Dec 29, 2007
ミンボーの女
監督&脚本 :伊丹十三
井上まひる:宮本信子
小林総支配人:宝田明
鈴木勇気:大地康雄
若杉太郎:村田雄浩
プールの老人(ホテルの会長):大滝秀治
フロント課長:三谷昇
ホテルマン:松井範雄
(彼はわたくしの従弟です。オーディションに強い俳優です。特別に紹介しました。笑。)
いやはや、ヤクザの恐い場面ばかりの映画、ハッピーな結果は約束されているとはいえ、恐い場面は目を伏せて観ました。観終わってつくづくと「伊丹十三」の「暴力に屈しない正義」を観たと思いました。この映画のおかげで、彼自身も現実の場面でヤクザに襲われて、大怪我をしたというニュースを改めて思い出しましたが、それも覚悟していたのではないかと思いました。
ここで「暴力に屈しない正義」をくさい言葉だと思ってはなりません。この言葉が本気で表現された稀有な映画だと言っても過言ではありません。ヤクザ映画は数々あれど、どこかで彼等の「任侠」などが美化されている映画ばかりのなかで、これはヤクザの本質(ゆすり、たかり、暴力)を暴いています。
それと法的に戦った女性弁護士「井上まひる」、刑事と裁判官の適切なバックアップ、それに導かれながら成長してゆくホテルマンたちの自覚と勇気、映画を観終わった途端、わたくしの脳裡に浮かんだ言葉は「正義」でした。しつこく繰り返します。「正義」は「不当な暴力」に勝つのです。この映画は、その「法的な勝ち方」をはっきりと教えて下さるものでした。
こうして、ヤクザにゆすられ続ける「ホテル・ヨーロッパ」は、ヤクザの脅しに屈して簡単に金を出してしまう体質と、危機管理の甘さを脱却してゆきます。経理部の「鈴木勇気」、ベルボーイの「若杉太郎」の二人をヤクザへの対応役として任命。彼等を勇気あるホテルマンに育ててゆくのが、民事介入暴力(民暴)を専門とする弁護士「井上まひる」でした。宮本信子演じる弁護士の啖呵が見事でしたね。ほれぼれしました(^^)。
Dec 23, 2007
冬の新宿御苑
なんと昨日の二十二日は「冬至」ではないか。しかも朝の窓辺では雨音。天気予報より早い。半分元気なくして傘をさしてとにかく新宿に向かいました。南口を出る頃には雨はあがっていました。御苑散歩中には一滴の雨も降らない。誰の心掛けがよかったのかな?
御苑にお住まいの猫たち。風格がありますね。負けそう。。。
空にはゆったりと飛行船が。乗ってみたいなぁ。
まだ残っていたあざやかな紅葉、花はスイセンのみ。温室は当分の間改築工事のために閉館。あのなかの花や樹木や水中植物はどこに移動したのでしょ?御苑を出る頃には、ぽつぽつと雨が。紀伊国屋で本を買う。そこで合流したメンバーと共に「ぼーねんかい」でした。
Dec 21, 2007
となりのカフカ 池内紀
「池内紀」はドイツ文学者。エッセイスト。ゲーテやカフカの翻訳者でもある。この著書は「カフカ初級クラス」向けのカフカ論であって、とてもわかりやすい。悪い夢に出てきそうなカフカ・イメージを解体して、カフカを身近な人間存在として持ってきたという貴重な本と言ってもいいかもしれません。
カフカは一八八三年七月三日、チェコのプラハで生まれる。(わたくしと誕生日だけが同じです。)チェコ国籍。ユダヤ人。小説はドイツ語で書くが、チェコ語ももちろん話せる。一九〇八年、二五歳のカフカは「ボヘミア王国労働者障害保険協会プラハ局」に採用される。幹部は全部オーストリア人、ドイツ語を使用した。「書記見習い」から「書記官」になった有能なサラリーマンだったと言える。
二十世紀到来とともに、工場の近代化がはじまり、工場労働者の事故は多発する。「労働者障害保険」の先駆けの時期と思われます。
カフカの勤務時間は午前八時から午後二時まで。家に帰ると自室にこもり、睡眠不足になるほどに執筆に集中したと思われます。壁の薄い家で、家族の声や日常の音に囲まれながらも、唯一個室を持った長男カフカの執筆は続きます。しかし病弱なために、仕事を休んで転地療養を何度か繰り返しています。そのような時でもカフカは執筆することは休まなかったようですね。
また勤勉な書記官としてのカフカには、いわゆるサラリーマンの憂鬱や嘆きのようなものが作品に投影することがなかったように思います。仕事と執筆とのストイックとも見える生活ぶりは、カフカにとってはごく自然なものだったのではないか?小説世界での奇異性は、カフカの夢の中の世界から生まれているようですが、それを単純に夢判断的に解釈することもはばかれる。これらはすべてカフカ自身の淡々とした精神世界だったように思われます。
カフカの度重なる婚約破棄、あるいは恋愛遍歴は有名なお話ですが、カフカの四十一年の生涯は、結局「新しい家族」を持つことはなかった。これはユダヤ人としては決してよい生き方ではなかったということです。ユダヤ人はみずからの宗教を強固なものとして定着させて、広めてゆくためにはユダヤ人口を増やすことに力を注いでいたのですから。
カフカが生きている間に本となって世に出たものはわずかな「短編小説」だけでした。「死んだ後はすべて焼却するように。」というカフカの遺言を「誠実に裏切って」友人はすべての日記や小説を整理して、世に送ったために、わたくしたちは、長編小説を含めてのカフカ小説を読むことができたのです。日記と小説はノートに混在して書かれていたものも多く、主人公が別の小説の名前と入れ替わっているという混乱すらありましから、カフカのよき理解者がいなければ、これらは形をなさなかったのかもしれないとさえ思われます。
