Dec 31, 2006
大晦日
今年も残りわずか。皆様よいお年をお迎えください。一昨日診察の日、年金の更新に必要な「障害状況確認届」(診断書)を持っていった。これで、次期の年金の等級が決まるようだ。何級になるかお金のことなので気になる。先生に日常生活能力のことを話し、先生は目の前で、いくつかの項目を書いてくれた。来月誕生月なので提出。次回診察までに書いていただくことに。診断書代はけっこうする。
昨日、友達がチケットが余ったというので、門真のなみはやドームに「メダリスト・オン・アイス」というアイスショーを見に行ってきた。テレビで見るのと実際はちがう。単に上手下手でみるのではなく、雰囲気と云うものがとても楽しめる。僕は中野選手がとても可憐で、地味なのだが、いいなと思った。ジャンプは、全体の中の一要素であると同時に、特にハイレベルで競技している選手にとって、大事なものだとわかった。安藤選手は、怪我で出れず。
今日は大掃除。窓拭きやベランダの掃除などをする。午後には彼女の家の犬に会いに行く。彼女が外出するとそればっかり気にしてあまり、ぼくと遊んでくれなかったので、げんきんな奴だなあと思った。
Dec 30, 2006
六ヶ所村ラプソディー
第七藝術劇場で上映されている『六ヶ所村ラプソディー』はとても面白かった。面白いというと変かもしれないが、頭の中に悪い意味での?が浮かばなかった映画だ。六ヶ所という土地、場所というか、そこに生きる人と、「生命」というもののリンクを思った。けして簡単ではないその関係性を、見事に切り取っていく。ドキュメンタリー。現実にあるということを強く思う。しかも、いろんな人が、その個性のまんま撮られている。かわいい犬達。おいしそうなトマト。うたうおばあちゃん。雪かきをするおじいさん。津軽三味線がいい。賛成派も反対派も、子ども達の未来と云うのを考えているが、その方向がまるでちがうまま、別の大きな力が作用して、稼動しようとしている不気味な施設。日本の行く先を見ているようで、確実に他所事ではない。このままでは、やはりおかしい。そこで、声をあげる難しさもこの映画はきちんと撮っていた。
今日ふと思ったのだが、僕は、これから現実を生きようとしている。へんな言い方だが、そう思った。プラグマティストの鶴見俊輔の本を手に取ったのは故あることかもしれない。
Dec 28, 2006
今日の言葉
「己(おれ)は人間でないのだ。人間の中に交ってきた。それがまちがいだったんだ。」肺腑をつかれる思いだった。これは、鶴見俊輔『詩と自由』の中に引かれた、あの中井英夫の言葉。(最近の自分は何かぬるい言葉を吐いているのではないかと感じた)解説はしない。焼酎の久米仙を少し飲んだ。今は酔っていない。
Dec 27, 2006
超能力はわからないとして思うこと
相棒が旅行に行っているのでひとりです。だから、昨日はだらだら酒を飲んだり、ぼーっとテレビを見ていました。みなさんに「くだらない」と笑われるかもしれないのですが、恐いもの見たさに、単なる野次馬根性から、江原啓之の「天国からの手紙」と「FBI超能力捜査官」を見ました。死後の世界も超能力もよくわからない私ですが、多くの人が「この世を超えたもの」に惹かれているのでしょう。それはやはり何か現実は辛いのでというのがあるのでしょうか。両者ともうさんくさいのは、抜きにして見ていたら、重大事件の犯罪被害者遺族の方が、出ていました。被害者家族救済というのが進んでいない中で、わらをもすがる気持ちで、出ていたのでしょうか。江原さんの方は大阪の姉妹殺人放火事件で、FBIのほうはライブドアの堀江元社長の昔の側近の怪死でした。
僕は、切ないものを感じていました。例え法があったとしても、大きな悲惨の当事者ともなると、身近な死、それも殺人ですね、きわめて痛ましい。怪死事件の方も、自殺として、いくつかの不審点があるにもかかわらず、片付けられたのですから。僕たちは、というか、マスコミは、時がたてば、片付けてしまいます。片付けられていないのにです。しかも、他人の僕たちも、日々いろんなことがあるので、当事者に共感し続けるというのはなかなか難しい。外から気づかうことくらいしかできないかもしれません。
彼らがたとえ、エンターテイメントとして扱われてしまうとしても、出たというのは切実なものがあったということ。見過ごせません。そのことが気になって、何か真剣に見ていました。超能力はわからないとしてもです。他の多くの身近な人が亡くなったことにしても、様々な生を見るのでした。それはそれとして、テレビは死をもネタにするということを忘れてはいけないでしょう。しかし、身につまされることばかりです。生きている間は、僕たちは、誰かを常に見送っているわけですから。
