Nov 30, 2007
冬のバス
ブログ、、、何故書いてるのだろうと時々思う。外へ向けて発信することの意味を見失い、また拾う。拾うときは「あ、夕焼け・・」と呟いたときに返ってくるやさしい言葉みたいに嬉しい。
「閉ざされた日記」も当然ある。
自分の言葉で自分へ問いかけながら息継ぎをするような休息。
「わからないから、書きながら考える」ことも大きかった。
それは内部に向かうときもあれば、助けを求めるごとく外へ向けられた ときもあった。
書いてしまってから、それがいつまでも露出しているようで恥ずかしくて、消し始めるとキリがないようだし、仕方ないから上塗りしていることも多い。
そういえば「恥の上塗り」っていう言葉があるけれど、辛辣だと思う。それって身につまされる。
上塗りでもいいから、外に向かって発信しようとしているうちは、 まだそれだけの元気がある。くしゃくしゃの頭でも少しは手で整えてから「外面をつくる」みたいに。そんなエネルギーがどこにもないように 思えるときは「閉ざされた日記」を開く。そこにもちゃんとタイトルがあって、くしゃくしゃのあたまとからだを慰めてくれる。
元気がないときは静かにしているのがいいと思う。
でも、歩けるなら外へ行きたい。
たとえば遠くへ連れて行ってくれる冬のバスに乗り込むみたいに。
Nov 26, 2007
再会
退院した長女と会ったのは三回目。一週間に一度は外来受診に来る。
最初は、彼氏と一緒に病院に来て、その帰りにわたしの仕事場に 寄ってくれた。
二度目の受診はわたしが付き添った。
足の怪我も顔の傷も日毎に回復しているようだ。
そしてようやくみんなの都合があって退院祝いをした。
長男も、もちろん長女も、大学一年生の次女も、それぞれが恋人を 連れてきて和やかな集まりになった。
「よくがんばったね」と乾杯して小さな花束を渡した。
『視力さえ戻っていれば・・・』と誰もが思ったに違いない。
でもとにかくこうしてみんなで食事ができることの嬉しさと安堵を、 共通の思いとして感じていた。
本当は正社員試験を受けた長男の合格祝いも兼ねるはずだった。
バイト、契約社員、と進んできて夜遅くまで働いていたから、 まさか落とされるなんて、わたしは夢にも思っていなかったのだ。
その息子は、「初対面ばかり」で緊張気味の次女の彼氏に何かと話しかけリラックスさせていた。息子の彼女はわたしと長女へプレゼントを 買ってきてくれた。
幼かったこどもたちの成長を見られて、 やはりほのぼのと嬉しい日だった。
思いがけない事故も、思いもよらない不合格もあるけれど、
若いひとたちには必ず美しい未来がある、そう信じても良いのだと思った。
帰宅したら、猫が、こんな顔で待っていた。
Nov 25, 2007
静かな石(意志)
「読んだつもり」でいたけれど、読んでいなかった小説に時々出会う。確かに読んだのに、まったく覚えていなかったりするのもあるし、 記憶自体が曖昧になっている本もある。
宮沢賢治の短編、『気のいい火山弾』を最近、読んだ。
以前にも読んだと思う(手元にあったから)、でも軽く読み飛ばしていたのかもしれない。賢治さんを「軽く」読み飛ばしてしまうなんて、、!
