Dec 31, 2005
本年最後のご挨拶。
清水隣造さん、桐田真輔さんを始めとした、全ての灰皿町住民のみなさま、PSPクラブのメンバーのみなさま、
拙詩集を刊行するにあたって、お世話になった全ての方々、
お手紙をお送り下さった方々、
イベントなどで言葉を交わして下さった方々、
今年は本当にお世話になりました。
そしてこのブログを一度でも見て下さった方々、
本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
そして来年もまた、どうぞよろしくお願い申し上げます。
なるべく更新の方は、滞らずにしていきたいと思います。
少しでもいい詩を書きたいと思います。
懲りずにまたこのブログ、覗いてみてください。
どなた様にとっても、来年がよい年でありますように。
小川三郎
Dec 28, 2005
今年最後の更新かも。
やっぱり、もう一回ぐらい出来るかも。出来ないかも。
また拙詩集のことで恐縮ですが、
現代詩手帖1月号の詩書月評に、
杉本真維子さんが私の詩集について書いてくださっています。
すごくいい風に書いて下さっていて、
なんだかとてもいい詩集のように見えます。
嬉しいですね。
毎年1月号は恒例の「現代日本詩集」で、
名のある詩人さんが新作で競っていて、読み応えがあります。
しかしそれ以上に、投稿欄がえらいことになってます。
ほとんど爆発です。
長いとか変則的とかを超えて、とにかく凄いパワーを感じます。
私が投稿していた頃は、なんかこう、のどかな雰囲気があったのですが、
もう戦争ですね、これは。
もちろんいい意味で。
20歳前後の若い方が中心のようですから、
とにかくありったけの言葉を放出させているようで、
見ていてちょっと気持ちいいくらい。
なんかこの中から近い将来、
詩界をひっくり返してくれる人が出てくるような気がします。
ところで、詩でしか表現できないものって何でしょうか。
私が詩で表現したいのは、言葉では表現できないものです。
なんだか矛盾していますが、言葉で説明できることなら、
それは散文で書いたほうが、より明確に表現できると思います。
言葉で表現できない感情や感覚を、言葉を使って表現するのが、
詩という方法なのだと私は考えています。
だから私が書く詩に対しての最大の褒め言葉は、
「なんだかわからないけど面白くて、何回も読み返しちゃったよ」
です。
しかし、なかなかそううまくはいきませんね。
わからなさ過ぎたり、説明的過ぎたり、ちっとも面白くなかったり。
少しでも焦点がずれてしまうと、
詩とはいえないものになってしまいます。
言葉の大海の中で、詩が成立し得る場所というのは、
案外非常に狭いところなのではないでしょうか。
そして、最早点に近いそこに立ち続けているのには、
ものすごく体力と神経を使うのかも知れません。
詩でしか表現できないもの。
考えてみれば、明らかな詩というものに、
私はまだ一度も、書いたことはもちろん、
出会ったことすらないのかもしれません。
そんな風にも思えてきます。
さて、年賀状書いて寝ます。
Dec 25, 2005
二日続けて忘年会。
しかも両方とも詩関連です。22日の夜は思潮社の忘年会でした。
七時からの開始でしたが、私は遅れて八時過ぎから参加。
会場には野村喜和夫さんや、
城戸朱理さんなどの有名詩人の方もちらほら。
私は歌人の斉藤斎藤さんや、
詩人のキキダダマママキキさんなどと、お話させていただきました。
嬉しかったのは、私の拙詩集の栞を書いてくれた、
田野倉康一さんとお話できたこと。
正直、もっと恐い人かと思っていましたが、
お会いしてみるととても優しく、
たくさんの言葉で、私のことを励ましてくださいました。
「早く次の詩集を出しなさい」
と言ってくださったことは特に嬉しい言葉でした。
他にもご挨拶させてもらった方が何人かいたのですが、
もとより口下手、人見知りな上、緊張していたこともあって、
うまくお喋り出来なかったことが残念です。
投稿欄でお世話になった池井昌樹さんには、
ご挨拶することすら出来ませんでしたし、
今度の現代詩手帖の詩書月評で、
私の拙詩集について書いてくださった杉本真維子さんにも、
うまいことお礼が言えませんでした。
いい歳して恥ずかしい…。
二次会では、
最近詩集「オーロラ抄」を上梓された今井義行さん、
そしてお世話になっている和合亮一さんとお話。
今井さんは静かに喋られる方で、いかにも詩人という雰囲気を持つひとでした。
やっぱり詩人はべらべら喋ってはいけないのかも。
和合さんは、来年から詩の批評サイト「いんあうと」を再始動する予定。
その一環として、新たにフリーペーパーを発行するのですが、
そのメンバーに私も加えてくれました。
嬉しいやら不安やら、です。
残念ながら私は終電に間に合うよう、十一時ごろ失礼しましたが、
聞くところによると、会は朝まで続いたということ。
ちなみに久谷雉さんは、この日も絶好調でした。
そして、23日は同人誌「ルピュール」の忘年会が、
水仁舎の北見さんのお宅で開かれました。
私は予定より少し前に伺って、北見さんの仕事場を見学。
断裁機や、箔押機などの機械のほか、
北見さんが製作された本などを見させていただきました。
それにしても、水仁舎の製作される本はみな美しくて、ため息が出ます。
いつか自分もそのような装丁に見合うものが書けたなら、
是非にと思います。
その後続々といつものメンバーが到着して、
手巻き寿司やおでんなどの和風の食事でお酒を頂きました。
どれもみなおいしかった!
だものであっと言う間になくなり、
遅れてきた人の分がなくなってしまうほど。
北見さんと奥様に感謝です。
Dec 22, 2005
前回と順番が逆になってしまいましたが、
去る12月17日(土)、「遊戯空間公演
あらゆるものからせみが生まれてしまえ
あらゆるものは抜け殻になってしまえ
~和合亮一の現代詩によるコラボレーション~」
を見てきました。
これは詩人和合亮一さんの第三詩集「誕生」を舞台化するという試みでした。
場所はJR四谷駅から徒歩7分ほどのところにあるコア石響。
一日二回の公演で、私は19:00からの回にお邪魔しました。
会場は20メートル四方ほどの空間で、
その片側にお客さんが4,50人、
もう片側で出演者が演技をされるという形でしたので、
目の前で演技を見ることが出来ました。
出演者は男女8人、それにピアノで音楽がつくという形。
出演者は黒か白のシンプルな衣装を着て、
小道具は詩集「誕生」以外殆ど使わず、
あるときは静かに、あるときは叫びながら大きくアクションをつけて、
和合さんの詩を演じられました。
演ぜられた詩は全部で十篇。
「世界」は、出演者全員にて様々な方向へ向って詩を発し、
「事件」は、並んだ一組の男女が掛け合うようにして言葉を投げかけ、
「タイフーン・ジェーン」は、女性ひとりがまず直立して詩を読み、
そして同じ詩を、男性がビニール傘の芯だけを槍のように突き出しながら唱え練り歩き、
「犬を探して下さい、探して下さいよ。」では、詩集を胸の前にかざした貧相な男性が、
客席の前列に座った人に向って、ひとりずつ探して欲しい犬の特徴をコミカルに説明してまわり、
「生誕」では、大きな詩集を抱えたひとりの女性が、3人の女性を引き連れ、
生誕した「うずまきちゃん」に向って底抜けの笑顔で呼びかけ、
「WAR」では、男性4人が代わる代わるに荒々しく詩を怒号しながら、
戦場の丘で目まぐるしい動きを展開し、
その直後に同じ詩を、中心となったひとりの男性が静かに唱え、
「バンザイ、バンザイ、バンザイ!」では、教師となった女性が明るい声で、
生徒となって並んでしゃがんだ他7人のメンバーに、バンザイしなさいと強要し、
「OCEAN」では、暗い舞台で照明を当てられた女性が横座りして詩をつぶやき、
「フライング」では、床に等間隔に三冊並べられた詩集の向こうに出来た淵を見つめながら、
男がひとり詩を独白し、
「変声期」では、再び出演者全員が横一列に並んで客席に向い真っ直ぐ詩の言葉を投げかけ、
公演は終了しました。
時間にしておよそ1時間半。
と、言葉でずらずらと書き連ねただけでは、当日の熱気は少しも伝わらないのですが、
出演者の方々は非常な熱演をされ、客席もみなじっと演技に見入り、
緊張感のある空間が生ぜられていました。
私の率直な感想としては、かなり面白かった!
詩を表現する形としては、紙の上に置かれた文字と朗読が主として挙げられますが、
さらに新たなひとつの方法を目撃することが出来ました。
今回は演劇と詩のコラボレーションという形でしたが、
良かったと思うのは、演劇に近づき過ぎず、また朗読という形にも近づき過ぎず、
ほぼその中間地点で作品が作られていたということです。
実は公演を実際に見るまでは、
恐らくどちらかに近づいたものなのだろうという思いを正直もっていましたが、
嬉しいほうへ裏切られました。
コラボレーションとは、双方の魅力が、
双方によって充分に引き出され、尚且つそこに化学変化が起こり、
1+1が2以上のものになって、初めて成功といえるものだと思います。
今回の演目は激しい動きと大きな声を伴うものが多く、
するとそこでは和合さんの強い詩の言葉が化学変化を起こし、
活字で読むよりさらに鮮烈な、新しい生命を持って実空間に出現していました。
そして一番重要な目的である、お客さんの心の内へと突き刺さることに成功していたと思います。
公演がはねたあと、
私は一緒に行った竹内敏喜さんとともに打ち上げに参加させていただき、
和合さんや思潮社の方々、それに詩人の方々ともお話が出来ました。
現代詩図鑑などに作品を寄せられている枝川理恵さんからは、
短篇小説アンソロジー「夢」を、
現代詩手帖投稿欄で活躍されている橘上さんからは、
オルタナ的に激しい朗読CD「できない」をいただきました。
お二人には、お礼に私の拙詩集を進呈。
詩談議に花が咲き、すっかり長居してしまって、危なく終電に遅れるところでした。
今回は、良いものを見たご報告ということで、長文も致し方ありませんね。
最後まで読んでくださった方、心より御礼申し上げます。
Dec 19, 2005
昨日は恒例の合評会の日。
しかし年末ということもあってか、参加者はますます少なく、
私を合わせて七人だけでした。
作品を出したのはそのうちの五人だったので、
いつもは足りなくなる三時間という時間も、
珍しく余ってしまうぐらいでした。
その所為でもないでしょうが、
今回は互いの詩を評する言葉が、
いつもにも増して激しく行き交いました。
詩作品についてはもちろん、
詩の読み方捉え方についても、
真っ二つに分かれて論争しました。
といっても、
別に喧嘩になっているわけではありませんよ。
自分の読み方を主張し、また他方の読み方を認識理解する上で、
非常に意義のあるやり取りだったのです。
しかし一ヶ月に一篇、詩を完成させて提出するというのは、
実に大変なことですね。
しかもメンバーは目の肥えた人ばかりなので、
その御眼鏡にかなうだけの作品となると、
そりゃもう大変です。
私は今月は詩集を上梓した関係上、
いつもなら詩を書いている自分の時間を、
詩集の発送やお手紙を書く時間にあててしまったので、
まともなものを書きあげることが出来ませんでした。
だからちょっと反則ですが、
先月書いて没にしていたものを提出。
見事にメンバーの沈黙をかってしまいました。
ひー。
二次会からは、仕事の都合などで合評会に間に合わなかった、
有働さん、福士さん、久谷さん、手塚さんが参加。
大いに盛り上がりました。
この会から生まれた同人誌「ルピュール」2号も初校が出て、
順調に作業が進められています。
目次を見たら、なんと私の作品が巻頭に据えられていたのでびっくり。
…いいのか?本当にそれで…。
なににしても2号は執筆者も増え、1号よりもいい内容になりそうです。
今号の特徴としては、
同人誌としては珍しいことなのかわかりませんが、
執筆者が二十代、三十代、四十代、五十代、六十代、七十代と揃っていることです。
ちょっと凄い気がします。
薄い冊子の中に広がる小宇宙。
作風も本当に人それぞれで、どんな方に読んでもらっても、
どれかひとつは好きになってもらえそうです。
Dec 16, 2005
恐ろしく寒くなってまいりました。
しかし毎年思うのですが、12月ってこんなに寒かったでしょうか。
去年まではもうちょっと暖かかったような気が…
たぶん気のせいですね。
失礼しました。
引き続き、拙詩集到着のお知らせや感想が、
毎日お手紙やメールで届いています。
ご詩誌やご詩集を送ってくださる方もおられ、
ニヤニヤしながら夜を過ごす毎日です。
みなさま、本当にどうもありがとうございました。
お手紙の中で、「この詩が良かった」と、作品名を挙げて下さる方がおられます。
それを見て私が嬉しく思うのは、
挙げられる作品名が、それぞれの方でみんな違うと言うことです。
いまのところ殆ど重なっていません。
これは良くも悪くも考えられることでしょうが、
私にとっては、ひとつの作品に評価が集中するよりも、
みんなてんでばらばらな作品を、
それぞれに好きになってくれたほうが、
なんだか嬉しい気がするのです。
詩句のほんのひとつだけでもいいですから、
その人だけが好きな場所を持ってもらえたとしたら、
ちっぽけな世界も、それだけ広がりが持てる気がします。
内容が少し薄いのでは、という感想もいただきました。
これは、その通りだと思います。
じつは、もっと濃密な内容にしようと思えば出来たのですが、
わざとそのようにはしませんでした。
あまりに濃い内容のものや、同じテーマのものをずらずらと並べると、
息が詰って読むのが嫌になると思います。
私が他の人の詩集を読むときも、
そのような内容のものに遭遇すると辟易してしまって、
途中で放り出したくなることがよくあります。
それを避けるために、重いもの軽いもの、長いもの短いものと、
出来るだけ色々な内容の詩を並べて、
詩集全体に流れが出来るようにしたつもりです。
そのために、自分で気に入っていた作品も、
流れにうまく乗らなかった場合は、
泣く泣く切ったものもありました。
それが良かったか悪かったかどうかはわかりませんが、
このような形にしたことを後悔はしていません。
しかし、もしまた詩集を作ることが出来るならば、
今度はちょっと違った形になるかもです。
Dec 13, 2005
詩集の発送が、
ほぼ終わりました。住所がわからず、失礼にもメールでおたずねした皆さんには、
全ての方に快くご承諾を頂いただけでなく、温かい言葉も添えてくださって、
ほんとうに、どうもありがとうございました。
深く感謝しております。
またメールやトラックバックで、詩集の到着をお知らせいただいた方々、
わざわざ、どうもありがとうございました。
と、このあと少し長くなります。
時間を無駄にされたくない方は、
どうかここでご遠慮ください。
私は小中高の大部分を、神奈川県の藤沢市で過ごしました。
自転車で10分ぐらいのところに海がありました。
海岸に出ると、左に江ノ島、右に烏帽子岩が見えました。
正面を見ると、浜辺付近の茶色く汚れた海にサーファーがずらりと並んでいて、
その向こうには群青色の海が、水平線まで続いていました。
そしてその上には青空、入道雲、または雪を思わせる曇天の空が広がっていました。
水平線は微かに湾曲して見えて、ああ地球は丸いんだなあと子供心に思ったあの風景が、
恐らく私の原風景というものだと思います。
沖縄やハワイの海とはとても比べ物にならないほど貧相な眺めですが、
しかし私の「美意識」とは、あの風景にあるのだと思います。
私が美しいという言葉を書いたり言ったりするとき、
無意識のうちにその言葉のずっと奥のほうには、
あの風景があるのだと思います。
また、私は昔ボーイスカウトをやっていました。
ボーイスカウトは夏休みと春休みには山へキャンプに行きます。
随分と山の中を歩かされました。
丹沢や八ヶ岳などよく登りました。
正直私はボーイスカウトなんて好きじゃなかったし、
山を歩くのも嫌で嫌で仕方がなかったのですが、
それでも山の中腹や頂上から臨む山々や深い森の景色には、
素直に見惚れていました。
あれもまた、私の原風景であると思います。
他にもそういうものはたくさんあるのでしょう。
学校の窓際の席から眺めた雑多な町並み、
十代の頃に夢中になった音楽や文学、
