Nov 25, 2005
先ほどネットで、
ニュースを読んでいたところ、ベートーヴェンやモーツァルトの直筆楽譜がオークションにかけられ、
数千万から数億の値がつきそうだと書かれていました。
私は楽譜はほとんど読めず、ピアノも弾けませんが、
ちょっと思うことがあったので、書いてみます。
ピアニストが、作曲家の書いた楽譜を見つめながらピアノを弾く行為、
あれは詩の朗読にとてもよく似ていると思います。
作曲者は自分の感情を音の流れに変換して、それを譜面に、
音符という文字を使って著述していきます。
ピアニストは譜面に著述された音符という言葉を、
ピアノを使って読み上げていきます。
譜面にはクレッシェンドやピアニッシモなどの音楽記号により、
音の強弱や速度設定が指示されていますが、それはあくまで目安にしかならず、
細かい設定はピアニスト(朗読者)の感性に委ねられます。
だから同じ曲でも、ピアニストによってまったく違うように弾かれますし、
解釈も異なってきます。
例えばモーツァルトの曲は、普通に譜面どおりに弾いても、
モーツァルトにはならないそうです。
所謂モーツァルトっぽさというものは譜面で表せるものではなく、
演奏者が譜面全体から、モーツァルトがどういう曲にしたかったのかを読み取り、
自身が天才ピアニストであったモーツァルトが、
どのようにこの曲を演奏したのかを導き出して、演奏しなければならないのです。
また人によっては作曲家によって指示された音楽記号を無視し、
自分の感性に置き換えて演奏する人もいます。
グレン・グールドなんかはそのタイプですね。
こういう演奏は賛否両論ですが、
私なんかは、これもとても面白い朗読の仕方だと思います。
作曲者を詩人、譜面を詩、ピアニストを朗読者、ピアノを朗読者の声とすると、
やっぱりあれは詩の朗読と同じだなあと思います。
いにしえの詩人の書いた詩を、現在の朗読者の身体を通じて感じ取る。
ま、私の勝手な考え方ですが。
しかし実際、ピアノソナタなど聴くときに、
ただ聴いていただけではよくわからなくても、
これは譜面という詩を、ピアノを使って朗読しているのだ、
と思って聴いていると、
作曲者やピアニストが考えていること感じていることが、
とてもすんなりと伝わってくるような気がします。
最近、フリードリッヒ・グルダというピアニストの、ベートーヴェンピアノソナタ、
及びピアノ協奏曲全集という12枚組みの輸入CDを買いました。
なんと12枚組みで4990円という激安でしたが、
それでも高いので、散々迷った挙句にえいっと買ってしまいました。
グルダは以前から好きだったピアニストで、
ちょくちょくCDを買ってはいたのですが、
これだけまとまったものを買うのはこれが初めて。
評判通り素晴らしい内容で、最近の夜は小さな音でずっと(今も)流しています。
ベートーヴェンのピアノソナタは、硬質に冷たく弾かれることが多いのですが、
グルダは優しく、まるで子供たちを集めて詩を朗読してあげているかのように弾きます。
これを聴いているときに、上で書いたようなことを、改めて思ったのでした。
……また長文になってしまいました。
すいません。
次はなるべく短くまとめます。
またまた最後まで読んでくださった方、心より御礼を申し上げます。
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