Sep 30, 2005
動物病院から2
いつもと違った道を帰ろうとした。シベハスを連れている人が、いた。
ひさしぶりにシベハスを見た。
クズの葉のからむガードレールの横を通っていった。
前に短パンの男の人が見えた。
なのに、行き着いたところは行き止まりだった。
あの人はどこに行ったのだろう。
引き返して、バスを待った。
待っている間に、踝のうしろがひやっとした。
鳥のふんでもかぶったのか?
くるりと回るとまた、足に冷たいものが・・・・。
バッグの中の「生茶」がこぼれていたのだ。(爆)
動物病院から。
腎臓の数値があまりにも悪いので、一昨日入院したセナが、病院の食事をまったく食べないというので、医師の了解を得て連れてきた。持続点滴をちょっとだけ中断して。
家に着いたら、ササミジャーキーを一生懸命食べて、キャベツも食べて、アジの干物も食べた。
セナは神経質なのだ。
今朝はセナを再び病院に連れて行った。
毎度なので「ワンちゃん元気ですかぁ?」なんて言ってくれるタクシードラーバーさんも、そろそろでてきた。
タクシーを毎度呼んで、セナを乗せるのは結構神経をつかう。
箱に入れて運ぶのだか、吠えたりしないもののカーブなんかで揺れると、ばたばたする。
「犬がいます」とちゃんと言ってるのに、不服そうな運転手さん。
静かに運転してくれる人もいるけど。
今朝は、わたしも虫の居所が悪かった。
降車時にダンボールをずるずるひきずっているとき、ばたばたと犬の毛は嫌いな人もいるんで・・・とやりだし、「ガムテープ持っておいでよ。安いんだし」としつこく言い出した。
はいはいと言いつつ、病院の玄関をみたら能弁な医師が見守っていてくれていた。
わたしは若いときハイヤーの運転手を、怒鳴りつけたことがある。
「いやあ、びっくりしたよ」経理のおじさんが、言った。
老人ホームに行く、おばあさんの荷物を、そのハイヤーの運転は持つのをしぶったからだ。
持ってくるのは、行李ひとつと施設の人は言った。
どれだけ悲しい思いをしていただろう。
そうやって詰められただろう荷物を、大切に扱わない。
だから、腹が立った。
わたしにできることは、そういうことだけだったかも知れない。
動物病院の帰り道、最近見つけた乾物屋でキャンディーをたくさん買った。
乾物屋さんは不便なところにあるが、しっかりしたものを売っている店だ。
「ワンちゃん、どうですか?」
「末期なので・・・。でもいなくなったら父がいなくなるような気がすると思います。父がかわいがっていたので」主は顔をくもらせた。
もう、それだけで充分だった。
わたしにとって特別なものが、他人にとって特別とはかぎらない。
そういう見方をしようと自分を支えているからだ。
死は本来個人的なものだ。
そんな思いで帰ってきたら、昨夜セナと一緒に寝たからか熱がでた。
Sep 28, 2005
大げさですが
大げさですが、みんなの健康を願って植えておいたオケラの花が切られてしまいました。ナツロウバイも枝を折られ、朝顔のネットもはずされ、鉢もひっくり返されたみたいで、もうたまんない。
落ち込みます。
セナがあまり動かないので、病院に行ったら腎臓の数値がひどかった。
尿毒症ですね。
がんの治療はストップです。
負担が重過ぎる。
こういう選択ってつらい。
一緒にすごす時間の、カウントダウンが始まっているようです。
Sep 27, 2005
ツバキの実を集めてわからなくなったこと。
ツバキの実は4種類になった。いずれもピンク、白、赤と単純なものだ、
昨日は公園のをひろって、ポケットにいれたらまぜこぜになってしまった。
わたしはこういうことをを、結構やる。
なんだか今日ははげしくだるい。
犬も一日どんよりと寝ている。
賢治の異稿など読む・・・が老眼がっ!
Sep 26, 2005
ピンボケ、昭和の人
以前は鎌倉の町を走り回った。
ラーメンならあそこ、中華ならあそこ、ピザなら・・・というくらい町のそこここを知っていました。
若い人がいっぱいいて、不思議な店がありました。
今回はちょっと、巣鴨っぽいなんて思ってしまいました。
若宮大路なんて、ぴかぴかのお店が多くて。
昔はおばあさんのやってる鰻やがあって、堀辰雄が来たとかそんな話しを聞きました。
こまごました店とは消え、今は鎌倉ってお寺の周囲しかないみたい。
地の魚もみませんでした。
今日は、疲れちゃった。
これくらいで疲れるなんて!