その大きな黒い石はまるくてかどがない。
いつも静かにじっと座っていて、みんなにからかわれながらも、ゆったりと受け答えして過ごしている。
深い霧がたちこめる日は空も野原も眺めが悪いので、他の石たちはその まるい大きな石をからかって過ごすのだ。
「べゴ石」と鈍重な牛に例えて名を呼ばれながら、長いこと座り続けている。
石が好きだった賢治らしい作品だと思う。
「愚かに見える賢者の話」と解説されている。
大きな石は最後に大学の研究者に発見されて、「素晴らしい!」と絶賛され「火山弾の典型的な標本」として運ばれて行く。
からかっていたかどのある石たちは、ため息・・・。
黙ってにこにこしていた石はやがて「皆さん、ながながお世話さまでした」と挨拶をして荷馬車に積まれる。
みんなの揶揄に耐えてきたその石に救済があったようにみえるのだが、 「わたしの行くところはここのように明るく楽しいところではありません」と言い残して去っていく。「私共はみんな、自分でできることをしなければなりません」という言葉にすべてが表れている。それがメッセージなのだと思った。
Nov 23, 2007
年老いて、、、。
親戚の家の愛犬に会いに行った。年老いて、もう自力では立てない。
あんなにふかふかの毛並みで元気だったのに、
痩せて、目もよく見えないらしい。
「会いたい」と母が、すごく心配して言うので、
いま会わせなければ間に合わないかもしれない・・と思って、 母を連れて行った。
この犬が若くて元気だった頃のことを思い出す。
父が生きていた頃のこと・・・。
きっと母も同じ思いで犬と再会したのではないだろうか。
あんなに動物が苦手で、大嫌いだった母。
小さかったわたしは叱られると知っていながらよく捨て猫を拾ってきたものだ。
時を経て、わたしが自室で飼い始めた猫を父はそっと触りにきたりした。いつの間にか、猫は我が物顔で家中を歩くようになり、知らぬ間に 母はすっかり猫や犬に慣れていた。
犬や猫、、、近しいペットたちに慣れて可愛がるようになった母を、 父は穏やかに見守っていたと思う。
触れる手のあたたかい感触を、犬や猫は、優しく記憶するのだろうか。
Nov 19, 2007
この空の下
車窓から写した雪景色が、友人からの携帯メールで届いた。用事で週末に上京していた。
今回は会わずに今日、金沢へと帰って行った。
「いま越後湯沢だよー」という文が添えられていた。
雪・・・・!
東京も木枯らしが吹いて、寒かった。
夕方、今度はべつの友人からメールが届く。
そう、わたしは彼女からの話に真剣に耳を傾けていたし、
今日の報告も待っていた。
そして、予想外の知らせを受け取った。
わたしのことを「姉ちゃん」と呼んでくれる少し若い友人。
「自己嫌悪」という文字に胸が痛み、「自分を責めないで」と、
いそいで返信した。涙で携帯を見つめているらしい・・池袋の街で。
「雑踏の中でひとりくらい泣いていても大丈夫だ、気にするな。」
駆けつけて、抱きしめてあげられたらいいのに、、、。
それもできないで、暗くなった窓の外を見た。
わたしたちは、それなりに歳を重ねてまだこれからも重ねていくだろう、 女たち。。。
金沢に帰った友も、昔から妹みたいな存在だった彼女も。
そして季節はまた秋から冬へと移って行く・・・この広い空の下。
Nov 14, 2007
小春日和
「薬物乱用頭痛」という嫌なパターンがちらつく日々。ストレスは雑木林みたいにざわざわしている。
ホッとする休みに雑用を片付け、(自習もする)つもりでいたのに、 体調が悪くて何も出来なかった。
わたしが家にいると猫は満足そうに近くで寝ている。
彼の好きな枕でまるくなったり、わたしの掛け布団の上で(しかも真ん中で)ぐっすりと眠っていた。
最近、小池昌代さんのエッセイを読んだ。
小池さんの詩は大好きだ。エッセイもすてきな文章で巧みだった。
タイトルは「黒雲の下で卵をあたためる」。
ギュンター・グラスという詩人の作品からとっている。
不穏な黒い雲が頭上にあっても、おっとりと卵を抱いている雌鳥。
黒い雲は流れていくだろう、わたしにも温めるための卵はあるだろうか。
小春日和の一日、青い空をちらりと眺めながら黒い雲のことを考えていた。
Nov 05, 2007
勉強不足
「往復書簡」の意味するところは何だろう・・・?その哲学者に対する敬愛は、あったと思う。
