Nov 27, 2005
母もわたしも喘息で。
挿し木の用意をしていたら、咳が出た。薬を飲んで母のところに電話をしたら、すごいしわがれ声。
なんだかなぁ。
へんな親子だねぇ。
今朝の夢
なんだかこんがらがった、夢だった。
NYにいるMallieという友人がでてきた。
セントラルパークで、ボブ・ディランが歌っていたのを知っていると彼女が言った。
わたしは驚いているのだが、それは以前に聞いた話しだ。
彼女とわたしの邂逅は、ほとんど必然のような気がしていた。
俳優学校で、ベティ・フリーダンと同期だったと言った。
初めてあうのに、共通項がいっぱいあった。
わたしはマース・カニングハムの大ファンだったので、彼女は無料の彼のイベントを教えてくれた。
セントラル・ステーションも映画などによく出てくるが、駅舎を劇場にしてしまう企画に舌をまいた。
帰国して、わたしは利賀村の、鈴木メソッドのテープを送った。
それはすごく昔のことで、その後、彼女がNHKに来たときも、セカンド・ハネムーンのときもあったのだ。
でも、わたしは初めてシングル・ペアレントであった彼女の家に行ったときの、衝撃的な時間が忘れられず、幾度も夢に見る。
それには必ずイタリアン街の濃いコーヒー、店のタイルがでてくる。
ここは、映画「レオン」にでてきたものとそっくりだ。
シシカバブーの匂い。
間違って入った、アイリッシュコーヒーの店。
酒臭さ。
マジソンスクエア・ガーデン。
わたしは、「また来るよ」といった。
家に帰ることを、Comeというのだ。
Goと言ってはいけない。
そういう夢のようになってしまったことどもが、何度も何度も練りあわされるように夢にでてくる。
彼女は演劇をしている。
夫は音楽家だ。
ハーレムの子達のために、芝居をしている。
そういうビジネス。
滞米中に彼女は、ラジオのインタビューに答えていた。
それを聞かずに5番街に行って、Tシャツをあさっていたわたしに、彼女の娘は断固として抗議した。
時間と、行為。
それらは競い合うように、わたしたちの前にある。
どちらを選ぶかは、わたしたちの自由なのに、あらかじめつかまってしまってしまっているのだ。
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