Sep 25, 2005
後藤田正晴という人
その昔、福祉関係の法の陳情で国会議員の部屋を訪ねたことがあった。わたしは国会議員の顔なんて知らないし、その人がナニ党かすらわからない。
紹介議員はいたけれど。
そのなかで、すきっと話がとおる議員さんがいた。
唯一と言っていいほど見識があった。
これが当時は官房長官をしていた、後藤田正晴氏だった。
警察官僚ということで敬遠しがちなのに、この人はただならないという印象。
インテリだという印象を強く持った。
たった5分ぐらいの会話だったのに。
最近の議員は勉強してると思えない。
合掌。
http://www.tfcc.or.jp/govem/gotouda.html
Sep 23, 2005
歯ブラシを持って歯医者に。
交差点では、歯磨きしながら、歩いては写真を撮りながら歯医者に行った。地下鉄で、基礎体温を測ったり・・・・そんなことをしていても、「すんません」みたいな感じでやり過ごせる。
ただ、そういう時に、バッグの中を覗こうとする奴は、ゆるせないなー。
セナは、やばい薬でも。
セナは、やばい薬でもやったのではないか(爆)・・・・と思うくらい元気です。問題はいっぱいあるけど、騙し騙しいかないかしら。
昨日は、セナをあずけた帰りにホームセンターに行こうとして、三人に道を聞き、どの道を使っても行けなかった。
うそつきが三人なんてアンビリバボーです。(爆)
Sep 22, 2005
8000円の元気。
セナは元気になった。この間も点滴で元気になった。
だけど一日しか持たなかった。
置き針で、痛そうでもなくぴょんぴょん跳ねそうになる。
食意地がでてきた。
うれしい。
癌は進行してるのだけど。
朝8時半に病院にセナを連れて行った。
いつもの女医さんだった。動物病院って女医さんが多いなぁ。
セナは目をはなすとぐったりしていて、いつものように顔をなでると、泣きはらした目から涙がでたように目ヤニがある。
食事は見当もつかず、氷砂糖をあげる。
ショートステイで病院で全身管理。処置後、帰宅。
首なんか皮下注射で、打つところがないくらいぼこぼこ。
足の起き針で点滴。
「なんでもしますから、助けてください」気がついたら、そんなことを言っていた。
18年の記憶が一気にこみ上げそうになった。
Sep 21, 2005
スポイトでポカリスエットをあげて
ずっとスポイトで飲み物をあげている。医師に連絡するとポカリがいいのだと言う。
食事も全然とらないまま、おしっこが出ていたので散歩によろよろと出す。
階段の上りも下りも、持ち上げてあげないと駄目だ。
散歩コースを短くしようとしたら、動かなくなって見つめる。
こういう頑固さはうれしい。
帰宅したら、ふと思いついて「縮緬雑魚」をやった。
お腹がすいたのか、少しだけ食べてくれた。
スポイトを使うとき、やりかたがまずかったのか、顔をかまれた。
こんなことは初めてだ。
痛くて泣いて他の部屋に行ったら、セナは歩いて様子を伺いにきた。
申し訳ないといったふうだった。
家では寝たきりに近いので、明日は病院に行く。
今日は徹夜で、見るつもり。
腎不全も、癌もやっかいな病気だ。
人はごたごたになれていない。
もういいやとおもって寝た。朝になったらそれで、折り合いがついた。
どうでもいいや。
セナが食事をとらない。
このままで行ったら「老衰」だ。
せめてと、氷砂糖をあげる。
肉はいけないので、肉からとった出汁をセナの好きなうどんにかける。
セナがどうにかなったら、ますますどうでもよくなっちゃうじゃないか。
Sep 20, 2005
ごたごた
弟の会社が、大変なので、わたしはなけなしのお金をかした。退職金である。
わたしは何度か催促をした。
昨日かえってきた答えは「恩着せがましい」「銀行から借りたほうがマシだ」。
わたしは、すごくがっかりした。
最初から銀行に借りればよかったのだ。
だいたい借金をしていたら、恩に着るものだと思う。
