Mar 27, 2008
つづき
その恐竜だけど、よくある何とかキャッチャーで吊り上げられたわけではない。遊園地にあるコーナーで、息子が「あれが欲しいから」と挑んだゲームで得点をとって係りのお兄さんから笑顔で受け取ったものだ。つまり何と言うか人の手から手へと渡ってやってきた、そういう経緯があるカオをしてる、とわたしは思う。
動物が好きな息子だけど、ぬいぐるみの類は妹たちに先手を打たれていた。だから、この「ぬいぐるみの恐竜」は自分のものとして手に入れたかったのだろう。
ちなみに彼がずっと公然と大切にしていたぬいぐるみがひとつだけある。それは、恥ずかしいけどわたしの手作りクマさんだ。初めての赤ちゃんを待ちながらタオルで作ったあおいクマさん。
それは赤ちゃんだった息子をベッドで見守り、やがて「クマクマ」という愛称で呼ばれるようになったが、、。いつか「クマクマ」と誰かが書いた字が「ヘマヘマ」と見えてそれに変わってしまった。
実際、不器用なわたしが製作者だし、くてくてふにゃふにゃしていた(ま、赤ちゃんがギュッとできるようになってるんだけど)からその名前もそれなりに似合っていたと思う。
そのクマの行方はわからない、、。息子が高校生の頃までは見かけたのだけれど・・・。
Mar 26, 2008
思い出
長男が転職と転居に悩んでいる。わたしは新聞の求人欄を二人分眺めている。
10年近く前、彼は例えばわたしの「携帯電話の先生」だった。
息子が買い換えるから、と譲り受けた携帯でわたしはメールも覚えた。
自立するために出て行ったこの家に、もう一度帰ってくるかもしれない。「俺の場所はある?」とメールで聞いてきた。あなたの部屋はわたしが使っているけれど、もちろん帰ってくるならその方向で対策を考えるわよ、と会ってから話した。
この恐竜は、彼がコドモだったとき、遊園地のゲームコーナーでゲットしたものだ。そのときの誇らしげな顔をわたしはよく覚えている。意気揚々と恐竜を抱えた息子を二人の妹が羨望の眼差しで見つめていた。
恐竜の上に乗っている無邪気な子犬がどこから来たのか、これは思い出せない。家族の誰かが連れてきたことは間違いない。
ゲームでやってきたぬいぐるみは、一時、とんでもなく家中に溢れかえっていた。だいぶ処分された。かわいい顔をしているから処分するときは辛かったけど、、。もちろん、この恐竜は生き残った。そしてきっとジャマにならないサイズのこの犬も残っていたのだろう。
Mar 24, 2008
再会
春の人事異動で、会社のひとが挨拶に回っている。上司と再会した。
若いひとが席をはずした隙に「どうして連絡くれないの?」などと言っている。
どうしてわたしが連絡しなくてはいけないんだか、わけわからない。
でも冷静に賢く、対応できないわたしはマジメに美味しいお茶をいれようとしている。
べつにキライなわけじゃない。もちろん好きでもない。どうでもいいひと。ほんと、どうでもいいのだ。
たぶんわたしは「どうでもいい」と顔にも態度にもでているのだろう。
キッパリしていないから妙なことを囁かれるのだ。
だけど、「どうでもいいこと」を「どうにかしなくちゃ」と考えるのはやっぱり面倒だと思う。
こうしてぼやぼやしているからいけないんだな。
Mar 17, 2008
決心がつかない
マイミクさんに教えてもらったサイトで調べて、転職へと踏み出しかけた。でもやっぱり後退した。履歴書を書く、面接に行く、結果を待つ、このプロセスにはそれなりのエネルギーがいる。今の仕事を続けながらそこへと一歩を踏み出す元気が出なかった。
とにかくここで仕事をしていればハードでもないのに給料が貰える。 資格もない、「中高年」の部類に入る女性の職場としては待遇はいいと思うからここを出て行く決心がつかないでいる。
辞めるなら支障が出ないように一ヶ月前には申告しなくてはいけない。
「辞める、転職する」と言って去って行く女性はみんな人間関係に疲れた、と言っていた。同じように「辞めたい、でも、もう少しがんばろうか」と言葉を交わす知り合いもいた。いつも会えるわけではないが、先日ふと彼女の姿を見かけたら以前よりずっと落ち着いて見えた。
仕事には慣れるものだ。あとは気持ちしだい、。環境はきっと変わらないのだから。
Mar 06, 2008
太宰治
「太宰治サロン」というのが出来た。太宰がよく来ていた市内の酒屋は、そのままのいい雰囲気だったと思うのに結局、閉店となりやがてマンションが建った。その一階に市がオープンさせた。どんな感じかな~と思って行ってみたが、ずいぶんこじんまりとした印象だった。でも、わたしのバイト先の古本屋にも「太宰のお墓はどこですか?」と聞きにくる若いひともいるのだから、縁のある場所はわかりやすくしておくのはいいと思う。
すごくすごく昔、わたしはたまに「ひとりで考え事をしたい」と思ったとき、太宰さんのお墓まで歩いていってそこでぼんやりしていた。 鴎外の墓もあって太宰はここを望んだという。墓石を見ながら少しの時間を過ごしていた。
うまく生きられなくて何度も自死を企て、そうしてようやく心中を遂げたひとに、若いこころが寄り添うのは今も昔も変わらない。
Mar 04, 2008
ルリユールおじさん
以前にもここに書いた絵本画家の伊勢英子さんの個展を観に丸善へ行って来た。「ルリユール」という言葉はわたしは伊勢さんの絵本ではじめて知った。壊れかけた書物に再び命を吹き込んで蘇らせる職人「ルリユールおじさん」。パリで出会ったその職人技に目もこころも奪われたという、伊勢さんのお話を聴くことができてよかった。
パリ展も盛況だったようだ。
もちろん、丸善にやってきたファンの数もかなりだった。
大切な植物図鑑を抱えている絵本の中の女の子にそっとじぶんを投影させてみる。本を愛する、ということを原画展を見ながらまた考えた。
せっかくだから、とサイン会に並んだら暑くて(店内の暖房と熱気?)疲れて、諦めようかと思うくらいだった。ここでも体力のなさを思い知った。。。