Jan 31, 2007
魚雷艇学生
島尾敏雄『魚雷艇学生』をゆっくり読んでいる。主人公の特攻に志願する時、志願した後の心理描写がもののように迫ってくる。起こったことを断罪するのでもなく、切々と書き上げていく様は確かな覚悟を感じる。何か目標を作らねばと思う。今の仕事もそうであるが、がんばっていくためには、目標が必要なときがあると思う。今日診察で医師は、「あせらずにやって下さい」と云っていて、励まされた。
Jan 28, 2007
シロクマ
今日、NHKで、「シロクマピース7歳」を見た。人工保育されている北極熊のピースと飼育係の関係が描かれているドキュメント。飼育係が本当に親の感じなので、僕も一生懸命見て、一喜一憂していた。シロクマはストレスに弱く、実の母と隣り合わせの部屋になったらてんかん発作を起こしていた。動物もてんかんがあるのを知った。発作を起こしている様子で、少し昔の仕事を思い出した。Jan 26, 2007
風の音
昨日のこと。島尾敏雄『魚雷艇学生』を読んでいた。ゆっくり読みたい。
新星堂のポイントがたまったので、カウンセリングの帰り2000円引きで、CD『電気グルーブとかスチャダラパー』を買う。全然正面からがなってくる感じなく、とても心地よい。スチャダラパーのダラダラ姿勢は、90年代中盤のあの時代の中では、とても共感できた。
今日はデイケアに行って、コーラス。前回、桑田圭祐『白い恋人達』をリクエストしたつもりが、『冬の恋人達』と間違って書いてしまって、今日は歌えなかったので、次回のリクエストに書いた。終わって、猫月亭さんとお茶した。ある映画が思い出せないでいると、それは『三月のライオン』(写真)ではないですかといっていただき、思い出して、いい映画だったなあと思い出していた。主役の男優さんは10年位前亡くなった。ネットで調べたら趙方豪(チョウバンホウ)という方だった。どう読むかわからなかったので調べてみた。
帰って、奥田民生『LION』を聴く。しんどいときは聴くのが苦しかったことが思い出された。今はいい感じにのれた。ベランダに出ると雨の前兆の風の音が耳に入ってきて、いい気分だったが、ぬれた人もいるのではないだろうか。
Jan 24, 2007
二冊の本
まずは、山折哲雄『ブッダはなぜ子を捨てたか』。うーん、なぜなんでしょう?気になる。気になる。と読み進めても、答えは残念ながらないです。大げさな文章が続きます。各レヴューで、酷評されていますが、わかる気もします。興味深い問いで、意見を聞いてみたいと思ったけど、たぶん、問いが難しすぎたのだろうと思います。しかし、こういう問いでいつか誰かがきちんと(学問的でも芸術作品でもいい)書いた本を読みたいと思いました。芹沢一也『ホラーハウス社会』。触法少年、異常者をめぐる司法の歴史の概括としては、異論は色々あるかもしれませんが、ある程度勉強になりました。「社会秩序」って残酷ですねというお話として読めました。解説が重要です。大事な問題が引き出されています。藤井誠二さん怒っています。被害者家族が加害者を許せないというのも当たり前で、被害者の気持ちは様々なはずなのに「赦す被害者」のストーリーを強要している人たちがいると。芹沢さん考えてくださいと「宿題」を出しています。論争になる地点を出来た時点で解説として埋め込まれている本というのはあまりないと思います。誰も正解をもっていない、この宿題の場所。そういう地点に立つまでの準備がこの本だと思います。この世界には様々な欲望があると感じました。防犯も不安も欲望の顔をのぞかせるときがあります。秩序も度が過ぎれば欲望の顔をします。そのことを実感的に思い起こしました。
気になる本をちょこちょこ漁っています。雑読かもしれませんが、頭を動かす準備体操のようにして、本を読んでいます。まだこの世界という大海の中で考えては休み、考えては自分のヨスガとなる考えらしき何かを泳がせています。考える葦であるというのが何だか今の実感です。少し頼りない感じの後姿で行こうと思います。
後がない人
そのまんま東が知事に当選したのだけど、自民党は「保守分裂」とか民主党は「候補が擁立できなかった」とおっしゃっている。でもたぶんそんなの言い訳に過ぎない。なんで東が目立ったかというと、「後がない人」に見えたからだと思う。本当に「後がない」かは別にして、ノックや青島さんに比べても、前科、離婚、引退とくれば、ストーリーとしては、かなり勝負するには「後がない」し、「捨てるものがない」状況に近いかもしれない。また彼の顔が、本当にそんな顔をしている。「しがらみがない」ではなく「捨てるものがない」。それは訴える者の顔にいくばくかの真実を与えるにちがいない。またぞろ、腐敗がつきまといそうな、天下りさんでは困るということではないだろうか。劇場型選挙という見方も出来なくはないが、私はそんな一面もあるだろうと思うのである。