NHKを見ていたら
角野卓造さんが出ていた。『サイドマンブルース』という番組でラサール石井が司会だった。この人は小劇場出身なのだということを初めて知った。僕の好きな北村和夫さんがVTRで出演していて、角野さんに、「ちょっと真面目すぎる。もっとレールをはみ出すような初めてのような芝居をやってほしい」と云っていたのがとても印象深く、愛情の深い人同士のようで、いいなと思った。何かにひたむきに取り組む人に僕は憧れる。きっと愛情が深くなっていくと、どんどんひたむきになり、北村さんくらいになると、自由というものを考えるのだと思った。きれいなおじいさんだな。Dec 25, 2006
イブは合評会
私のホームページが1周年です。8000アクセスを超えました。細々と日記を書いていても、読んでくださる方々がいて、大変あたたかい気持ちになります。ありがとうございます。イブは何をしていたかというと合評会でした。イブにもかかわらず、いつもより多くの方が参加していて、ありがたい気持ちでした。マイミクの方を誘ったら、参加してくれました。いい作品を書いてきてくれて、とてもうれしかったです。ありがとうございます。詩を書くというのはむずかしいことですが、何も肩の力を入れて書かなくてもいいと自作を振り返って思いました。
帰って、ささやかなクリスマス会をしました。シャツをプレゼントしてもらって、早速着たりしていました。元憂歌団の木村充揮のCDがすごくピッタリでした。
今日は買い物に行って掃除して、年賀状を出しました。ちなみに今年のベストCDに一番聴いたスガシカオの〝PARADE〟を入れたいと思います。2位くらいです。紅白で、どんなステージをするのかなあ。
Dec 22, 2006
今年のベストCD・本
CDは、ジルベルト・ジルの〝ジル・ルミノーゾ〟です。ボサノバとジャンル分けする以前に、僕は、この曲たちから、音楽そのものの、可能性の追求をとても感じた1枚でした。8曲目が、痛快で、どこへ連れて行かれるのかと感じました。世界に対する強い何かが表現されていると思います。7~8曲目が節目になっていい流れを作っています。このようにうたいたいと思いました。巧みの技です。詩の哲学性はすごいものがあります。和訳で読むだけでポルトガル語はできないのですが地球の裏側にはとんでもないうたうたいがいます。今年出たのではないCDではムーンライダーズの〝マニア・マニエラ〟、THE BOOM〝ノーコントロール〟、コールドプレイの〝パラシューツ〟が良かったです。チャレンジしているものが多いでしょうか。
本は永井均『西田幾多郎』かな。といっても、いろんな意味で僕が揺るがされたのは、このブログでも何度か取り上げましたが、小泉義之『病いの哲学』です。批判めいたことを書きましたが、何か、僕の中の何かがこの本に強い反応を起こしたのだと思います。何かよそ事とは思えなさ過ぎるというか…僕の文章にお見苦しい点やてんてこ舞いな部分があらわれているのは、やはりその反応のゆえだと思います。けっこう舞い上がりました。かっこ悪いなあ…
詩の先輩である方々が、強い関心をこの本にもっていることを見聞きして、力のある本なのだと改めて認識しました。
もともと専門でもないのに哲学的な事柄に惹かれます。それでよく頭がこんがらがっています。冗談ではなしに、来年もさらに、頭をもつれさせてやりたいです。まだもつれ方が足りません。いくつかの主題をからめあい、エッセンスが星のようになれば、何かの星座ができるかもしれません。そうすると何かがはっきりするように思うのです。咳がひどくなってきたので、この辺で終わり。
Dec 21, 2006
「元気」を気ままに考える
病気を治すには、寝ることと起きることが大事であると思う。こういうと当たり前かもしれないが、私は病気になってから、ふたつのバランスが当たり前にとれなくなることが大変深刻なことだと知った。今はだいぶマシになっているけれど、それでも、薬がないといい睡眠はとれない。試しに抜いてみると、悪夢、眠りが浅い、夜中目が覚めてしまうなどなど。カウンセリングの先生に「元気ですか?」と聞かれた。先生はある人に「元気ですかと聞かれてどう答えていいかわかりません」と云われたと打ち明けた。「元気」、むずかしい言葉ですねと。私はアランの話を出した。うろ覚えだが、「ご機嫌いかが?と聞いても機嫌はもともと悪いのが当たり前だ。それにいいですよと答えるのが礼儀」とか何とか。字は違うが、両者とも「気」について尋ねている。ニーチェは東洋の哲学を尊敬していたが、「気」という言葉を知っていたら、あんなに力んで「力」という必要はなかったのではないか。