かえってくるかわからないなけなしの金を貸して、このていたらく。
わたしに何の罪があるのだ。
普通は恩人というのだ。
残金は母が払う。
この立替で、母は二重にはらうことになる。
わたしは、父の一周忌には行かない。
父も母も可愛そうでならないからだ。
本人は払えないだろう。
母は親ってなんなんだろう、と言っている。
兄弟付き合いはやめようかとさえ思っている。
Sep 19, 2005
セナの退院。
昨日、退院をさせた。胸に内出血もでき、食事は吐く。
ゆっくり振る尻尾がやっとみたいな感じだ。
腎不全のため、食べるものも制限されている。
抗がん剤の副作用のピークは、過ぎようとしているが腫瘍はちいさくなっていない。
ぼろぼろ。
家にいさせよう。そう思って退院させる。
それにしても、7万余。いったぁ~。外来でも1万円だけど。
Sep 15, 2005
セナのお見舞い。
毎日、病状を聞く。昨日は改善していなかった、電解質もろもろの数値はよくなったが、白血球数も減って咳がでる。
今後の治療方針について話し合いたいという獣医師の話で、とんで病院に行った。
セナはうろんとして、ケージに入ったまま点滴をしていた。
元気がない、やっと立ち上がった。
退院はのびるだろう。
母は昨日、夜半に二回もセナの声を聞いて目が覚めたという。
普段は鳴かない近所の犬かもしれぬとのこと。
わたしはここを通るとき・・・・。
本日は、歯医者の予約の日。時間調整で、遅い水撒きをしていたら、通りがかった二人の主婦に声をかけられた。
いつも「珍しいものを、どこで買っていらっしゃるの?」
「インターネットです。」
「あら、そうなんですか」
質問にこたえて、ひとしきり話して、わたしはマツモトセンノウを一株あげた。
すると二人はどんどん調子にのってきた。
あげく「わたしたちが、どうして歩いているかっていうと・・・」
パンフレットまで持ち出した。
○光教だった。
「わたしはここを通るとき、このお花に手かざしをしてる」のだそうだ。
「あ、医者にいかなきゃ」そうわたしがいうと、二人で「どこが悪いの?」
「歯医者ですっ!」
それを聞いて、がっかりしたような二人でした。
Sep 14, 2005
サイモンとガーファンクルのliveを見た。
頭はそれなりに薄くなっていたが、全然ト-ゼンなのでした。なんでこんなことを書くかといえば、オークションのカテゴリ、園芸の「苗」のところに毛根を強くするというブラシがでていて驚いたからです。
秋からツバキ、春からアサガオ
昨日は、わたしの通院の日でもあった。あまりいい検査結果ではなかったが、とりあえずはそれどころではなかった。
セナに後ろ髪を引かれて帰宅。
ずっと泣いていた。
今日になって、ついでにもらって来た「9条の会」の署名用紙と忘れ物を思い出した。
署名は母もやってくれたし、こつこつ頼もう。
朝、水を撒いて、カメラを持った。
ツバキの実の偵察。
実のならないはず木の、ツバキの実をもらう約束はしてある。
問題は時期。
ヤブツバキの一部はもう、実が割れている。
しかし、大きな花のツバキは咲くのが遅い。
だから実も熟すのは遅い。
もし発芽したら、当然遺伝子の撚れたツバキになるはずだ。
この実験は何年もかかりそうなので、命と気の長さが必要になる。
そんなことをずっと考えていたら「アサガオ」を、思いついた。
アサガオは、メンデルのえんどう豆みたいに一年単位だ。
変化アサガオなどはとても種類が豊富だ。
うむぅ。やらいでか。
そういえば、原坊のアサガオというのがある。
ブルーのアサガオだが、サザンオール・スターズの原由子が、なかなか妊娠しないので悩んでいた時、栽培して咲かせ、みごと身ごもったというので、そういう名前になった。
いまや子宝祈願の、アサガオのようになっているらしい。
実際に種もたくさん取れるのだそうだ。
子供の年と、アサガオの年が同じということかな?