今日、ホームレスの人が、公園を住所としてみとめてほしいとして、敗訴した。つまり、大阪市が勝った。一審ではホームレスの人が勝ったらしい。天王寺にホームレスは多い。怖いという人もいるが、私は別に勇気があるわけではないが、あまり恐がるのもどうかと思うのである。公園を住所にするのは変だ。が、住所がないと、当たり前の権利が受けられなくて、結局、もっとホームレスになってしまって、職にも就けない。どうしたらいいのか。上告するから、裁判のお金が大変だ。はじめて聞いたが「あぶれ手当」というのがあるそうな。前段階としては、3000人が、一箇所に住民登録していたという件があるのだが、居場所がないというのは考えるだに恐ろしい。どういう境遇で、テントやダンボールで寝るようになったかは、ひとそれぞれだろうけれど、私は、なぜか他人事なんだけど、他人事とは思えなくて、彼らも隣人。市民的秩序の外部にいるが、排除、排除だけではすまされないといつも感じるのであった。彼らもきっとそのままでいいと思っていない人も多いんじゃないかと感じることもある。ああいう形で表現されている何かというものがあるのだと思う。きっと個別の対応が必要なんだろうな。でも、私は甘いのかもしれないね。
Jan 22, 2007
あるある大辞典、福祉ネットワーク
私は、「あるある大辞典」をほとんど見ていなかった。人を健康へと追い立てるようなものは好きではない。それは、「生老病死」という当たり前の営為にたいする、集団的な恐怖というものを感じる気がするからだ。もうそういうふうな方向にばかり、目を向けなくてもいいのではないかという知らせなのかもしれないと思う。「健康という病」という言葉が浮かぶ。もっと病とか、死についてきちんと考える番組が、民放で流れても、一定の視聴率が取れるような気がするので、もう少しそういう方向にエネルギーをさく時節に入っているのではないかと思う。超高齢化というばかりでなく様々な人の了解が得られると思う。ちなみに今日は、売れ行きが心配な納豆を食べた。彼女が「やっと置いていた」といっていた。NHKの「福祉ネットワーク」。先週は「障害者自立支援法」の特集をやっていた。障害の程度によって、グループホーム利用者への補助の額が変わるので、軽い人が多いグループホームでは経費節減のため介護人を減らさねばならなくて、11人を一人で見るということになってしまったところもあるそうだ。私も介護人だったので、番組で云っていたように、一人ひとりの話を聞けなくなって質が低下するというのは、とても深刻だと思った。国は、入所施設利用者を5年間で6万人減らして、その人たちをグループホームに入れたい考えのようだ。現実的にちょっと無茶ではないだろうか。「自立」という理念は大きくは今の現状からしてとりあえず正しいといえるだろう。「自立」という理念が本当に一人ひとりの生に配慮する、集団として見ないということであればだ。そうだとして、しかし、人は何らかのコミュニティなしには生きていけない。だとすれば、生活に対するインフラの整備というものを考えねばならない。きちんとした、制度的な裏づけがなければ、様々な人の生を保障するとはいえないのではないか。今日、「福祉ネットワーク」に出ていた人は免許も持っていて、面白い人だった。なかなか知的障害者で免許を取れる人は少ない。しかし敦賀のようなケースは本当にレアケースだろう。障害者の就労支援をきちんとしているハローワークは珍しいだろう。そこをもっと伝えねばならない。ほとんどの場所では、そんなことは行われていない事実を。
Jan 20, 2007
父親
昨日は父のことを、まったく書かなかったので、書いてみる。父はニット帽を冬になるとかぶる。本人は若い頃ショーケンに似ていたとか、今はカラオケに行くと、渡哲也に似ていると言われるといっているが、どちらもかすっているもののあまり似ていない。そんなシブくない。父はケチなとこがあるので、今回のようにおごってくれるのは、めずらしい。鶴橋の「いっぷく」という店で、彼女も行った。
父は、善良で健康な人である。単純素朴にいいことをする、ちょっとおせっかいなダジャレおじさんである。誉めるとかではなくて、全く素朴な、子どもだってもっとすねているぜと思うような人なのである。自慢話が同じパターンなので、少し疲れるが、まちがいなく、どこにでもいそうで、いない人である。
