Dec 16, 2018

セルクル第15回 2018年12月12日(水) は自作詩朗読でした

2018年12月12日(水) セルクル第15回 自作詩20分朗読とフリースピーチ 出席者 田中もえぎ、金沢力、西宮順子(3時から)、有働薫

2018年最後の集りなので、本日は勉強を離れて、日頃考えている自分のことを詩に書いて朗読する試みをしました。フランスとイタリアの名高い詩人たちの畢生の作品に日頃触れてきて、この不思議な不安を孕んだ見かけ上平和な私たち日本人の現在の意識を少しでも文字として意識化してみたいと思います。
時間通り1時からはじめ、じゃんけんで朗読の順番を決めました。3人で一番勝った人が最後、一番負けた人からスタートしました。田中さんがまず勝ち、金沢さんと有働でじゃんけんをして有働が勝ち、結果、金沢さんからのスタートとなりました。小説『若草物語』の著者オールコットの伝記の厚い本を持参され、その中にある「5月の歌」を手本にして自作の未完の詩を鉛筆でノート上の手書きで朗読されました。5月を3月に代え、最終行の繰り返し「さあ 行こう 楽しい楽しい5月を愛でるために」を3月に代えてそのまま取り入れた、勉強としては有益な試みです。自分の心惹かれた詩を〈真似する〉ことは詩を上達するために最も有益な方法です。茨城県北部の出身とおっしゃる金沢さんは広々とした関東平野の季節の変化、日常の周囲の自然の様子にとても敏感です。3月になって自然が動き出すけはいの喜びを詩に表そうとしています。まだ未完ですので、次の講座までに完成してくることを約束されました。
2番目は有働です。自作詩朗読は 同人誌「ユルトラ・バルズ」30号(2018年初秋刊)に寄稿の「久地円筒分水」です。他に同じメンバーの志村喜代子さんの新詩集『後の淵』(2018年8月水仁舎刊)から印象に残った4篇をコピーさせていただいて3人で代わりばんこに朗読しました。《後》という文学的心理状況は日本の詩歌の美意識の伝統の中で育まれてきた意識で、その心理を現代詩に見事に移植されてあることに新鮮な驚きを覚えました。外国詩から栄養を摂ってきた有働には気が付かないままに過ごした別の詩魂に触れた思いです。「暁け方にあらわれ」「駱駝のまつ毛」「白鳥」「後の淵」の4篇のうち、ことに「白鳥」の詩は北へ帰る群れに加わることができずに一羽だけ残された白鳥の描写が秀逸です。他に自作詩「白無地方向幕」第1部が歌曲化された六文銭の新アルバム『自由』と、今日は出席できなかったメンバー城野兼一さんのCDを紹介して聞きました。
3番目の(じゃんけんでは一番の)田中もえぎさんの自作詩はできたてほやほやの「ステージ」です。11月17日にアイリッシュ・ハープによる演奏会に出演された際の気持ちを(記録に残しておきたくて)詩の形で記録したのだと制作の動機の説明がありました。まだ良く書けていませんと謙遜されていましたが、経験の新鮮さがそのまま詩行に表れて臨場感があります。エスキースと云えそうな素描的な軽さが魅力です。他に詩集『六月の空』(2004年3月刊)から、きれいな合唱曲になった「水たまり」をCDで聞かせてくださいました。音大を卒業したての女性の作曲家(高橋ゆきさん)の作品で、若々しい明るい印象の作品です。子どもが水たまりにどんな反応を示すか、田中さんのご長男の(いまはもう23歳ですけど、と微笑されなから)子どもの頃の様子をくっきりと捉えて(「あなたの指に雲の一端がかかって/動いている/風といっしょになって」)心が洗われる爽快な作品です。
3人の朗読が済んでフリートークに花が咲きました。こんな風に自分のことを率直に話すことができる場を持てることの幸せを大切にしていきたいと心から願いました。3時になって西宮順子さんがあらわれ、まったく違った雰囲気の詩、田中正名「議事堂」を朗読されました。勤めていた法律事務所時代にご本人から頂いた同人詩誌「spiral line」からの作品です。
以上、いつもより少人数でしたが、それだけに私的なトークが可能で、満足感があり、以上、いつもより少人数でしたが、それだけに私的なトークが可能で、満足感があり、こういう会も素敵だと満足でした。ではどうぞ良いお年を、次回は2月6日(水)です。
Posted at 08:59 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Nov 08, 2018