恋した女性(!)の容姿や仕草や声など、
そういうものが流れ込んで、ひとつになって、
私特有の「美意識」が完成されていったのだと思います。
そして私が詩を書くとき、
無意識のうちにその詩のずっと奥のほうには、
その美意識があるのだと思います。
もしもその美意識が失われてしまったら、
私の書く詩は、私の詩でなくなってしまうでしょう。
そしてその美意識がある限り、
私は私の詩を書くことが出来るのだと思います。
たとえこの先、私の詩のスタイルが劇的に変わったとしても、
その美意識がある限り、
その詩は私の詩であれるのだと思います。
そして不思議なことに、美意識がうまく表現されたとき、
それは別の人の美意識に、ふと繋がることもあるようです。
私が誰かの作品を好きになるとき、
恐らくそれはその作者の美意識と、
私の美意識がふと繋がった時なのだと思います。
その時の感触が、私を捕らえて離さないのです。
その感触を求めて、私は相も変わらず本屋をうろつき、
飽きもせずにレコード屋をうろつき、
また出来ることなら自分の作品で、
誰かにその感触を感じてもらいたくて、
詩を書いたりしているのだと思います。
ほら、長かったでしょ。
いわんこっちゃない。
Dec 10, 2005
現代詩手帖12月号「現代詩年鑑2006」
が家に届きました。現代詩手帖って、載るとくれるんですね。
ちょっとびっくりしました。
載ったのは「夏の思い出」という作品で、
自分の詩集のどあたまに入っているものです。
他にも12月号のアンソロジーには、
灰皿町の住人である海埜今日子さんの「隣陸」、
久谷雉さんの「大人になれば」、
PSPクラブのメンバーでは、
手塚敦史さんの「窓明かりの奥にひびく声」が選ばれています。
海埜さんは詩集「隣陸」についても、色々な人から言及され、高い評価を受けています。
それから有働薫さんの「ジャンヌの涙」も、特に「今年度の収穫」というアンケートに、
多くの人がその名を挙げています。
私の詩集は残念ながら、アンケートに間に合いませんでした。
まあ間に合っても、上記の方々ほどの高評価は望むべくもありませんから、
逆にまざまざと差を見せつけられなくてよかったかなと。
しかし刊行が遅れること二ヶ月あまり、
漸く今週の火曜日に出来てきました。
いま色々な人に送っている最中です。
まったく面識のない人の所にも多数送っているので、
迷惑だったかなあと少し複雑な気分。
灰皿町の皆さんの所にも届くと思うので、
暇つぶしに使ってみてください。
Dec 07, 2005
私の人生の大半において、
詩といえば歌の歌詞のことでした。私の好きな詩を歌う人たちはというと、
忌野清志郎、ストリート・スライダース、泉谷しげる、矢野顕子、
シオン、COCCO、ブルー・ハーツ、ミッシェル・ガン・エレファント、
高田渡、町田町蔵、どんと、友川かずき…
まあ、こんなところでしょうか。
結構いますね。
私が小学校の高学年だった頃、
五つ上の姉は忌野清志郎の大ファンでした。
姉の聴いているレコードを横で聴いていると、
「授業中あくびしてたら、口がでっかくなっちまった」だの
「居眠りばかりしてたら、目が小さくなっちまった」だの
小学生の耳には、ただ面白い歌としか感じられないものばかり。
げらげら笑って、よく姉にはたかれました。
しかしそれが中学生くらいになると、
そんな歌詞で歌われる気持ちがわかるようになりました。
あんなに笑ってたくせに、と姉から白い目で見られながら、
せっせと小遣いを貯めて、RCのレコードを買って聴くようになりました。
中学生の私が強烈に惹かれたのは、言葉の表面ではなく、
その向こう側に漂う匂いみたいなものだったと思います。
上記したミュージシャンたちの歌う詩は、
みんなそういう匂いを持った言葉たちでした。
いい詩、言葉には、必ず匂いがあるものだと思います。
それを嗅ぎ取った瞬間、言葉の向こう側に深く世界が広がって、
しかしなかなか見通せない。
見通せないから、何年も何十年も惹かれ続けてしまう。
そんな力を持っている言葉が、いい詩なのだと私は思っています。
これは小説ですが武田泰淳の「ひかりごけ」
この中に、餓死から逃れるために仲間の死体を食べた船長が最後に連呼する
「見てください。私をもっとよく見てください」
という言葉がありますが、これも強烈な腐臭を放っている言葉です。
この短篇小説は全ての言葉が腐臭を放っている凄い作品ですが、
特に最後のこの台詞が発する匂いは、表面的な意味を超えて強烈です。
私はこれからもこういう匂いのある言葉を求めるでしょうし、
また書きたいと欲し続けると思います。
Dec 04, 2005
おや、
灰皿町にはもう雪が降りましたか。ここでなら間違いなくホワイトクリスマスですね。
もうじきジョン・レノンの命日です。
なんだか最近死んだ人のことばかりですね。
私はこの時期になると、ジョン・レノンとボブ・マーリーばかりを聴くようになります。
命日だからというのではなくて、
この二人の音楽は、日本の冬の空気にとてもよく合っているように思うのです。
ボブ・マーリーはレゲエですが、日本のじっとりした夏に聴くと、余計暑苦しくていけません。
レゲエは実は、乾いた空気が似合うのですね。
ジョンの声もそんな気がします。
私はリアルタイムで生きているジョン・レノンを知りません。
かろうじてリアルタイムの体験といえそうなのは、
彼が死んだ当時録音されていた「ダブル・ファンタジー」と言うアルバムのアウトテイク集である
「ミルク・アンド・ハニー」が、確か1983年ごろに発売され、そのアルバムからシングルカットされた
「ノーバディ・トールド・ミー」という曲のプロモーション・ビデオを、テレビの、
恐らくベストヒットUSAで見た事です。
本来オクラ入りになるはずだった曲ですから、当然ビデオはその曲のためのものではなく、
在りし日のジョンの楽しげな映像を繋ぎ合わせたものでした。
この曲のサビで生前のジョンは、「こんなことになるなんて、誰も教えてくれなかった」と連呼します。
その言葉が自身の未来を予見していたようで、中学生の私はとてもどきどきしました。
不思議なことってあるんだなって思いました。
オカルトなどは当時も今も信じませんが、
たとえ偶然にしろ、奇跡のようなことってあるんだと思いました。
それがいけなかったんですね。
その後私はそういうことばかりを、色々な場所や場面に探していたように思います。
現実が偶然に、まるでずれているとしか思えなく見える瞬間。
現実世界では、それこそ偶然に起こるのを待つしかありませんが、
音楽や文学や美術の世界では、あたかもそんなことばかり起こっているようです。
魔力というのでしょうか。
あちこち探し回っていると、突然奇跡のような言葉や旋律や色彩に出会って、
あのときのようなどきどきがまたやってきて、
私の内側をぐりっと変えてしまったことが何度かありました。
こういう作品は、作ろうとして作れるものではなく、それこそ偶然に出来てしまうのでしょう。
そういうことが出来る人のことを、天才と呼ぶのでしょうか。
そしてたとえ天才であっても、そういうことができるのは人生のうちで、
そう長い期間ではないようです。
ジョンはあれ以上長く生きても、恐らくもう、そういうものは作れなかったと思います。
早死にしたロックスターやアーティスト、前回書いた三島由紀夫にしても、
やるべきことをすべてやってからの死だったように思います。
芸術に身を丸々捧げてしまった人たちですね。
私は丸々身を捧げられなど出来なくて、片足の先っぽだけ突っ込んだまま中途半端に生きて、
中途半端に長生きしてしまっている途中です。
と、前回と同じようなところに辿り着いたところで、今日は仕舞いにしておきます。
Dec 01, 2005
十一月の二十五日は、
三島由紀夫の命日でしたね。憂国忌というんでしたか。
そういえば私が一番好きな三島作品も「憂国」です。
私は右でも左でもありませんし、
特に三島に傾倒していたわけでもありませんが、
この作品は時々無性に読み返したくなります。
有名な短篇小説なので、内容は周知であるとは思いますが、
2.26事件に参加しそびれた青年将校が、
自分が同僚たちを討つ役になることを憂慮し、
腹を切って嫁と心中する話です。
しかしこの作品は、最初から最後までパワーが漲っていますね。
三島が好きなことだけを思う存分書いたからでしょう。
なにしろここに書かれていることは、
軍人、男の友情、清潔な夫婦関係、まぐわい、そして切腹と、
三島が大好きなことばかりです。
読んでいても、一字一句を嬉々として書いている三島の姿が目に浮かぶようです。
楽しかっただろうなあ、これを書いているときは。
特に切腹のシーンなんか。
傑作が生まれる条件とはたくさんあると思いますが、
そのひとつは、好きなことを好きなだけ書くということだと思います。
そうしたから傑作になるわけではありませんが、
条件の一つであるとは思います。
三島があのような最後を遂げたのも、
結局は、軍服姿で割腹自殺してみたかったんだと思います。
三島が本気でクーデターを起こせると考えていたとは思えませんし。
だからあれは三島にとって、とても幸福な最後だったのでしょう。
周りはえらい迷惑したでしょうが。
私もせめて詩に関しては、
好きなことを好きなだけ書いていくつもりです。
好きなことばかりを書いても下手なのですから、
嫌いなことを書いたってうまくいくはずがありません。
そうしていけばそのうちに、自分でも「これは」と思えるものが、
一生のうちにひとつぐらいは書けるかもしれません。
三島も好き勝手書いた「憂国」は大のお気に入りだったようで、
後に自ら主演して映画まで作ってしまっています。
その作品を天才三島が書いたのが、ちょうど今の私の年齢。
さて、凡才私にとっての「憂国」が出来上がるのは、一体いつになることやら。
Nov 28, 2005
冬になると、
太ります。なんかもうその兆しが…。
先日のブログで映画のことを書きましたが、
最近ではめっきり映画を見る回数が減りました。
以前はしょっちゅう見ていたのですが、
例えばDVDを借りてきたとしても、
二時間もあるのかと思うと、億劫になってしまって見る気がしないのです。
昔は二本、三本と立て続けに見られたのに。
体力が衰えたんでしょうか。
大抵は一週間レンタルのものを借りてくるのですが、
いつでも見られるという手軽さも手伝って、先延ばしにした挙句、
返却日の前日になって嫌々見るということに。
見始めればちゃんと最後まで見られるのですが、
見始めるまでが、ものすごく苦痛なのです。
だから、というのは何ですが、
最近は映画館でしか映画を見ていません。
ネットで近くの映画館でやっている映画を確認して、
ああこの映画見ようと決めて、映画館へ行って、チケットを買って、
空いている席を探して、座って、どちらの肘掛が自分のだかを確認して、
と、このぐらいの手続きを踏まなければ、覚悟を決められないのです。
面倒な手続きというのも、
案外必要なものなのかもしれませんね。
本やCDを買うのにしても、
恐らく私は一生ネットで購入するということはしないでしょう。
私にとって本を読んだり音楽を聴いたりするのは、
お店を何件も周って、自分の欲しい本やCDなどを苦労して探し出す作業と、
一連の動作なのです。
その作業がなくなってしまったら、
本を読んだりCDを聴いたりの楽しみは半減してしまう気がします。
というか、むしろそっちの方が実は好きで、
買うだけ買って読んでない本とか部屋にいっぱいあったりするのですが。
本末転倒です。
ところで映画のほうは、けっこうミーハーなので、
スターウォーズとか、ディープ・ブルーとか最近見ました。
やっぱり大きな画面で見る映画はいいなあと、改めて思います。
ますますテレビ画面で映画を見る気がしなくなりますね。
家のテレビは小さいし。
Nov 25, 2005
先ほどネットで、
ニュースを読んでいたところ、ベートーヴェンやモーツァルトの直筆楽譜がオークションにかけられ、
数千万から数億の値がつきそうだと書かれていました。
私は楽譜はほとんど読めず、ピアノも弾けませんが、
ちょっと思うことがあったので、書いてみます。
ピアニストが、作曲家の書いた楽譜を見つめながらピアノを弾く行為、
あれは詩の朗読にとてもよく似ていると思います。
作曲者は自分の感情を音の流れに変換して、それを譜面に、
音符という文字を使って著述していきます。
ピアニストは譜面に著述された音符という言葉を、
ピアノを使って読み上げていきます。
譜面にはクレッシェンドやピアニッシモなどの音楽記号により、
音の強弱や速度設定が指示されていますが、それはあくまで目安にしかならず、
細かい設定はピアニスト(朗読者)の感性に委ねられます。
だから同じ曲でも、ピアニストによってまったく違うように弾かれますし、
解釈も異なってきます。
例えばモーツァルトの曲は、普通に譜面どおりに弾いても、
モーツァルトにはならないそうです。
所謂モーツァルトっぽさというものは譜面で表せるものではなく、
演奏者が譜面全体から、モーツァルトがどういう曲にしたかったのかを読み取り、
自身が天才ピアニストであったモーツァルトが、
どのようにこの曲を演奏したのかを導き出して、演奏しなければならないのです。
また人によっては作曲家によって指示された音楽記号を無視し、
自分の感性に置き換えて演奏する人もいます。
グレン・グールドなんかはそのタイプですね。
こういう演奏は賛否両論ですが、
私なんかは、これもとても面白い朗読の仕方だと思います。
作曲者を詩人、譜面を詩、ピアニストを朗読者、ピアノを朗読者の声とすると、
やっぱりあれは詩の朗読と同じだなあと思います。
いにしえの詩人の書いた詩を、現在の朗読者の身体を通じて感じ取る。
ま、私の勝手な考え方ですが。
しかし実際、ピアノソナタなど聴くときに、
ただ聴いていただけではよくわからなくても、
これは譜面という詩を、ピアノを使って朗読しているのだ、
と思って聴いていると、
作曲者やピアニストが考えていること感じていることが、
とてもすんなりと伝わってくるような気がします。
最近、フリードリッヒ・グルダというピアニストの、ベートーヴェンピアノソナタ、
及びピアノ協奏曲全集という12枚組みの輸入CDを買いました。
なんと12枚組みで4990円という激安でしたが、
それでも高いので、散々迷った挙句にえいっと買ってしまいました。
グルダは以前から好きだったピアニストで、
ちょくちょくCDを買ってはいたのですが、
これだけまとまったものを買うのはこれが初めて。
評判通り素晴らしい内容で、最近の夜は小さな音でずっと(今も)流しています。
ベートーヴェンのピアノソナタは、硬質に冷たく弾かれることが多いのですが、
グルダは優しく、まるで子供たちを集めて詩を朗読してあげているかのように弾きます。
これを聴いているときに、上で書いたようなことを、改めて思ったのでした。
……また長文になってしまいました。
すいません。
次はなるべく短くまとめます。
またまた最後まで読んでくださった方、心より御礼を申し上げます。
Nov 21, 2005
昨日は恒例の、
PSPクラブ合評会の日。いつものメンバーがそろって、作品を評しあいました。
10回近くこの会に参加して感じることは、全員が全員、
前に進もうという意欲を持って書いておられるということです。
今までのこの人の作品の中で一番いい、
と思える作品が毎回のように提出されるのは驚きです。
私は歩みが遅いので、そう言った作品を見ると、
なんとも焦ってしまいます。
今回特に目を引かされたのは、白井明大さんの「月の舞う」
一読して試行錯誤のあとが感じられる力作でした。
沖縄言葉と古典の間をスキップするようにして形作られる白井語が、
うたの様相を呈して、まるで命を持った太い綱のように、
なまめかしく、また鋭く立ち回ります。
そしてその言葉の生命感により、
あたかも言葉自体が肉声を持つかのように読み手の内へと直線的に飛び込んで、
すると自然と頭の中で誰かがこの詩をうたう声が聞こえてきます。
私に聞こえてきたのは、大柄でがっちりした男性が、
色華やかな民族衣装をまとって、しなやかにゆっくりと舞いながら、
胴間声で浪々と詩を雄叫ぶ声でした。
こんな風に否応無しに想像させられるあたり、詩の力を感じます。
しかしまず何よりも格好いい!
