Jul 31, 2006

一昨日のサッカー

060729_2011~002

 一昨日、ガンバ大阪の試合を万博公園で、見てきた。結果から言うと、2-2で、同点で試合終了。少し残念だった。緑の芝生がきれいで、野球よりも近くに選手が見える感じでよかった。観衆は15000人近く。よく入っていたと思う。ただ、後ろの中学生くらいの女の子達がおしゃべりをしたり、騒がしく応援したりするのが困った。
 選手が攻めて来る感じ、あんなに広いのにゴール前まであっという間だ。来る途中はそれほどでもなかったのだが、モノレールに乗って、太陽の塔が真正面から見えて、公園東口駅について歩いていくと、すごい人だった。帰るときもすごい人だった。
 アビスパ福岡もがんばっていい試合だったと思う。ガンバは今3位だそうな。
 8月の初旬は詩の集まりが二つあるし、診察もある。彼女が旅行に行くのでしばらく一人で過ごすことになりそうだ。詩がなかなか書けない。
 埼玉の市民プールの流れるプールで、吸水口に女の子が吸い込まれて亡くなった。事故直前に柵を外したり不可解な事が多い。何かおかしい。女の子がかわいそうだ。
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Jul 29, 2006

くるり

 木曜日にカウンセリングへ行って、話すのがしんどいことがあったのだけど、話さないで置いておくという選択もあるのかなと思いました。話した後、なんだか後から疲れてしまって…。だから、そういうのもありなのかなと思いました。少し大人になった、自分です。
 CDを、何枚か買いましたPUFFY、BONNIE PINKは10周年だそうで、早いなあと思いました。PUFFYはPOPで聞かせるのだけど、ぼくはくるりのベスト盤「ザ・ベスト・オブ・くるり」がいいと思いました。しばらく聞きながら寝たりしています。ぼくはナンバーガールと双璧だと思っていました。ナンバーガールは解散し、ZAZENBOYSががんばっています。それぞれにいろんな活動形態があるのだと思います。個々のアルバムだけでは見えない、確かな叙情というか感情の流れを体験することができます。最近の曲の力をこのアルバムで、体験できたなと思いました。なにかもやもやしたものではない、芯のようなものが保たれてきたんだなと思います。とても一貫性のあるバンドだと思いました。アジカンあたりが成熟して、こうしたアルバムをだせると最高だと思いました。
 金曜日はデイケアでした。なんだか頭がぼーっとしてたときもあったのだけど、楽しむことができました。
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Jul 26, 2006

正直に書くということ

 ぼくの親父が、ガンバ大阪の試合のチケットを手に入れたのだけど、親父はその日、地域の盆踊りの仕度をしないといけないので、ぼくにチケットをくれました。サッカーを見るのは初めてなのだけど、なんだか楽しみです。最近、外へ出ることが少しずつ増えてきて、暑いのは、かなわんけど、いい傾向かなと思っています。
 今日は井上義夫というD・H・ロレンスの研究者が書いた「村上春樹と日本の「記憶」」という何年か前に出た本をぱらぱらめくっていました。いくつか目を引いたのは、村上春樹にとって「記憶」というのが人のアイデンティティーを形作る大切なものだという当たり前の指摘がなされていたことです。春樹氏は、あまり、そういうストレートな読みがされていないので、新鮮です。もし記憶がなくなったとしても、自分を裏切らないで、生きのびていくということも書かれていたような気がします。
 村上春樹氏は「完璧な文章などありえない」という言葉から「風の歌を聴け」を書き始めていますが、そこで、強く感じられていることはかなり倫理的なことのような気がします。その言葉を知って、春樹氏は安堵を覚えるわけですが、ものを書くということが、「正直」に書くことを願う、何度、できない、失語する、暗い闇がおそってきても、なるべく正直たらんとするということの大切さが感じられます。「書けない」ということは存在論的にいえば、「なぜ無が在るのか」という問いに直面することで、その感触をたどるように、無から「在る」を生み出すわけですが、それは虚構になります。書くことは虚構をつくるという宿命があります。そして、虚構に誠実に向き合えるか、その中の「本当」というものに向き合えるか、大切です。
 あまり、春樹氏はそういうまっとうな作家としてとらえられていないので、井上氏の観点には、何か大事なものがあると思います。日本文学の、大事な核の、その何分の一かでも春樹氏は分け持っているかもしれませんから。そうでないという意見もありますし、それに対して、そうだと思うこともあります。春樹氏を擁護しようとするわけではありません。ただ、書くことは実存との勝負でもあるわけで、そういう観点から、流行作家だといってかたずけるのではなく、見るのは大切かなと思います。その核にこの国の姿の一端があるというのは少しいいすぎな気もするし、井上氏が過大評価している面もなくはないと思いますが。
 今日は掃除の日でした。やはり汗をかくと気持ちいい。このまま順調にいければいいなと、一緒に働いている人や友達と確認しました。
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Jul 25, 2006