セルクル第14回は11月7日(水)城野兼一さんのオフィーリアが素晴らしかったです

イタリア詩のディエゴさんが発熱のため、突然お休みになり、急遽メンバーの10分間フリートーキングに切り替えました。前日に連絡を入れることができたため、自作品をプリントされて朗読された方が、野村龍さん「立方体」、細田傳造さん「実話時代」、両篇とも個性のはっきりした素晴らしい作品でした。あとの方は、現在の活動の報告など、いつもは聞くことができない普段の活動の様子が生き生きと把握でき、充実した時間でした。3時からのフランス詩は予定通り、城野君がランボーの「オフィーリア」を3枚の絵画付きレポートプリントと、宇佐美斉、小林秀雄、堀口大学、中原中也、金子光晴の5人の「オフィーリア」訳の出だしの部分のコピープリントを配って比較検討し、城野君が曲を付けたいと思ったのは宇佐美訳であることの理由を説明し、ギターで宇佐美訳によるパート1を歌いました。このギター朗読は2回目で、1回目のメロディーがさらにブラッシュアップされて印象的な作品に仕上がっています。他に河出文庫による鈴木創士訳も紹介され、きわめて豊かな、ライブ感にあふれたレポートでした。1870年ランボー16歳の作品が148年後の極東の日本で若いミュウジシアンに歌われるマジックに驚かされ、城野君の持ち歌としての完成も近い予感がしました。他に有働の詩に及川恒平さんが曲を付けてくださった「月の魚」(ユーチューブで聞けます)、中原中也の「サーカス」も歌われました。皆さん集中して質問も多く、時間5時までのリミット寸前までもりあがりました。出席メンバーは以下の通り:野村龍、金沢力、細田傳造、志村喜代子、田中もえぎ、西宮順子、有働薫、3時からのフランス詩の時間のレポーターは城野兼一。
Posted at 11:57 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Oct 10, 2018

セルクル第13回ダンヌンツイオ(II)とエドガー・ポー「大鴉」

2018年10月10日(水)会場の都合で第2水曜になりました。 秋にしてはやや蒸し暑い気温で、夏の疲れが出はじめる頃、体調を崩して今朝になって欠席のやむなきに到ったメンバーが数人あります。体調が崩れてしまうと、がんばろうと思っていた予定も諦めざるを得なくなり、とても損をした気分になります。今回のレポートも、気合の入っ充実した内容でしたので、欠席の人は大損をしたことになりますよ。<br> ディエゴさんのほうは事務のほうのスケジュールをゆうゆうと崩してくれて、「手帖」の催し物欄の広告から内容がずれてしまうことがたびたびあり、イタリア人の大まかさに泣かされていますが、そこは文化ギャップと捕らえてゆうゆうと構えていくことにします。そんなわけで、イタリア詩のほうは作品予定の変更があり得ることを頭に入れて置いてください。
今回は広告とはずれた2篇、「フイエーゾレの夕暮れ」「プレイアデスと運命に」を読みました。「フイエーゾレ」は1904年41歳のときに出版した詩集『アルキオネー』に収録された作品で、1899年6月との記載がある。36歳。「松林の雨」と雰囲気を同じくする、トスカーナ地方の自然の美しさを優雅に歌い上げる、51行の叙情的な作品。 「プレイアデス」は第1次大戦に参戦した経験から書かれたダンヌンツイオの別の一面をあらわした詩。古代ギリシャの文化を踏襲しながら、イタリア文化を作り上げたのは神ではなく人だとはっきりと宣言している、ダヌンツイオの多面性と詩人のスケールの大きさが鮮やかに表現されている。
フランス詩のほうは田中もえぎさんのレポートで、エドガーポーの代表作100行の「大鴉」を言語で朗読。これが素晴らしかった。100行を読み切って、翻訳も付け、田中さんの<持ち歌>にして欲しい。 出席者:細田、金沢、志村、有働、ディエゴ、田中。
Posted at 23:06 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Sep 06, 2018