「いっぷく」は弟がポスターの絵を書いた店で、にしがいのお造りがおいしい、わりかたおじ様が多い店である。店のおねいさんが「ななちゃん」と呼ばれていた。
この話には落ちがないが、私は父のように生きられないと劣等感にさいなまれたことが昔あった。最近はない。うっとうしいともあまり思わなくなった。父は自分の実感に従うので、それがいいなあと思っているところだ。
父と呑みに行った
デイケアに行った。お喋りしながら、プログラムを過ごす。八尾市での、子ども投げ落とし事件、昔働いてた介護施設と遠くなくて、とてもショックだった。行き場のないということはあるのだと思った。詳しく経緯がわからないので、なんともいえないが…折りしも山折哲雄の『ブッダはなぜ子を捨てたか』を読んでいた。捨てる、人を社会を捨てるということ。苦しみと向かい合うということは日常であり、苛烈である。ブッダを思った。苦しみを捨てられないとしたら、向かい合うしかない。向かい合うことは出来るのか、出来たとしてどうなるのか?出来ないとしたら…この世にいるという苦しみが許容量を超えていたら…そして暴力が発動されたら…ブッダはどう思うのだろうか?悪とはそういうところから、分泌されもするのではないか?父と鶴橋に呑みに行った。『グエムル』は借りたいと思う。
Jan 17, 2007
奥田民生『御免ライダー』
奥田民生シングルベスト『御免ライダー』を聴きながら書く。聴けば、バンドから含めると、デビュー20周年だという。あの時も、この時も、民生に力づけられてきたが、やっとひとりの人間として、彼の曲と向かい合えた気持ちになった。正直少し遠ざかっていた。強そうに見えるが、強くない。繊細な男の魂というものを見る。聴くことができる。〝雨なのに過ごしやすいのはなぜ?傘さしてわざわざ出かけようとしてやめて 休みが必要だ〟(コーヒー)長くこの歌はいい歌だと聴いていたのだが、しっかり聴いたのは初めてだ。「雨」とは何であり、「傘」とは何だろうか?短い言葉の中に屈曲がこめられている。座ったり立ったり、寝ていたり、存在のうたがあると思った。
そうこうしているうちに、少し元気が出てきたような気もする。今日は「障害状況確認届」を先生に書いてもらった。
Jan 13, 2007
初心に戻って
今日はデイケアで習字教室で、ノートに睦月、如月、弥生…と、月の名前を書いていた。習字の先生が「書いてみてください」と云ったので。異常気象と言われて、妙な気温の中、新年を迎えて、大寒が間近であるが、腹に沁みない冬である。たぶん、日本的抒情の否定という前に、世界のほうが、季節を否定し始めているのではないかと思ったりする。昼からは竹田青嗣『哲学ってなんだ』が読みかけだったので、読む。岩波ジュニア新書から出ていて、中高生対象なのだろうけれど、素朴に初心に戻って読んだ。デイケアの人にも勧めた。竹田青嗣は『ニーチェ入門』から始まって、色々読んだことがある。それで、私の中では、もう読まなくても自分で考えられるカナと思っていたのだった。しかし、『哲学ってなんだ』は、とても整理されていて、自分の人生に引きつけて読むことが出来た。これは大事なことだと思った 。自由が大事なのは、どうしようもないくらい、ままならないことが人生には多すぎるからだ。不思議なもので、ままならないことを何とかしたいと人間は思うのだ。何とかしようとしてあがいたり、諦めたりしている。病気になって、再度チャレンジみたいな、今の私の感じと響いている。悔いなく生きたい。この意味で、竹田の哲学はとてもポジティブだ。何とかしようとしていることに自覚的になった歴史として近代の精神を捉えている。(微妙に進歩派?)私が共感するのは、人間個々は生きるための「物語」を書いていて、それは自分自身に対しても、世界に対しても関係しているってことだ。例えば、私があなたを好きになる。これは、きっかけはよくわからないのだけど、気づいたら、あなたと私の間に、何かのかかわり(縁)が出来てしまっていて、世界のありさまが変わる。それがさらに次のステップへ向かっていく、これは確かに自分の物語の「書き換え」だというように…本書では恋愛についてはあまり書かれていないが、竹田の「欲望」と云う言葉は「恋」という言葉がよく似合う気がする。ごく個人的な感想ですが。
Jan 11, 2007
お知らせー2号発刊
詩と散文の表現媒体「tab」2号が出来ました。編集は倉田良成。執筆者は後藤美和子、木村和史、高野五韻、野村龍、倉田良成、石川和広。(敬称略)今号に私は詩を書きました。原本をコピーして郵送するという形態をとっています。Jan 10, 2007