でも、わからない。
だって300通あまりというその手紙を読んでいない。
まとめられた本があるらしいがそれも読んでいない。
なんだか話にならない気がする。
自分で調べたわけではなくて、誰かが調べたものを参考にしているから 『不正確』は当たり前だ。
参考文献をきっちり読んで「これを参考にしました」と胸をはって いえればいいのかもしれない・・・しかし、時間が足りなかったな~。。。と、言い訳も頭をよぎる。
勉強不足を認識する、ということは、 勉強する機会を与えられたことに気がつきそのチャンスを獲得することだ。さあ、いまの自分にそれができるかどうか・・。
それにしても、偉大な作家だったと思う。
わたしがあなたの年譜作成する大役を受けてしまいました、ごめんなさい、と こころのなかで謝りながら途方にくれて今日も日が暮れた。
60代、70代、の二人が交わした手紙。たしかに読んでみたい。
でも本人たちは読まれることをどう思うのだろう。
後々、公開されるとは思っていなかったのではないだろうか。
Nov 03, 2007
仕事。。。
「行きたくないなー」という気持ちがどこかにあるからか、支度のスピードが鈍く、ギリギリで職場に到着。
祝日なので朝から忙しくパタパタして、ようやく行ったトイレの鏡で 自分の顔を映して「ありゃ」っと思った。
来る前に慌しくシャンプーしてきたので髪がピンピンとハネている。
こんな顔で挨拶したりバイトの学生さんと話したり、ニコニコしていたのか。。。
人は自分が気にするほど相手の髪型などには注意を払わないものだとは 思うけれど、やっぱり。。。。
前はヘアワックスをポーチに入れていたけれど、なるべく持ち物を 減らすようになったので最近は持っていないことを少し後悔して、
水で濡らしてどうにか少し直してから諦めて席に戻った。
控え室で休憩中のガードマンさんから呼ばれる。
何かと思ったら「今日は○○さんじゃないと思ってこれ持って来ちゃったからあげる」とココアのスティックを貰う。
わたしは控え室に自前のインスタントコーヒーを置いて自由に使って 貰っているので、「コーヒーが嬉しいから」と言ってくれた。
そのガードマンさんに「でも、わたし突然いなくなるかもしれないです」という話をした。
「辞めたいの?」「ハイ、ちょっと・・・」
という会話のあと、「無理しないほうがいいよ、肉体的な疲労よりも 精神的な疲れのほうがきついんだから」と言われた。
つい最近もわたしの前にいた女性(辞めて他へ行った)とメールの やりとりで「無理しないほうがいい、必要な我慢とムダな我慢があるんだから」と言われて妙に納得したところだった。
あまりに大変だったらここの仕事は辞めて、また探そうと思う。
事実、少し探し始めてもいる。
でも、ようやく覚えた仕事だから、対人関係だけで中断するのも、 もったいない気がするし・・。
それにこうしてわたしの立場に同調してくれる人に出会うとホッとして「もう少しがんばろうかな」という気持ちにもなったりする。
仕事
「行きたくないなー」という気持ちがどこかにあるからか、支度のスピードが鈍く、ギリギリで職場に到着。
祝日なので朝から忙しくパタパタして、ようやく行ったトイレの鏡で 自分の顔を映して「ありゃ」っと思った。
来る前に慌しくシャンプーしてきたので髪がピンピンとハネている。
こんな顔で挨拶したりバイトの学生さんと話したり、ニコニコしていたのか。。。
人は自分が気にするほど相手の髪型などには注意を払わないものだとは 思うけれど、やっぱり。。。。
前はヘアワックスをポーチに入れていたけれど、なるべく持ち物を 減らすようになったので最近は持っていないことを少し後悔して、
水で濡らしてどうにか少し直してから諦めて席に戻った。
控え室で休憩中のガードマンさんから呼ばれる。
何かと思ったら「今日は○○さんじゃないと思ってこれ持って来ちゃったからあげる」とココアのスティックを貰う。
わたしは控え室に自前のインスタントコーヒーを置いて自由に使って 貰っているので、「コーヒーが嬉しいから」と言ってくれた。
そのガードマンさんに「でも、わたし突然いなくなるかもしれないです」という話をした。
「辞めたいの?」「ハイ、ちょっと・・・」
