Mar 28, 2007
FLOWERS
「花人 中川幸夫の写真・ガラス・書-いのちのかたち」(求龍堂)を買いました。2005~2006年に宮城県丸亀市で行われた展覧会のカタログを書籍化したもののようです。
4500円と一寸高いですが、現在中川幸夫の作品を大きな図版で見られる本が皆無なため、
私としては待ち焦がれていた一冊でした。
といっても、私が中川幸夫という人を知ったのは比較的最近の話。
知識もいくつかのテレビ特番で見たり雑誌の記事を読んだぐらいの乏しいものですが、
とにかくこの人の作品は一度見たら一生忘れることが出来ないぐらい衝撃的、
一度見たらもう一生見続けたも同然、そんな作品です。
一応紹介しますとこの人は前衛いけばな作家と呼ばれる人で、
その作品は通常のいけばなとはあまりにかけ離れたものであり、
説明なしに見せられれば誰もこれをいけばなだとは思わないでしょう。
ですので中川の作品を文章で描写することはほぼ不可能です。
しかし、あえて描写してみますと、
ドーナツ型に固められたチューリップの花びらが真っ赤な花汁を滴らせる「泉」。
おなじくチューリップの花びらがうずたかく積み上げられた「魔の山」。
乾ききったカーネーションの花びらが溶岩石のように固められた「自華像」など。
…やはりよくわからんですね。
写真を載せられれば、もうそれでなんの説明も要らないんですが、著作権とかいろいろありそうなので、
興味のある方は本屋で実際に手に取ってみるか、「中川幸夫」でネット検索してみてください。
前衛というものは、実際には目に見えない心の内部、あるいは心そのものの形を表すものでしょうから、
なかなか目で見てそれを理解することは難しいと思います。
心眼で見ろ、というのも一般的には無理な注文でしょう。
だからこそ、一目見た瞬間に強烈な衝撃を与えることが、
それが作品として存在するための第一条件ではないかと思います。
岡本太郎は、なんなんだこれは!と見る者に思わせることこそが芸術なのだ、
というようなことを言っていましたが、殆どの前衛芸術は一見してなんだかさっぱりわからないし、
別にわかりたいとも思わない、というようなものだと思います。
岡本の言うのは、なんなんだこれは!という衝撃と共に、その作品のことで頭がいっぱいになり、
わかるわからないに拘わらず、それについて考えずにはいられない状態にさせてしまう力のことでしょう。
しかし一目見た瞬間に強烈な衝撃を与えられるかどうかは、努力うんぬんよりも、
根源的な才能が必要になってくるのではと思います。
前衛芸術は、ものすごく乱暴に言ってしまえば、熟練した技術を持たなくても、
誰にでも作成可能なものです。
しかし誰にでも出来ることをやって、尚且つそのなかで秀でることはとても難しく、
それが出来る人はやはり特殊な才能を持っている人なのでしょう。
中川幸夫は長年前衛いけばなというジャンルに打ち込み、途方もない試行錯誤を重ねてきた人ですが、
それでも彼の作品群に見られる、まさに一度見たら目が離せなくなる、他の追従を許さない特異性は、
元より胸に宿っていた花への激情と愛情、そして生まれ持ったセンスからきていると思います。
私は正直言って、中川の作品が好きであるのかどうか未だによくわかりません。
もしかしたら嫌いなのかもしれない。
しかし中川幸夫の名前を何処かで聴くとぴくんと反応してしまいますし、
その作品に出くわせばしばらく目を離すことが出来ません。
恐らく私は一生中川の作品を忘れることが出来ないでしょう。
つまり中川幸夫の作品とはそういうものであり、前衛のど真ん中を貫く数少ない一人だと思います。
この写真集は三部構成になっていて、第一部がいけばな、第二部がガラス/オブジェ・平面作品、
第三部が書となっています。
ガラスを使った作品群は、水が、生命になる瞬間、を捉えたものというように私には感じられました。
水は生命の源であり、それが時間と光の中で偶然にある形を成した時、
生命として新たに誕生するのではないか。
あるいは花を愛撫し作品へと昇華させていく過程で、中川が感じている花の中の水の形を、
作品にしているのかもしれないとも思います。
いずれにしても中川の、生命への激しい思いがここにも表されており、
それは第三部の書においても同様です。
中川は新たな作品に挑むとき、まずその思い書に表すそうですが、
どの作品を見ても、白紙に激しく墨が叩きつけられ、
まさその瞬間の激情がそのまま凝固している、というようです。
まあ、とにかくこの人の作品は一度目にしておいて損はないはずです。
未見の方は是非。
Mar 21, 2007
おひさ…。
生きてます(笑)。もう一ヶ月もこのブログほっぽりっぱなしでした…。
別に健康状態が悪いわけでも、精神状態が悪いわけでもなく、
