのだ。
最後に、どうしてこの三人なんだ!と思えて困惑する。
みほちゃんと話したこと。
みほちゃんと、いっぱい話した。みほちゃんは、なかなかの有名人だった。
かっこよくて、皮のパンツなんかで京都の町をバイクで走っていたりした。
木屋町にロックのお店を持っていた。
ペルシャ猫を、何匹も飼っていて「ぺこあげるよ」と言ってくれた。(猫アレルギーなのに)
最後に会ったとき、「三保の松原」に連れて行ってくれた。
同行した友人たちは、京都マラソンに出ると言ってそこを走っていたのに、わたしは喘息で薬まみれのうえ、途中で苦しくなってしまった。
「いっぱい薬もってきたね」と、みほちゃんは言った。
すごく時間がたっているのに、そんな気がしなかった。
そしてわたしが、薬の副作用で太ったことを言ったら「かわいそうやわぁ」と言った。
理解者がいた、という感じだった。
最後に、周り中「うつだらけ」という話になった。
「ほんとに、そうだね」とわたしは言った。
でも、二人でけらけらと、話した。
本当に久しぶりで嬉しかった。
Sep 04, 2005
最近のスープは。
最近、家でつくるスープは、セナの残り物。ササミをゆでた出汁に、ザーサイの千切り、カキタマゴをいれるだけ。
とくに手を加えなくても、おいしいスープになります。
ササミはうんと冷やして、セナのドッグフードの、振りかけにします。
でも、わたしは料理が、すきとはいえません。
「先生、セナは一ヶ月じゃないよ」
毎週、点滴に行ってセナの余命は一ヶ月といわれた。が、セナは元気だ。
「一ヶ月じゃないよー」とわたしはドクターに言った。 レントゲン、採血もろもろをしたあと、左側に転移した腫瘍は一週間で一センチも大きくなっていた。
悪性の「肥満細胞腫」。
よく見えても、臓器に転移したらとても、様子が変わります。
「・・・・」それを考えていなかった。
今週末から抗がん剤を使う。点滴をして、臓器の状態をコントロールしながら。
セナが日に日に小さな生き物に、見えてゆく。
ステーキも食べようね。
大きな人間も非力だ。
http://www.p-well.com/health/clinic/dog/dog-himansaibou.html
Sep 03, 2005
母のところへ本を取りにいった。
風の又三郎に出ている木ペン、鉛筆、炭という筆記用具が何なのかを知りたかったので、母のところにおいてある本を取りに行った。草取りを手伝うという約束もあったので、午前中に出て行った。
賢治の研究家の天沢退二郎氏は、家の近所なので保育園や、スーパーやいろいろな場面であっているので、ちょっと寄ってみたくなった。
覚えていたのか、定かではないが、わたしは友人に馬鹿にされながら、朝カルにも行き、電車をご一緒したり、テープもお借りしたことがあったのだった。
「来年の3月に、宮沢賢治学会の会報がでるんですか?」いうと「そうです。審査会もあって、それから」と言われた。
これを聞いただけでわたしは、くじけた。
駄目だ。
そして「木ペンは鉛筆」のことと言われた。
また、くじけた。
そうそうにご挨拶し、家に行くと母が「あそこはアパートになったんじゃないの?」・・・・・こういうとこ、体調不振を、訴えつつもかなりミーハーな母なのです。
家では、炎天下の草むしりになりました。
草をむしりながら、「これは救助しなければいけない」と思ったのは、背の高かったヒメシャラの枝が切り取られていたからでした。
ツツジもウケザキオオヤマレンゲも、ひどい水不足です。
草むしりどころではなく、水撒き大会になりました。
母にやれというのも無理なのですが、半分は怒。
取り返したのはキョウガノコ。んー。
Sep 02, 2005
近くの他人。
仕事をやめると、旧交を温めたくなるということか、へっぽこさんに親しくしていただいていたのに、最近は音沙汰がない。近くの他人は一番気楽で、頼りになるのに。(ぼそっ)
追伸。 動物好きなへっぽこさんへ。
グールドは読みましたか?
御茶ノ水博士の原型は、テングザルではないでしょうか?
人生いろいろですが。
金曜に先輩から電話があった。左遷されて九州にいる、友人の電話番号を教えてほしいとのことだった。
「よろしく言ってね」と伝言した。
「会えたら電話するよ」
なにやらふたりで、べろべろになって電話したらしい。着信記録があった。
折り返して電話をすると、またべろべろだった。
「もう帰ってきてるよ。」といい話してたら、「組合」の大会にでたようだ。
「でね、○千人の前で喋ったの」酔ったついでの、白状みたいだった。
「恥知らず!」とわたしは言った。
この先輩は、身障者の施設で働いていた。
入所者の待遇改善要求や職業病の労災認定など、わたしの知る限りでは、とてもがんばっていた。
そのストレスがたたって、彼はほとんどアル中である。
施設の宿直を、手伝いに行ったとき、わたしはタイヤキを50個持っていった。
ひとつずつ配って、お礼を言われた。「タイヤキなんて何十年ぶりだろう」そうため息をついた人がいた。
重かっただけではなく、涙がでた。
今度の選挙はこういう思いを、みなつぶしてしまいそうだ。
左遷されて九州にいる友人は
ようやく、つかまった。
彼らと見に行った、映画は名画が多い。
一度、文芸座で溝口健二の映画を見ていた。
仲間は立ち見だった。
すると、すぐ前の席があいたのだ。
「ぺこちゃんいけよ。」、一番背の低いわたしはおずおずと着席した。
するとまもなく異臭がした。
右の席の人だ。
わたしは、耐えた。耐えたが、耐えられなかった。
もどると「どうしたの?」と聞かれた。
映画館で失礼だから、喋らなかった。
すると、「第三の男」が、餌食になった。
そして5分とたたないうちに たちあがった。・・・・・という話をしたら。すかさず
それ覚えてるっ!だって。
人ってつまらないことを覚えています。
ほっとしたことがあった。
S君が、電話をくれた。友人の中では、かなりピュアな男だ。
だから大変なこともある。
行方がわからなくなったと言ったのは、職場を変えたからだった。
何しおう働き者だったが、会社は使いがあらかった。
それでもきちんと働いていた。
「どんどんリストラしていく立場になってさ。そうしてひとりひとり話していってさ、そうしたら、そんなとこ居たくないって思ったんだ。」
「・・・・・」
言ってくれますねえ。
で、今はディズニーランドなんかの、お弁当の配送を夜しているという。
暴走族みたいだったお父さんは、亡くなったらしい。
母上は奈良にひとりで暮らしている。
「ぺこのサイトはどこだあ?」
「みんなウソばっかりだからね。」
みんなが見たら書けなくなるよ。わは。
サイトの所在を教えたあと、「いつまでも友達でいてね」と、わたしは言った。
彼は、「ありがとう」と気持ちのよい言葉をくれた。
実は大発見をして、宮沢賢治記念館とやりとりを。
宮沢賢治にかんして、大発見をした。この季節の話なので急いで、へたな原稿を送った。
すると、のんびりした声で「次号は3月になります」と言われた。
発見は「風の又三郎」についてだが、頭の中には、二十年くらいあった。
間違いないと思ったのは、鱗造さんとのチャットと、賢治の書いた植物を写真に撮りだしてからだ。
するすると謎がとけて、わたしは興奮した。
そして近所に住む研究者のところに、たずねていってしまった。
彼ははっとしたような顔で、資料を請求し「書いてください」と言った。
「季節感が重要な鍵だから、この季節にのせてくんないかなー。」
ちょっとだけぼやいた。
「いや、そうはいきません」賢治の童話に出てくる、官吏のような答え方だった。
校本の全集は家に置きっぱなしで資料は読めなくて、青空文庫に助けられた。
来年の春にのったらおなぐさみ。それまでは内緒。
Sep 01, 2005
アサガオのこと早書き。
原産はチベット、中東アジアと言われているが、定説はない。我が国では平安時代に遣唐使が薬用として種を持ち帰ったものが初めとされる。和漢三才図絵には4品種が紹介されている。
一年草の植物とされているが、挿し芽で増やすことの出来る、多年草のものもある。
もともと薬用として用いられていたものを、鑑賞用として江戸時代から変わり咲き種が開発されていった。下剤、利尿、駆虫、むくみに効果があることが知られている。
中国名は牽牛。その名の由来は「牛を牽いて交易していたから」と古文書に記されている。中国に伝わって来た当初種の運搬に牛を牽く程貴重なものであったと推察される。
また、その開花の時期が七夕とも重なっており、花を牛に牽かせて売り歩いたという。
これも、古名「牽牛種」(種)・「牽牛花」(花)たる所以でもあるのだろう。
朝顔は七夕のころ開花するため牽牛子といい中国から輸入された。
[牽牛子塚古墳]. どうやら形が牽牛子花(朝顔)に似てるかららしい 。
説話として秀吉が珍しいあさがを見に行くと、利休邸では全部摘まれていて床の間の一本だけが咲いていたとか、江戸時代には武家の内職だったとか。
付き合いが長い花はエピソードがたっぷりです。
せんだって書いた「ヘブンリーブルー」という洋種アサガオは、曽野綾子(!)の「天上の青」にも書かれています。青いアサガオが流行しているのは、そんなことから。
http://mg.biology.kyushu-u.ac.jp/mg-files/woodprint/asagao-so/index.html
>
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index94/index.html
協力、お友達のらごさん。
Aug 30, 2005
ナツエビネ
この四日間、散歩はいつも同じコースだった。「ナツエビネ」のある花屋。
そこが家族旅行かなんなのか、ずっとしまっていた。行っても行っても買えない。
だんだん意地になって、だんだん高価に思えてきた。
今日は開いていたのだが、予想と違った名前。
そして一番安くて3000円也。
ふむ。
出直してくるといって、帰途セナがマーキングをしていたら「へたくそ!」と野次がとんだ。
セナは最近、足が弱っているのでおしっこをしている最中に、片足ずつ交代をしたり、終わっても少し出ているのを気づかないで歩き出したりする。
それを見て、その女の人は言ったのだ。
笑っていると、自転車からおりて「うちも飼っていたんですの。13歳でなくなりましたけど」
同輩だった。
帰宅して門で、見知らぬ人にホテイアオイをほめられたので「あげますよ」と二株切ってあげた。
金魚はすでに、いるんだそうだ。
それにしても、うちのメダカは、ヘルニアのようにまだお腹が大きい。
今日から選挙の公示。
多分私はこの選挙を忘れない。
Aug 29, 2005
セナのことを、聞いてから・・・・。
セナのことを、聞いてから、二人でいる時間が変わり始めている。食べ物を際限なくあげちゃう感じだし、涙は出てくるはひどいもの。
自分の方が、不安定になってしまった。
そういう時は寝るしかないけど。
とりあえず日記はやめない。
Aug 28, 2005
新しい携帯。そしてセナよ。
前と同じ色なら、間違えない。たったそれだけの理由で買ったニュー携帯。
文字も大きいし、・・・だが、これは実はわなだった。
着メロが40件近くあるのに、ぜんぜんいいのがない。
最初に出たのが、「きよしのズンドコ節」ほか「ひげダンス」演歌もしっかり入ってるが、なぜか「ツアラトゥストラ」。
しかも返品はきかないという。
むしゃくしゃした頭で、車を呼びセナを病院に連れて行った。
セナに癌が再発していた。
しかもリンパ節に・・・・。
女医さんは、あと一ヶ月と言った。
帰りは、タクシーで母のところに寄った。
仏壇の前にも行かせ、父といつも行っていた公園にも寄った。
最近は寝てばかりいる母が、セナと遊んだ。
Aug 27, 2005
日記を書きたいのだけれど、3
夏休みの宿題が、あるような気分です。アサガオのことを、あっさり書きなさいと昨日、背中を押されてその気になったら、おじさんがカラオケに行こうという。
わたしにしたら、喘息の体なのだが、おじさんは、クラプトンを練習したらしい。
かなり仕方なく、ついて行った。
カラオケの部屋に入ったとたん、嬉々として歌うおじさんは別人のようでした。
でも、どこが変わったのかわからない(爆)
帰宅すると、友人H氏とF氏からの着信記録を発見。
バッテリーがおかしいのだ。
明日は携帯も買い替えに行こう。
あ、セナの通院もあった。やれやれ。
日記を書きたいのだけど。2
日記を書きたいのだけど、いろいろあってどう書いたらいいのかわからない。台風?いやいや、結局消息のわからない友人が、気になっているのだ。
不義理な友人たちよ。
秋の虫が鳴きだした。
Aug 26, 2005
「真に国民の側に立った勢力」もMinorではやはり小泉政権の圧制を止めることは出来ません。今回は政権交代のための投票行動をすべきで、そうなれば少数党の社民・共産も発言力を持つ立場になれる可能性も出て来ます。」山口実
大同団結っていうか、呉越同舟っていうか、そんなことをしないかぎり駄目かもねー。
選挙でこんなに悩むのも初めてだし、散歩に行くと○崎のポスターだらけだから。お膝元とは言え、やな感じ。
台風一過の晴天の前に、ちょっと曇っているからセナを出した。セナの気に入っているところに連れて行こう。
心臓の具合も悪いのだ。
ゆっくり、ゆっくり。
だいぶ、歩かなかったので体にもたっぷり脂肪。
散歩は必要よね。私も。
大同団結っていうか、呉越同舟っていうか、そんなことをしないかぎり駄目かもねー。
選挙でこんなに悩むのも初めてだし、散歩に行くと○崎のポスターだらけだから。お膝元とは言え、やな感じ。
台風一過の晴天の前に、ちょっと曇っているからセナを出した。セナの気に入っているところに連れて行こう。
心臓の具合も悪いのだ。
ゆっくり、ゆっくり。
だいぶ、歩かなかったので体にもたっぷり脂肪。
散歩は必要よね。私も。
Aug 25, 2005
Aug 23, 2005
あだだ、
午前中に、ちょっと張り切って写真を撮りにでたのです。少し風がでてきたからいいかな?と思いました。
でかければ、選挙用風の看板。
違反すれすれ・・・って言わないのかなぁ。
憂鬱だなぁ。
とにかく、反自公よね。
こういう自問自答をしながら。
でかけなかった分だけ、いろいろ見たぞ!
