Sep 25, 2009
別室
季節はめぐり、立秋をすぎました。少しだけ気分を変えて、「ふくろう日記・別室」を開きました。ご訪問をお待ちしています。しばらくはここをお休みいたしますが、鍵をかけることはありません。またここに書くこともあると思います。では、よき秋の日々をお過ごしくださいませ。
Sep 17, 2009
ベルギー幻想美術館
15日午後より、澁谷のBunkamura・ザ・ミュージアムにて観てまいりました。副題は「クノップフからデルヴォー、マグリットまで」となっています。大雑把に括れば19世紀末のベルギーの「象徴主義」の画家たちと言えるのでしょうが、それぞれの目指した絵画は、さまざまな主張と試みがみられます。フェルナン・クノップフ(1858~1921)
ポール・デルヴォー(1897~1994)
ルネ・マグリット(1898~1967)
フェリシアン・ロップス(1833~1898)
ジェームズ・アンソール(1860~1949)
ジャン・デルヴィル(1867~1953)
エミール・ファブリ(1865~1966)
レオン・フレデリック(1856~1940)
これらの画家の113点の作品は「姫路市立美術館」所蔵のものです。1983年(昭和58年)に開館したこの美術館は、開館以来、ベルギー美術品の収集に力を入れたのは、姫路市とベルギーの工業都市シャルルロワ市と姉妹都市関係にあったからです。ベルギーの近代美術史を語れるほどの作品が収集されているとのことです。
1830年に建国したベルギーの文化はフランスの影響を大きく受けていました。フェリシアン・ロップスは、パリで活躍した画家で、風刺画や本の挿絵を多く描くようになり文学者との交流を深めていきました。詩人シャルル・ボードレール(1821~1867)の「悪の華」の挿絵も担当しています。こうした文学者たちとの交流が多く見られるというのが、19世紀ベルギーの画家の1つの特徴と言えるかもしれません。
(多分、この絵ではないか?と思います。展覧会にはありません。念の為。)
*訂正。この表紙絵は「エドワルド・ムンク」の「マドンナ・1895年」です。失礼しました。
またジェームズ・アンソールの「キリストの生涯・32点組」のリトグラフ。あるいはポール・デルヴォーの「クロード・スパークの小説「鏡の国」のための連作・最後の美しい日々・8点組」のエッチングや「ヴァナデ女神への廃墟の神殿の建設・11点組」のエッチングなどもありました。
この絵画の時代的背景をみますと、19世紀後半から20世紀前半にかけてのベルギーは、本国の何十倍もある植民地(コンゴ)からの富が産業革命を加速させ、飛躍的な繁栄をもたらした時代です。その恩恵は芸術の世界にも及び、リベラルな若い実業家たちは新しい芸術を支えました。こうして芸術は宮廷文化から、裕福な階級の人間たちの文化に変わってゆきました。宮廷に庇護されることから、値踏みされる芸術の時代の到来と言ってもいいかもしれません。しかしながら皮肉にもその芸術の中身は、発展する近代社会における人間の疎外を表わすものともなったのです。
展覧会全体のなかで気付いたことですが、女性を描いた絵画の圧倒的な多さでした。それは美しい女性像であったり、あるいは世紀末の魔性の女性であったりと。。。これがベルギー幻想美術の1つの特徴です。
(ジャン・デルヴィル夫人・ジャン・デルヴィル)
(ヴェネツィアの思い出・フェルナン・クノップフ)
さらに産業革命は、19世紀後半のベルギーでは労働争議などが頻発していました。画家たちも労働者の現実に目を向け、それを題材にした作品も描きました。
(チョーク売り・レオン・フレデリック)
絵画のみならず、あらゆる芸術は、その時代背景(戦争、経済など。)を如実に表わすものであることをわすれてはならないでしょう。
Sep 15, 2009
オルフォイスへのソネット・・・メモ3
順不同ではありますが、このソネットのなかで何度もわたくしが立ち止まった「第二部・24」について書いてみます。冒頭からは大分飛んでしまいますが、もともとソネット全文について書くつもりはありませんので、気付いたことから書いてゆきます。ちなみにドイツ語は全くお勉強したことはありません。赤子と同じです。翻訳者の註解を頼りにしつつ、反面ナマイキにもそれらを疑ったりしながら読んでいます。だって翻訳者同士の解釈の異論が錯綜するのですから、最後の決断はこの未熟な読者のキッパリ(?)とした判断しかないのです。
* * *
《第二部・24》
おお この歓び、つねに新たに やわらかな粘土より!
