Feb 28, 2006
介護の詩を書いて
鼻がつまって頭がぼーっとしてます。今日は晴れたりくもったり、雨が降ったり。気分的にはあまり輪郭のない日でした。とりとめなく、考え事したり。。昨日介護をしていたときの詩を書いたので、これから、どうしようか考えたり。将来的には、きつくても、人の役にたてる仕事につきたいです。それには、足をひっぱらないように、からだを整えねばなりませんな。介護というと大変さばかり言われて、たしかにキツイこともあるのですが、やりがいはあります。ただ、組織ですから、いろんな人間関係が大変なのと、なんとなくやっていたんでは、もちません。未来を見据えないと流されていきます。疲れもたまります。そうして、しんどくなっていきます。もちろんなんとなくやっていたわけではないです。でも、自分の中で、自立できていないとしんどいです。割り切りと言いましょうか。だから、今度は自分の足元を見据えて仕事しないとなあと思います。これまでいってる事は自分に対してです。他人には押し付けません。まあ頭で考えてどうにかなるものでもないし。といいつつ少しは考える備えをして。。仕事につけるかどうかわからないんですが。
今は介護するほうじゃなくて、受けるほうですから、(最近風邪でデイケア休んでるんですが)サービスを受けるほうのしんどさというのがわかります。僕は精神ですが、最後に決めるのは本人というのが、しんどいときがあります。これから、どうするかと問われると絶句してしまうし、マイペースでねといわれるとマイペースってなんだろうと思います。でも、他人を信頼できるようになりたいです。かといって、だまされてはいけないので、そこんところのバランスがとても僕にはむずかしいのです。ひとにやさしくでしょうか。
安定を強く求めるところがあって、だから安定しない自分とつきあうというのが難しいときもあります。そういう時気軽にひとに助けを求めるのも練習がいると思います。
詩を書いていますが、記号は安定した土台に立っていないので、絶えざる変化の中にあるので、そこにうまくのれないと、あああとなります。自分の意思が形になっていないときです。昨日の詩「それぞれの時間」でも、意外にも前半の介護のシーンはクリアできたのですが、最後で、どう今につなぐかが難しかった。書き直しました。記憶だけでは、詩は成り立たないし、描写がうまくてもダメで、どこか腹に来るエネルギーのようなものがないといけないなあと思いました。最後うまくいってるかわかりませんが、とりあえず今書けるだけは書いた印象があります。
永田議員の謝罪会見がありました。なんか、まだ隠されている事があるように思いました。自民党にも、民主党にも。これで民主党はやばいかなあ?
ドラマ西遊記がつまんなくなっていっています。
Feb 27, 2006
クラプトン、介護、詩
少しカゼがマシになった。鼻がマシになった。葛根湯を飲んでいる。それから、クラプトンの「BALLADS」を聞きながら、詩を書いたり、日記を書いている。 今日父と電話した。3月27日に祖母の七回忌があるそうだ。もうそんなに経つんだなと思う。おばあちゃんはやさしかった。かわいい人だった。とても謙虚で素敵だった。本当にかわいかった。父もおばあちゃんは大好きなはずだ。ちゃんとはわからないけど。クラプトンは抵抗があったのだが、今日の気分にはあっていたようだ。介護していたときの様子を詩に書く。むずかしい。介護や臨床の場面を詩に書くというのは難しい。特にそれを生業にしていると難しいと思う。なぜだろう。たぶんまだ、未開拓な分野だと思うし、からだを使ってしかも仕事をしていく暗黙知(M.ポランニー)の場面だからだろう。障害を特別なこととして書きたくない。いかに日常として書けるかだと思う。
だからずっと書かなかった。もうすぐ仕事を離れて4年になる。記憶が遠ざかっていく。次のステップのためにも書いておかなければと思った。
将来のことは長期的に考えようと思う。今日は少し寒い。なぜ詩を書いているんだろう。考えながらタバコすう。
それにしてもクラプトンのバラードがしみる。とてもやさしい。こんなにやさしかったっけ?