こんなのも。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02094.HTML
Aug 22, 2005
みんな「チボー家の人々」は読めなかったんだ。
桐田さんから来る、「断簡通信」というものを指標にして本を買うことがある。長い間、わたしは活字の世界に接していないのだが、ちょっとそそられるとついつい買ってしまう。
噴出してしまったのは、桐田さんといえども「チボー家の人々」を読み通せなかったということ。
同じだーと心強く思ったのでした。
島尾敏雄がプルーストを読んでいない。秋山駿が、マルクスを読んでいない。
読んでいないといわれることは、わたしにとって嬉しい。
今回は、養老孟司さんのムシの話が面白そうだ。
奥本大三郎氏の、ムシの本は結構読んだ。
学生時代の虫好きな友人が、奥さんを亡くして、一緒に呑む機会があった。
針金で直径を決めてπをかける、そうやって自家製の大きな補虫網を作る。
そういう虫の話を散々して、女房とは「10年も一緒にいたんだよ」とくぐもった声で言った。
数年後、彼は北海道支局に転勤して行った。動機は「蝶」だと思う。
昨日は、今までで一番英語の歌を歌ったカラオケ
へっぽこさんと連絡がとれないので、近所のおじさんとカラオケに行きました。安いので余裕。
おじさんは引き気味だった英語の歌を何曲か歌いました。
「できるじゃん」
スローな曲なら、結構、ごまかせる。
そして、ついにスカボロフェアーを歌われてしまった。
そのあと、とんとん拍子にサイモンとガーファンクルを歌って・・・・・わたしが過激な提言をしました。
つまりは、マージャンのようにリャンシバとか、しばりをいれるのです。
で、英語の歌しばり。
完走できなくても、いいから外国語の歌。
いまのカラオケってすごいのね。
CSNYの「青い目のジュディ」まで、入ってる。
そしておじさんは、こともなげに「レイラ」を歌い、「サザンマン」を歌いイーグルスも。
すげー。
わたしは、ビートルズや映画の「慕情」「ゴッド・ファーザーのテーマ」。
そして、ジャズのスタンダードも入っていることがわかり、「うふふ」で帰ってきました。
でも、おじさんかっこよかった。マジ。
Aug 18, 2005
ひさしぶりに葉書を書いた。
職をさがしていたI君。書いた葉書を、見直してぎょっとした。
最後に「食中毒に注意してください。」なんて書いてる。
わたしは多分、他の人には絶対、そんなこと書かない。
彼は大食漢である。
そこはかとない差別かなーとか。
そぼくにわからないコト。
今度の選挙。郵便局が民営化されない=否決されたということは、ここで廃案。
もうお仕舞いね・・ってことだよね。
なんで、それを再度、選挙で問題にしなきゃいけないんだろう。
それに女や商売人や、政治経験もないような人まで、ひっぱりだして。
いつまでもこだわって、ヒステリーみたい。
このまま行けば増税、改憲・・・・。
やっぱり、ごり押しの選挙はくじける。
膨大な選挙の経費。
田舎の郵便局。
また自殺者がでるなあ。
公共性が、なくなってきていること。
図書館の民営化、保育事業の民営化。公務員のようでいて、実質はすでに民間人のような方が多い役所。
郵政で知人が自殺したから、言うんじゃないけど、みんな有料化されていけば困るのは、弱者です。
Aug 16, 2005
江戸の植木屋。
毎年、佐倉の国立歴史民族博物館で、ちょっとした企画がある。昨年はイセナデシコなどの古典園芸植物だった。
わたしは、たまたまイセナデシコを栽培していたから、ちょっと行きたかったけど真夏の心変わり。暑いので、やめてしまった。
先日、イセナデシコを某サイトで、楊枝でつついてやらないと咲けないとか、あんなものをよく作ったとか、悪口がかかれていた。
江戸について言えば、あんなものをつくるのが江戸のけれん。
さて歴博では、今年は変化アサガオをやるらしい。
でも、たった一日。
いつも思うのだが、そういうところに卸す生産業者がわかれば買い付けできるだろう。
子供のときに200種くらいアサガオの乗っている、朝日の図鑑を見た。
それはすばらしいものだった。
午後に母の風邪のお見舞い。
墓参り。
戦争のことは、普通の人より聞いてるかもしれない。
ケースワーカーの仕事を、とても長くした。引き上げ者、シベリア抑留者、戦争未亡人、強制連行された韓国人、被爆者、友人の両親、両親、年配の人の人生には戦争があった。
それぞれ敗戦の時のことは、必ず記録した。
断片をつなぐようにして、「敗戦」と書くとき舌打ちする上司がいた。
やっぱり、理不尽にも人間嫌いになるこの時期。
吉本の『「食」を語る』を読了。
なかに宮沢賢治が、大食漢だという話がある。
「一日に玄米四合・・・・」だものね。
わたしも、そう思っていた。
10年くらい前、叔父から電話があって、「一日に玄米四合だと、息子が言っている。わたしはもっと少なく教わった。どっちが本当なのか?」と問い合わせが来た。
戦時中はこんなものまで検閲し、賢治をも小食にしてしまった。
Aug 15, 2005
動物公園に行った事。
午後、セナを置いて、動画が撮れるカメラも持って動物公園に出かけた。暑いので大変な決心だったけれど、半旗のかかげられた動物園の人出は多かった。
緑とセミしぐれのなかで、ひっそりと陰に隠れながら、そしてだんだん大胆に歩いて行った。
昨日のTVの「ヤスクニ」や選挙にたいする報道はひどかった。
どうせ、今日だってひどいだろう。
辛気くさい。
というわけで、自棄のように今までで一番動画を撮った。
動物の声をとるのは、実に難しい。
帰って来ると、MLがたくさん来ていて杉並では扶桑社の歴史教科書を強行採決。
ヤスクニで石原シンタロが、民主党に投票をするなと騒いだとか。
最近は天皇のいうことが、まともだと思うことが多い。(爆)
Aug 14, 2005
椿に憑かれた人々は。
椿専門店であるT店の全面的な協力で(まあ、そんな大げさなものではないが)、昨日は接木をした。接木の季節はとっくに終わっているかと思ったら、今週いっぱいが限界とはいえ、お店でもやっているとのこと。
「面白いから、やってごらんなさい」と、普通は売らないというサザンカの台木を分けてくださった。
サザンカの台木だと、成長がはやく、丈夫だとのことで、根本から10センチあまりでチョン切ったサザンカも、一緒に挿し木にした。
椿の接木は、普通の接木より難しいらしいのだ。
だからというわけではないが、今日見るとかなり無残なことになりそうだ。
わかったことは鹿沼土に、赤玉をくわえた方がよいということ。
とまれ、5本の接木よ、がんばれ!
*「お手紙には椿の生理がわかりますよ。」とありました。それがわかりたかったのだ。
椿の注文のパンフレットが、久留米、新潟から来た。少しわかってきたから悩む。
名前だけが、ずらずら並んでいると、やはり図鑑で検索せねばならないし、結局は長い付き合いに耐えられるものと厳選せねばならない。
昨年のニライカナイは、正解だと思うけど。
パンフレットは、新種を追いかけていくむきが強いし、外国種も増えている。
傾向としては、香りのある椿、青い椿、黄色い椿(黄色い原種椿が入ってきたため)。
新種の病気にかかりやすいか、挿し木はしやすいかなどの、経年のリスクはなかなかわからないし、古典椿は古典椿で入手しにくいものも結構あって、中には秘蔵なんて書かれているものさえある。
いずれにせよこちらにしては土地もないところで、せいぜい数本の椿を選ぶのだ。
余ったものは、こっそり公園に植えちゃおうと思っているが。
Aug 12, 2005
郵貯
あるMLより。「こんにちは。アメリカ在住の○○です。 アメリカに住んでいるため、離れたところから日本をみつめ、またこちらの政治の世界の情報を少しはかいま見る機会を得てみて、アメリカの日本支部代表のような小泉首相以下に、どうしていとも簡単に国民が操られてしまうのか、とても不思議で仕方ありません。 でもこれを読んで、アメリカの思惑通りに進むわけがわかった気がしました。 ご参考までに。 (最初は英文ですが、下にスクロールすれば日本語がでてきます) (株式日記と経済展望より) http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu100.htm
The global finance industry will have to wait a little longer to get its hands on that $3,000bn of Japanese savings. ( Financial Times) 国際金融業は、もう少し待てば日本の郵貯の350兆円を 手にする事が出来る。(フィナンシャル・タイムズ) 2005年8月11日 木曜」
Aug 09, 2005
なんということだ!
派兵、9条、靖国、年金・・・こんなことが語られないで、郵政の(お金の運用)問題ばかりにすりかえられている。それにのっちゃう弱気な報道姿勢にマスコミの脆弱さを見る。
ヒロシマ、ナガサキの非核宣言を見ていて、そんなことばかりふつふつしてくる。
戦時を知る人がへっていく。
これからの一回一回の選挙の重さ。一年一年の重さ。
自分たちが生きているうちに、核廃絶をと祈った人々の千羽鶴。
Aug 08, 2005
行くなら、行こうよ。
行くなら、行こうよとおじさんが言った。市の動物公園である。
最近、有名になった「風太」という、二足歩行ができるレッサーパンダがいる。
・・・・・ありえないはずだった、日陰を捜すキリンと郵政民営化否決。(なんのこっちゃ?)
Aug 07, 2005
メダカの産卵
ずっと飼っていためだかがいて、先日、ヒメダカを入れた。すると三匹とも、お腹が大きくなってしまった。
昨日、彼女たちの夫を二匹買って来た。
一回り小さい。
今朝、餌をまいたら、いつものようにメダカが動かない。
産卵である。
オスのメダカに促されるように・・・・と思いきや、オスが卵を食べた。
どうしたらいいのかわからないので、放置してある。
Aug 06, 2005
365日のうちに、何日原爆について考えられるか?
一昨日、電話があった純ちゃんは家庭教師をしてるとき、子供たちとヒロシマに行った。わたしは、彼と大江健三郎の講演会に行っただけだ。
初めて海外に行ったとき、わたしはずいぶんヒロシマのことを聞かれた。
不甲斐ないけど怖いのだ。
仕事をやめ、三年連続で式典を見て、やっぱ行かなきゃなと思う。
人間にとって、究極の問題は人間なんですけど。
検索してたら、旧友が原爆病院の医師になっておりました。
Aug 05, 2005
あぢあぢあぢ。
明日はヒロシマの日。( ̄ェ ̄;)郵政民営化にstopがかかりそうな日。
少しだけでかけた。
今週は、へっぽこさんと連絡が取れなかった。
かわりに(?)職場を辞めた旧友から、電話があった。
「今オレ、月収120万!」
優秀だったからなぁ。
彼は司法試験を諦めたあと、こつこつと勉強してフランス語をマスターした。
だいぶ前からストレスをためていて、とうとう奥様から退職OKがでたらしい。
そして、退職金で会社を始めたというのだ。
「社員は、全員共産主義よ。みんな同一賃金」
「ナニやってるの?」
「エロ小説書きっ!エロ事師よ」
「うぅ。縄師見てみたい。」
「縄師かぁ。」
なんという会話じゃ。
彼は小説もコントも書いていたし、日に原稿用紙80枚くらいは、軽いといっていたのが120枚になっていたし・・・・わたしって何もできないじゃん!
受話器を切る前にいつものように「なにが小泉だ!純の糸編とっちゃえばいいんだ。」名前に同じ字を持つので、小泉の名を「トンイチロー」にしろと叫んだ。
「僕たちは、毎日発見ばかりしていた」・・・ってマチネ・ポエティックか荒地かもうさだかではないけれど、そんな言葉が突然でてくるほどカメラでの発見がありました。
埋め立てられて、遠くに行ってしまった海のものが、たまに植草として見られて、信じられないくらい時がたっていても、生きてる。
今日は「ハマゴウ」と「タイトゴメ」を見つけました。
埋め立てられて、遠くに行ってしまった海のものが、たまに植草として見られて、信じられないくらい時がたっていても、生きてる。
今日は「ハマゴウ」と「タイトゴメ」を見つけました。
セナも元気です。わたしも復活!
水をやっていたら、背中が痛いくらい暑かった。もう、写真は撮りにいかない。
暑すぎるから。
ぐったりした気分で「ボサノバ」を聞こうと思ったら、行方不明で「セントラル・パークのピアソラ」を聞いた。
これ。絶対おすすめ!ですよ。
音楽を聴いてもう一回外にでたら、雨がばらばら。
安定しないお天気ですな。
さて、家には今、めだかが三匹います。
ヒメダカ二匹はあとから買い足したものですが、お腹がどんどん大きくなってきた。
いいぞいいぞと思っていたら、オスとばかり思い込んでた黒いメダカもお腹が大きくなっちゃった。
こういう場合、急にオスを買い足しても、なんとかなるのだろうか?
Aug 04, 2005
種をいっぱい集めています。集まりすぎ!
クリンソウ。オダマキ。センノウ類。ハクサンフウロの種。ヒメサユリ。クガイソウ。ヒトツボクロ。ハス。オキナグサ。タツタソウ。トガクシショウマ。レブンソウ。キケマン。などなどと球根も。Aug 02, 2005
それっ!
目の前には枕があり、このままでいると粘液が出てきそうな重い朝でした。昨夜は挿し木と、久しぶりにチャットをして、なつかしい女性と話をしました。
チャットは以前は、かなりやっていたのですが、段々間遠になってきて、部屋のメンバーも変ってきてしまいやらなくなりました。
でもチャットのおかげで、タグを少し覚えたのです。
えっと、忘れないうちに、書いておきます。
ソフィアローレンさんのメールで教わったコト。
山の麓の薬やさん
はくぼくけずって粉薬
馬のションベン水ぐすり
それっ!
はなくそ丸めて豆じんたん
それを飲むやつ
あんぽんたん!
