Jan 25, 2008
緑の影、白い鯨 レイ・ブラッドベリ著 川本三郎訳
この小説は、当時三十三歳の若き作家だった、レイ・ブラッドベリ(Raymond Douglas Bradbury, 一九二〇年・アメリカ・イリノイ州ウォーキガン生まれ。)のアイルランドにおける体験の自伝的小説であり、かつて短編であった作品も含めた長編小説となっています。
何故彼がアイルランドに呼ばれたのか?それは、メルヴィルの『白鯨』という難解な小説を映画化しようと計画したアメリカ映画界の巨匠、ジョン・ヒューストン監督に、脚本を依頼され、一九五三年、当時ヒューストン監督が住んでいたアイルランドにわざわざ呼び寄せられたのです。この作品は一九五六年に完成しました。
繊細な抒情詩人としても知られるブラッドベリと、アメリカ文学史上もっとも手ごわいと評価されている『白鯨』、そして怪物のようなヒューストン監督という組み合わせから生まれた小説だと言えるかもしれない。アイルランド滞在は約半年、その体験をもとに、四十年後に書かれたものです。ヒューストンは当時アメリカで荒れ狂った赤狩りを嫌って、アイルランドに住んでいました。
この小説は、別の面を見れば、ブラッドベリのアイルランド賛歌になっているようです。雨の多いアイルランドは、ひかり輝く緑の自然を観ることは稀なことです。そこに貧しいながら、たくましく暮らす庶民たちのさまざまな姿も見事に描かれていました。狡猾な乞食、優れた路上音楽家、下町のバーの人々、個性的な牧師、それにまつわる祝福と死などなど、アイルランド人のユーモア、抒情、幻想性、息をのむほどに濃密な描写でした。笑ってしまった牧師の言葉(^^)。。。
『いまここで、二人を夫と妻と認めます。汝ら行きて、さらなる罪を犯せ。』
この小説を読みながら、しきりに思い出していたのは、トム・クルーズ主演の映画「はるかなる大地へ」でした。アイルランドの暗い寒村の貧しい農家の若者が、西部開拓に沸き立っていたアメリカを目指す物語で、この小説とは全く逆の視点から描かれた映画だったと思います。主人公の最後の言葉はこうでした。
『教会がアイルランドを跪かせ、雨がアイルランドを溺れさせ、政治がアイルランドを地に埋めてしまう・・・・・・しかし、それでもなおアイルランドは、あの遠い出口に向かって走る。そして、おわかりでしょう、神かけて私は思うんです。アイルランドはきっとたどり着くって!』
(二〇〇七年・筑摩書房刊)
Jan 13, 2008
プラハ国立劇場オペラ「魔笛」
指揮:ヤン・ハルベツキー ダヴィド・シュベッツ演出:ダヴィト・ラドク
舞台美術&衣装:カタリーナ・ホラー タジーナ・ファース
振付:ハカン・マイヤー
初演:プラハ国立劇場(スタヴォフスケー劇場)
日時:一月十二日 PM六時~八時四十分
会場:川口総合センター・リリア・メインホール
フロアーにあった、オランダのストリート・オルガンです。
何年ぶりなのか定かではないほどに、オペラ鑑賞は久しぶりの体験でした。庶民には入場料が高い。しかしプラハからすぐれたオーケストラ、そして多数のオペラ歌手、バレーダンサー、舞台装置家を呼び、日本公演を実現したことを思えば、庶民にも納得できる。ただCDで聴くだけだったオペラを、実際に観ることとは、大きな隔たりがあることを、今更ながら実感したのでした。
「魔笛」はモーツアルトの「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」と共に「四大オペラ」の一つとされ、最晩年の仕事でもあります。生涯の宿敵「サリエリ」も絶賛したとか。その彼の敗北の言葉を思い出しますね。
「天才はゆるす。」←おおお。こう言われてみたいものだなぁ(^^)。
ちなみにモーツアルトの生涯は(一七五六年~一七九一年)、サリエリは(一七五〇年~一八二五年)です。
「魔笛」はモーツアルトの思想的(あるいは宗教的?)な変化も見られます。興行師「シカネーダー」の協力のもとに、初めてドイツ語で書かれたこと、思想団体「フリー・メイスン」の影響など、さまざまな要素が混在したオペラとも言えるでしょう。
このオペラのお馴染みの見所は「夜の女王」のソプラノ、超絶技巧のアリアです。これには、ハラハラドキドキ、人間の声帯能力を超えていました。
舞台演出のメインは巨大な絹のようなやわらかな布です。この色彩、光の変化、揺れ、乗降によって、ドラマ展開の明暗、歓喜、恐怖、などを見事にシンプルに演出していました。
Jan 07, 2008
サウンド・オブ・ミュージック
監督: ロバート・ワイズ
脚本: アーネスト・レーマン
音楽: リチャード・ロジャース オスカー・ハマースタイン二世 アーウィン・コス タル
公開: 一九六五年
製作国: アメリカ
言語: 英語
【キャスト】
マリア:ジュリー・アンドリュース
トラップ大佐:クリストファー・プラマー
このミュージカル映画の舞台背景は、一九三八年のオーストリア・ザルツブルク。 ナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦の時代 にあたります。
修道女見習いのマリアは、院長に、数年前に妻を亡くしたトラップ大佐の七人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、大佐宅で暮すことになります。トラップ大佐はオーストリア海軍退役軍人。大佐は、子供たちを軍隊的に厳しくしつけていますが、過去の何人もの家庭教師が長く勤めてくれない状況にあった。それは父親の厳しさへの反動が家庭教師に向けられていたからだったのです。。
