Mar 30, 2007

個人的な断章など

 行動によって、現実を変化させること。それによって、素敵なものが見えてくることがあるかもしれない。同時に、破滅というか、絶望も光るだろう。全ての有り金をかけるとしたら。そういう感覚を持てているうちは、希望がほんの少しでもあるかもしれない。

 僕はこれならAというふうに考えるのと同じように、みんなもAという思考の道筋をとるだろうと、勝手に仮定してしまうこと。よくあること。気をつけねばならない。彼女にいわれて、気づいた。こういう思い込みを排して、懐疑論も排して、アプリオリな形式(人間が性能として元々持つ思考・直感形式)つまり、人間の思考の初期設定を明らかにして、万人が考え議論できる地平を作ろうとしたのがカントだろうか。だとしたら大事なことと思われる。まだわからないけど。知的障害者はその外部なのか?内部なのか?わからない。

 以上、個人的な断章。加藤典洋『考える人生相談』読了。けっこう面白かった。ただの人生相談と思うと、少し驚く。現実って意外とおもしろいよって、つまんないなーっていっている人に云っていると思う。加藤の本には、個人的につまんない本もあることはあって、でもよく読んできたほうだと思う。好きなのは初期の批評や、『日本という身体』、『日本風景論』、『この時代のいきかた』。
 片山洋次郎『整体から見る気と身体』。これってけっこう役に立つというか、単純に、からだって、そうなっているのねーという認識の発見がいくつもあって、面白い。介護やっているとき古武道の人と、養老さんの本を読んだことがあるが、何かつうじるものがある。今読んでいる。布村さんのブログに書かれてたのをきっかけに手に取った。
 カント『プロレゴメナ』。『全体性と無限』を読んでいて、やっぱ、カントを読んどいたほうがいいなーと読んでいる。(レヴィナスの方は少しお休み)今最初の70ページくらい読み終わったけど、難しいけど論理自体はシンプルでけっこういける。どこまで読めるか?
 通信教育のテキストが送られてくる。ずっしり重い。佐々本果歩さんが、ブログにtab3号の感想を書いてくれた。ありがとう。
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Mar 28, 2007

宮崎駿、「プロフェッショナル」で語る

 昨日、NHK火曜夜10時に「プロフェッショナル」が放送変更されていた。何と宮崎駿。『崖の上のポニョ』の製作過程を追う。息子、吾朗氏のことを「まだまだ子どもだ」と映画を見たあといっていたのは、印象的。大変な父親をもったんだろうな。駿さんも、吾朗氏が子どもの頃映画にかかりきりで、あまり接してやれなかったという。
 いくつか心に残るのがあって、一つは、裸で作らないといけない。その人の思想が作品に出てごまかしがきかないと語っていた。これは、思い当たる節大有りである。二つ目は、今までの精密画路線では行き詰る、ラファエロ前派を見てすでにやられていると思ったと語ったこと。これは、今までの絵作りの先に行きたいということだろう。第一人者ならではである。三つ目は、理想のない現実主義者はいやで、理想のある現実主義者でありたいと語ったこと。多くの人を、自分で動かしていく人ならではと云う気がした。でもわかる。何かを成し遂げようとするとき必要な気概だ。また、子どもにはごまかしがきかないということ。四つ目は、半分素人でありたいと語った事。これも、僕は宮崎駿のようなプロではないが、ある世界に対して、さらであること、徒手空拳であることは、文学においても大事ではないだろうか。業界ズレしないのは、大切かもしれない。
 たぶん、いかに苦しくても、楽しいものを産むということなのだろう。宮崎駿は、創作が出来上がってくるとどんどん不機嫌になる。「なるべく自分の思いに浸っていたいんだよ。そうもいかないからニコニコしている」と云っていた。握力は若い頃の半分になり、衰えは来ているが、張り詰めた顔を見て、想像力(狂気?なぜか、ギリシャ語のダイモーンという言葉が浮かんだ)があふれそうでぎりぎりの顔だと思った。コントロールには相当な理性がいるんだろうなと思った。みなぎっている。いくつかの系が彼の頭の中で立体的に形づくられる。イメージボードがコンテより先というのがわかる気がした。イメージのふくらみを生かし、それを待って捉えるのだ。(番組では脳内に釣り糸をたらすといっていた)小さい頃から好きだった宮崎アニメは、こういう人から作られているのだと思うと、何だかそう感じる自分が新鮮でした。大人で子ども。ほんものの芸術家なんだなと。
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Mar 27, 2007

