Aug 29, 2005
ずるずると
音楽のほうへ。脈絡もなくグールドの話。
私はモーツアルトが嫌いで、ほんの数人の個性的な演奏家でしか曲を聴けません。
その中の一人がピアニストのグレン・グールドです。
私の持っているのは、モーツアルト・ピアノソナタ4枚組のCD。
これをどの曲と言うでもなく、なんとなく適当なところからかけて聴きます。
グールドは「譜面の指示通りに弾かない」演奏家の代表のような人で、例えばこのソナタ集に収録されている有名な「トルコ行進曲」は、本来テンポよく弾かれる曲ですが、グールドはこれを恐ろしくゆっくりしたテンポで弾いています。
他の曲も、従来のその曲に対しての価値観を悉く破壊する独特な演奏ばかりです。
人によっては彼の演奏をグロテスクと形容したりしますが、私には新種の小動物のように見えてとても面白い。
私はモーツアルトの、あの軽やかでかわいらしい雰囲気がどうにも馴染めないのですが、グールドが弾くモーツアルトは、別物として聴くことができます。
奇妙な形をした見たこともない小動物が、グールドの指先から一曲につき一匹ずつ湧いて出て、ちょこまかとそこら辺を走り回っている、そんな風に見えて、気がつくと何時間も飽きずに聴いてしまっています。
作品に命を吹き込む、とは安易に使われている言葉ですが、これほどその言葉が当てはまる演奏は、なかなかないと思います。
グールドの演奏が、ある人には熱狂的に受け入れられ、ある人には生理的に拒絶されるのは、そこに吹き込まれた命が、人の形をしていないからでしょう。
そんな形の命を創るのは、人間嫌いのグールドらしいことです。
そう思ってグールドのほかの演奏を聴くと、まるで奇妙な箱庭を覗いているような気分になります。
ある意味「自由」とは、「箱庭を作ること」なのかもしれませんね。
なんつって。
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