Feb 23, 2008
本を読むうさぎ
「野うさぎのように髪の色まで変わり、、、みんなあんたのせいだからね」♪という中島みゆきさんの歌をすごく気に入っていた時期があった。実際にわたしは髪の色を茶色く変えた。誰かのせいか?それほどのことはなかった(と思う)けれど、多少、自棄的気分にも支配されていた。
わたしは漆黒のきれいな髪がすきだったしムカシ美容師におだてられてから「この黒髪は色白のじぶんに似合うはず」と思い込んでいた。
だから、鏡の中の茶髪のじぶんには思いがけない印象があった。
「似合う、似合わない」というより「これもありだな」という感じだった。
野うさぎに親しみを覚えるようになったのはそのころからだと思う。
ウサギはやはり野を駆けているのがいい。臆病だけど(だから)逃げ足は早いのだ。自由奔放であるならもっといい。
このウサギはキノコの下で気ままに読書タイム。
小さなプラスチックの箱に入っている。友人から貰っていま一番のお気に入り。
Feb 18, 2008
読書率
母と一緒に病院へ。ふんわり白髪の母が杖をもってバスに乗車しても、席を譲る者は誰もいない。多少、心配しながらそばに立つ。明るい日差しがバスのなかには満ちていてわたしは年老いた親のからだを、とても小さく感じる。バスが病院に着いて、わたしは母に手をかしながら下車した。数人の乗客は降りるや否や小走りに信号を渡っていく。一刻を争うみたいに・・・。 わたしたちはそういう一見「元気な」ひとたちのじゃまにならないようにゆっくりと端に寄った。
待合室は、座る椅子を探すくらいに込んでいた。そしてみんなぐったりと押し黙っている。わたしが通う都心の病院では、読書している人が必ず何人かはいるのに、見渡したところ誰も彼もが呆然と座っている(ようにみえる)。
わたしは母親の話し相手をするべきなのか・・・?とわずかに考えている隙に、母は文庫本をバッグから取り出した。よかった。安心して二人で本を読みながら待ち時間を過ごした。
Feb 13, 2008
手袋&手紙
せかいのすべてが凍り付いてしまいそうな今日、わたしの誕生日。次女からとってもかわいい手袋をもらった。大好きな紫色。 何でもすぐ紛失するわたしに一言、「お母さん、失くさないでね」。。。。
(彼女が中学生だったとき学校に提出する大切な書類をなくしてから、わたしは信用されていない。しっかり者の次女は重要書類は自己管理するという貴重な習慣を身に着けた。)
マイミクさんからも、嬉しいメッセージが届いていた。
そして、長女からは「いろいろ詰め合わせ」が宅配便で届いた。やはり大好きな紫色のショールも、ウサギさんの和風バッグも栞も付箋も嬉しかったけれど、彼女の手紙にホロリとした。
「なかなかあなたを安心させてあげられないあたしだけど・・・」という言葉もあった。「もしもちょっと家出をしたくなった時にはここを一時休息の場としてむかえてあげたい」とも書いてあった。
ふんわりとあたたかくなる気持ちを抱きしめられるから、真冬の誕生日もいいな、と思っている。
Feb 08, 2008
スイートピー
長女からおばあちゃんへ、可愛い花かごが届いた。メッセージカードが添えられている。今日はおばあちゃん(わたしの母)の82回めの誕生日。病気の娘を育てていくなかで、同居の母には本当に助けてもらった。長女が発病したとき、末っ子はまだ二歳になったばかりだったし、長男は小学生だった。
大好きな「ネエネ」が入院したことを小さな次女はよく理解できなかったから、家族はなかなか大変だったのだ。(このとき小学4年生だった長男は目玉焼きとピーナッツバターのパンで自分の朝食を作る技を獲得した)
去年、長女が事故に遭ったとき、高齢となった母にはどうも真実を告げにくかった。そして母は孫娘の履いて行ったサンダルが片方しか玄関に戻ってこなかった事に不安を募らせていた。
少しずつ事故の話を説明し、入院中の孫に会いにも行ったけれど、その視野と視力のことをおばあちゃんはまだ明確には知らない。それでいいとわたしたちは考えている。
娘が選んだスイートピーは誕生花だという。82歳となったおばあちゃんはすごく喜んで、さっそくパソコンに向かい、お礼のメールを作ったようだ。
Feb 07, 2008
ともだち
