Dec 13, 2005
詩集の発送が、
ほぼ終わりました。住所がわからず、失礼にもメールでおたずねした皆さんには、
全ての方に快くご承諾を頂いただけでなく、温かい言葉も添えてくださって、
ほんとうに、どうもありがとうございました。
深く感謝しております。
またメールやトラックバックで、詩集の到着をお知らせいただいた方々、
わざわざ、どうもありがとうございました。
と、このあと少し長くなります。
時間を無駄にされたくない方は、
どうかここでご遠慮ください。
私は小中高の大部分を、神奈川県の藤沢市で過ごしました。
自転車で10分ぐらいのところに海がありました。
海岸に出ると、左に江ノ島、右に烏帽子岩が見えました。
正面を見ると、浜辺付近の茶色く汚れた海にサーファーがずらりと並んでいて、
その向こうには群青色の海が、水平線まで続いていました。
そしてその上には青空、入道雲、または雪を思わせる曇天の空が広がっていました。
水平線は微かに湾曲して見えて、ああ地球は丸いんだなあと子供心に思ったあの風景が、
恐らく私の原風景というものだと思います。
沖縄やハワイの海とはとても比べ物にならないほど貧相な眺めですが、
しかし私の「美意識」とは、あの風景にあるのだと思います。
私が美しいという言葉を書いたり言ったりするとき、
無意識のうちにその言葉のずっと奥のほうには、
あの風景があるのだと思います。
また、私は昔ボーイスカウトをやっていました。
ボーイスカウトは夏休みと春休みには山へキャンプに行きます。
随分と山の中を歩かされました。
丹沢や八ヶ岳などよく登りました。
正直私はボーイスカウトなんて好きじゃなかったし、
山を歩くのも嫌で嫌で仕方がなかったのですが、
それでも山の中腹や頂上から臨む山々や深い森の景色には、
素直に見惚れていました。
あれもまた、私の原風景であると思います。
他にもそういうものはたくさんあるのでしょう。
学校の窓際の席から眺めた雑多な町並み、
十代の頃に夢中になった音楽や文学、
恋した女性(!)の容姿や仕草や声など、
そういうものが流れ込んで、ひとつになって、
私特有の「美意識」が完成されていったのだと思います。
そして私が詩を書くとき、
無意識のうちにその詩のずっと奥のほうには、
その美意識があるのだと思います。
もしもその美意識が失われてしまったら、
私の書く詩は、私の詩でなくなってしまうでしょう。
そしてその美意識がある限り、
私は私の詩を書くことが出来るのだと思います。
たとえこの先、私の詩のスタイルが劇的に変わったとしても、
その美意識がある限り、
その詩は私の詩であれるのだと思います。
そして不思議なことに、美意識がうまく表現されたとき、
それは別の人の美意識に、ふと繋がることもあるようです。
私が誰かの作品を好きになるとき、
恐らくそれはその作者の美意識と、
私の美意識がふと繋がった時なのだと思います。
その時の感触が、私を捕らえて離さないのです。
その感触を求めて、私は相も変わらず本屋をうろつき、
飽きもせずにレコード屋をうろつき、
また出来ることなら自分の作品で、
誰かにその感触を感じてもらいたくて、
詩を書いたりしているのだと思います。
ほら、長かったでしょ。
いわんこっちゃない。
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