テリーギリアム

 今日は彼女とデートに行ってきました。
 梅田ガーデンシネマで、「ローズ・イン・タイドランド」を見てきました。あそこは空中庭園があるビルで、人工の滝が見えるところで食事しました。
 「ローズ・イン・タイドランド」。悲惨な話が生み出す、幻想的な物語だったが、ヤク中の家族といい、テンカンをもっている弟と死体がよみがえってくると思っている姉の兄弟といい、すごくどこにでも転がっている、壊れた家族なのかもしれないと思った。その中を指人形と話しながら、夢と現実のバランスをとって絶望もしながら、生きていく女の子の話だが、すごく突き抜けたユーモアがある。
 個人的には主人公の親父のパンクぶりや、ディキンスと主人公のやり取りが笑ってしまった。やっぱギリアムすげーという感じだった。「12モンキーズ」より錯綜していない話だと思った。また短期間でいい俳優にめぐり合えたと思う。弱者と呼ばれる人たちのちょっと悲しいお話でもあるが、たくましい想像力をみんな持っている。
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Jul 24, 2006

結婚式に行ってきました

 土曜日は気分の悪いことがあったが、それとは別に某誌に自作掲載決定!うれしい。
 さらに福島敦子さんがぼくのサイトとリンクしていただいて、とてもありがたいです。
 昨日は大学時代の友人の結婚式に行ってきました。京都で雨がぱらつく中おこなわれたのですが、何人か大学時代の友人が集まって、ちょっと同窓会気分でした。苦労人の彼は、あらたに幸せの誓いをしているようで見ていてさわやかな結婚式でした。あらためておめでとうを言いたいです。
 ここ何日か予定が続いたので、今日は寝ていました。
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Jul 22, 2006

球宴、伊藤比呂美

 藤川球児の球はすごい。江夏とか、伝説の投手はあんな球を投げていたのではないだろうか?久々に出てきた本物という気がする。でも、球児という名前で野球が下手だったら、本人はすごい落ち込んだだろうな。
 「ハウルの動く城」を見る。ちょっとずつ見たので、あんなストーリーだったけと思う。何かうまくいきすぎ。
昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示したとされるメモが見つかったらしいが、昭和天皇だって、あの戦争に責任があるはずだし、その人の意に流れるというのはどうかと思う。なんでも個人的な信仰の問題にしてしまって、自分の公の考えを示さない小泉首相もどうかと思うし。こういう問題に万人が納得する考えがあるかどうか疑問だが、どんな魂であれ、安らかに眠っていただくということと、生者の政治的な都合というものの整合できる点を見出さないといけない。国内外問わずである。
 テレビを見たあと、伊藤比呂美の初期詩集(思潮社現代詩文庫)を読む。先入観よりはグロくないし、破壊的でもない。そういう装置が機能しなくなったというのもあるし、それ以外の部分でも読めると感じた。最初のほうの散文体の詩が優れているものが多い。この人はとても目がいい。物と物、人と人の関係が的確に描かれる描写力に驚く。あくまで主観を離れないのだが、あらかじめ心地よい客観が内在している。サービスがあり、それが嫌味になっていない。差別(先入観)は明らかにしていて、差別(先入観)が少ない。これほどの描写力をもった現在生きている詩人は少ないのではないか。読んでて気持ちいいし、書き手として羨望する。本人は好き嫌いが激しいというが、いろんなものが立体的に描かれる。小説家の目ではないだろうか。小説と詩の違いってなんだろうと思った。(梶井など、小説となっているが詩か小説かわからない。すぐれた文章は、その違いを超えるのかもしれない)じっさい伊藤比呂美は小説もエッセイも書いている。
 それとこの人の本領はエロス(ある種の風潮に流された)よりも、死を見つめる目にあるのではないかと思う。エロスと死はこの人の場合まったく対極ではない。実際死を扱った作品が出てくるが、それは何かを悼むとかいうよりも、なによりも、生き物の死を観察する目だ。そこには厳粛な倫理が働いていると、「アウシュビッツミーハー」という作品を見て思った。自分が死に対して第三者にしかなれないという感覚を描いている。子が生まれてからは、子を殺してしまうかもしれないという子と言う他者との二者関係の死の問題への移行が見られる。そこで詩が変わっていったような気がする。差別の根源には産む/産まないということがあるのを見てから、何かがかわってしまったかな。たぶん、何かに中立でいられなくなったのかもしれない。子を産んでから、子育てや家族に詩が侵食されて、いくつか面白いけども大変だなと思った。詩らしい詩は、散文体にくらべ迫力が少ない。また欠点はエロスが観念的に現れる時があるということである。ぼくは、何冊かのエッセイを読んだことがあるが、それは面白かった記憶がある。
 全てを見てそこから書くことのできる、文章家と思う。ただし谷川らが書くような空とか宇宙の詩はない。たぶん、「気持ちよさ」(書きつくすことの=産むことの)と「死」が彼女のキーワードではないだろうか。それらは言葉を駆動させる本質に近いものであると思う。
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Jul 20, 2006