鶴見俊輔の「回想の人びと」を谷川雁のとこだけ読んでみる。くわしくないのだが、共同体の夢を実現しようとした谷川雁が強がりだったと言うのは沁みた。
詩をアップしました☆
それぞれの時間
車いすを押して歩いたそんな日があった
Oくんはひざかけをして
「石川さん、こんにちは」と云った
「こんどな お父さんと…奈良いくねん」
寒い道だ
空が透明な血のかたまり
ぼくは夢の中を歩いている気分だ
そうなんや ええなあ
車いすの背中から
ぼくはそう云って いくつかの
曲がり角を曲がって
段差でガタンとならないよう気をつけながら
グループホームについた
ただいま
靴を脱がせる
Oくんの指先がけいれんしている
バンドをはずし 上着を脱がせ
室内用車いすにうつしかえる
ちょっと気つけてや
「わかった」
それから部屋まで押していく
ダイニングの床をとおりすぎ
同居人のHさんはテレビつけっ放しにして
ねている
Hさん 帰ったで
「Hさん何してんの」
Hさんは「いやん」と言いながら
起きて笑って近づいてくる
Hさんは40代で
仕事もしていたが挫折した人だ
酒には時々だらしないが
人間はできている人だ
度のつよいメガネをふく
スラックスにセーター
知的障害者で大卒だ
みんなでTVをみる
「まだ阪神はじまらへんの」
うん、今、冬やしな
「阪神優勝するかなあ」
「せえへん」とHさん
みんなで笑いあったり
ぼくは後から来た介護者と
米をたいたり 洗濯物を取り込んだり
Oくんが「おしっこ」という
だからぼくは「おしっこ」をとりにいく
静かな時間が流れる
流れた
もう4年もたった
どんどんわからないことが増える
みんなで過ごしたことも
その意味も確かにあるのだけれど
歯が浮くような疑問だが
障害って何だろうね
ぼくも病んだ心をもった
まっすぐに伸びる手
折れまがっていく
段差もあるけど
段差だけじゃないだろう
もう一度お話できるか考える
そのあとさきにふれる
今はこうとしか書けない
とてももどかしい
でも記憶は生きているんだ
Feb 26, 2006
雨、かぜのひきかた
雨だ。こういう日はスティングのアルバムSACRED LOVEを聞く。スピード感に満ちて、哀切な鎮魂で、チョイ悪なアルバムだ。スティングのいいところが出ている。美しい。雨は憂鬱なのだが、ジャジーなリズムが駆け抜けるとなんか素敵な日曜日。とはいえ、このアルバム、すごく久しぶりに聞いた。悲しみだけでは日々は進まないということを音楽は教えてくれる。カゼが本格化。こういうときは、辻征夫さんの詩「かぜのひきかた」を思い出す。
こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかぜを
ひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる(引用)
そうなのだ。ひとのなかにいて風邪は引っぱり出される。ひととひとの命の通路を描いたものとしてはピカイチだ。風邪の時は、誰かと一緒にいたくなる。そして一人寝床へ帰っていく。そういう営みがある。いまんところ、鼻と咳だけで、からだは大丈夫。昔インフルエンザにかかったときにもらった風邪薬を飲んでいる。「かぜのひきかた」の対極にあるように見えて、その実、共通してるのは尾崎方哉の「咳をしても一人」ではないかと思う。今、一人ぼっちですごしている。彼女は出かけている。方哉のひとりは並大抵ではなかったろうけど、思い出されてくる。辻征夫も方哉もどちらも、さみしいけど、どこか他者と深いところでつながっている。でも、描き出す方向は反対かもしれない。風邪は生命の連鎖を思い出させるもっとも身近なきっかけ。そして、自分のからだがあるということがわかるものとして。だから「咳をしても一人」
辻征夫さんの「昼の月」も好きな作品だ。
ずーっと一人で寝てて今日は悲しくないし、あんまり気にする事もない。昨日はあんなにいい天気だったのにね。春先は不思議だ。からだが慣れるまで時間がかかる。短い詩を書く。
「花」
とてもかなしいことはないけど
手をつないでいて
いつか放す日がくるとしたらかなしい
けど、いまはそんなこと考えないで
窓の外を眺めています
君はどこを眺めている
どこを歩いている
鼻水をためながら
ぼーっとしながら
君の事考える
どっちですか
みえませんよ
暗闇の中桜はまだ
あたたかい手のひらのことを考える
雨で濡れた鳥が鳴いて
辻征夫さんについて書いた批評はこちら。
Feb 25, 2006
分煙
彼女の実家に行って、犬と遊ぶ。今日は日当たりがいい。不思議そうに、空を眺める犬ちゃん。何を考えているんだろうなあ。その眼に吸い込まれそうになる。なぜか僕のポケットの財布をいじっていた。それで、みんな、犬に、「財布もってきて」と言っていた。はへ。今日は起きれた。でも、鼻と喉の調子が悪い。軽くカゼをひいたのかもしれない。寒暖の差が体に来たのかもしれない。みなさんも気をつけてください。花粉症?ノンノン。
彼女と話して、ベランダでタバコを吸うことになり、椅子を買ってきた。前から臭いといわれていた。喉が悪くなって、タバコはいかんなあと思うのだが、買ったばかりの椅子で一服するんである。昔の文学者とか、坂口安吾の部屋の写真とか見ると、タバコどころか、アートのように物があふれている。彼はヒロポンをやっていた。覚せい剤が普通に買える時代があったのだ。そういう空気と今の空気って、物理的だけでなく、リテラシーとしてもちがう気がする。堕落論みたいなものにはお目にかかれない。堕落論も、戦後ではなく戦中に書いたら、もっとびっくりなのだが、そう考えると、太宰はもっとすごいのである。
そういう時代は、今より生きるのが厳しかっただろうけど、ちがう厳しさが今はある。厳しい代わりにみんないろんなことで、一生懸命だったりいい加減だったりして、治安も悪かったけど、今は、皆もっとばらばらで、違う意味で一生懸命だ。食うためというのもあるけど、むなしさとの戦いが大変だ。そのあたり、安吾は勇気付けられる作家かもしれない。苦しくなったら思い出す作家の一人だ。
ドラマを見ているのだが、いかに続けるというのがむずかしいかと思う。話をふくらませ過ぎてもいけない。金の問題が一番大きいだろう。
中也賞が決まった。残念ながら僕ではないんです。がんばります。
Feb 23, 2006
田村隆一の「見えない木」について
ある人が田村隆一の「言葉のない世界」の「見えない木」が好きだと言ったので、ちょっと引いてみる。「雪のうえに足跡があった」といって、それは、動物達がつけたものなのだが、それを追っていくと、「ぼくの心にはなかったもの」が想像されるという詩だ。普通に初期の田村から見れば、きわめてシンプルな世界である。田村の詩は訴えない。その力で、揺さぶりをかけてくる。しかし「見えない木」はやさしい詩である。しかし、そこで見られているものは、やさしいとかやさしくないとかじゃない、大きな広がりの世界だ。田村は、動物達の足跡を見て、本当に宇宙について考えたのではないか。それはこんな風に。たとえば一羽の小鳥である
その声よりも透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてしなかった
この羽跡のような 肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかったものだ(引用)
ここでは足跡は言葉である。その透明さが物語っている。本当に静かな詩だが、同時に激しいのは、それが「恐怖」と名指されている事からわかる。僕も、深く深く潜っていきたい世界だが、足跡はそれを許さない。雪の表面の足跡として、その痕跡をつかの間残すだけなのだ。だから、田村は幸運だったといえる。しかし、生き物を注意深く見たら、生き物の言葉は普通に僕らにも見える。その巨大さ、単一さ、肯定を通して、働きかけてくる。
だからこの詩はぼーっと読むといいと思う。そうすると生き物の「言葉」の世界があらわれてくる。ここで、田村は単純さを心がける事でそれをメッセージではなく現代詩たらしめているが、その底には、ちゃんとメッセージがあるのである。それは恍惚より巨大な世界である。だからこういうのだ。
ぼくは
見えない木
見えない鳥
見えない小動物
ぼくは
見えないリズムのことばかり考える(引用)
僕もそういうリズムを聞いたことがある気がする。でもなんとなくうらやましい。僕は最近人間の言葉の端々ばかり拾っては転んでいるからである。少しの沈黙にも耐えられない。しかし、生きていくということは、見えないリズムを生きる事ではないだろうか?
