Feb 06, 2006

うれしい便り

うれしい便りが来た。

詩集の感想を送ったら、お返事が来たのだ。
それは、カフカの「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」を思い起こさせるものだった。
長らく、この言葉の意味がわからなかった。加藤典洋の同名の本を読んでもわからなかった。自分で体得するしかないものかもしれない。
どこかで、僕は「世界」を人を、疑っているのかもしれなかった。それで、自分の見ている「世界」は、穴だらけになったのだ。例えば、テレビが見れなくなった。好きな音楽も聴けなくなった。
その中で感覚は鋭くなるが、自分の足元の「世界」は、危うくなるのだった。
それでは、立ち行かなくなるまで、テレビの刺激はいやだった。どこかだまされていると思った。これはこれで、正しかったのだと思う。
でも最近になって、テレビを普通に見れている自分を発見したのだ。どこかで、世界を疑う力が、「信じる力」に転化されたのだと思う。
疑いも、それを突き詰めれば、自分の足元に及び、世界を新たに感じさせる力になるのだ。
その意味で、僕は未体験ゾーンに入りつつあるのかもしれない。

今日の「西遊記」も、どこかで、「信じる」と「疑う」がつながる話だった。親のいない子に、親のいるものは、深いところで、語りかけられないと感じる。孤独というものは、どこか親に肯定された人と、否定された人とでは、質的にちがう。そう感じるときがある。
それを親のいないゴクウが、親になって赤ちゃんを世話する姿を見せる事で語りかける、どこか強い作りになっていた。でも、ゴクウは、誰の胸の中にもいるのだと思う。僕も以前介護をして、お世話する仕事についていたときに、僕は、あまりオムツをかえる機会はなかったけど、そう感じたのだ。僕は知的障害の人の介護だった。

たぶん、疑い続ける事と、信じることは、どこかで、つながるんだと思う。僕の彼女はそう言った。

今日のデイケアは、あまり疲れなかった。とりあえず無事終了。
Posted at 23:58 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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