狩野松栄の水
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狩野松栄の水



 晩秋の一日、紅葉が美しい上野公園を通って東博に、いま話題だという「大徳寺聚光院の襖絵」展を見に行った。国宝とされる障壁画の制作者は狩野松栄・永徳父子だが、メインと目され、かつ誰もが推すのが子の永徳であることはみなひとの認めるところであろう。じじつ、その騒がしいまでの天才が祖父の元信をも凌ぎ、古永徳として狩野派の巨石の位置を占めているがため、とりわけて彼の筆と特定できるこの襖絵の若描きが自ずと興味の中心になってくるのは当然である(永徳の代表作であったろう安土城や聚楽第における作は灰燼に帰し、基準作品たるべきものはこの大画家にして比較的少数である)。
 しかるに、私がこの展示の劈頭を飾る松栄の水墨画に惹かれたのは、永徳とは明らかに対照的な、おそらくその才も狩野の節々(よよ)を託すべき嗣子とははっきり異なると何人も見なすところの、彼の謙虚さ穏やかさ、のみに帰するものでは必ずしも、ない。いや、圭角がないという意味での穏やかさにはいくぶんか通じるものがあるか。
 狩野松栄筆瀟湘八景図。画面をつんざくような梅枝や岩や奔流のみなぎり、空を切る山鵲、鶴の叫びなどの永徳のけんらんたる世界に入る前に拡がっているのは、松栄による、ただいちめんの静謐な水である。門外漢なので正しいことはわからないが、これが展示の入りばなにあるということは、この襖絵が寺院方丈という特定の空間に置かれているという意味をあたうかぎり再現しようとした展示コンセプトを示すものでもあろう。八景図が描かれた襖のほんらい存在する場所は「礼の間」ということで、これはじっさいにも客が方丈に入るとき第一に通されるべき部屋かと思う。
 瀟湘八景は中国湖南の地、洞庭湖の南の瀟水と湘水の景からとった、古来名高い(陳腐なまでに)画題だが、いちおうその八つを並べてみる。山市晴嵐、瀟湘夜雨、江天暮雪、平沙落雁、洞庭秋月、遠寺晩鐘、漁村夕照、遠浦帰帆。ちなみに、自戒のためにも記しておくと、山市は山間のまち、晴嵐はあらしということではなく(この場合の嵐(らん)は山気(さんき))、晴天の日にたつ山気であり、遠寺は文字どおり遠くにある寺のことで煙寺とも書く。平沙は凹凸のない砂原、落雁は雁が墜落するのではなく舞い下りるということ(私は誤解していたが)。
 松栄の八景図はその名の通り八枚の襖から成るが、一枚一枚が例えば山市晴嵐とか瀟湘夜雨とかにきっちりと対応しているわけではない。晴嵐は継目をこえていつのまにか夜雨に移行し、雨はいつしか雪となりつつ、気がつくと空から降るものは直交する部屋の隅をまたいでかりがねの連続した魂魄に変身している。そして落雁のつらなりは雪を戴く山から皎々たる月光の遍満する湖面の片端に散り、時間はやや巻き戻されて晩鐘のひびく瀟湘の水面を、漁を終えた漁民の舟が帆をあげ夕日を浴びながら帰ってくる。そこまでを見届けてふと、画面の端に付属した黒々とした引手の環を視認するとき、これが襖であること、いままでの時間が幻のように消失してゆくこと、そして私がいままで画を見る人であったことに、改めて気づかされるのである。現実に戻される、という言い方はしたくない。
 画の時間をおおうものはひたすらに空気と山気と水気であって、画面全体の割合から言えば、ヒトや邑や樹木を含むそれらのいとなみはほんのわずかの部分でしかない。ここで人間に対する自然の優位性ということを言いたいのではない。自然を含んだ人間のいとなみ全体が、完全(completeness)という概念がするどい逆説のように感じられるまでに、あまりにも圭角のない筆致によって定着されていることに私は驚くのだ。
 それをもたらしたのは松栄の資質か、それとも元々は嫡子でさえなかった、代継ぎとしての役割に徹した自らへのある種の諦観か。けれどじつは私はそのことに関して興味がない。彼の画の根本には松栄という個人をこえたものがあると思う。それは、花開き方、種子の質のさまざまは存在するだろうけれども、永徳にも元信にも、また血の繋がりは等閑視するとして、長谷川等伯や雪舟、溯れば牧谿もこえてふりさけみることのできる世界観だと思う。
 例えば永徳でいえば、代表的な「唐獅子図屏風」などの圧倒的な華麗さ、舞踏にも似た装飾性に私は、ルネサンス絵画におけるような堅牢さ重厚さを感じることはない。唐獅子図の装飾性、様式性に躍動を覚えるのは、それがある偉大な「軽さ」に裏打ちされている結果であって、次の瞬間に灰燼に帰していたとしても、一陣の風さえも残さない爽やかさがある。それは、当の躍動感の拠ってきたるところが、有ではなく無であるがゆえだと私は考えるのだ。拠って立つ、そして見晴るかす場所が空無であるがゆえに、若い永徳も父である松栄も、そういう事実、血縁とはちがう面貌で「古人」という名の無時間的なひとりひとりであったといえるのではないか。

   ゆぎょう         九号      2003・12月



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