自分の書いたものを引っ張り出すのははなはだ心苦しいが、和田彰の最近の仕事について考える上で避けて通れないので、自画自賛めくが、ここに引く。
暗く大きく混乱した廃屋の夜から君は帰ってきた
眼窩から頬にかけてきざまれた深い皺が黄金の傷のように君の顔をくまどる
やいばよりも鮮烈にきらめく太陽はあくまでも甘く南を指せと君に告げるが
夜どおしずぶ濡れになって泳ぎ着いた朝の岸辺は、まだ武装解除をゆるさない
神奈川の北の、小さな町の小さなギャラリーに君を苦しめた声のかたどりはあった
カンバスのなか、君自身をつらぬきとおす鋭い希望の雛形のような
(倉田良成「A portrait of an artist」第一連より)
なにぶん私事にわたることなので多くには触れられないけれど、この詩は、彼・和田彰がある期間、いうなればひとつの精神的な危機に陥り、そしてそこから帰還してきたばかりのおりの相貌を写したものだ。和田の今回の個展で、葉書大の画面に描かれて白や黒のフレームに納められた(それらは百円ショップで調達された)、同一モチーフの連作群が出品・展示されているが、その全体を統べるタイトルが「希望の雛形」であり、それは右の詩から採ったと彼は言う。
全体のモチーフは、和田には珍しく形象。それまでの和田のような、ある筆致の疾走のなかの偶然を装った擬・形象や色彩の横溢ではなく、はっきりと、逆紡錘形の肉質と、先端の小さな球形の象りである。眼のゲシュタルトによって異なるが、三次元の観点をとるとして、その肉質は盛り上がった凸型ではなく、抉れた凹型のものであると和田は言う。彼の言をさらに聞けば、この形象を思いついたのは、心と体両面のフィジカルな介護を要する彼の老母との幼時以来二度目の緊密となった関係から来たもので、形象は老親の乳房であり、同時にその雛形なのだと。
これを別面から考えれば、老親の乳房がすなわち希望そのもの、ということになる。老親の乳房が希望とは、今まで和田や私や、男女の別ないあなたや、が志向していた希望とは、またずいぶんとちがったものなのではないだろうか。マザーコンプレックスというのとも異なる。和田や私やあなたや、が、男女の別なく目指していた若さ・美しさ・強さと、それにともなう不寛容ーーつまり生老病死を無きがごときものとして扱う姿勢とは限りなく異なり、われわれが心のなかで殺害してきたものの意味の大きさに、改めて気づかされるのである。そしてその雛形を作るのが芸術家に課せられた「仕事」なのだと言えば、あまりに古典的に過ぎようか。
和田のこれまでの仕事をざっと振り返ってみると、やはり「野の意味」シリーズの存在が大きかろう。基本的には、縦横で言えばカンバスをほぼ水平に塗り重ねてゆく色彩の束から成る画面は、いうまでもなく一つの空間であるけれど、ある筆致という行為の跡、定着されはしているけれどある痕跡としての色彩、であることによって、なにものかが訪れている一つの時間の揺らぎでもあるものにほかならなかった。「野の意味」という概念のフレームを与えられることで、跳ね、躍り、長く跡を曳く絵の具の痕跡は、比喩でなく、そこで精緻な思考が展開している言葉以外のものではない。そしてその思考は、ジョン・ケージの、あるいはA・シェーンベルクの、二十世紀西欧の極北の思考に通うものでもあった。
それが2000年前後あたりの、和田の精神的危機と関係あるのかどうかわからない。先の老親のものとはちがう、私がそこに苦しげな鉤裂きの形であらわれた「希望の雛形」を認めた彼の絵と会ったのもその頃だ。彼はすでに教職を辞していた。その翌年か翌々年の個展で彼の絵に出会ったとき、彼の表情とともにその作品の変貌ぶりに驚いた。表情、作品ともに、そこにはすでに「黄金の傷」は痕跡を残していなかったのだ。代わりにあったのは、それまでの「野の意味」では偶然の技量としか私には映らなかった、マチエールというものの実に豊かな展開である。
それまでは厚塗りではあってもあくまで色彩でしかなかったものが、何層にも凹凸を組み、滲み、ひびわれ、崩落する寸前で止められる。その「止め」があまりに「作為を装った偶然」の域に達しているので、どんなに堅牢に厚塗りされていた部分でも、むしろいつかは土に帰るものとしての無常と安寧を露わにしているのだ。色そのものはアースカラーに近づき、マチエールと相俟って、そこに私は紅志野の、黄瀬戸の、織部の(焼き物には必ずつきまとう)下司な肉感を脱いだ色っぽさを認めざるを得ない。ハレとケでいえば、アジアのケにあたるこれらの無時間が、あのけんらんたる仏画みたいな「花々の過失」の荘厳に至るのは、私には何となくわかる気がする。
「希望の雛形」シリーズは葉書大と書いたが、じっさいその「カンバス」は彼のところに厖大にある個展案内の絵葉書にほかならず、そこに下の印刷が見えないまでに塗られたり、またわざと下の活字を見せるように薄塗りされた画面に、ふわふわ浮いてゆく気球みたいなのやオムライスみたいなのや、一筆書きの禅画みたいなオッパイ形が無尽蔵に、そして精密に「書き殴られて」いる。この乳房形が仏教的な意味での、慈しみ、苦を抜く「悲」にあたるものだとしたら、和田彰や大勢の人々がいとなむ介護とはその「悲」の雛形を維持するための営為に似ている。彼じしんじっさい心身がよれよれになるくらい大変らしいが、あるとき親に向かって紙に「希望の雛形」と書いて示したところ、そんなはずはあり得ないのだが、御母堂は「きぼうのひながた」とはっきり口に出して仰有ったそうだ。このことは今の世界のなかでまことに鋭利な出来事で、たとえ強弁と言われようとも、これは最低限、和田のモチーフの出発点の在処を示すものといえよう。思えば今回の個展で見た、メイド・イン・チャイナのチープな枠に納まった二十数点の、金獅子を思わせる筆勢のものも含む連作のひとつひとつは、龕(がん)のなかでしんかんと嬉遊している、なんだか新しい仏画のような気がしてならない。
あはれみし乳房のこともわすれけり我がかなしみの苦のみおぼえて
(西行『聞書集』のうち「地獄絵を見て」より)
メタ 5号 2004・11月
04/11/10
|