先生と「元気」の「元」は何だろうかと云う話をする。私は「はじまり」と「根源」の意味があると思いますと答えた。もともとあるもので、常にはじまりであるようなもの。「病気は気が病むことでしょうか?」と先生が尋ねるから、私は想像で、病気も元気の中にふくまれていて、病気は元気の或る状態ではないでしょうか、と答えた。こう考えると「病気」と「健康」をつつむ「元気」という状態があると仮定できるだろう。「病いの哲学」もこの「元の気」=生命のことを云っているのかもしれないと思った。私たちは大きな生命=元気の中を沈んだり浮かんだり(斉藤和義の「劇的な瞬間」の歌詞みたいだな)しているのかもしれない。そう考えると、ニーチェが病気の中でも「私は健康だ」と云っていた意味がわかる気がする。
私はふたつの声を今年は聞いてきた。一方は「がんばれ」で、もう一方は「がんばるな」である。そのふたつの間で私は平衡状態を保ってきた。これが養生というものである。はじめの起きると寝るもそのことだ。何とかある平衡状態を保てたので、これからはもっと自分らしさを出していこうと思う。私の持つ欠如や葛藤に新たな形で向かい合いたい。
憲法について何か書きたいが、なかなか書けない。書かないかもしれないな。気が向いたら書くかも。約束はできません。
「僕の歩く道」のちょっと辛口な感想
クサナギくんのドラマが一昨日終わった。以前「僕の生きる道」というクサナギくん主演のドラマがあって、こちらの方が訴えてくるものがあった。だけど「歩く道」のほうもけっこうマメに見ていた。次々と、困難をクリアしていく辺りが、私には解せなかった。もちろん、自閉症の人が何もできないわけではなく、私の介護職時代の経験でも、彼らは、その人にとって難しいことをクリアしていくことが度々あり、うれしくなったものだ。私はグループホームにいたから、夜寝れなかった人が落ち着いて眠れるようになったり、今まで家族と一緒にいた人が、親と離れても過ごせるようになったり。
だから否定はしないけども、あまりにもご都合主義的であった。できること、できないことを静かに見つめるドラマであってほしかった。
それと、自閉症の人が人を好きになるというのは、あると思う。だけど、このドラマのように、それを両者が「恋愛」として受け入れる事態がどれくらいあるのだろうか。私はこのドラマほど楽観的になれない。もちろん、自閉症といっても、様々な人がいるわけだが、私の職場経験からは「恋愛」という形で成就できる人はあまりいなかった。逆に私は彼らの気持ちがきわめてストレートというか、気に入った人を見つけるセンサーはあると思うのだった。(だから、その点ではこのドラマはおかしくないかもしれない)それが私に伝わってくると、私はしょうがねえなあと思いながら、とてもうれしかった。そういう関係の機微みたいなものがあって、そういうのを出してくれないかなあと思った。全体に私は奇蹟的なエピソードを作り上げてしまうということに反発をもったので、実は奇蹟というのは、いつも起こりつづけていて、それを丁寧に描写してほしいのだが看板ドラマではできないか…。蛇足だが、主題歌が「ありがとう」だからといって、クサナギくんのロードレースのゼッケンを39にすることや、グループホームの名を「ありがとう」とするのは勘弁してほしかった。
浅野和之さんはとてもかっこいいと思った。本仮屋ユイナちゃんはかわいかった。MEGUMIもちゃんとお芝居していた。他にもしっかり芝居できる人が多くてそれはよかった。だから脚本の持つ思想というのがもったいない。
昨日は仕事しながら、合間に職場の職員さんと話していてとても楽しかった。憲法のことも話した。このことは、また考えたいと思っている。けっこう危機感をもっている。というか本格的な「憲法改正」というのは、生まれて初めてだ。解釈改憲というのはなんぼでもあったけど、安部さんは戦後初めてが売りなのかなあ。支持率低下といわれているがこれは復党問題のせいだけではなく、結局、この人に色んなことをたくせるかという懸念がでてきたことが大きいだろう。だから普通になってきたのである。小泉さんがお祭り政治みたいなのをやりすぎたので、その反動と云う面では不利だろうが。政治は本当はすごく地味な仕事だと思う。
最後に亀田勝ったなあ。なんかほっとしたのが自分でも変な感じだった。亀田は相手のことをきちんと勉強しているように感じた。ランダエタは前の亀田のとおりやれば勝てると踏んでいたのだろうか。
Dec 18, 2006
昼下がりのテーブル
コーヒーカップの横に、本がある。『「待つ」ということ』 そう本がささやいている。
私の心に問われた。私は何を待っているのか?