*家のユウガオと思っていた、株はどんどん大きくなり、とんでもないのでタネができないうちに刈り取りました。南米の方のアサガオかも知れず。
Sep 13, 2005
セナの入院。
腎不全。血液中のカリウムの量が多いので、改善するまで。
人間だったら人工透析みたいなこと。
帰宅すると、火が消えたようなさみしさ。
話は飛びますが、先日のカラオケで加川良の「教訓」と「リリーマルレーン」を歌いました。
ドイツ語でこれを歌って下さった仲良しのT大教授は、父と同じ肺がんで亡くなってしまいましたが、歌の意味をわたしは知らなかったのです。
Sep 12, 2005
開票速報ε=Σ(´ )/ ケッ
開票速報で、こんなにまで自民圧勝というのは信じられない思いでした。おじさんに電話をかけると「日本人は馬鹿だ!」と言いました。
「わたしは、外国はもっといいの?」と聞くと「そうだ」といいました。
そうかも知れない。
友達は「わたしたちって、なんて狭い世界に生きてるんだろう・・・と思っちゃうわ」といい、周囲で自民党に投票しそうな人はいない世界を、共有している確認をしちゃいました。
それでふて寝。
セナは今朝、薬を飲みませんでした。
のどちんこが見えるくらいの、奥に薬を入れても「ぺっ」とはきだす。
そしてだるそうに畳のところで、横たわっている。
ただ、ひき肉の炒めたのと煎餅(これはかなり、いけないこと)は食べました。
いつものお医者さんは夏休みで、口と鼻がキムタクに似ている先生登場です。
明日は持続点滴を約束。
「セナよ~」
午後には、ポカリスエットとパン、肉団子、離乳食の買出し。
書店で久しぶりに、岩波ブックレットを買う。
高校の時は、結構岩波にお世話になった。
もはや岩波新書も、岩波文庫も並んでいないけど。
とにかく、セナよどれか食べてくれ~。
Sep 11, 2005
むむむむぅ。
午後からセナをつれて、やっぱり動物病院に行きました。点滴をして様子を見ましょうということで、帰宅。
でも、食べるのはささみジャーキーだけ。
横になって大儀そうに、こちらを見るつどあわれになってしまいます。
家にはレジャーシートを、敷き詰めました。
選挙に行って思い出したこと。
セナは、息遣いも荒く辛そう。朝食にいくら、とりのささみをいれても食べない。
ビスケットも拒む。
心配だ。
今日の選挙は、ほとんど開場と同時に行った。
暑くなりそうだからというのはあるが、昨日のカラオケ後、おじさんの家に行きレッド・ツェッペリンのDVDを遅くまで見ていた。
おじさんは、「やっぱりいいなぁ」と言い、ちょこちょこ話す会話はど忘れと、記憶違いで誰かが聞いていたら笑ってしまうだろう。
ジミー・ペイジはかっこ良かったし迫力もあったけど、わたしの耳は、わーんとなっていて、それが耳鳴りのようになり寝付かれなくなった。
そして早起きもしてしまった。
カラオケ+ツェッペリン効果だ。
そうして選挙のあと、母に電話をした。
「このへんは、お金持ちでもないのに、自○党だから、「えーっ」
お金持ちそうな家もあるけど、そうなんだ。
以前、東大の社会学の論文で、公○党と共○党の票田が、貧困層であると書いてあったのを思い出した。
ただ、共○党の方がやや知的であるのだそうだ。←わたしの意見ではありません。
貧乏人から、お金をとってはいけない・・・・とわたしは思う。
それで思い出したのは、数年前、職場で上司二名に「話がある」と言われ、ついていったら密室で「かわいくない」と言われたことだ。
当時わたしは、こういういじめに沢山あった。
公○党の上司に目をつけられたからだ。
「男ふたりで、卑怯な・・・」と第二弁護士会の弁護士は言ったが、こういうときは本当にどうしたらいいのだろう。
Sep 10, 2005
いそがしい。
昨日から食欲不振でおしっこをもらす、セナの様子が気がかりで、抗がん剤をのませて、病院に行きました。点滴を半日して、状態の改善をするのです。
肝臓と、とくに腎臓が非常に悪く体重の増加は、体内によけいにたまった水分だということでした。
治療は半日かけてゆっくり点滴をするそうで、検査値がわかったあとセナを病院に託しました。
わたしはその間に予約しておいた歯科に。
この歯科医をわたしはかなり信頼してるのですが、今日は、虫歯を、けずっていて「あ、でちゃった!」と、いきなり言ったのです。
次の言葉を待っていたら「神経でちゃった」だって!
この先生、腕が確かなので、「神経を抜きます」と言われたら、はいはいと同意しなくちゃひどいことになります。
で、はいはいと言ったら、結構な時間です。
昼食抜きだぁ~といじけていて、ひらめいたのがカラオケです。
カラオケ屋は病院と家の中間点という絶好の位置にあります。
よって、電話をすると、久しぶりにおじさん登場。
へっぽこさんは家庭の事情、だそうです。
まぁ、おじさんはクラプトンとニール・ヤングが歌え、好評だったので、嬉々としてきました。
最近は、採点の伸び悩みでくじけそうなわたしに、中島みゆきの好きなおじさんは「きつね狩の歌」など紹介してくれて、変化球もみせる余裕です。
がっ!わたしは、「じゃプロジェクトエックスの歌なら歌えるよ」と言いました。
「風のなかの~♪」ってやつです。はい。
なんと、それで91点!!