セルクル第12回はツエランとダンヌンツイオを読みました

セルクル第12回は9月5日(水)1時から5時まで前半はディエゴさんのレポートでガブリエーレ・ダンヌンツィオの長詩「松林の雨」、後半は有働のレポートでパウル・ツェランの2つの代表作「死のフーガ」、「エングフュールング(迫奏ストレッタ)」を読みました。ダンヌンツイオはご承知の通り、20世紀初頭イタリアを代表する詩聖で三島由紀夫に多大な影響を与えたヒーローです。ヴィスコンティの映画になった小説『イノセント』で日本でもよく知られています。レオパルディが 詩「無限」で詩の革命を起こし、ダンヌンツィオがそれを引き継いで「松林の雨」で最高の詩を創造したという流れになっています。11音節詩が古典的に最高の音楽性を保つと考えられるにたいし、ダンヌンツィオは短い3,4,5,7,9音節を用いてこの作品を構成しています。優雅で古典的な風格さえ見せる傑作になっています。内容的には恋人の女性と松林の中を歩きながら、世界のすべてが5月の雨に打たれる森に変身するという世界の更新を果たしているというものです。
これに対してルーマニア生れのパウル・ツエランは詩を、美より真理に導こうとした、ナチスのジェノサイドを身をもって経験した詩人です。ドイツの二つの最大の文学賞を受けた講演で「詩は対話である」と語った詩人も38歳でフランス国籍を取得してパリでの生活を築き上げる努力を重ねながらも、「詩は絶望的な対話である、すでに沈黙するよりすべがない」と語って50歳でセーヌ川に投身自殺した詩人です。イタリアとフランス(ルーマニア、ドイツ)と国籍を異にし、対照的な生き方をした詩人です。出席者は田中もえぎ、金沢つとむ、細田傳造、志村喜代子、西宮順子、ディエゴ、有働の7人に、ツエランを自分に重ねて読み込んでいる野村龍氏が特別参加されました。
Posted at 10:59 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Jul 06, 2018

セルクル第11回は7月4日(水)無事終了しました

1時からのイタリア詩は、ディエゴさんが古代ローマの諷刺詩についてA3の大型プリント2枚のテキストを使って熱弁をふるいました。ギリシャに比べて精神的な活動が弱かったローマ人は文学的な分野はすべてギリシャから移植して用いたが、唯一独自に発達させたのが諷刺詩だったとの論旨は極めて新鮮です。社会への切込みを目的としたエピグラム(短詩)形で、人々の日常的な行為をやり玉にあげ、言葉で≪刺す≫ことによって人間の本音を浮き彫りにしている、生き生きとした2000年を経ても古びることのない文学分野として価値があるという論旨です。古代ローマ人の得意分野は戦争と建築だったというまとめ方も納得できるものです。〈br〉 フランス詩はJ-M.モルポワの詩集『青の物語』から3篇を有働が、オリヴィエ・カディオの詩と対比させながらレポートしました。批評的抒情詩リリスム・クリティークを自己の創作の原理とするモルポワに対して、5歳年少のカディオは≪リテラリテ≫と呼ぶ表現主義を主張して対抗しています。カディオと対比すれば、モルポワの詩的断章は古典修正的とも映りますが、実際テキストに向き合うとその文章の見事さにふうっと息をつくような満たされ方をして、抒情詩の捨てがたさに納得を覚えます。カディオもシンプルな言葉使いながら要所にピリッと作者の視線を利かせてそのリズムの心地よさに感服しました。6人の読み手のうち4対2で、モルポワに軍配が上がりました。両詩人とも、もっと読みたいという気持ちを起こさせる優れた書き手であることは十分に納得できました。〈br〉 その前の週の6月30日(土)に朗読会を開きました。今年前半に詩集を発表した4人の70代詩人というくくりで、有働の場合は訳詩集ですが、それぞれの個性が静かに表現できて、大成功の朗読でしたが、詩集そのもののアピールが弱かったという反省があります。詩集以外の作品も数多く混ぜ込んだために、詩人の個性は見えても、新詩集のイメージの立ち上がりが弱かったと思います。1冊の詩集はその場での詩人そのものですから、詩集というくくりをもっと鮮明にしたほうがよかったと思います。≪韻律磁場へ!≫という谷合さん作のタイトルは素晴らしかったと思います。1回では惜しいので、これからもこのフレーズを使った朗読会ができればいいなと思います。
Posted at 05:23 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Jun 06, 2018

