Oct 26, 2007
こころもほしい
自分の薬を貰いに都心の病院へ行った。二時間は待つと言われたので、患者の数が少ないフロアへ行き、
そこで時間を過ごすことにした。
片隅の椅子で読書したり、ウトウトしたりしていると、
小さな子供の声とパタパタ走る音、注意する母親の声が飛び込んできた。
目を向けると、赤い上着の三歳くらいの女の子が母親の手を振りほどこうとしているところだった。
「走っちゃダメ、おとなしくして、座ってて」と繰り返す母親のそばから「いやぁ」と言って女の子が逃げる。
それが繰り返されているようだった。
女の子はあっという間に母親を置いてするすると真っ直ぐに走って行く。解き放たれた子犬みたいに素早く軽やかだ。
病院の長い廊下を母は一生懸命に追いかけていく。
たいていの子供は場所をわきまえていて、(子供なりに感じとって)
こういう場所ではどうにか静かにしているものだが、
その子にはそれが微塵もなくて、天晴れでさえある。
やがて、母親は娘をどうにか連れ戻し、順番を待つべく椅子に座った。
もちろん、元気(そうな)女の子はじっとしていないので、
いつの間にか少し離れた椅子のわたしの近くまできた。
「飽きちゃった?」と彼女に話しかけてみた。
するとヨソのおばさんに話しかけられた子はどうしていいか分からず、
「やあだぁ」と言いながら打つマネをして、足蹴りのポーズまでしてみせる。
そこは、シッター経験の長いわたし、「そんなことしちゃだめだよ」と 余裕の笑顔。「ママのところへ行ってお座りしてなさい」と言ってみると「いやぁ、ママきらい」と言う。
『いやいや園』みたいな憎めない子だ。
だんだんとなついてきて、そばで遊び始めた。
そのうち、椅子に置いてあるわたしの文庫を見つけ「これ、なあに?」
と聞くので「これはおばさんの大切なご本よ」と、
彼女の攻撃力を多少恐れながら、「大切な」というところで目を見て 言ってみた。
すると、その赤い服が似合う女の子はきっぱりと一言。
「こころもごほんがほしい」・・・・!
「心!?」そういう名前なのか、、、と思わずその子の顔を見つめ直すとタイミングよく「こころちゃん、おいで、呼ばれたよ」と少し遠くから母親の呼ぶ声がして彼女はタタタッと走り去った。
予想通り、しばらくして診察室からは「いやー」という彼女の悲鳴が 聞こえてきて、ハラハラした。
母親はわたしが相手をしていたのを知っていたようで、
診察が終わってから、「どうも」と会釈して帰って行った。
若いママ、というよりももっと落ち着いた雰囲気の女性だった。
当のこころちゃんは、意地でも泣き顔を見せまいとするかのようにそっぽを向いたまま立ち去っていった。
あの軽快に走っていた足取りはどこへやら・・。
「形成外科」・・・・わたしの娘も、その女の子も受診科は同じだった。
わたしが娘につけた名を「変わった名前ですね」と言われた覚えもある。でも、本人はその名を気に入ってくれている。
あの母娘はどうだろう、あの子にあるたくさんの「大切な」時間や、 出会いについて、ふと考えた。
彼女が成長して自分に出会うように、自分の名前と向き合うときは、 きっとあるに違いない。そこにこめられた想いも知るようになるのだろう。
Oct 23, 2007
外へ
チューブがひとつ、またひとつと抜けていく。表情に落ち着きが戻り、「自分」を取り戻していく。
わたしのバスが到着する頃合いに、娘は車椅子で病室を出て、
病院、外来棟付近の花屋あたりまで迎えに来ていた。
近づいて行くと、見知らぬおばさんと話している。
わたしを見つけ「母です」と娘が言うとその女性はニッコリと笑った。
「可愛いお嬢ちゃんですねぇ」と言われる。
思わず「はい」と素直に肯いていた。
実際、娘は「小人さんの三角帽子」が似合っている。
長い茶色い髪はふわふわと帽子からだして肩にかかっていた。
わたしが持って行った襟ぐりの大きなシャツを着ている。
ズボンは恋人がユニクロで買ってくれた子供サイズだ。
わたしを待つ短い時間に三人もの人に声をかけられたと言う。
「大丈夫ですか?」「車椅子、押しましょうか?」
そして年配のその女性。
「どうしたの?」と聞かれたそうだ。
「交通事故で足を怪我しました」と答えると娘の外見を見て
「お顔も?」・・・・「はい」。。。
「あらぁ、、そう、。でも良かったわね、お目々が大丈夫で」
「はい」と答えるしかなかったと言う。
いえ、片目は見えませんと言ったら話が長くなるから、と呟いていた。
病気と闘ってきた娘は同情されることが大嫌いだ。
可愛そうに、と言われたり、泣いたりされることを 十代の頃から嫌悪してきた。
内部障害、という言葉があるけれど内臓の重い持病は外見では判らない。
