Jul 23, 2006
遠いうた 拾遺集 石原武 (4)
これを書く前に、すこしだけ日本の「アイヌ」のことに触れておきます。これは石原氏の著書に書かれているものではありません。この著書を拝読しながら、ふっとわたくしが思い出したことなのですが、忘れがちなことですが、日本も当然のことながら単一民族ではない。大和の侵略によって狩猟民族だった「アイヌ」の人々は農耕民族になることを強いられ、アイヌ語から大和語に強制的に変えられ、かれらの神々の風習も影をひそめた時代を過ぎて、「アイヌ」の人々は「先住民族」であったことを裁判で国に認めさせたのだった。このことを忘れないでおきたい。
さて、アメリカに行きます。ここでは主にアメリカが関わったさまざまな戦争に、出兵したさまざまな兵士と、その家族にスポットがあてられています。アメリカの貧富の差の大きさ、その下層から兵士は生まれる。そこに視点をあてながら石原氏のペンは進められています。兵士として戦争に行った人々、殺し合いの代償としてなにがあったのか。負傷し、死者となり、家族は深い悲しみに落ちてゆくだけだ。世界中の母親は戦争で殺される息子を産んだのではないのだ。こうしたおびただしい犠牲者の上にアメリカという巨大な国は成り立っている。
昔からの雨 ボブ・コーマン
今日 昔からの雨が降るだろう 遠い空から
アブラハム・リンカーンが死んだ日に降った
雨のようにきっと白い雨だ
(中略)
マーティン・ルーサー・キングが死んだ日に
降った雨のようにきっと黒い雨だ
(中略)
昔からの雨はひそかな遠い空から降る
アメリカの大地へ 生き残るものたちへ
そしてきらきらアメリカを照らすだろう
アメリカは謎多き国である。
しかし石原氏は、ビリー・コリンズの詩「今日」やヘレン・クイグレスの詩「夕暮」を引用しながら、この章をこのような言葉で結んでいます。
『慎ましくも、美しいアメリカの感性を、私は信頼している。』さらに『アメリカがいかに横暴であっても、その裏側にあるこの懐かしい声のゆえに、どうしても敵になれない。』と。。。
さらに、石原氏は「宗教対立」に触れています。テロリストをテーマとしたパレスチナの映画監督アブ・アサッドの作品「すぐに天国」、ユダヤ移民として、アメリカを彷徨する詩人チャーレス・レズニコフの紹介などに続いて、ちょっとわたくしが愕然となったものは、「ファツワのサッカー」についてであった。これは、イラクでジハード(聖戦)に加わったイスラムのある若い運動選手は、国際的なルールによるサッカー競技を禁ずる「ファツワ」に洗脳されているということでした。彼が信奉するという「ファツワのサッカー」のあらましはちょっと長くなりますので、ここでは紹介できませんが、その「慈悲深い神の名において」と題されたものは十六章にも及ぶものです。これは西欧文明に対する敵意であり、異なる宗教間の埋めがたい深い溝のようでもあります。
また、イギリスのノーベル文学賞を受けた劇作家ハロルド・ピンターの受賞講演は、激しいアメリカ批判だったとも。。。「あとがき」は「石油からイネへ」と題されています。石油への欲望がいかに世界の人々の血を流したことかを、ここに付記されていらっしゃるようでした。この「あとがき」はさらにこの著書のはじまりに書かれた「村」にかえってゆくように思われます。
毎朝送られてくる情報をネットから掬い上げて、生々しい状況と文芸表現の有り様を考えることが日課となったと書かれていらっしゃる石原氏の言葉は、さらに弛まない渉猟を予感させるものでした。ここで四回に分けたわたくしの拙い感想を終わります。
(二〇〇六年・詩画工房刊)
Jul 22, 2006
遠いうた 拾遺集 石原武 (3)
さて四章では、石原氏は方向舵を変えて、渉猟はアイルランドのケルト人の哀歌にむかっていきます。これらはドルイド教からカトリックへ、さらにカトリックとプロテスタントという宗教をからめた民族紛争から生まれたようです。次にはエルサレムの永い怨嗟と報復の歴史(ここでも民族紛争)とそれらに関わる詩にふれて、さらにウクライナ、マケドニア、ルーマニア、そしてアフリカへと進んでゆきます。
その道のりは哀しい歴史とニュースと詩ばかり。。。わたくしの力では書ききれるものではありません。石原氏の弛まぬ渉猟に改めて敬意を表するのみです。作品数が多いので、これが適切かどうか迷うところですが、詩作品の断片をここに記してみましょう。翻訳はおそらく石原氏によるものでしょう。
緑を身につけて デオン・ボウシコール(ケルト)
おお アイルランドの仲間よ、