セルクル第10回 オールイタリア詩

2018年6月6日(水)第10回セルクルは予定を変更して、オールイタリア詩でした。1時からと3時からのフタコマを30分の中休みをはさんで5時15分前までの長丁場で、イタリア詩の中の難破をテーマにした、古代ギリシャから現代の難民の詩(ボートピープルたち)を歌った1950年生まれの作家エッリ・デ・ルカという初見の詩人の難民をテーマにした8行詩は分かりやすく、ドキュメンタリー風の作品でした。他にホメロス、ヴェルギリウス、ダンテ、レオパルディの難破をテーマにした叙事詩をごく限られた詩行ですが、読むことができました。難破という観念は古代ギリシャと古代ローマでは具体的に海上での遭難を歌い、レオパルディになると象徴的な扱いになり、ダンテはキリスト教的な教訓の意味合いが強く、現代に至ってまた具体的な海上での難民の難破を取り上げています。レオパルディの象徴で、ピークに達し、再び古代に戻っていくような錯覚におそわれました。出席者は金沢、田中、細田、有働、志村、ディエゴ、森の7名でした。
Posted at 21:36 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

May 16, 2018

セルクル第8回と第9回を一緒に報告します

第8回4月4日(水)はサルヴァトーレ・クァジモドの「古代の冬」「もう雨が」「歓びの模倣」「すぐに夜がやってくる」の4篇、フランス詩は金沢つとむさんのレポートでジャック・ルーボー「極私的東京案内」抄でした。充実した会でしたが、有働は体調を崩して青息吐息の状態で、ここの報告ができませんでした。
今日は第9回5月16日(水)で、出席者は細田、西宮、ディエゴ、志村、森、渡辺、有働の7名。ディエゴさんのレポートでディーノ・カンパーナの「キメーラ」と「ジェノアの女」の2篇、フランス詩は細田傳造さんのレポートでエリュアールの初期の詩「ちょっとしかめて」(サガンの「悲しみよこんにちわ」の表紙に裏に引用されている詩)を引いての作品生成の事情を福田拓也『エリュアールの自動記述』の読み込みを行いました。
Posted at 22:48 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Mar 08, 2018

セルクル第7回は自作詩朗読とランボー「オフィーリア」でした

3月7日(水)の第7回セルクルは、イタリア詩のディエゴさんが他の仕事に行かれたので、急きょメンバーの自作詩10分間朗読に切り替えました。3時からのフランス詩はスケジュールどおり城野兼一さんがギターで「オフィーリア」を朗読してくださいました。自作詩朗読のほうは、金沢さんのブラウニング「時は春」を下敷きにしてお住まいの周辺の風景を織り込んだ春の匂いのする詩、田中もえぎさんの「くすのき」、これはご両親が生まれたての自分を抱いてくすのきの若葉の下で写っていらっしゃる古い写真を題材にした、ご自分の名前の由来を明かした爽やかな詩、有働の6歳の頃の疎開児童の「女の子のラメント」、志村喜代子さんのかなり激しい「はこ」、西宮順子さんは有働が以前お送りした詩誌から「寝台テーブル」と「彼女のトランク」が読まれました。3時からは城野兼一さんのお待たせ(!)アルチュール・ランボーの16歳のときの詩「オフィーリア」を宇佐美斉訳でギターで朗読。これは逸品でした!この3月に大学院を卒業された城野さんは、この作品にまつわるリサーチもユニークで、訳は中原中也、堀口大学のものも検討したうえで最新訳で読みやすい宇佐美訳を使わせてもらったとのことです。目を見張ったのは、オフィーリアの入水を〈水の流れに任せて〉と読み取ったことで、もっと言えば、詩人ランボーのその後の人生をも予感したものになっているとも思えるという解釈でした。今回は第1部の2連目まで(もっと聴きたかった)で、3部まである比較的長い詩なので、今回を第1回として、さらに曲を創って行ってほしいと、メンバー全員の希望が出されました。
Posted at 09:46 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Feb 08, 2018