生きることに静かにおののいている、とてもきれいな姿が見える詩だ。
*引用;田村隆一「腐敗性物質」講談社1997
Feb 20, 2006
言葉、文体
言葉は不自由なものだ。というより、自分の手持ちの言葉が少ないのだろうか?でも、未知なものは、からだの中にあり、それが言葉を出させる。言葉の置き方だろうか?そして、そこに安住できないのか、悩みは尽きない中で、なかなか自分の思うとおり言葉が出ずに日常を送っている。でも、そのとき出せた言葉がベストというか限界なんだろうと思う。昨日は合評会があり、大先輩と友達と詩について、というより、恋とか、宇宙とかいろんなことを話した。いい時間だった。その後飲み会にいってきた。友達は家族について悩んでいた。僕の親は、僕に頼ってきたり、きれたりしない。だから、正直難しい問題だ。でも、僕は、その友達の事を、肉体的でなく、タフだと思っているので、大丈夫と云った。普段は、うじうじすることもあるが、そのあたりは信頼している友達だ。
とはいえ、彼の力を超えた話でもありそうなので、彼なりに切り抜けられたらいいなと思っている。ずっと詩を一緒に書いてきた仲間だから。健闘を祈っています。
合評に出てから、冷静に話せてる自分を発見した。他人のことも少し見えるようになってきた。うつがひどいときはテレビも見られなかったし、躁のときは、きつい事ばっかり考えて、嫌がられたりもした。よく家族は耐えてくれたなあと思う。彼女も。そういうのが、信頼の力。苦しいときに支えられたという経験。だから、お返しをしなきゃと思う。働けるようになったら、何かお返しができたらなと思っている。でも、僕を支えてくれる人たちは、見返りを求めていないかもしれない。
詩のことだが、自分の文体はまだ作れていないと思う。というか、ずっと変化の中にある。ほとんど直感で書いている。何人か評価してくれている人もいる。もちろん、あわない人もいるだろう。でも、どこかで好き嫌いを超えた、しっかりした文体を作りたい。でも、文体って何だろう?きっと、その都度、限界を乗り越えていく事。己の中にある名状しがたい力を自覚すること。まだまだだ。まだいけるはずだ。
こないだ、アジアンカンフージェネレーションの「ワールドアパート」というCDを買った。表題曲がなかなかいい。それと、コールドカットというグループの新作を買った。ぼちぼち。
本では渋谷望「魂の労働」青土社がいい感じかもしれない。
茨木のり子さんが亡くなった。戦後のある世代の書き手が亡くなっていく。
Feb 17, 2006
診察、アメリカ
昨日、診察に行ってきた。それで、先生に、適切なアドバイスをいただいた。以前、個人的にちょっとしたトラブルがあって、僕は納得がいかなかったことがあったので、先生は「今は目の前の現実に集中して。リハビリを終えてから、話したらいいじゃない」と言ってくれた。そうか、なるほど、長い眼でみれば、そのほうがいいなと思ったのだ。特に、「目の前の現実」という言葉が心に響いた。目先が短くなって、現実に対して、適切な距離がとれなくなることがあるのだ。
それは、肝に銘じて事に当たりたいと思う。ついつい忘れがちな事だけど。
それから、「強迫観念がでてきているね」ともいわれた。それは、「置いておく事、確認しつづけないこと、相手にしないこと」だと。ついつい彼女に大丈夫か確認してしまうのだけど、それも「やらないほうがいい、やるとどんどん膨らんでいくよ」とのこと。さっきの「目の前の現実に集中して」と同じ事だと思った。余計な考えにひきずられないで、前を見ていこうということだなと思った。
今日はデイケアでコーラスだった。けっこう楽しめた。それから、人とも何人かしゃべれた。ネットや音楽の話もした。それで日米関係について話したのだけど、こういう話を人とするのも久々なのでうれしい。だから意見が違っても話せるのがうれしい。アメリカと対等に話せるかみたいな話になって、ある人はそれはできないということだった。僕は日本は日本の立場から話せればと思っていて、そう云った。じゃあ、そうじゃないよとある人は言っていた。
今から考えたら、もう少し補足すべきだった。僕も日本とアメリカは対等じゃないと思っている。そこで、岸田秀さんは、「子分」といっているが、子分の立場であること、情けない事を見据えて、自分の立場を知って、アメリカに、ただゴマをするだけじゃないこともいえるんじゃないかな。
ある人は、やはり、戦争に負けた屈辱感が気になっているのかなと思った。僕もそう思うから。それにアメリカは、無理な事もいっぱい言ってるし、やってるし、そう思うのも無理ない。そこから、どうはじめるかで、やはり絶望からということになるのだろう。だから、ある人と僕はそんなに立場は変わらないんじゃないかとも感じた。でも、もしかしたらもっと深い絶望があるのかもしれないし、もう少し話を聞いてみないとわからないな。
他にいろんなことを話したけど、今日は楽しかった。嫌われるんじゃないかとかも思うこともあるけど、話せるようになったのは大きい。
Feb 15, 2006
知らない事、折り合いをつける事
ここ2~3日はデイケアに行きだして一ヶ月くらい経ち、疲れが出ていた。人に会って、決まったことをやるというのを、ここ2~3年できなかったので、慣れないことは疲れが出るみたいだ。今日はプーシキン美術館展に行ってきた。人が多くて疲れたが、ふだんあまり絵を見ないから、よかった。人とも話せた。昔は絵を描いていた。弟は絵描きになった。弟の絵を見るくらいだ。