伝わってくるニュースを聞いたか。
クローバーをアイルランドの土地で育ててはばらぬ
と、法律で決めたそうだ。
聖パトリックの日ももう祝えない。
かれの色はもう消えてしまう。
緑を身につけることを禁じるなんて、
そんな法律があってたまるもんか。
(後略)
デオン・ボウシコールはケルトの血を引く貧しい農民であろうとのことです。聖パトリックは自然崇拝のドルイド教のケルト人にカトリック教を伝え、守護聖人となり、三つ葉のクローバーを精霊の象徴としたことから、「緑」が国の色となったそうです。
殉教者の遺言 ハナン・アワッド(パレスチナの女流詩人)
(前略)
おお エルサレム、あなたの傷は私の傷
私のうた。
忍耐と慰めで武装せよ。
私たちは仇と暴虐に対して
海と砂漠を火に変えた。
私たちの傷が血を流し
大地が渇き、私たちの救済が難儀なとき
私たちはどのように生きていったらいいの。
私たちは屈辱の中の平安より
死を、あるいは監獄の焼けつく鉄格子を求める。
(後略)
大虐殺 October 1966 ウォール・ショインカ(ナイジェリア)
(前略)
ペンキ塗りの船から寄せる波
それらが牧歌的な偽善を嘲る。
私はどんぐりを踏んだ。
殻のどれもが爆発して
まぎれもない頭蓋骨だ。
(中略)
樫が盛んに雨を降らして
死の算数を分からなくする。
離れていく人がズック鞄の埃を払う
秋だ、それを見つめていよう。
(後略)
ウォール・ショインカにこの石原氏の本で再会できたのは嬉しい。わたくしは彼の著書「神話・文学・アフリカ世界(一九九二年・彩流社刊・松田忠徳訳)」を大分前に必死(^^;)で読んでいたのだった。。ウォール・ショインカは反体制運動、独立運動のために、九回の逮捕、投獄、三回の亡命を経験しているノーベル賞詩人である。彼の言葉はとても美しく力強い。たとえばこのような言葉がある。
『神の命令だと言い張る連中、救済のために世界に火を放つ義務があると信じている連中、そういう死の一味と戦う義務が私にはある。かれらがイラクのごたごたした街区にいようが、ホワイトハウスの中にいようが、私は戦う。生のカードを配ってくれる人が、私は好きだ。』
さて、続きは、人種の坩堝「アメリカ」へ行きますが、ここはあんまり書きたくないなぁ(^^;)。。。
Jul 17, 2006
博士の愛した数式
監督・小泉堯史
「数学」と聞くと、アンテナが敏感になるのはおそらくわたくしの父が数学教師だった影響が大きい。久しぶりに気持のやわらかくなる映画だった。映画のなかの時間もゆるやかに進み、微笑みが自然に湧いてくるのだった。一緒に観た娘は祖父を、わたくしは父を思い出していた。父(娘の祖父)はすでにこの世にはいないのだが。。。
シングル・マザーの杏子は、一人息子と生きてゆくために、女性であるが故に最も誇ってもいい仕事「家政婦」として生きている。その新しい仕事先として、もとは高名な数学博士であったが、事故によりそれからの記憶が八十分しか持たないという状況にある博士の家だった。杏子の勤務時間は午前十一時から午後七時まで、それ故に博士と杏子の毎日の出会いは初めての繰返しとなる。
「君の靴のサイズはいくつかね?」「二十四です。」「それは潔い数字、四の階乗だ。」これが毎日午前十一時の玄関での挨拶となる。杏子の誕生日は「二月二十日=二二〇」、博士が博士号をとった時の番号は「二八四」この二つの数字は「除数」を足してゆくと、もとの数字になるという「友愛数」であり、それは「神の計らい」だと博士は喜ぶ。
やがて杏子の息子が一人で母親の帰宅を待っているという現実を知ると、博士は「子供にそんな淋しい思いをさせてはいけない。毎日ここで一緒に夕食を食べよう。」と提案する。息子と対面した博士は彼を「√」と呼ぶことにする。野球少年の「√」と大学時代まで野球をやっていたという共通性とともに、博士と「√」と杏子の三人のほほえましい生活は繰り返される。博士は「√」に数学の楽しさとともに、野球の指導まですることになる。少年の背番号は博士がわすれないように「√」とされた。
「√」とは、どんな数字でも嫌がらずに自分のなかにかくまってやる、実に寛大な記号」だと博士は少年に伝える。この映画は、やがて数学教師となった「√」の回想という形で展開されるのだが、数式とは人生のあらゆることをうつくしい姿に変えてみせる魔法の力を持っていた。いつも書斎にいた父の後姿、その書斎にこもっていた不思議な空気がなつかしい。
原作(同名)・小川洋子・新潮社刊
ローズ・イン・タイドランド
監督・テリー・ギリアム