いや実はですね、ここ数年は毎月コンスタントに詩を書いていたのですが、
思うところあって一月ほど詩を書くのを中断していたのです。
それに引っ張られるようにこのブログも、なんとなくストップしてしまって…。
ま、ネタ切れということもあるんですが(笑)。
と言いながらも、某SNSでは毎日短いながらも日記を書いていたりはするんですけどね。
先日の日曜は毎月恒例のPSP合評会に参加してきました。
上に詩を書くのを中断していたと書きましたが、実は一篇だけ書いてしまっていました。
それを提出。
短くてゆるい作品ですが、長いブログ中断の罰としてここにさらしておきます。
日陰にて
古い家屋のわき腹に
飛び込んでみて
不自由になる。
空が急に重たくて
雲には他人のふりをされて
笑い顔まで
見知らぬ誰かになってしまった。
こうして春にいつも騙され
私の形があまりに変で
すごすごと
家屋の下へ体を隠す。
そこからまだ咲かない桜を見上げると
むわっとした微熱がある。
落ちるべき池を探すように枝を伸ばし
その一本が私のわき腹に触れたら
すっと
憶測の春が季節のひとつになって
私を歓迎したり
歓迎しなかったり。
…ま、こんな感じの近頃です。
近いうちにまた以前のようにブログも書き始めたいと思いますが、
またしばらく書けないかもしれません。
とにかく私は元気です。
では、今後ともよろしく~。
Feb 20, 2007
試行錯誤
日曜日はPSPの合評会でした。この日は灰皿町の住民でもある足立和夫さんがいらっしゃいました。
詩集「空気の中の永遠は」より作品をお出しになりましたが、
いかにも足立さんらしい、なにか心の中の一部に溜まっていた空気を、
すっと抜いてくれるような一篇でした。
足立さんの作風は、日常を暮らす勤め人の視点から、
しかし日常の外側をふと垣間見る一瞬を掴む作品です。
個人的には、藤子不二雄Aが描き出す世界に通じるものを感じます。
さて、この日は合評会で感じたことは、変わることの難しさでした。
この会に参加されている方は、私を除きみな長いキャリアを持っておられ、
それなりのものを書こうと思えばすっと書けてしまう方ばかりです。
しかし、それで満足できるかといえばそうではなく、
やはりそれぞれがその先へ進もうと試行錯誤されています。
変わること、変わろうとすることは、表現をしようとする人には必要なことでしょう。
しかしそれはなかなか、というより、とてもとても難しいことです。
ある程度以前の自分を破壊しなくてはならないですし、
先へ進もうとすればそこは自分にも他者にも未知の世界なわけで、
既存の方法論が必ずしも役に立つとは限りません。
必要とあれば、詩作法まで新たに自分で編み出さなくてはならないでしょう。
非常に難しいことです。
この日の合評会でも、変化を求めて試行錯誤する作品が見られました。
その作品も、その思考錯誤の部分を抜いて考えれば、優れた作品と言えるものでしたが、
もがいている部分がありありとわかり、それが手法としてありきたりであった上、
成功しているとは言い難かったので、全体としてはあまりいい印象は受けられませんでした。
しかし、その心意気や良し!とも言いたいのです。
変わろうと思い立って、たちまち次の段階へ移行できることなど、
よっぽどの天才でない限りありえません。
数ヶ月、あるいは数年も必要になることもあるでしょう。
多くの人がこの移行段階で挫折して詩を書かなくなってしまったり、
詩そのものに対して諦観を感じてしまったりするのではないでしょうか。
などと言っている私も、第一詩集以後の作品に対して「変わった」「変わろうとしている」
という意見を多く頂きます。
自分としては故意に変わろうという気持ちはなかったのですが、
やはり無意識にもそういう気持ちが働いていたのでしょう。
また昨日は合評会後の二次会を途中で抜けさせてもらって、別の詩の飲み会にも顔を出したのですが、
そこでも私の最近の作品に対して、複数の方からダメだしを食らいました。
リズムにこだわりすぎている、言葉でこねくり回している、などなど…。
これも自分ではそんなつもりはなかったのですが、彼らは詩に対してとても目の肥えた人たちなので、
恐らくは正しい意見なのでしょう。
変わっていくときは、書いていく詩の中で何かが少しずつ構築されていくのでしょうが、
不完全な状態では建設途中が丸見えでみっともないものかもしれません。
それが読んでいても気にならないぐらいになったとき、新たな形として完成するのでしょう。
私はどうものろまで、なかなかみっともない形から抜け出せませんが、
とりあえず描きたい「感覚」はあるので、それがうまく形として成せるまで、
いまの方向に進んで行きたいとは思います。