やなぎの下を狙って、もう一回。
すると92点。「二回目はうなぎがいたねー」なんて言われつつふたりで驚いたのでした。
セナのお迎えは、おじさんもついてきてくれました。「戌年なので犬が好きだ」といい、わたしは「アマゾンの~雪女ぁ~」とわけのわからないことをいい・・・・(はぢ)
セナは、まるで子供みたいです。
点滴ですごくしゃんとして遅い夕飯も完食。
でも、やっぱり抗がん剤のせいで、一回吐いたのだそうです。
今は尿漏れれ用のシーツは使っていますが、レジャーシートみたいのを買ってこないと、嘔吐などの広い範囲に対応できないかも。
それにしても、抗がん剤がんばれ~。
Sep 09, 2005
痒い痒い病
今日はC大の薬草園に行った。涼しいのでその気になった。
午前中に行ってお昼には帰ってくるつもりだった。
ヤブミョウガとシュロソウを撮ろうと思って、カメラを向けているうちに足が蚊でぼそぼそになっていた。
下を向いたら20匹くらいの蚊で、足が黒ずんでいた。
小学校の同級生で、美紀ちゃんという仲良しがいた。
法務省の官舎にいて、家に良く遊びに行った。
一番の記憶は、美紀ちゃんとトイレに入ったこと。
次がトイレの扉を、美紀ちゃんのお父さんに開けられたこと。
なんでこんなことを書くかというと、美紀ちゃんのお父さんは、かのイタイイタイ病で名裁判官といわれる判決をだした、その人だった。
噂では美紀ちゃんは京大に入った。
法学部ではなかったが。
蚊にまみれて、「痒い痒い」病なんてことを思ったのでした。
Sep 08, 2005
転倒記
わたしは、カメラを持ち出してからすごく転ぶようになった。十回はゆうに超えて、救急車に乗ったこともある。
委細はともあれ今までカメラが無事だったのは、わたしにナニかがついているのかも知れない。
で、今日は近所の愛新覚羅 溥傑邸を出るときだった。
普通の住居の門みたいなところにさしかかったとき、狭い道に無理やりのようにトラックが入ってきた。
それを確認して、すこし身をずらしたら、障害者用のスロープに躓いて倒れた。
転ぶのが、うまくなったと瞬間思った。
というのは転倒時の音で、カメラが無事かどうか見当がついたのだ。
打撲と擦り傷だったけど、すぐに起き上がれなかった。
トラックが止まる音がした。
運転手がくるのがわかった。
「かあちゃん、だいじょぶかっ!」
そういいながら彼は、わたしが立ち上がるのを助けてくれた。
去年、転んだときは、わたしより年齢がうえだと思うおじさんに「おばさん、大丈夫?」といわれた。
こういうことにまったく心の準備がない方が、不覚なのだね。
帰宅してみたら、カメラは三回、ぶつかった音がしたのに、三脚を立てる底の面に擦り傷がついていた。
「おじょうさん」と言われるより100倍もマシだけれど。
一夜あけて、思いついた。
スーツとか、いい洋服を着てると言われないんじゃないか・・・まあ、悪あがきですけど。
なつかしい~痛みだわ~♪
携帯を新しいのに代えた話は、さきに書いたが最近の携帯は(多分、老人向けだろう)文字が大きい。それはよしとして、着メロのダウンロードの仕方は相変わらずわからない。
69年~71年までの曲しかダウンロードできない。
やっと「スイート・メモリー」と「レイラ」を落としたが、モーツアルトなんかどこにあるのか。
この電話は、さらに間違えてカメラがない。
それも買ってから気がついた。
Sep 07, 2005
黒星四つ。★★★★
接木を10本やって、全然着かないので原因を考えていたら、ペットボトルで密封したところを、水やりの時にあけたのがいけなかったらしい。そういうことを、台木をわけてくれた椿の専門店にメールで報告した。
すると「接木後の管理のしてはならないことをしてしまいましたね。」という返事が来た。
この書き方はこわい。
主は気難しいとは思っていたが、それは当たりだ。
