Nov 02, 2005
いつの間にやら、
今年も残すところあと2ヶ月…。まったく歳をとるごとに一年が早くなっていきます。
このブログを始めてから、もう3ヶ月ですね。
マイルス・ディビスという人がいます。
もう死んでしまいましたが、天才トランペッターであり、またコンポーザーであり、
デビューから亡くなるまでジャズ界に帝王として君臨した伝説的ミュージシャンです。
誰でも名前ぐらいは知っている人ですね。
私は一時期、この人の音楽をよく聴いていました。
しかしこの人はアルバム一枚ごとに、まったく音楽スタイルを変えてしまうので、
ついていくのが大変なのです。
トランペットの奏法からバンド編成、リズムの使い方、曲の雰囲気までガラリと変わってしまいます。
なぜそんなにスタイルを変えるのかといえば、この人は自分がやりたい音楽というのを、
しっかりと持っていたからだと思います。
この人にとって重要なのはあくまで自分の音楽なのであって、
音楽スタイルはそれを実現するためのものに過ぎません。
ですから自分がやりたいと思ったものに、自分よりもメンバーが書いた曲の方が合っていると思ったら、
迷わずそちらを採用してしまいます。
現にマイルスのアルバムには、彼自身素晴らしいメロディーメーカーであるにもかかわらず、
マイルスの曲が入っていないものがあります。
他にも白人のピアニストを採用したり、エレクトリックを導入したり、ロックとの融合を図ったり、
その当時ではかなり反発があったと思われることも、平気でやってしまうのです。
何しろ自分の音楽にトランペットが要らないと思ったら、
なんの躊躇もなくトランペットを置いてしまう人なのです。
マイルスは極端な例ですが、スタイルを気にしないというのは、黒人全体にいえることだと思います。
70年代の終わりぐらいにシンセサイザーなどの電子楽器が台頭してきた頃、白人や日本人が、
あんなものは血が通っていないから駄目だ!と否定していたころから、
黒人たちはバリバリにシンセを使って表現を広げていました。
ヒップホップにしても、つまるところ彼らがやりたいことはラップなのであって、
その後ろにどんな音楽がなっていようと、彼らにとっては二の次の話なのだと思います。
だからこだわらずにいろいろな過去の音などを持ってきて、ラップしているのでしょう。
彼らのこのような性質を見るたびに、私は随分と考えさせられてしまいます。
一番大事なものがしっかりあれば、それ以外はどうでもいいことであるというのは、
真実であると思います。
では自分は一番大事なものをしっかりと持って書いているだろうか。
スタイルばかりにこだわって、大事なものを失いかけてはいないだろうか。
もし自分の表現したいものを表現するのに最も適した形が詩ではないと悟ったら、
例えばそれが彫刻であると悟ったら、マイルスのように躊躇なく詩を捨てて、
彫刻を始められるのだろうか。
もしそうなっても今のスタイルにしがみついて書くのだとしたら、
本末転倒ということになってしまうでしょう。
これは非常に恐いことだと思います。
マイルスは天才だからそれが平気で出来たかもしれませんが、凡人にはなかなか出来ないことです。
しかしそれができなければ、その時点で表現者としては死ぬのではないでしょうか。
今のところ私はまだ、自分が表現したいと思っているものを表現する最適な方法は、
詩というスタイルだと言うことが出来ます。
しかしいつそうなるかわからない。
うーん。
眠くなってきた…。
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