Mar 28, 2007
市川慎一『アカディアンの過去と現在』
仏文の同級生で、学校に残った市川さんは18世紀フランス文学を「おとなしく」やっていると思っていたので、今年定年を迎えるという教授に何度かお会いしてみて、びっくりした。それは彼が大変な行動する学者だと再認識したからだった。ケベコワについては認識があったが、アカディアンについてはじめて教えて
もらった。市川さんはたびたびカナダに渡って、現在のアカディアンと接触し、調査を続けていらしたのだ。フランスから最初に北米に移民した人々に苦難の歴史があったということと、現在の北アメリカのフランス語地域の事情がその歴史を抜きにしては語れないということ。言葉の面からさまざまな調査を試みておられる。面白かったのは、言葉は時代と地域によって流動して行くという指摘で、フランス革命以前はroé(王) toé(おまえ) moé(わたし) Y faut(ねばならぬ)であったものが、革命後、
roi, toi, moi, il faut と農民や地方弁が主流になった、(フランス革命がなかったら、あのデュエットの歌手は「トエ エ モエ」と呼ばれることになったのだ!)という指摘や、フランスが戦争が弱くて、せっかく定着した肥沃な土地から集団強制移住を強いられたりなど、イギリスにさんざん痛めつけられたという指摘。妥協的で徹底的に議論しない気質が災いしていたとはどこかの金持ちだが主張の弱い国の悩みの種と同じではないかと思った。フランス
人の、ことに女性はエゴイストで我が強すぎてうんざりしている自分には初耳の話だ。Y.テリオーの小説『アガグック物語』とあわせて彩流社刊。ここのところ、読書が充実している。
Mar 26, 2007
ドナルド・キーン『渡辺崋山』
横浜に30分ほど早く着いたので、地下街の本屋に立ち寄った。平積みで、キーンさんの『渡辺崋山』が眼に入った。「新潮」連載したものが単行本になったらしい。わたしはこの連載を知らなかった。しばらく立ち読みして、カラーの絵の多いのに驚いた。「オルフェ」にいた頃、豊橋に旅行して、崋山の家の跡を見学したことがある。帰りのバス停までの遠いのがとても辛かった記憶がある。それは、崋山の死について知ったばかりの辛さと重なっていた。キーンさんが崋山をとりあげたことには、衝撃に似た喜びを感じる。豊橋の人たちは、今でも心底から尊敬しているという感触があった。その折に買った絵葉書の中で、どうしてもひとに送りようがない2枚が手元に残っている。長男への遺書と、縄を打たれている状景の素描だ。キーンさんは、優れた画家として描いているが、もちろん時代の認識者としてのするどい
知性についても触れ、あまりにも不運な人であったと悼んでいる。こういう人が前の時代にいたのだということを知ることは、自分の人生にとっても大切なことだ。それ以来、意識のうちにそういった思いがずっと沈んでいたので、暗いトンネルの先に明かりが見える思いがした。遅く帰ってテレビをつけたら蜷川演出のアヌイの「ひばり」をやっていた。岩切さんの訳で、わたしは2月の早いうちに見た。
Mar 23, 2007
うららか
俳句の人たちと上田市の別所温泉に吟行した。遠山に雪が白く空に映えてこころ洗われる2日間でした。そして、何よりも「山かいの小さな寺の/池に浮べた常世への石の乗りもの」にかわるがわる乗ってみたこと。この詩を以前は暗記していたのだが、今はそらでは言えない。
帰った翌日の夜、イサクから電話で、会社を休んでいるという。めずらしいことだ。月曜日に勤務中に高熱が出て早引けさせてもらったとのこと。アパートで1人で熱を出して寝ているのも心細かっただろう。
けさ、庭(道よりの半分を駐車場にしたので、庭とも言えないただの空地)に下りると、先日までの寒気がすっかり取れて、うららか。うれしいことに、父の故郷の菊池市の墓参りの折1,2株崖のふちから抜いてきた、白花の菫が消えてしまわずに、葉を日にかざしているのを見つけた。花はまだ。どうしても崖が好きなようで、盛り土の崩れかけたはしにあぶなかしくへばりついている。母とした墓参りはもうずいぶん昔のことだ。
去り難き椿の岸辺石の舟 かおる
Mar 16, 2007
A.チュツオーラ『やし酒飲み』