再生

いつも遅れた
こども
わたしは
いつもはじっこ
冬空の雲
あの子がおそってきて
こどものわたしは逃げ続ける
汚れたドラえもんのトレーナー
こわれたタイムマシーン

庭の桜はかたく
ぴりぴりした朝が好きだった
悲しい雨戸
どうしようもなく過ごした

時間をどこまでもひきのばしている
わたし
みらい
にょらい
縁起
歩いている四天王寺の通り
今きみと

悲しい雨戸
冬空の雲
かんちがいして明るい気分
想像できないくらいの奇跡
硬く握り締めて生まれなおそうとしていた
瞬間のわたし
ランドセルをかついでいた
縁起かつぐ
何をかつぐ
わたしの考える未来をかつぐ



※tab1号所収
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白い腹

今 テレビの画面の中で
メジロがツバキの花を
ついばんでいる

昔お父さんが庭で白い息で
「ほら、和広、メジロやで」と指さした

もうだいぶメジロをみてないな
あの黄緑色の
小さく素敵なふくらみ
白い腹

ニンゲンの会話は
小鳥のさえずりみたいなもんだと
ある人が云った
そのことをよく覚えている

ぼくの声は何をふるわせているの

夜の星空をかけぬけ
ぼくのさえずりは
あの人のもとへ送信される

あくびをする
ベッドにあおむけになって
おやすみという
寝室におやすみが広がる
ぼくは冬空に光る星や
春に咲く花の声を思う

暗やみが微弱に鳴いて
ぼくはねむりにおちる



※かたつむりずむ第1号所収
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お知らせ・雨のふる日には

 お知らせ=詩を2編アップしました。→リンク

  曇っている。先週デイケアに行ったら、新しい職員さんがいて、ちょっとだけお話した。いい人だ。はきはきした人だった。でも、人が入れ替わるとデイの職員さんは忙しそうだったので、気圧された。彼女が旅行に行っていて、ここ二日、ぼーっとしていたが、今日は気持ちよく目覚める。朝から風呂に入って、高校野球を見る。詩が出来たので「索」に送ろうと思う。通信教育の教科書も買わないといけない。両方とも郵便なので、郵便局に行こう。と思って出かけたら、雨がぱらついてきた。郵送。先日の話なのだが、フィギュアで、キム・ヨナの演技は、神がかりに見えた。転んでしまったけど。安藤って、かなり力がついてきたな。
 午後4時半頃加筆。
 午後は読書、金森修『病魔という悪の物語』。チフスのメアリーと呼ばれた女性が、20世紀当初、公衆衛生という名の力によって、いかに隔離されたかをめぐる、短い伝記。悪という言葉に<>をつけたほうが良いかもしれない。興味深かった。排除、差別というものの、そこには必ず生きている人がいるということをもう一度再確認した。その後、晩御飯の買い物、部屋の掃除をして、一段落。前読んだ事のある詩集を再読しようかと思っている。
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Mar 22, 2007

午後から

けっこう気合入ってきた。職員さんと二人だけで掃除をしたからだ。疲れたー!!と思ったら、すっきりしてきて、帰っても、くさくさ、男子フィギュアスケートなどを、おつまみに、話したり、ビール飲んだりしていた。高野五韻さんのブログで、朗読がアップされていたので、聴いたら、とても素敵だったな。
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Mar 21, 2007

「生き死にの問題ではないのだから」

  先週金曜日、デイケアで倉田良成さんの詩集『東京ボエーム抄』を読んだ。デイケアで、というと、にぎやかだから、読みにくいと思われるかもしれないが、案外そうでもない。電車や、デイケアは僕にとって、読書が集中できる場所である。感想はというと、集中何篇か特にいいなと思える詩があって。その人の存在感情をいくらかでも感じることが出来たように思えたので、そういう時は、気持ちが、それに連れて動くので、何か懐かしい。懐かしくて新しいような気がするのです。
 今日はレヴィナス『全体性と無限』を読んだ。150頁くらい。これも例によって難解だ。でも、この人は何が大事だと思っているかと思って読むとけっこう面白い。哲学には、(物語化を拒否するような書き方であっても)ちゃんと物語があるのだなあと思う。
 昨日今日、入学金の振込みや手続きで、頭が混乱していた。今は落ち着いている。その困りようで、彼女を心配させてしまった。診察だったので、先生に言うと、先生は「生き死にの問題ではないのだから、深呼吸でもして」と云ってて、そうだよなあと思った。もうすぐ勉強が始まるというので緊張しているのかもしれない。
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Mar 18, 2007