子どものいる風景

 ここ一週間くらい気になることがあって、ちょっと鬱々としている。もうすぐしたら、溶けるかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、そう深刻になっていないので、大丈夫かな。。
 というわけで、しばらく日記をつけなかった。ざっと、先週の連休から、あったことを適当に書こうと思う。
 連休中に「維新派」の舞台を見に行ってきました。しかし、いまいちでした。なんというかストーリー的にふくらみがないのに、役者だけが動き回っているのが見ててしんどかったです。あんなに動き回って、中身がもうひとつだとやりがいってあるのだろうかと思いました。あくまで個人的意見ですけど。
 テリーギリアムの新作は見に行っていません。見に行きます。それからもうすぐゲド戦記、楽しみです。今週末に予定があり、日曜には大学時代の友人の結婚式があります。礼服のズボンがちょっとサイズがきついのですが、楽しく祝ってきます。それから8月初旬に詩の集まりが二つあるので、自分的にはですがちょっといそがしいかもしれません。
 今週はよく寝ていました。仕事は、あちらの都合で休みでした。書きたい書評があるのだが、読むのも書くのもなかなか難航しています。もうひとふんばりです。大きい枠組みは見えているのですが。それと足立和夫さんより新詩集が送られてきました。うれしいです。素敵な本です。また詳しく紹介したいと思います。
 今日、夏休みに入るせいか、子どもの姿がよく見られた。雨の中(雨で被害にあわれた方お見舞い申し上げます)、病院に向かったのだがその車中で、5歳くらいの男の子をつれたおばあちゃんとお母さんが向かいにすわっていて、お母さんが「うちは泥棒はいられたら、お金ないから、みんな代わりに命取られるわ。だから泥棒に逆にお金かりなアカン」といっていて、子どもは「あほなこと言うな」みたいな顔をしてた。わかるわ。いややなあ。でもリアルかも。
 帰りラーメン屋に立ち寄って(ここは茨木で2番目においしいラーメンという暖簾がかかっているのです)けっこう混んでいて、子供連れも2組くらい来ていました。小さなラーメン屋です。ぼくがおっちゃんたちに混じって、チャーシュー麺と餃子でビールを飲んでいたら、3歳くらいの子どもがビールに興味ある顔しながら、「お父さんになったらのむねん」といっていて、かわいかった。何度も何度もいっていた。そしてニラのキムチ漬けみたいなのを欲しがってしっかりゲットしていました。六年生くらいのお兄ちゃんは特盛ラーメンを頼んでいた。お母さんも大変です。
 なんか、いろいろ考えごともあるけど、子どもを見たら、なんかうれしい。自分が子どもを持ったら大変なのだろうけれど、子どもにはなんか不思議な力がある気がする。共振する様な世界があるというか。すぐ大きくなるから、さらに不思議。いろいろ子どもをめぐる、こわいニュースがあるので、大変だ。
 
