Sep 06, 2005

しっ失礼しましたっ、

有働さん。
現代詩手帖九月号の105ページに有働薫さんの第五詩集「ジャンヌの涙」の広告が掲載されています。

それでは今日は有働薫著「ジャンヌの涙」について。

PSPクラブに参加して以来、私は数編の有働さんの作品に接してきました。
それらは、長い時間と共に重ねられてきた記憶から漏れ出してくる音に耳を澄ます行為の結晶だと、私には感じられました。
その積りはないのに、いつの間にか耳を澄ましている音。
詩集「ジャンヌの涙」の冒頭章「ⅹ」には、そういった詩が並んでいます。
作者がこれまでに見てきたたくさんの風景と、それに重なる幾つかの顔。
その顔は現在作者が目にする景色にも重なり、さらには未来の景色を見通す目にも重なっているようです。
「南へのバラード」は集大成とも言える作品ではないでしょうか。

「y」はジャンヌ・ダルク他、幾人かのヨーロッパ人についての力強い詩篇によって構成されています。
作者にとってジャンヌとはどういう意味を持った存在なのでしょうか。
直接ジャンヌの名前が出てくる二編では、真の姿は違うにもかかわらず、他者の勝手な都合に合わせて作られたイメージによって、語られたり貶められたりする存在である女性の姿が描かれます。
あるいは人間が持つ強い部分と弱い部分。
女であるゆえのこと男であるゆえのこと。
そしてそうではないところ。
ジャンヌの姿を想い口にすることによって、自身を沈黙の内に再見しようとする作者の姿が見えてくる、と書いたなら、有働さんは苦笑されるでしょうか。

「z」のページを開くと、明るく吹っ切れた涼しい風が吹き込みます。
ここでも節々で過去からの音が聞こえてきますが、しかし重くならずに、笑って足を踏み出していく作者の姿が見られます。
前に進まんとする人の生命力は、いつも透明であることを感じさせられました。
「LAMENTО」と「お使いの川」は、この詩集における私のフェイバリット。
二編とも、いい空気の匂いがします。

有働さんの詩に、私は赤のイメージを持っていました。
処女の血の色に、時間の錆色が溶け込んだ、匂いたつ赤色。
この本の装丁の色は、そのイメージに非常に近い色だと思います。
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