達人
今日は今年初仕事でした。カスペルスキーという会社の作ったウィルスソフトはすごいんだそうな。私は時代遅れだろうか。たぶん、そうだろう。元KGBのロシア人が開発したそうな…でもウィルスソフトってパソコンと相性が合わない場合があったような気がする。私の使ってるパソコンはウィルスバスターがダメだった。全然パソコンに詳しくないので…
高田純次が今年、年男で還暦を迎えるそうな。向かうところ敵なしの「どうでもいいこと」云い。「次の年男まで生きられるか?」と自分で云っていた。今日テレビで見たが全く衰えておらず。何の達人かはわからないが、きっと何かの達人にちがいない。記号論的なお笑いである?!存在の耐えられない軽さではなく、実生活はちがうだろうけれど、存在が良い意味で軽く、見るものに負荷をかけないというのは、ちょっと恐ろしい。その点、さんまともまるでちがう。
Jan 09, 2007
私は人生で初めて寂しさを知った
『思想なんかいらない生活』を読んでいて、20台の頃、「ふつうという権力」という文章(の体をなしていないもの)を書いたのを思い出した。(今はそのノートはどこへ行ったのか、たぶん実家にあると思うがとても見せられないと思う)「ふつう」がいやだった。かといって、特別な人間であることもできず、それどころか「ふつう」のみんなが恐くて、自分は「ふつう」以前ではないかと思って、ずいぶん心細かった。そんな頃を私は否定したくないのである。自意識過剰といわれようが、そんな感じで不安定であったのだから、それは肯定しておきたい。今はどうかというと、自分の考えや感じが「かけがえのないもの」か、ずいぶん心もとない。自分の考えや感じは、別に特別でもないし、思い込みが強いけど自信はないのである。変わったといえば、それが実存をおびやかすようなものではなくなりかけているということかもしれない。どうでもいいというわけでもないが、一歩退いているという感じだろうか。何も冷静だったり客観的であったりするわけではないが。「ふつう」の幸せや苦労は、やはりかけがえのないものであり、それを一般的な尺度にあわせる必要はないと思う。私は、「こうでなければならない」、「勉強しなくてはいけない」という内面の縛りが強くて、すぐしんどくなって嫌になるので、今日読んだ勢古浩爾『思想なんかいらない生活』は、色々欠陥はあるとはいえ、少し以上のようなことを思い出しながら読んだ。こういうわかりやすそうな本もバカにできないなあと思った。何だかわからないが勉強したくなったり、嫌になったりがふつうかなと感じた。
中でも、エリック・ホッファーのくだりが印象的だった。ホッファーは独学者で、沖中士(港湾労働者)で思想家としてのデビューは遅かった。名前は知っていたが、その人物が素敵だなとこの本を読んで思ったので、そのことだけでも、お買い得だったと思う。『思想なんかいらない生活』より孫引き。
「私は人生で初めて寂しさを知った。喪失感と絶望感にさいなまれた人間は、自分がどこから来たのか、そしてどこへ向かっているのか、わからなくなるものである。歴史を失うのだ」
これは、ヘレンという女性と出会い、ヘレンはホッファーを物理学の天才とみなし、崇拝したが、ホッファーは自分の学問は偽者だと思い、自分から愛するヘレンのもとを離れたことにふれた文章である。ホッファーは学歴のない独学者であった。私はこの「寂しさ」というものに胸を衝かれた。まるで自分のことのような、いやそうではないぞと思うような、変な、それでいて、とても切ないのである。だから、この言葉に出会ってとてもよかったと思えた。私もそのように旅しているに違いないと思わされるような、深い言葉である。勢古の紹介もよかったのかもしれない。ホッファーの生涯が映画化されたら見たいと思う感じであった。そういえば「スモーク」だったか、ポール・オースター原作の映画でバフチンが挿話として出てきたのを思い出した。
Jan 08, 2007
マザーテレサのところになかなか辿りつけない(もちろん比喩)