最古の敢行者たちにはほとんど誰も助力しなかった。
にもかかわらず、街々は祝別された入江にそって立ち、
水と油は にもかかわらず 甕をみたした
神々を、まず大胆な構想をもって、私たちの描く者たちを
気むずかしい運命はまた毀してしまう。
だが神々は不滅の存在。見よ ついに私たちの願いを聴き入れる
あの神の声が 私たちにひそかに聴き取れるのだ。
私たちは 幾千年も続いてきたひとつの種族――母であり父たちであり
未来の子によってますます充たされてゆき、
のちの日にひとりの子が私たちを凌駕し、震撼させるだろう。
私たち 限りなく敢行された者である私たちは、何という時間の持ち主なのだろう!
そしてただ寡黙な死 彼だけが知っているのだ、私たちが何であるかを、
そして彼が私たちに時を貸し与えるとき、何をいつも彼が得るかを。
(田口義弘訳・「オルフォイへのスソネット」河出書房新社)
ゆるく溶かれた粘土からうまれる歓喜、たえずあらたなこの悦び!
最古のころの敢行者を助けた者はほとんどなかった。
街々は、それにもかかわらず祝福された入り海にうまれ、
水と油は、にもかかわらず甕をみたした。
神々を当初われらは大胆な構想をもって設計するが
気むずかしい運命がふたたび砕いてしまう。
しかし神々は不滅だ。ついには望みをかなえてくれる
あの神々の声音を盗み聞くがよい。
われらは何千年を閲した種族。母たち そして父たち、
未来の子によっていよいよ実現せられ、
ついには、いつか、その子らはわたしたちを超え、わたしたちの心をゆるがす。
限りなく賭けられたもの、なんとわれらの時は広大なのか!
そして無言の死だけが、わたしたちがなんであるかを見通し、
わたしたちに時を貸すとき、なにを獲(う)るかを知っている。
(生野幸吉訳「世界の文学コレクション36・リルケ」・中央公論社)
* * *
恐れもなく自己流解釈をします。「粘土」という言葉からは、当然神が人間を粘土から作り賜うたというものであるという前提はあります。「祝別された入江」あるいは「祝福された入り海」というところからは、人間の集落は必ずと言っていいほど、水辺から始まったということ(これはわたくし自身の永年の確信犯的発想です。)に繋がってゆくようです。そこには粘土で作られた家、それから甕、そしてそこには水も油も満たされている。人間のいのちはそこで「幾千年も続いてきたひとつの種族」となっていくのでしょう。そして「未来の子によってますます充たされて」あるいは「未来の子によっていよいよ実現せられ」人間社会は連鎖してゆきます。ですが気むずかしい神の手によって毀されることもある。人間が堕落した時の神の怒りでしょう。こうして人間は生きながらえてきました。「何という時間の持ち主なのだろう!」・・・と。人間のいのちには限りがありますが、それを連結してゆくことは可能です。時間はこのように神から人間に賜ったものではないか?このような解釈ではいかがなものかな?(←最後は気弱だなぁ。)
《付記》 生野幸吉訳を追加しました。
Sep 11, 2009
オルフォイスへのソネット・・・メモ2
ふたたび冒頭の「第一部の(1)」の4行について、お2人の邦訳を並べてみました。
すると一本の樹が立ち昇った。おお 純粋な超昇!
おお オルフォイスが歌う! おお 耳のなかの高い樹よ!
そしてすべては沈黙した。 だが その沈黙のなかにすら
生じたのだ、新しい開始と 合図と 変化とが。 (田口義弘訳)
そのときひともとの樹が生い立った。 おお純粋の昇騰!
おおオルフォイスは歌う! おお耳のなかに聳立(そばだ)つ大樹!
そしてすべては黙っていた。そして沈黙のうちにさえ
あらたな開始、合図、変化が起きつつあった。 (生野幸吉訳)
「メモ1」では、先走りの解釈をしてしまったようですので、改めて書いてみます。まず「オルフォイス」の歌声あるいは竪琴の音色だろうか?それによって、1本の(ひともとの)樹が超昇(昇騰)するのですが、これは耳のなかに聳立つ樹なのでした。あくまでもここでは聴覚の段階です。しかしそこには沈黙もあり、その対比のなかで、なにかが起きるであろうという予感です。大変すぐれたプロローグとなっています。「うつくしい耳鳴り」と言ったら叱られるかな?
《追記》
過去ログを検索しましたらリルケの「若き詩人への手紙」について書いた日記が出てきました。リルケに拘り続けた原点をみつけたような気持でした。
Sep 10, 2009
オルフォイスへのソネット リルケ ・・・メモ1
翻訳:田口義弘
この詩集の初めには「ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる」と記されています。
このソネットは「ドゥイノの悲歌」が書かれた時期と大分重なっているようです。ただし「悲歌」のように第一次大戦などの大きな障害のなかで、ペンが進まず10年の歳月がかかったのに比べて、比較的順調に書かれたようです。このソネットに大きな影響を与えたものは、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」でした。この詩は手書きで紹介するのにはあまりにも長いので、ここにリンクさせていただきました。この翻訳者の方は存じ上げませんが。リルケはこの詩を独訳していますが、この「海辺の墓地」との類想と対峙が「オルフォイスへのソネット」にはみられます。
このポール・ヴァレリーの詩は、堀辰雄の「風立ちぬ」のなかで引用されている1行「風立ちぬ いざ生きめやも」でも有名な詩ではありますが、どうもこの1行だけが1人歩きしているような気がします。
「ドゥイノの悲歌」のなかで呼び出される「天使」は、彼岸でも此岸でもなく、この大きな統一体に凌駕するものとして存在しましたが、この「ソネット」のなかでの「オルフォイス」は、神話のなかに登場する比類なき楽人のことです。神ではありますが、絶対化されていながら、無常な一個の人間としての姿も見えてきます。
冒頭の4行は・・・
すると一本の樹が立ち昇った。おお 純粋な超昇!
おお オルフォイスが歌う! おお 耳のなかの高い樹よ!
そしてすべては沈黙した。 だが その沈黙のなかにすら
生じたのだ、新しい開始と 合図と 変化とが。
・・・・・・とはじまります。そこから第一部(1~26)第二部(1~29)の55のソネットが続きます。この冒頭の4行から予感されることは、1本の樹が立ち「昇った」という邦訳から、地上にこの1本の樹が在るということは、葉が繁り、花が咲き、果実が実り、ということは地下に眠るさまざまな死者からの「押しあげ」ではないか?と言うことです。梶井基次郎の「桜の樹の下には」なども思い出されます。
この「オルフォイス」はかなりポピュラーな神であって、絵画、オペラ、彫刻、戯曲、バレエなどなどさまざまな分野で表現されています。わたくしの古い記憶を辿れば、映画「黒いオルフェ」もそれだったと思います。
では序章はここまでと致します。
(2001年・河出書房新社刊)
Sep 06, 2009
若き女性への手紙 リルケ
「リルケ」と「リーザ・ハイゼ」との往復書簡は、1919年「ベルサイユ条約」調印式によって、第一次世界大戦が終息した時期の1年前の1918年から1924年まで続きました。「リルケ」はスイスにいましたが、「グラウビュンデン、ソリオ」「ロカルノ(テッシン)」「チューリヒ州、イルヘル、ベルク館」「ヴァレリー州、上ジエル、ミュゾット館」と次々に住いを変えていますが、「リーザ・ハイゼ」からの手紙はもれなく届いているようです。最後の「ミュゾット館」において、1914年以来中断されていた「ドゥイノの悲歌」が1922年に完成され、それと時期が重なるように「オルフォイスヘのソネット」も完成します。1923年、この2冊が「インゼル書店」から出版されます。
この往復書簡の始まりは「リルケ」の「形象詩集」を読んだ「リーザ・ハイゼ」が感動して、未知の詩人に手紙を書いたことから始まります。残念ながら2冊の本にあたりましたが、「リーザ・ハイゼ」の手紙は省略、あるいは簡単な説明があるだけでした。手紙好きの「リルケ」ではありますが、こうして未知の女性に真剣に優しい言葉を書き送るという厚意は稀有なことに思えます。若くして両親のもとを離れ、その後、夫はなく1人息子と共に真摯に生きようとする彼女(=自然を生きるということ。)への尊敬と危惧を抱きながら、送られた手紙でした。最終部分では「リルケ」はすでに病んでいます。
リルケの第1信ではこのように書かれています。『芸術作品と孤独な人間とのあいだに起こるこの欺瞞は、太古以来神の所業を促進するために聖職にある者が用いてきたあの欺瞞と相通ずるものがあります。(中略)ですから私の方でも、あなたに劣らず正確に立ち向かいたいと思い、ありきたりのご返事ではなしに、心に触れたありのままの体験をお話しようと思います。』・・・と長い時間をかけて続くであろう、この往復書簡の予感をすでに書いています。