セルクル第6回2月7日(水)無事に終了しました

池袋東京芸術劇場5階ルーム2で、1時からエウジェニーオ・モンターレ(1896-1981)の「あらし」と「ウナギ」をマルティーナ・ディエゴさんのレポートで、3時からジャック・プレヴェールの「枯葉」「バルバラ」「わたしはわたしよ」を西宮順子さんのレポートで読みました。ディエゴさんは情熱的な分析と批評でみんなを惹きつけました。ことに「ウナギ」は《ウナギは自分の妹だと思って居ないかい?》と疑問符で終る30行からなるたった一つの文章で構成された、ノーベル賞詩人の実力をまざまざと証明する力作でした。イタリア詩の構成力のダイナミズムに魅せられました。現代のマルチタレントのさきがけと見られるプレヴェールは、平易な日常語のリズミカルな中に、反戦や自由の要求や詩人の良心など、人間としての主要素が隠された無視できない名作です。西宮さんがアカペラで数節を歌ってくださったのが素晴しく心に残りました。皆さんご苦労様でした。次回第7回は3月7日、ディエゴさんが他のお仕事で塞がりますので、イタリア詩の時間をメンバーの自作詩10分朗読会に切り替えます。自作の詩7部コピーを用意してください。
Posted at 11:59 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Jan 05, 2018

2018年のスタートを祝して

まずはセルクルのお知らせから:
1月はお休み。2月7日(水)1時からエウジェニオ・モンターレ「檸檬」「黒い天使」、3時からプレヴェール「枯葉」「バルバラ」を読みます。レポーターはモンターレはマルティーナ・ディエゴさん、テキストは当日プリント配布、プレヴェールは西宮順子さん、テキストは岩波文庫『プレヴェール詩集』、西宮さんはジョセフ・コスマのシャンソン「枯葉」をアカペラで歌います。会場は池袋駅西口東京国際劇場5Fルーム2にて。ぜひご参加ください。連絡はメール:suu210114@gmail.com 又は携帯090-1858-6357の有働まで。

次は訳詩集刊行のお知らせ:
ジャン・ミッシェル・モルポワ『イギリス風の朝』批評的抒情の原点
「リリシズムは主観ではない、リリシズムは本来人間の本質から汲み上げられるものだ、という主張が、長年詩というものにかかわってきた意識になんの障害もなく自然に流れ込んできた」(訳者ノートより)フランス現代詩の批評的抒情主義の旗手が若き日に著した、リリシズムをめぐる思想と詩想の、生命感あふれる断章詩。(『現代詩手帖』2018年1月号広告より)
前訳書『青の物語』で日本詩壇に爽風を送り込み多くの読者を獲得した詩人の、詩的出発点に立つ若書きの詩と詩論のメランジュ版です。

次は有働の今年の抱負:
ようやく詩が書けてきたかな、という手ごたえをちかごろ得ていますので、その微かな灯りを消さぬよう、心して毎日を送りたいと思います。形はごくみじかい、少ない語で世界を掴みたい。というだいそれた望みです。
皆様の日々が楽しいものでありますように~。
Posted at 15:35 in n/a | WriteBacks (0) | Edit
November 2024
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
         
Search

Categories
Archives
Syndicate this site (XML)

Powered by
blosxom 2.0
and
modified by
blosxom starter kit

新規投稿