御歌集拝読しました。少し時代がかった言い方をするなら、塚本邦雄氏の御弟子ということになるのでしょうが、氏御本人は措いて、その御弟子ということから、ややもすれば想像されるケレン味とは異なった、綺羅と豊饒のある世界を久しぶりに覗いたような気がします。なかなかひと言では要約しきれない、多面体に似た存在をしたたかに感じたといってもいいでしょう。なぜ要約しきれないのか、私なりに整理してみると、その底には作者の音数律にたいする葛藤・・と言ってわるければ、少なくとも微妙なコンシャスがあって、それが焦点を結ばせないのではないかと思います。詩を書いている私などから見るとこれはどう読んでも一行詩だよ、という世界と、伝統に則った三十一音の世界と、音数律に乗りそうで乗らない(シンタックスをずらすのとは違う)あきらかに意識された破調の世界とがあります。それらの混在(ときとして同じモチーフで並んでいたりする)が、肩怒らせることなく差し出されている点に、さきほど触れた豊饒さと作者のひそやかな自恃が匂うような気がします。
いきなり形式論から入りましたが、次に、私なりに感じた最も御集「らしい」ベースを形づくる歌を挙げてみます。
もうこれは魔法だつたとわかるまで宇宙の綾とりうつとり見てゐた
肩の線は綺麗に描いてください空の鳥がとまるところです
雪男アシアトハケシテオクカラハヤクココカラニゲテクダサイ
地球のてつぺんに月見草、唇に人指しゆびを置いてさよなら
そよ秋風のやるせなさわたくしのからだはどこからでも折れる
現し世の手が手袋のまねをして青の天辺などを指さす
羊たちをまつさきに忘れるのは羊飼いにきまつてゐます
砂丘と砂丘のあひだには空へかへる方法が隠されてゐます
掌をつよくつよくとぢても一粒の麦の入れるすきまがあります
蒲公英の羽毛くすぐるたびに知る耳がなぜこの高さにあるか
ひろつぱはねころぶところ空の耳そのかたつぽを杭にひつかけ
見晴らしのよい頭脳、風通しのよい心臓は御婦人方にきまつてる!
劇薬ばかり啜りゆく日々薄め液など購ひにゆく。劇場へ
少年合唱団の高音域は光の屑でいつぱいだつた
円柱の構図は考慮されてゐる空に近いこと孤独であること
メタファーが機知によく堪え、作者の資質が最も幸福に発揮されている、詩で言えばジャン・コクトーやアポリネールなどを思わせる特徴的な一群なのではないでしょうか。ランダムに選んだのですが、このなかには一行詩も音数律も破調も混在して、しかもそれを意識させない柔軟性が感じられます。なかでおもしろいのは「そよ秋風」の歌で、現存する梁塵秘抄巻第一冒頭の「長哥十首」や、同じく「そよ」が印象的な百人一首の大弐三位「ありま山」の歌のひびきの交錯が、私にはたいへん興味深く思われました。そして一首が和歌のたんなるトレースに堕してないところに共感と作者の気概を覚えます。いっぽうで、魔法の綾取りや鳥がとまる肩、どうしても掌に入ってしまう一粒の麦など、ぜんたいに作者の育ちのよさが感じられると言ったら笹原さんには怒られてしまうでしょうか?
ところで機知といえば、固有名詞入りの次のような歌が私には見過ごせません。
高地にたたずむ秋谷まゆみよりいちまいの文「暗香浮動月黄昏」
梅の幹枝を玉枝とよびしその日よりこのはなびらは朝に散るもの
「黒蜥蝪」つれだちて観る室谷とよこよあをき蜥蝪にきつと会へます
二首目はあるいは私の思い違いかもしれませんが、ここに引いた歌はみな女友達に呼びかけるかたちをとっています。「私信」という歌の伝統がはからずもこの当世に転生する思いがして、そのスタイルだけでほんの少し興奮しました。作品のなかに「私」を入れることは、近代文学がやっていそうでいてやってはおらず、明治時代あたりぐらいまでは文人のあいだで続いていた尺牘の習慣のなかに、実はこれによく似たかたちで存在していたことに思いを致しなどして、ちょっと楽しい気持ちになりました。
(伝統、伝統と煩くお思いになるかもしれませんが、私は御集で歌を読むつもりで詩を見いだしているのであって、その逆ではありません。歌集は詩集と、はっきりその性格を異にするものだと考えています。歌が音数律といつまでも無縁でありえないのと同じです)
さきに、要約しがたい歌集であることを述べましたが、作者みずから、決意表明(なつかしい言葉です)のような、こころざしを表した数首があります。歌集冒頭の印象深い一首以下、引用してみます。
その踝から濡れてゆけ 一行の詩歌のために現し世はある
大和言葉は直立しない。あはあはとうづまきながら君の首まで
淡雪のなかでうづもるからの函。わたしは言葉がとてもきらひだ
くちぶえをはじめてふいた日のやうにうたのこころは無意味であれよ
むなしくてうつくしい歌を書きたくてそのために心はいつもからにしておく
大和言葉の歌は、佐佐木センセイのむかしの歌集のタイトルなどを思い起こさせて、不用意にもにやりとしてしまいましたが。三首目で反語的に述べられていることからも感じられるように、作者の言葉にたいする姿勢は、きわめてセンシティブかつ尖鋭であるようですし、そのことは御集を一読すればただちに了解されます。「から」であり「むなし」い一行の詩歌のために現世があるという言明は、危険なまでに魅力的で、そして、私はこのこころざしを断固として支持します。
しかし、次のような歌はこのこころざしを全うするものでしょうか?