今後の展開が大いに楽しみです。
二次会では、水仁舎の北見さんと多くお話をさせていただきました。
長く本作りに携わっている北見さんから聞くお話は、
出版についてはまったくの素人である私にとって、
どれも勉強になることばかりです。
北見さんは本作りに対して、
自然でありたいと思っておられるようです。
しかし世知辛い世の中を生きていく上で、
自然であることはとても難しいと思います。
その難しいことを体を張ってやっておられる北見さんの姿には、
ただ脱帽するばかりです。
興味のある方は、一度水仁舎のホームページを覗いてみてください。
宮越妙子さんからは、先月に引き続き、
「荒地」の2号と3号を頂きました。
黒田三郎、西脇順三郎などの詩作品ほかが掲載されています。
ページ上にのたうつ時代の力から、
何とか具体的なものを得られたらと思っています。
宮越さんにはもう感謝するばかり。
ルピュール2号の原稿締め切りも昨日でした。
私は先月合評会に提出した作品を載せてもらうことにしました。
他の方の作品は力作ぞろいです。
1号よりも、さらにいいものが出来そうな予感がしています。
Nov 17, 2005
久々に映画館で映画鑑賞。
ブルーノ・ガンツ主演、「ヒトラー最後の12日間」私の住んでいるのは田舎ですから、こういうのが今頃来るのです。
なるべくネタバレは避けて書くつもりですが、
まっさらな状態で映画を見たいという人は、
今日のところはご勘弁を。
なかなかの映画でした。
映画としての出来はまあまあですが、ヒトラー役のガンツを始め、
脇を固める俳優さんたちの演技が素晴らしく、
特にヒトラーの側近ゲッペルス役の人はいい味を出していました。
しかし当然ながら人が死ぬシーンが山ほど出てきて、しかもその半分ぐらいは頭を撃ち抜いたり、
ピストルを口に咥えての自決シーンだったりですので、
そういうのが苦手な人は見ないほうがいいかもしれません。
内容は第二次世界大戦末期のベルリン、地下要塞でのヒトラーを中心とした人間たちを描いたものです。
前評判では、ブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた!ということばかり話題になっていたようですが、
この映画はヒトラーよりもむしろ、ヒトラーの周囲に居た人々に焦点を合わせた映画だと思います。
ヒトラーとナチスという強大なものと共にあった人たちが、どのような考え方をし、
どのような価値観をもって、どのような行動を取ったのか、それがこの映画のポイントだったと思います。
実際、ヒトラーが自殺したあとも、映画は、恐らく三十分ぐらいは続き、
ヒトラーとナチスという大きな柱を失った人たちのそれぞれの生き様が描かれます。
ちなみに邦題は「ヒトラー」ですが、原題は「der untergang」と言って、
没落とか破滅という意味だそうです。
映画の中で否応なく胸に刺さるのは、ヒトラーに最後まで忠誠を守る人たちの姿です。
ヒトラー存命の間だけでなく、ヒトラーの死後も忠誠を守り、何の迷いもなく次々と自決していく人々。
しかも閣僚ならまだしも、それほど位の高くない人々まで、
はっきり言ってわざわざ死ぬ必要はないと思えるような人たちまで、
ヒトラーと運命を共にすることを自ら欲して死んでいきます。
しかしそのヒトラーですが、この映画で描かれるヒトラーは決してカリスマとしてでなく、
ドイツという国と国民を自分個人の所有物と錯覚してしまった「人間」であり、
その所有物が自分の思い通りに動かなくなるとヒステリーを起こして、
実現不可能な作戦を命令したり、醜く怒鳴り散らしたり、威厳もなにもなくなっていく小男です。
周囲の人間はその哀れともいえるヒトラーの姿を間近で目撃するにも関わらず、
なおも強い忠誠を尽くし続け、命まで捧げてしまうのです。
これは何でしょうか。
依存でしょうか。
人間一人一人は弱いものですから、大部分の人間は多かれ少なかれ何かに依存したがるものです。
依存するものがなにもなかったり小さかったりすると、人間はとても不安になりますし、
だからなるべく大きなものに依存したがるものだと思います。
そしてあまりに強い依存心は、例えそれが悪であったり幻に過ぎなかったと悟ってもなお、
依存し抜くことに執念すら燃やし、そこにある種の幸福を見出すのかもしれません。
それが所謂、人間の弱さというものでしょうか。
そんな簡単な話で片付けられるものではないかもしれませんが…。
しかしこれは現代の戦争、あるいは企業や社会や宗教などにも、
共通して言えることのような気がします。
大きな流れの中で個の判断力を徐徐に失い、果ては自ら望んで判断力を放棄する。
映画は六十年前の戦争の話ですが、
いまも世界の多くの場所で同じことが実際に起こっていることは事実だとおもいます。
この映画で驚くことのひとつに、生き残った登場人物のかなりの人が、
つい最近まで生きていたということがあります。
ヒトラーの秘書を勤めていた女性は、2002年まで生きていましたし、
そのほかの人も高齢になるまで生きていた人が何人かいます。
それを見ると、ひとつの大きなものを失ってもなお、
人間はさらに生きていく力を持っているようだとも思えます。
賛否両論の映画ですが、そんなことを考えるためにも、見ておいて損はない映画だと思います。
思わぬ長文になってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
Nov 13, 2005
歩いていたらなんか熱っぽくなったので、
すかさず薬局に入り、安売りしていた風邪薬を買い求め、立ち食いそば屋でたぬきうどんを食べて服用。
その後歩き回っているうちによくなりました。
風邪は引き始めに潰すのが肝心ですね。
しかし熱っぽい状態で街を歩くと、
なんだか凄く空気が汚れているように感じます。
たくさん食べて免疫力をつけて、寒い冬に備えましょう。
詩手帖投稿欄でも活躍された斎藤恵子さんより、
詩集「樹間」を送っていただきました。
詩の内側に空間が広がるとても気持ちのよい詩集です。
生活の脇からふと生まれる幻想が、斎藤さん独特の動き方で、
あちこちでポーズをとっているようです。
そして斎藤さんは音の立て方がとてもうまく、
(にろにろ)とか(あぎあぎ)など、思わず口に出したくなるような音が、
あちらこちらでするものですから、
それに乗ったら途端に詩の世界へと引き込まれます。
この詩集は去年思潮社から出版されました。
中原中也賞、高見順賞などの最終選考に残ったことからもわかるとおり、
詩魂の浮遊力もさることながら、技術的なレベルも非常に高い作品集です。
斉藤さんには一緒に同人誌も送っていただきました。
これがまたとても格好いいもので、
「ドッグマン・スープ」というのですが、
ビジュアル系ポエトリーマガジンと銘打たれているとおり、
A3サイズ22ページの紙面には、
写真と詩が思いきりコラボレーションしています。
ほぼ全てのページに所狭しと格好いい写真があり、
その前面に、これまたところ狭しと詩が、
好き放題の姿形で踊っています。
極限なまでに自由を追求した同人誌。
詩がビジュアル的なものと融合する場合の、
ひとつの正解の形を打ち出していると思います。
うーむ、岡山恐るべし。
Nov 10, 2005
何を隠そう、
私のパソコンはソフマップの牛丼パソコン。しかも並。
モニターなしで39800円也。
貧乏人の味方ですね。
実はつい2ヶ月前ぐらいに買い換えたのです。
それまではNECの PC―9821ct16というのを、かれこれ10年近くも使っていたんですが、
ハードディスクはがりがりと恐ろしげな音をたてるは、
CD-ROMは出てこない上にこれまたがつがつと異様な音を立て続けるわで、
それでもまだ使えるからとしつこく使用していたのですが、
仕舞いにはとうとう起動しても三回に一回ぐらいしか立ち上がらなくなって、
流石にこれは危険と判断し、仕方なく買い換えたのです。
どうせ私はゲームとか動画の編集とかの重たい作業を一切しないので、高いパソコンは要りません。
それにモニターはまだ生きているので、手っ取り早く一番安いのをと思って、
近くのソフマップで購入しました。
前のマシンは、CPUが160メガヘルツだったのを400メガヘルツに積み替えてはあったものの、
ハードディスクはなんと1・6ギガバイトしかありませんでした。
それが今度のは、安物とはいえCPU2・8ギガヘルツにハードディスクが120ギガバイトと、
文字通りの桁違い。
それでも最初はメモリが256メガバイトしかなく、ノートンを入れただけでぐんと遅くなり、
さらにパソコンのスピードをアップさせるソフトであるはずの驚速パソコン、驚速メモリを入れると、
あろうことかさらに遅くなってしまったので、512メガのバルクメモリ(5000円くらい)を買ってきて
載せました。
するともう全然快適、元気に動いてます。
あと問題は音です。
牛丼パソコンはファンの音がうるさい、とは聞いていたのですが、思っていた以上のうるささです。
今も怒ったような音を立ててぶんぶん回転しています。
私は普段、パソコンで詩を作ったり文章を書いたりしているときは耳栓をしているので、
平気といえば平気なのですが、
お店に行ってみると数千円程度で買えるみたいなので、付け替えてみようかと思ってます。
今日は書くことがないので、他愛のない話をしました。
では。
Nov 06, 2005
昨日は代官山のギャラリーit’sへ、
「伊野孝行・中村義明 二人展」(イラストレーション)および「POEM MEN SHOW -リーディング男祭り-」を見に行きました。POEM MEN SHOWの主催者は、合評会でお世話になっている白井明大さんでした。
白井さんのホームページでこのイベントを知り、リーディングする人の名を見ると、
名のある人ばかりなので、これは勉強になりそうだと思って出かけたのです。
ギャラリーは、マンションの一室を改装した小さな、しかし綺麗な空間で、
壁に伊野中村両氏の作品が展示されていました。
お二方の作品はテクニックを追求するものではまったくなく、 しかし自分の表現したいものを素直に、
そして具体よりも雰囲気を大切に表現するものでした。
私はいままでに絵画の展覧会は見たことがあるのですが、イラストの展覧会を見るというのは、
多分これが初めてだと思います。
まず作品を見て回っての印象は、絵画とイラストの目指すところは、やっぱり違うんだなあということ。
当たり前ですが。
どのイラストを見ても、変な絵だな、とか、これで完成なのだろうか、という印象を受けますが、
しかしこれが雑誌などの挿絵であったり、広告でコピーが入っていたりと想像すると、
なるほどしっくり来るようです。
絵画がそれ単独で存在しているのに対して、イラストレーションとは、
もとより単独で存在することを目的としていないのでしょう。
そのぶん他の要素と結合することによって表現を広げるという行為は、
ある種のミラクルを生み出す可能性を秘めていると思います。
このことは、詩の表現やリーディングを考える上でも、重要な意味を持っているのではないでしょうか。
お二人の作品は、なにかそんな可能性が感じられるものでした。
この展覧会はお二人を知るきっかけになりましたので、
今度は本来の場所に収まっているお二人の作品もみてみたいと思います。
今後、雑誌などチェックしたいと思います。
「POEM MEN SHOW -リーディング男祭り-」の方は午後八時から始まりました。
タイトル通り出演者は男性ばかり、死紺亭柳竹さんに始まり、太郎本人さん、
マスイジュウさん(女装で登場!)、近藤洋一さん(泥酔!)、しげかねとおるさんが熱演されました。
私は会場の端っこにちょこんとお邪魔して拝聴させていただきました。
とても楽しい雰囲気のイベントだったのですが、急遽決まったイベントであった所為か、
残念ながら皆さんの実力が発揮されたライブとはいかなかったようです。
それでも不勉強な私にとっては、生のリーディングに接するということはとても勉強になり、
詩の表現の可能性というものを考えさせてくれるいい機会となりました。
行ってよかったです。
途中若干のハプニングなどもあり、司会をされていた白井さんは大変だったと思います。
本当に、心よりご苦労様でしたと言いたいです。
イベントの最後は、展覧会の主役の一人である伊野孝行氏による
アコースティックギターの弾き語りでした。
チューニングの狂ったギターをかき鳴らし、味のある歌声をたっぷりと披露されました。
実はこれ、相当に格好よかったです。
ちょっといいにくいことではありますが、昨日行われたパフォーマンスの中で、
これが一番良かったような気が…。
会場もかなり盛り上がっていました。
伊野氏は、以前は音楽活動もされていて今はしていないということですが、
こちらの方も少しずつでもされていったほうがいいのではとすら思いました。
機会があれば、もう一度聴いてみたい気分です。
Nov 02, 2005
いつの間にやら、
今年も残すところあと2ヶ月…。まったく歳をとるごとに一年が早くなっていきます。
このブログを始めてから、もう3ヶ月ですね。
マイルス・ディビスという人がいます。
もう死んでしまいましたが、天才トランペッターであり、またコンポーザーであり、
デビューから亡くなるまでジャズ界に帝王として君臨した伝説的ミュージシャンです。
誰でも名前ぐらいは知っている人ですね。
私は一時期、この人の音楽をよく聴いていました。
しかしこの人はアルバム一枚ごとに、まったく音楽スタイルを変えてしまうので、
ついていくのが大変なのです。
トランペットの奏法からバンド編成、リズムの使い方、曲の雰囲気までガラリと変わってしまいます。
なぜそんなにスタイルを変えるのかといえば、この人は自分がやりたい音楽というのを、
しっかりと持っていたからだと思います。
この人にとって重要なのはあくまで自分の音楽なのであって、
音楽スタイルはそれを実現するためのものに過ぎません。
ですから自分がやりたいと思ったものに、自分よりもメンバーが書いた曲の方が合っていると思ったら、
迷わずそちらを採用してしまいます。
現にマイルスのアルバムには、彼自身素晴らしいメロディーメーカーであるにもかかわらず、
マイルスの曲が入っていないものがあります。
他にも白人のピアニストを採用したり、エレクトリックを導入したり、ロックとの融合を図ったり、
その当時ではかなり反発があったと思われることも、平気でやってしまうのです。
何しろ自分の音楽にトランペットが要らないと思ったら、
なんの躊躇もなくトランペットを置いてしまう人なのです。
マイルスは極端な例ですが、スタイルを気にしないというのは、黒人全体にいえることだと思います。
70年代の終わりぐらいにシンセサイザーなどの電子楽器が台頭してきた頃、白人や日本人が、
あんなものは血が通っていないから駄目だ!と否定していたころから、
黒人たちはバリバリにシンセを使って表現を広げていました。
ヒップホップにしても、つまるところ彼らがやりたいことはラップなのであって、
その後ろにどんな音楽がなっていようと、彼らにとっては二の次の話なのだと思います。
だからこだわらずにいろいろな過去の音などを持ってきて、ラップしているのでしょう。
彼らのこのような性質を見るたびに、私は随分と考えさせられてしまいます。
一番大事なものがしっかりあれば、それ以外はどうでもいいことであるというのは、
真実であると思います。
では自分は一番大事なものをしっかりと持って書いているだろうか。
スタイルばかりにこだわって、大事なものを失いかけてはいないだろうか。
もし自分の表現したいものを表現するのに最も適した形が詩ではないと悟ったら、
例えばそれが彫刻であると悟ったら、マイルスのように躊躇なく詩を捨てて、
彫刻を始められるのだろうか。
もしそうなっても今のスタイルにしがみついて書くのだとしたら、
本末転倒ということになってしまうでしょう。
これは非常に恐いことだと思います。
マイルスは天才だからそれが平気で出来たかもしれませんが、凡人にはなかなか出来ないことです。
しかしそれができなければ、その時点で表現者としては死ぬのではないでしょうか。
今のところ私はまだ、自分が表現したいと思っているものを表現する最適な方法は、
詩というスタイルだと言うことが出来ます。
しかしいつそうなるかわからない。
うーん。
眠くなってきた…。
Oct 30, 2005
現代詩手帖11月号の巻末、
出版案内のページに、私の詩集の広告が載りました。タイトルは「永遠へと続く午後の直中」。
ちょっと大げさなタイトルだったかなと未だ反省。
私だけ写真がないのは、お見せできるようなツラではないからです。
別にもったいぶっているわけではありません。
うれしいことにP231のスクランブルスクエアのページにも紹介していただいてます。
栞は田野倉康一さんと和合亮一さんが書いてくださいました。
大感謝。
まだ栞を直接は見ていないのですが、この広告を見ると田野倉さんは、
なんか凄く格好いいこと書いてくれています。
まるですごくいい詩集のように見えますね。
コピーも格好よくてうれしいです。
しかし恐怖とか気味の悪いとかの言葉を書いていただいていますが、
そんな恐い内容ではないはずなんですけど。
何と言うかこう、心温まるとまでは行きませんが、のんきな内容だと思います。
値段は税込みで2100円とちょっと高くなってしまいました。
出来れば1800円ぐらいにしたかったんですが。
しかし今月の新詩集の数、凄いっすね。
ざっと十数冊出るみたいです。
和合亮一さんの詩集は、日比野克彦さんとのコラボレーションという力作の模様。
楽しみです。
詩手帖賞を受賞された水無田気流さん、廿楽順二さんなども初詩集を出されます。
他にも片岡直子さんなど、たくさんたくさん。
ああ、俺の詩集が埋もれていく…。
斎藤恵子さん、トラックバックありがとうございます。
もちろん憶えてますよ!