ただ同時に、自分の根っこを見失っているのでは、なにか大事なものを忘れてしまっているのでは、
ということも最近感じるところです。
「変わらないためには、変わり続けなくてはならない」と誰かが言っていましたが、
この言葉は、自分の根っこをしっかり持っていることが前提だと思います。
過去の自分を模写したところで仕方ないですが、
ちょっと原点に立ち返ってみようとも思っている今日この頃でした…。
Feb 13, 2007
対象物。
またまたおひさ。詩人の方の中には、カメラが好きな方が多くいらっしゃるようです。
恐らく詩の言葉と写真とでは、捉えようとする感覚に共通するものがあるのでしょう。
しかし私は、写真を撮ると言う行為に不思議なくらい興味がありません。
これはもう子供の頃からのことで、カメラという機械に興味を持ったこともなければ、
旅行などに行った際に写真を撮ることも殆どしませんでした。
写真を撮るぐらいなら目に焼き付けておく、それで後々忘れてしまうぐらいなら、
それは自分にとって大した意味のある眺めではなかったのだ、なんて思ってしまいます。
ましてやカメラをぶら下げて何かを撮りに行こうという発想などあろうはずがありません。
なのに写真を見るということは、かなり好きなのですね。
好きな写真家の作品集はお金を出して買うこともありますし、
「アサヒカメラ」などの写真雑誌を購入して、有名な写真家の作品はもちろん、
投稿欄の作品まで丹念に眺めていたりします。
以前、詩誌の投稿欄マニアが存在すると聞いたとき、とても驚いたことがあったのですが、
考えてみれば、私も写真雑誌の投稿欄マニアでした。
こちらもカメラが好きな方から見れば、大分おかしな存在でしょう。
さて、なぜに自分は写真を撮ろうとしないくせに、見る方ばかりに熱心なのかと自己分析してみるに、
多分私は手で触れることの出来る現実というものに、殆ど興味がないんですね。
目に見えないもの、手で触れることができないものにだけ、私は興味を覚えるのです。
思うに写真を「撮る」という行為は、手で触れられる現実に正面から対峙する行為であり、
写真を「見る」という行為は、既にそこにはない、手の届かなくなったものに触れようとする行為で、
私は後者にだけ惹かれるのです。
これは人間として良くない傾向です。
よくある、バーチャルにしか対応できない不完全な人間の一種であるとも言えます。
思えば私は絵画や映画などの、一枚膜を隔てた向こう側にある芸術には惹かれても、
彫刻や陶器など、直接手で触れられるものにはほとんど興味を持てないのでした。
先週の「新日曜美術館」でオルセー美術館展の特集をやっていましたが、その中で、
ゴッホやセザンヌやゴーギャンは対象物に実際に対峙して絵を描いていたのに対して、
ルドンやモローは記憶や想像の世界を絵に描いていたという話がありました。
モローに至っては、手で触れられる現実には興味がないと言い切っています。
どうやら私はモローの仲間ですね。
私は詩を書くとき、実際に何か現実の風景やものを見ながら書くことが、実はあります。
寧ろ想像だけで書くことよりずっと多い。
これは対象物を見つめてシャッターを押すのとは違い、
対象物から一旦目を落して紙に字を書くという行為によって、
そこにある現実を、そのそばから現実でなくしてしまっているから、
私のようなタイプでも自然に行えるのでしょう。
紙に字を書く、またはパソコンのキーボードを叩いて文章を書くというのは、
指先でひょいひょいとつまらない現実を好き勝手に捻っていく行為かもしれません。
これは私にとって、随分楽しい行為です。
Feb 06, 2007
地下室への誘惑
おひさ。昨日は新宿のNECO BARで行われたエッジイベント、
「地下室への誘惑~女声詩の交響日」を見に行ってきました。
出演者は海埜今日子さん、斎藤恵子さん、杉本真維子さん、中右史子さん、水無田気流さん、
渡辺めぐみさんといった、今を代表する女性詩人六名。
そして司会は久谷雉さん。
会場は50名の定員のところ、60名を越すお客さんが入り、かなりの熱気。
私も備え付けの椅子には座れず、その後ろに丸椅子を持ち出しての鑑賞となりました。
会の始めにまず出演者全員による、新川和江さんの「私を束ねないで」の朗読がありました。
この詩が書かれたときと現在とでは、女性の置かれている状況は大きく異なっており、
また相変わらずな部分もあるとも思います。
しかし拡散し混沌とした現在の全体像を掴むために、
この一遍の詩の持つ意味をまず踏まえることは重要かもしれません。
続いて過去に放送されたエッジドキュメンタリーから、
白石かずこ編と平田俊子編が店内のモニターにて上映されました。
白石さんの方は、過去の名作「中国のユリシーズ」を「今日のユリシーズ」と新たに改作し、
