Jun 13, 2007
エルノー、ダリュセック、ウエルベック
アニー・エルノー「シンプルな情熱」、「場所」 マリー・ダリュセック「めす豚物語」、「亡霊たちの誕生」、「あかちゃん」 ミッシェル・ウエルベック「闘争領域の拡大」、「素粒子」 エルヴェ・ギベール「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」、「憐れみの処方箋」ギベールはこれから読む。フランス現代小説をおくればせながら7冊ほど続けて読んだ。トウーサンとクリストフはもう読んでいるから、今回の読書から省いた。自分の年令に近いのが1940年生れのエルノーで、このひとは成績優秀で、労働者階級からブルジョワインテリ階級へと、高校教師の職と、エリートとの結婚で移行を果たしたその内面を冷静に書いて、目に見えない言葉にならない階層差を、べつにインテリが○、工場労働者が×という図式をもたずに淡々と描いているところが人間性の力と言える。彼女より29歳若い世代のダリュセックとなると、自分がブルジョワインテリであるのは当然のこととして、その位置で怖気づかない奔放さを武器に世俗的幻想を展開する。水面に顔を出せるのはこの地位しかない現代、これはこれで戦いではあるのだ。ウエルベックはその男性版。一匹狼で、情報化の進む世界を泳ぎ抜こうとする。この作家たちに共通するのは、自分に対する正直さ。自分を甘やかすのではなく、自分の限界をさとり、そこから自分に可能な生をあますところなく獲得しようとする。日本の作家と大きく違うのは、瞑想生、諦念性がないこと。ぐずぐず考えていないで行動しようという、民族の成り立ちの違い。ただ、騒がしいなあ、どうして黙って静かにしていちゃいけないの?なんでそんなに他人とかかわらなくてはいけないの?といううんざりした不毛感が浮かんでくるのを避けることができない。まったくご苦労様だ、というのが私的感想。
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