*なんとなく面白かった。歌詞に多少の地域差はあるようです。
**作家はもともと、薬屋が多かったと、伊藤整の「日本文壇史」にありました。・・・・So what?
Aug 01, 2005
「山も崩せばチリとなる」
木や花は、買うときには確かに値段がついていた。椿の三年物の相場なんかは少しわかるし、樹木の値段は草花に比べると安いかも知れない。
一番、高価なのは切花。これはだれでも肯くに違いない。
そういえば、ガンセンターにお見舞いに行ったとき、後ろに座っていたおばさんが「野菜は安いから、これからはお花を栽培しなさい」と患者さんに勧めていた。
わたしは、ひそかにガン患者もたいへんねーと思っていました。
わたしだったら、なんの役にもたたない話がいいなぁ。
話がそれました。
とまれ今、わたしは植木屋さんの友人が欲しいのです。相場とか剪定や手入れとか、教えてもらって「カマツカ」なんか一本欲しいな、なんてかっこいいよね。
こういうのを、切なる願いというのです。
あ、それで樹木の値段は聞かないように。
「山も崩せばチリとなる」わけで・・・。
Jul 31, 2005
思案のあげく。
忍者の末裔に電話をしたら、以前の住所にいたのです。噂はこわい。
「離婚して、幸いにして子供がいなかった。」なんてことになっていたのですから。
実際は「ネットは息子がやってるよ」だって。
唖然です。
で、今日は、セナの入浴。
ささみジャーキー一本で、風呂場に入ってしまう学習能力のなさは笑えます。
シャンプーもリンスも丹念にして、お昼は芋食。
もりもり食べてくれました。
Jul 30, 2005
セナの通院、そして忍者のその後
セナはここのところ、毎週通院している。タンパクと尿酸値が高いから、毎週検査と点滴をしているのだ。
今日はここ数日、首を振るしぐさが、ひどいので医師に相談をした。
「飛蚊症みたいに、何か見えるのかもしれない」というと医者は「ボケでそういうのがあります。犬の場合は蝿ですが。」と言った。
「ボケ?」
食べ物の好き嫌いなど、ボケた犬とは思えないね。・・・・そういう結論になったが、考えたこともないので驚いた。
そして首を振るしぐさは、もしかするとノミかも知れないというので、薬を貰ってきた。
わたしが風邪で、入浴がちゃんとできてないから。
そして、セナをベジタリアンにせねば。
帰ってからしばらくして、友人のところから電話がきた。
最近、離職(リストラ)した友人が三人もいるから、地方にいても、たまたまこれを読んだというのだ。
そして忍者の噂になった。
忍者のルーツなんて、たどるのも大変だよね。
「そりゃ、そうだよ」
「でも、NHKだったから」
「だいたいさ、戸籍を作ってくれる人は江戸時代くらいからで、それまではみんななかったんだし。」
そしておのずと、忍者の末裔の話になった。
「離婚のうわさ・・・・」
「離婚したんだよ。奥さんすげえ美人だったよ。」
つづく。
朝の栄光の骨董品
だいぶ前に書いたことのあるリサイクル屋のYちゃんは、嘘つきである。駆け落ちもさりながら「子供の進学のために、必要」だと言って売ったアクセサリーも結構高かった。
そのセールストークは素晴らしかったけど。
ひとりだと思っていた子供は3人で、しかも双子もいて、三回離婚していたのだった。
そして、アクセサリーは、特別なアメリカのコレクターから、譲ってもらった程度がいいものということだった。
でもとにかく、それを買ってからわたしはしばらく、ジャンクのジュエリーのマニアになってしまった。
アメリカのオークション。e-bay。
それと、Morning Glory Antiques & Jewelry(これは、「アサガオ」と名前をつけたつもりだと思うが、日本語に訳すをクリックしたら「朝の栄光の骨董品及び宝石類」と書いてあった。」)
朝の栄光の骨董品及び宝石類
こちらが原文。
http://www.morninggloryantiques.com/
そういうところで買いあさった。
アメリカのことだから、いいものはそうはない。
それでも、目的のHASKELLイヤリングは、あちこちで見た。
そして、めちゃくちゃ高いのだ!。
さらに、HASKELL styleや、HASKELL like,unsigndやりメーク版など、うんざりした。
でも、まだブームなのです。
ジャンクで稼ぐアメリカのことを書きたかったのです。
はい。
Jul 29, 2005
咳が抜けない。
コウホネのポンプが壊れて、買い替えにいかなくてはならない。
なんだかだるい。
セナに「鶏のささみそぼろ」を作っていて、冷やして餌に振りかけたらしっかり食べた。
こういうのって、ほんとほっとする。
ひと段落着いて、セナの理髪をすることにした。
あまり苦しそうにぜーぜーやっているからだ。
武器は台所用ピンキング鋏とヘアブラシ。それだけ。
動物のカットは初めてだ。
人間はふたり犠牲になった。
お金がないから、ぺこにやってもらったという人は「ドイツ軍のヘルメットみたいになった」といった。
もう一件は、理髪店が休みなのに、葬式ができて朝から仏事ができた、くだんのお坊さん。
丸刈りは簡単かもしれないが、坊主は難しい。頭のしわが寄りやすいところは、毛が密になるのだ。
希望としてはなるべく、短くしないように、であったので。「ドイツ軍のヘルメットができたのだから、坊主くらい・・・」
そういう心意気であった。
奥さんも、夜遅いし「しかたないねー」みたいな感じだった。
結果は散々だった。
彼は泣いてしまった。
「ぺこが俺の頭をがびがびにした」と言って。
「がびがび」と言うのは、本当にぴったりな表現だった。罪悪感はなかったが、大変なことをしたのだなとは思った。
葬式に行けぬというのだから。
翌朝、部屋を覗くともう、居なかった。「早いなー」と思っていたら、帰ってきた。
頭が青々としていた。
わずかばかり伸びた毛は、もう頭にはなかった。
朝、床屋をたたき起こしたのだそうだ。
わたしはついに、謝罪しなかった。
わたしに頼んだほうが悪いのだ。
ながーい前置き。
セナはいつものところで、眠っている。
人間なら「呆けじいさん」なり。
そっと近寄り、こっそり切り出す。
腹のあたりを切ったとき、「ぅ!」みたいな感じになりがばっと起きた。
わたしは、鋏をかくしたりして。
セナはわたしの仕業と知ると観念したように、切らせてくれた。
注意したのに、背中は九龍のうろことなった。
コウホネのポンプが壊れて、買い替えにいかなくてはならない。
なんだかだるい。
セナに「鶏のささみそぼろ」を作っていて、冷やして餌に振りかけたらしっかり食べた。
こういうのって、ほんとほっとする。
ひと段落着いて、セナの理髪をすることにした。
あまり苦しそうにぜーぜーやっているからだ。
武器は台所用ピンキング鋏とヘアブラシ。それだけ。
動物のカットは初めてだ。
人間はふたり犠牲になった。
お金がないから、ぺこにやってもらったという人は「ドイツ軍のヘルメットみたいになった」といった。
もう一件は、理髪店が休みなのに、葬式ができて朝から仏事ができた、くだんのお坊さん。
丸刈りは簡単かもしれないが、坊主は難しい。頭のしわが寄りやすいところは、毛が密になるのだ。
希望としてはなるべく、短くしないように、であったので。「ドイツ軍のヘルメットができたのだから、坊主くらい・・・」
そういう心意気であった。
奥さんも、夜遅いし「しかたないねー」みたいな感じだった。
結果は散々だった。
彼は泣いてしまった。
「ぺこが俺の頭をがびがびにした」と言って。
「がびがび」と言うのは、本当にぴったりな表現だった。罪悪感はなかったが、大変なことをしたのだなとは思った。
葬式に行けぬというのだから。
翌朝、部屋を覗くともう、居なかった。「早いなー」と思っていたら、帰ってきた。
頭が青々としていた。
わずかばかり伸びた毛は、もう頭にはなかった。
朝、床屋をたたき起こしたのだそうだ。
わたしはついに、謝罪しなかった。
わたしに頼んだほうが悪いのだ。
ながーい前置き。
セナはいつものところで、眠っている。
人間なら「呆けじいさん」なり。
そっと近寄り、こっそり切り出す。
腹のあたりを切ったとき、「ぅ!」みたいな感じになりがばっと起きた。
わたしは、鋏をかくしたりして。
セナはわたしの仕業と知ると観念したように、切らせてくれた。
注意したのに、背中は九龍のうろことなった。
Jul 28, 2005
昨夜から、腹ばかり立っている。
金も要らない
親子も兄弟も、みんないらない、と思った。
普通はそんなこと考えないよな?
そして、みんなはわたしが怖いらしい。
だってやるべきことはやっているのに、頼みごとを、みんなやってくれないんだもん。
怒るよ。
今朝、気を取り直そうと、カメラを持って外に出た。熱っぽい。
ふらふらしつつ撮ったのがこれ。
アサガオではない、もちろんヒルガオでもないユウガオ・・・だと思っていたが、これも違うらしい。
自信なくヨルガオかな?・・・・
久しぶりに、牧野の図鑑や帰化植物図鑑を見て、思い当たらないのである。
かんぴょうにするのがユウガオ・・・・でも、それでない、多分俗称ユウガオ(ヨルガオ)「ヒルガオ科ヨルガオ属(ユウガオとも呼ぶ) 」
でもさー。朝さいていたよ。
ところで、ヒルガオは平安のころからあったらしい。
今日は不機嫌な一日になりそうだ。
金も要らない
親子も兄弟も、みんないらない、と思った。
普通はそんなこと考えないよな?
そして、みんなはわたしが怖いらしい。
だってやるべきことはやっているのに、頼みごとを、みんなやってくれないんだもん。
怒るよ。
今朝、気を取り直そうと、カメラを持って外に出た。熱っぽい。
ふらふらしつつ撮ったのがこれ。
アサガオではない、もちろんヒルガオでもないユウガオ・・・だと思っていたが、これも違うらしい。
自信なくヨルガオかな?・・・・
久しぶりに、牧野の図鑑や帰化植物図鑑を見て、思い当たらないのである。
かんぴょうにするのがユウガオ・・・・でも、それでない、多分俗称ユウガオ(ヨルガオ)「ヒルガオ科ヨルガオ属(ユウガオとも呼ぶ) 」
でもさー。朝さいていたよ。
ところで、ヒルガオは平安のころからあったらしい。
今日は不機嫌な一日になりそうだ。
Jul 27, 2005
犬の脳みそも溶けている。
熱がさがったと思ってシャワーを浴びたら、また熱がでてしまった。同棲中の犬はいたって元気だが、好き嫌いが多くて痩せてきてしまったようにおもう。
今日のような暑い日は、ぼうっとしているのが常なわたしだが、最近、犬もぼうっとすることを散見する。
たとえば、今日の昼間となりに寝ているはずの犬が、戸をあけたら、部屋と部屋の境目でぼうっとしていた。
クーラーのある部屋に行かないで、台所に半身を残してじっと目的を探すかのような顔をして、立ち止まっているのだ。
突然扉をあけた、わたしの顔を見て、どぎまきして気をとりなおす。
そんなことが、今日だけで二度もあった。
ところで、らもさんの散骨は延期されたようだ。
わたしは最近、金銭関係のことが、わずらわしくてならない。
シンコーゲン一本くださいっ!
今朝は、いとこに税金の控除について聞かれている夢を見た。「○ちゃん、こういう場合はどうなの?」「・・・・」そして最後の方で、仕事に使った住民票代はどう?」と聞かれた。
住民票代は300円くらいかな?でも彼女は断じてそんなにけち臭い、人間ではない。
こんな夢、サイテーだな。
ぼそぼそと、朝のトウモロコシを食べて、イヌの食事。
ササミジャーキーとササミ。
風邪はだいぶ抜けたようだ。
TVをつけると、かの「シンコーゲン」。
糖尿病の夫のために、美容院で買い求めてしまった主婦。
180グラム18000円だって!。
Jul 26, 2005
先祖は偉い・・・・。
いつの時代も昔の人は偉かった。金持ちだったり、地主だったり。
うちの先祖だって南総里見八犬伝にでてくるし、友人のお坊さんの家は村上水軍の出だそうだ。でもとても常識的だから九鬼一族に負けたのだ。
信長に勝つなんて、常識人にはありえないと思う。
あまり消息のはっきりしない友人がいる。
その人は中島らもさんと友人であった。
灘高だったからだが、みんなは「らもさんと友達」だということをいろいろ言っていた。
ある時、千葉に遊びに来た。
彼が大事そうに持ってきたのは、一本のビデオテープだった。
それは甲賀忍者のルーツをたどるものであった。
つまりは、彼は「甲賀忍者」の末裔なのであった。
「かっこええな」関西出身の友人が言った。
うわさでは離婚したとかしないとか、阪神淡路の地震のときは消息がわかっていたのに、その後は消息がわからない。
ましてや離婚した?なんて聞けないし
明日はらもさんの散骨の予定だそうだ。
台風なんて楽しかったよね。
子供って危機感がないんだろうか?台風の日はとても楽しかった。
今みたいにTVの実況なんてないから、ラジオ?で北北西の風、風力○、なんとかヘクトパスカル、○ミリバールとかいうのをたよりに、父は家の補強なんかをしていたのだ。
父は国鉄だから、増水とか、台風の余波で鉄道に支障があれば夜中でも呼び出される。
夜に蚊帳の中なんかで、台風が通過していると思いつつ眠った、朝は黄金色だった。雨戸の節穴から漏れる光、チンダル現象。
まさに台風一過であった。
シオヤキフウロ
最近、いやに目に付いて名前がわからなかった花。育てている人も「茶花」だと言ったり「高山植物」だと言ったり。
フウロの仲間だと思っても、名前にたどり着けず、ようやく今日わかった。
葉は細かい切れ込みがあり、丈夫。
通院で風邪薬も貰い、リウマチの検査もした。
結果までは少しかかるらしい。
Jul 25, 2005
常緑椿の蕾がみんな落ちてしまった。
熱は、まだ続いている。6時に近くの診療所に飛び込もうとしたら、二駅ほど先の「本店」に行くようにというレコーダーが、流れた。
明日は平常の通院日だが、それまで生きているだろうか?