友達が、生きている事は実験だと書いていて、内田樹は「何を知らないか」を知るのが教養だと書いてあった。今、僕は生きていて、それは、いろんな経験をつんでも初体験で、わからなくて、恥ずかしいなと思う事がいっぱいある。と同時に、知らなくたっていいかもという思いもある。
デイケアにいくと、いろんな人と話す。そうすると、まだあまりつきあいはないけど、この人は、今どんな気持ちなんだろうとか考える。それで、耳を傾ける。タバコを吸う時なんかよく思う。吸いながら話していると、自分のことを聞いてくれる。「昔介護職でした」という。そっから、星座、血液型は?となって、「山羊座のA型です」と答えると、慎重派やねといってくれる。当たっているのだ。(無謀なところ、一人で考えて結論を出すところもある)そんな感じで話す。
ああ、この人は、こういう話し方するんだとか、まだ距離が近くないから、逆に気を使ってくれてるのかとか、やさしいなあとか。以前は気に入られたいとかもあって、今もあるのだけれど。手探りで話していき、また考えてを繰り返す。ありきたりだけど、やってみないとわからない。だから、人との付き合いも、新しい関係を生み出す「実験」。それがちょっと素直に新鮮だったりする。最初は新しい事ではなく、慎重に今までのやり方で。そこに手が加えられていく。このとき落ち着いてるように見られるが内心はどきどきである。いくつになっても、実験だ。試されている。でもどこかで人は抱きとめてくれてるのかもしれない。
カウンセリングの時に「世界と折り合いをつける」という言葉が出てきた。年をとると、なんか「知らないこと」に対して、まあ知らなくてもいいやと思うときがある。というよりも、ここ何年かが感情の激動だったので、今は平らな感じで、安定を味わっていたい。どこか置いておきたい。でも、知らないことは、どんどん増えていく。ちょっと怖い。mixiとかいろんな人がつながっている。輪に入りたいというのと、しんどいと言うのが両方ある。自分の今のキャパシティがわかるのだ。でも、どこか、適度なところで「折り合い」をつけるというのが大事かと思う。ネットはネットという可能性であり、同時に限界である。でも、そこで確かに、社会がある。
自分は「何を知らないか」を知ること。これは、大事だ。謙虚でいることだ。知っていることを述べるのが、しんどくなった。知っている事はある。だけど、未知のことが(他の人には既知でも)あって、それを新しく知りなおすのだ。
マルクスじゃないけど、「世界をいかに解釈するかではなく、変えるかだ」。少しずつ身の回りをちがう感じで見たいし、それには自分をよくみつめないといけない。そうすると世界は変わるかもしれない。
Feb 13, 2006
悩みかな
今日はデイケアに行かなかった。なんか寝坊してしまったのだった。それで、だらだら過ごした。よくないとわかっているのだけど。なんか悩みがあるのだ。それが言葉にならないときは苦しいのだ。全身に、水がたまったみたいに重くなる。
社会的にいえば、療養中の身。精神障害は過渡的だ。それはプロセスである。限りなく、健常者とのグラデーションの中にある。証は、病気。病気がアイデンティティになる。べてるの家でも、病名を作って名乗る。
僕は治ってきている。だんだん、不便が少なくなっていく。それで、社会に出て行く。はじめはデイケアで。デイケアも過渡的に利用するんだと思う。でも、そこでも、人間関係がある。さけて通れない。
すごく限られた中から始めなければならない。それが苦しい。早くデイケアの人と仲良くなりたい。焦る。
今から見て、施設の限界みたいなものはあるか?なんとなく、皆、大人の付き合いである。でも、もっと色んな苦しい事とか言ったり聞きたいと思う。今は、かなりかっちりプログラムがある。そこで、耐える。耐えると疲れる。でもそれもいい意味のストレスなのかと思う。僕は全体的に狭く考えすぎだと思う。もっと流れにまかさなければ。
いくえみ稜と三谷幸喜読了。
それにしても、日本に本物の人権なんてない。まず天皇家にない。それがおかしい。人権にこだわるつもりはないが、人権外の人がいると言うのが、大問題で、そういう風土なんだと思う。昔からおかしいと思ってた。世継ぎでもめる。本当にいつの時代の話なんだ。天皇は、昔処罰されていない。処罰を免れた待遇が今みたいな感じか。
皇太子の弟はなかなか難しい問題を投げかけるなあと思う。それにしても女性はずっと犠牲だ。
Feb 12, 2006
表面的に
昼カレー。サラダは僕が作った。部屋でグズグズしてても、なんかくだらない事が気になってくるので、彼女が車で連れ出してくれる。
彼女と買い物に行ってきた。ニトリで、布団のシーツを買う。
それから、彼女が100円ショップに行ってるあいだ、本屋による。 池波正太郎、前から気になっていたので「男の作法」というエッセイを買う。他、上原隆のエッセイ(新潮文庫)とか、少女マンガ、いくえみ綾、吉野朔実。それから三谷幸喜の短編を買う。
ケンタッキーでお茶。車を置いたまま、古本市場に行く。ストレス解消だー!というわけだ。