巻物にしたため、冬の雪が舞う日本海に向かって朗読される姿が、いろんな意味で圧倒的でした。
50年代、ニューヨークなどで活躍されていた頃の写真も多く映し出され、その美しさや、
常にそこに「在る」ことにより生きる力強さにもまた圧倒されました。
…そして実は私の隣の席には、かなり素敵なお召し物のご婦人が座られていたのですが、
ちらりとお顔を拝見したところ、画面に映っている方と同じ顔のような気が。
白石かずこさんご本人でした…。
平田俊子編のほうは、人が苦手な平田さんが、夜中の二時に町を徘徊しながら詩の言葉を拾っていく
姿が映し出され、詩人の言葉が生まれる場所を思わされました。
人と会うのが苦手で、一週間も人と話さないことがあるという平田さんですが、
誰かに誘われれば断らず出かけていくあたりなど見ると、実は人との繋がりを強く欲しているらしく、
しかしなかなかそこでもうまく人と接することが出来ずにつらい思いをするそうで、
それが詩を書いて発表するいう行為をさせるのではと感じられました。
上映後は、6人の女性詩人によるトークショー。
ここでは、それぞれが詩をかく「場所」、そして「名前」について語られました。
まず「場所」について。
海埜さんは、全く違うふたつのものが出会う時に生まれるのが詩であり、常にその場所で詩作していきたいということを語られました。
斎藤恵子さんは、日常生活を送る自分がいて、しかしそれとは別にその根底にある水とか樹木のような自分がいて、そこが詩を書く場所と語られました。
水無田さんは、大量生産される部品のようにその他大勢として生まれ育ち、そういったアイデンティティがあやふやな状態の中で詩を書くことを語られました。
渡辺めぐみさんは、自分の書くものは殆どがフィクションであり、実際の自分が置かれている場所を寧ろ意識から外した場所で詩を書いていると語られました。
中右史子さんは、ご自身の幼い頃の経験やトラウマが強く詩作に影響していることを語られました。
名前についてもそれぞれ出演者から、自分の筆名の由来や、本名を使うことの意味が語られました。
私としては一番考え方が似ていると思えたのは水無田気流さん、名前というものにそれほど頓着はなく、
一作ごとに名前を変えてもいいくらいだという気持ちには個人的に非常に共感が持てました。
これは女性男性という事より、私と水無田さんが年齢的に近く、生まれ育った県も同じということが、
寧ろ関係しているように思います。
面白いのは、極限まで凡庸な名前にするか、一風変わった名前にするかという選択をするとき、
水無田さんは後者を取り、私は前者をとったということです。
水無田気流と小川三郎とではまったく正反対のイメージがもたれるであろう名前ですが、
その発生源は意外と似ていたように思います。
トークのあとは、出演者による詩の朗読。
杉本真維子さんは何故かチャイナドレスに身を包んでの朗読。
中右史子さんは詩を暗記しての朗読で、まるでその場で詩の言葉が生まれているようであり、
これは大変なことですが、朗読のひとつの理想の形だと思います。
渡辺めぐみさんはスパイラルという作品群の中からの朗読で、流石に場数を踏んでいる印象、
堂々と自分の世界を展開されました。
水無田気流さんは、朗読経験が少ないということでしたが、読み方に熟考した工夫が見られ、
なかなかに聴かせるものでした。
斎藤恵子さんは、今回の出演者の中では最も質素な読み方をされましたが、
斎藤さんの作風にはこのような読み方が一番あっており、言葉の意味が損失なく伝わってきました。
海埜今日子さんは、音楽を流しての朗読で、これも経験豊富なことを感じさせる、流麗なものでした。
ざざざっと書きましたが、この日の内容はかなり濃いものでした。
「女性詩人」というくくりは現在では殆ど意味のないものだと思いますが、
こうして女性の書き手たちの話や朗読を聞いていると、
やはり「ならでは」のものも存在することを改めて感じたりもしました。
生活も、対峙する社会の形も似通ってきている現在、さらに原初的な男女それぞれの特性が、
詩の言葉に匂い始めているのかもしれません。
Jan 27, 2007
石田徹也
今日は2005年に不慮の事故により31歳の若さで亡くなった画家石田徹也を。去年、書店でこの人の遺作集を見たときには衝撃を受け、すぐに買い求めました。
「新日曜美術館」などでも特集していましたので、ご覧になった方も多いのでは。
油絵の具で現代社会生活の一角を緻密に描写するその作品に出てくる人物はすべて同一人物、
しかも何人出てきても、女性であっても男性であっても、大人であっても子供であっても、
全て同じ顔をしています。
その人物は、大概何かしらの無機物と同化していて、無表情に虚を見つめています。