2003年の3、5月号には仲良く作品が掲載されましたね。
特に3月号の「海浜にて」での、暗い海の上を思索が低空でさまよっていくような感覚は、
とても印象に残っていました。
近作もぜひ拝見したいと思います。
詩集、もちろんお送りさせていただきます。
が、今のところまだ出来上がっておりませんので、
私が参加した同人誌「ルピュール1号」をとりあえずお送りさせていただきます。
もし既にお持ちでしたら、お友達に分けてあげて下さい。
それではどうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
Oct 28, 2005
800ヒット目という
祈念すべき数を、自分で踏んでしまいました。白井さん、トラックバックありがとうございます。
ホームページ、拝見させていただいてます。
すごい賞を取られたんですね。
おめでとうございます。
とてもお忙しいようで、お体だけには充分気をつけてください。
車谷長吉さんの句集を本屋で見かけました。
去年あたり訴えられて話題になった奴ですか。
ハードカバーで2500円。
ちょっと高いなあなんて思いつつ保留。
車谷氏の小説やエセーは大抵すぐに買うのですが、句集となるとちょっと…。
一応中身はぱらぱらと見てみたのですが、
ぐっと惹かれるようなものはないような気がしました。
私の感性がまだ追いつかないということもありますが。
車谷氏は詩人高橋順子さんの旦那様ですね。
この作家の作品は随分と読みました。
印象深いのは、少々古いものになりますが、
「漂流物」(新潮社)という短編集に収録されていた「抜髪」です。
この作品は全編、車谷氏の御母堂の喋りのみでが構成されています。
車谷氏は東京のいい大学を出て就職しておきながら、三十歳でドロップアウトし、
関西で下足番などしながら三十代の殆どをすごしてから、小説家になった人です。
その車谷氏の行動の一々に対して、御母堂は訛り言葉で悪態をつきまくります。
そして息子の、心の中に隠していること、また自身では気付くことの出来なかった本心までを見抜いて、息子に突きつけるのです。
憎んでいるようでも愛しているようでもある罵詈雑言のみで、この作品は成立しています。
恐ろしい、えぐるような言葉の連続です。
この御母堂に言わせれば、勉強することも、人に親切をすることも、貧乏になることも、
人に褒めてもらうことも、恨まれることも、みんな罪悪ということになります。
発言を読み進んでいくと、普段は気にもしなかった自分の行動の裏側を、
キリで穿り出され、顔の前に突きつけられ、無理やり匂いを嗅がされているような気分になります。
小説家の書くものですから、全てが本当に発せられた言葉ではないでしょうが、
しかしカギカッコで括られた発言のどれもが生々しく、本当を暴いているかのようです。
それをわざわざ原稿用紙80枚ほども延々と書き連ねるとは、この作家も救われません。
目に浮かぶのは、たくさんの刃物を暗い六帖間の畳にずらりと並べて、
それを一本一本自分の裸の胸に、淡々と刺していく作家の姿です。
車谷長吉という作家は直木賞も取っていますし、今ももちろん評価の高い作家ですが、
本当に評価を得るのは、亡くなられたあとではないでしょうか。
縁起でもない話ですが、そんな気がします。
Oct 24, 2005
「荒地」について。
先日、宮越妙子さんから譲っていただいた「荒地」を頻繁に開いています。驚くのは、いままで現代詩文庫やアンソロジーなどで目にしていた田村隆一や北村太郎などの詩が、
ここではまったく違う印象で現れることです。
今までわたしは、これらの詩人の作品に対して、それほど強い思い入れを感じてはいませんでした。
新しく出版された印刷物で読む彼らの作品は、狭い所に小さな字で無理矢理詰め込まれていた所為か、
今ひとつ感慨深いものには思えず、「ふうん」といった程度にしてしまっていました。
しかしそれは、「荒地」や詩集などに掲載されたものの、
コピーのコピーのコピーのコピーを読んでいたに過ぎなかったようです。
この「荒地」にはそのオリジナルがあります。
ざらついた紙に、荒々しく釘止めされた詩の言葉からは、
詩人の思いが痛切なまでに迫ってきます。
ここにある「どんな恐ろしい事があったのですか」(疋田寛吉)とか
「真夜中 眼ざめると誰もゐない」(三好豊一郎)といった言葉は、
あるいは新しく印刷されたもので目にしても、感慨なく読み飛ばしてしまうものかもしれません。
しかしこの「荒地」の紙の上にある同じ言葉には、思いがぎゅうぎゅうに詰め込まれ、
それを縛った紐が今にもはじけ飛びそうな印象すら受けます。
これらの詩の居場所は、ここだったのだなあと痛感させられました。
考えてみれば、当たり前のことですね。
適材適所とは味気ない言葉ですが、必要なことだと思います。
いるべき場所にいなければ、詩も人間も本来の力は発揮できないのではないでしょうか。
確かに現代詩文庫やアンソロジーは、たくさんの人の作品が簡単に手広く読めるという意味で、
大変大きな価値を持っていると思います。
しかしやはりあくまで詩の居場所は詩集であり、同人誌上あるいは朗読者の肉声の内であると
思い知らされました。
その意味でも、詩集や同人誌を作るといった行為は、おろそかに出来ない特別な行為であるのでしょう。
私も今回詩集を作るにあたり、自分なりにない頭をを絞って構成したつもりですが、
この「荒地」を目撃した後では、詩作も構成も、
もっと気合を入れてやっておけばよかったと後悔しきりです。
Oct 20, 2005
涼しいと言って喜んでいたら、
あっという間に寒くなってしまいました。油断していると風邪をひいてしまうような季候です。
気をつけなくては。
柴田千晶さんの詩集「空室」を有働薫さんからお借りしました。
早速読んでみると素晴らしい内容。
都会に働く女性の孤独が、魅惑的な言葉で数珠繋ぎのように語られていきます。
実在した女性や場所にこつこつとぶつかりながらくねくねと、小さな蛇の如くさ迷っていくその様子に、思わず最後まで読まされてしまいました。
詩集の一気読みなど、飽きっぽい私には珍しいことです。
出てくる女性の境遇は、男の私からすると随分と遠いのですが、それでも何故か「わかる」という感覚が多く見つけられました。
洗練された詩の言葉の所為でしょう。
私が触れたことのない経験もすんなりと受け渡され、またときに自分の胸のうちを切開して切り出してきたような言葉が現れて、思わず息をのまされたりします。
先日の渋谷クロコダイル朗読会で、柴田さんはこの詩集から「骨なら愛せる」を朗読されました。
そのとき私は拝聴したのですが、今回こうして同じ作品を活字で読むと、綴られている言葉の多くを自分が記憶していることに気付き、改めて柴田さんの朗読のうまさに驚かされました。
私もつたないながら男性の孤独を書きますが、女性のそれとは似て非なるもののようです。
「空室」の中では幾つかの孤独が、孤独を逃れようとして孤独同士ぶつかり合いますが、
密着していてすらもそれはあくまで背中合わせであり、相容れあわぬままに分かれていきます。
私の書く男性の孤独があるところは、恐らくこの詩集のページの裏側です。
それは決してページの表側に現れることはないのでしょう。
しかし二種類の孤独を、かすかにでも繋ぐものとして、この詩集はあるようにも思われました。
Oct 18, 2005
昨日は恒例の
詩の合評会に参加してきました。参加者は少なめでしたが、いつもながら勉強になる作品が目白押しでした。
私が気に入ったのは小網さんと竹内さんの作品。
小網さんの作品は、展開のある幻想的な作品で、入り口からいつの間にか吸い込まれると、
するすると最後まで連れて行かれ、いつの間にかそっとナイフを突きつけられている恐さがありました。
楽に書かれているようで、しかし節々を良く見ると様々なテクニックを使われているのがわかります。
メタファーを含んだ単語が効果的に使われており、読んだあとも、ふとその言葉の意味を思わずにはいられない作品でした。
竹内さんは、ここしばらく10行で詩を書くことにこだわっておられましたが、
それを抜け出て、思い切って長い詩を提出されました。
60行近い作品でしたが、その長さを感じさせないほど流れが自然かつ巧みであり、
心地よいユーモアに満たされています。
特に中盤から後半にかけて、古事記に出てくる神々が次々に現れ、賑やかに騒ぎ出して楽しく、
それらを最近息を潜めていた竹内節がうまく包括してまとめられていました。
右足を幻想、左足を現実の世界において千鳥足する三十男の姿です。
合評会後の二次会では、宮越妙子さんから思わぬプレゼントをいただきました。
なんと1947年に発行された「荒地」創刊号!
ならびに4号、6号!
実は前回の合評会のとき、私の提出した作品に対して、「荒地」を思わせるという感想があり、
「荒地」の時代をリアルタイムで知っておられる宮越さんからも、たくさんのお話をいただきました。
そして今回、ご親切にもご自分が当時買い求めたものを私に譲ってくださったのです。
もちろん大変貴重な品で、これはもう何度お礼を言っても足りないことです。
ページを開くと赤鉛筆でたくさんの線引きがされており、当時二十代だった宮越さんが夢中になって勉強された様子が痛いほどに感じられます。
田村隆一、北村太郎、黒田三郎などの詩作品や論考があり、今まで現代詩文庫や復刻版でしか見られなかったこれら遠い詩人の言葉が、ここには生の形で存在しています。
ごつい活字のひとつひとつに爆発しそうな思いが封じ込められているのが感じられ、指で触ると当時の活気が直に伝わってくるようです。
宮越さん、貴重なものをありがとうございました。
大切に読まさせていただきます。
詩の同人誌ルピュール2号の打ち合わせもありました。
今回も私は詩作品で参加の予定。
来年初頭の発行となりそうです。
Oct 14, 2005
今日、大きな本屋に寄りました。
文芸誌のところを見ると、文学界、新潮、すばるなど、軒並み新人賞発表号でした。私は以前、詩を書き始める前、小説家になりたいなあなどと思っていました。
それで作品を書いては、文芸誌の新人賞に送っていたことがあります。
結果は最高で二次審査止まり、才能がなかったんですね。
なので、新人賞発表号というと、つい開いて見てしまいます。
「文藝」をとって見てみました。
かわいらしい女の子が新人賞を取っていました。
綿矢りさ以来、若い女の子が多いなあ、流行だもんなあと思いつつ、年齢を見てみると、
1990年生まれ?
15歳?
ちゅ、中三!!!!!?????
……。
唖然です。
とうとうここまで来ましたか。
二十代、三十代で必死に書いて応募している人は自殺したくなるんじゃないでしょうか。
早めに諦めておいて良かった。
気を取り直して、早速その場でざっと作品を読んでみました。
中学生にしては良く書けていました。
きっと才能はあると思います。
でもこんなのが受賞作?と思わないでもないですが、中学生の時点でここまで書けるのなら、
二十歳になるころには凄いことになっているかもしれません。
芥川賞の最年少記録を塗り替えるかも知れません。
そんな希望的観測も含めて選考者は受賞させたのでしょう。
しかし本当にいいのか?
あとは本人次第ではあるのだろうけれど、義務教育もまだ終えていない人をぶちあげて、
ちゃんとケアできるのか?