という会話のあと、「無理しないほうがいいよ、肉体的な疲労よりも 精神的な疲れのほうがきついんだから」と言われた。
つい最近もわたしの前にいた女性(辞めて他へ行った)とメールの やりとりで「無理しないほうがいい、必要な我慢とムダな我慢があるんだから」と言われて妙に納得したところだった。
あまりに大変だったらここの仕事は辞めて、また探そうと思う。
事実、少し探し始めてもいる。
でも、ようやく覚えた仕事だから、対人関係だけで中断するのも、 もったいない気がするし・・。
それにこうしてわたしの立場に同調してくれる人に出会うとホッとして「もう少しがんばろうかな」という気持ちにもなったりする。
Nov 02, 2007
退院
事故から二ヶ月以上、ようやく娘の退院が決まりました。ご心配いただいたみなさま、ありがとうございます。
車椅子がなくても松葉杖で少しは歩けるようになりました。
バランスのとり方、見えている範囲、、、。
心配はつきないけれど、「帰れる♪」と笑顔の娘と一緒に タクシーに乗って帰宅しました。
久しぶりの実家、自室。
事故の日に処置室のスタッフからわたしが受け取った所持品。
それを持ち帰って呆然と座り込んでいた日が昨日の事のようです。
しばらくは中を見られなかったけれど、
ようやく血のついた衣類を処分し、鏡の割れているバッグに そっと手を入れて貴重品を取り出して、あとはそのままになっていました。
自室から出てきた彼女は「良かった、これがあったよ」と言って
小さな林檎のペンダントをさっそく身に着けていました。
恋人からのプレゼントだったらしい。
「でも、五つつけていたピアスが四つしかない」
「あ、この香水は無事だったんだ」と、賑やかです。
そういえば、化粧ポーチらしきものがあったけれど、
入院生活には必要ないのでそのままバッグに入れておきました。
何種類ものマスカラ、ライナー、それらをまた別のバッグに移し替え、 バムセも入れて肩からかけ、
娘は恋人のところへ、夜になってから帰って行きました。
ありきたりの言葉しか思い浮かばないけれど、やはり、
「幸せになってほしい」と心から思わずにはいられません。
どれくらいメイクできるのかわからないけれど、娘なら大丈夫、きっと 「自分らしさ」を獲得すると信じています。
今度会うときを楽しみに待つことにします。
Nov 01, 2007
猫と眠る
わたしの猫は大きい。顔が小さくてカワイイが図体はデカい。
その猫は寒くなるとわたしの頭部至近距離で眠る。
以前は、顔の真横にいた。
眠る前は何気ないふりで足もとにまるくなっているくせに、
気がつくとものすごく近くにいて最初はびっくりした。
昨年、肩こりに効くというのでわたしは大きな枕を購入した。
肩こりに効果があるのかどうかは不明。。。
しかも枕カバーに困るくらいに大きい。
そしてこれを気に入ったのは、そう、猫だった。
ある日、ふと違和感を覚えて目覚めると彼(ネコだ、つまんないけど)が わたしの枕の空白スペースで熟睡していた。
寝返りをうつたびに猫がじゃまで困った。
「どいてよ」と頼んでも体を揺らしても、薄目をあけて動じない。
でも、冬が過ぎた頃、ようやくわたしの枕に飽きたのか、
新しい寝場所(作ってあげた)で、夜は寝るようになった。
昼間はあちこち寝場所を変えるが夜はそこに決めたようなので安心して、 わたしは猫のイビキを聞きながら本を読んだりしていた。
でも、やはり・・・!
寒くなってきたら、結局はわたしの顔の近くがいいらしい。
掛け布団の上や、押入れの毛布にいるときもあるが、
最終的にはわたしの枕。
わたしもだいぶ慣れてきて、大きな猫のお腹に顔をくっつけて 眠っている。
わたしは睡眠不足だと絶対に頭痛になるし、眠るために薬も飲む。
当たり前だけど眠りは大切だ。
先日、猫の苦しそうな息で目が覚めた。(大丈夫だったが、年寄りに なってきたし、心配した。)
わたしが寝苦しくなって夜半に目覚めると猫も一緒に目を覚ます。
笑えるのは、とりあえず先に眠る猫は枕のちょうど半分の スペースだけを使って大きいからだを小さくしていることだ。
こうして、居間でパソコンをしているあいだはそばの座布団にいる。
わたしが寝るしたくを始めるとアクビしながら、
「やれやれ、いっしょに寝てやるか」という感じで立ち上がるから やっぱり彼(ネコ!←雄)は面白いし憎めない。