あるときは蛇口と同化して涙を流し、またあるときは顕微鏡に同化して、
同じ顔のクラスメートと一緒に授業を受けています。
他にも机、便器、遊園地の遊戯具、ミシン、コタツなどと同化、
また四角い梱包物となって満員電車で運ばれていたり、
ダンゴ虫の殻の中で安らかに眠っていたりします。
その画面全体には、どうしようもなく哀しみが広がっていて、
滲み出す苦痛が、強烈に見る者の心を掴んで離しません。
文章でこの世界を解き明かそうとするのは無意味であるように思いますが、
この社会という場はある一面、どうしようもなく無機物的であり、そこで生きることは、
それに同化して自らも無機物となって社会を構成する一部となること。
社会性を持つ人間という生き物はそれを許容するように出来ているのかもしれませんが、
しかし人間だからこそ、そこにやるせなくも強い哀しみを抱くものだと思います。
石田はそういった現代人が押し隠している哀しみを、えぐり出してキャンバスに開放しているようです。
一見その作風から、非常に個人的な世界が描かれているように見える石田作品、
描かれている顔も石田本人の自画像であると思いがちですが、
石田自身の言葉によると、これは自画像ではないということ。
確かに写真で見る石田本人の顔は、描かれている顔と大分違います。
思うにこの顔は、石田を含めたすべての現代人が持っている共通の顔なのではないでしょうか。
そういえば、初めて見たときから、なんとなく見覚えがあるように思える顔です。
その顔は、何かを見つめることを拒み、ただひたすらそこに存在することに耐えているように見える。
社会で生きるときに持つことを義務付けられるひとつの顔、それを繰り返し描くことにより、
現代社会において激烈なまでに隔絶された孤独と孤独とのコミュニケーションを望んだのが、
石田徹也の芸術なのかもしれません。
やはり文章で書いてもぱっとしませんね。
石田徹也の作品は見て感じる、ただそれだけで十分、それが全てであるという気がします。
というわけで、まだ未見の方は、ぜひご覧になってみてくださいな。
「石田徹也遺作集」(求龍堂)
Jan 23, 2007
合評会。
昨日の日曜日は、恒例の合評会でした。まずは同人誌「ルピュール」四号が出来上がりました。
今回の装丁は三号までとおおまかには同じですが、
タイトルロゴ等が変わり、少し新鮮な雰囲気です。
各々の作品を見てみると、私としてはすでに読んだことのあるものが殆どでしたが、
この同人誌の中に並べられると、みんな改めて凛としたたたずまいを見せていて、
あるべきところに収まったという感じ。
秀作揃いです。
合評会の方は、これまた秀作揃いでいつもながら勉強になります。
宮越妙子さんの作品はなんと1962年作!というもので、
書かれた詩句が炭で壁に絵を書きなぐっていくような凄みのある作品でした。
宮越さんは現在も精力的に詩作を続けられていらっしゃいますが、
その根本が一貫してぶれていないところはすごいです。
白井明大さんの作品は、まだ生まれて間もない娘さんを離れたところでも感じる父親の心と孤独。
少ない言葉でその情景と感触を伝えきる技術を裏において、とても優しい詩に仕上がっていました。
精神的な感触と肉体的な感触が入り混じってひとつの気持ちが表れてくるところなど、
憎いほどにうまいです。
北見俊一さんの作品は、男の子が大人になり、ふと少年時代を振り返った瞬間に感じるあの感覚を、
実に巧みに表現して読み手の心をその感覚のある場所へと導いていく作品で、
私も思わずうなづいてしまいました。
高田昭子さんの作品は、その北見さんの作品への贈答詩。
北見さんの醸し出した感覚をまた違った角度から、いかにも高田さんらしいやり方で表現されていました。
同じ感覚でも違う書き手が書くと、詩人の特徴が非常に表れてくるところは非常に面白いです。
竹内俊喜さんの作品は、四つの独立した作品の間に寒山の詩を挿入することで、
また新たな表現を成そうとする作品。
ひとつひとつの作品は非常に完成度の高いものであるのに、
そこにとどまらずさらに表現を広げていこうという飽くなき探究心が強く感じられ、
ここらへんは私も見習っていかねばならないところです。
小網恵子さんの作品は、薄暗い虚構の図書館での出来事の様子が訥々と語られ、
その世界の様子はこちらの心の中にそのまま構築されていきます。
まるで悪夢を実際に体験しているようなその作品の持つ魔力は、
いつもながら流石と思わずにはいられません。
合評会が終わったあとは、いつものとおりの飲み会へ突入。
合評会が3時間で、飲み会が約6時間ですから、飲み会の方がよっぽど長いんですね。
あとから合流した久谷雉さん、なんともみ上げとひげを伸ばし始めていました。
ちょい悪オヤジを狙っているのか?