私は若い書き手がどんどん世に出ていくのはいいことだと思います。
作品さえ素晴らしければ、小学生だろうが中学生だろうがちっとも構わないと思います。
だから中学生というインパクトだけで本を売れるだけ売って後は知らない、などと出版社が考えていないことを祈ります。
あらら、なんだか変に愚痴っぽくなってしまいました。
ええそうですよ、私は賞なんか取れませんでしたよ。
小説でも詩でもね。
羨ましいなあ…。
Oct 11, 2005
来るんでしょうか、
大地震。統計から言うと、10月は大きな地震が集中する月なのだそうな。
巷の噂では10日がやばいということでした。
と言っても、さっき終わってしまいましたが。
しかしまだまだ油断できません。
パキスタンでも大変な地震があって、本格的に地球がおかしいですね。
大津波に巨大台風に大地震ときて、次は一体…。
先日、教育テレビで竹澤恭子さんというバイオリニストの演奏を見ました。
ブルッフのスコットランド幻想曲をやったのですが、素晴らしい演奏。
骨太かつしなやかで、コシの強い音が印象的でした。
私は以前バイオリンのCDに少々凝ったことがあります。
最近の演奏家のではなく、ずっと昔の奴。
チャップリンの無声映画でバックに流れているような。
バイオリンの音は、目を閉じて聴いていると、人の姿に見えてきて面白いです。
ミルシテインの音は、紳士がスマートに踊っているよう。
シゲティの音は、実直な男が直立不動で歌うよう。
エルマンの音は、人のいい気弱な男が、階段に座って物語を語るよう。
ハイフェッツの音は、最早人間の姿ではなく、妖精とか鳥のように、そこら中を飛び回ります。
以上は私の勝手な見え方ですが、繊細な楽器だからか、演奏者の個性が音にはっきり現れるようです。
だから聴き慣れていなくても、演奏者の違いがわかって面白く、しばらく色々と聴いていました。
今でも時々聴いてます。
私はシゲティが好きですね。
なんだか男の哀愁があって。
協奏曲なんかだと、バックのオーケストラが舞台セットとなって、その真ん中で切々と歌うやせ細った男の姿が見えてきたりします。
ところがなぜか新しい演奏家の演奏は、バイオリンの音からうまく像を見出すことが出来ないのです。
私が懐古主義だからでしょうか。
それとも音にこめられた人間性が、昔とは変化したのでしょうか。
あるいは音がよくなりすぎた所為でしょうか。
しかし竹澤恭子さんの演奏からは、明確に人間の姿を見ることが出来ました。
彼女はもちろん女性ですが、その音は力強くしなやかに踊るごつごつした体の男性の姿です。
うーん、久しぶりにバイオリンのCD買ってみようかな。
Oct 07, 2005
涼しい夜です。
ずっとこのぐらいの季候が続けばいいのに、などと思う今日この頃。ところであと1、2ヶ月したら、なんとか初めての詩集が出来上がりそうです。
詩集がないと、詩のイベントなんかに行っても、おどおどしてしまいますね。
とりあえず名刺代わりになればいいなあと思います。
何にもないと、お会いした相手も困りますしね。
誰だよお前、みたいな。
内容は、去年や一昨年に書いた現代詩手帖への投稿詩を中心に編みました。
全体の流れなどを考えて、色々な種類の詩を選んで並べたつもりですが、
なにぶん本を作るなど初めてなもので、うまく出来たかどうかわかりません。
自分では精一杯やったつもりです。
意外に苦労したのはタイトルでした。
当初考えていた長いタイトルを却下された後、なかなかぱっとしたのが思いつかなくて、
編集の方にご迷惑をかけてしまいました。
一応決まるには決まったんですが、ちょっとまだ引っかかるものがあります。
しかしもう仕方がない。
再校も済んで、最終段階に近いところまで来ました。
聞く所によると、この時期は詩集を出す人がたくさんいるそうなので、
私のものなど埋もれて見えなくなってしまいそうです。
そもそも本当に本が出来るのかどうかも未だ不安です。
しかし出来あがったなら、この小川三郎という得体の知れない奴を知ってもらういい機会。
もしも本屋さんで見かけたら、立ち読みでもいいですから、ちょっと開いてみてやってください。
海埜今日子さん、トラックバックありがとうございました。
こちらこそよろしくお願いいたします。
トップページの猫ちゃん、かわいいですね。
私も飼ってはいませんが猫好きです。
Oct 03, 2005
今日は渋谷のクロコダイルで
行われた詩の朗読会に行ってきました。初めて詩の朗読イベントというものに顔を出しました。
暗い会場に入って見渡すと、灰皿町の住民である桐田さんと高田さんの姿を発見。
ご一緒させていただきました。
出演者は多種多様で、とつとつと詩を朗読する人、メリハリをつけて詩を表現する人、
バンドをバックに激しく朗読する人など。
私は実は、朗読というスタイルにはあまりいい印象を持っていません。
自分で詩を朗読することは、恐らくないだろうと思います。
しかし全然見ないまま決めつけるのはどうかと思い、機会があれば出来るだけ見ておこうと思っていました。
今日実演を見て感じたことは、やはり朗読には声と読み方が重要なのだなあということです。
それを感じたのは、柴田千晶さんと浜江順子さんの声の素晴らしさからでした。
柴田さんは、殺されてしまった女の詩を朗読されたのですが、その声は低く滑らかで諦観に満ちており、
まるで詩の人物がそこに現れて喋っているようで、最後まですっかり引き込まれて聴いてしまいました。
浜江さんの声はとても個性的で、声を聴いているだけでいい気分になります。
だから耳が勝手に聴こうと欲するので、詩の内容が明確に像となって浮き出してきます。
ああこんな声で読んでもらうと朗読もいいなあと思いました。
灰皿町の住民である海埜今日子さんも出演されました。
豹柄の衣装を身を固め、中東風の音楽をバックにカッコよく朗読されました。
ご一緒させていただいた桐田さんと高田さんを通して、何人かの詩人さんに紹介していただきました。
村野美優さん、柴田千晶さん、海埜今日子さん、みなさんご挨拶程度しか出来ませんでしたが、
もしこれを読んでおられましたら、どうか今後ともお見知り置きを。
Sep 30, 2005
もう秋ですね。
私はこの季節が一番好きです。このちょうどいい涼しさに、空の感じ。
一年中秋ならばいいのにとすら思います。
常秋の国というのはないのでしょうか。
夜もいい感じです。
だもんでぼんやりして、大して書くこともありません。
最近買ったのは、ローリング・ストーンズの新譜ぐらい。
アナログ盤で買いました。
やっぱりブラックミュージックとストーンズだけはアナログで聴かなきゃ。
実は私は中一の時からのストーンズファン。
その頃既にストーンズの面々は四十歳で、じじいもういい加減引退しろとか散々言われていましたが、
それからもう二十年以上もやってるんですね。
当たり前のように。
最近の写真を見ると、みんな流石に年取ったなあという感じですが、アルバム内容は随分とラウドです。
平均年齢60歳の出す音とはとても思えません。
ただ80年代までの神がかり的なひらめきはすっかり消えてしまいました。
ミックの声にしなやかさもありません。
まあ無理もないですね。
ファンとしてはアルバムを出してくれるだけで充分なのです。
キースはジョニー・デップの父親役、断っちゃったみたいですね。
パイレーツ・オブ・カリビアンの続編ですか。
なんだがいかにもやりそうな雰囲気をかもし出しておきながら、結局は「ディズニーと仕事するなんて、考えるだけでもぞっとするぜ」なんて。
まあ、キースらしいですが。
でも見たかったなあ。
キースの海賊姿。
というわけで、今日は気持ちのよい夜風に吹かれながらだらだらと書きました。
白井さん、またまたトラックバックありがとうございます。
佐内正史さんの写真は、光の内にある世界、という感じですね。
私は写真集は持っていないのですが、雑誌なんかを見て、色々な写真を撮る人だなあと思っていました。
そういえば「俺の車」なんてのもあったりして。
最近は、女の子をたくさん撮った写真集が本屋さんに並んでますね。
「relax」からの写真でしょうか
改めて注目してみたいと思います。
で、テレビをつけたら、阪神優勝!?
え!?そうだったの!?
世の中変わりましたね…。
もう寝ます。
Sep 27, 2005
おおっ。
白井さん、トラックバックありがとうございました。少し安心しました。
白井さんのページも拝読させていただいてます。
日常の出来事が優しい言葉で綴られていて、
読むたびにやわらかい気分にさせてもらっています。
ディズニーシー、楽しかったようですね。
「耳波」、個人的にとても好きです。
このやり方で、もっともっと自由になっていって欲しいと思います。
それでは少し写真のことを。
最近の写真家さんでは、川内倫子さんの作品が気に入っています。
木村伊兵衛賞を受賞した「うたたね」は何度読み返しても飽きることがありません。
ページをめくっていくと、なんだか走馬灯を見ているような気になるのです。
死ぬ直前になると、今までの人生の場面が走馬灯のように次から次へと現れるといいますが、
私が川内さんの写真に感じるのは、まさにそれです。
綴られる一枚一枚の写真は、それこそ何処にでもあるような、なんでもない瞬間です。
洗濯機が回っていたり、蟻んこが腕を這っていたり、いつかの海の波だったり。
人生を左右するのは重大な出来事なのでしょうが、実は死ぬ直前に思い出すことといったら、
むしろそんな、どこで見たかすら定かでない、なんでもない場面であるような気が、
川内さんの写真集を見ているとしてなりません。
私はそういう、なんでもないつながりとしての人生が、意外と気に入っているようで、
自分で詩を書くときも、何気にそんなところに目が行ってしまいます。
Sep 25, 2005
しかしこのブログ、
どんな人が読んでくれているのでしょうか。カウンターは相変わらず一日に10ぐらいしか進みません。
灰皿町やPSPの方々が定期的に覗きに来てくれているようなのはわかるのですが
他にいるんでしょうか読んでくれている人。
もしいるならトラックバックに何か書いてくれると嬉しいのですが。
まあ軽く読んでいってもらうだけで充分嬉しいんですけどね。
では今日は光岡明という小説家のことを。
といってもこの小説家自身のことは殆ど知りません。
何しろ去年の暮れに亡くなられたことさえ、つい最近ネットで知ったという体たらく。
しかし作品は大好きです。
特に短編。
私が最初に読んだのは97年に「文学界」に載った「鯔涙」という作品でした。
主役がボラとカレイという特異な設定で、それだけでも面白いのですが、
彼らが陸上での人間たちの騒動を聞きながら、海の底で哲学的な会話をする様子は
なんとも言えず引き込まれてしまいます。
この人は中篇や長篇では、言ってみればごく普通の設定での展開なのですが、
短編になると、とたんに変わった題材を持ってきます。
「行ったり来たり」という作品では、主役が川に棲む得体の知れない妖怪だったりします。
ちなみにこの作品は傑作です。
ちょっとジブリっぽくもあったりして、もっとちゃんと紹介されてさえいれば、
文学好き以外の人にも広く読まれていたのではないでしょうか。
そう思うと残念です。
このような特異な作品は、比較的最近、九十年代以降に書かれたものですが、
その発表数は決して多くありませんでした。
私は「鯔涙」を読んでからというもの、光岡氏の過去の作品を古本屋で探し回りながら、
新作を首を長くして待っていました。
そしてあんまり待ちすぎてすっかりくたびれてしまったところへの訃報でした。
こういう面白い作品をもっとたくさん読ませて欲しかった。
返す返すも残念です。
光岡明さんの本は、その大部分が入手困難です。
手に入りやすいのは、「薔薇噴水」という中短篇集。
これには前出の「行ったり来たり」の他、「山のおじ」「カッパ紀に」「難聴頭巾」という
タイトルを見ただけでも面白いとわかる短篇が収められています。
他は直木賞を受賞した長篇小説「機雷」が比較的手に入り安いでしょうか。
これは太平洋戦争末期の海軍中尉を主人公に据えた、男臭くて渋い作品です。
「鯔涙」は単行本には収録されず、「文学1998」(講談社)という短篇アンソロジーに
かろうじて収録されています。
あとつい最近、遺作となった「恋い明恵」という作品が文芸春秋より刊行されました。
Sep 22, 2005
九月も終わりに近づいて、
大分涼しくなってきましたね。久しぶりに小説を読みました。
ロバート・J・ソウヤーの「ヒューマン」
SF小説です。
面白かった!
私はSF小説が好きで、この作家はお気に入りの一人です。
私がわざわざ言わずとも世界的に有名な作家さんですから、ご存知の方も多いでしょう。
SF小説というと、ある程度の数学的な知識がないと馴染めないものが多いのですが、ソウヤーの作品はそういう堅苦しかったり難しかったりするところが一切なく、SFが苦手な人にも薦められます。
今回の「ヒューマン」は、「ホミニッド」という作品の続編です。
主人公はなんとネアンデルタール人の物理学者です。
詳しい内容を書き出すと相当な量になりそうなので省きますが、この作家さんはとにかくアイデアが奇想天外で面白く、それを次々と繰り出してきて、読み手に飽きる隙を与えません。
ソウヤーが提示してくるテーマは、誰もが子供の頃に考えたような普遍的なものです。
なぜ恐竜は絶滅したのかとか、未来は変えられるのかとか、人間の精神から死という概念を取り除くとどうなるのかとか、とにかくワクワクするようなものばかり。
今回の作品でも、人類が進化してきた道筋は正しかったのか、というテーマが提示されています。
そのような謎に対してソウヤーは、あっと驚くような答えを用意しているのです。
しかも人間ドラマあり、ミステリーあり、ラブロマンスあり、さらにスリリングな物語展開と、小説そのものの完成度も非常に高いので、読むのが遅い私でも一気に最後まで読まされてしまいます。
あ、SFなんて子供の読み物、と侮ってはいけませんよ。
それぞれのテーマの追求は、人間個人や人類全体が抱えている根源的な問題にまで達していくのです。
よくある中途半端なB級SF映画を、ストーリーや設定の細部に渡って完璧に作り上げた感じでしょうか。
変な例えだな。
とにかく本当に面白いんですよ。
と言っても「買って読んだらつまんなかったどうしてくれる」なんて言われても困りますが。
ソウヤーの作品は、これまでに十冊ほどが訳されてハヤカワ文庫から刊行されています。
ちなみに主要な登場人物に子供は殆ど出てきません。
主人公は三十代後半から四十代の科学者が多いようです。
今回の「ヒューマン」は前作の「ホミニッド」と、10月に刊行予定の「ハイブリッド」と合わせて三部作になっています。
秋の夜長の読書にいかがでしょうか。
Sep 19, 2005
昨日は毎月恒例、
PSPの合評会に参加しました。いつもより参加者が若干少なく、少し寂しかったのですが、その分、一人一人の詩をじっくりと論じ合う時間がとれたのは幸いでした。
うれしいことに宮越妙子さんがまた参加されました。
相変わらずのパワーを漲らせて、合評会の場を盛り上げてくださいました。
二次会では、最近あった幾つかの詩のイベントの話が出ていました。
私は詩のイベントなどにはあまり参加していないのですが、会の他の皆さんは積極的に参加されているようです。
私もそろそろ、少しずつ顔を出してみようかなあなんて思っています。
個人的連絡....