無事合格。

 某短大通信教育部社会福祉士養成通信課程に無事合格しました!入るのは難しくないけど、通信教育は続けるのが難しいので、がんばって続けられたらと思っています。がんばります。
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Mar 16, 2007

○×冷熱

 こないだtabが出来上がると必ず行く文房具屋があって、行ってきた。コピーの量がけっこうあるので、コンビニとかだとちょっと気を使うので。いつまで開いているのか電話したら、「待ってます」と云っていた家庭的な文房具屋だなあと思った。
 そこは、電気屋さんが元だと聞いた。電気屋を30云年。立替のときに、文房具屋の店舗を作って20年。「○×冷熱」というので、文房具屋なのになんでかなあと思っていたところ、こないだ店の奥さんと話していたら、そうだったのだ。時々、何枚もコピーしていく得体の知れない兄ちゃんということは、覚えていただけたのだろう。コピーしている間、立ち話していた。
 近所に予備校があって、昔は、予備校生が人生相談めいた話をしていったこととか、ペンションに行ったら、古いお客さんに出会って奥さんは覚えていなかったとか、たわいもない話だけど、細々商売をやるのも味があるなと思った。そこの店に行くとなぜか安心するので、tabができたら、その店に行く。けっこうコピーするので、良客と思ってくれているんじゃないかなと思う。またボールペンをもらった。前のと同じなので、前くれたことは忘れているのかもしれない。まだ馴染みまでいっていないので、微妙な立ち位置である。
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Mar 15, 2007

〝てんやわんやですよ〟で踊る・『未完の明治維新』

 いま、自分の中でブームなのが、クレイジーケンバンド〝てんやわんやですよ〟という曲。ドラマ「今週妻が浮気します」のエンディング・テーマです。ドラマは、まあイマイチなんですが、〝てんやわんやですよ〟はメチャかっこいい!うさんくさいオヤジボーカルがたまりません。というわけで、この曲を聴くと、踊ってしまいます。僕はクラブとか全くいかないし、デタラメなダンスなんですが、腰をひねったりして、いい運動になる。とうとうシングルを買ってしまった…で、今日はインチキダンスで、踊りました。完全にアホだが、踊るというのは何も考えなくていいなあ。
 明治維新関係で、坂野潤治『未完の明治維新』を大体読み終わるところ。維新の始めには「政府」という考え方がなかったとか、『峠』にはあんまり出てこなかった西郷隆盛は西洋近代化に相当の理解があったなど。でも、やっぱり西郷隆盛はなぜ野に下って自分の指導してきた政府に対し叛乱を起こして死んだのか、これは難問だと思う。中江兆民『三酔人経綸問答』では、西郷らしき「豪傑」が、「自分は増殖しすぎた癌みたいなもんだ。切除してもらって、どっか遠くの国に攻めていって、死ぬしかないのだ」(これは「征韓論」のことだと思うが、『未完の…』では、西郷自身はそう積極的ではなかったと書いてある)という感じのことをいっていたと記憶している。これは『未完の明治維新』で、軍は維新を進める上で薬だが、薬が効き過ぎて毒になったという箇所と符合するのではないかな?鳥羽伏見の乱や、廃藩置県、こういうものは軍なしではありえなかったし、それによって、なんとか維新政府が形づくられた。だから、西郷は「効き過ぎた毒」や癌として、お役御免になって自分は滅亡するしかなかったんじゃないか?そこには、西郷の大局を引き受けたもののみが知る大きな感情がからんでるかもしれない。譲れない何かがあったのかな。色々想像が膨らみます。おお、漢字が多くなってきた!江藤淳『南洲残影』など、いろいろ読みたい本が出てくるがぼちぼちと。
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Mar 14, 2007

