Sep 06, 2009

若き女性への手紙  リルケ

Duino castello

 「リルケ」と「リーザ・ハイゼ」との往復書簡は、1919年「ベルサイユ条約」調印式によって、第一次世界大戦が終息した時期の1年前の1918年から1924年まで続きました。「リルケ」はスイスにいましたが、「グラウビュンデン、ソリオ」「ロカルノ(テッシン)」「チューリヒ州、イルヘル、ベルク館」「ヴァレリー州、上ジエル、ミュゾット館」と次々に住いを変えていますが、「リーザ・ハイゼ」からの手紙はもれなく届いているようです。最後の「ミュゾット館」において、1914年以来中断されていた「ドゥイノの悲歌」が1922年に完成され、それと時期が重なるように「オルフォイスヘのソネット」も完成します。1923年、この2冊が「インゼル書店」から出版されます。

 この往復書簡の始まりは「リルケ」の「形象詩集」を読んだ「リーザ・ハイゼ」が感動して、未知の詩人に手紙を書いたことから始まります。残念ながら2冊の本にあたりましたが、「リーザ・ハイゼ」の手紙は省略、あるいは簡単な説明があるだけでした。手紙好きの「リルケ」ではありますが、こうして未知の女性に真剣に優しい言葉を書き送るという厚意は稀有なことに思えます。若くして両親のもとを離れ、その後、夫はなく1人息子と共に真摯に生きようとする彼女(=自然を生きるということ。)への尊敬と危惧を抱きながら、送られた手紙でした。最終部分では「リルケ」はすでに病んでいます。


 リルケの第1信ではこのように書かれています。『芸術作品と孤独な人間とのあいだに起こるこの欺瞞は、太古以来神の所業を促進するために聖職にある者が用いてきたあの欺瞞と相通ずるものがあります。(中略)ですから私の方でも、あなたに劣らず正確に立ち向かいたいと思い、ありきたりのご返事ではなしに、心に触れたありのままの体験をお話しようと思います。』・・・と長い時間をかけて続くであろう、この往復書簡の予感をすでに書いています。

 最後の手紙は不安を残しているようです。これは「リーザ・ハイゼ」の転々と変わる境遇への不安、それを見届け、手を差し伸べることの出来ない「リルケ」自身への不安でしょうか?『あれほどに力を注いで素朴な、価値ある仕事をなさったあとで、謙虚に、しかしやっぱりなんらかの形で認められたいという純粋な期待を持ちながら立っておられるあなたには、偽りのものが語りかけたり、触れたりすることはできるはずがない――と思います。』

 
(1994年「世界の文学セレクション36」所収・中央公論社刊)
 (翻訳:神品芳夫)

(平成19年・第62刷・新潮文庫「若き詩人への手紙・若き女性への手紙)
 (翻訳:高安国世)

  *   *   *

 さてさて「リルケ」の追っかけ(?)がどこまで続くことか?我が書棚には、大作「オルフォイスへのソネット」「オーギュスト・ロダン」などが、どっしりと鎮座していますが。。。
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