接木はまだ葉がついているのがあるが、やっぱり駄目だろう。
流通している椿は、全体の4割だそうです。
流通していないものを、接木をして、みなさまにプレゼントできるまで楽しみにおまちください。
遅い訃報
宮沢賢治賞というのがあって、それを受賞した小林敏也さんという方は、大変無口な方で、お酒をがやがや飲んでいてもひっそりとしていた。そんなふうだから、本郷の出版村界隈では「失語症の敏也さん」と言われていた。
わたしは敏也さんのファンで、足立さんと画本のサイン会に行ったことがある。
足立さんは忘れちゃってるかなぁ。
わたしは、そういうことで出歩くというのはめったにないのだ。
そのときに、敏也さんと仲良しの「画伯」とよばれるみるからに、居丈夫な貝原浩さんがいた。
とても仲が良いらしく、飲むときに何回か同席した。
画伯はわたしの知っている女性だけの出版社で、本の表紙などを描いていたが、生活はさながらボヘミアンで南米に行ったり、チェルノブイリに行ったりしていた。
それを知るくらいで、わたしは喘息と心中しそうになっていたからお付き合いは皆無になってしまった。
思い出したように、今日はそこの編集長に電話をかけた。
話はそちこちいったが、「画伯死んだの知ってる?」と唐突に言われた。
一応、新聞各紙に出たんだけど。
居丈夫だったのだ。
「癌だったの。」
胸に突き上げるものがあった。
画伯の絵が、家の階段の突き当たりに飾ってある。
いつもそれを見ていたから、「実際の画伯より親しく思えるみたい」と言った。
彼女は、最後まで付き合ったと言う。
それを聞いただけで少しほっとした。
画伯は飲むと、よく「ポランの広場」を歌った。
ひとなつっこい笑いが、魅力的だった。
敏也さんは友人を失ったのだ。
*敏也さんの画本は、ここで知った。
書評を書けば本をあげると言われたので、早速書いたのでした。
台風お見舞い
今度の台風は大きいですね。TVを見たら本州がすっぽりはいっちゃう。
最近の地震といい、なんだか自然がどんどん人間に報復してきてるみたいです。
セナと散歩をしていました。
彼は腎臓が悪いので、大量にお水を飲みます。よっておしっこもたっぷり。(笑)
台風で人がいない、久しぶりにのどかな松林にいきました。
台風が来るので(?)チェンソーで木を、切ったりしていました。
セナは最近で一番のびやかに、草とたわむれていました。
最近は、公園に水飲み場がしっかりあって、セナのような病気持ちはたいそうたすかります。
怖いもの見たさに、カメムシが大量発生するマユミも、見ましたが、小さいのもざわざわいて、びびった。
Sep 06, 2005
なんとなく具合が悪くて、店じまいを。
なんとなく具合が悪くて、店じまいを考えてしまっていました。風邪のようでもあり、喘息のようでもあり全然すっきりしないのです。
四則転々。
今のところ、わたしにとって、文章を書くというのは虚しいものです。
さらにセナが、階段を飛び上がれなくなったり、腫瘍がつかめるほどの大きさだったり失禁をしたり、ぐらぐらの歯が、また一本増えているのを見ると、もうこちらが小さくなってしまう感じです。
夜におじさんが、電話をくれました。
「ぺこちゃん、セナの写真アップしたでしょ?」
「うん」
「あれ見て、おれ泣きそうになっちゃったよ」
毎晩セナの寝息を確かめずにはいられない、わたしも、かなり泣きそう。
新しいお札にまだなじめない。
新しいお札にまだなじめない。伊藤博文が一番高いというのが気にくわない。
この順番が、納得いかない。
お札を出すときいつも、「なんか違うよなー」と思うのだ。
最後に、どうしてこの三人なんだ!と思えて困惑する。
みほちゃんと話したこと。
みほちゃんと、いっぱい話した。みほちゃんは、なかなかの有名人だった。
