金沢の三井喬子さんから詩集『牛ノ川湿地帯』をいただいた。ホームページにあるプロフィルに、詩集七冊をお持ちで昭和四十四年にさかのぼるそれもあるということだから、ずいぶん詩歴の長い人だけれども、私は久しくその詩風も経歴も存じ上げなかった。わずかにホームページ上に発表されてある幾冊分かの詩集に相当する数の詩篇を除いては。
それが、縁あってメールなどやり取りするようになり、愚作をお送りするなどした結果に当該詩集を恵与されたのだが、一読して破壊された鏡面みたいな青空、とでも形容し得るような異様な印象を感じたと言わなければ嘘になる。
パソコンのモニタの画面上で読むしかないとはいえ、ホームページに露出しているそれまでの各詩篇群はそれぞれに統一した作風と主題と構成を持ち、詩集ごとにある完備した観点を読む者にもたらしているのに対し、この『牛ノ川湿地帯』は、言いがたい切迫感と焦燥感の高高速度のうちに、詩集の全体を組み上げるべきいわば「部分」をばらばらとはね飛ばしながら、ある消尽点(バニシング・ポイント)にむかってまっしぐらに突き進むかのような観を呈している。
いきなり出てきて何の説明もない詩集タイトル「牛ノ川湿地帯」とは何なのか(作者出自の愛知県のどこかにある場所かも知れない)、烈しい昂揚感や深い消沈のエモーションの振幅の大きさのうちに漂う、暗喩やイメージや指示語の破片を、どういうふうに理解すればいいのか。ここにはたしかに作者に訪れているひとつの接近が存在するのだ。
作者はそのウェブ・ログにおいて、経験者、またはその家族なら確実に心当たりのあるはずのいくつかの事実を開陳している。定期的に大学病院に通い、腫瘍マーカーを測るための採血とCT撮影を行っていること。血痰が出て胸部が痛み、(おそらく疼痛緩和のための)大きな湿布を貼ることがあること。作品を発表してきた同人誌やノート、手紙のたぐいを、「遺す」べきものはないけれど「残し」たくはないので整理していること。夢に、生まれて三日で亡くなった娘が高校生になって出てきたこと……。
これらのことを度外視して、今までの詩集とは明らかにその世界が異なる当「牛ノ川」を語ることは不可能であろう。これだけの詩歴のある詩人が、充分に知りつくしたうえで、この破壊された世界という鏡面の破片が散乱する詩集、ありていに言えば混乱と破綻にみちた詩集に寄せる情熱と執心を思うとき、私は粛然とせざるを得ない。そしてこの混乱と破綻は未熟者や力量の及ばない者のそれではなく、混乱と破綻自体を高貴なものたらしめているなにものかの裏打ちがあるのだ。
それの大きな波濤の頂のひとつを、私は詩集さいご近くの作品「わたしが助けられなかった三人の姉妹たち」に見る。
「わたし」は「亡くなったわたし自身の娘に似ている若い母親」に、彼女のいまわのきわに、夢のなかでの切ない物語のように、幼い三人の少女を、「山を越え川を渡り 地の果ての/色の無い岩屋に住む祖父母のもとに」届けることを託される。そう言っている間にも若い母親は地面に吸われて儚くなってしまう。託された少女たちを連れ、末の娘を負ぶい(それは母親が子供を赤ん坊から幼児、そして少女にまで育ててゆく時間の普遍的な影像に思える)、「わたし」は、あてもなく、蛇やさそりに訊いても分からない、その祖父母のもとへ、砂嵐に堪え、光や闇のなか、娘たちをあやしながら地の果てをめざす。やがて長女は重い病にかかったので岩のうえに置いて去り、不機嫌な次女はどこかへ行方をくらまし、末の娘とともに「わたし」もやがて失われてゆく……。三人の姉妹を助けられなかった「わたし」ははげしく悔いる。「亡くなったわたし自身の娘(に似ている若い母親でなく!)」のために。
この悔恨の深さは何であろうかと茫然としてしまう。夢のリアリティとでも言うべきこの作品の説話性は、たとえば説経浄瑠璃における「さんせう太夫」や「刈萱」の悲しさ切なさに、たいそう共通するものがあるのを私は感じずにいない。言い換えれば、こういった夢や説話性のなかでこそ、この作者に訪れているはげしい悔恨ははじめて、破片から形象となる波濤のうえの一瞬間を与えられるのだ。そしてこの波立ちは「時間」のうえに波立つものであるらしいことが、なんとなく見えてくる。
孫、娘、若い母親、祖母、はそれぞれに形を変えた「わたし」の変成(へんじょう)の姿と言えるのではないか。私は男だからよく分からないところがあるけれど、たとえば女である「わたし」を中心に据えて、その母やその娘との濃密で変幻きわまりない関係と、深い悔恨は密接に関連しているように思える。作者にとってこの濃密な関係は現世そのものの時間をつらぬいて、世代を超えて存在しつづけるもののようだ。作者にとって、ある種否定的感情を伴うこの関係はいわば未解決で、終わらないものである。たとい作者が現世から失われたとしても。そしていくら水を飲んでも止められない夏の日の飢渇みたいに、作者はこの作品のなかで、若い母親にとってはその祖(おや)のような、託された少女たちにとってはその母親であるような、「わたし」自身にとってはそれらの関係がそっくり逆転されて、あたかも「わたし」が幼い、意地悪で出来が悪くて体が弱くて愛されないひとりの少女であるかのような存在として、自らを演じ分けつづけることになるのだ。北欧のSAGAのように繰りたたねられるこの作品の終わりまで来て、そこに何の明るさもないことに、かえって私は強烈に高い昇華の感情をおぼえる。まるで私自身が悲しい本物の夢を見て、涙を流して目覚めたときのような。
やはり作者は夢のなかで、生まれて三日で亡くなったという娘さんにかぎりなく許されているのではないか。愛憎も、ぎりぎりのところまで行ったら、どこかで人は引き返してこなければならない。世の中を含め、猛烈なスピードで昭和からこっちまで進んできた「先鋭な」われわれも、本当に得心のゆく、ハレとケでいえばケの、いわば心の寓居に安んじることをさとらなくては、どんなふうにもやっては行けないところまで来たと言えるのではないか。生きるにせよ、まして滅してゆくことにおいてをや、だ。陶潜だったら「帰りなん、いざ」というところか。三井さんはこの作品集のなかでたしかに、あらゆる悲しみを悲しみ、臍をかむ悔恨という悔恨に心を開くことで、世の「詩的達成」ということに風穴を空けたのである。それが、水島英己風に言えば「再帰的エクリチュール」、私なりにあらわしてみれば「帰心」、ということになるのかも知れない。
05/3/5
メタ 8号 2005・3月
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