祖母と同年代の人の本を最近読んでいた

 昨日、司馬遼太郎『峠』全巻読み終わる。久々に、心躍る読書で、僕はかなり、はまった。これはいいですね。おススメです。侍という在り方以前に、歴史に翻弄される人間や、流れが、迫ってきました。司馬遼太郎という人の作品を単なる歴史小説と思って、避けてきたのが、もったいなかったなあと思った。でも『峠』がいいんだと思う。自分に引っかかってくるものがあった。侍というのは僕は苦手で、そんな生き方嫌だなあと思っていたのだけれど、それから、男の生き方といえば、侍を手本にみたいな考え方が苦手だったのだけど、自分の中に侍的なものを少し発見した気分です。というか、単に感化されたのかもね。でも、侍的なものっていうのは、どっか人間の何かをくすぐる気がする。あと、敗北の美学というものもあるのかも。内容は詳しく云いません。興味あったら、是非読んでください。つまんなかったら仕方ないけど。
 司馬遼太郎さんも含め、吉本隆明、水木しげる、鶴見俊輔、ここ最近読んだ人が、1922~23年生まれで、84、5歳くらいの人たちだと気づきました。偶然か、必然か、こないだ亡くなった祖母の享年と同じくらい。改めて、人生には、流れというものがあるのだなあと思いました。吉本さんの『真贋』を買ったのは、徳島に帰るバスの直前でした。僕は、勉強のためだけに本を読んでいるのではないなあと思った。何かが知りたいというのはあるのだけれど、そうではなくて。別に同い年の人たちの本を読んでも祖母のことがわかるわけではないですよね。それはそうなんだけれど、何か気持ちというのがあったんだと思う。同じ時代を生きたというのは大事で、戦時下を生きた人が身内では、また一人亡くなった。そういうのは、生きている感覚というか、自分なりの歴史感覚として大事だと思う。
 今は、維新というのをちょっと面白いなあと思っています。今までの生きかたが通用しなくなるとき、人はどうするのかなという感じで。
 今日はよしもとばなな『デッドエンドの思い出』を読みました。この人は作文体というのだろうか。気の抜けてしまう文章も多いが司馬遼太郎をあつく読んだ後なので、息抜きで。でも、案外面白かった。よしもとばなながこの本が一番好きだというのはわかる気がする。バカにする方もいるかもしれないけど、大事なことが書かれている気がします。本も人みたいなもので、とっつきにくかったり、好みがあるけど、話してみたら案外というのが、司馬遼太郎さん、よしもとばななさんの本に感じることが出来た気がした。
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Mar 09, 2007

雅楽を聴きに行く

 谷町九丁目の駅から降りて10分。昨日、大阪国際交流センターにて行われた「雅楽練習所発表会」を聴きに行く。練習所に通っている人の発表会。友達がそこで習ってて、彼も出るからだ。
 雅楽や古典芸能には疎い僕で、先入観は「退屈かも」と思っていた。しかし、すごく楽しめた。何か古めかしい音楽のように聞こえますが、感情を喚起されるというか、その日の記憶や、過去の記憶が次々と頭の中を流れて、調べに身を委ねているととても気持ちよかった。意外に快楽的であった。辛い事も俯瞰して見れるような。笛の音が何かの叫び声のように聞こえた。何だろう?管弦の入った「太食調 環城楽」と舞いの入る「萬歳楽」が特によかった。遠くからだけど友達の姿が見えてかっこいいなあと思った。
 司馬遼太郎『峠』上巻を読んでいるところ。面白い。道のりは遠い。
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Mar 07, 2007

共同幻想論感想リライト

 猫月亭さんのことばがきっかけで、再び考え直すきっかけになりました。もう一回基礎のところから書いてみます。この本は、60年安保で活動したり、全共闘世代に大きな影響を与えたりした、吉本隆明が書いた本。基本の発想としては、いたずらに、頭で、国家を批判したりしないで、自分の実感から、日本という国がどうして成り立ったのか?そもそも国家とは何なのかを問うた本。とはいえ、「幻想」という言葉で、いろんなことを切り取ろうとしているのは、当時としては新しかったけれども、今はどうなのかなあと自分の感覚を振り返って思う。そもそも、僕らは、「国家」に対して、そんなに思い入れがあるのだろうか、「幻想」というものを「国家」に対して持っているのかわかりません。
 たぶん、吉本さんも、そんなことを頭の半分には入れていたと思います。「国家」は自分と関係あるのかと。それと、吉本さんは戦中派世代なので、「国家」に裏切られたという思いが強いのではないかと思います。だから、序文で、国家というのは、自分を丸ごと包むようなものだと思っていたのが、西洋ではそうではないと、西洋はシステム(という言い方はまずいのかな?)として、国家があるのだという考え方に気づいて、驚いたと語っていますね。引用します。

