Apr 29, 2006
欅の芽吹き
余白句会の藤野吟行へ向かう道すがら、4月21日昼過ぎに酒井弘司さんのお宅にうかがった。句会の語り草になっている、天空の城ラピュタのようなお庭を拝見したいと思った。話にたがわず、話以上に、お庭は絶景だった。アッシリアの女王セミラミスが征服した民を動員して作らせたという空中庭園さながら、しかし全く違うのは、残酷なものは何も無く、たまたまこの相模原台地の津久井の地形がもたらした絶景という自然の賜物なのだ。穏やかですがすがしい風景だった。日本てなんて美しい国なのだろう、と、あまり国外に出た経験のないわたしでさえ、思う。酒井邸のお庭はむしろ簡素で、壮麗なのは借景なのだ。青空に連なる雑木林の丘と、目の下の小川と、川沿いの欅の大木と、色とりどりの緑。鳩の番が来、鶯が鳴き、ツバメが空をよぎり、鳶が舞い…どうだんつつじの生垣に囲まれて。
お庭で奥様手作りの梅の実の砂糖煮や木の芽田楽をご馳走になり、
ご一緒にさらに山の奥へ、青根という名の町営の休暇村へ向かった。
鶯も上手になりて道志川 かおる
Apr 15, 2006
ジャック・ラングの仕事
「パワナ」について書いたとき、ミッテラン政権時代の文化大臣ジャック・ラングのことを、久しぶりに思い出した。社会党政権がつぶれてから、フランスの社会は、保守の揺り返しの時代に戻り、私のイメージでは、小泉政権が日本中に蔓延する既得権益の切り崩しに骨身を削った(ようにみえて、じっさいはひそかに元に戻ってしまったとも言われている)が、長生きする権力者というのは国民にとってつらいものだ。政権を離れた元文化相は、いま北の炭鉱町ランスにルーブル美術館の分館をつくる仕事をしているそうだ。2009年に完成予定というから、ベルギーのボードレールのゆかりの町を訪れ、ムーズ川をさかのぼって、新設の美術館を見学する旅行をしたいと思う。長年、南の、ロンスヴォーにも行きたいと思っている。わたしがラングファンである理由のひとつが同い年であること。北部ヴォージュ県出身の弁護士である。もうひとつ一番大きな理由は、彼の右目の角膜が日本の青年にプレゼントされていること。20年以上前の話だ。昨年末京都で講演したときの写真を新聞で見て、年をとったな、との印象を持った。(日本人はフランス人と比べると、10歳は若く見えマース!)
Apr 11, 2006
今年の桜は
心なしか、持ちがいいようです。
この街だと、見どころは駅前の玉川学園正門前の桜の老木の並木ですが、あまり数はありません。せいぜい6,7本かな。でもすごい老木なので、風格があります。昨日、買い物の帰りに、駅の西口から、学園のほうを見ると、正門をこえてキャンパス内までずっと桜のアーチになっていました。近寄るともう枝先には赤い葉がでていて、花びらも5枚そろっているのは数が減ってはいるものの、そうなるとガクが赤くたくましくなるのですが、それでも、離れて景色としてみると、もこもこと薄紅をおびた白の雲が低く垂れ込めているように見えます。ここ数年、千鳥ヶ淵あたりを回るようになって、気がついたのは、雨の日の桜の老木の濡れた幹の美しさです。黒か焦げ茶の中間ほどの色合いで、肌合いが、ざらざらごつごつして、質感がすばらしい。名器の抹茶茶碗を両手に抱えたらこんな気分になるだろうな(名器を両手で支えてみたことはないけど)と、そんな思いが、手を当てるとじわじわとしてきます。桜のバックに緑の松があるのも美しいですが、老木の幹は、こんな質感の老人になりたい、と思わせられます。家近くの東玉川学園4丁目のバス停からつくし野へ行くバス通りも、わかいソメイヨシノがようやく大きくなって、ここの桜が幸せなのは、根元をつつじの刈り込みで覆ってあること。人に踏みつけられるのが防げています。冬に市役所の伐採で、ずいぶん深く枝を切られたのですが、(バスの屋根にさわるといけないからか)、ようやく立ち直ってかわいいアーチになりつつあります。どちらの道も歩きながら見上げるだけで、花の下でお弁当、というわけにはいきませんが、私にはこれで十分です。もうひとつ、さくらは散り行くときがすばらしいのに、ようやく気付きました。何もあせることはないわけです。
Apr 07, 2006
サンテックス『星の王子さま』
池澤夏樹新訳「星の王子さま」
サン=テグジュペリの「星の王子さま」が集英社から美しい布装本で出された。岩波少年文庫の内藤濯訳以来の再読ブームだそうで、他の訳者の版も、倉橋由美子訳、そのほかが出ているが、たまたま夏樹訳の単行本が手に入った。訳は一言で言ってすばらしい。簡潔明快で品位がある。原文も美しく、学生時代にLPでコメディー・フランセーズの俳優たちが朗読しているのを愛聴した経験がある。そのときから耳についていたのが“Je suis résponsable de ma rose.”というフレーズだが、何ゆえrésponsable なのかは説明しかねていた。それを今回の新訳で明確にすることができて、つかえが取れたようにすっきりした。砂漠で出会った狐がおれを飼い慣らしてくれと王子に頼む。王子は承諾するが、飼い慣らしたものには、いつだってきみは責任がある。きみは自分の星のきみのばらに責任がある。たくさんある薔薇の中で、1本、自分のばら、わがままで、はかない花を、自分が一生懸命世話したがゆえに、責任がある、ほっておいてはいけない、そうわかって自分の星に帰っていく小さな星の王子。およそ8日間砂漠で井戸を探してともにすごした「わたし」との絆を、忘れないための詩的小説。この場合、詩的とは、説明不要という意味。
Apr 04, 2006
読書数冊
2006年春のために復刊された岩波文庫から、「オーカッサンとニコレット」(川本茂雄訳)と「クリスチナ・ロセッティ詩抄」(入江直祐訳)を買った。見慣れた表紙がつやつやしていて、赤帯が胸までありそうに幅広くなっていて、赤々した新芽を見つけたような気分でいそいそと取り上げた。「オーカッサン」を読んだ。ロセッティはこれから。それに思潮社現代詩文庫「続続辻征夫詩集」、福田武人「砂の歌」、谷本州(くに)子「綾取り」。どれもよい本だった。辻さんのは、最後の10年ほど身近だったために、ただならぬ気持ちで背筋が通った。ろくに読まなかったことを後悔しつつも、読んでいたら堪らなかっただろうと思う。スレンダーな容姿が目に浮かぶ。大して話しはしなかった。辻さんがよく着ているヘンリーネックのシャツが気になって、よく似合っていいなーと見つめていた。同じ1939年生まれのわたしは3月辻さんは8月。一学年おねーさんだぞー。
Apr 01, 2006
詩人のラブレター②
ふらんす堂のホームページの「詩人のラブレター」が更新されました。アドレスは http://furansudo.com/ です。①に続いて②もモルポワの詩です。当のモルポワ氏がメールをくださいました。「きれいな青い薔薇の画面をうれしく思います。雪の数片がそちらに届きますように。」モルポワのこの愛のドラマはあと数回続きます。ふらんす堂の山岡さんによれば、青い薔薇はお嬢さんのデザインだそうです。「解説文に少し重なっているかもしれませんが、画面を大きくしてくだされば、離れます。」いろいろな方々のお力を集めてできています。