相次いで、日本語の二つの大きな辞書の改訂版が出版されましたが、すでに「誤り」の指摘がニュースになっています。人間の仕事ですから「誤り」は免れませんでしょう。このような大きな出版物には、必ずそれに再度目を通すという、大掛かりな校閲専門の方がいらっしゃるそうです。それは再販の折に、その「誤り」を直すための必須の作業です。でもこうした出版物は版元もわかり、編纂に関わった方々もわかります。「誤り」の責任を取る立場にいる人間は明確にわかります。
しかしこわいものは、ネット上にある百科事典です。これは書き手の正体が見えません。別の方が「誤り」を直すこともできるそうですが、その書き手の正体もわかりません。これをまるごと信じることはできません。考える入口として読むという手段に使わないとこわいことになります。
そんな思いを抱いている頃、おそらく日本で初めての試みと思われる「現代詩」のみの「辞典」が出版されました。そこにはすでに「誤植」ではなく、事実とは違う記述が発見されています。お元気で生きていらっしゃる詩人にそれぞれ確認することは困難な作業でしょう。そしてその費用と労力も出版社にとって大きな負担になるでしょう。書籍が売れない昨今、一概に出版社を責める気持にもなれませんが、当の本人にとっては不愉快なことでしょう。
しかしこの上記の辞典の誠実さは、別のところに表れています。このような大掛かりな書籍にありがちなことは、ご高名でご高齢の代表編集者の名前が表に記されることが常のことです。しかしこの辞典には、実際にそれを支えた約五十名くらいの執筆者のお名前がすべて表記されていることでした。詩の世界の片隅にいるわたくしでも知らないお名前がほとんどでしたが、すべて列挙されていました。これによってたくさんの執筆者は責任を共有し、また歓びともなるでしょう。