今回、きっと顔の傷も癒えたらどこにでもいる大きな目の若い女性だ。
また、いろんな事柄にぶつかって行くに違いない。
悔しい思いや、悲しい思いも、たくさんするだろう。
母親のわたしは再び黙って見守るしかない。
でも、彼女の意識はもう外へと向かっている。
障壁がひとを「逞しく」成長させることは疑いようもない事実だ。
Oct 22, 2007
気分転換
「映画にいこうよ」と誘ってくれた知人がいた。わたしの状況を知りながら、わたしを元気づけるために。
本当にすべてを忘れてスクリーンに見入った。
「ミス・ポター」
知り合って間もない人なのになぜか「気が合う」とひらめくものがあり、彼女が選んだ映画はまさしくわたしが観たいもののひとつだった。
わたしも彼女も二つの仕事をしていてなかなか忙しい。
ただしわたしは経済的理由で、。彼女は選ばれて公務もしている。
でも、ふたり一緒に行ける日は案外すんなり決まった。
この映画を観て、自費出版からスタートしたピーターラビットにはこうした背景があったのかと、初めて知った。
ミス・ポターを演じたレニー・ゼルウィガーが可愛らしく知的で意思のつよい女性にぴったり。
そして、ウサギをはじめ、おなじみのキャラクターたちが生命を与えられたように画面でササッと動くのも魅力だった。
動物が好き、絵本が好き、というところから始まってたまに仕事の悩みを話すようになり、ひどい肩こりや頭痛の話で盛り上がったわたしたち。
一見、オトナシイが、実はけっこう活動している、と共通点もチラリ。
そして優柔不断なわたしには「決定」してくれる彼女は有難い。
映画を観て、お茶を飲んで、、、。
短いけれど、たのしい時間だった。
洋服を選ぶ(公務に着るスーツらしい)彼女と別れてわたしは娘の病院へと急いだ。
空いっぱいに秋だった。
Oct 20, 2007
遺伝子
法事・・・・親戚が集まる。気をつかう。疲れる。。だから無事に終わってよかった。
今回の事故の件は直近のひとしか知らないので、まったく触れずにすんだ。
そして、やはりまた同じことを言われた。
わたしが父親の母、つまり祖母にそっくりの顔立ちだということ。
祖母も祖父も三歳のときに亡くなったので記憶は僅かしかない。
若いときから「祖母にそっくりだね」と言われ続けてきた。
まるでピンとこなかった。
今回また言われてみて初めて「あ、そうかもしれない」と思った。
わたしも歳とってきたからに違いない。
写真で見る祖母はなるほど童顔の女性は老いるとこうなるのか、
という印象だ。
まるい目元がやさしいような、でもホントはかなり気の強そうな 顔をしている。
(祖母も祖父も幼いわたしにとってはコワイ存在だった)
わたしは母親と似ていると言われたことは一度もない。
母ではなく父親似でもなく、祖母にそっくりと言われるのは不思議だった。
伝え聞いたところによると、祖母は紙問屋のお嬢さまだったのに、
使用人と恋仲になったとか・・・・。
コワイ存在だった亡き祖母が、急に親しく思えた瞬間だった。
因みにわたしと娘は「双子じゃない?」と娘の彼にからかわれるくらい 顔も似てるし行動パターンも性格も似ている。
長女にも、次女にも、わたしは「自分」を見る時があってハッとするが、顔の類似はやはり長女のほうだ。
「そっくり~」と言われることにわたしたち母娘はすっかり慣れている。
ということは、祖母の遺伝子はわたしから長女へといったのか。
今日は娘はだいぶ元気を取り戻していた。
「髪をさわると乾いた血が粉になって指についてくるよ」という。
その髪と額の傷口を全部、ベージュの布帽子が覆っている。
「小人さんの三角帽子」と笑っていた。
笑顔をみるたびに安心する。
ふと、「見守られている」ということを考え、遥かな眼差しを思った。
Oct 19, 2007
覚悟
「覚悟」というものはやっぱり曖昧だ。昨日はそれを再認識した・・・。
そしていまさら「再認識」なんて情けないような気分もした。
娘の形成外科の手術が終わった。
『無事に終わった』という事実を前に単純に安堵し、
「覚悟」はおろそかにしていた。
顔面を強打したことによる手術施行だから、大掛かり。
そして、あともたいへん、、。と分かっていたつもりだった。
「つもり」から「覚悟」へと進んでいくはずだったのに。
外見、というのはこれほどに衝撃的な事柄だったのだ。
わたしは昨夜、彼女の前から鏡を隠しておいた。
でもやはりひとりになったときに見たようだ。
またベッドから動けなくなってしまった娘は、
「振り出しに戻っちゃった」と今日、呟いていた。
でも、違う。
振り出しに戻ったりしたらたまらない。
いまは嵐がきたから一回休みだよ、とわたしは言った。
着実に進んでいると、信じている。
その証拠に、今日は昨日よりも表情が明るくなっていた。