Jan 18, 2007
酔いどれ天使
考えてみれば、このブログで映画のことを取り上げたことがまだなかったですね。映画は、マニアとまでは行きませんが、邦画洋画ともに結構観てきました。
古い映画も最近の映画も、SFも名作ものもアクションものも。
何から始めましょうかね。
うーん、じゃお初ということで、定番の黒澤明でも行きますか。
黒澤映画は、恐らく殆ど観ているはずです。
リアルタイムでは、「影武者」あたりからになるのでしょうか。
多分小学校高学年だったと思いますが、その頃黒澤映画は日本でも少々人離れが起こっている頃で、
話題にはなっていても爆発的ではなかった気がします。
「影武者」はテレビで最初に観たはずですが、
あの映像の美しさが、そのときには寧ろ奇妙に思えたことを覚えています。
時代劇なのに綺麗な映像というのが、なぜか私の中でちぐはぐだったんですね。
私の固定観念とちょっと違っていたわけですが、そのときには「ふーん」と思った程度でした。
世の中にレンタルビデオというものが定着したのは私が高校生の頃でした。
その時分になると私もいろいろとビデオを借りてきて映画を観ていたのですが、
洋画ばかりに目が行って、邦画は殆ど観ていませんでした。
私が黒澤映画を頻繁に観始めたのは、恐らく十九、二十歳のころだと思います。
確か「夢」が公開されるちょっと前。
ずいぶん遅いデビューですね。
私も結構アンテナは敏感なつもりですが、それでも引っかかってこないほど、
当時黒澤は時代遅れとされていた存在だったのです。
ではなんで引っかかってきたのかというと、
「スター・ウォーズ」の監督ジョージ・ルーカスは黒澤の大ファンであり、「スター・ウォーズ」は、
黒澤の「隠し砦の三悪人」をパクっている、ということを何かの雑誌で読んだからでした。
早速レンタルビデオで借りてきて観てみると、これがもうびっくりするぐらい面白かった。
私は時代劇が好きではなく、極端に古い映画は面白くないものだと思っていましたので、
まったく期待しないで観たのですが、それまで観ていなかったのが悔しくなるほどでした。
ストーリー展開といい、台詞回しといい、ひとつひとつのシーンの独立した面白さといい、
どれをとっても完璧で、遊びに来た友達にも無理やり観せてしまったりしました。
その後、黒澤映画を片っ端から観ていったわけですが、今更言うまでもなくどれも素晴らしいものでした。
最初期の「一番美しく」や、前衛がかった「どですかでん」、あと「デルス・ウザーラ」などは
ぴんときませんでしたが、あとはどれも面白かったですし、映画についていろいろ考え込んだのは、
黒澤映画が初めてだったと思います。
私にはどうも食わず嫌いをする気があるようで、あの「七人の侍」はかなり後になって観ました。
なぜかというに、映画関係の雑誌で「映画ベスト100」的な特集をやると、
必ずその一位は「七人の侍」であり、それを見て私は勝手に「そういう映画に限ってつまんねんだよな」
と決め付け、さらに4時間を超える上映時間も気になって、どうも観る気になれなかったのです。
しかしいよいよもうそれしか観るものがなくなって、仕方なくといった感じで「七人の侍」を観ました。
結果は完敗でした。
馬鹿みたいに面白かった。
上にも書きましたが、私は時代劇というものが好きではありません。
はっきり言って嫌いです。
NHKの大河ドラマも観たことはありません。
そんな私がまったく抵抗なく、しかもすごく面白く観れてしまうというのは、
恐らく黒澤映画の時代劇というのは、その本質が時代劇とは別のところにあるからだと思います。
一つ一つのシーンにしても、全体の流れにしても、普通の時代劇とは異なる価値観によって構成され、
それは時代設定に関係なく常に黒澤映画に流れている通奏低音のようなもの、
そういうものが、「黒澤映画」を「黒澤映画」たらしめているのでしょう。
ところで、ではどの映画が一番好きなのかと訊かれたら、私は迷わず「酔いどれ天使」と答えるのです。
この映画は戦後間もない頃の闇市周辺を舞台に、
一人のやくざとアル中の町医者との交流を描いた作品です。
やくざは三船敏郎、医者は志村喬。
この映画での三船ときたらまあかっこいいこと。
まだ太る前でスリムな体に苦みばしった表情の三船は、
日本映画史上最もかっこいい俳優だったのではないかと思います。
そしていつもは物静かな老人を演じることの多い志村喬は、
この映画では怒鳴り散らしてばかりのかなり激しい役どころで、