ある激しい雷雨の夜に、雷を怖がる子供たちは次々にマリアの部屋に集まってきた。マリアは、「哀しい時や辛い時は楽しいことを考えましょう。」と教える。母を亡くしてからずっと家の中に聴こえることのなかった音楽を、マリアが子供たちに取り戻すことによって子供はみるみる快活になってゆく。それは大佐の逆鱗に触れることとなり、マリアは「解雇」寸前となるが、子供の歌声が父親に音楽を呼び起こし、マリアは解雇を免れる。
子供たちは父親の厳しい躾から開放され、音楽、人形劇などを一家で楽しむ生活にかわる。そして父親の再婚話がはじまる。しかし大佐とマリアはお互いの心に気付き、二人は子供たちや修道院の修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける。
二人が新婚旅行をする間に、アンシュルスに伴いナチス率いるドイツ軍がザルツブルクにも進駐していた。新婚旅行から戻った大佐の家にはナチス旗が掲げられており、激昂した大佐はその旗を引きずりおろす。しかし、同時に大佐に対してドイツ第三帝国海軍から出頭命令の電報が届いていた。ドイツによるオーストリア併合に反対する大佐は、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく電報を無視するが、ドイツ海軍も有能な軍人である大佐を欲しがり、再三、電報を寄こし出頭を要請する。彼は時代の大きな波を感じとり一家の亡命を決意する。
一家は歌のコンクールに出場する予定があったので、この機に乗じて中立国であるスイスへの亡命を計画。審査の結果、トラップ一家が優勝するが、その表彰式の隙に家族は逃げ出す。まず家族は修道院に逃げ込む。裏口から車で家族は逃走するが、追跡しようとするナチスの車はエンジンがかからない。その頃懺悔に来た修道女たちの手にはその車の部品が握られていた。「大きな罪を犯しました。」と微笑む彼女たちの笑顔のすばらしさ。。。全ての国境へ向かう道が閉鎖されているため、家族は山を越えて自由の地スイスへ向かう。
マリアの明るい笑顔と歌声、それはとりもなおさず、人間のおろかしい戦争への正面からの反戦歌ではないだろうか?
【付記】
三日と四日の夜、長時間映画の「風ととに去りぬ」と「サウンド・オブ・ミュージック」を観るという、わたくしとしては稀有な快挙(???)であった。名作として残っているこの二作の映画の背景は「アメリカ南北戦争」であり「ナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦」であったことは、偶然とは思えない。
また、全く違う視点での共通項は「カーテン」でした。スカーレットは、タラでいよいよ困窮し、レットに借金を申し込むために着てゆくドレスすらない。そこで彼女はビロードのカーテンをドレスに仕立て直すのだった。マリアは子供たちの遊び着をつくる生地を大佐に願い出るが断られる。そこで思いついたのが自室のカーテン生地だった。思わぬ共通項に内心「うふふ。」でした。
Jan 06, 2008
風ととに去りぬ
(本当はクラーク・ゲーブルだけを掲載したいのですが。。。独り言。)
監督:ヴィクター・フレミング
原作:マーガレット・ミッチェル
スカーレット・オハラ:ヴィヴィアン・リー
レット・バトラー:クラーク・ゲーブル
アシュレ・ウィルクス:レスリー・ハワード
メラニー・ハミルトン:オリヴィア・デ・ハヴィランド
今更言うまでもないことですが、「風と共に去りぬ(Gone with the Wind)」は、一九三九年制作のアメリカ映画です。全編で三時間四十二分という大長編であるにも関わらず、当時空前のヒットを記録したそうです。この制作年を改めて確かめてみると、この時にはわたくしはまだ生まれていません。さらに日本で公開されたのは一九五二年です。この長い空白には「戦争」があったということですね。さらに言えばわたくしが十代に郷里の映画館で観た記憶はありますが、その時すでに新作映画ではなかったのだと初めて気付かされました。これをあらためてNHKのBSで観られたということですね。
これはアメリカの南北戦争に巻き込まれ、運命を翻弄された、男女の愛の物語であり、石原吉郎の言葉を借りれば「戦争のもっとも大きな罪は、一人の運命に対する罪である。」とも言える物語です。
一八六一年、アメリカは南部と北部の対立が深まり、内戦が避けられないところまできていた。ジョージア州タラの大地主ウィルクス家の御曹司アシュレーの結婚相手は自分だと信じていた、同じくタラの大地主ジェラルド・オハラの美しい長女のスカーレットは、彼が従姉妹メラニーと婚約すると聞き、絶望的な状況となる。
その精神的な痛手と、南北戦争による貧苦の生活など不幸は重なるばかりだった。スカーレットは二度の偽りの結婚、夫の戦死、次には事故死と二度の未亡人となる。こうした日々を、タラの屋敷と土地を守るため、スカーレットは狡猾と思えるほどの逞しさで生き抜く。レット・バトラーは幾たびかスカーレットを救う役割を果たしてきた。
一八六五年、南軍の降伏で戦争は終わった。数々のすれ違いを乗り越えてやっと結ばれたスカーレットとレットはアトランタに豪邸を新築、まもなく娘のボニーが産まれ、幸せの絶頂を迎える。ようやく訪れたかに見える平和だが、スカーレットはアシュレーへの思いを消すことができない。嫉妬に苦しむレットは、スカーレットとの離婚を決意して、ボニーをつれてロンドンへ行く。母を恋しがる幼い娘が不憫になったレットはアトランタに戻るが、スカーレットとの仲は戻らなかった。それどころか、口論の末にスカーレットが階段から落ち、二人目の子供を流産してしまう。不運は続き、ボニーが落馬して命を落す。そしてレットの愛も消えた。