Tさん、キースのお薦めは「ブレーメン」と言いましたが、「ブレゲンツ・コンサート」の間違いでした。
失礼しました。
お酒が入っていたもので。
ブレーメン・コンサートというのは、「ソロ・コンサート」というキースの別のCDでした。
しかしながらこちらの方も内容は素晴らしいので、2枚組みですがご参考までに。
Sep 18, 2005
何度読んでも
読み飽きませんね、つげ義春。さっき読んでまた没頭してしまいました。
つげ義春は漫画家さんです。
シュール漫画の元祖というでしょうか、60~70年代に短編漫画を多く残し、それ以後はぷっつりと沈黙してしまいましたが、いまだに熱狂的なファンを多く持つ伝説的な人です。
竹中直人さんが「無能の人」を映画化してましたね。
私はこの人の漫画の、コマの進み方が大好きなのです。
なんだかすごくぶっきらぼうに、不連続とすら言える様子でコマが進んでいくのですが、何故か読んでいて妙に気持ちいい。
独特のリズムがあるのです。
だから内容を知り尽くしていても、あるいは意味不明のシュールな内容でも、毎回新鮮な気持ちで読むことが出来、同じタイミングでニヤリとさせられます。
私が一番好きなのは「ほんやら洞のべんさん」という作品ですが、このコマ割りの気持ちいいこと!
私は死ぬまでこの作品をニヤニヤしながら読むことでしょう。
ところでつげ漫画のコマ割りは、詩の一行一行に似ているようです。
本人が私小説や詩に興味がある人なので、意識してそうしているのかもしれません。
私は詩を読み始める前から、つげ義春の漫画を愛読していたので、自分が詩を書くときのリズムの価値観は、後に読んだ近現代詩よりむしろ、つげ漫画のリズムの影響が基本となっているように思います。
一行読むとぱっと絵が頭に浮かび、次の一行を読むとまたぱっと絵が浮かび、その連続が鼓動となって、生き生きと一つの世界を成り立たせていく、そんな詩が私は好きですし、書きたいと思う詩です。
Sep 15, 2005
なんだか更新が
滞ってきましたね。ネットサーフィンしていただけのときは、なんだよこのブログ全然更新しねーじゃねーかつまんねー、なんて勝手に思っていましたが、実際やってみるとなかなか大変です。
毎日更新している人はすごいですね。
私は二日に一遍になり、三日に一遍になり…。
この前の日曜日の夜に、3チャンネルでマーラーの交響曲3番6楽章をやってました。
改めて恐ろしく美しい曲ですね。
指揮者ベルティーニの、輪郭を際立たせた表現も素晴らしかった。
この曲のCDは私も何枚か持っていて、しかしあまりにも長い曲なんで、殆ど6楽章しか聴きません。
何せ6楽章だけで20分以上、全部聴くと100分ぐらいあるのですから
マーラーはどの曲も長いので、一曲全部聴き通すのは大変です。
だから私は大体アダージョだけしか聴きません。
マーラーは特に5、6、9番が好きでよく聴きます。
死ぬときにはこんな感じの音楽が流れているといいですね。
あらら、湿っぽくなってしまいました。
クラシックを聴き始めた三十を過ぎてからなので、実はあまり詳しくありません。
きっかけは、まあちょっと静かな音楽を聴きたくなったんですね。
それまではロックやジャズと言った激しい音楽ばかりだったのですが、なんかこう、アンニュイな気分になってみたくて。
最初はジャズピアニストのキース・ジャレットのソロピアノなんかを聴いてアンニュイになっていたのですが、そこからアンビエントなものに行って、それならいっそクラシックを聴けばいいやと思って、ピアノソナタやチェロソナタなどを聴いて、それから段々と交響曲の方へ。
そんな流れなので、クラシックに関してはゆったりとした美しい曲を求める傾向が強いのです。
マーラーの他にはブルックナー、これもアダージョばかりを聴いて、全体を聴くことは少ないのですが、SF小説なんかを読んでいるときのBGMにいいですね。
Sep 12, 2005
詩が好きな人の中には、
写真を撮るのも好きだという人が多いのではないでしょうか。灰皿町の中でも、ブログに写真をアップされている方が多いですね。
私は写真を撮ることはしませんが、写真を見ることは好きです。
それも生活の途中の、何気ない一瞬を捉えたものに惹かれます。
そういう作品から、その前後を想像するのが楽しいのです。
先日荒木経惟のことを書きましたが、この写真家の作品は実に私の想像力を刺激してくれます。
特にポラロイドやコンパクトカメラで無造作に撮られたものには、その前後はもちろん、写真の枠の外の様子、そしてカメラを構えている荒木自身までが写りこんでいるようです。
なにしろ時には本当に荒木自身が写真に写ってしまっていることすらあるのですから。
その場合、当然荒木以外の人物がシャッターを切っているわけですが、それでも紛うことなき荒木経惟の写真になっているのはすごいことだと思います。
荒木の写真は、写真という限られたものに、これしかないという一瞬だけを捉えることによって、その対象が持つ無限を表現しているようです。
その無限の中には、荒木自身すらも含まれてしまうのです。
そんな写真を実現するには、荒木自身のあのキャラクターも大いに関係しているとは思いますが、恐らくそれだけではないのが、この写真家の「天才」なのでしょう。
ところで詩が表現しようとするものも、やはりそういうものではないでしょうか。
これしかないという一行を書くことによって、その対象が持つ無限を表現する。
実は私も詩を書くとき、そんなことを思いつつ書いてみはするのですが、うまくいった試しがありません。
それどころか、詩を書くという行為によって、世界を限定してしまってすらいるようです。
これではまるで逆ですね。
凡人の悲しいところです。
作品の外側へ広がっていく力こそが表現力なのだとは思いますが、実際それを実現するには、やはり「天性」という奴が必要なのでしょうか。
Sep 08, 2005
荒木経惟の写真集「空事」を購入しました。
2004年の1年間に撮った写真を順に並べて構成したものですが、ページを手繰っていくと、写真家の心の動きが見えてきます。その中心となっているのは歌人宮田美乃里です。
彼女は三十一歳の時に乳がんの宣告を受け、三十二歳で左乳房を切除しました。
そして三十三歳のこの年、一本の大きな傷跡が残る裸身を、荒木氏のカメラの前に晒しています。
美しい女性です。
写真家は恋愛をしたようです。
彼女の写真が撮られたのは1月と3月ですが、それ以後に撮られた写真のすべてに、彼女が映りこんでいるように見えます。
この作品集のもうひとつの主役は空です。
荒木経惟は2004年、空ばかり撮っていたと言います。
実際この作品集の3分の1ぐらいは、空の写真です。
捉えられた様々な空模様から、写真家の心情が伝わってきます。
それは底抜けに明るいアラーキーのイメージとは裏腹の、癒しようのない孤独です。
荒木氏の寂しさや悲しみは、モデルの身体や街の風景には写りこまず、ただ空に浮かぶ雲の形にだけ写りこんでいるようです。
その孤独を助長したのが、翌年には他界してしまう歌人との、一瞬の恋愛なのでしょうか。
「冬の旅」「東京物語」などがそうであったように、この作品集は全体が一編の詩のようです。
一枚一枚の写真は写真家の真情の吐露であり、その連なり様はむしろ詩句よりも深く語ります。
こんな詩が書ければ、私も胸を張れるのでしょうが。
Sep 06, 2005
しっ失礼しましたっ、
有働さん。現代詩手帖九月号の105ページに有働薫さんの第五詩集「ジャンヌの涙」の広告が掲載されています。
それでは今日は有働薫著「ジャンヌの涙」について。
PSPクラブに参加して以来、私は数編の有働さんの作品に接してきました。
それらは、長い時間と共に重ねられてきた記憶から漏れ出してくる音に耳を澄ます行為の結晶だと、私には感じられました。
その積りはないのに、いつの間にか耳を澄ましている音。
詩集「ジャンヌの涙」の冒頭章「ⅹ」には、そういった詩が並んでいます。
作者がこれまでに見てきたたくさんの風景と、それに重なる幾つかの顔。
その顔は現在作者が目にする景色にも重なり、さらには未来の景色を見通す目にも重なっているようです。
「南へのバラード」は集大成とも言える作品ではないでしょうか。
「y」はジャンヌ・ダルク他、幾人かのヨーロッパ人についての力強い詩篇によって構成されています。
作者にとってジャンヌとはどういう意味を持った存在なのでしょうか。
直接ジャンヌの名前が出てくる二編では、真の姿は違うにもかかわらず、他者の勝手な都合に合わせて作られたイメージによって、語られたり貶められたりする存在である女性の姿が描かれます。
あるいは人間が持つ強い部分と弱い部分。
女であるゆえのこと男であるゆえのこと。
そしてそうではないところ。
ジャンヌの姿を想い口にすることによって、自身を沈黙の内に再見しようとする作者の姿が見えてくる、と書いたなら、有働さんは苦笑されるでしょうか。
「z」のページを開くと、明るく吹っ切れた涼しい風が吹き込みます。
ここでも節々で過去からの音が聞こえてきますが、しかし重くならずに、笑って足を踏み出していく作者の姿が見られます。
前に進まんとする人の生命力は、いつも透明であることを感じさせられました。
「LAMENTО」と「お使いの川」は、この詩集における私のフェイバリット。
二編とも、いい空気の匂いがします。
有働さんの詩に、私は赤のイメージを持っていました。
処女の血の色に、時間の錆色が溶け込んだ、匂いたつ赤色。
この本の装丁の色は、そのイメージに非常に近い色だと思います。
Sep 04, 2005
現代詩手帖九月号を購入。
詩誌月評に「ル・ピュール」が取り上げられていました。やはり水仁舎の造本は注目されていますね。
それに柿沼徹さんの作品「ケヤキ昨今」が大きく取り上げられています。
さすが柿沼氏!
おまけで私も久しぶりに詩手帖に名前が載りました。(名前だけだけどね)
ほかに「第二回 詩のシンポジウム」についてのコラムを手塚敦史さんが執筆。
久谷雉さんの映画のコラムは「リンダリンダリンダ」です。
以前投稿していたときは、「今月は載ってるかなあ」などとドキドキしながら本を開き、その結果に一喜一憂して大変でした。
載っていなかったら、そのまま閉じて読まなかったりして。
人間が出来ていませんね。
そんなだから投稿欄のほかの作品はあまり読んでいませんでしたが、今は結構読んでいます。
作品の好き嫌いに関わらず、いろんな書き方があるんだなあと。
本当にそれぞれが独自の書き方を追求していて、そこらへんを素直に読めると、自分に足りないものも見えてきて、なんだか勉強になります。
あ、今日は眠いので、これにて退却。
Sep 02, 2005
昔話をひとつ。
私が中学二年生の国語の授業でのこと。その授業はクラスを6、7人の班に分け、各班一人ずつが順番に前に出て、教師の出す問題の答えを黒板に書くということをしていました。
出される問題は教科書で習った内容のこともあれば、そうでない別の、想像力を試されるものもありました。
私の番に出された問題は、石川啄木の短歌で「ふるさとの/***なつかし停車場の/人ごみの中に/そを聴きにゆく」この***部分を答えろというものでした。
私は成績のいい生徒ではありませんでした。
こういった授業でも、何も答えを書けないまま帰ってくることの方が多かったと思います。
しかし私はこの問題の答えを知っていました。
訛りなつかし停車場の、です。
誰の短歌かは知りませんでしたが、そのくだりがそうであることには自信がありました。
簡単な問題にあたって良かったと胸をなでおろしつつ、私は黒板に「なまり」と書いて自分の班に戻り席に着きました。
黒板を見てみると、「なまり」と書いたのは私だけで、他の人は別の答えか、何も書いていませんでした。
私は、あれ、と言う気分で黒板を眺めていました。
班の仲間は、なんだか複雑な表情をしていました。
正解が「訛り」であり、私だけが正解であることを教師が発表すると、思いがけずクラス中から感心する声が上がりました。
そして、お前この短歌を知っていたのかと教師に訊かれ、私が頷くとまた感心の声が上がりました。
どうもクラスの殆ど誰も、その短歌を知らなかったようでした。
私は得意な気分になるよりも驚きました。
自分が当然のように知っていたその短歌を、他の人間の殆どが知らなかったことに驚いたのです。
私以外が知らなかったと言うことは、恐らく授業で触れたのではなかったのだと思います。
すると学校以外のどこかで私はその短歌を読んだのでしょうが、どこで読んだのか全く思い出せません。
何しろそれが石川啄木の短歌であることを私は知らず、それどころか石川啄木という名前すら知っていたかどうか怪しいものです。
だからその短歌を何度も繰り返し読んだということもしていないはずです。
にもかかわらず私はその短歌をはっきりと記憶していました。
それはただ単純に響きが気に入ったからだとも思います。
また子供ながらに、自分に通じた何かを感じていたのかもしれません。
私ごときが言うまでもなく、この短歌は「一握の砂」に含まれる有名な作品であるわけですが、しかしなにしろ私のような不注意な子供ですら覚えてしまうあたり、やはり名作なんだなあとつくづく思います。
短歌にしろ詩にしろ台詞にしろ、いい言葉というものは一遍読んだら嫌でも覚えてしまうものです。
言葉に力があると言うのはそういうことでしょう。
好き嫌いに関係なく、とにかく読んで頭が勝手に覚えてしまったなら、それはまず良い作品だと判断していいのではないでしょうか。
理由や意味合いは、あとでゆっくり考えればいいのですから。
私はこのときに初めて言葉というものを、特別に意識したような気がします。
と言っても人並み程度にだったのかも知れませんが、しかしきっかけと言えばそれだったのだと思います。
Aug 31, 2005
文学へと
軌道修正して、小説家としての竹西寛子。竹西寛子は小説よりも古典文学に関しての仕事やエセーの方が有名でしょう。
雑誌「ユリイカ」でも長くエセーを書き続けられています。
私が彼女の小説作品を最初に読んだのは、大江健三郎が編んだ戦争文学アンソロジー「なんとも知れない未来へ」の中にあった「儀式」でした。
内容は、ちょっと説明するのが難しいのですが、広島で被爆しながら生き残った女性の、死に行く人々を見つめる目、とでもしておきましょうか。
私が惹かれたのは内容もさることながら、その文体の静謐さでした。
原爆や死と言ったテーマを正面から扱いつつも、この作品には重苦しさがありません。
それどころか透明感すら感じさせます。
現実そのものと言うより、現実に接する主人公の思考の、しかし現実に非常に近い部分の流れを描いたという感じです。
その感じをかもし出しているのは、この作者の極限まで削られた文体だと思います。
竹西寛子の文章は、あと一語削ったら意味が通らなくなる、といったところまで削り込まれた、非常にシンプルなものです。
装飾が殆どないので現実感は薄れますが、しかし書かれている内容は恐らくご自身の生の体験を基にしており、だから現実を離れていかずにとどまっています。
そしてそのとどまる位置が絶妙なのです。
何と言いますか、頭蓋骨の眉間のあたりのちょっと内側と言いますか…うーん…わからないか。
とにかく私はこのシンプルな文体に惹かれ、竹西寛子の小説作品の殆どに目を通しました。
どの作品も同じく透明な文章で書かれ、しかも老いや心中などといった重いテーマを扱いながら、暗くなりすぎず軽くなりすぎず、見事に作品として描ききっています。
この作者の文章を読んでいると、文体はシンプルになればなるほど、現実から思考へと近づいていくのかなあなどと思います。
じつは私はひそかに、自分の日本語の手本を、竹西寛子の文章と決めているのです。
だから文章と言うものに行き詰ると、竹西寛子の小説を1,2冊読み返してみて、ああそうか、などと反省したりしています。
そう言いつつも、この文章はなんだかわかりづらいものになってしまいました。
また読み返す時期に来ているのかも。
Aug 29, 2005
ずるずると
音楽のほうへ。脈絡もなくグールドの話。
私はモーツアルトが嫌いで、ほんの数人の個性的な演奏家でしか曲を聴けません。
その中の一人がピアニストのグレン・グールドです。
私の持っているのは、モーツアルト・ピアノソナタ4枚組のCD。
これをどの曲と言うでもなく、なんとなく適当なところからかけて聴きます。
グールドは「譜面の指示通りに弾かない」演奏家の代表のような人で、例えばこのソナタ集に収録されている有名な「トルコ行進曲」は、本来テンポよく弾かれる曲ですが、グールドはこれを恐ろしくゆっくりしたテンポで弾いています。
他の曲も、従来のその曲に対しての価値観を悉く破壊する独特な演奏ばかりです。
人によっては彼の演奏をグロテスクと形容したりしますが、私には新種の小動物のように見えてとても面白い。
私はモーツアルトの、あの軽やかでかわいらしい雰囲気がどうにも馴染めないのですが、グールドが弾くモーツアルトは、別物として聴くことができます。
奇妙な形をした見たこともない小動物が、グールドの指先から一曲につき一匹ずつ湧いて出て、ちょこまかとそこら辺を走り回っている、そんな風に見えて、気がつくと何時間も飽きずに聴いてしまっています。
作品に命を吹き込む、とは安易に使われている言葉ですが、これほどその言葉が当てはまる演奏は、なかなかないと思います。
グールドの演奏が、ある人には熱狂的に受け入れられ、ある人には生理的に拒絶されるのは、そこに吹き込まれた命が、人の形をしていないからでしょう。
そんな形の命を創るのは、人間嫌いのグールドらしいことです。
そう思ってグールドのほかの演奏を聴くと、まるで奇妙な箱庭を覗いているような気分になります。
ある意味「自由」とは、「箱庭を作ること」なのかもしれませんね。
なんつって。
Aug 27, 2005
先日、
桐田さんにお借りした詩学の淵上毛錢特集を読んだところ、山之口獏についての著述が多く見られました。毛錢は山之口獏の弟分のような感じだったのですね。
私は山之口獏の詩も好きです。
と言っても高田渡の歌でこの詩人の作品を知ったのですが。
私が最初に買った高田渡のファーストアルバム「ごあいさつ」には、「歯車」「鮪に鰯」「結婚」そして「生活の柄」といった山之口作品に曲をつけたものが収録されていました。
これを随分と聴いていましたから、いまだに山之口獏の詩集で読んでいると、高田渡の声が、あの独特のテンポで頭の中に流れてきてしまいます。
しかし山之口獏の作風と、高田渡の声とテンポはとても相性がよく、だからちっとも邪魔にならず、かえって心地よく読み進んでいけるのです。
高田渡の歌った中では、とりわけ「鮪に鰯」の、のんきながら少し怖い雰囲気が好きでした。
しかし高田渡も死んでしまいましたね。
なにせ朝から晩まで毎日毎日呑んだくれていたらしいですから、仕方ないと言えば仕方ないですが、確かまだ五十代だったはずです。
見た目は七十代でしたが。
高田渡はほかにもたくさんの現代詩人の詩にふしをつけて歌っていました。
その大半が貧乏な詩でした。
だからこの人の歌で現代詩を知ったという部分の大きい私が、貧乏っぽい詩を好むようになってしまったのは、仕方のないことです。
高田渡のほかでは、小室等が歌った谷川俊太郎作詩の「夏が終わる」がとてもいい感じでした。
あと、中原中也は現代詩ではないですが、友川かずきがメロディーをつけて歌った「サーカス」は最高です。(特にライヴ!)
