Jan 07, 2008
サウンド・オブ・ミュージック
監督: ロバート・ワイズ
脚本: アーネスト・レーマン
音楽: リチャード・ロジャース オスカー・ハマースタイン二世 アーウィン・コス タル
公開: 一九六五年
製作国: アメリカ
言語: 英語
【キャスト】
マリア:ジュリー・アンドリュース
トラップ大佐:クリストファー・プラマー
このミュージカル映画の舞台背景は、一九三八年のオーストリア・ザルツブルク。 ナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦の時代 にあたります。
修道女見習いのマリアは、院長に、数年前に妻を亡くしたトラップ大佐の七人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、大佐宅で暮すことになります。トラップ大佐はオーストリア海軍退役軍人。大佐は、子供たちを軍隊的に厳しくしつけていますが、過去の何人もの家庭教師が長く勤めてくれない状況にあった。それは父親の厳しさへの反動が家庭教師に向けられていたからだったのです。。
ある激しい雷雨の夜に、雷を怖がる子供たちは次々にマリアの部屋に集まってきた。マリアは、「哀しい時や辛い時は楽しいことを考えましょう。」と教える。母を亡くしてからずっと家の中に聴こえることのなかった音楽を、マリアが子供たちに取り戻すことによって子供はみるみる快活になってゆく。それは大佐の逆鱗に触れることとなり、マリアは「解雇」寸前となるが、子供の歌声が父親に音楽を呼び起こし、マリアは解雇を免れる。
子供たちは父親の厳しい躾から開放され、音楽、人形劇などを一家で楽しむ生活にかわる。そして父親の再婚話がはじまる。しかし大佐とマリアはお互いの心に気付き、二人は子供たちや修道院の修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける。
二人が新婚旅行をする間に、アンシュルスに伴いナチス率いるドイツ軍がザルツブルクにも進駐していた。新婚旅行から戻った大佐の家にはナチス旗が掲げられており、激昂した大佐はその旗を引きずりおろす。しかし、同時に大佐に対してドイツ第三帝国海軍から出頭命令の電報が届いていた。ドイツによるオーストリア併合に反対する大佐は、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく電報を無視するが、ドイツ海軍も有能な軍人である大佐を欲しがり、再三、電報を寄こし出頭を要請する。彼は時代の大きな波を感じとり一家の亡命を決意する。
一家は歌のコンクールに出場する予定があったので、この機に乗じて中立国であるスイスへの亡命を計画。審査の結果、トラップ一家が優勝するが、その表彰式の隙に家族は逃げ出す。まず家族は修道院に逃げ込む。裏口から車で家族は逃走するが、追跡しようとするナチスの車はエンジンがかからない。その頃懺悔に来た修道女たちの手にはその車の部品が握られていた。「大きな罪を犯しました。」と微笑む彼女たちの笑顔のすばらしさ。。。全ての国境へ向かう道が閉鎖されているため、家族は山を越えて自由の地スイスへ向かう。
マリアの明るい笑顔と歌声、それはとりもなおさず、人間のおろかしい戦争への正面からの反戦歌ではないだろうか?
【付記】
三日と四日の夜、長時間映画の「風ととに去りぬ」と「サウンド・オブ・ミュージック」を観るという、わたくしとしては稀有な快挙(???)であった。名作として残っているこの二作の映画の背景は「アメリカ南北戦争」であり「ナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦」であったことは、偶然とは思えない。
また、全く違う視点での共通項は「カーテン」でした。スカーレットは、タラでいよいよ困窮し、レットに借金を申し込むために着てゆくドレスすらない。そこで彼女はビロードのカーテンをドレスに仕立て直すのだった。マリアは子供たちの遊び着をつくる生地を大佐に願い出るが断られる。そこで思いついたのが自室のカーテン生地だった。思わぬ共通項に内心「うふふ。」でした。
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「風ととに去りぬ」
「風ととに去りぬ」高校生のとき友人と読んで、わたしは朝方まで読んで、嗚咽しました。
映画があとかな?
Posted by ぺこ at 2008/01/09 (Wed) 22:48:13
制作年
ぺこさんには思い出深い読書体験だったのですね。
映画は、アメリカで一九三九年に制作されたものです。わたくしたちがその映画に出会えるまでには、たくさんのかなしい歳月が流れているのですね。
Posted by あきこ at 2008/01/10 (Thu) 13:21:09
http://haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/movie/20080107142030.trackback
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