例えば仕事の帰りに「冬物最終バーゲン見に行こうよ」と誘われても、やっぱり断る。何年も着ているコートも古びたブーツも買い換えたいけれど、一日が終わりかける頃には疲れていて、まっすぐ家に帰りたい。「ご飯食べに行かない?」と誘ってくれても、やっぱり行けない。いつも体調がイマイチで一日の業務をどうにかこなしているわたしは、そうとうに友達づきあいの悪いひとだ。
「ごめんね」とあやまるたびに、ちょっぴりかなしい。
でも、今日は職場で知り合った友人と待ち合わせて食事をした。ふたりとも休みの日だったので予め手帳に書き込んでおいた。
出かける前は「ご飯食べたらクスリ、飲もう」と思うくらい体調は不安定だった。外は北風も強かった。でも、彼女と話しているうちに落ち着いてリラックスもして、結局、服用せずに帰ってきた。仕事なら、仕事、食事なら食事、と無理のないスケジュールならOK。そういうこともわかってくれるひとだった。いいともだちに恵まれたな~と思った。
Feb 06, 2008
虚ろ
身内のひとのお見舞いに行った。高齢で、いろいろ困難な状況になりつつある。わたしのことはわかってくれるのか?と懸念していた。 最初は間違えていたがやがて「あ、○○じゃないか」と笑顔になったのでホッとした。雪降る窓を眺めながら思ったのだけれど、わたしの人生の三分の一は病院が占めている。子供に付き添い、親に付き添い、自分の病気で通院する。
父が入院していた数年前の冬、わたしはコートのポケットに文庫本と僅かなお金と携帯電話を入れて父と娘と自分の病院を三角形のように歩きながら過ごしていた。
残りの三分の一は仕事で、あとの三分の一は寝ている。常用薬のせいかいつも眠いし、疲れて横になっているときもある。
その三つの隙間で、本を読んだり何かを書いたりしている・・・気がした。そんなことはないのかもしれないが、そうマチガイでもないかもしれない。隙間で、誰かと会ったり、ちょっと出掛けたり、家族とご飯を食べたりもする。
何しろ身内の高齢者の入院なので、しばらくはまた病院と縁が切れないだろう。じぶんの頭痛薬も処方された分では足りなくなりそうだ。
見舞いに行った病院で見かけたお年寄りたち。デイルームのテレビの前、付き添いもなく車椅子に「座らされて」いるようにみえた人々の虚ろな表情が忘れられない。
Feb 01, 2008
怖い夢
怖い、というより奇妙な夢を見て早朝に頭痛で目覚める、という日が 3日も続いて落ち込んだ。「頭痛で目が覚める」というのは体験した人ならわかると思うけど、かなりしんどい。つまり『安眠を妨げるほどの痛苦』なのだと思う。ほとんど〈うなされて〉いるに近い状態で、やっと起き上がってリビングに薬を取りに行き台所の水で飲んで布団に戻る。鎮痛剤を空腹時に服用してはいけないなんて考えてるヒマはないし、しばらくは痛みがひどくて 眠れない。汗をかいて苦しみひどい吐き気に耐えられずにまた起きてトイレや洗面所に行っても勿論朝だから胃の中はからっぽだ。
でもどうにか一時間でも眠れればもう大丈夫。薬が効いてだいぶ楽になっている。この新薬がでるまではもっと大変だった。高価だけれど新薬は必需品、どこに行くときも手放せない。
そうやって、仕事があるときはギリギリまで眠り、一日を終えて帰ってくるときはなんだか足取りも重くなっている。今夜寝てもまた朝にはあの痛みで目覚めるかもしれない、と考えるのはひどく憂鬱だった。もう、寝る前に飲み物と薬を手元に置くようにした。「くるならこい」開き直った感じに近かった。
でもとりあえずそれは3日連続でストップした。朝まで無事に眠れたときは嬉しくて、足元でまるくなってる猫を抱きしめたい気分だった。
肩こりがひどいし、「元気!」というわけではない。寝るときは「無事に朝がきますように」とお祈りしたくなる。
2日連続して薬を飲まなかったので、大丈夫かと思って今日は美容院に髪を切りに行った。次女と待ち合わせしてランチを食べて少し買い物してデザートは「ベリー・ベリーワッフル」♪♪
でも実は美容院で軽い目眩をおこしていた。「じぶんはだいじょうぶなのか?」とそのとき本当にひらがなでぼんやり思っていた。
ブルーベリーとラズベリーのカタカナを楽しんで次女と話していたらかなり落ち着いた気分。よかった。。。