最後の手紙は不安を残しているようです。これは「リーザ・ハイゼ」の転々と変わる境遇への不安、それを見届け、手を差し伸べることの出来ない「リルケ」自身への不安でしょうか?『あれほどに力を注いで素朴な、価値ある仕事をなさったあとで、謙虚に、しかしやっぱりなんらかの形で認められたいという純粋な期待を持ちながら立っておられるあなたには、偽りのものが語りかけたり、触れたりすることはできるはずがない――と思います。』
(1994年「世界の文学セレクション36」所収・中央公論社刊)
(翻訳:神品芳夫)
(平成19年・第62刷・新潮文庫「若き詩人への手紙・若き女性への手紙)
(翻訳:高安国世)
* * *
さてさて「リルケ」の追っかけ(?)がどこまで続くことか?我が書棚には、大作「オルフォイスへのソネット」「オーギュスト・ロダン」などが、どっしりと鎮座していますが。。。
Sep 05, 2009
音の歳時記
今朝の天声人語は昨日の天声人語の麻生太郎の「バッド・ルーザー」ぶりと、うってかわって、さわやかな話題でした。「詩の歳時記」などを続けている自分が恥ずかしくなりました。
「音の歳時記」 那珂太郎
一月 しいん
石のいのりに似て 野も丘も木木もしいんとしづまる
白い未知の頁 しいんーとは無音の幻聴 それは森閑の
森か 深沈の深か それとも新のこころ 震の気配か
やがて純白のやははだの奥から 地の鼓動がきこえてくる
二月 ぴしり
突然氷の巨大な鏡がひび割れる ぴしり、と きさらぎ
の明けがた 何ものかの投げたれきのつけた傷? 凍湖の
皮膚にはしる鎌いたち? ぴしりーそれはきびしいカ行音
の寒気のなか やがてくる季節の前ぶれの音
三月 たふたふ
雪解の水をあつめて 渓川は滔々と音たてて流れはじめ
る くだるにつれ川股に若草が萌え土筆が立ち 滔々た
る水はたふたふと和らぎ 光はみなぎりあふれる 野に
とどくころ流れはいっそう緩やかに たぷたぷ たぷ
たぷ みぎはの草を浸すだらう
四月 ひらひら
かろやかにひらひら 白いノオトとフレアアがめくれ
る ひらひら 野こえ丘こえ蝶のまぼろしが飛ぶ ひら
ひら空の花びら桃いろのなみだが舞ひちる ひらひら
ひらひら 緩慢な風 はるの羽音
五月 さわさわ
新緑の木立にさわさわと風がわたり 青麦の穂波もさわ
さわと鳴る 木木の繁りがまし麦穂も金に熟れれば ざわ
ざわとざわめくけれど さつきなかばはなほさわさわ
と清む 爽やか、は秋の季語だけれど 麦秋といふ名の
五月もまた 爽やか
六月 しとしと
しとしとしとしとしとしとしとしと 武蔵野のえごのき
の花も 筑紫の無患子の花も 小笠原のびいでびいでの
花も 象潟の合歓の花も うなだれて絹濃のなが雨に聴き
いる しとどに光の露をしたたらせて
七月 ぎよぎよ
樹樹はざわめき緋牡丹は燃え蝉は鳴きしきる さつと白
雨が一過したあと 夕霧が遠い山影をぼかすころ ぎよ
ぎよぎよ 蛙のこゑが宙宇を圧しはじめる 月がのぼる
とそれは ぎやわろっぎやわろっぎやわろろろろりっ
と 心平式の大合唱となる
八月 かなかなかな
ひとつの世紀がゆつくりと暮れてゆく 渦まく積乱雲の
ひかり 光がかなでる銀いろの楽器にも似て かなかな
かなかなと ひぐらしのこゑはかぼそく葉月の大気に
錐を揉みこむ 冷えゆく木立のかげをふるはせて
九月 りりりりり
りりりりり......りり、りりり......りりり、りり......り、
りりりり...... あれは草むらにすだく虫のこゑか それと
も鳴りやまぬ耳鳴りなのか ながつき ながい夜 無明
長夜のゆめのすすきをてらす月
十月 かさこそ
あの世までもつづく紺青のそら 北の高地の山葵色の林
を しぐれがさっさつと掠めてゆくにつれ 幾千の扇子
が舞ひ 梢が明るみはじめる 地上にかさこそとかすかな
気配 栗鼠の走るあし音か 地霊のつぶやきか
十一月 さくさく
しもつきの朝の霜だたみ 乾反葉敷く山道を行けばさり
さり 波うちみだれる白髪野を行けばさくさく 無数の
氷の針は音立ててくづれる 澄んだ空気に清んだサ行
音 あをい林檎を噛む歯音にも似て
十二月 しんしん
しんしん しはすの空から小止みなく 白模様のすだれ
がおりてくる しんしん茅葺の内部に灯りをともし 見
えないものを人は見凝める しんしんしんしん それは
時の逝く音 しんしんしんしん かうして幾千年が過ぎてゆく