Dec 07, 2005

私の人生の大半において、

詩といえば歌の歌詞のことでした。
私の好きな詩を歌う人たちはというと、
忌野清志郎、ストリート・スライダース、泉谷しげる、矢野顕子、
シオン、COCCO、ブルー・ハーツ、ミッシェル・ガン・エレファント、
高田渡、町田町蔵、どんと、友川かずき…
まあ、こんなところでしょうか。
結構いますね。

私が小学校の高学年だった頃、
五つ上の姉は忌野清志郎の大ファンでした。
姉の聴いているレコードを横で聴いていると、
「授業中あくびしてたら、口がでっかくなっちまった」だの
「居眠りばかりしてたら、目が小さくなっちまった」だの
小学生の耳には、ただ面白い歌としか感じられないものばかり。
げらげら笑って、よく姉にはたかれました。
しかしそれが中学生くらいになると、
そんな歌詞で歌われる気持ちがわかるようになりました。
あんなに笑ってたくせに、と姉から白い目で見られながら、
せっせと小遣いを貯めて、RCのレコードを買って聴くようになりました。

中学生の私が強烈に惹かれたのは、言葉の表面ではなく、
その向こう側に漂う匂いみたいなものだったと思います。
上記したミュージシャンたちの歌う詩は、
みんなそういう匂いを持った言葉たちでした。
いい詩、言葉には、必ず匂いがあるものだと思います。
それを嗅ぎ取った瞬間、言葉の向こう側に深く世界が広がって、
しかしなかなか見通せない。
見通せないから、何年も何十年も惹かれ続けてしまう。
そんな力を持っている言葉が、いい詩なのだと私は思っています。

これは小説ですが武田泰淳の「ひかりごけ」
この中に、餓死から逃れるために仲間の死体を食べた船長が最後に連呼する
「見てください。私をもっとよく見てください」
という言葉がありますが、これも強烈な腐臭を放っている言葉です。
この短篇小説は全ての言葉が腐臭を放っている凄い作品ですが、
特に最後のこの台詞が発する匂いは、表面的な意味を超えて強烈です。
私はこれからもこういう匂いのある言葉を求めるでしょうし、
また書きたいと欲し続けると思います。
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