セナも病院に行った。
腎臓の数値が悪くなっている。
Jul 22, 2005
Jul 21, 2005
常緑椿のこと。
母のところにあずけた「フランクリン・アラタマハ」という常緑椿のことが、どうしても気になって、一昨日見に行った。予想通りぼろぼろだった。
葉は赤くなり、散って、蕾もしぼんでいる。
幹を握ったら、あろうことかすぽっと鉢から抜けた。
さらに、戻そうとすると隙間ができる。
重患である。持って帰ろう。
だが。
なんで、こうも生活のうえで困難に突き当たるかというと、運転ができないのが最大の理由だ。
これについては、家族に反対勢力がいたという忸怩たる思いもあって書かない。
とにかく「フランクリン・アラタマハ」を持って帰るにも、搬送手段がない。
宅急便の会社にあたっていくも、170センチまでで、30センチ切り詰めなければならない。
「ううむ」
きわまって、わたしはおじさんに事情を話した。
おじさんも運転はできないので
「困った。困った。ぺこちゃんなにかない?」
「へっぽこさんに頼もうか?」
「ちょっと待って。」
おじさんはなにか思いついたようだ。
結論は、2メートルの木一本に二トン車。担当者三名。
おじさんの取引会社の車が、帰社の途中で拾い上げてくれたのだ。
若いお兄さんたちは、気さくで丁寧に、鉢の植え込みまでしてくれ、あげく「市原ぞうの国」の話までしてくれたというわけです。
すっごく嬉しかった!
http://www.zounokuni.com/tobira.html
なんで、こんなことを思い出すのだろう。
6月に女友達がみんな、西表の方にもぐりに行っていた。スキューバもするのだが、今回はみんな、シュノーケリングだったという。
あとから聞いて、わたしはひたすら羨んだ。
「いいなあ。でも外国だったら、わたしみたいなデブでも泳げるのに。外国だったらおばあさんやおデブも泳いでるよね。」
すかさず答えが返ってきた。
「わたしたち、もうおばあさんよ」
なんで、こんなことを思い出すのだろう。
Jul 19, 2005
椿に憑かれた人々は。
昨年から探して、今年の二月以来ず~~っと待ちわびていた椿がある。7年かけてつくられたという年鑑に記載はあるが、市販はされていない椿だ。
そういう流通していない椿は、原木を持っているところを探し当てなければならない。
20000種くらいあるなかの、2000種が載っている年鑑は業者も使っているものだが、それでさえ微細な違いで名前が違ったり、写真の加減で同じように見えたりする。
椿の原種は殆どが日本だが、戦前は意外にも国際交流は少なかったようだ。
それでも、重複を避け一つ一つの椿の登録をしてゆくことは困難だったに違いない。
二月から待った椿は、富山のさるお寺にあった。
椿展の終わったあと、「送る」と言って、その後、ご住職は病を得、なにやら大変だったようだ。
なのに、二度も請求をしてしまった。
根負けをしたように、昨夜「椿を送った。」と電話があった。
「家内にやらせた。」というのは、体がまだ良くなかったのかもしれない。
今日届いた苗は小さいが、再来年くらいには咲くだろうか?
椿に憑かれた人々の、手助けで見つかったこの椿。
経緯にも感慨がある。
Jul 18, 2005
キャロル・キングの腕は長いと思った夏の日
昨夜はなかなか寝付かれなかった。それで調べものをしていると、母のところにやった「フランクリン・アラタマハ」という常緑椿のもとは、いまや世界に一本しかなくて、保護も危ういと知った。今あるのは、すべてその子や孫たちだという。
蕾がついていたはずだ。
そう思うとまた、眠れなくなった。
やっと眠った朝の夢は、不思議だった。
昔の木のお風呂に入って、浴衣を着て(左前に)出ると、へっぽこさんがいた。
ちょっと古っぽい作業服で、丁寧な挨拶をして一緒にでかける。
夏の風物がめぐる。
昨夜、漱石についてのエピソードを読んだためか、「夢十夜」を思い出したためか。
畢竟、わたしという奴はこういう夢をよく見るのです。
咲き出した夏の花々の手入れをしようと思っていたが、あんまり暑いのでキャロル・キングのDVDを見た。
声は変らないが、腕が存外に長いと気づく。
ブーツを履いてピアノにかけ上る、キャロル・キング。
似合わないなぁ。
スタンディング・オベーションののちに歌った歌は意外でした。
ピュアな印象はかわりません。
Jul 17, 2005
暑い夏の日
ヒマワリを撮ろうとして、カメラをむけたときに、ふいに人はこうやって、一年を過ごすという思いに駆られて、涙してしまった。昨年の今頃は、父が退院をしていたはずだ。
それでも、車の運転もし、まだぴんぴんしていたのだ。
母の元へ、父の好きだったスイカを持っていった。
気の弱くなっている母に、もしこの人が居なくなったら、父よりも深い深い悲しみにめぐり合ってしまうと思った。
もう君に会うこともなき 夏もなき あしびきの山といいて絶句す 山中智恵子(違っていたらごめんなさい)
朝から、棚の付け替えで・・・・。
朝から、棚の付け替えで汗だくだく。タネの採種も少しする。
液肥もやって。
来年のタネや球根もきていて、このまま増えていけば、またおまわりさんが来るやも知れぬ。
しかしもう、梅雨明けだよな。
いい加減息苦しくなって、部屋に入れば「扶養家族二号」。
抜糸もして「ササミジャーキーくれ~~!」とセナ。
そういえば、吉本の『「食」を語る』はおもしろい。ゆっくり、読んでいたらアマゾンからチェンカイコー「子供たちの王様」もきた。
キャロル・キングも来て、本日の出足はなかなかよいね。
セナの昼食後、お出かけ。
帰宅後マツモトセンノウのタネが、できていたので採種。
あぢぢの一日。
夜「スィングガールズ」を見る。
ジャズのビッグバンドは見てみたいなー。
連休中は他人の手を借りるべし。
Jul 16, 2005
祭りがおわった。
セナは生まれて初めて、綿菓子を食べた。最初は無関心だったが、食べて見せるとおずおずと口に含んだ。
その後わたしは、寝付けないので、セナのそばで寝た。
セナはちょっと驚いたふうだったが、そのうち二人で寝てしまった。
人ごみは、深夜ちかくまで続いた。
Jul 15, 2005
蓮が咲いた。
先日、買った小さめの蓮が今朝咲いた。そばにヒツジグサ、ホテイアオイ。
これでハンショウヅルの花があったら、(家のばっちさを抜いて)なんとも夏の風情なのに。(「友人に、一番汚い家だよ。」と、いうと必ず迷子にならないでたどり着く、あ、ほんとだとかいって。)
犬のえさを求めて彷徨ってきました。「ササミジャーキー」シニア用。
今日は、お盆だからいっぱいあげようとすると、くるくるくる。
今日、父はお墓に帰るのか。
新盆で、寺に集まった遺族が20組くらいあったそうだ。
苦しんでいる人がずいぶんいる・・・とは母の言葉。
Jul 13, 2005
一昨日からセナと戦闘体制。
欲しいものが出てくるまで、「食べない」。ビーフジャーキーとキャベツ。服薬時はチーズ。
食べないということではない。きっと、一生懸命食べたいということなのだ。
善意の飼い主は、そう思うことにする。
昨日、いい写真は撮れなかったが、三倍体のツバキに実がなっているのを見かけた。
あれを育てると、面白そうだな。
今度お願いしてみよう。
外の植木を減らしたが、そこにクレマチスと、ハンショウヅルを這わせてみたい。ダイソーで見繕っても、どうにもならない。よしずみたいのを立てかけるか・・・・。
万策尽きるとはこういうことだ。
夏の難問二つ。
Jul 12, 2005
ヒノマルなんて知らないよ。
神社の祭礼が近い。そのせいで道路が一方通行になったりするが、今日は小学校の前の陸橋に、でかでかと日の丸がはためいていた。
近くの軍国神社は、最近えらそうなのだ。
カメラは復活した。
転んだときに、レンズのアジャスターがずれたのだった。
原因がわかったとき、天使が見えた(嘘
さしあたって、今日撮りたいものはない。
「ムクゲ」かな。
曇り空で、暗いから期待薄。
Jul 11, 2005
キングプロテア
30センチもある花。ケープタウンに群生し、鳥を媒介して増えてゆく。
なんだか気になっていたキングプロテアの、タネをネットで手に入れた。
前処理として、濃硫酸に20分浸し、水洗いして蒔く。PH5,5に保つ。・・・・こんなのが市場にでてるって、すごいよね。
大丈夫じゃなくなった。
ああ、アジサイを移植しなきゃ。ツバキの枝を落とさなきゃ。そんなことを思っていて、カメラを持つと行くべきところがひらめいて外出してしまう。今日はフウランと、赤いインドハマユウ。
フウランはあと、三日ほど。赤いインドハマユウは、一回目のピークを過ぎていた。
出直せばいい。それだけのことなのに、主のおばあさんに捕まった。
「あなたが、花の写真を撮ってる方なの?」
「そんな有名ですか?」と言いながら、なぜかあとずさった。
そこに駐車場の縁石があったのだ。
カメラがアスファルトを打った。
「大丈夫ですか?」
「ええ。」
そしてカメラのシャッターが、おりなくなった。
セナはすこぶる元気で、薬の服用を力いっぱい拒む。
シニア用のドッグフードも、嫌がるし、彼の昨今の好みは、アイスクリーム、とうもろこし、ビーフジャーキー。
好きだった、ビスケット、じゃこ、鰹節など、みんな拒む。
おいしいけれど体に悪いものは、犬でもやっぱり食べちゃうのだ。それに、好きなものが出てくるまでハンストをするようになった。
昨日、セナの病気の説明を母と弟にした。
弟はなかば怒ったように「わかったよ」と言い、母は「かわいそうだね」といい、わたしに「お願いね」と言った。
彼女は自分のことでもいっぱいなのに、絶えず誰かを心配しているから大変なのだ。
さて、セナはさっき昼食だった。
昨日から、ビーフジャーキーを食べさせないのに抗議をしている感じだ。ビーフジャーキーは、薬の時にやるから、当然昼食にはつかない。シニア用のドッグフードに、ビスケット。
これでも以前に比べれば、ビスケットがあるから上等なのだ。
ずっと寝ていたセナに促されて、冷蔵庫の前のセナの食器に盛る。
セナは後ろを向いている。
「おあずけ」
セナは尻をむけたままだ。
「お座り」
後ろ向きに座る。
「よし」
かれはおもむろに立ち上がり、水を飲んだ。
そんなわけで、わたしは大丈夫だ。
それにしてもセナを見ていると、観念がないことは何と自由なことなのだろうか・・・・と思う。
シニア用のドッグフードも、嫌がるし、彼の昨今の好みは、アイスクリーム、とうもろこし、ビーフジャーキー。
好きだった、ビスケット、じゃこ、鰹節など、みんな拒む。
おいしいけれど体に悪いものは、犬でもやっぱり食べちゃうのだ。それに、好きなものが出てくるまでハンストをするようになった。
昨日、セナの病気の説明を母と弟にした。
弟はなかば怒ったように「わかったよ」と言い、母は「かわいそうだね」といい、わたしに「お願いね」と言った。
彼女は自分のことでもいっぱいなのに、絶えず誰かを心配しているから大変なのだ。
さて、セナはさっき昼食だった。
昨日から、ビーフジャーキーを食べさせないのに抗議をしている感じだ。ビーフジャーキーは、薬の時にやるから、当然昼食にはつかない。シニア用のドッグフードに、ビスケット。
これでも以前に比べれば、ビスケットがあるから上等なのだ。
ずっと寝ていたセナに促されて、冷蔵庫の前のセナの食器に盛る。
セナは後ろを向いている。
「おあずけ」
セナは尻をむけたままだ。
「お座り」
後ろ向きに座る。
「よし」
かれはおもむろに立ち上がり、水を飲んだ。
そんなわけで、わたしは大丈夫だ。
それにしてもセナを見ていると、観念がないことは何と自由なことなのだろうか・・・・と思う。
Jul 10, 2005
ひさしぶりに近所のおじさんとカラオケに。
ガンの術後のおじさんは、まだおむつをしている。何かと不自由なようだが、尿意がわかるようにまでなったそうだ。もう一息だね。
カラオケでは、わたしは数曲を残して英語の歌を歌った。
ひたすら練習。(笑)どうしても、スザンヌ・ヴェガは歌えない。
初挑戦は、「追憶」。
歌いだしは良かったが、途中からカーペンターズになってしまった。
このカラオケは、気がふさぎそうだったのでたすかった。
母は新盆の準備をしている。明日は供え物の下に敷く「まこも」を買いに行くそうだ。
蓮の葉のかわりには、最近はサトイモの葉を使うという。
ナスやきゅうりの馬。盆堤燈。
簡略化されたぶんだけ、人は死によって学ぶことが少なくなっているようだ。
仏教に明るいわけではないが、「施餓鬼」はわたしの好む行事。
家の周りの植木を、弟が母のところに運んでくれた。
おまわりさん対策。
友人の就職先が決まったとの知らせ
失業してから電話もとめられていた、友人のそのごが気になっていた。彼の家の近くに住む友人に問い合わせたら、就職が決まったとメールがきた。
関西の人がメールは標準語。なんだかヘン。でも、ちょっとほっとした。
今日はセナの術後の初回検診。
案の定、浸潤性の悪性の癌だとわかった。
放射線治療、ステロイド剤、いずれも副作用が強く、余命は三ヶ月かもしれないし三年かもしれない。
Jul 08, 2005
ユニテの容子さんがシーボルトのことを書いている。
妻の楠本滝の名前から.シーボルトに「オタクサ(Otakusa)」と名付けられたアジサイは、写真のもの。アジサイは万葉集にまで詠まれているという。
そして日本から流出して、改良されたのが、いまの西洋アジサイ。
『もとガクアジサイを母種とし、日本で生まれた園芸品である・・・・・「あじ」は「あつ」で集まること、さいは真「さ」の藍の約されたもので、青い花がかたまって咲く様子から名付けられたもの』(牧野新日本植物図鑑)万葉でうたわれているのはガクアジサイだったのだろうか?
シーボルトが日本に滞在したのは6年間である。
術後のセナ
セナはあまり痛がらない。傷は10cmあるだろうか?
