Aug 07, 2005

昨日の続き。

淵上毛錢は1915年に熊本県水俣市で生まれ、二十歳でカリエスを発病、十五年間の闘病の末、三十五歳でこの世を去りました。
二十四歳ぐらいから詩を書き始め、二冊の詩集と、一冊の未刊ノートを残しています。

毛錢の詩の中で私が最も惹かれたのは「春の汽車」と言う、たった一行の作品でした。

 春の汽車はおそいほうがいい。

ただこれだけの詩なのですが、しかしとめどなく想像力を掻き立てさせられる一行でした。
何故春の汽車はおそいほうがいいのか。
春は別れの季節だから、駅での別れを少しでも長引かせる為、おそいほうがいいのか。
汽車から眺める春の風景が美しいから、それをゆっくり見る為におそいほうがいいのか。
春の風景を走る汽車の姿は夢のようなので、だからおそいほうがいいのか。
いやがおうにも解釈が広がっていきます。

ちなみにこの詩はもともと五行ある詩で、

 春の汽車は遅い方がいゝ

 おーい
 その汽車止めろお

 と言つてみようか

 春の汽車は遅い方がいゝ

と言う形で最初は発表したものを、毛錢はその後四年がかりで一行にまで削り込んでいます。
凄い執念です。
最初に発表した時点でも、恐らく相当に推敲してこの短い形まで到達したのだろうに、それを更に(この一行だけで良し)と判断するまでに至るには、とてつもない精神力と長い時間が必要だったと思います。
そしてその努力は正しく報われていると思います。
このことを知ってから後、私はやたらと推敲に時間をかけるようになってしまいました。
単純ですね。
誰かの真似をした詩は書きたくありませんが、しかし私は素直に「春の汽車」のような無限の情報量を持つ作品を書きたいと思います。
一生に一編ぐらい、そんな詩が書けるでしょうか。
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