かっこよくて、皮のパンツなんかで京都の町をバイクで走っていたりした。
木屋町にロックのお店を持っていた。
ペルシャ猫を、何匹も飼っていて「ぺこあげるよ」と言ってくれた。(猫アレルギーなのに)
最後に会ったとき、「三保の松原」に連れて行ってくれた。
同行した友人たちは、京都マラソンに出ると言ってそこを走っていたのに、わたしは喘息で薬まみれのうえ、途中で苦しくなってしまった。
「いっぱい薬もってきたね」と、みほちゃんは言った。
すごく時間がたっているのに、そんな気がしなかった。
そしてわたしが、薬の副作用で太ったことを言ったら「かわいそうやわぁ」と言った。
理解者がいた、という感じだった。
最後に、周り中「うつだらけ」という話になった。
「ほんとに、そうだね」とわたしは言った。
でも、二人でけらけらと、話した。
本当に久しぶりで嬉しかった。
Sep 04, 2005
最近のスープは。
最近、家でつくるスープは、セナの残り物。ササミをゆでた出汁に、ザーサイの千切り、カキタマゴをいれるだけ。
とくに手を加えなくても、おいしいスープになります。
ササミはうんと冷やして、セナのドッグフードの、振りかけにします。
でも、わたしは料理が、すきとはいえません。
「先生、セナは一ヶ月じゃないよ」
毎週、点滴に行ってセナの余命は一ヶ月といわれた。が、セナは元気だ。
「一ヶ月じゃないよー」とわたしはドクターに言った。 レントゲン、採血もろもろをしたあと、左側に転移した腫瘍は一週間で一センチも大きくなっていた。
悪性の「肥満細胞腫」。
よく見えても、臓器に転移したらとても、様子が変わります。
「・・・・」それを考えていなかった。
今週末から抗がん剤を使う。点滴をして、臓器の状態をコントロールしながら。
セナが日に日に小さな生き物に、見えてゆく。
ステーキも食べようね。
大きな人間も非力だ。
http://www.p-well.com/health/clinic/dog/dog-himansaibou.html
Sep 03, 2005
母のところへ本を取りにいった。
風の又三郎に出ている木ペン、鉛筆、炭という筆記用具が何なのかを知りたかったので、母のところにおいてある本を取りに行った。草取りを手伝うという約束もあったので、午前中に出て行った。
賢治の研究家の天沢退二郎氏は、家の近所なので保育園や、スーパーやいろいろな場面であっているので、ちょっと寄ってみたくなった。
覚えていたのか、定かではないが、わたしは友人に馬鹿にされながら、朝カルにも行き、電車をご一緒したり、テープもお借りしたことがあったのだった。
「来年の3月に、宮沢賢治学会の会報がでるんですか?」いうと「そうです。審査会もあって、それから」と言われた。
これを聞いただけでわたしは、くじけた。
駄目だ。
そして「木ペンは鉛筆」のことと言われた。
また、くじけた。
そうそうにご挨拶し、家に行くと母が「あそこはアパートになったんじゃないの?」・・・・・こういうとこ、体調不振を、訴えつつもかなりミーハーな母なのです。
家では、炎天下の草むしりになりました。
草をむしりながら、「これは救助しなければいけない」と思ったのは、背の高かったヒメシャラの枝が切り取られていたからでした。
ツツジもウケザキオオヤマレンゲも、ひどい水不足です。
草むしりどころではなく、水撒き大会になりました。
母にやれというのも無理なのですが、半分は怒。
取り返したのはキョウガノコ。んー。
Sep 02, 2005
近くの他人。
仕事をやめると、旧交を温めたくなるということか、へっぽこさんに親しくしていただいていたのに、最近は音沙汰がない。近くの他人は一番気楽で、頼りになるのに。(ぼそっ)
追伸。 動物好きなへっぽこさんへ。
グールドは読みましたか?
御茶ノ水博士の原型は、テングザルではないでしょうか?
