May 01, 2005
トガクシショウマに会う。
戸隠は学生のときから、四季を通じて行っていた。それがここ数年行かないのは、知人の旅館経営者が倒れたこと。
その後一回行ったら、長野オリンピックで様変わりして連休には大渋滞をするような場所になっていたからだ。
旅館の主は「オリンピックいらない」という候補者を、選挙のとき擁立していた。田舎の子供たちが、排気ガスと車をよけながら学校に行き、遊び場もなくなってしまったことや、生活道路がすみに追いやられていることなどを、コーヒーを飲みつつ、手の空いた夜の時間にわたしたちに話してくれた。「中社から宝光社まで行く道が、何本あるか歩いてごらんなさい」
わたしたちは、先人の歩いた道を歩いた。夜は酒盛りになったが、それは発見に満ちていた。江戸時代の波ひとつないような、灌漑用ため池や水源の絶たれたあとから、昔の村のかたちを少しずつイメージしてみた。
「30才までには戸隠山に登ろうね。」多分、約束を果たしたのはわたしだけだろう。
そして数十人もいた当時の友人たちは、旅行会社や福祉施設にも就職した。みんなそれぞれ家族をかかえながら、遊びに行くと旅館主について連絡しあった。
旅行社で働きつつ、観光地化にギモンを持ち左遷させられたり、ヤマセミをまもる会で活躍したり。
当時トガクシショウマは、合言葉のようだった。森林公園や鬼無里、どこに行ってもないのに。
ロックガーデンの立て札が虚しかった。
それでも行けば、主はその時期の良いところに連れて行ってくれたりした。わたしは、一人で行くことも多かった。
感動的だったのは、アケボノシュスランに会ったときだ。息を呑む美しさだった。名前が自然に出てきた。そしてなぜか主の友人の、谷川雁さんのことが浮かんだ。奥さんがとても植物に詳しいのだと聞いていた。
こんな感動があったら、住み着くよな。黒姫文士村は、いかがわしいと思っていたのに、そういう時だけ共感するのだった。
トガクシショウマは美しい。そう書いてあった本は読んだが、初めて目にした。
届いた昨夜から、カメラを持ち歩いている。
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