Aug 07, 2011
KANの音楽の浸透力
ちょっとしたきっかけがあって、シンガーソングライターKANの音楽にはまっています。とはいっても、資金不足等々で、ツアーライブを追っかけに行ける訳じゃなし、U-TUBEと街の中古CD屋さんを漁っているだけですけど。「愛は勝つ」フィーバーからもう20年以上経っているでしょうし、当時、その歌のあまりのシンプルさに、若気の一発は、詩の世界でもあるなー、ぐらいの耳しか持っていなかった。現時点で聞くと、まず、歌の合間のメロディーラインの叙情性に驚かされる。水面に跳ねた魚をふと眼にして水辺によると、その水のあまりにも透明度の高さにめまいを覚える、といった感覚。そしてこのシンガーの大きな個性の1つが、日常性のうえにそのポエジイがしっかりと根を生やしていることで、ほとんど作品がその人自身、その人の今まで、その人の現在の意識のありようを余さず反映しているとおもわされること。ずっとキヨシローが、そのスレンダーな果敢さがすきだった。はからずもここで幽明を分けてしまって、こちらはまだこの世をさまよって迷っている。KANは同時代を生きていて、若くて、といっても映像で見る限り若いときの顔じゅう口だらけの青い蛙がぱくぱくしているような愛らしさがきえて、これほど風貌の激しく変わったタレントも珍しい。そしてもう一つのこのシンガーの個性は社会人としての理屈っぽさだ。こんな音楽家もめずらしい(と思う)。おもしろいな、と思い、息子ぐらいの音楽家のポエジーに負けていてはだらしが無いなあ、と自戒している息づまる熱暑の夏です。
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