 (国家は)わたしたちがじっさいに生活している社会よりも小さくて、しかも社会から分離した概念だとみなされている。(角川文庫版のための序)

 まず、自分たちの生活があって、その上に国家と云うものがあるので、ダイレクトに国家と生活は関係ないということに吉本さんは驚いたようです。「自己幻想は共同幻想と逆立する」というテーマが吉本にはあります。吉本さんは、いろんな人間関係をもったりして、そこから生まれてくる「意識」のようなものを「幻想」と呼んでいるんですね。「幻想」という言葉に、吉本さんは思い入れがあるんだと思うし、昔の人の意識や、今の人の意識でも、性や何かまで含めた人間が持つ(心身相関的な)関係意識や無意識や観念まで含めると、「幻想」と呼べるかもしれません。「意識」と呼ぶとニュアンスがこぼれてしまうので「幻想」と呼んだのだろうと思います。吉本さんは国家に対して熱い思い入れを持っている時代に生まれた人だから、思い入れを幻想と呼べるかもしれません。でも、吉本さんの中でどこかで、国家なんてどうでもいいやと醒めた意識もあって、何で国家に自分の生活や運命を振り回されなきゃいけないのという怒りのようなものも同時に芽生えたのかもしれません。それは敗戦、高度成長をへて、国家と、個人の幸福が、矛盾していくのを、彼が見たからかもしれません。(公害とか)一方で国家に対して熱くなっている人に「国家も幻想だよ」と冷や水を浴びせたくなったのかもしれません。でも吉本さんは、国家にこだわってもいる。国家は個々の人を飛び越えて浸透し強権を発動するのはなぜか。そういう矛盾の意識が「国家は共同幻想」といいたくなった理由かもしれません。表立って「反国家」を掲げていないので、ここの読みが難しいところです。
 「自己幻想(個人の意識)は共同幻想(国家)に逆立する」というのは、そういう吉本さんの感覚から出来た言葉だろうと思います。国家は自分とは直接関係ない。国家なんてなくてもよかったのに。ややこしいなあ。にもかかわらず、国家が生まれると、それに私たちは左右されてしまう。裏切られる。なぜだろう。きっと理由のあることなんだろう。それを歴史にさかのぼって、解明しようとしたのがこの本だということになるかもしれません。そもそも日本列島の原住民は国家なんて望んでいたのだろうか、いろんな紆余曲折があって、人間の意識が、変化していくにしたがって、国家と云うものが、矛盾として私たちの上にできたのではないか。成立時点まで遡らなければ国家の存在する謎は解けないと考えたのでしょう。なお、強引に他民族が侵略してきて、国家が成り立ったという説に彼は中立的です。侵略されたのだが、どのように古来の共同体の上に国家がのっかかってきたのかを見ています。
 国家なんてなくてもよかったのに、国家なしでもいきていけるかもしれないというのは吉本さんだけでなく多くの人の実感を描いたものかもしれません。(本当かな?)でも事実として国家はにもかかわらず存在し、私たちの生活と関係があると。(どのように関係があるかは一口で語れません)ここは彼は詩人としての目だけでなく、リアリストとして論及しています。しかしこの本は入り口に立ったということでしょう。彼にとって「家族」がキーポイントであり、家族の中で持つ「関わり」の意識が大事だ。それは国家とは直接つながらないが、最初に暮らす集団であり、これが解明の鍵だという考えがかなり大きいです。彼にとっても多くの人にとっても家族というのは大事ですから。
 単に学術というのではなく、自分の実感にこだわって、書いたり、考えたりしている本です。そこに僕は敬意を抱きます。正直、百分の一も僕は理解できていないのかもしれませんが、ややこしいとはいえ、大事な本だと思います。吉本の思想はそんなものではないと思う方もいるかもしれません。あくまで、僕なりの理解です。今回もわかりづらかったかな…