それを実感したわたしが思ったままを口にすると、
ようやく彼女の笑顔がみえた。
ホッとした瞬間だった。
Oct 15, 2007
ひといきついた
土日、珍しく仕事がなかった。どちらかの仕事はたいてあるのだが、
古本屋のシフトは調整可能なので、休みにした。
あの日以来、毎日が慌しく過ぎて行き、
仕事がない日にはかならず病院へと出かけたり、
必要なものを買いに行ったりしていた。
ようやくわたしの休みになった。
娘は外出許可が出て、恋人と出かけた。
わたしの家族はわたしと一緒に外出したかったようだが、
体調不良を理由に自由にさせてもらった。
すごいことになっていた自室を片付け、掃除機をかけた。
すごいことになっていた居間も少し整理して歩けるようにした。
(まだまだすごい)
午後になってから街へ出かけた。
「完璧に自分のための時間」は短いため息みたいに過ぎた。
スーパーで家族の好物を買い物して、家事のために帰る。
秋の夕暮れが川沿いの道を覆いつくしていた。
ふと、バスの中に貼ってあった劇団のポスターを思い出した。
「孤独が中途半端で困る」
妙に身に迫るタイトルだ。
解体の予感を数年後に控えた家へと、
ゆっくりゆっくり帰ってきた。
とりあえずひと息ついた気がする。
今週はまた手術がある・・・。
Oct 11, 2007
ヒヨコは上る
先週、院外薬局に行ったとき可愛いオモチャが置いてあった。ひよこの行進。カタカタとがんばって上り、するすると下りる。
写真を撮って娘に見せた。
わたしたちが何年も前に一緒に携帯を買ったときから、
なんとなくヒヨコの絵文字は娘のマークとなっていた。
(・・・・ということは親鳥のわたしはニワトリか・・・)
娘はいま行動範囲も広がり、今日はわたしと一緒に、 車椅子で病院の外へ。
わたしの皮膚科の薬を貰うためにあの薬局へ付き合わせた。
「あ、このヒヨコだね♪」と言ってさっそく遊び始める娘。
カタカタと上るヒヨコを見て笑顔。
実は今日、病院内で待ち合わせをしたとき、
わたしが近づいていっても彼女の視界に入らない事がわかり、
急に現れてビックリさせないように「○○ちゃん!」と声をかけた。
欠損の視界と視野についてあらためて考えた。
視神経へのダメージ、悲しい事実を思い知った。
でも、ヒヨコは滑って下りても、また上る。
健気だ。
Oct 09, 2007
大きな犬
コメントをいただき、返信を書き込みしたつもりが、何故か反映されてなくて、「あれ??」という感じ。。。
なので、ここで御礼を申し上げます。
とみざわさま、ありがとうございます。
不明や不安が目の前に山積み状態です。
ご専門を存じ上げませんでした。
このさき、何かありましたら、よろしくお願い致します。
ところで、今日のタイトルは「大きな犬」。
新しい仕事について来月で一年。
まだまだ、ミスをするし、要領は悪い。
でも、同じ敷地内に知り合いが何人もできた。
頻繁に顔を合わせるうちに打ち解けて話もするようになった。
わたしが元気のない顔をしているとき、
親身になって励ましてくれるひとたち。
何度も辞めたいと思った仕事だけど、 どうにかここまできた。
ミクシィ繋がりの知人から教えてもらったサイトで、
転職を考えたときはすごくドキドキワクワクしたけど、
結局いまはまだここにいる。
大きな木があるからだろうか。
そうだ、夕方になると必ず散歩にやってくる大きな犬さんもいる。
ご夫婦は二人と一匹でやってきて、
ガラスの扉越しに挨拶してくれる。
犬はかわいいとは思うけれど、子供の頃のトラウマで触れない。
そのわたしに「大丈夫だからさわってあげて」と飼い主が言い、
犬はゆっくりと尻尾をふりながら伏せてわたしを見上げる。
そっとさわってみた。
やさしいおだやかな瞳だった。
Oct 04, 2007
取材する人々
あたりまえだけど今回の衝撃は、わたしのこころとからだにも、おおきな影響をあたえた。
ひどい頭痛、吐き気、目眩、・・・。
体調が悪くてバイトも一日だけ休んだ。
薬に頼ってそんな日々もどうにかやり過ごしてきた。
ついでなので、娘のいる病院で湿疹の薬も貰うことにした。
今まで「薬疹」といわれていた症状も違う診断が提示された。
「付き添い」に変身した車椅子の長女と一緒に、外来棟へ行く。
何故か正門前に数多くの報道陣が待機している。
あとでわかった事だが、ミャンマーから無言の帰国をした長井さんの
遺体が司法解剖のために運ばれてきたらしい。
何事かと思うような取材陣の多さ。
そのひとたちの横を通り抜け、わたしたちは外来を出て、
「秋晴れだね」と言いながら庭があったあたりのベンチへ。
いつもの猫が悠然と眠っているのを眺めた。
明日は眼科病棟から形成外科へと引越しをする。