ちょっと見ただけでは志村喬とわからないほどですが、こちらもいい味出してます。
ストーリーは、まだ観ていない人のために詳しくは書きませんが、至ってシンプルなストーリーです。
私は何にしても、シンプルなものが好きなんですね。
飽きがこなくて何度でも繰り返し楽しめるし、なによりシンプルなものは凶暴です。
余計な言葉を寄せ付けません。
ナイフのようにぐさりとやられてそれっきり、言葉もないという感じがいいです。
ちょっと思い出しましたが、黒澤映画には音楽が絡むシーンがあるものが多く、
この映画でも「東京ブギウギ」で有名な笠置シヅ子がクラブで歌うシーンがあります。
このシーンもそうですが、黒澤映画の音楽シーンというのは、実によく練られています。
「隠し砦の三悪人」の祭りのシーン、「夢」での狐の嫁入りのシーンなど挙げれば切りがないですが、
私の一番好きなのは、「どん底」のラスト近くで落ちぶれた男が三人、
ひとりが座って茶碗を箸で叩きリズムを取りながら歌い、その周りであとの二人が踊り狂うというもの。
歌は、なんというんでしょう、浪曲のような感じで、踊りは阿波踊りのようなものなのですが、
これが歌といいリズムといい、踊る者の動きのキレの良さといい、もう完璧です。
音楽といえばロックにしか興味がなかったその頃の私でも、これにはまったく度肝を抜かれました。
ここら辺も、黒澤一流のセンスとこだわりが爆発しているところだと思います。
ひー、疲れた。
二回に分ければよかったかな。
Jan 14, 2007
エフゲニー・ムラヴィンスキー
久々にクラシック音楽など。指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキーについて。
ムラヴィンスキーは旧ソ連を代表する指揮者で、これまたソ連を代表するオーケストラ、
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を約50年に渡って勤めました。
そして20世紀最大の作曲家ショスタコーヴィッチの初演指揮者を何度も勤めています。
日本での人気も高く、73年、75年、77年、79年と四度の来日を果たしましたが、
四度目の来日の際に亡命者を出してしまい、五度目の来日は成りませんでした。
1988年他界。
かっこよくて怖いクラシック音楽を聴きたかったら、ムラヴィンスキーです。
とにかく柔らかさ、優しさという言葉とは無縁な厳しくタイトな演奏であり、そして怖い。
打楽器系は戦慄させられるほどに強打され、バイオリンの音は刃のような鋭さを持ち、
指で触れたら本当に切れてしまいそうです。
そのスピードもすさまじい。
実際に演奏速度は東西の指揮者を見渡してもトップクラスの速さなのですが、
数字的にそんなに速くないものでも、演奏が鋭いので速いように聴こえてしまう。
そして特筆すべきはレニングラードフィルの鉄壁のアンサンブル。
特に速い曲での人間業とは思えない各楽器の揃い方には息を飲まされます。
ショスタコーヴィチ交響曲第6番の最終楽章など圧巻。
ここまでオーケストラを鍛えられたのも、五十年という普通では考えられないほど長きに渡って
常任指揮者を勤めていた賜物でしょうが、その練習もかなり激烈だったようです。
レパートリーはベートーヴェン、ワーグナー、ブラームス、モーツァルト、ブルックナーなど
数多くありましたが、なんといっても重要なのは同じソビエトの作曲家ショスタコーヴィッチの交響曲。
有名な5番を始め、6、8、9、10,12番を初演しています。
このムラヴィンスキーのショスタコ、とにかく怖い。
ショスタコーヴィッチは20世紀初頭に生まれ、1975年にこの世を去っており、
その作曲活動の内かなりの期間が戦争に重なるため、戦争を題材にした曲が多くあります。
それらの曲を作曲者の意図に最も忠実に演奏したのが、ムラヴィンスキーと言えるでしょう。
ショスタコーヴィッチの交響曲が演奏される場合、所謂西側の指揮者は政治色をなるたけ薄め、
純粋に音楽として演奏する場合が多いのですが、それに対してソビエトの指揮者は、
やはりその曲で描かれているものの当事者の一人として演奏するわけですから、
いやおうなしに強い思いが滲み出てきます。
中でもムラヴィンスキーはその極地で、生々しい現実の戦争の恐怖を描かれる部分など、
本当に背筋が凍るような怖さを感じます。
