彼岸の日、みごとな花を見た。地は漆黒に近い濃褐色、いやほとんど闇だ。ほとばしる花々は黄。向日葵や菊や、あるいは銀杏の黄のはなやかさを実花の表現として置いたわけではない。連歌連句における、花が桜花を極限にまで象徴化したすえに桜から離れてゆくのと同じ意味で、それを幽玄な花、と言うことができる。白色をこえてほのかな赤ささえ感じられるこの黄を、桜、とは言いたくないが、でも同じ分裂した気持ちをもって花、あるいは花そのものと言いたい。ボードレールが見た花々ではないと思う。
作者の和田彰はまぎれもなく、油彩をもっぱらにするところから出発した画家だけれど、洋画日本画という区別に、この人はここ数年、頓着しなくなってきているようである。それはこの「花々の過失」の構成が、保存処理を施した新聞紙大の紙(じつは新聞紙そのもの)の十五葉の画面から成り、相対する者は、微妙にずらされた四曲二双、二曲三双あるいは八曲一双の屏風絵を見ている気分に陥ることからもうかがわれる。じつは、彼は油(絵の具)にさえこだわっていない。地の濃褐色は新聞紙を保存可能なものに固定すると同時に、ある種のマチエールを実現しているが、それは、エッチングにもちいる処理剤の効果だという。また、暗夜に散りかかるようなモチーフの素材である黄色そのものは、沈澱させた水性ペンキと聞いた。
いままで、花、花と言ってきたけれど、それは色彩のほとばしりではあるが、繊細でも豪快でもいい、でもそんな、具象的な花の描画でないことは、今さらでもないが、断っておかなくてはならないだろう。そこに在るのは、作者が私に語ったとおり、絵筆やペインティングナイフそのほかの道具ではない、両手の十指を使って現前した手指の盲動の跡にほかならない(それを語るとき、和田はいかにも愉しげである)。だが、私たちがふつうに、木を見るとき、雲を見るとき、たとえば坂を上りながら石垣の蔦の群列を一瞥するとき、なんでもいいが、そのまさに具象的なホリゾントを持った現実世界を経験する感触が、そこに、するどく正確に定着されていると、この画を見て私は思わされる。たぶん、その意味で、これは抽象画ではない。もうすこし言えば、十九世紀から二十世紀にわたる、主にフランスにおける絵画の解体と再構成とも異なる根から発生していると、私は思う。
縦横数メートルにも及ぶこの「花々の過失」の壮観をまえにする折、私たちは当然のこととして仰ぎ見る形をとることになるが、この感じは、さっきも言ったように、屏風絵を見た経験や例えば来迎図、曼荼羅を仰いだときのことなどを思い起こさせる。室町や桃山の金屏風、また聖衆を従えた阿弥陀が臨終の者を済度する鎌倉期の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(早来迎)など、絢爛華麗ではあるこれらを眺めつづけていると、なぜかしらこころがしんと鎮まってくるけれど、「花々の過失」にもこの性格があって、じつは古い画の数々がそうであるのと同じように、突きつめて考えると、それはこの画の描線が何ものも指し示そうとはしてはいない、そのことから来ているのだ。ほんとうは、和田は画面のなかで、色や描線や質感を使って、何も主張しないことをめざしたのかと私は思う。たぶん、見る者の眼ではなくこころを、引き込み遊ばせるためのひとつの深度を含んだフレームが、ここには創造されている。山水画や南画もそんなところがあるが、人はそのまえで、あらわにされた色や描線と対決するのではなく、ある種の空無を鳥けだものの霊や神仙の幻とともに遊ぶのだ。この画をまえにすると、深山幽谷の豪華な夜桜のしたで冷酒を酌む気分になってくるけれど、欠損ではない明らかに過剰な、そんな喜遊の時間が忘れ去られて久しい現在、和田彰のつけたタイトルの「花々の過失」とは、批評でも逆説でもない、確実に効いている詩の言葉だと私は考えているのだが。朋輩の作で気が引けるが、彼の画に一首を取り合わせてみる誘惑を、うまく抑えることができない。
ふぶく浜見むと来たれば薄墨の海にはげしき舞ひのさくらや 駿河昌樹
グループ展「川へのドア展 2003」(9月22日〜28日、銀座すどう美術館にて開催)出品作による。
ゆぎょう 三号 2003・10月 より
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