また、たくさんの恋人にめぐりあったとしても、カフカ文学の寛大な理解者はそこには一人もいなかった。それは大きな哀しみのように、わたくしの心に残りました。
(二〇〇四年・光文社刊)
Dec 20, 2007
幸福な詩集
一冊の詩集を出して、その運命は様々です。これは「批評」とか「受賞」とかいう運命ではないし、そのような運命など、ほとんどどうでもいいことだと思ってきた。一編くらいの詩がどなたかの記憶に残ったり、共鳴できたりすればそれでいいのだと思う。
上の画像は、昨日はわたくしの詩集「空白期」に着せてあげてくださいと、京都のYさんから贈られてきた手作りのブックカバーです。「幸福な詩集」という言葉がすぐに浮かびました。
↑これは、詩集「空白期」を作って下さった「水仁舎」のキタミさんが、作ってくださった「保護ジャケット」です。これを頂いた時にも、「空白期」は幸福な生まれ方をした詩集だと思ったのでした。そしてずっとその「幸福」が続いていたようです。ありがとう。
Dec 19, 2007
ピアノのバットフレンジ交換修理
四月の引越しとともに、今まで住んでいたところに娘が一人暮らしとなって、当然ピアノもそこに置いてあるのですが、調律師さんが娘一人の家で一日中かかる作業に気がかりな気分があるようで、しきりに「お母さんも一緒に見に来て下さい。」と言う。家は近い(自転車で五分の距離)ので承諾する。
そういえば、ピアノを買ってから二十数年、調律師さんに会っているのはわたくしだけだったのだと気付いた。当然ピアノの解体現場を見ていたのもわたくしだけ。娘ははじめて自分(のですよ!)のピアノの中を見て、興奮気味になって「写真撮らせて。」と言い出した。それにつられてわたくしも写真を撮りました。
今回は毎年行う二時間ほどの「調律」だけではなく、一日がかりの大仕事「バットフレンジ交換修理」なのです。
・バットフレンジ新品に七五本交換
・その他、フレンジセンターピン交換
・ピアノ調律、全八十八鍵整音
いくらなんでも一日中いることもないだろうと、正午前に「一旦戻ります。終わる頃にまた来ます。」と調律師さんに申し上げたら、不安そうなお顔(^^)。まぁ、とりあえず作業は夜七時に無事に終わりました。来年からはまた普通の調律を繰り返すことになります。
そんなわけで、ピアノとの長い日々を思ったものでした。現在ピアノがある家に引越しする時には、ピアノを以前の家の玄関から出せず、一階の居間の一間分のガラス戸を外して、そこからクレーン車で引っ張りだして、引越し先の二階の部屋には男性二人、方向指揮の男性一人、計三人の力持ちの男性三人が手動で持ち上げて下さったピアノでした。娘はあらためてピアノへの思いに目覚めたようでした。めでたい(^^)。
Dec 14, 2007
ムンク展
十三日(木)午後には雨があがり、曇り空の上野公園に到着。いつもの如くまずは猫のいるカフェ・テラスへ。以前いた盲目の猫はどこへいったのだろう?姿が見えない。代りに妙に人なつこい猫に出会う。友人のカバンに頭を出していた、折畳み傘の取っ手にいきなり噛り付く。なにが入っているのやら猫はそのカバンに興味しんしん、まさか「鯵の干物」は入っていなかったと思うけど(^^)。。。
「ムンク展」はまさに三度目の正直。一回目は臨時休館、二回目は、ある催し物の後でしたので、ちょうど連休中にあたってしまって、あまりの混雑に頓挫。十三日はとりあえず雨も上がり、館内もちょうどいい混み具合でした。
ノルウェーの画家「ムンク」と言えばあの「叫び」のような陰鬱な作品のイメージが強かったのですが、今回集められた作品は「装飾」というプロジェクト作品が多いことに意外な思いがいたしました。オスロ市立ムンク美術館などから一〇八点の作品が展示されていました。
第一章:〈生命のフリーズ〉 装飾への道
第二章:人魚 アクセル ハイデルベルグ邸の装飾
第三章:〈リンデ・フリーズ〉 マックス・リンデ邸の装飾
第四章:〈ライン・ハルト・フリーズ〉 ベルリン小劇場の装飾
第五章:オーラ・オスロ大学講堂の壁画
第六章:〈フレイヤ・フリーズ〉 フレイヤ・チョコレート工場の壁画
第七章:〈労働者フリーズ〉 オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト
ざっとこんな感じで、今回は公共的な仕事が多く見られる。第三章では、医師マックス・リンデ邸の子供部屋を飾る絵という条件で受けた仕事ですが、下絵の段階でマックス・リンデ氏の「子供部屋にふさわしくない。」と、描き直しの注文が出たのですが、「ムンク」はそれを無視したとのことで、絵画を買ってもらえなかったというエピソードも紹介されていました。
フレイヤ・チョコレート工場の社員食堂の壁画は映像としても紹介されていました。見ていたお隣のご婦人が「贅沢な社員食堂ですねー。」と、わたくしに声をかけて下さったのですが、わたくしは実はお返事に困りました。チョコレート工場の社員ではないのですから、その気分は想像しかねますもの(^^)。
例によって、一番好きだった絵「The voice/Summer Night」です。ムンクの恋人です。