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Jul 14, 2006

漢字

 今日、魚扁のつく漢字を何個かけるかといわれて、いくつか書いてみた。すごく頭を使う。でも出てきたり出てこなかったりした。そしてこんなページを見つけた。こちら。頭が変になりそうである。アートだともいえる。
 今日友人がテリーギリアムの新作を見に行くといっていたので、ぼくもいつか見に行きたくなった。ぼくは「12モンキーズ」とか「未来世紀ブラジル」とかしか見ていないのだけど、(2作も見てるって自分的にすごいかも)ギリアムの素直だからこそ世界がねじれて見えるような作品は好きだ。
 ぼくは人と仲良くなりたいと思うとなぜか結果的にどんどん押してしまう。わがままなのだろうか、あほなのかわからん。自制しなくては。
 最近時々映画を見に行ったり、今度は維新派の芝居も見に行く。(わ!イルボンさんが詩集を出している!)ぼくは去年からしたらうそみたいに健康的だ。ポエムバザールへ向けて批評や詩を書くので、感性のリハビリになればいいと思う。今日ラストの事で悩んで悩んでmixiに「やわらかい生活」のレビューを書いた。以下に転載します。



「やわらかい生活」

ぼくははじめラストの祥さんの死に驚いてしまい、またつまずきました。
それで色々考えて一日経ったのですが、これは大人のファンタジー映画に近い作りをしているんだなと思うと何か納得できました。
祥さんのアメ車とか、格好とかある種のキャラですし、妻夫木くんのヤクザは不思議な少年という感じです。
もちろん、主人公の病については啓蒙的ともいうべき、万全な演技、役作りですし、様々ないいシーン、設定で、虚構の中のリアリティを作り上げています。
だから、ぼくはあまり人生論的に考えないことにしました。もちろん重たいテーマがあり、それは夢から覚めて生きていくという逃げ道のない過酷なものです。
まだ頭の中でぎくしゃくはありますが、完成度や総合力は高い映画だと思います。つっこみどころはいっぱいありそうで、あまりないと思います。もちろんつっこむことは出来ますが。
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ふるさとについて

 今日はカウンセリングに行ってきました。それから東京の友人から教えてもらった映画を見てきました。その前に本屋によって、鎌田慧「椎の若葉に光あれ」(岩波現代文庫)といしいひさいちのマンガ「現代思想の遭難者たち」(講談社)を買ってきました。
 カウンセリングのあとに、新しく出来たカフェみたいなところで昼食を食べました。いつもはこれも近鉄の永和の駅のそばなのですが「食楽三昧」というところで、食べます。今日はちょっと変化をつけてみました。仕事の次の日だったのですが思ったより体調がよく、カウンセリングでは、悩みごとが少なくなったのはなぜかという話をしていました。もちろん悩みがなくなったわけではありません。どちらかといえばこもる人だし、相変わらずくよくよしたり、というのはあります。
 自分の感覚のパターンみたいなものがあって、そのパターンというかモードはあまりふかく把握していないのですが、何でしょうか。自分の人との関わり方の根幹だと思います。ずーっとそれを恐れて生きてきた感があります。ある種のいたたまれない気分というのがあって、そういうパターンにはまらない余裕みたいなのが出てきたのでしょうか。はまってもある程度のところでとまって、痛手が少なくなるというか。彼女にそういったら、「暑いから余計な事考えへんねん」といわれてしまいました。だから、悪くなるときもあるかもしれませんけど。
 鎌田慧の本は私小説作家葛西善蔵の、今の言葉で言うと、「イタイ」生涯を追った伝記です。何を隠そうぼくは、大学の頃、笙野頼子さんにはまって(彼女は思えば引きこもり小説の先駆者ですが、80年代からそうやって生きてきたので、その当時は評価されませんでした)、私小説というものに目覚め戦後文学の裏街道をたどり、藤枝静男さんを読んだりしていたら、どんどんその筋にはまってしまいました。今考えたら、藤枝さんはとても真面目な生活者で、葛西善蔵も真面目すぎておかしいくらい真面目な人です。真面目をつきぬけると、こんな人になっちゃうんだというくらい小説に没頭しながらかけないかけないといっていたのが葛西です。
 私小説には、他のジャンルにはない、自分の資質つまり生きている感覚のふるさとでしょうか、そういうものに対する強いこだわりがあり、それがすぐれて突き抜けると不思議な幻想や、ユーモアをうみだします。ぼくはその距離感のない(いわゆる客観性のない)こだわりというものに自分を感じたのかもしれません。今はぼくは私小説から遠ざかっているけど、そして、私小説なるものは嫌われた時期もありましたし(それにはひつぜんもあったのですが)あまり読まれないけど、何か懐かしくなって、鎌田慧の本を手に取りました。書き出しを読んでみたけどすばらしいです。原本は94年発売で買った覚えがあります。でも内容を覚えていません。あらら。これで買って読んでない本がまた増えました。なんとかしなくては。いしいひさいちのマンガはさっと読めます。哲学者をネタに目いっぱい遊んでます。さすがです。これは現代思想の冒険者たちのおまけについていたんです。
 それで映画なのですが、「やわらかい生活」という映画です。動物園前のシネフェスタで見ました。フェスティバルゲートはジェットコースターもとまっていて、館内表示も塗りつぶされているところがあって、なんかさみしい感じです。この映画は自分の感覚のふるさとを追いかける映画だと思いました。さっきの「現代思想の遭難者たち」でも出てくるのですが蒲田という町がカラオケの発祥地ということを初めて知りました。だからカラオケの部分がノーカットで撮られています。寺島しのぶもいい味出しています。心の病(躁うつ病)と共に生きている感じがある種普遍的な感じで描かれています。やたら薬もリアルでした。町もいい感じです。ふるさとという感じです。ただ、豊川悦司演じるいとこが死んだことがなにか残念な気がしました。いとこが生きてどうなるか決着をつけることが主人公の生にもなんらかの意味を感じさせる結果になっただろうという思います。それくらい男は消えて女が残されるという映画なのです。原作はわかりませんが原作にはなんらかの意図があったのかもしれません。しかし、そうするにしても、なにかひっかかるものがありました。基本的に素敵な映画なので、余計にストーリーの決着のつけ方が気になりました。これはあくまでぼくのこだわりなのですが。
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Jul 12, 2006