すきまなく積めば積木とよばぬゆゑおもひつきり風の城砦
鳥のかたちの鍵ばかりいくつ蒐めてもラピュタの扉にあふはずはなし
「今は亡き鳥人ばかりが扉をあける」ラピュタの守人の三億の昼
眉月島の長老たちは琅【王干】の夢見の杖をもつてゐる
よこたはる真冬のうへでたちつくすこの輪唱は地球(テラ)のささやき
これらは、宮崎駿や萩尾望都ら漫画作家たちの、あらかじめ与えられたヴィジュアル・イメージや作品の知識などが前提になっています。彼らが将来にわたって現代の神話の語り手でありうるかどうかは、私の判断するところではありませんが、数多の先人が言葉によって跋渉を試みた「神話」とは、彼ら映像の天才をもってしても錘鉛のとどかない恐ろしい深度を持つものであると私などには思われます。私はこれらの御歌が言葉ではなく、それ自体はみごとであるヴィジュアルの天才たちのイメージに圧倒され、侵食される姿に不満を持ちます。
ところで、同じ夕焼をめぐる二首について、ちょっと立ち止まって考えてみました。
夕焼に立ちつくしてゐる君だから火傷はしづかに深いのだ
けざやかに菜の花燃やすこの夕焼ならおそらくは死とつりあへる
このふたつを並べて、見比べてみると、現代詩を書く立場としては一首目のほうがわかりやすい。メタファーも明快で、よく出来た一行詩のようです。しかし、歌を読む(詠むではありません)姿勢をとるなら、二首目のほうになにか「あはあはとうづま」くものを感じて左勝、とかたむくこころの動きは何なのでしょうか。もうひとつ例を挙げましょうか。
冬の朝一滴の血で雪の白さをたしかむること端正と言へ
牛の眸子に空高きときためさるる土のぬくみはその沈黙を
これも左勝です。たしかに前者のほうが格段に「格好いい」のですが、目の詰んだ筋肉のような言葉の動きと余情という点では、後者に及ばないと思います。そしてこのような
歌を詠めるということは、(エラそうな言い方を許してもらえれば)笹原さんが専門歌人としての自覚的な修練を積んできたまぎれもない証左であるといえるでしょう。その手練を偲ばせる歌を挙げてみたいと思います。
このなかはからであるゆゑよく響く砂地ゆく人の足音さへも
みづからの吐息の熱さたしかむる窓のガラスもあすは淡雪
まなうらはもゆらなす國さしあたり雨竜郡妹背牛町
来世には魏の姫君に仕へたし気高き心とながき尾をもち
門前で恋文をよむひとときにほどよき明るさ月の光は
首都高速のさいはてあたり浮島にいま濃霧注意報
湖底の邑を訪はばや春雨は葉群をぬらし木戸をたたいた
はからずも音数律の勝った歌ばかりになってしまったのは如何ともしがたい。派手な歌も地味な歌もありますが、総じて語が喚起するものの筋目をきちんと踏んだ結果で言葉が立っている御作が多いように思われます。どうにも不粋な読み方しかできないのをお許しください。ほかにも魅力的な歌をたくさん摘み取ることができるのですが。そういえば、ここでは触れませんでしたが、「安寿あるいは」の章で印象的だったのは、背後に物語や説話の気配があると歌は音数律に乗ってくる傾向があるということで、これは、「安寿」ほど濃厚ではありませんが、「眉月島」や「北窓」の章にも共通して言えることのようです。またはなしが不粋になってしまいました。ここで、不粋になったはなしの閉ぢめに代えて、私が集中の白眉と目す六首を挙げておきます。
思ふべしいづこも客土たとふれば一盞の霧発ちゆくはここ
霧ふかき國に生るれば会ふときも別れのときもそつと手を挙ぐ
海境をこえてきしものまつすぐに文目もわかぬ霧の市まで
たれひとりゐなくなりたる方舟のはては夜明でも泥土でもなく
うしなひし声帯のやうなかなしさだ降りつづく雪のしろさは
ほの昏き昭和の森でちちははと川の字になり寝ねし日々あり
さいごに引いた歌は、「たどりつく岸辺はしらねどわたしたち川の字に寝る。遠くまでゆく」と並べてひと組になるものですが、皮膚感覚のようになっていた一時代の終焉を、却ってこのごろになってひしひしと懐う身には、ここに一入のものがあることを付け加えて筆を擱きます。
PS/次の二首、私の既発表の作品部分と並べて見るのも一興かと存じます。
目で見える、心のなかで見えないものをさがすのが五月の宿題
埋火の
灰の
音楽ももはやない
澄んだ日月の瞳孔のような截りくちから
こころによっては視ることのできない
この夕映えの血を浴びる
「メイ・ストーム」
1992年
大空の鍵盤に黒鍵はなし天使とは長調のかなしみ
短調よりも長調の曲のほうが好きになってきた
心の密林から救われたいからじゃない
そのほうが悲しみがより高いような気がするからだ
「マイ・フェイバリット・シングス」
1995年
坂井信夫主宰誌「索」第16号(1998年7月10日発行)発表
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