自作自演では町田町蔵(現町田康)が衝撃的でした。
激しい曲の途中で突然詩の朗読に切り替わったりするのは、なかなか格好よかったです。
小説や詩集もいいけど、詩を叫んでいる彼が一番それらしいような気がします。
考えてみると私の作る詩というのは、いわゆる貧乏詩と町田康とのハーフであるのかも知れません。
ああ、いけない。
山之口獏のことを書こうと思っていたのに、すっかり脱線して。
ま、いいか。
ブログだし。
Aug 25, 2005
少し自分の
詩作についてのことを書きます。私は喋ることが苦手です。
相手に自分の言いたいことをうまく整理して伝えることができません。
今は少しまともになりましたが、二十代前半までは結構ひどかったと思います。
一生懸命説明した後に相手から「何言ってるかわからない」と冷たく言われてそっぽを向かれることがよくありました。
それで随分傷つき、臆病になりました。
だから書くという作業をするようになったのだと思います。
自分の考えていること感じたことがうまく伝わるよう、私は言葉選びに散々時間をかけて文章を書きます。
それは詩を書くときにも同じです。
読み手が読む努力をしないでも、詩のほうから読み手へ飛びかかっていく、そんな言葉を探しだそうと、ああでもないこうでもないといつまでもやっています。
そんな行為は返って詩を弱めることになる、という人もいるでしょうが、それをしないとひどく不安になってしまうのです。
にもかかわらず、失敗することがとても多い。
先日の詩の合評会で提出した作品についての参加者の感想は「難しい」というものでした。
自分ではわかりやすく書いたつもりが、またうまくできなかったようです。
この不器用さには、自分のことながらまったく呆れてしまいます。
会の後で参加者の一人から、「ひとつの詩に色々と詰め込みすぎだ」というご指摘をいただきました。
なるほど。
つらつら考えてみると、私は昔からあまりに多くのことを一遍に喋ろうとし過ぎる癖があるのでした。
言いたいことがたくさんありすぎて、だから混乱してごっちゃになって、「何言ってるかわからない」ことになってしまうのです。
私は詩を書き始めてからしばらくは、ひとつの詩にあまりたくさんのことを詰め込みませんでした。
私が好きな詩人たちも、やはり詰め込まない詩を書く人ばかりでした。
しかし詩を書き続けていて、多少なりとも向上心などというものがあると、今までと同じでは嫌だ、もっと意味を持った詩を書きたい、などと思い始めるものです。
そう思うことは、別に悪いことではないと思います。
ただ無理にそうしようとして、せっかくの持ち味を台無しにしてしまう人の多いことも事実です。
だから詰め込まないことに徹するほうが、詩作においては得策なのかもしれません。
実際私はそういう詩を書くのも好きで、寧ろそういう作品を書くことのほうが多いぐらいです。
しかしその一方で、これが「何言ってるかわからない」になる原因なのだと知りながらも、可能な限り詰め込みたいとする欲望を消すことができないでいます。
果たして詩において、それを実現することは可能なのでしょうか。
たくさんのことを言うには、それに見合った長い時間が必要なのかもしれません。
書くという行為の場合、それは長編詩か散文ということになるでしょう。
また、多くのことを言おうとすればするほど、逆に言葉は少なくなっていって、最後は俳句のような形になるのかもしれません。
あるいはもっと別の、未知の形があるのかもしれません。
どうにしろ、まだしばらくは、一杯詰め込んで一遍に喋っても相手に伝わる方法を、欲に任せて模索していると思います。
馬鹿馬鹿しい努力なのでしょうが、ちゃんと答えを出しておかないと、次に進めそうにありませんから。
Aug 22, 2005
昨日は
PSPクラブの合評会でした。今回は各メンバーの作品のレベルアップが印象的で、この人の今まで読んだ作品のなかで一番好きだと言える作品(特に白井さんと手塚さん!)がいくつもありました。
個々の前進を感じると共に、置いてけぼりにされないよう頑張らなくては、と思わせられた一日でした。
今回の合評会には宮越妙子さんが参加されました。
ポエケットで一度ご挨拶させてもらっていたので、お会いするのは二度目です。
ご高齢ながら底抜けに明るい方で、生きるを楽しむにはこうすればよい、と体現されているような方です。
提出された作品は、作者の胸に今も息づく六十年前の満州の風景と感懐を表した「幻の国」という作品。
そこに描かれた紛れもない真実と想いには、私ごときの者から評する言葉など出てこようはずもなく、ただ鑑賞し、感じ入るだけでした。
桐田さんから、清水燐造さんのブログで紹介されていたポエムカードを頂きました。
とても美しいものに仕上がっています。
桐田さんのは「2月の歌」という作品で、記念すべき第1番目!
そして桐田さんは、私がブログに渕上毛錢のことを書いていたのを見て、詩学2000年6月号「渕上毛錢特集」をご好意で貸してくださいました。
内容を見るとアンソロジーはもちろん、対談や論考がふんだんに掲載されています。
毛錢について書かれた文章を私は殆ど読んだことがなかったので、これは興味津々です。
そして合評会後の飲み会には、久々に久谷雉さんが登場しました。
久谷さんは日曜日にバイトが入っていて、なかなか会に参加できないということ。
それにしても相変わらずエネルギッシュな人で、声の大きさはやはり群を抜いていますね。
私のブログを読んでくれているということでした。
うれしい!
それにしても飲み会で痛切に感じたことは、詩に対しての私の無知さです。
私以外のメンバーは詩をすごく研究し、愛し、たくさんの詩人の名前を出して論じ合うのですが、私はほとんどついていけません。
私も少し勉強して、論ずるには行かないまでも、みなが話していることを理解するぐらいにはならないといけませんね。
Aug 20, 2005
北見さん、
トラックバックありがとうございました。先日の飲み会でして頂いたお話はとても為になりました。
竹内さんから「燦燦」を、有働さんから「ジャンヌの涙」を頂き、眺めながらその装丁のすばらしさに驚いているところです。
私などは本文の紙の切り口や、印刷による紙のへこみの感じなんかがたまりません。
北見さんのブログにあるジャコメッティの本もまたイカしてますね。
一昨日の続き…
それにしても私にはあの「いんあうと」のイベントまで、詩人の友人はおろか、詩に興味のある友人すらいなかったのです。
あのときあのまますぐに帰ってしまっていたら、勇気をだして久谷さんに声をかけていなかったら、久谷さんが竹内さんを紹介してくれていなかったら、そうしたらわたしはこの合評会に参加することも、メンバーの方々にお会いすることもできなかったのです。
そしてここでブログを書くことも当然なかったわけです。
まったく運命とは少しのことで大きく変わるものだと不思議な気持ちになると同時に、出会った人に対して感謝せずにはいられません。
私の詩への第一歩は現代詩手帖とユリイカに詩作品を投稿することでした。
そして二歩目はPSPクラブに参加することでした。
この二歩までで痛感するのは、人が歩くには他者の力を借りなければいけないということです。
一歩目では投稿欄の選者の力を借り、二歩目では久谷さん竹内さん他、合評会のメンバーの力を借りて進むことができました。
やっぱり一人じゃどうしようもありません。
私は現在、個人の作品集を出版する準備をしています。
これにもやはりたくさんの人の力を借りています。
はたして次の三歩目を私はうまく踏み出せるのでしょうか。
未だ不安ではありますが、いい意味で、なるようになるのでしょうね。
Aug 19, 2005
昨日の続き…
当日、会場である吉祥寺のレストランに行って、外から店内を見渡してみると、すぐに竹内さんが手を振って招き入れてくれました。そこで現在までお付き合いして頂いている詩人さんたちに初めて出会いました。
灰皿町の住人である桐田さん、高田さん、有働さんを始め、朗読会「黄いろの日」を主催されている白井明大さん、去年に詩集「詩日記」を上梓され、各詩誌の投稿欄でも活躍されていた手塚敦史さん、詩誌「たまたま」など様々な詩の活動をなさっている小網恵子さん、そして実は私がこの会で一番作品を楽しみにしている柿沼徹さん。
どの方も長く詩作活動されている大先輩ばかりです。
それぞれのメンバーが提出する作品はとても個性的かつハイレベルであり、すっかりしり込みしてしまいましたが、私の拙作もみな真剣に読んでいただき、いままで一人で書いていてはわからなかった部分などが見えてきて、とても勉強になります。
私もたどたどしいながら参加者の作品について意見を述べさせてもらっていますが、みんな真剣に耳を傾けてくれるのはうれしいことです。
現在までに五回参加させて頂きました。
そのなかで上記したメンバーのほかにも、長く詩に携わって知識も経験も豊富な福士環さん、美しい装丁で知られる水仁舎の北見俊一さん、私と同時期に現代詩手帖に投稿され、詩集「君はなにをするの」を去年上梓された佐藤勇介さん、合評会「リリースルーム」を主催されるほか、たくさんの活動をされている安田倫子さん、詩集「夕べの散歩」を一昨年上梓された岩村美保子さんにお会いすることができました。
また先月には、この合評会から生まれた同人誌「ル・ピュール」の創刊号にも、「模様」という作品で参加させてもらいました。
もちろん私にとって初めての同人誌です。
制作は水仁舎で、そのシンプルかつ美しい装丁は大変評判になっています。
ありゃりゃ。
またまた長くなりましたので、続きはまた明日か明後日に…
Aug 17, 2005
小網さん、
トラックバックありがとうございました。月曜日は楽しかったですね。
大したことは書けませんが、ちょくちょく見に来てくれるとうれしいです。
今宵は詩の合評会「PSPクラブ」に私が参加したいきさつを書きましょうか。
今年の三月二十日に、詩人の和合亮一さん主催のイベント「いんあうと2005」が、早稲田大学で開かれました。
私はネットでその情報を得て、詩のイベントというものを初めて見に行きました。
イベントは四部構成で、それぞれの部で提示されたテーマについて5,6人のパネラーが発言していくというかたちで進んでいき、その時間は四時間以上にも及びましたが、各パネラーが非常に興味深い内容の発言をされていたので、瞬く間に時間が過ぎていきました。
パネラーの一人として、灰皿町の住人でもある詩人の久谷雉さんが出演されていました。
久谷さんには、去年の暮れに出た現代詩手帖12月号「現代詩年鑑2005」に、去年一年間で印象に残った作品のひとつとして、ありがたいことに私の作品の名前を出して頂きました。
さて、イベントが終わるとすぐに二次会への参加の呼びかけがあり、見に来た人たちの一部は誘いあって参加するようでした。
私は一人でしたし、面識のある人もいなかったので、そのまま帰るつもりでいたのですが、しかし前出の久谷さんと、詩手帖の投稿欄で評をしてくださった和合さんにはぜひ挨拶をしておきたいという気持ちがありましたので、会場の外で二次会に参加する人の集団に紛れ込みつつ、和合さんか久谷さんが出てくるのを緊張しながら待っていました。
大分経ってから久谷さんが出ていらしたので、私は勇気を出して声をかけました。
初対面でいきなり話しかけた失礼にも関わらず、久谷さんはとても親切に明るく会話をしてくれました。
それで調子にのって私も居酒屋で開かれた二次会に参加することにしました。
久谷さんは人気者なので、会が始まるとすぐに周囲は久谷さんを中心にして会話が弾み、そのなかで「小川さん、彼がやっている合評会に参加してみたらどう」と、PSPクラブの発起人である竹内敏喜さんを紹介してもらいました。
私はそれまで現代詩手帖に詩を投稿するという形で詩を発表していたのですが、その三月に区切りをつけて投稿を卒業することに決めており、詩を発表する場をなくしたばかりだったので、是非にとお願いしました。
合評会はその一週間後に予定されており、ですから非常に急な申し出だったのですが、竹内さんは快く参加を受け入れてくれ、イベントの二日後には早速合評会の案内状を頂きました。
ふう。
少し長くなりそうなので、続きはまた明日か明後日に…。
Aug 16, 2005
昨日は
参加させてもらっている同人誌「ル・ピュール」の飲み会に行ってきました。発行者である竹内敏喜さんとは詩のあり方についての論争をし、
柿沼徹さんとは僅かながらも殆ど初めての会話を交わすことが出来、
小網恵子さんとは町田康などの小説家や詩人の周辺のお話を楽しくし、
水仁社の北見俊一さんからは、本としての詩集や同人誌についてのご教授を頂き、
このブログにも度々ご登場願っている有働さんとは、性別などのアイデンティティが詩にどう関わってくるかなどの意見を交わしました。
残念ながら今回は白井明大さんと福士環さんとはあまりお話が出来ませんでしたが、
どの方もすばらしい詩の先輩方で、すべての会話が勉強になりました。
個人的連絡:
有働さん、すばらしい詩集をありがとうございました。
小網さん、見てますか?