 次は、司馬遼太郎『峠』全三巻に挑戦しようと思います。
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Mar 06, 2007

共同幻想論

 『共同幻想論』読了。難しいというか、一言ではいえんけれども。だから、これは感想ではないんだけれど。あくまで印象。個別の話がけっこう面白い。柳田國男の「神隠し」を神秘化も合理化もせず、記述しているところや、漱石の夫婦関係について、言及しているところや。「遠野物語」について書かれているところは、素直に楽しめる。少なくとも僕のようなタイプの人間にとっては。やはり、自分の発想のふるさと=ルーツみたいなものに思いを馳せられる。発想の原石を、原石のまま語ろうとしているので、概念化が不徹底との批判もあると聞く。確かに、吉本さんの中で完結してて、説明が不十分なところ無きにしもあらず。でも、学術論文でなく、「表現」なのだと思う。相当、概念化に腐心しているようにも見えるし。
 僕は、この本を今の時代に読むとすれば、それはどういう意味を持つかと考えるのだが、ここから延長して、ヒントにして、考えられることも多いと思う。でも、自己幻想が共同幻想に対して、逆立しているというのは、どう論証しはるんだろうか。表現と云うか実感としてはわかるが、やはりどこか、ある時代の匂いがする。だから、そこから、出てくる<対幻想>というのも然り。じゃあ、僕の国家というか共同幻想に対する関係というのはどうなのかと問われれば、ごめんなさい、あんまりわかりませんと云うことになっていく気もして。しかしその辺りの事は、本当に微妙なことなので、吉本さんの直感は尊重しますと。後は、自分でどうなのか考えます。というか、確かに逆立しているけど、ではどうすればいいのかというところまで、今の時代は来ている気がするな。でも国家の成立について、試行錯誤しながら、筆が進んでいくさまはスリリングだなあ。時間があればもう一回読みます。
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Mar 05, 2007

願書提出、共同幻想論、中学生日記

m94-0190-060719

 今日は雨が降ったり止んだりだった。雨が小降りの間に大学へ行き、卒業証明書をもらってきた。そして、入学願書と書類を書留速達にて郵送。あとは、結果待ちである。通信教育社会福祉士養成課程、受かったらいいな。16日が合格発表らしい。
 吉本隆明『共同幻想論』を昨日から読み始めている。150頁くらい読んだ。難しいのに、案外読める。内容はヘビーで、時々気が重くなるような感じも覚えながら、それでも結構読んでいる。吉本の最近の本を読んでいたためかもしれない。ヘーゲルの『精神現象学』がかなり肝のところで出てくるような気がする。『精神現象学』あたりもチェックしなきゃいかんのかな。
 NHKにて、『中学生日記アーカイブス』を見る。現在、俳優の近藤芳正さんが中学生のときに出ていた、「闘争宣言」(’78作)というお話。受験戦争と階級闘争がモチーフの異色作。自分の友達がエリートになっていくのを負けてられるかといって、がんばって勉強する中学生を熱演。ちょうちん屋の父や、先生と議論するところが迫真である。面白い。迫力がある。NHKは「闘争宣言」を保存していなかったため、視聴者のビデオをもとに放映したらしい。レアものである。近藤さんは、今年、一年間のシリーズで父親役を演じる。一年間のシリーズというのは中学生日記46年間の歴史初だとか。こんなに熱い人だったのか!続きで、「あしたをつかめ~平成若者仕事図鑑」を見る。「13才のハローワーク」と「プロフェッショナル~仕事の流儀」を足して2で割ったようなお仕事紹介番組。今日は作業療法士。心身重度障害者のリハビリ風景。出ておられた作業療法士の濱瀬由加里さんを「素敵だなあ~」と云っていると、彼女にデレデレしていると云われた。確かににやけていた。
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Mar 04, 2007