1920年、西アフリカ、ナイジェリアのアベオクタという町に生れた。労働者の子供で、さまざまな仕事をした後、労働局の小使いという退屈な仕事を紛らすために書きなぐった物語がこれで、知的な階層からは、ナイジェリアの恥だという顰蹙もあるという。アフリカ人の代々の血から噴出した、本来ならヨルバ語で書かれるべきところを「稚拙な」英語で書かれて恥ずかしいというのが顰蹙の理由だということだ。「英語の単語を使いながら、じつはヨルバ語を語っている」。ここに文化と言葉の大きな秘密がある。この物語の奇妙さ、インパクトの強さは初体験である。
「南へのバラード」の続編を構想するための読書の1つ。
「ジャンヌ」について何か自分自身の観点が見つかるまで休眠(と言っても、しじゅう頭の中にはある)する間、「南」への探索も怠るまい。
Mar 12, 2007
エミリー・ディキンソン詩集とシラー「オルレアンの少女」
昨日予定より1時間近く横浜に着いたので、駅ビルの書店に立ち寄った。詩のコーナーが移動して、見つからないので、しばらく探し回った後、観念してレジで訪ねた。案内してくれた新コーナーには、金子みすずと千の風、谷川俊太郎とあと少しだけ。ショックだった。これなら町田のブックオフの方がずっと充実してるなーとつぶやく。アメリカ詩の解説本をしばらく立ち読み。足が疲れてきたので、そこを去って文庫の棚に行き、ディキンソンを見つけた。それと平積みの復刊にシラーの戯曲「オルレアンの少女」を見つけてびっくり。やはり書店には何かサプライズがある。この2冊を、緊縮財政にもかかわらず、購入した。帰宅後、夜中にテレビを音声ゼロにして、走り読みした。ディキンスンは今取っ組んでいる訳にどうしても欠かせない。伝記、代表作などを拾い読みした。共感するところ多し。「オルレアン」のほうは、なんともはや、としかいえない。脚色もここまで来るとばかばかしくて読んでいられない。やはりショウが最も優れている。ショウには品格がある。ヴォルテールとシェークスピアのいんちき魔女呼ばわりに反発して書いたというが、ただの愛国少女で、荒唐無稽。もうこのへんでいいかという先日の感想がやはり妥当に思えた。
Mar 10, 2007
バーナード・ショウの戯曲「聖女ジョウン」
これとシェークスピアの「ヘンリー六世第1部」の2つの戯曲は敵側イギリスの側から書かれたジャンヌ・ダルクで、とくにショウの「聖女ジョウン」は極めて冷静で鋭い優れた作品であることが読むとわかる。戯曲の面白さとしては、多少長台詞が多いので、退屈かもしれないが、ショウの興味が、ジャンヌそのものよりも、ジャンヌをどう考えるか、の方に重きを置いており、一言で言えば、神と普通の人間との間に牧師や貴族が介在することに対する個人の精神の反抗であると極めて明快に整理し尽くしており、さらになぜ聖女であったかについては、命を救われても、教会の牢に囚われたままであるならば救われはしないとしたジャンヌがむしろ死ぬことを望むという結末になって、かなり近代人的な解釈になっている。わたしはこれはすとんと落ちて、もうこれでジャンヌ問題は、自分としてはいいかな、とも思わせられた。このへんでいいのではないか。他の登場人物の描き方も、極めて冷静で人間的。例えばジル・ド・レエは、《すこぶるお洒落で冷静な二五歳の青年で、みんながひげを剃っている宮廷の中で、ひときわ目立つように、…伊達男。努めて機嫌のいい振りをしようとしているが、自然に備わった朗らかさがなく、本当に愉
快なのではない。…》とト書きにある。ジャンヌについても、《体格のいい一七,八歳の田舎娘で、かなり上等な 赤地の服を着ている。顔つきは尋常ではなく、非常に想像力の強い人間にしばしば見かけるように、両目はひろく離れて、とび出している。鼻孔が大きく鼻筋の通った形のいい鼻。短い上唇。意思的で、しかもふっくらした口。負けん気のつよそうな美事な顎。…》というような具合。目の前に見えるようだ。二五歳のオルレアンの守備隊長デュノアを含めて、シャルル26歳、で、この歴史的な大事件を牽引したのは25,6の青年たちだったことがわかって面白い。活動的なロックグループという感じだ(とはいえ今で言えば30を越した分別盛り)。「ヘンリー六世」のほうは、いかさまのキチガイオンナとして描かれており、とても読んでいられない。同じ人間がこれほど別の人格に作られているのもまた珍しいのではないだろうか。