edeg2という2003に流行ったアメリカ音楽のコンピレーションを買う。それからスーパー銭湯の値段を見に行く。ホントは風呂に入りたかった。けちである。750円した。天気がいいので気分がいい。
帰りCDを聞く。あんまり考えなくていい。それがいい。もっと尖ってるかと思ったら日本よりまったりしている。どういうわけか。二年前だし。なんかでも、層の厚さからくる余裕なんだろうか。それと音楽の位置づけが日本と違って、なんかチルアウトできるやつが流行るんだろうか?なんかギスギスしてない。社会はそうではないからか。
といっても、僕はここ三年くらいまるで音楽シーンについていけてない。デイケアに古い洋楽を聞く人がいるが、僕はコアな音楽ファンではない。
でも、なんか刺激されて音楽を聴いてみようと思う。
それにしても2003...
最近詩については、深く考えないでいる。きっと、表現の核は、表面的なものの中にあると思う。最近はそういうモードである。
ニーチェ的に言えば、深い真理は、突っ込みすぎて、何かを見過ごして出来ている。精一杯、認識して、出てくるものは、一見平凡なものだろう。不勉強もあるが、詩を書くとき、浅くありたい。肯定を失いたくない。それが、グルーブを生み出すかもしれない。
お出かけはいい気分転換になった。今日はドラマ「輪舞曲」が楽しみだ。
Feb 08, 2006
昨日から
つい先日mixiに入った。 昨日から 本を読んでいる。共同作業所ピアセンターあかり編「見えない世界の物語」現代書館だ。
ええと、要するに精神障害者が精神障害者にインタビューしていくという試みなのだが、読めば読むほど、生活の苦労、現実というものが見えてきて、就労を目指している(出来れば福祉に戻りたい)僕には、なかなか苦しい内容だ。でも、皆なんとか年金をもらったり、働いたり、グループホームを利用したりやっているのだった。
「べてるの家の非援助論」のほうが、読みやすいが。。
「見えない世界の物語」はそのつくりからリアルだ。インタビューの依頼書が載っている。
僕は、もうひとつ、精神障害者になりきれてないところがあって、それは精神障害というカテゴリーがいやなんじゃなくて、どこか、僕は僕というところがあるのだろうと思う。個人主義じゃなくて。
カテゴリーに入らざるをえない事情を持った人もいるだろう。しかし、僕と同じで、必ず「普通に生きてもいるよ」という部分があるのだろう。
必ずしも差別ではなく。それが健康な部分なのだ。しかし、現実的に、どこか「カテゴリー」を作らないと、精神障害の保障は弱いし、やっていけない部分もあるだろう。本を読むと全員違う、違っていて普通なんだと思う。それが人生なんだから。
僕よりも重い人がたくさんいる。僕は、重くなる前に、助けを得たのかもしれないと思った。それでも、重いときは、病気の世界に入ってひたすら不安だった。不安をとびこえて病識のないときは、やたら躁だった。ちゃんとした先生に当たらないとちゃんと治療してもらえない。それすら、出会えない人がいる。大変だと思った。
でも、この本は「これからどうするのか」をテーマにしているように思えた。僕はぼちぼち体の声を聞きながらやっていくしかないだろうと思っている。
Feb 06, 2006
うれしい便り
うれしい便りが来た。詩集の感想を送ったら、お返事が来たのだ。
それは、カフカの「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」を思い起こさせるものだった。
長らく、この言葉の意味がわからなかった。加藤典洋の同名の本を読んでもわからなかった。自分で体得するしかないものかもしれない。
どこかで、僕は「世界」を人を、疑っているのかもしれなかった。それで、自分の見ている「世界」は、穴だらけになったのだ。例えば、テレビが見れなくなった。好きな音楽も聴けなくなった。
その中で感覚は鋭くなるが、自分の足元の「世界」は、危うくなるのだった。
それでは、立ち行かなくなるまで、テレビの刺激はいやだった。どこかだまされていると思った。これはこれで、正しかったのだと思う。
でも最近になって、テレビを普通に見れている自分を発見したのだ。どこかで、世界を疑う力が、「信じる力」に転化されたのだと思う。
疑いも、それを突き詰めれば、自分の足元に及び、世界を新たに感じさせる力になるのだ。
その意味で、僕は未体験ゾーンに入りつつあるのかもしれない。
今日の「西遊記」も、どこかで、「信じる」と「疑う」がつながる話だった。親のいない子に、親のいるものは、深いところで、語りかけられないと感じる。孤独というものは、どこか親に肯定された人と、否定された人とでは、質的にちがう。そう感じるときがある。
それを親のいないゴクウが、親になって赤ちゃんを世話する姿を見せる事で語りかける、どこか強い作りになっていた。でも、ゴクウは、誰の胸の中にもいるのだと思う。僕も以前介護をして、お世話する仕事についていたときに、僕は、あまりオムツをかえる機会はなかったけど、そう感じたのだ。僕は知的障害の人の介護だった。
たぶん、疑い続ける事と、信じることは、どこかで、つながるんだと思う。僕の彼女はそう言った。
今日のデイケアは、あまり疲れなかった。とりあえず無事終了。
Feb 05, 2006
淀川長治のいない世界
NHKをみてたら、淀川長治の在りし日の姿が写っていた。98年になくなっていたので、ニューヨークのテロは見ていないことになる。