しばらく散歩も控えめにしていると、まつわりついて一日中はなれない。
食事はわがまま放題で、トッピングに鰹節、じゃこ、ビスケット。最後にはごはん。
薬を飲まさなくてはならないので、手をつくすも、すでに万策つきた感じ。
Jul 05, 2005
気球隊のこと。
戦時、家の近所には、日本で唯一の気球隊があった。用事でいった区役所で、展示を見た。
育った土地の戦争は、想像でさえ胸に迫るものがある。
この気球が入っていた建物は、わたしたちが小学校の時はがらんとしていた。
なぜか雲母があって、それを拾いに中に入ったことがある。
こわごわ入ると、高い位置の窓から夕日が射し雲母も光り、オレンジ色の中にわたしひとりがいるという気持ちになって「感動」みたいなのを感じた。
そのご改修工事が始まり、その絵を描いて校長室に張り出された。(爆)
犬の癌。
朝、おきたら、セナの胸が血にそまってしきりに舐めていた。吐血かと思ったがそうではない。
医師二人が看過してきた、腫瘍から出血していたのだ。
セナの胸をシーツとタオルで押さえて、医院に飛び込んだ。
案の定、癌だった。
リスクをかぶりたくない医師が、ここまで放っていたのだ。 即刻、点滴。 全身状態の改善をして、手術。 ケージのなかで、ないているセナは本当に可哀想でした。 午後一時過ぎに、手術がうまくいったことを知りました。 五時過ぎにお迎えにいきます。(さめざめ) 治療費は7万ナニガシ。
一生働かない友人。
かなり年上の友人に今まで一度も、働いたことがない男がいる。地主なのだが、ハンパではない。
そのおじさんは、司法試験を受けていた。40までできっぱりやめたが。
だから、彼の友人は法学部の教授だったり・・・・・なのだ。
「おまわりさんがきたよ。罰金が5・6万だって!」「待てよ、そんなに高いか?」
調べると確かに、そのくらいだった。「たかいねー」
彼はかつて、自分がスピード違反でつかまった時、即決裁判を拒否し、普通の裁判にもちこみ、自分で弁護もやって「無罪」を勝ち取った。
ゼミの友人がみんな見に来たそうだ。
「まーね。これは逃げたほうがいいよ」
そうであれば、いそいで片付けなければ。
Jul 04, 2005
おまわりさんが三人。
また、来たのだ。少しは片付いている?みたいに。
中年の恰幅のいいおまわりが、「全部やってよ。おまわりさん手伝うから」
「やだ!」
でも道交法で逮捕なんて、困るから「母に泣きつく」
目に見えない、近所の「通報者」に怒り!
Jul 03, 2005
ここしばらくセナの不調が。
ちょっと食事が減って、足がよろけるときがあり心配だった。昨日は少し持ち直したので、病院は見合わせた。
一日、一日が老いにむけて加速しているように思える。
ひょっとしたら19歳かもしれないセナ。
大事なセナ。
Jul 02, 2005
歯医者again!
かかりつけの歯医者で、以前ほかの歯医者でつめたところを「金属がはがれるまで」磨くように言われて半年、とうとう問題のところがはがれた。いつも磨き方を注意されていて、直らないやぶ患者なのに匙をなげない立派な歯医者さん。
座って「いつもすみません」と謝る患者も患者だが「いいんです、いいんです。」と守備範囲内なら寛大な歯医者さん。
でもどんなに痛くなくても、歯医者さんは疲れるね。
お昼にタイ料理を食べて帰ってきたら、ソフィア・ローレンさんが、電話をくれた。
昨日のおまわりさん事件のあとだから「大丈夫?」なんて言ってくれる。
「必要なグリーン・ベルトなのにね」
工事の人たちは、実に気持ちがよく「挨拶をする」
わたしはおまわりさんに「おはよう!」とか「こんにちは!」とか、言われたことがないと、再び思う。
Jul 01, 2005
警察のこと。
これまでにも警察官はきた。鉢をどかせ・・・と通報がきたと交番のおまわりさんがきた。
鉢をどかしたり並べ替えると、通報がくる。
近所の人かもしれない、と思うと本当に嫌だ。
ご近所を疑って生活するなんて、まっぴらごめんだ。
信号機ができ、家の前が夕方は渋滞するようになった。カーブもぎりぎりまで減速しない。
それもいまいましい。
とにかく、わたしがしないとはいいきれない(!)が「ちくる」やつは最低だと思う。
植木鉢のことまで、警察沙汰でどうするのだ。
それより最近、流行っている引ったくりを捕まえてほしい。
「すぐに、やれってわけじゃないよ。わたしたちも仕事だからね。」若い方がいう。
「こんな時代になっちゃったからねー」老練なおまわりさんが言う。
「大事にしてるのはわかるよ」
「生まれて初めて、こんな園芸をやったのです。」
三人は目を丸くした。
わたしはソーラーシステムかも。
なんとなく気力がない。だらだらしています。
オークションをめぐるトラブルにあって、余計いやんなっています。
http://www.ecom.jp/
ネットをめぐる商取引の相談所です。
たった今「池が道路にかかりすぎ」と匿名の通報を受けた警察官が三人きました。
道路交通法違反。
今回は警告。
次回は切符切り。
そして、逮捕、罰金だそうで・・・・。
ほんまかいな?
Jun 26, 2005
オオガハスは三分咲き・・・でも。
セナが絶不調だ。わたしがオオガハスを見て、お昼前に家に戻ってきた直後、セナの呼吸が一瞬とまった。
ぎゅっというような音がして、セナの目がひっくりかえるようになった。
わたわたしている間に、息を吹き返したが「病気」とか「不調」とかの概念がないから、セナはすぐにクッキーを食べてごきげんになった。
セナは最近、吐くような様子をよくするようになった。
胸のところに腫瘍のようなものがあるので、それがさわったのかもしてない。
その腫瘍は結果として二人の医者がみたが、二人とも「根」があるかどうかで違う見解を出し「治療」とか「手術」という話には一向ならなかった。
吐く動作は、食道に影響しているということだろうか?
ずっと気道に影響がでるかな・・・と思ってきたわたしは、考え込んだ。
高齢なので積極的な治療は、できないにしても「病状」くらい言ったらどうだ!
動物病院の医者は「へっぽこ」だ。
最初の医者だって「あの先生がいうなら・・・」だし、二人目の医者は腰掛けたとたん「動物の起源」について語って、「すぐ死んじゃいますよ」と言った。
結局、ふたりの言ったことは「ぺっとだから@:?>*」(記号のところをうめよ)じゃないか。
Jun 22, 2005
オオガハスを見に行こう!パート2
「・・・・・」になったあと「六甲のおいしい水」を飲みながら、ここまできたのだからと、父の墓に行くことにしました。割合に近いのです。
それに、この寺には叔父や叔母もいる。なんとなく賑やかそう。
とりあえず、どこかに行かないとという気分でした。
そして・・・・・あろうことか、墓地で迷子になりました。
さて、ここまで来ると、実家も公園もあまり変らない距離です。
電話で父の墓の位置を教わったので、(母の声は聞いたので)母より公園にしよう!と決めて歩くこと1時間。
ここは路地に入るといつも間違えるのですが、やっぱり間違った。間違わない道は知ってるのに、いつもそこは通らないのです。
小学校の先生の家の前を通って、そこから間違うという、いつもと同じパターンです。
ようやく着くと、桜の木の下では車が一斉に止まって皆様お休み中。
さらに行くともう、プールが開いていました。ここのプールはとても思い出があります。
オオガハスを見に行こう!パート2はここで終わります。オオガハスは、来週あたりが見ごろでしょう。(・・・・疲れた)
Jun 21, 2005
オオガハスを見に行こう!
朝、水を撒いたら、ハクサンフウロが咲いていた。やったって感じだ!。それで、今日はオオガハスを見に行こうと思った。脈絡はないかも知れない。
オオガハスは梅雨に咲く。
そろそろと、歩いて行く決心をした。
8キロくらいある。
行きがけに、小さな花屋さんに行った。
去年ヒマラヤの青いケシを見そこなった店員さんに、種と苗をあげたからだ。
行く予定だったタイじゃいらないしと思ってあげた種は、どうやら撒きはぐったようなので、その後マツモトセンノウの苗をあげた。
背丈は小さいが順調らしい。それで安心。犬のケンタにも久しぶりにあった。
この先は寄り道だらけで、カナヘビを見たりカナブンにあったり。
ようやく冷たいもののある店「べ○屋」(C大御用達の酒屋)にたどり着く。
「大きなカメラ持ってどこに行くの?」とレジを打ちながらオヤジ。
「オオガハス」
「まだ咲いてないよ。日曜日に行ったらひとつだけだったよ」
「・・・・・」
ここで、頭の中が真っ白になりました。(つづく)
ホウの木を、見つけた!
昨夜は、妙にセナが吠えた。そのことだけを伝えたのに、母は父の旧友から電話があったことを合わせて、妙な符丁のように感じるらしい。
とまれ、今日の目的は「ホウノキ」を発見すること。
晴れたら、そうしようと思っていたのだ。
久しぶりに、晴れた中を歩くとあっという間に汗をかく。(ホンジャマカの石塚が、不機嫌になったみたいだ。)
整地をされた広い窪地は新設の道路がとおることで、立ち退いた家などのあともなくなってしまった。迂回路の道しるべを、つっきって木が残っているところを目指す。去年、発見したホウノキは正面にあるはずだ。
やっとたどり着くと、タブノキとケヤキ。枝も落とされているけれど、こんなのは時間の問題でなくなる。
現にビニールのゴミが、あちこちに散らばっている。
そしてホウノキは無い。
がっくりしながら、帰る道には、もう一本の通り道を目指す。
道の反対側の、もう一叢の藪は竹が多い。ヨウシュヤマゴボウと竹のなかに、白いものが見えた。
タイザンボクだ。
薄暗い中に、白く大きな花が浮かんでいる。
あわや、ホウの花かと思った・・・・が、写真を撮っているうちに、奥のほうに青いホウの実が見えたのだ。
ほんとうに「藪は漕ぐのだ」と思った。泳ぐように自分の背丈より大きいヨウシュヤマゴボウを、何本もなぎ倒した。
ホウの木は、二本あった。
来年は絶対花を見る。
寝不足は気で補えと朴咲きぬ 金子兜太
Jun 20, 2005
偏在する父
父の日の納骨。残念なことに、愛犬セナは体調が悪い。
納骨の参列は、控えさせた。
変な言い方だが、墓は豪邸だ。
本堂から引き上げた、重い骨壷(鳳凰の模様の、瀬戸が重いのだ。)を抱いて墓に行く。
お骨は副住職の手で墓に納められ、その後、読経がある。
読経の内容はわからないけれど真言宗だから、結構お呪いみたいなものがあるようだ。
そうして供物を供え、米を撒き、線香をあげる。
「おめでとうございます。」と住職。
涙の母。
「建てまえみたいだね」とわたし。
「そうなんです。」と住職。
亡くなった人を、お星様になったという人もいるけれど、父は空気みたいに偏在していると思いたい。
「死ねば、死に切り」なのだろうが、そう言いきれない意気地なしの自分がいる。
Jun 18, 2005
6月のスイカ
ずっと父の禁断症状だった。父に会いたいと思っていた。
人懐っこい父であった。見栄っ張りで、おっちょこちょいの父であった。
父の尊厳を持ちきれない父であった。
わたしたちが成長すると、「父」をさっさと捨てた父であった。
普通であるというのは、立派なことである。
近く、納骨する。
「開眼供養」と書いてお布施をわたし、新しい墓に父が入る。
娘としてはちょっと一緒に入りたい感じだ。
母は「自律神経失調症」だとか「パニック障害」だとかいわれパキシルなんかを飲んでいる。(この処方なかなか名医だと思う)
そしてわたしのお友達のお母さんが、「立ち直るのに4年かかった。」と言っていたと聞き、気分が左右されたりしているのだ。
昨日、ちょっと立派なスイカを見た。
父が病床で、ちょっとした言い合いついでに欲しがったものだ。
「スイカ」だと思ったら、涙がとめどなく出た。
父が病床で○○子(わたしのこと)は、「気が強いだけあって泣かないね。」と言ったくらいなのに、急に涙がでた。
わがスイカ忌である。スイカを買いにいこう。
Jun 16, 2005
へっぽこさんのこと
わたしは、へっぽこさんのファンであります。昨夜きて話していったへっぽこさんの会社は、ますますとち狂ってきていて聞くのが辛いくらいでした。
でも、へっぽこさんの子息は健やかそうで、今日のTVに出たかもしれないのです。
わたしとセナは、寝過ごしたけど。
「子は春日井の甘納豆」・・・・。たけしは偉大だ。
「オヤマボクチ」を食べちゃった。
新潟のKさんに、送っていただいた荷物のなかに「笹団子」があった。笹団子を食べるのは、生まれて二度目だった。
一回目は学生のときで、漱石の「坊ちゃん」に出てくるキヨが食べたものだと思って食べた。
今回のは本格的で、しかも笹にくるまっていたらこんな季節でも団子が傷まないことを証明した。
月並みだが、先人の知恵は素晴らしい。
おまけに漉し餡も、つぶ餡もあった。
がつがつ食べてしまった。
お餅の、ヨモギの色がとても濃くて贅沢に思えた。
一昨日、Kさんからなかに入っていたのはヨモギではなく「ごんぼっぱ」というもので、「味の違いがわかりましたか?」とメールが来た。
「・・・・・・・」
確かに色は濃かったけど。
「ごんぼっぱ」というのは、ごぼうの葉の意味だろうか?