Aug 13, 2005
このブログ、
なんだか隔日刊になってきました。一昨日はフランス人の詩人についてだったので、なにかフランスネタで書こうと思ったのですが、なかなか見当たらないので、フランスからスイスを飛び越えて、イタリアに来てみました。
小説家のアントニオ・タブッキについて。
と言っても実はタブッキという作家のエピソードを私は殆ど知りません。
知っているのは、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの紹介者であることぐらい。
ただ作品は大体読んでいます。
中でも「島とクジラと女をめぐる断片」は好きな作品で、時々引っ張り出しては読んでいます。
私はこの作家の透明で浮遊感のある文章が好きで、それが極まるのがこの作品なのです。
内容はポルトガル沖のアソーレス諸島という場所での、クジラと女と難破船を巡る幻想的かつ断片的な旅行記なのですが、ディテールがとてもしっかりしているので、すんなりと作品世界に入っていけます。
私にとってはこの本、正直ストーリー云々はどうでもいいのです。
タブッキ独特の雰囲気に浸るのが心地よくて、私はこの本を開くのです。
それぞれのエピソードは小説と呼ぶより、詩と呼ぶほうがしっくりくるもので、その点では「青の物語」に似ていますね。
タブッキの文章が持つ雰囲気については、説明するのはとても難しいので、もし本屋で見かけたら、2,3ページ目を通してみてください。
それで気持ちよくなれたら買いだと思います。
青土社から出ている本は、装丁もとても美しくていいです。
Aug 11, 2005
ジャン=ミッシェル・モルポワ著
「青の物語」(有働薫訳)を、最近は机の前の棚に置いて時折パラパラと捲っています。先日の東京ポエケットの時に、訳者である有働薫さんから直接頂いたものです。
タイトル通り、全編が「青」についての短い詩によって編まれており、どこから読んでも気持ちのよい本です。
実は最初に少し目を通したときには、これはなんだか難しい本だなと思っていたのですが、やがて語感の流れが体に馴染んでくると、文章が意味深くあるのはもちろん、その前に快楽があり、読解するよりむしろ身を委ねるのが私には良いようでした。
それでちょっと取り出しては5,6ページ捲って棚に戻し、また何かの拍子に気になって取り出し、といった具合にこの詩集と接しています。
すると何しろ飽きない詩集です。
私はフランス語のことはまったくわかりませんが、有働さんによって訳されている日本語は、とても気持ちのいい音をもった言葉ばかりで、あたかも無人のプールを誰にも気兼ねすることなくのんびり泳ぐように、言葉の中を流れていくことができます。
詩を読むことは快楽でないといけないと思います。
そして何よりもまず読むことの快楽を与えてくれる詩が、良い詩なのだと私は思っています。
「青の物語」は私が久しぶりに出会えた、読むことが純粋に快楽であり得る詩集であり、これから長く親しんでいけると確信できる詩集です。
残念ながらまだ私はこの詩集の本意を完全に理解するには至っていません。
しかしこの青の中を気まぐれにまたのんびりと泳いでいるうち、きっとそれを理解する瞬間がくるに違いないと思います。
それまで慌てずにこの詩集を手繰り、快楽に身を委ねていたいと思います。
Aug 09, 2005
毛錢の詩を
読み返していて思ったのですが、私は詩に限らず、シンプルなものが好きなのです。音楽にしても映画にしても何にしても。
シンプルなものは凶暴です。
ナイフのように突き刺さって、あとは知らん顔をするのです。
私はおそらく、その知らん顔をされるのが好きなのでしょう。
ナイフは深く突き刺さり、その傷跡を、私は長いこと見つめているのです。
そしてそこから溢れ出てきたものによって、私は今まで生きてきたような気がします。
私の人生を左右した実際の出来事も、いま思い出してみればとてもシンプルなことばかりでした。
出来事には必ず複雑な事情が絡んでいて、そのときは心を支配され盲目となるのですが、年月とともにそれは消え、残るはとてもシンプルな衝動の記憶だけです。
それは恐らく、人の欲望そのものなのでしょう。
あるいは弱さと見えもしますが、弱さもまた欲望の一種ではないでしょうか。
人を動かすのはただ欲望だけであり、言葉はそれを説明したり正当化したりするものに過ぎないと思います。
私が衝撃を受けた文学も音楽もその他のことも、ただ欲望そのものであり、私にとって詩を書くことも、また欲望以外のなにものでもありません。
あるいはやはり弱さなのでしょうか。
まだ当分は詩を書くと思います。
Aug 07, 2005
昨日の続き。
淵上毛錢は1915年に熊本県水俣市で生まれ、二十歳でカリエスを発病、十五年間の闘病の末、三十五歳でこの世を去りました。二十四歳ぐらいから詩を書き始め、二冊の詩集と、一冊の未刊ノートを残しています。
毛錢の詩の中で私が最も惹かれたのは「春の汽車」と言う、たった一行の作品でした。
春の汽車はおそいほうがいい。
ただこれだけの詩なのですが、しかしとめどなく想像力を掻き立てさせられる一行でした。
何故春の汽車はおそいほうがいいのか。
春は別れの季節だから、駅での別れを少しでも長引かせる為、おそいほうがいいのか。
汽車から眺める春の風景が美しいから、それをゆっくり見る為におそいほうがいいのか。
春の風景を走る汽車の姿は夢のようなので、だからおそいほうがいいのか。
いやがおうにも解釈が広がっていきます。
ちなみにこの詩はもともと五行ある詩で、
春の汽車は遅い方がいゝ
おーい
その汽車止めろお
と言つてみようか
春の汽車は遅い方がいゝ
と言う形で最初は発表したものを、毛錢はその後四年がかりで一行にまで削り込んでいます。
凄い執念です。
最初に発表した時点でも、恐らく相当に推敲してこの短い形まで到達したのだろうに、それを更に(この一行だけで良し)と判断するまでに至るには、とてつもない精神力と長い時間が必要だったと思います。
そしてその努力は正しく報われていると思います。
このことを知ってから後、私はやたらと推敲に時間をかけるようになってしまいました。
単純ですね。
誰かの真似をした詩は書きたくありませんが、しかし私は素直に「春の汽車」のような無限の情報量を持つ作品を書きたいと思います。
一生に一編ぐらい、そんな詩が書けるでしょうか。
Aug 06, 2005
今日は淵上毛錢について。
淵上毛錢も、私が好きだと言える数少ない詩人の一人です。毛錢を知ったきっかけは、寺山修司のエセーの中に取り上げられていたのを読んだことでした。
多分「馬車屋の親爺」と言う詩が紹介されていたと思います。
馬蝿を叩いてゐる
馬車屋の親爺
馬車も古いが
親爺もよく枯れてゐる
なんのことはない四十年
じつくり馬車という竈で
燻製にされた上等な親爺
馬蝿を叩いてゐる
燻製のずぼんには
煙管が神経痛のやうに
突っ張つてゐた
馬蝿を退治て
神経痛から煙を出してゐる
燻製よ
面白い詩を書く人だと思い、ほかの作品も読んでみたくなって本屋を探しましたが、見つかりませんでした。
調べてみると、淵上毛錢の詩集はどれも絶版状態でした。
神保町の古本屋を探しまわってようやく180ページほどの選集を見つけて購入しました。
それは1000円ぐらいで買えたのですが、同じ店に置いてあった、昭和40年代に出た全集は、三、四万の値がついていました。
残念ながら容易に作品を読むことの出来ない詩人です。
続きは明日書きます…。
Aug 04, 2005
有働さん、トラックバックありがとうございました。
サクサクッとインターネットしていますか?大したことは書けないと思いますが、ちょこちょこと少しずつ書き込んでいくつもりですので、暇な時に寄ってみてもらえると嬉しいです。
ブログ、拝見しました。
有働さんは俳句にも長年力を入れてらっしゃるのですね。
私はまだ俳句と言うものを自分に染みいらせることが出来ないのです。
種田山頭火や尾崎放哉などの自由律俳句はとても面白く読めるのですが…。
世界で一番短い文学であり、日本の誇るべき文化であるのに、馴染めないというのは情けない話です。
きっとまだ心が自分勝手でありすぎるのでしょう。
すると私が俳句に馴染めるのは随分先だということになりそうですが、その時には有働さんにも相手になってもらおうと思います。
Aug 03, 2005
今日は辻征夫さんについて。
私が初めて辻征夫さんの文章を読んだのは、1998年9月号の「新潮」誌上でした。そこに辻さんの小説「黒い塀」が載っていました。
つまり私が辻さんの書いたものを最初に読んだのは、詩ではなく、小説だったのです。
そのころまだ私は詩のことを全く知らない、小説を好む人間でした。
その時も(面白い小説はないか)と図書館で文芸誌を片っ端から読み漁っていたのでした。
発見した辻さんの小説は、ほかの小説とは一線を画す雰囲気を持っており、これは面白いと思いました。
それでほかの作品も読みたいと思い、小説のコーナーへ行って探しましたが、まだ辻さんの小説は単行本化されていない上に、もとより辻さんは詩人なのですから当然見つからず、本屋もまわって探しましたが無駄でした。
後日、たまたま大きな本屋の詩のコーナーを眺めていた時、しばらく前に探していた辻征夫と言う名前が目に入りました。
「俳諧辻詩集」と言う本でした。
そこで私は初めて辻征夫が詩人であることを知ったのです。
本を開いて見るとまず変な俳句があり、それに呼応するように幾つかの詩らしきものがあり、そしてまた俳句があり、と言う構成でした。
俳句の方は良くわかりませんでしたが、詩の方を見て驚きました。
いままで見たこともない魅力的な言葉が、そこかしこに転がっていたのです。
私はどきどきし、俳諧辻詩集は税抜で2330円もしましたが、すぐに買って自分の所有にしました。
何度読んでも飽きない、面白い本でした。
それから私は辻征夫さんの本を出来る限り入手し、恐らく辻さんが書いた殆どの詩や散文を読み、そのどれもを好きになることが出来ました。
そんな書き手に出会えることは滅多にありません。
その後、幾人かの詩人の作品に接しましたが、辻征夫さんは私にとって特別な詩人であり続けています。
決して辻さんの作品を真似した詩を書こうとは思っていませんが、現代詩手帖に投稿していた時に選者の方からいただいたコメントを見ると、やはり少なからず影響は受けているようです。
最初に好きになった詩人ですから、これはもう仕方ないのかもしれませんね。
Aug 02, 2005
おやおや、
昨日の更新時からカウンターが10ぐらいしか増えてませんね。まあ始めたばかりですし、当然なんでしょう。
では殆ど誰も見ていない、と言うことを前提に、ゆるい文章を書いていきます。
昨日の続き。
恐らく井川さんはいま一番書きたいことを、形を気にせず好きなように書いておられるのではないでしょうか。
それがすごく成功しているように思います。
私は詩を書くとき、どうも形ばかりが気になって困るのです。
一番書きたいことがしっかりと自分の中で固まっていれば、形はおのずと決まってくるものなのでしょう。
しかし私の場合、その場で感じたことを大して考察もせずいきなり書き始めてしまうのです。
それをあとで格好いい形にしてやろうと格闘している内に、自分が何を書きたかったのかもよくわからなくなったりして。
そこら辺の浅はかさが、私の駄目なところのようです。
Aug 01, 2005
高田さん、よろしくお願いします。
ライトバックありがとうございました。寝る前にぽつぽつ書きこんでます。
暇な時に寄ってみてください。
一昨日の続き。 井川博年さんの、詩「のようなもの」が連載七回目。
タイトル通りというか、詩というより散文に近くて、なんだか否定的な声が聞こえてきそうですが、私は好きです。
井川さんは、以前私が投稿していた時に選者をされていて、私の作品を随分入選に選んでくれました。
それで言うのではありませんが、もう単純に読んでいて面白い。
こちらの頭に挑み掛かってくるような詩と論考が多い詩手帖の中で、私がゆっくりと腰を下ろせる場所です。
Jul 30, 2005
ごく短く、
しかしまめに書き込んでいきたいと思います。出来るだけですが・・・。
昨日の現代詩手帖の続き。
アンソロジーに鈴木志郎康さんの作品が二編選ばれていますね。
私は「終電車の風景」が好きです。
そして清水哲男さんの「チャーリー・ブラウン」も。
それから私の好きな辻征夫さんの作品が一編。
いま、有働薫さんなど辻さんと交友のあった人たちにお会い出来ていることを考えると、私がもう少し早く詩の世界に足を踏み込んでいたならば、あるいは辻さんにお会い出来たのかも知れなかった。
残念です。
Jul 29, 2005
桐田さん、よろしくお願いします。
ぼちぼちやって行こうと思います。画像やプロファイルの文章、おいおい送りたいと思いますのでどうぞよろしく。
今日は現代詩手帖の八月号を購入しました。
まだよく読んでませんが、戦後六十年現代詩再考と言うことで、座談会、アンソロジーなど、読み応えありそうです。
私、実はこの三月まで投稿してました。
近い所だと今年の五月号、去年の八、十一月号の新人投稿欄に作品が載ってます。
お手持ちの方は暇潰しに読んでやってください。
Jul 27, 2005
鱗造によるテストです。
小川三郎さん、ようこそ!!これはblogのページなので、自由に書いたり編集したりできます。
改行はbrタグを使います。下のeditをクリックすると、どのように改行タグが書いてあるかわかります。
このblogには写真を載せたり、いろいろな機能があります。
灰皿町blosxom blogの使い方
に使い方を書いておきましたが、わかりにくいかもしれません。
いろいろと書いて慣れることが一番なので、やってみてくださると幸いです。