Jul 17, 2006

博士の愛した数式

06-7-3aka

 監督・小泉堯史

 「数学」と聞くと、アンテナが敏感になるのはおそらくわたくしの父が数学教師だった影響が大きい。久しぶりに気持のやわらかくなる映画だった。映画のなかの時間もゆるやかに進み、微笑みが自然に湧いてくるのだった。一緒に観た娘は祖父を、わたくしは父を思い出していた。父(娘の祖父)はすでにこの世にはいないのだが。。。

 シングル・マザーの杏子は、一人息子と生きてゆくために、女性であるが故に最も誇ってもいい仕事「家政婦」として生きている。その新しい仕事先として、もとは高名な数学博士であったが、事故によりそれからの記憶が八十分しか持たないという状況にある博士の家だった。杏子の勤務時間は午前十一時から午後七時まで、それ故に博士と杏子の毎日の出会いは初めての繰返しとなる。

 「君の靴のサイズはいくつかね?」「二十四です。」「それは潔い数字、四の階乗だ。」これが毎日午前十一時の玄関での挨拶となる。杏子の誕生日は「二月二十日=二二〇」、博士が博士号をとった時の番号は「二八四」この二つの数字は「除数」を足してゆくと、もとの数字になるという「友愛数」であり、それは「神の計らい」だと博士は喜ぶ。

 やがて杏子の息子が一人で母親の帰宅を待っているという現実を知ると、博士は「子供にそんな淋しい思いをさせてはいけない。毎日ここで一緒に夕食を食べよう。」と提案する。息子と対面した博士は彼を「√」と呼ぶことにする。野球少年の「√」と大学時代まで野球をやっていたという共通性とともに、博士と「√」と杏子の三人のほほえましい生活は繰り返される。博士は「√」に数学の楽しさとともに、野球の指導まですることになる。少年の背番号は博士がわすれないように「√」とされた。

 「√」とは、どんな数字でも嫌がらずに自分のなかにかくまってやる、実に寛大な記号」だと博士は少年に伝える。この映画は、やがて数学教師となった「√」の回想という形で展開されるのだが、数式とは人生のあらゆることをうつくしい姿に変えてみせる魔法の力を持っていた。いつも書斎にいた父の後姿、その書斎にこもっていた不思議な空気がなつかしい。

 原作(同名)・小川洋子・新潮社刊
Posted at 16:29 in movie | WriteBacks (2) | Edit
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