人生いろいろですが。
金曜に先輩から電話があった。左遷されて九州にいる、友人の電話番号を教えてほしいとのことだった。
「よろしく言ってね」と伝言した。
「会えたら電話するよ」
なにやらふたりで、べろべろになって電話したらしい。着信記録があった。
折り返して電話をすると、またべろべろだった。
「もう帰ってきてるよ。」といい話してたら、「組合」の大会にでたようだ。
「でね、○千人の前で喋ったの」酔ったついでの、白状みたいだった。
「恥知らず!」とわたしは言った。
この先輩は、身障者の施設で働いていた。
入所者の待遇改善要求や職業病の労災認定など、わたしの知る限りでは、とてもがんばっていた。
そのストレスがたたって、彼はほとんどアル中である。
施設の宿直を、手伝いに行ったとき、わたしはタイヤキを50個持っていった。
ひとつずつ配って、お礼を言われた。「タイヤキなんて何十年ぶりだろう」そうため息をついた人がいた。
重かっただけではなく、涙がでた。
今度の選挙はこういう思いを、みなつぶしてしまいそうだ。
左遷されて九州にいる友人は
ようやく、つかまった。
彼らと見に行った、映画は名画が多い。
一度、文芸座で溝口健二の映画を見ていた。
仲間は立ち見だった。
すると、すぐ前の席があいたのだ。
「ぺこちゃんいけよ。」、一番背の低いわたしはおずおずと着席した。
するとまもなく異臭がした。
右の席の人だ。
わたしは、耐えた。耐えたが、耐えられなかった。
もどると「どうしたの?」と聞かれた。
映画館で失礼だから、喋らなかった。
すると、「第三の男」が、餌食になった。
そして5分とたたないうちに たちあがった。・・・・・という話をしたら。すかさず
それ覚えてるっ!だって。
人ってつまらないことを覚えています。
ほっとしたことがあった。
S君が、電話をくれた。友人の中では、かなりピュアな男だ。
だから大変なこともある。
行方がわからなくなったと言ったのは、職場を変えたからだった。
何しおう働き者だったが、会社は使いがあらかった。
それでもきちんと働いていた。
「どんどんリストラしていく立場になってさ。そうしてひとりひとり話していってさ、そうしたら、そんなとこ居たくないって思ったんだ。」
「・・・・・」
言ってくれますねえ。
で、今はディズニーランドなんかの、お弁当の配送を夜しているという。
暴走族みたいだったお父さんは、亡くなったらしい。
母上は奈良にひとりで暮らしている。
「ぺこのサイトはどこだあ?」
「みんなウソばっかりだからね。」
みんなが見たら書けなくなるよ。わは。
サイトの所在を教えたあと、「いつまでも友達でいてね」と、わたしは言った。
彼は、「ありがとう」と気持ちのよい言葉をくれた。
実は大発見をして、宮沢賢治記念館とやりとりを。
宮沢賢治にかんして、大発見をした。この季節の話なので急いで、へたな原稿を送った。
すると、のんびりした声で「次号は3月になります」と言われた。
発見は「風の又三郎」についてだが、頭の中には、二十年くらいあった。
間違いないと思ったのは、鱗造さんとのチャットと、賢治の書いた植物を写真に撮りだしてからだ。
するすると謎がとけて、わたしは興奮した。
そして近所に住む研究者のところに、たずねていってしまった。
彼ははっとしたような顔で、資料を請求し「書いてください」と言った。
「季節感が重要な鍵だから、この季節にのせてくんないかなー。」
ちょっとだけぼやいた。
「いや、そうはいきません」賢治の童話に出てくる、官吏のような答え方だった。
校本の全集は家に置きっぱなしで資料は読めなくて、青空文庫に助けられた。
来年の春にのったらおなぐさみ。それまでは内緒。
Sep 01, 2005
アサガオのこと早書き。
原産はチベット、中東アジアと言われているが、定説はない。我が国では平安時代に遣唐使が薬用として種を持ち帰ったものが初めとされる。和漢三才図絵には4品種が紹介されている。
一年草の植物とされているが、挿し芽で増やすことの出来る、多年草のものもある。
もともと薬用として用いられていたものを、鑑賞用として江戸時代から変わり咲き種が開発されていった。下剤、利尿、駆虫、むくみに効果があることが知られている。
中国名は牽牛。その名の由来は「牛を牽いて交易していたから」と古文書に記されている。中国に伝わって来た当初種の運搬に牛を牽く程貴重なものであったと推察される。
また、その開花の時期が七夕とも重なっており、花を牛に牽かせて売り歩いたという。
これも、古名「牽牛種」(種)・「牽牛花」(花)たる所以でもあるのだろう。
朝顔は七夕のころ開花するため牽牛子といい中国から輸入された。
[牽牛子塚古墳]. どうやら形が牽牛子花(朝顔)に似てるかららしい 。
説話として秀吉が珍しいあさがを見に行くと、利休邸では全部摘まれていて床の間の一本だけが咲いていたとか、江戸時代には武家の内職だったとか。
付き合いが長い花はエピソードがたっぷりです。
せんだって書いた「ヘブンリーブルー」という洋種アサガオは、曽野綾子(!)の「天上の青」にも書かれています。青いアサガオが流行しているのは、そんなことから。
http://mg.biology.kyushu-u.ac.jp/mg-files/woodprint/asagao-so/index.html
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http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index94/index.html
協力、お友達のらごさん。