昨日、「ごんぼっぱ」の正体は「オヤマボクチ」だったとメールがきた。
Kさんも「ひぇー」という感じだったと書いてあった。
わたしは「ひぇー」の3乗くらい驚いた。
どんなに貴重な植物でも、お腹のなかに入ってしまったのだから仕方がない。
「オヤマボクチ」は人家の庭に植えられないほど大きいので、その存在感がとても気持ちがいい。
「オヤマボクチ」の葉は、ゴボウの葉に似ていないこともないから、「ごんぼっぱ」はゴボウの葉の意だろう。
ところで、オヤマボクチとハバヤマボクチを、わたしはいっぺんに覚えたはずだか、両者の違いをすっかり忘れている。
Jun 14, 2005
犬はさみしがりや。
捨て犬に出会った。 ペコさんちのセナとおなじ犬種だと思う。首輪はなく、ビニールの小包紐だった。それで立ち木につながれて、菓子パンの袋が散らかっていた。mitsui K&Tさんの日記の冒頭。
絶句した。
同じ犬なのに、そんな。
セナはもう年だけど、どんどん可愛くなっていくのに。
ずっと一緒に、いたいねーっていつも言ってるのに。
犬は捨てられたことも、おいていかれたことも判るのだ。
(わたしだったら、犬を自分の手で殺すほうがマシだと思うかもしれない。)
あちゃ、過激なことを書いてしまった。
Jun 13, 2005
時代劇のヤクザ(侠客?)に追われた夢で目覚め
時代劇のヤクザ(侠客?)に追われ逃げ惑う夢で目覚めた。わたしは町娘で、蕎麦屋に逃げ込む。
最悪。
一日を棒にふったと思うほど、疲れて起きた。
たまにこんな日があるよね。
昨日、父の遺品の帽子をだした。今日はこれをかぶると決めて。
セナに匂いをかがせると、一生懸命嗅ぐ。
ホームセンターへ。
Jun 12, 2005
花屋のおくさんは、同窓会に。
拾ったコウホネの土を買いにいったら、花屋さんの奥さんは同窓会に行ったので配送は明日になると言われた。帰ってきてタヌキモを片付けていたら、ザーサイの甕を割ってしまう。
鉢に水をやろうにも、花盛りと茫々でやりきれなくなった。
こんなことでは、真夏はどうするのだろう?
セナは今日、一本歯を失った。
父の日が近い。
主がいた!
ゆっくり寝て起きた。ペットボトルに水をやろうとし、窓際にいったら大きなクモがいた。
全長4センチくらいあった。初めて見るクモだ。
最近クモをよく見ると言ったら、弟がムシを食べてくれるからいいことだと言った。
放っておいたから、図にのって主が現れたのだ。
写真を撮ったわたしは、エライ。
このあとクモは、姿を消した。
フェレットの夫婦
「噛まない?大丈夫?」と聞くと、ペットショップののオヤジは「大丈夫だよ。人間べったりだ」と言いました。安心して指を出すと、フェレットは、わたしのひとさし指を「がりりと噛んだ」のでした。(驚!
Jun 10, 2005
「まったく治ってる」
昨日のセナの通院で、セナの足の指が変形(老化による)が原因なことがわかった。これはシェルティに多いのだそうだ。
そしてレザーをかけることくらいしか、対応はないそうだ。
一方、おじさんの通院日でもあったので、一緒について行った。
わたしは、病院周辺の花を撮って待っていたが、「まったく治ってる」と言われたそうだ。やったね!
Jun 08, 2005
セナよ、セナ。
セナの具合が悪いのを、昨夜発見した。後ろ左足をかばっている。
触っても痛がらないが、早足になるとびっこを引く。
ずっと注意をしていたが、持病の前庭障害の再発かも知れない。
あまりしっかりした医院とはいえないが、かかりつけの医院に電話をして相談する。
医院のほうでは「食欲があるようなら、明日」くるようにとのこと。・・・こういう場合にも、犬を乗せてくれるタクシー会社をみつけておいた。
犬は痛くなければ、気落ちしたりはしないのかもしれない。にこにこして、わたしに張り付いている感じだ。
が、やたらに甘えてくる。
不憫だと思って、ビスケットをあげ、アイスをあげ、レタスをあげ、トマトもあげ、カフェオレもあげて、ドッグフードをあげたのに落ち着かない。「むこうへ行け!」サインをすると、むこうに行くが、すぐに戻ってくる。
行ったり来たりをくりかえすうちに、狭いので横歩きっぽくなって、ひげダンスみたいになった。
「おや?」と思ったら、粗相だった。(爆)
散歩の時間には早いのに、食べ過ぎた。叱りながら、かわいそうなことをしたと思う。
可愛く不憫だと思いながら、サッカーを見ている。
Jun 07, 2005
話はつづかない・・・はは。
昨日は、晴れたのでセナと遠出のお散歩でした。セナは夏向きにカットをして、少しは暑さに耐性ができたところ。真夏はもっと切らないといけないけど。
今、家の横の道はずっと舗装工事をしています。
なにせ、煩いし、迂回したりで面倒。
その道を歩いて行きました。
すると遠くで6人くらいの、工事のおじさんたちが、わいわいとむなぐらをつかんだり、両肩を後ろからおさえたりしています。
水戸黄門なら「なにごとじゃ?」と言うようなところ。
すわ!と思ったおばさん一号は、とおりがかりにさけびました。
「あんたたち、いい年してなにやってんのよ!」
「警察よぶわよ!」
一瞬みんながこちらを向きました。だからといって「はい」と言うわけがない。効き目がないので、警察が嫌いなわりに、あっさりとわたしは110番をかけました。
でたのは女性でした。地番と状況をいったのに「なぜか?」なんて馬鹿なことを言うので(そんなん知らんがな。)電話を切りました。
まだこぜりあっています。
でも見てると、ぎりぎり殴らない。押したりもみあったりはするけれど、殴らない。
そのうち電話の効目で、ばらばらとしてきました。
わたしは二度目の電話で、収まりそうだ・・・と告げました。
おまわりさんは、でも事情を聞きに行くといいました。
そこへ、おばさん二号が飛び出してきました。「どうしたらいいのか、困っちゃう」とか言って
なんだかみんな、おかしー。
Jun 05, 2005
お茶の先生の家の庭に、新しい木が入った。
オオヤマレンゲ、カクレミノ・・・・・・。
客を喜ばせそうな整った配置に見える、それは椿たちの「濃い」感じをはぐらかしたようにも見える。
うーむ。
昨夜、酔った友人から電話が来た。
レッサーパンダの風太は、どうか?と聞かれた。(爆)
この人には今年、ツバキを数種送った。
挿し木用の枝も送って、順調らしい。「でもなー。ツバキはなかなか大きくならないから・・・*△□%○」
なんか、勘違いをしている。ツバキは3~4年で花を持つ。何十年もかかるわけではない。それを言うと「なに?ももくり三年?*△□%○?」と、ろれつの回らないことを喋った。
地方にいてアンテナが高い人で、わたしの植物の弟子(えへん)ではあったが、この分では「再教育」がいるみたいだ。
つづく
オオヤマレンゲ、カクレミノ・・・・・・。
客を喜ばせそうな整った配置に見える、それは椿たちの「濃い」感じをはぐらかしたようにも見える。
うーむ。
昨夜、酔った友人から電話が来た。
レッサーパンダの風太は、どうか?と聞かれた。(爆)
この人には今年、ツバキを数種送った。
挿し木用の枝も送って、順調らしい。「でもなー。ツバキはなかなか大きくならないから・・・*△□%○」
なんか、勘違いをしている。ツバキは3~4年で花を持つ。何十年もかかるわけではない。それを言うと「なに?ももくり三年?*△□%○?」と、ろれつの回らないことを喋った。
地方にいてアンテナが高い人で、わたしの植物の弟子(えへん)ではあったが、この分では「再教育」がいるみたいだ。
つづく
Jun 04, 2005
思わず話が飛ぶ・・・・o(%)○
昨日来たへっぽこ氏は、最近「アジア主義」の本を読んでいるという。そっか、今はその手の本も売ってはいないな。
でも、最近、小泉の靖国(産廃・・・これいいな☆)参拝に対する国会質問では、大川周明の名前が出てきたりした。
いい加減にTVをつけっぱなしにしておいただけだが、このネタ元は映画「東京裁判」ぢゃないか?と思った。
この映画はわたしも見たが、裁判中に大川周明がいきなり前の席の人の頭を叩くというところと、インド人の意見以外は記憶が薄い。
へっぽこ氏は、「ぺちっ・・ってたたくんだよね。」といった。
そうそう、そんな感じだった。
大川周明は収監されるときに、ドイツ語でドイツ人とインド人は来いみたいなことを言ったらしい。
へっぽこ氏は歴史に明るい。
わたしは、玄洋社の人が訪ねた、えらい人を(知事だったかな?)、待っている間に、お尻から出るサナダムシ(虫下しを飲んでいたらしい)を懐から手をいれ切り取って、火鉢の周囲に、ぺちっ、ぺちっと並べて貼っていて、だいぶしてきた主が、思わず火鉢に触ってしまい「異様な臭いが」したと書いてあったという話をしてくれた。(出典は夢野久作の、本かも知れない。)
わたしは、この話は結構気に入っている。
なんとなれば、目黒寄生虫館に行って、8メートル余のサナダムシを見てきたからだ。
よって、ほとんどホラーの世界なのだ。
とまれ、こんな時代には右翼も左翼もなかった、考え方の違いだけがあったように思う。
ところで、最近、小耳にした話だが国語の教科書に「イッセー尾方」が載るんだそうだ。「ゑっ?」という感じだが、吉永小百合の原爆詩の朗読も・・・・だそうだ。
わたしは教育に定見はないけれど、そしてイッセー尾方も好きだけれど、あの竹内 好のたとえ子供だろうと、人を喝破するような文章が好きだった。
本はどこかにある・・・・みたいな情けない状態だけれど。
写真は文章と関係ないです。
もう、梅雨かよ!
キョウガノコのうどんこ病をやっつけてる間に、三本のアメリカ産のバイカカラマツが葉に黒い斑点が出るややこしい病気になってしまった。気に入っているツバキもあやしい。
鉢植えは難しい。白い藪椿は救かったが、クリスマスローズも一部、駄目にした。
本格的に病気と闘うのは初めてで、そんなものは他人事だと思っていた。
それに、虫食いも増えた。トリカブトまで食べる虫がいるのだ。
このまま雨が降り、虫食いが増えたらわたしは発狂するだろう。
ところで、今年はオオガハスの栽培をしきれなかった。鉢がメダカに占領されて、どうしたらいいかわからなかったので、面倒になってしまったのだ。
まずは新しい鉢が入ると、オークションなどを見ていたがこれがなかなか高い。結局これも、面倒になって近くのリサイクル屋で「あのザーサイが入っているみたいな壷を買いたい」と言った。
リサイクル屋さんは怒った。断固「ザーサイが入っていた壷」ではないと言った。
言い値で買うとなると、機嫌はなおった。そして「骨董屋なら、三万だ」と言った。「骨董屋なんていい加減だ」と言うと、同意をしたが、彼もじつは同じ穴のムジナなのだ。
配送の車に同乗すると、わたしはちらりとデジカメの話をした。すると瓶を降ろすとき「デジカメ見せてくださいよ」という。あっさり見せたが「ああ、こりゃ古い。何画素ですか?メモリーはあるの?」なんて言い出す。(をい!)「古くない!」とひとこと言ったら黙った。が、イタチの屁のように7000円だという言葉が、その口から出た。
口をつねってやろうかと思った。
リサイクル屋も、骨董屋もいい加減だ。「お宝ブーム」で売る人間もおかしくなっている。
来年は、オオガハスを頑張ろう。
Jun 03, 2005
Oh! baby!!
日本のロックに「ベイビー」を、持ち込んだのは誰だろう?「ベイビー」は、定着しちゃっているようだけど、考えるとおかしいのだ。
「ベイビー」を使えばロック「あんた」を使えば演歌。
べいび~~いっ!