私も好きといいながら、「もうやめて」と途中で聴くのをやめたくなることすらありますが、
しかしこれはある意味、本当に聴いておくべき音楽と言えるかもしれません。
またムラヴィンスキーの魅力は、そのたたずまいにもあります。
すらりとした長身に、有無を言わせぬ頑固そうな顔と鋭いまなざし。
オーケストラのメンバーをバックに直立する姿は、
まさに「ムラヴィンスキー率いるレニングラードフィル!」といった感じでしびれます。
練習も相当に厳しく、怖い人だったようですが、実は人情家、優しい愛妻家の一面もあり、
奥さんが病気の時など、演奏依頼を断ってつきっきりで看病したり、
オーケストラのメンバーが突然バースデイパーティーなど開いてくれたりすると、
目に涙を浮かべて喜んだり。
上記したとおりショスタコーヴィッチ以外にもレパートリーは数多くあり、
そのすべてがムラヴィンスキーでしか味わえない個性的なものです。
ブルックナーは、通常のブルックナー観を覆すような速く鋭い演奏ですが、
これはこれで完全に成立しているところがすごいです。
モーツァルトも同様に鋭く、普通は華やいだ演奏をされる「フィガロの結婚」序曲など、
びっくりするほどかっこよく仕上げられています。
ワーグナーも得意で、映画「地獄の黙示録」で有名な「ワルキューレの騎行」など目茶かっこいい。
で、推薦盤ですが、
ムラヴィンスキーの残した録音の大半は旧ソ連の国営レコード会社「メロディア」へのものなので、
非常に音が悪いのが残念ですが、奇跡的にというか、ドイツグラモフォン(DG)にチャイコフスキーの
後期三大交響曲を録音しており、これは演奏、音質ともに最高ですので、安心して薦められます。
それとSCRIBENDUMというレーベルから出ている
「MRAVINSKY IN MOSCOW 1965」と、
「MRAVINSKY IN MOSCOW 1972」は演奏、音質ともに素晴らしいです。
四枚組と三枚組なんでちょっと値は張るかもしれませんが、名演揃いなので興味のある方は是非。
Jan 10, 2007
現代詩手帖1月号
ちょっと遅くなりましたが、去年の暮れに出た現代詩手帖1月号について。特集は恒例の「現代日本詩集」ですね。
超有名どころから新人まで、バラエティに富んだ詩人が新作を競い合っています。
こう見ると、どの方も改めてそれぞれに個性的な作風をされていることがわかります。
粕谷さん、池井さん、和合さんなどは名前を見ないでもすぐにわかりますし、
ねじめさんは相変わらず「あーちゃん」ですね。
今回一番いいと思ったのはキキダダマママキキさんの作品。
キキダダさんにしては平坦な手法で書かれた詩ですが、
実に悲しみというか喪失感を湛えていて、染みます。
もうひとつの特集は、昨年11月に北京で三日間に渡って行われた日中現代詩シンポジウム。
両国の詩人が4名ずつ4組のグループに分かれて討議を行い、
それぞれで得られた成果の報告が掲載されています。
それを読むと、日本と中国はおなじ漢字を使う文化圏でありながら、
かなり異なった詩の動きを経てきたことがわかります。
中国は文化大革命がやはりネックで、その影響が両国の詩の進展を大きく変えてしまったようです。
驚いたのは、現在中国の詩は横書きで書かれているということ。
中国語は漢字のみで書かれますから、考えてみれば縦書きでも横書きでも、
それほど効果は変わらないのかもしれませんが、意外でした。
このこと以外にも、それぞれの言語の特性が書かれるものに影響する面は大きいような気がします。
日本語で書かれるが故に、中国語で書かれるが故に出てくる良さ、思想、
感慨などというものもあるのではないかと。
平田俊子さんは女性詩について語られていますが、この女性詩というものの捉えかたも、
両国では違いがあるようですね。
このように両国における差異を前向きに確認しあえたことが、
このシンポジウムの最大の成果だったのではないでしょうか。
相手の、自分と違う部分には学ぶところが大きいと思います。
ある程度まで生きたあとは、殆ど人はそこからしか成長できないのではないでしょうか。
またこの討議で語られたことは詩の問題ではありながら、
文化全体について共通して言えることが多く見出された討議だったように思います。
そして瀬尾育生さんと稲川方人さんの対談は非常に面白いです。
これとデレック・ウオルコットの詩は個人的に必読だと思います。
…うーん、正月ボケが未だにふわふわと尾を引いているような。
今宵はこの辺で。