これから読む予定の

 本は、司馬遼太郎『峠』全三巻。これは大学の恩師にすすめていただいた。それから、吉本隆明『共同幻想論』。大学時代、挫折した本。倉田さんが吉本を読むなら、倉田さんは批判的であるけれども、これが様々な問題を提出しているといってくれた。ここ最近、何度か電話のやりとりがあり、様々な話をした。そして、倉田良成『東京ボエーム抄』。現代詩手帖の詩書評欄やミッドナイトプレスのHPにも登場して、反響がけっこうあったようだ。tabも『詩と思想3月号』に海埜さんが評を書いている。
 昨日はドードー合評会で、急いで作品を書いた。僕の作品は賛否が分かれた。はじめは、批判が多かったのだが、徐々に肯定的な意見もあらわれ、どちらも、大事だと思って聞いた。金時鐘さんが11日に、NHKの「こころの時代」に出るそうだ。チェックしておこう。
 帰ってからは、家でゆっくりお酒を楽しんだ。
 詩学3月号を買った。布村浩一さんの詩「草を取る人」が掲載されていた。とても大切なことを、すっきりと書いていて、別れなのに、悲しいだけでない、深い気持ちを感じました。肉親について、なかなかこういうふうに書けないので、すごいと思った。
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Mar 02, 2007

恩師

 社会福祉士養成校への出願書類の中に、大学の卒業証明書とあったので、枚方にある母校に行く。月曜にまたとりにいかねばならない。それから、大学時代の恩師に会いに行く。先生は足を悪くされており、少し心配になった。僕がだいぶ元気になったのを見て安心しておられたようだった。いまどきの学生は幼くなっているらしい。大学の先生も、講義に出て後は研究したりしているというだけでなく、サラリーマン並みに出勤しなくてはいけないご時勢だそうだ。タイムカードのある大学もあるという。何でも、国の方針でやる気のない大学は補助金を削られるそうだとか。暗澹たる感じがした。先生も、困っておられるようだった。学生時代、先生が課題図書とした『イワン・イリッチの死』は素敵だった。
 先生はあたたかく迎えていただいて、うれしかった。

◎ここ半月で読んだものをメモする。
 竹内好『魯迅』
 水木しげる『ヒットラー』(マンガ)、『生まれたときから「妖怪」だった』
 吉本隆明『真贋』『生涯現役』
 信濃川日出雄『ファイン3』(マンガ)
 佐藤秀峰『新ブラックジャックによろしく1』(マンガ)
◎読んでいる途中の本
 吉本隆明・笠原芳光『思想とはなにか』
 鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの』
 三木成夫『胎児の世界』
◎積読多数。はへ。

 吉本隆明の本が多いが、特にファンというわけではない。が、この両著は面白かった。布村さんが『真贋』のことをブログに書いていて読みたくなった。『魯迅』は竹内自身、遺書と考えてようで、その後出征したので、その思いのどれほどかが伝わってくる。ただ最後のほうは、結論と云うか、そういうものに何となく違和感を覚えた。武田泰淳『司馬遷』と並ぶ名著といわれている。祖母の葬儀に向かう車中で一気に読んだ。水木さんはやっぱりすごくリアリストだなあ。『戦争が遺したもの』は小熊のツッコミが冴えている。これも遺言に近い内容。言い残した事の幾分かでも伝えようとしている。偶然か必然か、吉本、水木、鶴見は先日亡くなった祖母と同年代である。差異と同一性。信濃川と佐藤のマンガは今日読んだ。『ブラックジャックによろしく』はもうネタが尽きたかと思ったが、新を読んだ限りでは、なんとかかんとかがんばっている気がした。でもどうやってこの人は医者になるのか、あまりわからない。臓器移植の話。このマンガは、医学の本当におおまかな勉強にもなるのでいい。『ファイン』は絵描きの主人公の話で、マンガ自体の絵はそんなにうまくないのがいい。前向きなんだけど迷って、なかなか壁が破れなくて、というとこが身につまされる。
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Mar 01, 2007

タミフル

恐いニュースだ。厚生労働省は因果関係を否定しているが、タミフルを服用した中学生が、異常行動を起こし、飛び降りて亡くなったという。報道ステーションでは、他にも事例があり、被害者の会が厚生労働省に「警告」してほしいといっているようだ。タミフルといえばインフルエンザの特効薬。48時間以内に飲まないと効果が薄れる。私もお世話になったことがあるので、確かに効いたけど、恐いよ。ただ専門家では、タミフルと異常行動の因果関係がまだ特定できていないらしい。タミフルもインフルエンザも恐い。要は、インフルエンザにかからないように予防するということかな。でも罹ったら、どうしよう。ちょっと困ったな。。
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