なんだかね。
スナックで聞いた話で、床屋さんが「アメリカの男性は、女性を大事にする。」
さすがだ。
だって「おーまい、がーる」って言うじゃん。」だって。
おわり。
ジョニーへっぽこウィンターのこと。
友人の車にのったとき「ジョニーへっぽこウィンターだよ」と言われ、少しだけ聴いたのだ。そしてその友人に促されるようにCDを買ってしまった。
ジェームス・テイラーや、T君が会いに行ったトム・ウェイツ。
「ぺこなら、だっこしてくれるよー」というような大男だったらしい。
しかしあの百家争鳴は、なんだったのか。
へっぽこウィンターを、今日は聴こう。
写真はリサイクル・ショップの骸骨です。
May 31, 2005
術後譚
おじさんの、お見舞い。母がこういう日は痛むのだと言ったから、晴れたのででかけた。
本当は、サイカチの花が撮りたかったのだけれど。
おじさんは、痛がっていた。
横になると傷が痛み仰向けになると、剃られた毛が生えてきて痛いのだと言った。
手術前には臍のゴマまで、取れと言われたそうだ。
ここまであからさまに聞いたら、こういうことがちょっと滑稽に思えてしまうことに、複雑な気持ちになった。
久しぶりに晴れ間を見た。
明日は買い物の手伝いをする予定。
写真は、関東にはないササユリ。
ミント鍋
10日くらい前に、佐渡の友人から電話があった。五人くらいで、交代に電話に出て「来いっちゃ!」(佐渡弁)と口々に言う。
最後に行ったのは、十数年前で寺に身を寄せていた。
電話はその時に知った「青年団」の人々だ。
過疎の村では、彼らはその後も誰も結婚していない。
そして、わたしは、何かと酒のさかなになっているらしい。
お酒ばかり飲む村の生活から、逃げ出したにもかかわらず。
佐渡は学生時代から何度か行っているが、最後に行った年の春は、山菜を山のように食べた。
ゴールデン・ウィークで来た友人たちと、アザミやワサビやワラビなどなど。
アザミは天ぷら。ワサビはお好み焼きなんかにした。
お酒につきものの鍋は住職が担当し、酔ったついでに薄荷(ミント)の葉を入れてしまった。
「ねー。これ歯磨きの味がするよー」
Rさん夫婦が断固抗議した。
アザミの天ぷらは、少しとげとげすると言われたが合格した。アケビやノブドウの蔓の天ぷらもまずまずの評判で、スミレをまぶしたサラダもOKだった。
とにかく、すべてをぶち壊したのは薄荷であった。
この年わたしは寺住まいをしつつ、墓にそえられる花の美しさを知った。
こともなげに老婆たちは、毎日来て花を活けかえる。まるでバスの切符を買うとか、そんなことのようだった。
そのなかには、お寺の奥さんの言う「おしゃべり三銃士」もいた。
とまれ地球の自転に呼応するように、墓の花の色が変って行くのは素晴らしかった。
後日談だが、わたしはひどいアトピーになった。灰汁の強い山菜を、たくさん食べたからだと医師に言われた。
そういえば、レタスやトマトなんかをずっと食べていなかった。
May 30, 2005
ヤマボウシ
アメリカハナミズキと、ヤマボウシが混戦模様だった。アメリカハナミズキは、アメリカ、ワシントン、ポトマック川のサクラと交換したものだ。
以前おじさんにその話をしたら、おじさんは「割に合わない交換だ」と言った。
アメリカハナミズキは、ヤマボウシよりいくぶん早く咲き、白のほかにピンクがある。それがカギと言えばカギだと思っていたら、先だって、ついにピンクのヤマボウシを見てしまった。
アメリカハナミズキとヤマボウシの混交種に違いないが、菓子屋の店先に活けてあったのだから、樹形はわからない。ついでに、菓子屋のおばさんは「近頃はアイノコが多いから」と近所のフィリピンの女性のことを話し出した。
わたしは、アメリカハナミズキの大木を見たことが無い。
ヤマボウシの大木は秩父で見た。
直立よりむしろ横にはる感じの枝振りで、せり出した枝の上が白く、さながら季節外れの雪をかぶっているみたいに見えた。
遠くからで、それがわかるくらい立派だった。
僧兵のかぶる頭巾にたとえた山法師の名はそこから来たのだ。
去年、森林インストラクターの方から、実が食べられると聞いた。食べるとなかなかだった。
秋に結実する。
この花に見える総苞が尖っているのがヤマボウシです。
シロヤマブキの発芽
一昨年、蒔いたシロヤマブキが発芽しないので、諦めてベニバナを植えた。ベニバナは貧弱で、活けたプランターの狭さに泣きそうに見える
なんと、そこへシロヤマブキが発芽しだした。
苗は移したが、驚いた。
ネットで知り合ったT大の生物学の先生も、「翌々年発芽すると聞いたことがあります。」とメールをくれた。
しかも「朝鮮半島と日本がほぼ陸続きであった時代に、日本にも分布した植物の1つであると考えられている。」だって。
バラ科。シロヤマブキ属。シロヤマブキ。一属一科。なのである。
May 29, 2005
思い出が、一番厄介だと・・・・・。
ソフィアローレンさんが「思い出が、一番厄介だと言った」のだ。今月になって、車のなかや自転車や道で父のような人を見かける。
「おとうさん」と言い出しそうになって、別人だと知る。
わたしが、父から呼ばれた言葉、照れて母に言った親しげな言葉も思い出す。
思い出・・・こいつは、本当に厄介だ。
May 28, 2005
ドリカムを聞きながら
はっきりしない空で、動く気がしない。セナは「行こうよ」とでも言いたげにそばに張り付いている。
母のつくった蚕豆を食べ、うろんとしている。
植物の植え替えは、あらかた終わったが「もういやっ!」
来年はこのペットボトルが加わるのだ。
園芸には土地が必要なことを、重々知っていながら、植木鉢ばかりいじっている自分がいやになった。
May 27, 2005
おじさんのお見舞い2
「しりこだまを抜かれた」おじさんは昨日より元気がなかった。今度はわたしの知らぬフォークを聞いていた。
気がふさぐので音楽をかけている。
「尻が痛てー」を連発し、横になったり座ったりしている。
久しぶりに散歩
サイカチのある狭い墓地が、いつも気になる。色の濃い藪椿が終わって、久しぶりにきたら、ムシトリナデシコが入り口にいっぱい咲いていた。
奥に入ると新緑がきれいで、サイカチの下はすでに蝶道になっていた。
カラスアゲハを二頭見た。
帰ると母が来ていた。煮物と野菜を持って。
喘息があるので「やめてくれ」と言ったが「試してみるのも、必要なのよ」と電話を切られた。
来てから、母はセナを抱きしめた。そしてちょっとだけいて、お墓参りをして帰ると言った。
わたしは、母にやさしくない。こういう時にも・・・・。
呉越同舟
玄ちゃんは、先日の電話で「共産党」に入ったという。「9条の会」の後押し、だってさ。
呉越同舟とからかったけど、憲法9条は「俺たちが生きてきた、時間そのものなんだよ。」という言葉は重い。
広島も窓口が一本になったようだ。呉越同舟ってナカナカの言葉だな。
May 26, 2005
国労で、非常に長く頑張っている友人がいる。
頭がさがる息の長さだけれど、その友人は静岡なので毎年、有機農法の新茶を父に送ってきてくれていた。
父が国労だったというのがその理由だが、父が亡くなった今年も送ってくれた。
母は送られてきた、お茶を見て嗚咽した。父は本当にお茶が好きだった。
今度の電車の事故でも、母はずっと泣いていた。
愛する人を失う自分のような時間を、被害者のひとは過ごす。
「合理化なんてリストラじゃないの。」と通っている民医連の病院で、「医師に言ってやった」と言う。
実際、JRの事故は増えていたらしい。
わたしの実感では、問い合わせの電話に誰も出ないし、ホームの控え室みたいなところに、駅員はいなくなった。
昔のように貧血で倒れたり、荷物を線路に落としても誰も対応しないだろう。
今度は郵便局まで民営化・・・「きっと、自殺者がでる」とわたしは思っている。
頭がさがる息の長さだけれど、その友人は静岡なので毎年、有機農法の新茶を父に送ってきてくれていた。
父が国労だったというのがその理由だが、父が亡くなった今年も送ってくれた。
母は送られてきた、お茶を見て嗚咽した。父は本当にお茶が好きだった。
今度の電車の事故でも、母はずっと泣いていた。
愛する人を失う自分のような時間を、被害者のひとは過ごす。
「合理化なんてリストラじゃないの。」と通っている民医連の病院で、「医師に言ってやった」と言う。
実際、JRの事故は増えていたらしい。
わたしの実感では、問い合わせの電話に誰も出ないし、ホームの控え室みたいなところに、駅員はいなくなった。
昔のように貧血で倒れたり、荷物を線路に落としても誰も対応しないだろう。
今度は郵便局まで民営化・・・「きっと、自殺者がでる」とわたしは思っている。
山の花のでどころ。
山の花を掲載する時、躊躇するのは「山から取ってきたのを、買っている」と思われることだ。そんなことはありません。
今日、了解を得たので、URLを紹介します。(内緒にしておきたい・・笑)
http://www.arasawasanso-en.co.jp/mokuji.html
「当園では一切、自生地による苗採取を行っておりません。」というその心意気やよし。
May 25, 2005
おじさんの家へお見舞いに。
おじさんは、ニールヤングを聞いていました。「痛い、痛い。無くした前立腺のところが、痛い」
ピザを頼んでジャニスをかけて、わたしは「コマネチ」をやりました。
笑いながら痛がっている、おじさん哀切。
ゼンリツセンの病気は昔はなかったのかな?
明るくなったよ。OK牧場!
家のひさしの部分のプラ波板(こう言うんだそうだ)を換えている。よその家の屋根を修理中の「コバヤシさん」に声をかけて相談したら、家のも見積もってくれて快諾してくれました。今までのを取って、ひさしを透明な波板にしたので、明るくなりました。
そして捨てそこなったサッシを「持って行ってくれる?」なんて聞きながら、分別収集のことを話しました。
バブルの時は、すごいごみが出たんだろうな。
そういえば、企業倫理という言葉も聞かなくなったね。
昨日はコバヤシさんは屋根から下りてきていきなり「すごいねー。お宅の緑」と叫びました。
「ほんとそうなんだよねー。」
「でもね、バラがすごい家を知ってるよ。」
今年はうなるようなバラをいっぱい見てるので、わたしの通販&収集ファクトリーも負けちゃうと思いました。
今日は道路側にでているヒメサユリとクロユリの開花中で、さっきコバヤシさんはいたずらっ子みたいな顔で「みんな見ていくよ。立ち止まって」と伝えにきました。
セナの夢
セナは夜は遅くまで起きていて、朝は五時起き。なんでこんなことができるかっていうと、散歩のあとたっぷり寝ています。
最近は、発情期(ピークは過ぎましたが)のようで、時々落ち着かなくなります。
heatってアメリカでは言っていたな・・・と辞書をひいたら絶妙なニュアンスでした。
余談ですが、人間について、20代の発情期には、いっぱいボーイフレンドがいたけど「30を過ぎたら、潮が引くようにいなくなった」というのはNさん。
ほんと、そうだよね。
「君だけだとか言って、半年もすりゃ結婚してる男たち」これはIさん。
いずれも、聡明な美人です。
セナはシープドッグ。
でも一回も、ひつじを見たことが無い。 多分、一生ひつじに会うことも無い。
夢に友情出演?(羊の写真はニュージーランド。写真はネットで知り合ったジェフさんが提供してくれました。)
May 24, 2005
ガンセンターに行ってみた。
おじさんは、退院した。野戦病院みたいな早さだった。
入院中、お見舞いに行った。
「痛くない。」尿道の鈍い痛みは、ちょっといいようがないが、さほど苦痛ではないということだった。
知人が新宿の国立ガンセンターに入院したのを振り出しに、わたしの周囲はがん患者だらけになった。
つまりは、そういう年齢だということだが、おじさんの入院先は、同級生が亡くなったところでもある。
彼女は「手遅れ」だった。
お見舞いに行ったとき、帰りのエレベーターまで送ってくれた。扉が閉まりエレベーターが沈むのを見ている刹那の、彼女の表情をいまだに忘れてはいない。
その後、何度か相談のような電話があって、そして通夜に行った。
五年生のお嬢さんと、ご主人が痛々しかった。
祭壇の彼女は、美しかった。
わたしが初めて出た同窓会で、彼女は家のまわりには「ヤマユリがいっぱいあったのよ」と言っていた。
彼女の家は、ちょっと離れた線路沿いにあった。さもありなん。
同じような風景は、関東の人間の原風景みたいなところがある。
それにあたるのが、関西の人にはササユリだというので、わたしは見に行こうと何度か思った。
奥飛騨の温泉まで決めて、駄目になってから憧れは増した。
今日、注文しておいたササユリが届いた。りっぱなササユリだ。
明日、おじさんのところに一株持っていく。
今やおじさんは、尿路感染や、痛みやらで苦闘中らしいから。
カタクリモドキを培う。
カタクリモドキ、人によってはシクラメンモドキとも言う。 ドデカテオン、サクラソウ科、ドデカテオン属のもの・・・というか、現物は今年初めて目にしました。扱いやすいということで、流行の兆しがあります。
図は1800年頃のもの。
これを書いていたら消えてしまった。よってもろもろの書きたいことも、どこかに行ってしまった。
May 21, 2005
すごーく忙しい・・・。
植え替えとか、水遣りだけで一日が終わる。水遣りは、一日に二回。為丸式の、ペットボトルもいっぱいだ。
ペットボトルの蓋を取るとその手のごみになり、来週までペットボトルの台所で動く。
もう蓋なんて無しで、挿し木の時期になりました。
植え替え~~~っ。
あ、セナの面倒も大変ですよ。_| ̄|〇 ←ぐったり。
May 11, 2005
ガンの手術に立ち会った。
自動ドアの調整などに「立ち会う」という言葉を使うと知ったのは就職してからで、それまでは「立ち会う」という言葉を使うのは手術だけだと思っていた。というわけで今日は、手術の立会いをした。
母は、お父さんに頼んでおくからと言った。弟が送ってくれた。本人の弟さんが、やっとの思いで調整して休暇を取った。
立会いは二人になった。立会人は三名までだが。
以前、千葉刑務所の門に、張ってあった紙には、「お迎えは三名まで・・・云々」となっていた。そんなことを、つい思い出した。
そして先日、書いたツアーのような集団は、一日に三組くらいできるということも知った。
立会いと言っても「待ってる」のが殆どで、医師から成功といわれ説明をうけたらICUで、すぐに本人と話ができた。
今の外科治療はすごい。全身麻酔はすぐとけるが、脊髄に麻酔をうめて少しづつ出るようにするのでその後の痛みも感じない。
だから、数日ですぐ歩かせたりする。ベッドの回転率もさることながら、もとの生活に復帰させることを最優先にしている。
とにかく初期がんの手術で、5年後の生存率が95%だ(残る5%はガンで亡くなったとは限らない)と聞いていたので、そんなに早くガンが見つかるのは悪運が強いか幸運なのだ。(笑)
いずれにしても良かった。が、セナはふてくされ、朝から4時までドッグフードを食べなかった。
帰って散歩しつつも、病棟で見た坊主頭の子供たちのことが何度も浮かんだ。
*たった今、インテリ玄ちゃんと呼ぶ友人から電話が入った。夕食も食べず、掃除であわてていた時だか、ひとつだけ面白いことを聞いた。
「ねえちゃん、あのね金子光晴が、前立腺肥大って70過ぎで言われて喜んだんだって。」「なんでだと思う?」「わかんない。」
「マエタチセンって読んだんだってさ。」
ところで出所は「面白半分」という雑誌だという。
実はわたしは彼(金子光晴)の面接で合格(?)し、「面白半分」に採用が決まっていたのです。 続く・・・・かな?
