Nov 30, 2007
冬のバス
ブログ、、、何故書いてるのだろうと時々思う。外へ向けて発信することの意味を見失い、また拾う。拾うときは「あ、夕焼け・・」と呟いたときに返ってくるやさしい言葉みたいに嬉しい。
「閉ざされた日記」も当然ある。
自分の言葉で自分へ問いかけながら息継ぎをするような休息。
「わからないから、書きながら考える」ことも大きかった。
それは内部に向かうときもあれば、助けを求めるごとく外へ向けられた ときもあった。
書いてしまってから、それがいつまでも露出しているようで恥ずかしくて、消し始めるとキリがないようだし、仕方ないから上塗りしていることも多い。
そういえば「恥の上塗り」っていう言葉があるけれど、辛辣だと思う。それって身につまされる。
上塗りでもいいから、外に向かって発信しようとしているうちは、 まだそれだけの元気がある。くしゃくしゃの頭でも少しは手で整えてから「外面をつくる」みたいに。そんなエネルギーがどこにもないように 思えるときは「閉ざされた日記」を開く。そこにもちゃんとタイトルがあって、くしゃくしゃのあたまとからだを慰めてくれる。
元気がないときは静かにしているのがいいと思う。
でも、歩けるなら外へ行きたい。
たとえば遠くへ連れて行ってくれる冬のバスに乗り込むみたいに。
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