Jun 09, 2007
死体を診る
谷口謙さんの新しい詩集『漁師』を読んだ。この詩人は京丹後市の警察医を長いことしていらっしゃる。15冊の詩集のほか、与謝蕪村の研究家でもあり、蕪村についての講演もたびたびされておられる。ご高齢(金曜日夜おでんわをくださり、82歳になりましたとおっしゃっていた)だが、少しも衰えを感じない。15冊の詩集の半分は警察医として検視に当たられた遺体についての記録である。わたくしは「詩学」の合評で初めて読んで以来のファンである。このデータを書き付けただけに見える詩が果たして詩か、という声も耳にしたことがあるが、もう6冊分の詩をずっと読み続けてきた私は、見事な詩業であると確信する。そこ透きとおったポエジイを感じ取るから。今回は、タイトル詩の「漁師」と「宵宮」がとりわけ心に残った。峰山町の金比羅神社内の木島神社の祠を守るのが「狛猫」だというのが、とても面白い。丹後ちりめんで生きてきた土地柄なのだ。生を終えた人を検(み)るという仕事にはどれほどの冷静さが必要だろうか。私の場合、久保覚さんも、長兄も、なきがらのそばに居ながら冷静でいることができなかった。まして遺体から血を採り、触診するのだ。そうしながら、公けの、少ないデータのみでその人の生を想像する。けしてそのための深入りはしない。最近の詩にはその人の生への敬愛が加わってきているように感じられる。もちろん警察医が診る遺体は特例の場合に限られるのだが、よい生の終えかたであるとして安らぐことも増えていらしているようだ。「漁師」は同年のひとへの、毎日海を見ていたという人への、敬愛が静かに流れていて印象深い。
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