彼は批評は、どこかひとつでもいいところをほめる事だ、どんな映画にもいいとこはあるといっていた。
僕は、彼のいない世界を生きているとまた実感をした。
彼がテロを見ていたら、人間を愛する事を、チャップリンから学んだ彼は、どういうだろうと思った。
僕は、その世界を生きている。彼のいない世界で、「生きている」と実感する。
それが彼の力だ。
彼は「サヨナラ」を持ち味にしていたが、「サヨナラ」とは、その前に「泣き笑い」いろんなことがあったということだと言っていた。そんな今日。彼の「サヨナラ」の力を再び実感する。
ドラマの時間
今日は、昼寝をしていた。それから、掃除して、松任谷由美のFMを聞いていた。だいぶ、気分はマシになってきた。そのFM番組には寺尾聡が出ていたので、少し集中して聞いていた。やっぱ声のいい人はいいなあと思った。なんでもいい話に聞こえるので得だ。僕の声はくもっているので、あまり説得力がないかもしれない。
ラジオを聴いたのは、昨日、三谷幸喜の映画「ラジオの時間」をテレビで見たからかもしれない。ラジオドラマをやるのだが、主人公の書いた脚本が原形をとどめないまでに、プロデューサ、出演者の都合で変えられていって、話のつじつまがあわなくなっていく、ドタバタものだ。
ものづくりは、色んな人の思惑がからむんだなあと僕は結構納得した。また、今度、詩作品をまとめるときは、十分に気をつけようと思った。変な感想だなあ。藤村俊二とか井上純がいい味を出していた。なつかしい。子供のころの、コメディスターだった。そういうふうに設定がわざと古めに作ってある。「ラジオドラマ」からしてそんな感じだ。ジェットストリームみたい。
素直にドタバタが面白かった。「律子」が「メアリージェーン」に変わったり、海で遭難が宇宙で遭難とか、べたなのだが、脚本が崩れていくさまは、すごく計算されていると思った。ベタだけど計算されているというのが三谷幸喜的である。それが鼻につく事もあるけど。どこか密室劇の要素がたくさんある。
でも、もう9年前の映画だ。その当時は敬遠していたし、たぶん見ても面白くなかっただろう。
その当時は、自分が賢いと思っていたからだ。最近は自分は何も知らないなあと思うんである。なんか、海外文学の名前とかが知ってる人の口から出てくるとどきどきするのである。だからといって、開き直れない。今は、社会経験も減っているので、自分の現場がなくて、(こういうあり方もリアルかもしれないが)それでも大丈夫とも思えないのだ。
でも、彼女にそういったら「賢くなったのだ」と言われた。少しうれしかった。なぜかソクラテスとか思い出してしまった。賢いおしゃべりが出来なくなった。そういうのも、自分から見れば進歩かも。あるいは退歩か?
今夜は竹之内豊主演のドラマ「ロンド」を見る予定だ。このドラマは、あんまりスピード感がない。あるように工夫しているんだけど。それでも、作り手は、どんな工夫をしているか見るのが楽しい。最近普通に連ドラが見れるようになった。話の中のダメな部分も笑いながら見るとけっこう楽しいのだ。ビフォアーアフターもある。
最近はドラマの週間予定がある。月、西遊記。金、夜王。日、ロンド。というふうに、彼女と見ている。
Feb 04, 2006
他者感覚
今日はデイケアに行ってきました。習字と卓球だった。習字では、まどみちおさんの詩を、ずっとノートに写していた。まどさんの詩は、なんか透明なようでいて、まどさんはずっと考えていて、そのずっと考えてる事が提示される仕方が、時間を感じさせる。そんな詩のような気がする。どこか瞑想しているみたい。視点は現代詩なのだけど、提示の仕方が違うような気がする。
実は、全然簡単な詩じゃない気がする。ぼくはこういうのは書けないなと当たり前ながら、感じる。生命に対する視点だろうか。けっこう科学と宗教の境にいる人のような気がする。
それで思い出したのだけど、今、小泉義之のドゥルーズの哲学を読んでいて、生命について書いてあって、生命は、その発現、生老病死を通して、問いを「問題」に変換して、「解」を出そうとしているという記述に出会った。小泉のいうドゥルーズ。生命といっても、あらゆる無機物も含めた総体の中で、胚細胞、遺伝子をもったものを指すのだが、いまいち、有機物と無機物の区別がわからないところがある。まどさんの「湯のみ」に、地球を感じる視点のほうが明確かもしれない。
それにしても答えじゃなくて、「解」というのが面白い。どこか一つ一つの生命が「問題」を解いている姿は、どっか勉強みたいだが、生きている現場は、無数の解で満ち溢れているのかもしれない。僕は生きていて、何らかの解を出しているのかなと思う。それは、どっかで、他人に見えているのだと思う。答えの出ない問いを、式にして何か「解」を出そうとしている姿が、見られているという感じがする。だから、ごまかしはきかないし、そんなものは、存在できないのだと思う。ずるそうに見える人がいても、それはその人の「解」なのかもしれない。でも、どうしてもそう思えないときもあって、けっこう辛い。