コーヒーをかきまぜてみる。
耳が頭がカラダがざわざわしている。
ある日
バスを待っていた
私はバスに待たれていない
単純な事実
ぼんやりと立っている
運転手は時間を追いかける
乗客には用があり
私も学校に行くだけだ
雨のふる日
さむい朝
思い出すあいだ、私はわからないくらいの速度で、年をとる。
小さく小さく年をとる。
バスを待っていた私は、あんなに赤い頬をしていたのに。
それから
あの人の言葉を待っていたことがあった
言葉ではなく心だったのかもしれない
すごく天気がよくて
仕事が休みの日に
あの人と公園にいき
あの人はブランコに乗り
私は背を押した
ぶうーん
ぶうーん
ゆれるのは視界も同じで
加速がつきはじめて
あふれそうになり
小さな背を押しながら
私はあの人の言葉を待っていた
今、私はそんなに用事がなく、せきたてられていないのに、あせる時がなぜかある。
何か大きな山のようなものが、待っているのかもしれないと思う。
そして私はその山に待たれている。小さな緊張が、波となって、よせてはかえす。
なにかはわからないものの前に、立ち、少しずつ生きている。
コーヒーが冷めはじめている
*鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書
※初出「かたつむりずむ」1号
石川武志のデジタルライブペインティングを見に行く
昨日、弟やいろんな人が企画したデジタルアートイベント(WHITE COME COME)を見に行ってきた。心斎橋のAPPLE STOREへ。驚いた。あのパソコンのMacを売っているところではないか。色々営業大変だったろうなー。私は第三部の弟のデジタルライブペインティングを見た。行ったら弟が手を振っていた。以前天保山でのライブを見に行ったのだが、あれから、非常に発展していた。スクリーンにMacの画面が映し出されるのは同じで音楽がついているのは同じなのだが、音楽と絵のセッションの緊張感がはるかに楽しめたのだ。次々に、色を塗り、図形を描いていき、絵が反転し、色が一気に変わる。そこに、ギター、ドラム、デジタルサウンドのインプロビゼーションが「次、どうなるんだろう」と云うドキドキ感を演出する。弟も云っていたが、絵が生成していく場面に立ち会っている感じがする。完成する時間もちょうど見飽きないくらいで、盛況だった。最後のMCで、弟がギャグかまして「ぼくのために来てくれてありがとう」と云っていたのが面白かった。ある種、何かの興行としてみられるかもしれないが、絵の楽しさをずっと絵を描いてない私も味わったのだった。帰りは非常に寒かった。御堂筋にイチョウの葉がいっぱい落ちてた。Dec 17, 2006
回転寿司
昨日あきんどという回転寿司屋がマグロ祭りだという広告が入っていたので昼行った。全品100円なのだが、マグロ祭りで、中トロも100円だった。うまかったなあ。マグロも漁獲高が減り、高くなっているのにすごいなあ。本物かなあ。近所だったので彼女と自転車で行く。思ったより混んでいなかった。でも夜買い物で近くを通ったら混んでいた。回転寿司という文化は不思議である。寿司の民主化と呼べるのかどうか。安いのはいいけどね。(でも結構値段をとるところもできてきて、函館市場とかそういうのも人気だ。安いだけじゃ…という人もいるだろう。それもよくわかる)すっかり日本の風景になってしまった。昔は寿司といえばちゃんとしたカウンターの店に親父がたまーに連れて行ってくれる感じだったなあ。家族サービスはわりかししてくれた。おいしいので食いすぎて気持ち悪くなった事もあったなあ。そんなときも店の親父さんがやさしく「食べ過ぎだよ」といってくれたなあ。夜はキムチ鍋、野菜をいっぱい入れるとおいしい。えのきが好き。今日は弟のデジタルライブペインティングに行きます。Dec 15, 2006
「生か死か」か?;小泉義之『病いの哲学』にふれて思い出したこと
今日、日本の医療現場のレポートのような番組をやっていた。tPAという血栓溶解剤の話が紹介されていた。小泉義之の本を読んだ私は、何かとても複雑に感じた。小泉は「生か死か」という問いは愚かだというのだが、そしてこれを引用しだすとキリがないくらいなのだが、私は彼の云う「陰気な」議論を別にしたいとは思わないのだけど。tPAについて読売ON LINEの記事を引用する。「国内の治験では、脳梗塞の発症後3時間以内にtPA治療を行うと、3か月後に、ほとんど後遺症なく社会復帰できた割合は37%だった。米国での治験もほぼ同じで、社会復帰の割合は処置しない場合より5割高かった。
全員に効果があるわけではないうえ、副作用もある。tPAの早期承認を訴えてきた日本脳卒中学会理事で札幌医大名誉教授の端(はし)和夫さんも「血栓を溶かすtPAは、脳出血を起こしやすくする。使用の際、医師は細心の注意が必要だ」と指摘する。
発症から長時間たった後にこの薬を使うと、脳出血の恐れが高まり、効果も乏しくなる。そこで、治療の対象は▽発症後3時間以内▽CT(コンピューター断層撮影)検査で、脳出血の危険性が低いことを確認――などの場合に限られている。
患者・家族にとって重要なのは「脳梗塞を起こしたら、3時間以内に病院で治療を受ける」ことだ。だが、国立循環器病センターの調べでは、発症後3時間以内に受診した患者は19%しかいない。脳梗塞と気づくのが遅れた、救急車を呼ばず自力で来院した、などが原因だった。」引用元=こちら