この映画を観る前にオフィシャル・サイトをのぞいてみましたが、わたくしの想像のなかでは不幸な少女が、心のなかに作り出してゆく「ファンタジー」の世界だろうと受け取っていました。この映画も多分監督のイメージとしては、「ファンタジー」であり「現代のアリス」なのかもしれない。
しかし、わたくしの凡庸な感性では、主人公の少女「ジェライザー・ローズ」が現実で遭遇する「不幸」は度を越えているし、そこから辿ってゆく「ファンタジー」の世界も「ブラック・ファンタジー」としか表現のしようがないのだった。わたくしはひたすら「幸福な奇跡」を待ち望みつつ観ていましたが、全編を通して「救い」がない。隣席にいた見知らぬ女性は最後まで観ずに席を立ったまま戻らなかった。同行者も「あの女性、戻らなかったね。」とポツリと言った。気付いていたのだな、と思った。しかし、最後になってやっとかすかな希望を見たけれど、この「ローズ」の少女期の不幸な記憶は生涯に渡って影を落すことになるだろうと思われる。
こんな時、わたくし自身がとりたてて「賢母」であったとはとても思えないが、無意識に、もう遠くなっているはずの「母」の意識が立ち戻ってきて、子供がこんなに不幸であってはならないと「怒り」すら感じるのであった。少しだけストーリーを記しておきます。
ローズの父親は場末のバンドマン、母親とともに麻薬中毒である。その麻薬注射の手伝いを当たり前のように手馴れた様子で手伝うローズ。母親はそのために突然死する。その母親を置き去りにして、廃屋と化した父親の郷里の家に逃げる。そこでやがて父親も麻薬のために急死するが、ローズはその父親のそばでしばらくは暮している。ローズがいつも離さずに持っていたものは、首だけの人形であり、それを指先につけて「二人分の一人語り」を続けながら、ローズは「美しい大人」にも「勇気ある人間」にもなれるのだったが、不幸は限りなく続いてゆくのだった。
もう、どれくらい落ちたのかしら。 もうじき地球のまんなかあたり・・・・・・
原作・「タイドランド」・ミッチ・カリン・角川書店
Jul 14, 2006
遠いうた 拾遺集 石原武 (2)
一章と二章では、現代の文明社会から遠く隔てられた「村」という存在を再考しつつ、「記憶」や「民族」さらに「シェークスピア」にまで再考を拡大させて、三章の「アメリカ・インディアンの遠いうた」に繋ごうとされているように思われました。この三章に収録された「うた」はこれだけで一冊の単行本になるほどの作品量でした。その「うた」は呪術であり、願い、狩り、戦い、子守唄、恋、レクイエム、生活する人間のさまざまな場面に欠かせない「うた」です。
それらの「うた」にはたくさんの動物たちが登場し、月も星も太陽も、大地も水も石も草木も花もある。アメリカ・インディアンの世界感、死生感には境界がない。そしてすべての存在に「神」が宿っているのでした。
そしてなんとたくさんの部族からの「うた」をすくいあげたことでしょう。さらにシャーマン・アレクシーの短編小説「アリゾナのフィニックスから死んだ親父を連れて」も収められています。研究者石原氏の地道で壮大なお仕事に、わたくしの拙い批評や感想など到底届くものではありませんが、あえて書くのは、(1)で書いたわたくしの「たじろぎ」を書きたいからでしょう。
この「うた」の間には「間奏」と題された石原氏の一編の詩「インディアン・レッドの夜明け」が書かれています。抜粋してみましょう。
(前略)
朝風に瓶が倒れて
飲み残しのワインが床に零れた
赤い地図が広がって朝刊を染めていく
世界はきな臭く
赤い砂漠に狼煙が上がる
砂埃の瓦礫の家々まで零れたワインは届かない
鼻水垂らしたアサッドやマルムドまで
暖かな芋は届かない
私は朝食に蒸かした芋の皮を剥きバターを溶かす
マルムドよ アサッドよ ご免な
せめて丘を下りてくる山羊のご慈悲をと
わたしは清ました顔で朝のお祈りをする
(後略)
さて、私事ですが、「アメリカ・インディアン」に注目したのは、一九八九年元旦の朝日新聞に掲載されたミヒャエル・エンデのエッセー「モモからのメッセージ」でした。 この数年前に、エンデは中米奥地の発掘調査に出かけたチームの報告書を読んでいました。調査団は荷役として屈強で寡黙なインディアンのグループを雇いました。日程表をたてていましたが、彼等は予定以上に早く日程をこなすことに成功しましたが、ふいにインディアンのグループは一斉に座り込み、一歩も先へ進もうとしない。調査団からの賃金の値上げ、叱責、脅しにも応じない。そしてまた突然彼等は歩き出す時が来た。何故か?「歩みが速すぎたので、ゼーレ(魂)が自分に追いつくのを待っていた。」というのだった。