それ以上に、他者と言う巨大な解が迫ってくる感じが、僕にはあって、他人というものは、けして侮れない。というか、自分が無限に小さく感じられるというか。だからいつも不安だ。今はデイケアに行きだしなので、余計そういう感覚がよみがえっているのかもしれない。昔はそういう感覚がもっと強かった。どこかで違いを感じる時もある。どっか辛い。でも、他者が大きいという感覚が僕にはあって、ついいらない虚勢をはってしまうこともあるのだ。そういう姿が態度が大きいと映るのかもしれない。態度が大きいというのは、臆病の裏返しなのだ。でも、いつも、他者の大きさとはなんだろうかと思っている。その中で、無限の視線の交錯があるのだと思う。みんな、どっかから見られている感じを手放せないのかもしれない。それをも繰り込んで生きている人の姿をみると、すごいなあと思う。どっかで僕はびくびくしているのだから。それは「畏怖」に近い。柄谷行人に「畏怖する人間」というのがあってよく読んだ。他者とは「生命」なのかもしれないと思う。だから、僕は狭い意味での人の好き嫌いはないと思う。どっかで、ぼやけているのか何だか知らないが、好き嫌いという感覚が育ってないのかもしれない。でも信用できるかという点で見ているのかもしれない。
今日はドラマ「夜王」を見た。少しずつ面白くなっている。松岡君は主役なんだけど、あんまり表に出ずに脇を立たせればいいのかなと思う。心とかは胡散臭い台詞だけど、どっか、こういう普通のドラマにも、生きている人が作っているのだなあと思う。
Feb 01, 2006
憂鬱な雨
大阪は雨が降っている。急いで洗濯物を取り込んだ。詩の世界で、うまくやっていけるんだろうかと悩んでいる。僕は、立ち回りがうまくない。いい意味でもうそがつけない。要領が悪い。自分の気持ちが素直に伝えられない。で、しんどいこともあった。人の縁とは、難しいものだ。たぶん、出会いを重ねていけば大丈夫かな?
日記を読んでいただいた方から、いい便りが来た。うれしい。つながれればと思う。
月曜日は、デイケアで料理。上手ですねといわれた。料理は家でけっこう手伝っている。でも、まだ、思ったより、人疲れして、昨日は横になっていた。その上、ジムも閉まっていた。なんかツイテナイ。 日曜は天気がよかった。四天王寺の庭園に彼女といった。いい感じだった。気持ちいいねと言い合った。六角堂があって中に入りたかった。たこ焼きを食べて帰った。 土曜は、読書会だった。いろんな視点があって、好きな詩もばらばらで、是々非々で、勉強になった。飲み会に参加して何人かと話せた。固くなっていたのだが、話せてよかった。新しい詩集を出す人がいる。すばらしい。何だか疲れやすくなっている。少し疲れた。それでも読書会はよかった。
というわけで、なんだか疲れやすく、いろんなことに関係なく、憂鬱なのだが、遠くから便りを送ってくれる人がいて、うれしかった。ありがとうございます。
詩集をなんとか出せて、今の時点では精一杯で、今まで40通くらいお手紙をいただいてうれしかった。なかなかないことだ。中原中也賞、小熊秀雄賞に応募したので、ひっかかってくれればいいのだが。
なんかはげましてほしい日です。
批評と詩をアップしました。
遠い手紙
孤独な日には時雨る空気が重い
わたしは一日中寝た
黒人が
国道脇を歩いていく
何人も
わたしは絶望しない
楽天でもありえない
遠き友より手紙きたりて
わたしは
寂しい夢を追い返す
外は霧
昨日は疲れた
速いくらい
人が集まってくる
わたしは集まりの中に入れない
わたしの狂気は
わたしを人の外へ
おいやろうとする
わからない顔が何度も
浮かんで
それに逆らえずに
また
うつら
うつら
うつの中に
空っぽの中に
わたしがつまっていて
遠い手紙はわたしを
勇気づける
とてもいいことだ
最高だ
古いうたが聞こえて
夕方になる
空は白
城
わたしは
少しいきかえる
そう
いろんなことがあったね
これからもあるね
悪いことばかりじゃないよね
黒い部屋に
昼から
電灯がぽつり
たばこ四本
缶コーヒー
時間がとまる
テレビの上の花は
正月から
枯れてない
障害者手帳
不意に句読点がくる
今日は
空が見えない
遠い手紙よ
それも空だ
静かな海
よろよろと海岸線を歩いていると月が見えた
タバコの煙が風に乗って流れた
ああ俺は
照らす光におびえながら立っている
それから海に向かって眼をやった
錆びた商店街が背中にあった
波は無限に近く色を変えながら
どぶ川の色で
俺とは無関係に東のほうへ流れていく
漁船が見えた
うすもやに鬼火のようにちらちらと
眼の中を光が曳いてゆく
さっき夕方まで、子どもと海辺の公園で
砂遊びをしていた
トンネルを作って子どもの手を
静かに握った
「おっちゃん、トンネルつながってるなあ」と子どもはいった
最近の時勢このままでは誘拐犯とまちがわれるなあと思いながら
それでも、遊んでくれるんで、遊んだ
そして部屋に帰って薬を飲んでテレビをつけっぱなしにしながら
眠った
いつもの海に近くない俺の部屋だった
夢だった
鷺が「死にたくないよう」と鳴いた
俺みたいな顔をしていた。
寝言で起きた
死にたくないようといったようだった
それから、夢に向かっている友達の夢を見た
そいつは、ぼくをはげましながら、みづからも世間を恐れている
いいやつかもしれないと思って
手を握ろうとしたけど、そいつは透明だった
生活が散文の羅列になり、文字が何千行浮かび上がっては消えた
もう詩が書けないと思うと、父が出てきて、母と空を飛んで
「和広ラーメンを食べなさい」といった
