Mar 06, 2007
共同幻想論
『共同幻想論』読了。難しいというか、一言ではいえんけれども。だから、これは感想ではないんだけれど。あくまで印象。個別の話がけっこう面白い。柳田國男の「神隠し」を神秘化も合理化もせず、記述しているところや、漱石の夫婦関係について、言及しているところや。「遠野物語」について書かれているところは、素直に楽しめる。少なくとも僕のようなタイプの人間にとっては。やはり、自分の発想のふるさと=ルーツみたいなものに思いを馳せられる。発想の原石を、原石のまま語ろうとしているので、概念化が不徹底との批判もあると聞く。確かに、吉本さんの中で完結してて、説明が不十分なところ無きにしもあらず。でも、学術論文でなく、「表現」なのだと思う。相当、概念化に腐心しているようにも見えるし。僕は、この本を今の時代に読むとすれば、それはどういう意味を持つかと考えるのだが、ここから延長して、ヒントにして、考えられることも多いと思う。でも、自己幻想が共同幻想に対して、逆立しているというのは、どう論証しはるんだろうか。表現と云うか実感としてはわかるが、やはりどこか、ある時代の匂いがする。だから、そこから、出てくる<対幻想>というのも然り。じゃあ、僕の国家というか共同幻想に対する関係というのはどうなのかと問われれば、ごめんなさい、あんまりわかりませんと云うことになっていく気もして。しかしその辺りの事は、本当に微妙なことなので、吉本さんの直感は尊重しますと。後は、自分でどうなのか考えます。というか、確かに逆立しているけど、ではどうすればいいのかというところまで、今の時代は来ている気がするな。でも国家の成立について、試行錯誤しながら、筆が進んでいくさまはスリリングだなあ。時間があればもう一回読みます。
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