掃除機

 変な天気だった。でも夕空はきれいだった。
 今日も掃除の仕事で汗を流す。週一回のことだけど、外に出て、動く大事な時間だ。こないだとは違った区域を掃除する。そうやって見取り図を作るように覚えていく。先週して、忘れていた動作もあった。今日たまたま見学に来た人に、掃除機のかけ方がなれてませんねといわれて、ぼくもそう思うけれど、掃除機ってけっこうむずかしいんだよねーと思う。ぼくは掃除機はあんまり得意じゃないです。なれていかんといかんなあ。
 トム・ヨークのアルバムをずっと聴いている。いろんなところで、いろんな評価がされているが、ぼくは洋楽の動向に詳しくないので、細かいところはよくわからない。しかし、かなり聞かせる歌であり、曲の感じがする。やっぱり、本当にいやだと消しちゃうからね。そういうことはない。ついついかけている。でもこわい音楽だなあと思う。この人の本質はこわい人なんじゃないかと思う。魔術的な音楽だ。聞いてくるとなじんでくるけど。かすかな違和はある感じかな。これがメジャーなのだから不思議な感じだ。でも引き込まれる。レディオヘッドの曲に詳しくないのでなんともいえない部分があるけど、これ本体がどうかということで、良くも悪くも引き込まれるものになっていると思う。だからトム・ヨークも掃除機かな?
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Jul 10, 2006