それから、二人は黒い鳥になって、闇の中に消えた
最後にいつもの部屋で俺は、コタツに入って
うつらうつら考え込んでいると、まぶしい光が差し込み
いやに明るいのに惑いふらふらと立ち上がると
そこは繁華街の裏の路地でコケが生えて
二人がセックスしていた
俺はつまずいてつまずいて
どこへもいけないとおもうと起きた
静かな海に入って眠ろうと思う
そうすれば仕事どうするかの答えは出るだろう
石垣りんについて少し所感(ハルキ文庫より)
石垣りんの詩集を読んだ。全体的に、一生懸命言葉を投げかけている印象があった。多少雑だとしても、言葉が生きるというのはこういうことかと思った。僕のおじいちゃんくらいの世代の人で、その中で、何かを代表して書き続けたように思える。戦後を批判的に、見届けた人だと思った。経済が優先される中、彼女は銀行で働きながら、暮らしをどこまでも手放さず、社会と個人、いいや世界と個人のかかわりを見つめた人であると思った。これは、稀有なことではないか?詩人として。*「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
数字へのこだわりというものがある。この詩集で、個人も含めた歴史の証言の鍵になるものである。
原爆を扱った詩に「25万のやけただれのひとつ」と言う言葉がでてくる。死者を数字に還元するのは、抵抗があるだろう。しかし、彼女はしている。そこに「顔」があらわれてくる、不思議な詩である。顔とは、その人に固有のものだが、それが数字と同居している逆説がある。数字でしか語られない悲しみというものがここには、あって、彼女は醒めている。その一方で、「眠り」が深く描かれている。この辺りに詩的な生命力の強さが、ある。眠りをも深く見つめている、覚醒した眼がそこにある。「その夜」が病者の群れの中で覚醒した眼になってあらわれる。それは「顔」という詩に現れる、「その交替をあざやかにみている眼」である。この眼は、だれのものかわからない。しかし、彼女が名を上げる弱いものの眼ではないだろうか?そこからこれも珍しいが「国家」というのが、単純に左翼的ではなく、一切を奪われた「顔」「結核患者と黄変米」の側から告発されている。その元には「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」にある、女の前にある「火」が置かれている。「火」は人間が囲むものの原型だろう。
家族に対する愛憎を含んだ眼は「きんかくし」「夫婦」に描かれているが、どこか美しいものにも、醜いものにも流れていかない、鋭い眼があって、それが平易に書かれている。
平易さは、彼女の美点だろう。初期には、平易さが逆に奥深い空間を作り出している。
その中で、どんなものにもごまかされず醒めているという過酷な位置に彼女は置かれた。
*「表札など」以降
初期のするどい告発は薄れている。文体としても、あまり複雑さをうかばせなくなった。
戦後の復興という奇妙な安定が彼女に作用したのか。それでも、どこか「ごまかされない」というスタンスは保ち続けているように思う。
彼女は「仲間」という詩で、「行きたい所のある人、/行くあてのある人、/行かなければならない所のある人。/それはしあわせです。」と書いている。彼女には深い孤独があった。それを生きた結果のようなものがあらわれていたましい。あるいは自足か。「藁」では、「子守唄のようなものがゆらめき出すと/私の心はさめる。/なぜかそわそわ落ち着かなくなる。」と書く。どこかで、眠ってはいられない。ずっと醒めていけなければならないという感覚かもしれない。それは「表札」という詩に現れている。自分の居場所を守る感覚であり、居場所は、ずっと具体的な「忘れない」という記憶であり、それは、日本が負けたということと母を失いつづけたことではないだろうか?それが、あてもなくひっぱられている。どこか安住の地がないという感覚。それがばねになって強い。だからこそ、生活の匂いを記録しようとしたのではないか。「洗剤のある風景」から、そんな感覚を受け取り、せつない。どこか生きる現場が失われたという感覚が彼女にはある気がする。後期には、ひたすら喪失が嘆かれている感があって、それが単調さ、文体のネリの足りなさにつながっている。初期モチーフはあの時だけ書けたということか。あるいは、モチーフを持ち続ける事がたいへんなのか。それでも、好きな詩はいくつかある。
初期はきわめて骨太である。こういう詩人がいたと言うのは、今の我々には大事な事ではないかと思う。ぎりぎりのところで生活を守っている感覚。今は失われつつある戦後の感覚かもしれないし、それを言葉にしている。単なる貧困がテーマではない。
感想はこれにとどまらない。もっと多角的に読めると思う。とりあえず覚書として。読書会で、いろんな人の意見を聞いたら修正されるところもあるだろう。ただ、生活が失われていくという危機感は「家族の桎梏」への複雑な感覚を超えて、現代の危機を予見していた。そこに普遍性があると思う。「人間」の叫びなのだ。そこから色んなものに語りかけている。どこかで「死」に呼びかけられ、立ち止まり、仲間を求めている。「弔詞」で、「あなたはいま、/どのような眠りを、/眠っているだろうか。/そして私はどのように、さめているというのか?」それは「夜毎」の「もどかしい場所」につながっている。