彼女に、「マザーテレサは、全員平等にやさしく奉仕していたんだろうか?」と云ってみた。僕の頭の中のマザーテレサだが、そこんとこどうだったんだろう。そんなたくさんの人に優しくしていたら、感情疲労が起こらないのだろうか?それとも「本物の使命感」(なんだそりゃ)なんだろうか?とか考えていた。そうすると彼女が答えた。「マザーテレサのところに行けた人はやさしくされたんじゃないの?」と。僕は、そうだなー、関わりを持てること自体有限であるなーと思ったのである。やりとりとしては、この程度だが、関わりというか関係性について考えたのである。出会うということ自体奇跡に近いが、そんな出会いとも関係なく歩いている人がいるだろうと。僕が「○○さんに嫌われてない?」と聞くと、彼女は、「あなたは、好かれたい気持ちが強いから、そうおもうんやで」と云われてしまった。そうかもしれない。僕は独占欲が強いのだ。自分が関心をもった人には、好かれていたい。しかし、人の心は変わるものであるし、濃密な関係性を求める人あらば、そうでない人もいるのである。この自分と関わってくれたかということに、僕は一番関心がいく、普通にみみっちい人間なのである。それは僕が人並みに排他的であるのでもあろうし、マザーテレサで云ったように、関わる限度というものがあって、結局何が大事かということに話はいくのである。
僕は、好き嫌いははっきりしているほうだと思うのだが、乗れる文脈と乗れない文脈みたいなのがある。なるべく色んなものを取り込んだ上でお話したいと考えているが、何しろぼんくらで、最近ではものすごく感動するということが少なくなってしまった。たぶん、僕のぼんやりした勘みたいなものが文脈を選んでいるのだと思う。迂闊には、近づくことはできないでかい問題もある。何の気なしに文脈にからんだら、とてつもなくでかかった、乃至は本質的で、考えるのに時間がかかってしまうということもあろう。しかも、たぶんどの問題も考えれば本質的なので、視野には入れるが宿題になって、そのままなりっぱなしということもあるのだ、実際。
と云うわけで、色んなことをスルーしているので、何か悪いなあと思うのだが、情報化社会というのは、そんな心境に追い込まれるなあと思った。そんなの関係なく好きなことや人にもっともっとかかわりたいと思いながら、おっかなびっくりやっていて、自分の中に何枚も壁があり、なかなか辿りつけないのであった。ネットを見ているといつもそんな気持ちになる。
この話は「作品」に対する関わりの問題とも酷似している。特にネットで膨大な作品を見る場合には。
Jan 06, 2007
誕生日
おお、33歳になりました。30代にはいってから、感じてた、30やのに、しっかりしてないなーという罪悪感のようなものは今年はありません。なぜでしょうか。不思議、本当に不思議な感じがします。何かいいことがありそうな、不安なような。今朝一番に親戚のおばさんにメールをもらい、何人かの人に、祝っていただき、こういうことは珍しかったので、ちょっとくすぐったいです。ありがとう。去年の暮れから、今年最初に読んだ本は、中島らも『心が雨漏りする日には』と坂井信夫さんの詩集『<日常>へ』でした。昔はらもさんの愛読者だった僕ですが、久しぶりに前から買ってあったのを手にとって読んでみました。躁うつ病を軸とした、自伝という感じなのですが、壮絶なものを感じました。アルコール依存症のほうもかなり深刻なレベルに達していたようですが、本格的に、依存症向けの治療をしていたわけではなかったようで、複雑な感じがしました。らもさんがきっと色んな因果というか、自分でも制御できない形で生きていたということがよくわかり、業のすさまじさが印象に残りました。昔はそんなこと気にして読んでいませんでしたが。本上まなみが追悼エッセイを文庫版では書いています。年末年始ということもあり、厳粛な感じで、やっとらもさんの死を受けとめる自分がいました。
坂井さんの詩集はとてもよかった。こういう風に書けたらいいなと感じさせられるところがたくさんあって、遅ればせながらお礼状を書きました。
Jan 05, 2007
米朝一門
お正月は大体、寝正月だった。実家に帰ってて、ブログ更新できず。お久しぶりです。皆さまどんなお正月でしたか?いくつかテレビを見たが、一番オモシロイナアと思ったのが、「米朝一門」。たぶん関西でしかやってないだろう。途中からしか見ていなかったので、米朝師匠の高座は見ていないのだが、桂南光、ざこばの高座を見たのだった。落語を見ていると、風景が想像できる、その仕方がイイナア。南光さんのいっていた、池田のシシ打ちの場面なんか、見たことないのに想像できて不思議である。天井からぶら下がっているシシの姿が思い浮かんだり。また、道中をたどっていく感じがタマラナイのだった。ざこばさんの語りはよかった。彼の不器用さが持ち味になって何ともイイ雰囲気を出しているのです。僕は語りはざこばさんのほうがすきかもしれない。
ラストでは、米朝師匠や僕の好きな喜見こいしさんも加わって、思い出話が炸裂。うわー、僕の好きな空間です。いろいろ難しいことも考えてはいたが、今日はここまで。