トム・ヨーク

113

 ここ何日か日記を書いていなかった。
 先週木曜から印象に残った事を書いていきます。

 木曜=診察で就労について報告。のちに実家で飯を食べる。ひさしぶりに親に会うというのはいい気分だった。弟のハリウッドみやげにTシャツとカリフォルニアワインをもらって帰る。
 金曜=デイケアに行く。新入りの人が何人かいる。就労、来週水曜に行く予定。職員さんがついてくれるみたいです。夜は昨日もらったカリフォルニアワインを飲みながら、七夕祭りをする。去年に続いてぼくの願いごとに彼女からダメだしが…
 土曜=詩の友達と会いました。お互い近況を話しながら合評までしました。いろんな話が出来る友達は心強いです。詩についてけっこう深い話ができたと思います。村瀬学「自閉症」(ちくま新書)を買う。知的障害を持つ人の広い行動範囲に着目していて、彼らを地誌的な広がりの中においてみるという点がいい。山下清論も新しさを感じます。
 日曜=彼女とタダ券があったので、お茶をのみに行く。自転車に空気を入れる。CD屋にいって、まずはある人にすすめられていたMUSEというバンドの試聴をする。ざんねんながら、少しぼくの好みと合わなかったが、一応頭の中に名前を入れておこうと思う。トム・ヨークの新譜を買う。いわずと知れた、レディオヘッドのフロントマン。ジャケがかっこいい。絵が折りたたまれていて、すごく詩的な雰囲気なのです。ふだん音楽をきかない彼女もジャケがよくて目が引かれたといっていた。絵が神話的です。この波を起こしている人は誰?という感じなのです。こんな詩集があればいいのになと思いました。
 音楽は普通の音楽の伝える感情とは全然違います。KID Aの時も感じましたが、どこか恐い世界に連れて行かれるようなこの世のものではないような感じは残っています。KID Aよりはポップですし非常にわかりやすく仕上がっています。また、サウンドが部屋の中を自在に飛びかう感じで、それがおもしろい。こういうアルバムは脳内麻薬的というか、脳の意外なパターンを刺激して、どんな感覚になるか実験しているみたいです。いわゆる落ち着く音楽でもないんだけど、音のパターンを踏み外して、解体して、よくわからないところへ導かれる感覚を味わうことができます。方向はまったく違うけど、ビョークの「ヴェスパタイン」に近い気もします。おススメポイントとしては5点満点中3.8点くらいでしょうか。いいんだけど、トムの試みに対して、いろんな意見があると思って。コアな感覚からは一線を引いています。でも楽しんで作っている感じがします。コアな人には物足りないでしょう。それから洋楽、全然詳しくないようというぼくのような人が聞くと新鮮です。
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Jul 02, 2006

金曜の映画、土曜の合評会

 金曜は、マイミクの猫月亭さんと映画を見てきました。なかなかいい映画でした。猫月亭さんと、どんな映画かなあといっていたのですが、よかったです。「タイヨウのうた」といいます。宣伝が少ないためか客は少なかったです。筋はこれから見る人のためにあまりいいません。主人公の女の子はXPという太陽に当たると死にいたる病気を病んでいます。その病気の進行具合も恋愛も押し付けがましくなく描かれています。いわゆる「泣けよ」映画ではありません。十分悲しい話ですし、さらりとした描き方が逆にその悲劇性をつたえていました。でも、どこかに希望があるのです。個人的には、主人公の窓から見える早朝(日にあたれないため昼夜逆転しています)の風景や、海の絵が心に届いてきました。夜というものの澄んだ空気や切なさがよく出ていると思います。空気感にやられました。また作り手の人間に対する確かな目のようなものが伝わってきます。あとからじわっときます。地味な映画ですが地味な映画の光を感じます。若さというものの痛みと輝きを残そうとするかのような。個人的にこういう話には弱いのです。うたも、よかったです。映画の後は、ご飯を食べながら、お話しました。ぼくも、映画たのしかったですが、それを素直に伝えられたか不安でした。映画をあまり見ていないので自分の感想に自信が持てなかったのです。あとからじわっと来たので感想がそのときはうまくいえませんでした。しかし、話していると、そんな感じはどこかにいきました。猫月亭さんの感想をきいていると、心が伝わってきました。猫月亭さんは、いろんなものを見に行っていて、ぼくは感心しました。ぼくは出不精なので、猫月亭さんの話を聞いて、いろんなところに見に行った気になって、よかったです。猫月亭さんのいうように、東京は文化的にまだまだ首都なのだと思いました。ぼくは東京に行きたいと思ったことはあまりないけど、芸術に頻繁にふれるならやはり東京かなと思いました。ぼくも小説家のサイン会があったら行きたいですから。また、あまりに地域格差があるのはおかしいとも思います。猫月亭さん、ありがとうございます。ぼくは友達が少ないので、とてもいい時間を過ごせてよかった。またよろしくお願いしますと思いました。
 土曜は合評会でした。人数が少なかったけど、楽しかった。自分の詩「ふたつのキ」の感想を聞きながら、深刻にとらえる人がいたり、軽いなと思う人がいたり、気と木で引っ張るのはきついと思う人がいたり、詩は読者をも映す鏡なんだなと思いました。
Posted at 09:58 in nikki | WriteBacks (3) | Edit
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