テレビでは一刻も争う、つまり、父が脳梗塞で倒れ、息子が、いち早く、「ハイリスク=ハイリターン」の治療を選択するかどうかという風に流れていた。幸い薬が効いたということだった。
私は様々な文脈に反応する小泉氏の議論に正直うまくついていけなかった。(これが知的レベルの問題なのか実感の問題なのかわからない)生命の倫理に貢献したい彼の意図はわかるのだが。そして、医療の現場に立たされる素人としての自分の感覚を思うのだった。(いくら知恵をつけても、やはり素人である。小泉氏の言うとおり、それは情報開示などではうまらない非対称性なのだ。)それは、現在の私でもあるし、2~3年前の私でもあるし、小学校のとき、盲腸の腹膜炎で、腹に管を入れて何日か過ごした私の姿だった。
腹膜炎は手術をしないと、腹膜がやられ、普通の言い方でいうが死に至る可能性は高いのだった。だから、手術という医療技術しかなかった。その前の病院でひどい誤診があって、盲腸でなく下痢と思われていたので、盲腸が裂けて腹の中に膿がでてしまったのだ。私はさらに子どもだったので無力だったかもしれない。しかし、誤診がわかった時の医師の奇妙にニヤニヤした顔を覚えている。恨んではいないが、覚えている。幸い次の病院に救急車で運ばれて、手術を受けて、大事な夏休みがほとんど、つぶれてしまった。退院の前日御巣鷹山に日航機が墜落した。いわく「金属疲労」。
私は何か云いたいというよりも、小泉氏の述べることをある意味で理解できるのだった。私は、子どもや女の人が入る病棟にいたのだが、病人同士で話すというのも独特の雰囲気で、おばあさんから旦那さんの霊を見た話をされたり、色々摩訶不思議なことがあるのだった。これは山口昌男の言葉だが「負の祝祭性」ともよべるものだ。今無くなりつつある病院の喫煙室で、お見舞いに行ったときなどタバコを吸うときもいろんな人が点滴をぶら下げたりして、包帯を巻かれたり、色んな形で存在するのだった。私が倉田さんの『風について』という詩集を読んだときも感じたことだった。同時に子どもの私にとって、入院というのは、ストレスフルでもあって、舌が回りにくくなったりした。仲のよかった隣りの子もそうなっていたので、なるほどなと感じた。医療現場にはある「祝祭」と、いうも言われぬストレスがあって、私なりに小泉氏の議論を敷衍すると、「祝祭」の側面を解放したいということではないかと思う。しかし、裏腹のように、高度な医療技術や閉鎖性があるのは、単に、みんなが深刻ぶっているからではないと感じる。
私は低次元の議論を批判し、「低次元」といわれている生を肯定するといっている小泉氏の気持ちがある程度わかる気もするが、現場には精一杯やっている人もいて、そうでない人もいて、tPAの話のようにそこにたどり着く人もつけない人も、存在して、そういう多様性があるような気がしてならないのだ。小泉氏の要求するレベルの医療あるいは医療批判というものがあるとして、小学校のときの私は、やはりその次元に立っていないという記憶が残っている。そしてそれはそれで歴史だと思うのである。こういう積み重ねの上に今がある。私はなぜか、その時医者になりたいと思った。理数系がダメで、無気力であった私は医者になるという夢をわすれた時期もあった。そしてふらふらと福祉の道に入った。夢はダメな医療を受けた反動であろうか、しかし、その医療に助けられもしたのだった。私は、先生がおなかの傷口を見て、「大きくなったら、手術できれいにできるかもね」といったことをよく覚えている。しかし、おなかの下のほうだし、目立たないので整形はしていない。管は三本はいっていたので、三箇所、長い一箇所は10センチには満たないケロイドの傷跡である。大きな傷だったらどう思っただろう。「陰気な」思い出話になっただろうか?そもそもこれは小泉氏への答えになっているだろうか?昨日書いた記事も私の思いであり、さらに思ったので書いた。
『病いの哲学』を読んでいて
トルストイが引用されていたが、『イワン・イリッチの死』を思い出した。使用人に足を洗ってもらい、主人公が心を開くところが泣ける。もし興味があったら、読んでみてほしい。私は大学のレポートで読んで、感銘を受けた。黒澤明が『生きる』をつくるときにヒントになった小説らしい。映画は見ていない。Dec 14, 2006
感想;小泉義之『病いの哲学』
「死」というラインを、絶対化し、特権化し、そこから語ろうとする哲学を「死に淫する哲学」と呼んで、それを批判し、死に瀕する生の、つまりは病(小泉氏の論ではこれがイコールになっているようで、少し違和を覚えた。精神疾患はどうなるのだろう?)の生のあり方に強いエールを送ろうとする書と要約してもいいだろうか。恐らく、小泉氏の頭の中では、延命処置を断る考え方(惨めなさまをさらすのは嫌だというような)へのある違和感みたいなものがあって、あくまで生き延びるということを肯定しようとしたのだろう。私はこの意見に対してのコメントはできないと感じる。その時私のできることを精一杯やるしかないと思う。できないこともたくさんある。たぶん、小泉氏は実際に何かあったのかもしれない。彼の考えを知って、私は固定観念からは解放された。それが大事なのかもしれない。私には、フーコーについての章がとてもいいと思った。逆に言えばそこから話をはじめてもいいのではないかと感じた。それくらいビビッドな引用。というのは、病による生体の変化を緻密に追っているフーコーの臨死の眼のようなものが光っていて、そこに焦点をあてる小泉氏に熱いものを感じた。彼もまた病むものの前に立ったのだろうそのときの感覚が感じられる。パーソンズの病人の役割の議論も病人の私には新鮮であった。
