Jul 22, 2006

遠いうた 拾遺集   石原武 (3)

06-5-15sirotumekusa

 さて四章では、石原氏は方向舵を変えて、渉猟はアイルランドのケルト人の哀歌にむかっていきます。これらはドルイド教からカトリックへ、さらにカトリックとプロテスタントという宗教をからめた民族紛争から生まれたようです。次にはエルサレムの永い怨嗟と報復の歴史(ここでも民族紛争)とそれらに関わる詩にふれて、さらにウクライナ、マケドニア、ルーマニア、そしてアフリカへと進んでゆきます。
 その道のりは哀しい歴史とニュースと詩ばかり。。。わたくしの力では書ききれるものではありません。石原氏の弛まぬ渉猟に改めて敬意を表するのみです。作品数が多いので、これが適切かどうか迷うところですが、詩作品の断片をここに記してみましょう。翻訳はおそらく石原氏によるものでしょう。

  緑を身につけて  デオン・ボウシコール(ケルト)

  おお アイルランドの仲間よ、
  伝わってくるニュースを聞いたか。
  クローバーをアイルランドの土地で育ててはばらぬ
  と、法律で決めたそうだ。
  聖パトリックの日ももう祝えない。
  かれの色はもう消えてしまう。
  緑を身につけることを禁じるなんて、
  そんな法律があってたまるもんか。
  (後略)

 デオン・ボウシコールはケルトの血を引く貧しい農民であろうとのことです。聖パトリックは自然崇拝のドルイド教のケルト人にカトリック教を伝え、守護聖人となり、三つ葉のクローバーを精霊の象徴としたことから、「緑」が国の色となったそうです。

  殉教者の遺言  ハナン・アワッド(パレスチナの女流詩人)

  (前略)
  おお エルサレム、あなたの傷は私の傷
  私のうた。
  忍耐と慰めで武装せよ。
  私たちは仇と暴虐に対して
  海と砂漠を火に変えた。
  私たちの傷が血を流し
  大地が渇き、私たちの救済が難儀なとき
  私たちはどのように生きていったらいいの。
  私たちは屈辱の中の平安より
  死を、あるいは監獄の焼けつく鉄格子を求める。
  (後略)

  大虐殺 October 1966  ウォール・ショインカ(ナイジェリア)

  (前略)
  ペンキ塗りの船から寄せる波
  それらが牧歌的な偽善を嘲る。
  私はどんぐりを踏んだ。
  殻のどれもが爆発して
  まぎれもない頭蓋骨だ。
  (中略)
  樫が盛んに雨を降らして
  死の算数を分からなくする。
  離れていく人がズック鞄の埃を払う
  秋だ、それを見つめていよう。
  (後略)

 ウォール・ショインカにこの石原氏の本で再会できたのは嬉しい。わたくしは彼の著書「神話・文学・アフリカ世界(一九九二年・彩流社刊・松田忠徳訳)」を大分前に必死(^^;)で読んでいたのだった。。ウォール・ショインカは反体制運動、独立運動のために、九回の逮捕、投獄、三回の亡命を経験しているノーベル賞詩人である。彼の言葉はとても美しく力強い。たとえばこのような言葉がある。

 『神の命令だと言い張る連中、救済のために世界に火を放つ義務があると信じている連中、そういう死の一味と戦う義務が私にはある。かれらがイラクのごたごたした街区にいようが、ホワイトハウスの中にいようが、私は戦う。生のカードを配ってくれる人が、私は好きだ。』

 さて、続きは、人種の坩堝「アメリカ」へ行きますが、ここはあんまり書きたくないなぁ(^^;)。。。
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