Dec 27, 2006
超能力はわからないとして思うこと
相棒が旅行に行っているのでひとりです。だから、昨日はだらだら酒を飲んだり、ぼーっとテレビを見ていました。みなさんに「くだらない」と笑われるかもしれないのですが、恐いもの見たさに、単なる野次馬根性から、江原啓之の「天国からの手紙」と「FBI超能力捜査官」を見ました。死後の世界も超能力もよくわからない私ですが、多くの人が「この世を超えたもの」に惹かれているのでしょう。それはやはり何か現実は辛いのでというのがあるのでしょうか。両者ともうさんくさいのは、抜きにして見ていたら、重大事件の犯罪被害者遺族の方が、出ていました。被害者家族救済というのが進んでいない中で、わらをもすがる気持ちで、出ていたのでしょうか。江原さんの方は大阪の姉妹殺人放火事件で、FBIのほうはライブドアの堀江元社長の昔の側近の怪死でした。
僕は、切ないものを感じていました。例え法があったとしても、大きな悲惨の当事者ともなると、身近な死、それも殺人ですね、きわめて痛ましい。怪死事件の方も、自殺として、いくつかの不審点があるにもかかわらず、片付けられたのですから。僕たちは、というか、マスコミは、時がたてば、片付けてしまいます。片付けられていないのにです。しかも、他人の僕たちも、日々いろんなことがあるので、当事者に共感し続けるというのはなかなか難しい。外から気づかうことくらいしかできないかもしれません。
彼らがたとえ、エンターテイメントとして扱われてしまうとしても、出たというのは切実なものがあったということ。見過ごせません。そのことが気になって、何か真剣に見ていました。超能力はわからないとしてもです。他の多くの身近な人が亡くなったことにしても、様々な生を見るのでした。それはそれとして、テレビは死をもネタにするということを忘れてはいけないでしょう。しかし、身につまされることばかりです。生きている間は、僕たちは、誰かを常に見送っているわけですから。
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