また、エンデの文化人類学者の友人からは、山頂で暮らすインディアンの村の水源は山の麓にある。毎日女性たちは往復一時間の道のりを水を運ぶというお話があった。賢明とは言いがたく、しかし「快適」という誘惑からはいつも遠い暮らしを疑いもなく続けることは、愚かとも言いがたいのではないか? わたくしはその時に、天の運行速度と魂の運行速度とは同じではないのか?という思いにかられて、その彼等の世界から「生きる」ということの根源のようなものに辿り着きたいと思うようになっていました。
さて(3)は「アイルランド」へ行きます。(つづく)
Jul 08, 2006
遠いうた 拾遺集 石原武 (1)
石原武氏は一九三〇年、山梨県甲府うまれ、詩人であり、翻訳者であり、英米文学者です。優れた骨太な詩集もたくさん出版されていらっしゃいますが、わたくしが特に注目したのは、「詩の源郷」「遠いうた・マイノリティーの詩学」などの評論集でした。マイノリティーな詩の発掘に注がれた石原氏の視点は、わたくしが知りたかった多くのことを教えてくださいました。本書はそれらをさらに推し進めて、月刊誌「柵」に六〇回、五年に渡って連載されたものを一冊にまとめたものと思われます。なんと五六〇ページを越えるものですので、本書を手にした時のわたくしはいささかたじろぎました。と同時に石原氏のあのおだやかな表情の裏にかくされた深い情熱と真摯な姿勢を見る思いでした。
青春期の入口あたりで日本の「敗戦」の有り様を見つめ、そしてまた混迷する現代をみつめながら、石原氏の詩魂(こういう言葉が息づいている。)を支えてきたものは、「遠いうた」だったのではないかと想像しています。
ちょっとお話がそれますが、シェークスピアのソネット「ⅩⅤⅠⅠⅠ」の翻訳はたくさんの翻訳家がされていますが、わたくしはこの石原氏の翻訳が一番好きでした。これは「君を夏の一日に譬えようか・二〇〇二年・さきたま出版会刊」という詩に関するエッセー集の一節として登場しています。
君を夏の一日に譬えようか
君はもっと美しくもっと優しい
心ない風が五月の蕾をふるわし
夏のいのちはあまりにも短い
"The Sonnets" No.18
Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May
And summer's lease hath all too short a date:
・・・・・・というわけで、この著書はあまりにも膨大ですので、今日は入口だけです。数回に分けてメモのように連載するつもりではおりますが、途中挫折の際にはお許しを。出来うる限りこのご本の石原武氏の「熱」をわたくしの言葉として書いてみたいという思いです。
(二〇〇六年六月・詩画工房刊)
Jul 04, 2006
中原中也 悲しみからはじまる 佐々木幹郎
先月二十四日、佐々木幹郎による「中原中也」の講演と、中原中也と小林秀雄との間にいた女性「長谷川康子」のドキュメンタリー映画「眠れ蜜・脚本=佐々木幹郎・一九七六年制作」の上映が神奈川近代文学館で行われました。その折に、わたしは買わず(汗。。)桐田さんがお求めになったこの本をお借りしました。
これは中原中也の小さな評伝であるとともに、中也が昭和二年~五年頃に書いたのではないかと思われる「小年時」と題された詩の創作ノートを画像で紹介し、ノートに書かれた作品の加筆や書き直し、あるいは棒線で消した部分を佐々木幹郎が丹念にたどりながら、作品の推敲の過程を幾通りもの作品として組み立ててみるという試みがなされています。これは作品論とも言えるものでしょうか。中原中也の言葉の熱が佐々木幹郎をとらえて離さないという感じがありました。
一冊全体の印象は、詩人評伝と詩論というよりも、なんだか考古学者が断片を丹念に繋ぎながら、真実により近づこうとしているようで、ちょっと異質な面白さのある本でした。
評伝としては、すでに知られているであろう長谷川泰子や小林秀雄、富永太郎との関係、その人々が中也の作品に与えた影響などは比較的簡略に書かれていると思いました。また「ランボー」の影響についても同じことが言えるでしょう。鈴木信太郎の文語体訳の「ランボー」の「少年期」は中也の「小年時」に大きく影をおとしています。ちょっぴり皮肉を言えば多くの男性詩人が通常辿る詩法はみずからの少年時代から出発することにあるようですね(^^)。
その住む国は、増上慢の蒼空と緑の野辺、無慙にも....
ランボー「少年期」より
(二〇〇五年・みすず書房刊)