May 09, 2005
ガンセンターとジョウカイボン
今日はガンセンターに、入院の付き添いに行った。理由はわたしが無職というか、暇だから。
彼は先日家の鉢に芽の出た生姜を植えていった人だ。
近所なので因縁はいろいろあるが、母が乳癌で入院をした時に、お姉さんが乳癌手術をしていたので、いろいろ話を聞けてたすかった。
母の病状が落ち着いた頃、彼はひとこと言った。「姉さん以外、みんな死んじゃったけどな。」
「・・・・・」まあ、昔の手術だからだ。
父の時は連絡係り兼、交代要員になってくれた。両家は、まるで癌が取り持つ仲である。
今回、彼の癌は会社の検診で見つかった。腫瘍マーカーは素晴らしい。非常に初期のものさえ発見できるのだ。
それでも切らなくてはならないらしく、入院の順番を待っていた。そしてキャンセルがあって、そこへ飛び込めたのだ。
仕事で入院の付き添いなんて、山ほどやっていたが今日は少し様子が違った。外来の待合室のとなりが実は今日、入院の人の待合室だった。20人くらいたまっている。
暫くすると、看護士が来て名前を呼ぶ。
十人くらいのグループに分けると、彼女は「じゃ、初めての人!」と手をあげるそぶりをした。
そして手をあげたのがふたり。
どう言ったらいいのだろう。癌はそれほど当たり前だというのと、だからってツアーのように手を上げさせるというのはないだろうというのと複雑な気持ちになった。
二度、三度の入院でよくなる人もいるのだということに、思いをはせられなかったという不覚さもあったが。
病棟に行くと、病室の側の食堂のようなところで、学校の先生が授業をしていた。そこは明るい部屋だった。子供は多く、彼らはみな坊主頭だった。
手術の時間はあさっての9時に決まった。
それだけはっきりしたら、わたしは昨夜の喘息の疲れで30分も入院患者のベッドに寝てしまった。
結局、荷物を持っただけだった。
ガンセンター周辺は、都内で言うと清瀬みたいな感じで、大きな病院がいくつもある。
帰途、少し歩こうと15分くらいで生前、中原中也が入院していた病院に立ち寄った。
勿論、面影などないだろうど。
ごそごそサルトリイバラみたいな芽を撮っていたら、ジョウカイボンみたいなのがいた。よく見るとぜんぜん違って、春のカミキリムシだった。
そういえばジョウカイボンは、賢治にも出てきたっけ。
ベニカミキリ。春のカミキリは、可愛い。吉兆だと思って、帰ってきた。
May 06, 2005
早く起きた。
今朝は早く起きた。四時だった。
セナは散歩に誘うが、無視をして5時まで床の中にいた。
散歩に出る前に、鉢に水をやった。
鉢のなかにゾウムシを発見!しかし水をやってるうちに、ぜいぜいしてきたので、喘息のクスリを飲んでやっとセナとの散歩をすませた。
セナは発情期である。
母がそんな年なのに!と言ったが、明らかに発情期で気が昂ぶっている。
ゾウムシはリンゴコフキゾウムシに似ている。セナの頭の上の暖簾は、手書きの金魚だ。
植物の本を買ってみた。
八坂書房はおもしろい。とくにプリニウスの博物誌を出してから、注目していた。
植物関係の本は花占いなどを除いて、結構「当たり」です。
高額なら平凡社。この出版社は荒俣宏がいたくらいだから、お勧め。
ただし荒俣宏の文章は、好みではない。(きゃー。えらそーっ。)
で、本だが、今まで買った事が無いような高価な本を古本屋で買った。衝動買いというのは、ビンボーな人がするのであって金持ちのソレは、衝動買いとは言わない。
で、当然のようにビンボーなわたしが買った本は、平凡社からでた「植物精選百種図譜」という。
荒俣宏が監修している。
しかも400部しか出ていない。日本に金持ち+衝動買いは400人だろうか?内訳を知りたい。
ところで荒俣さんは昨年、体調もよろしくないという理由、でオークションでグールドなどの絵を数枚売った。売り食いじゃないか・・・ふと、そう思い、かなり哀れに思えた。ところが立ち上げたばかりのオークションで、胴元が良くないので、すぐやめてしまったのだ。
わたしは、6000円のグールドを惜しんで買わなかったから、未だに悔やんでいる。
でも、どうして、こう行く先々に荒俣さんがいるのか?
結構、悔しい。罠にはめられているみたいだ。
彼の本を読んだのは一冊だけで、みすぎよすぎで書かれたような本だった。それなのに、図譜の編集となると「荒俣宏」だ。
まあ、それは日本だけの話で、外国のサイトに行けば、日本のけち臭いサイトより、はるかに立派なボタニカルアートは見られるのだが・・・・・。
でも荒俣さんに、これは、こうよ・・・と言われたくない。そんな気持ちだ。
図譜は自分で読み解きたい。生意気ですが。
*この本を買ったのは友人たちが連休で、沖縄方面に行ってしまった と知ったからです。くやしー。
May 02, 2005
ギョリュウと牧野
去年まったく咲かなかった、ギョリュウが咲いた。向かいのゴルフ練習場が立て壊され、整地されたら周囲のギョリュウの殆どが咲いていることに気がついた。
写真を撮るのは簡単になったけれど、この先切り倒されるのかも知れないと案じている。
二回ほど行って写真を撮った。周囲には他にも、気になっている植物がある。ヤブカンゾウとヒマラヤユキノシタだが、ギョリュウは木だから心配のむきもかなり違う。
写真を整理して、アマゾンに本を頼んでいたら、以前買った牧野富太郎の「植物一日一題」という本がでてきた。
牧野富太郎の昔でたエッセイはみんな読んだが、残念ながら寄付してしまったので、手持ちの著書は少なくなっている。そのうえ記憶はまったくあてにならない。
それでも若いとき読んだ文章の、すごさだけは記憶の底にある。図鑑の文章もだ。
さてギョリュウだ。牧野は「要するにギョリュウは少なくも一樹で二度花が出て、初めの花は去年の枝に咲き、次の花は今年の枝に咲く。ギョリュウを見る人、このイキサツを知つくしていなければギョリュウを談ずる資格はない」と書いている。
そして小石川植物園でのギョリュウの夏の花の観察が、伊藤圭介、賀来飛霞によって描かれ、シーボルトは「フローラヤポニカ」で5月のギョリュウを描いているという。
当時このことを知っていたのは牧野だけだったそうで、学者は物知らずで「この点では天狗よりももっともっと鼻を高しても良いのだと自信する。」と断言している。
そういえば、今年は殆ど咲かないと思ったのは秋だった。冷や汗三斗。ギョリュウは、寛保年間に中国から渡ってきたそうだ。
May 01, 2005
トガクシショウマに会う。
戸隠は学生のときから、四季を通じて行っていた。それがここ数年行かないのは、知人の旅館経営者が倒れたこと。
その後一回行ったら、長野オリンピックで様変わりして連休には大渋滞をするような場所になっていたからだ。
旅館の主は「オリンピックいらない」という候補者を、選挙のとき擁立していた。田舎の子供たちが、排気ガスと車をよけながら学校に行き、遊び場もなくなってしまったことや、生活道路がすみに追いやられていることなどを、コーヒーを飲みつつ、手の空いた夜の時間にわたしたちに話してくれた。「中社から宝光社まで行く道が、何本あるか歩いてごらんなさい」
わたしたちは、先人の歩いた道を歩いた。夜は酒盛りになったが、それは発見に満ちていた。江戸時代の波ひとつないような、灌漑用ため池や水源の絶たれたあとから、昔の村のかたちを少しずつイメージしてみた。
「30才までには戸隠山に登ろうね。」多分、約束を果たしたのはわたしだけだろう。
そして数十人もいた当時の友人たちは、旅行会社や福祉施設にも就職した。みんなそれぞれ家族をかかえながら、遊びに行くと旅館主について連絡しあった。
旅行社で働きつつ、観光地化にギモンを持ち左遷させられたり、ヤマセミをまもる会で活躍したり。
当時トガクシショウマは、合言葉のようだった。森林公園や鬼無里、どこに行ってもないのに。
ロックガーデンの立て札が虚しかった。
それでも行けば、主はその時期の良いところに連れて行ってくれたりした。わたしは、一人で行くことも多かった。
感動的だったのは、アケボノシュスランに会ったときだ。息を呑む美しさだった。名前が自然に出てきた。そしてなぜか主の友人の、谷川雁さんのことが浮かんだ。奥さんがとても植物に詳しいのだと聞いていた。
こんな感動があったら、住み着くよな。黒姫文士村は、いかがわしいと思っていたのに、そういう時だけ共感するのだった。
トガクシショウマは美しい。そう書いてあった本は読んだが、初めて目にした。
届いた昨夜から、カメラを持ち歩いている。
Apr 30, 2005
講談社「山野草大百科」は充実している。
1200種の写真も綺麗。栽培の仕方もあって、¥2857はお安い。山野草はもっと流通が確保されれば、育てたい人も多いと思う。
わたしなどは山野草というだけで、盗掘という言葉しか浮かばなかった。
しかし、最近は普通の花屋でナルコユリを売っていたり、ホームセンターで山芍薬を売っていたりするのだ。盗掘ではない。ちゃんとした生産技術が確保されているのだ。
そんなことで、今や育種をするのも、自然保護につながるのだと思いはじめた。
ちゃんとした生産管理があれば、盗掘も減るだろう。
植物を育てるのは、楽しい。育てながら毛虫に刺されたり、イモムシが蝶に成長する姿を見る。
種を見たり、苗を見たり。一年では育たないことを、知ったりするのは、少しだけ世界が開ける思いだ。
個人的には、種からなるべく育種したいが、今のところクリンソウとスミレくらいしか出来ないのに生意気を言いました。
疲れた・・・・。
ツバキの挿し木の収拾も終わらないのに、春の花や木がきた。家のなかに草がある。やれ、土が足りないの、鉢がたりないのの挙句に、植えきらない草が部屋のなかにあって、部屋の中で水をやっている。いじけてきた苗もあって、わたしもいじけそうな気持ちだ。
今年は、とくに山野草が多い。A山荘のKさんのお陰で、その魔法の指から育った山野草を買えるのだ。
おいしい椎茸まで買える。
わたしは今、身内にガン患者がいるので、トマトときのこを多く摂取するべしといわれて、このおいしい椎茸にラッキーと思った。
ありがたい。
ガンの患者はかなり多く、身辺にいる。温存法をとったものはおらず、みんな切ってしまっている。「ガンに捕われて暮らすのも、人生だけど」Iさんのこの言葉は、かなり説得力がある。
わたしは亡くなったスーザン・ソンタグの「隠喩としての病」を思い出す。病気と闘う精神のありようを、教えてくれた本である。
Apr 28, 2005
ガンセンターに行ったついでに寄った寺
ガンセンターにちょっとした用事で行った帰りに、当地では古いので有名な寺に寄った。実は、わたしの「ひいじいちゃん」は宮司であった。
その神社のルーツともいえる寺がここなのだ。
そうは言っても小学校の時以来行ったことがなく、10年くらい前に骨董市があるという噂を耳にしたくらい疎遠であった。
子供の時の記憶というのは、結構ゆがんでいるかもしれないが、ここの大きなイチョウは有名だった。しかし、こんな大きかっただろうか?解説によると709年に行基が植えたと書いてある。(昭和10年の立て札)
一目で鎌倉の八幡宮のイチョウより、はるかに大きいことはわかるが、かの地のイチョウは教育委員会の手によって年々、古くなっていった。
当初は実朝暗殺事件の時には苗だった計算で、公尭が身を隠すなど考えられなかったのだ。
わたし達はそれを笑っていたが、いつの間にか帳尻があうようになっていた。
ここのイチョウもそんなことはないだろうか?
それはともかく期待もしながったのに、牡丹がみごとだった。
今年わたしが買った色の、牡丹もあってますます楽しみになってきた。
そして帰りには、また「そごう」の園芸店で鉢植えを買ってしまった。
やんぬるかな。
黄色いスミレ
時効になっているはずだが、まだちょっとこだわっていたりする失恋譚があって、何かのはずみでその人物が桐田さんの友人であったことを知った。お互いにびっくりしたはずだが、桐田さんは当然時効のこととして摩訶不思議な人生の邂逅を話したらしい。
一方、わたしは絶句した。寝た子が起きそうになったからだ。
なにしろ打たれ弱いので、執念深いのである。その執念深さが記憶している、彼の山のお土産キバナノコマノツメをアップします。
黄色いスミレは何種もないのです。
すごいことになってるね。(´`)ゞ
昨晩、久しぶりに友人が来た。残業のあとなので結構遅かったが、入ってくるなり「すごいことになってるね」と言われた。
すごいこととは、植木のことだ。
春になったら、さわさわと若葉がのび「すごいことになった」のだ。
まぁ、わたしの想像の範囲内ではあるが、フツーの感覚だと「すごい」のだろう。
緑の要塞。話が飛躍するが昔、行ったトロツキーの博物館も要塞だった。しかし、塀の中が緑なのであった。家は塀の外だ。(爆)
なにしろ塀はすさまじかった。二段くらい高く伸ばしてあって、入り口もチョー狭かった。
無知なわたしは、そこでアンドレ・ブルトンとトロツキーが知人であったことを知った。
スターリンの恐さも少し、わかった。
さて、友人の話である。牡丹の寺の話から、ヤクザと右翼の話になった。北一輝などは右翼とも左翼とも、言いきれないねと話しつつ「さざれ石」のある神社の話になった。「あれ、は礫岩みたいだよね」集まって石になったというより、侵食されて残った感じ。
そして玄洋社から大川周明の話になり、夜は更けていく。
目の赤くなったセナがうろつく。
手を叩くと、必ず左回りをする癖を披露しながら、何度も毛布のところに行こうとする。
写真はサンカヨウの種が出来かけているところ。普通はこんな写真は見られない・・・と思う。
ピエール・ジョセフ・ルドゥーテ Pierre-Joseph Redoute
http://www.shisan.niknak.ne.jp/info/Redoute.html このボタニカル・アートの始祖みたいな人の絵は、いつもバラが注目されるが、ユリ科の花の絵もかなり良いと聞く。わたしはバラにそう、興味があるわけではないが彼の絵を数枚持っている。
しかし先日あらためてアメリカのネットをしらべていたら、バラと違う図譜があった。
おお!と思ってさっそく数枚、購入を依頼した。
届く予定なのは連休中。
楽しみだが、額装を依頼しなかった。悔しいが、それだけで一枚につき2万円かかる。
バラ図譜のようなものは高価なので、周期的に復刻ドットコムなどで再販されたりしているようだが、あわせて高価な美花選とかユリ科の本などはどういう人が買うのだろう。
いずれにせよ、手書きの時代の画はプリントでも高価だ。
でも、日本で買うと、実際に見ながら買える利点はあるが、より高価だというのが今のところの感想だ。
今年の牡丹はよい牡丹
朝、妙に早く目が覚めた。セナを見ると、すっかり散歩に行く気になっている。
5時過ぎに家を出てたらたらしていたら、去年、牡丹がみごとだった寺を思い出した。
6時少し前だったが、インターフォンで住職を起こした。
山門を開けるのは自動だ。
明日からは6時に開けましょうと言われました。