不満は、批判から議論をたちあげていること。もちろん批判はいいのだが、自分の考えや話をきちんと書くことがそのまま、何かへの肯定や批判につながる理路は見出せなかっただろうか。仮想敵を作りたがるものは私は最近苦手である。が勉強になった。
全体に隠されているのは、死にゆく者への感覚の震え、命を感じ取ろうとする振動のようなものではないだろうか。それを私は信じる。
Dec 11, 2006
ペチカ6号が出ました
佐々本果歩さん編集の詩誌、ペチカの6号が出ました!豪華執筆陣の中に弱輩の私もまぜていただいています。今号は、デザイン、中身さらにパワーアップしていると思いました。執筆者の紹介です。執筆者一覧(敬称略します)
大村浩一
ぬくみりゑ
イシダユーリ
服部剛
どぶねずみ男。
鈴木もとこ
藤井五月
犬飼愛生
石川和広
有邑空玖
佐々本果歩
表紙:あいまいみー
責任編集:佐々本果歩
感想;鷲田清一『「待つ」ということ』
この本は数ヶ月間かけて、折を見ては開き、味わった本。どうしても積読にはならなかった。順調と思われるだろう私の最近の精神生活だが、やはり時折じわじわ、こたえることや、感じることがあり、その度に少しずつ読んだ。「期待を捨てて待つこと」をめぐるテーマにうならされることがあったし、期待、希望を置いて、時の流れに飛び込んでいくことが、最後に説得的に前向きに感じられたのは、やはり『ゴドーを待ちながら』の論が充分に「ただ待っている」というポーズにすぎないことの有様を示したからだろう。
私は「恋愛論」として、この本が読めた。これまでの経験からだろうか。恋愛はままならぬ相手(この意味で恋人は時間の化身なのかもしれない)とどうつきあうかだからだ。その中で「待つ」という要素はとても大きい。ケータイがあろうが同じことである。もちろん「待てない社会」批判としても、子育て論としても、高齢者介護論としても、様々な、その人にあった読み方ができる。色んな文脈に引っ張れる。読みようによってはロマンティックに感じられることがあるだろう。最後にあとがきより引用。これは鷲田の言葉ではなく編集者の今野哲男さんの言葉。「覚悟」とはこういうことだろうか。
「決心するにも『する』のではなく、『待つ』一面があるのかもしれません。何事かを捨てて空虚な場所を作り、水が満ちてくるように何かがやってくるのを『待つ』とでもいうか」(P196)
Dec 10, 2006
戦争出前噺
今日は、こないだテレビで特集されていた、本多立太郎(ほんだりゅうたろう)さんの講演を聴くために、JR宝塚駅前のソリオホールに行ってきた。思ったより、全く暗くなく、元気をもらえるお話だった。その名を「戦争出前噺」という。本多さんは3時間しゃべるつもりできたらしい。どうも、打ち合わせに手違いがあったみたいで、もう少し早く終わったが、姿勢良く、声もいやみがなく、ハリがあって、人間は年関係なく、前向きな人は前向きなのかと思われた。彼の講演の見事さは、1150回という回数で、慣れてしまうというものではない。もちろんイデオロギー的には、色々あるだろう。きちんと人を殺したという罪責感を話している。感情を固い話という枠にはめこまれずそのとき感じた実感を手放さない。例えば、田中という兵士の話。田中と同じ汽車に乗って出征した彼は、田中のお母さんと妹が見送りをするときに、彼女らは、取り乱し、追いかけて柵を突破して、田中の名を叫ぶ。彼女らは憲兵らにすぐ取り押さえられて、ぼこぼこに。しかし、兵士は声を出してならない。田中はしばらく呆然とした後、母と妹に向かって、涙を流しながら敬礼したという。本多さんは、それを見て、自分の母代わりのおばあさんが、取り乱すのではないか、どうしようと不安になる。本多さんの郷里(小樽)にたどり着いたとき、おばあさんと父が出迎えに来ていて、本多さんは一生懸命笑顔を作ったという。それを見たおばあさんも答えるように、ニコニコし続けて見送ったという。するとほっとしたと同時に、おばあさんはなぜニコニコ笑うのだろう、育ての親とはそんなものか、なぜ泣いてくれないのかと悲しくなる。
しばらくして、出征地先に父から手紙が届く。実はおばあさんは、あの後ショックのあまり、ご飯が食べれなくなり、何日か寝込んだ。おばあちゃんは精一杯笑ったのだ。おばあちゃんは心のなかで泣いていたのだ。そのことに感謝せよという内容だった。それを読んで本多さんは泣いたという。発言が封じられている戦禍の中の話だと思った。
こんな感じが私のようにしどろもどろではなく、感情をこめて話される。ここには、生きている人間がいる。そう思うのだった。数々の反戦教育の中では感じられなかったものだ。私はたぶん私の亡くなった母方のおじいちゃんと同い年くらいの本多さんを見て、同じく兵士だったおじいちゃんを思い出した。祖父も間一髪で生き残ったのだった。
加害者の話というのは、なかなか話されることがないので(ゆきゆきて神軍は少し違うがそういう部分もあったと思う)貴重である。けして正当化することなく、孫のためというプライベートな動機が彼を支えている。きちんと議論してきたのが、中国の大学生で、大学生は本多さんの恋の話を聞いて「あなたの思い出話を聞きに来たのではない。戦争の話をしてくれ」といったそうだ。本多さんは肯いて「好きな人と別れなければならない。別れというのは戦争を生きる人の大事な要素だ」と答えたという。
私はここ最近元気がなくて、元気をもらったことは事実だった。それだけでも大きい。人間から伝わってくるエネルギーのようなものを感じた。ところで、本多さんに河上肇をよませたお父さんとは何者だったのだろう?子どもをどう育てたかったのだろうか。
竹内浩三『戦死やあわれ』や鶴見俊輔の『戦争が遺したもの』が再び読みたくなってきた。(鶴見さんの本は途中までしか読んでなかった。すいません)本多さんは吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、日高六郎『戦後思想を考える』、鶴見俊輔『教育の再定義の試み』をあげておられた。いずれもアマゾンの中古で安く買えるようだ。『戦後思想を考える』はなんと1円から!いいのだろうか…
Dec 09, 2006
昔の同僚と
私は、ある障害者施設で、働いていたのだが、そこの同僚だった二人と、鶴橋で飲みました。お椀いっぱいのマッコリが出てきたのでびっくりした。「働いている」というのは、すごいことだと思った。私はまだ、少ししか働いていないので、やはり働くのは、ふたつの意味でえらいと思うのだった。「えらい」というのは関西弁で「大変だ」という意味もある。その都度、選択をせまられているのだった。一人の人は、「石川さんはまだですよ」と云っていたのだった。めでたい飲み会だった。ひとりの人の子どもが生まれたので、彼は父親になる。彼にTHE BOOMの『百景』というCDをプレゼントした。めでたい感じのCDである。子を育てるというのは大変なこともあるけれど、親も一緒に大きくなっていくのだと(えらそうに云うと)思うのだった。もうひとりの人とは、顔をあわせて話すという機会が今まであまりなかったので、とてもいい機会になったと思う。きちんと明確に色んなことを考えることができる感じの人だったので、すばらしいと感じた。人と会うと色んなことを思う。とっさには、うまく返答できなかったこともあってすみませんと思ったけど、詩も渡せたし、改めてお二人に「ありがとう。またね。」と云いたいのであった。Dec 08, 2006
とりとめもなく
最近調子はいまひとつである。今日、THE BOOMの〝砂の岬〟を聴いていた。久しぶりだ。名曲である。名曲といえば、ジルベルト・ジルの『ジル・ルミノーゾ』はボサノバなのだが、名曲揃いである。これをこないだタワーレコードで見つけたとき、やったーと思った。おススメである。
昨夜は、TV大阪で、クリント・イーストウッドの『ミリオンダラーベイビー』を見た。不器用な愛の物語。尊厳死については何ともコメントできないが、見ごたえのあるいい映画だと思う。黒人/白人、障害者、女性、色々濃淡があって、でもシンプル。猫月亭さんのおススメがあったところだったので見られてよかった。
今日ニュースで、『戦争出前話』というのをやっている本多立太郎さんという方が出ていた。92歳なので引退しようと思ったが、安部政権が改憲を掲げているというので、このままではいかんと出前話を続けることにしたらしい。一回見てみたい。
Dec 04, 2006
パプリカ
昨日、テアトル梅田に今敏監督の『パプリカ』を見に行ってきました。寒さが強くなってきたと感じた日でした。感想はというと、前半はふーん、そうか。後半はまずいなあという感じでした。特に黒幕が出てきて、ゴチャゴチャになるあたりが中途半端という感じでした。ちょっと厳しいかもしれませんが、そんな感じです。
ものをつくるというのは、どこかに「問いかけ」というものがないといけないのではないかという気がしました。『パプリカ』は、男と女、夢と現実という既存の前提を疑うことなく描かれている気がします。もちろん、疑わなくても、優れた作品はできます。ただ、アニメだからといって、「人間」を描くことを忘れてはいけないような気がします。『アキラ』や宮崎作品を、つまり先行した作品をあまり工夫もなくなぞっている部分も気になりました。もちろん、なぞったって、いいわけですが、そこに今さんなら今さんの(別にシリアスにならなくてもいいです。シリアスでなくても、すぐれた批評性は発揮できるわけですから)人間や世界に対する、独自の視点というか問いかけが介在していなくてはちょっとまずいのではと思いました。これらは全て老婆心ですが、「ものをつくる」というのは他人事ではないので、心していかなくてはと個人的には感じました。たぶん、純粋な鑑賞者の意見とは異なるので、それはわかっています。
今日『ファイトクラブ』をDVDで見ました。『パプリカ』と同じ夢というか、ある種の無意識が露呈してくるという意味では似た感じなのですが、ひねりを感じました。どっちが優れているという問題ではなく、私はこちらの方が、好みかもしれません。
Dec 03, 2006
宮沢トシの恋
朝日新聞の昨日の折込に、土日になると入るのだが、be on Saturdayという小新聞みたいのがあって、その中の「愛の旅人」という連載が面白い。ここのところ、文学者についての「恋愛沙汰」について書かれているのだ。前回の深田久彌が「日本百名山」で売れる前、妻も小説家で、かなりの部分を、彼女に書かせていたということが載っていて、小林秀雄や川端康成は「パクリ」を見抜いていたそうなのだ。深田久彌は、その後離婚して、初恋の人と結婚している。これもびっくりしたが、今回のはかなりびっくりした。宮沢賢治の妹トシは、賢治が愛していたのは世によく知られているだろう。そのトシは花巻高等女学校時代に初恋をした。その学校の先生で、バイオリンを習っていたという。そこまではいいとして、実はその先生に、もう一人の学生も恋していて、その方とは両思いだったという。トシは、ラブレターを書いたまま、出すかどうか迷っていたが、そのラブレターが同級生にばれて、学校中のうわさに。それどころか、当時の新聞「岩手民報」に、二人の女学生と先生の関係として、載ってしまったのだという。
それで、大騒ぎになって、トシは、故郷にいられなくなって、東京の大学にいったというのだ。トシは、秀才だったという。しかも、東京に出てから、ある宗教にはまって、それが、排他的な宗教とはちょっとちがうみたいで、彼女の信仰が(記事には「排他的な法華経信仰」の賢治と書かれているが)賢治の心を動揺させていたみたいなのだ。トシは病に倒れて故郷で先生になるが程なく亡くなってしまった。
トシのスキャンダル(?)を知った、山根知子さんという研究者は、このことを発表していいか、墓前まで報告に行ったそうだ。
賢治とトシ、少し似たもの同士だなと感じたり、賢治の感じていた妹、賢治の宗教観についても少し再考を促される気がした。
矛盾を抱えた人間達の像がリアルに迫ってくるようだ。賢治の伝記的事実では浮かび上がってこない何かがあるような気がする。
金時鐘さんの今日の夕刊の記事
モーガン・フリーマンという役者さんは、年老いて、さらにかっこよい人だと思うのだが、私は金時鐘さんという詩人を拝見したことがあって、この人かっこいいなあと思っていたのだけど、今日の朝日新聞の夕刊の文化欄の記事(小野十三郎賞の記念講演)は、彼女に勧められて読んだのだが、とても元気をもらった。私はまだまだの人間なのですが、肩をたたかれたような、そんな強い気持ちが伝わってきた。
以前彼の講演で、「詩は身銭を切って書くものです。まさに身を切って書くのです」と熱い言葉を聞いて、そのときの感じをよく覚えている。すかんぽという文学学校の近くの飲み屋さんに彼の姿を見たとき、ここに詩人がいる、生きている詩人がいると思ったものだ。とてもやさしそうで元気な感じで、なんといっていいか、立ち姿がいい。何かの折に彼の詩を読んだとき、その場から動けなくなったことがある。体系的にテクストに接したことはないけれど(ごめんなさい)、印象に残る方だ。驚くべきことに、今、印象に残る生きたフレーズを私たちは、口にできているだろうか。
記事から、いくつか引用する。「光に映えるところほど、裏の暗がりは深いのです。だから詩は、誠実に素朴に生きている側にあるべきものなのです。それを疎外する一切のものとは当然向き合わざるを得なくなります。ですので詩というのはけだし、言葉だけの創作に限りはしません。そのように生きようとする意志力のなかにこそ、そう(日常になれあってしまうこと;石川註)であってはならないことへの批評が息づいています。そのこと自体がもはや詩といっていいものですが、その批評を言葉に発露できる人が詩人ですので、詩は好もうと好むまいと、現実認識における革命なのです。」
安部政権の「美しい国」という言葉を書き換えるように彼はこうも云っている。
「見過ごされ、打ち過ごされていることに目がいき、馴れ合っていることが気になってならない人。私にはそのような人が詩人なのですが、その詩人が満遍なく点在している国、路地の長屋や、村里や、学校や職場に、それとなく点在している国こそ、私には美しい国です。」
「見過ごされ、打ち過ごされている」というのは、自由のことだと思う。左翼的なことに限らず、抵抗の初志というのを忘れないということだと思う。何気ない違和感を大切にすること、ひっかかりを言語化すること、勇気のいることで、しかし、そうでないと生きているということが枯れてしまう。彼は枯れていない詩人である。何より「点在」というのがいい
最後にK-1で、ボンヤスキーがキンテキ攻撃に耐えて勝った。しかし、次のラウンドに進めなかった。代わりに、出てきたピーター・アーツが負けはしたが、決勝で見事な戦いをした。
Dec 02, 2006
セブン
永井均『西田幾多郎』読了。西田には詳しくないが、ぐいぐい読めた。少ない分量で、力技で、西田を論じていることに、いろんな意味ですごいと思った。本を書く上での戦略という意味で勉強になる。あらっぽいけど。矢部史郎+山の手緑『愛と暴力の現代思想』をふと拾い読みして、この本がいいかは別として、デビッド・フィンチャーの『セブン』という映画のことが書いてあり、偶然ツタヤも半額だったので、『セブン』と『ファイトクラブ』を借りる。『セブン』を見た。彼女が恐がっていた。矢部は、警察権力のもつ正義が、犯人の手によってもたらされ、犯人と警察が逆転するさまを面白がっていたが、私は、モーガン・フリーマン(かっこいい)が演じる刑事の過去に子どもをおろさせたということがポイントでないかと思った。いわく「こんな腐敗した世界に子を産み落としていいのか悩んだ」と。このような感覚に内在している暴力への誘惑には考えさせられるものがある。男の身勝手といえば、それまでだ。普通にはいいにくいことが云われている。ある意味では、宗教的に清潔すぎる論理なのだと思う。清潔さの逆説だ