すべてを失ってようやくスカーレットはレットへの愛に気付く。スカーレットは絶望の渕から、すぐに希望を取り戻す。ここが最後の有名な台詞です。
『レットをどうやって連れ戻すか、明日のことは明日、タラに帰って考えればいい……。』
美しく、情熱的で、気位の高い女性の実りの少ない人生ではあったとしても、スカーレットは「絶望」や「虚無」や「失墜」に堕ちることはなかった。控えめで清楚なメラニーと、対照的に描きだされた女性の生き方は、時代を超えて変わらないテーマでしょう。
Jan 03, 2008
ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート・2008
二日の夜、NHK・BS2で、三時間番組を観てしまいました。指揮者はフランスの八十二歳のジョルジュ・プレートルさん、かわいい笑顔、そしてすべて「暗譜」であることに驚きました。演奏会場は「ウィーン楽友協会・大ホール( グローサーザール)」です。「黄金のホール」とも言われる豪華な巨大ホールですが、それでも立見客がいることに、この国の音楽の在りようがわかるようでした。もちろん日本人の観客も大分いましたが。
途中、音楽に合わせてテレビ画面ではバレエや「スペイン乗馬学校」の「白馬」によるうつくしく高度な演技などが挿入されています。会場ではおそらく放映画面が用意されていたことでしょう。
ここでは毎年、演奏途中でちょっとした楽しい演出が行われます。今年は、オーストリアのサッカーチームのタオルや笛、イエローカード、レッドカードの小道具などを使い、指揮者と第一バイオリン奏者との楽しい寸劇が観客の笑いを呼びました。また「ラデツキー行進曲」では指揮者の合図のもとに、観客は手拍子(しかも強弱まで要求されて。笑。)を送り、観客を巻き込んだ楽しい演奏となりました。
プログラムは下記に。(長くなってごめんなさい。自分のための覚書です。)
1. ナポレオン行進曲 作品156 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
2. ワルツ「オーストリアの村つばめ」 作品164 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
3. ラクセンブルク・ポルカ 作品60 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
4. パリのワルツ ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
5. ベルサイユ・ギャロップ 作品170 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
6. 天国と地獄のカドリーユ 作品236 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
7. ギャロップ「小さな広告」 作品4 ( ヨーゼフ・ヘルメスベルガー作曲 )
8. 喜歌劇「インディゴと四十人の盗賊」 序曲 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
9. ワルツ「人生を楽しめ」 作品340 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
10. ポルカ「かわいい曲」 作品271 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
11. トリッチ・トラッチ・ポルカ ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
12. ワルツ「宮廷舞踏会」 作品61 ( ヨーゼフ・ランナー作曲 )
13. ポルカ・マズルカ「とんぼ」 作品204 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
14. ロシア行進曲 作品426 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
15. ポルカ「パリジェンヌ」 作品238 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
16. 中国風ギャロップ 作品20 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
17. 皇帝円舞曲 作品437 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
18. ポルカ「インドの舞姫」 作品351 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
(ここからは、予定されていたアンコール曲です。)
19. スポーツ・ポルカ 作品170 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
20. ワルツ「美しく青きドナウ」 作品314 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
21. ラデツキー行進曲 作品228 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )