Oct 29, 2006
「空白期」
先日のPSP合評会の際、参加者の高田昭子さんより新詩集「空白期」をご恵与いただきました。今回はその感想を。
高田さんの紡ぐ言葉は、そのひとつひとつがとても魅力的であり、
目にした途端に胸を染められてしまうものばかりです。
その見事さに思わずそのまま詩句から目を上げ、感慨に浸ってしまいそうですが、
高田さんの世界はその詩句もさることながら、それらの言葉が浮かんでいる水のようなものにこそ、
本来の魅力があるのだと思います。
高田さんの詩とは、静かな水面にじっと詩句が浮かんでいるような、そんな詩なのです。
ですから、詩や詩句について語るより、その水より伝わってきた思いを書いてみます。
高田さんの詩は、ありのままの世界を表すというよりも、詩人の目で捉えた景色を、
目を瞑って自分の内にある箱庭に植え、自らの水分を養分にして育てるというような、
そんな描き方をされています。
そこにある景色は、現実の世界とは色合いを別にしていながらも、魅力的で、人を惹きつける力を持ち、
同時に詩人自身の内面を映す鏡となっています。
覗き込んでいると、幻想的な色あいの世界であるにも拘らず、
意外なほど詩人の生の姿が映りこんでいるのが見て取れます。
生命を育むものは、季節や自然を流れるもの。
そして同じように人の中にも流れゆくものがあり、それが人としての心を育んでいます。
人が見詰める季節には、しかしなにかがひとつ足りないようで、その足りないぶんが、
様々な奥行きや意味合いを人に思わせ、そこに新たな感慨としての色彩が現われるのでしょう。
それは現実の色彩と、その人だけが持っている色彩が混じり合って醸し出された色であり、
言葉ではとうてい言い表すことが出来ないものですが、
高田さんは自らの時間と共に毎日刻々と変化していくその色彩を、詩という方法によって表現し、
読む者の前に提示します。
そこにある時間は、過去でも未来でもなく、常に「今日」です。
詩を読んでいくと、このかけがえのない今日という時間を、
高田さんはとても大切にしているように感じられます。
そして常に存在し、また失われていくその時間は、人の心の深い底へといつも繋がっています。
そのひとがそのひとであることを証明する、目には見えない心の底の暗い場所、
しかし確かに感じられるその空間の冷たさ暖かさを、
高田さんはゆっくりと、いまという時間の全てを使って感じ取り、
文字の表に浮かび上がらせていきます。
生きているということは、常に期待と不安が続くことです。
ひとは日常の、ほんの些細なことに対してさえ、常に期待し、また不安を感じています。
それは時に微かな感情でしかなく、人はそれをえいと手で払いのけながら一日をやり過ごし、
またそうすることが「大人」である証拠のように思われていますが、それを感じる部分から本当は、
今日を生きていたいと強く願う、祈りのようなものが生まれるのでしょう。
そしてそのようなかけがえのない一瞬の繰り返しによって、人の見詰める季節は巡り、
この世界で起こった沢山の小さな事や大きな事が、思い出として形づくられ、
やがて人の形を成すのでしょう。
高田さんは祈るようにして今現在の時間を見詰め、どんな些細なことも、一瞬である限り、
永遠へと繋がっていくことを「わかって」おられます。
また、この世界と時間はあらゆる方向に向って広がっているにも拘らず、
人はただ一本の道を、真っ直ぐ歩いていくしかありません。
様々なものを目にし、様々なものを耳にしながら歩いていくそのただ一筋の道は、
あるいは円を描いており、最後は最初に戻るのかもしれません。
行く道でもあり帰り道でもあるその道の途中で、人は沢山の眠りを眠ります。
高田さんの詩に現われる眠りは、祈りそのものであるかのようです。
本当の祈りは、夢の中でしか成し得ないものなのか。
詩人の祈りは、決して何を望むわけでもなく、
ただ、全てのものがそこに在る事を祈るようです。
祈りは過去にも未来にも向けられず、ただ現在、今この一瞬にのみ向けられています。
ずっと以前に消えてしまったものさえも、詩人は現在として見詰め、在ることを祈っています。
しかしまた、詩人はその一瞬一瞬の中にも、消えていく無数のものがあることを、
正直に見詰めています。
そして消えていくものとは、いつも何よりも愛おしいものです。
たとえそれらと面識がなくても、また遥か遠い存在でも、詩人は同じく深く祈りを捧げます。
人の目に映るありのままの世界は、指先ひとつ触れることは出来ず、
ただ感じ、見守り、待ち続けるしかなく、
それが即ち生きていることとするなら、あたかも人のする全てのことが、祈りであるようです。
そして詩人にとって、高田さんにとって、それはやはり詩を詠むということであるのでしょう。
最後に、やはり水仁舎の美しい造本に触れないわけにはいきません。
薄い水玉の入った白い表紙に、銀の箔押しでタイトルや著者名が記された、
このシンプルかつコンパクトな本は、とても大切なものを内包している印象を強く与えます。
決して目立ちはせず、しかし宝ものがたくさん詰った小さな箱、といった感じです。
この装丁はまるで上記した「水」のようでもあり、
「空白期」というタイトルは、この詩集の内容、装丁の全てに対して名付けられたものであるようです。
Oct 25, 2006
PSP合評会。
この前の日曜日は、月イチ恒例のPSP合評会でした。まずはあたらしい詩集がまたひとつ生まれたこと。
灰皿町の住民でもある詩人高田昭子さんの新詩集「空白期」(水仁舎)が完成しました。
掌にしっくりくる小ぶりの本を開くと、高田さんの独特な魅力が匂い立ちます。
収録された20篇の詩作品は、何処を切っても、高田さん、高田さん、ですね。
この詩集については、また日を改めて書きたいと思います。
この日の合評会、私は少し多めに発言してみました。
と言っても、普段発言が少ない方なので、多めと言っても高が知れているのですが。
それでも自分なりに、他の皆さんの作品について、突っ込んで考えてみたつもりです。
感じたのは、詩の肝となる言葉の存在でした。
会に参加されている方々の詩をじっくりと時間をかけて読んでみると、あ、この行がこの詩の肝だな、
と思われる行に行き当たります。
まずこのような肝がしっかり存在していることが、詩を成立させるためには不可欠なことでしょう。
そういった行が必ず見当たるあたり、やはりPSP参加者のレベルは高いなと感じさせられます。
その行を観察してみると、使われている言葉を少し変えただけで詩全体が大きく変わってしまうぐらい、
その詩において重要な役割を担っていることが見えてきます。
そこにどのような詩句を持ってこれるかによって、詩全体の印象が決まってきてしまう。
ここに絶妙な言葉を挿入することができれば、途端にその他の行の深い意味も浮き上がり、
詩全体が輝きはじめる、あるいはそういうことが起こること自体を、詩と呼ぶのかもしれません。
ですので、この行をばっちり決めることが、詩を詩として成り立たせるために重要となるのでしょうが、
これがまた、いかんせん難しいことです。
その行を存在させられること自体、大変難しいことですし、またその行を絶妙な言葉、
作者が表したかったことを見事に詩の中に出現させる言葉を選び抜くには、
相当の努力と時間とセンスが必要であると思われます。
そこらへんを重々わかっていながらも、他の皆さんの作品を読ませていただきながら、あ、惜しいなあ、
もうちょっとここにいい言葉が入れば凄くなるのに、なんて思ってしまいます。
メンバーの作品全体のクオリティが高いために、そんな贅沢な不満を感じてしまうのです。
逆に、そこぐらいしか突っ込むところがないんですね。
それじゃあどんな言葉を入れればいいんだ、と聞かれても答えられないんですが。
ちなみに私、今回はちょっとわかり辛いだろうなと思う作品をあえて持って行ってみました。
反応は、やはり「???」「…」という感じでしたが、メンバーに気になった箇所をいろいろ
指摘して頂いて、随分参考になりました。
他の人に読んでいただいて意見を言ってもらうと、自分だけでは気付けない点などに気付かされます。
これは伝わるだろうと思い込んでいた部分が伝わらなかったり、あまり気にせず配置した言葉が、
思いがけず読み手を躓かせてしまったり、とても勉強になります。
やっぱりせっかくの場ですから、褒めあいっこしても仕方がないですからね。
ま、褒められると、それはそれですごく嬉しいんですが…。
それと今回はあたらしく、杉本つばささんが参加してくださいました。
杉本さんはずっと京都で活動されていたそうですが、最近東京に居を移され、
これからも参加してくださいそうな気配。
ちなみに現在公開されている「いん・あうと」で杉本さんの書かれた論考を読むことが出来ます。
合評会後はいつもの通り二次会飲み会。
いつもの通りに盛り上がりました。
久谷さんも相変わらず元気そうでした!
Oct 22, 2006
なんだか冴えない
話題ばかりの映画「ゲド戦記」ですが、今度は挿入歌である「テルーの唄」の歌詞の一部が萩原朔太郎の詩に酷似している、
なんてニュースがありました。
なんでも作詞した宮崎吾郎監督は、朔太郎の詩を参考にしたと明言していて、
公式サイトにはそのことは書かれているようですが、CD自体には記載されていないようです。
詳しくはネットニュースで見てください。
このようなニュースは後を絶ちませんね。
時を同じくして、ミュージシャンの槙原敬之氏が書いた曲の歌詞が、
「銀河鉄道999」に出てくる言葉に酷似しているというニュースも流れています。
ちょっと前には画家和田義彦氏が、アルベルト・スギ氏の絵を盗作しただとか、
あと詩の世界にもそんな話題がありましたね。
上記したようなヒットを義務付けられているような人たちは、ものすごいプレッシャーの中で、
気持ちが揺らいでしまうこともあるのでしょう。
本当に盗作であったかどうか私には判断できませんが、
盗作自体はやはりいけないことですね。
なんらかの表現をしていると、
好きな表現者の作ったものを真似してみたいという欲求に駆られることはあると思います。
あのバンドのギタリストが大好きだから、同じギターを買って、同じ髪型にして、曲のコピーを、
というのはとても楽しいですし、絵が上手ければ、好きな漫画家のキャラクターを使って、
好き勝手な漫画を描くのは楽しいに違いありません。
それはそれでとても楽しいのですが、やっぱりそれはアマチュアのすることだと思います。
私は音楽が好きで、洋楽のアーティストなどよく聴いていたのですが、
日本のプロミュージシャンが海外の曲のフレーズなどを、もう盗作としか思えないほど、
そっくりそのまま自分の曲に使って平気な顔をしているのを見ると、やはり悲しくなります。
そういうのを見ると、日本の音楽シーンは寧ろものまね王座決定戦に近いとさえ思えます。
詩を書く人は、殆どが詩からの収入だけでは生活が成り立たないので、
そういう意味では世間で言うところのアマチュアなのでしょうから、
少しぐらいパクっちゃってみても許されそうな気もしますが、
しかしやっぱり心意気ぐらいは持っていないと悲しいです。
「誰も認めてくれないし、詩集も全然売れないけど、俺はプロなんだぜ」と、
口には出来なくても、心の底ではこっそり思っていたいものです。
そうすると、やはりいくら心酔する詩人がいて、その人の真似がしたくても、
少なくとも自分の名義だけで発表するなら、それはすべきでないと思います。
もちろん先人たちが確立してきた詩の形を見てしまっている限り、
そこから様々な影響を受けることは避けられないのですが、それを抜け出した時に初めて、
ひとりの表現者として成立するのだと思いたいですね。
それは大変しんどいことでしょうし、結局無駄な努力に終わる可能性は非常に高いですが、
気持ちだけは忘れたくないところです。
しかしゲド戦記の「テルーの唄」、いい曲だなあなんて思ってたんですけど。
荒川洋治氏が「諸君!」で言っているように、原詩:萩原朔太郎、ぐらいはCDに記載しても
良かったのではと思います。
そうしたら、CDを買った人の中には、朔太郎の詩集にも手を伸ばしてみる人も多かったのでは。
Oct 17, 2006
横浜詩人会賞。
先週の土曜日は、横浜詩人会賞の授賞式に出席してきました。今年の受賞詩集は大谷良太さんの「薄明行」(詩学社刊)
実は私もこの賞には応募していたのですが、
最終候補の6冊にまではなんとか残ったものの、あえなく落選…。
大谷さんとは、以前に合評会にいらっしゃった時にお会いしました。
なにせ人に愛される性格の方なので、二次会では初対面にも関わらず一気に馴染み、
その後もお会い出来はしないものの、詩集や手紙、メールのやり取りなどあって、
いいお付き合いをさせていただいていました。
横浜詩人会賞に詩集を送るときも、「どうする?送る?」的なやり取りなんかもしていたので、
彼が受賞したという連絡を貰ったときには、悔しいより「ああ、よかった」という気持ちでした。
ま、その連絡ってのは、本人から貰ったんですけど。
ということで、本人から案内状を貰い、受賞式会場へ。
詩集の受賞式というものに初めてお邪魔しましたが、なんだかちょっと結婚披露宴のような様子でした。
私は受賞者の関係者ということで、図々しくも本人の真横に着席。
大谷さんはスーツで格好よく決めていました。
しかしスピーチなどあるので、かなり緊張した様子、手も震えていました。
ご両親もいらっしゃっていて、ご家族とのやり取りを見ていると、
実にいい家庭にお育ちになられたようで、とても暖かい雰囲気を感じました。
授賞式は関係者の挨拶、選考経過報告などを経て、賞状と賞金の授与。
やっぱり大谷さん、かなり緊張されていましたが無事こなし、
次に大学時代からの友人である今村純子さんによる受賞者紹介。
ここでは、大学入学当時の大谷さんの様子が語られ、そのかなりぶっとんだ様子に、
会場も随分と和みました。
そして大谷さんの受賞者挨拶。
やっぱり声が震えていて、言葉が途切れ途切れであったものの、
大谷さんの優しい人柄を感じさせるとても気持ちのいいスピーチ。
このスピーチを聞いて会場の誰もが、この人にとってもらってよかった、と思ったのではないでしょうか。
そしてとりあえず儀式的なことは無事終わり、乾杯。
ところで、この授賞式には、
思潮社から「すみだがわ」という詩集を出されている廿楽順治さんも出席されていました。
「すみだがわ」は、最後まで「薄明行」と受賞を争った、非常に優れた詩集です。
廿楽さんは前々回の現代詩手帖賞を受賞されており、同じ時期に投稿していた者としては、
とてもお会いしたかった方のひとりでした。
お話してみると、なんとこのブログを読んでいただけていたとのこと。
いやー、嬉しいやら、恥ずかしいやら。
それならばもうちょっとちゃんと書いておけばよかった、なんて。
受賞式のあとはそのまま食事をしながらの懇親会へ移行。
私の方は、あとはお酒でも飲んでお腹一杯ご飯を食べようか、なんて気楽に思っていたのですが、
とつぜんスピーチを頼まれ、え、まじで?という感じ。
もうビールを飲んでいたので、そのままさささっと適当に喋って済ませてしまいましたが、
他の皆さんはかなりちゃんとお喋りになっていて、いや、私は喋るのは苦手で…困ります。
大谷さんは大役を果たしたと言うことで、気持ちが楽になったのか、ビールをがんがん飲んでいました。
それでもスピーチをされた方には、どの方にも丁寧に頭を下げ、ここらへんも人柄が表れていました。
その後、受賞式会場を後にし、二次会の会場へ。
私もまた、図々しくついていき、ここでは私は横浜詩人会の方々とお喋りさせていただきました。
失礼ながら、年配の方が殆どでいらっしゃいましたが、どの方もお優しく、気持ちのいい方ばかりで、
面白い話や、拙詩集を読んで頂けた方からのアドバイスなど聞けました。
しかし詩人会、というと、なんだかいろいろ政治的なことが渦巻いていたり、
暗黙の内に上下関係がきっちり出来ていたりして、というイメージを持っていたのですが、
横浜詩人会の場合はそういう殺伐とした印象はなく、なんだか実にアットホームな雰囲気でした。
その後また店を変えて三次会へ、11時ぐらいまで会は続きましたが、
がんがん飲み続けていた大谷さんはついに撃沈。
立てなくなって詩人会の皆さんに肩を借りながら店をあとにし、タクシーにのせられて帰宅。
なんとも大谷さんらしい受賞式でした。
Oct 14, 2006
クラムボン…
先日のクロコダイル朗読会で設けられたトークショーは、「クラムボンの歌」と題して宮沢賢治についてのお話でした。
タイトルからすれば「クラムボン」という言葉についての話があっても良かったのでしょうが、
残念ながら時間が少なく、その言及はありませんでした。
「クラムボン」とは周知の通り、
宮沢賢治の童話「やなまし」で蟹の兄弟の会話に出てくる謎の言葉ですね。
「やまなし」冒頭の、蟹の兄弟の会話だけ引用してみます。
「クラムボンはわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「クラムボンははねてわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「クラムボンはわらっていたよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「それなら、なぜクラムボンはわらったの。」
「知らない。」
「クラムボンは死んだよ。」
「クラムボンは殺されたよ。」
「クラムボンは死んでしまったよ……。」
「殺されたよ。」
「それならなぜ殺された。」
「わからない。」
「クラムボンはわらったよ。」
「わらった。」
この童話は確か私の場合、小学校の教科書に出てきました。
私は不真面目な生徒だったので、大して授業を聞いてはおらず、
ですからこの童話が宮沢賢治の作であることを知ったのは、
随分あとのことだったと思います。
しかし、作者の名前を知らなくても、「クラムボン」という言葉、
そして「かぷかぷ」という笑い声は、強く印象に残っていました。
私と同様、私の友人も不真面目な人が多く、本を全く読まない輩も多いのですが、
なにかの拍子に私が「クラムボン」と言うと、大抵の人がその言葉だけは知っています。
「ああ、かぷかぷ笑う奴だろ。なんだっけ、それ」みたいな感じで。
宮沢賢治が好きだったり、読み物が好きな人ならわかりますが、
全然そうでないひとの記憶にまで、しっかり残ってしまうこの言葉の魔力は、凄いものがあります。
その一番の理由は、やはり言葉の響きでしょう。
「クラムボン」「かぷかぷ」という響きは、思わず口に出して言いたくなる衝動に駆られます。
実際この童話を読んだひとで、この言葉を口に出してみなかったひとなど、いないのではないでしょうか。
それにそののん気な響きの直後に「死んだよ」という強烈な言葉が被さってくることにより、
更に印象深いものになっているようです。
ところでこの「クラムボン」が一体なんなのか、と言うことは童話の中では明かされません。
だからこそ研究者の興味を惹きつけてやまず、聞くところによれば10以上の仮説があるそうですが、
著者が死んでしまっている以上、「クラムボン」を確定することは最早出来ません。
一体なんなのでしょう「クラムボン」とは。
「やまなし」を読んでみると「泡」ともとれますし「母親」ともとれますし「卵」ともとれそうです。
また、特に意味などないのかも知れません。
私としては…「クラムボン」とは生まれて間もなくして死んでしまった兄弟たちではないかと。
蟹は卵の中にいる時や孵化してすぐの頃、殆どが他の魚の餌になってしまうはずです。
それで、ここに出てくる兄弟以外はみんな魚に食べられてしまって、いまは二匹だけが残っている。
勝手に深読みすれば、
兄弟のセリフは二匹が生き残った者たちであることを表しているのではないでしょうか。
自分たちと一緒に、元気に笑っているように動き回っていた兄弟たちが、
しかし次々魚に食べられ消えていった事実を、彼らはわけがわからないなりに受け止めている。
するとこのあと、かわせみが現われて、
元は自分たちの捕食者であった魚を一撃のもとに獲って去ることにも繋がるのでは。
つまり、厳しい自然界における食物連鎖の隙間の時間が、この「やまなし」に流れる時間ではないかと。
そんな時間には蟹もまた、白い樺の花びらが流れてくるのを眺めたり、吐き出す泡の比べっこをしたり、
流れてきたやまなしを追いかけて親子で川底を歩いていったりしている。
そんな様子を宮沢賢治は描きたかったのではないでしょうか。
ま、どうだかわかりませんが。
しかし上に引用したセリフだけを見てみると、詩のようにも見えます。
「クラムボン」「かぷかぷ」と言った言葉は、詩の言葉としては最高です。
読めば一度で憶えてしまって忘れられず、しかもとても謎めいていて、
いつまでも心に引っかかっている。
世代を超えて人々の心の中を流れていく言葉。
読んだ人の数だけ意味を持つ、ひとつの言葉。
仮にも詩を書くなんてことをしている身にとっては、
一生にひとつでいいからこういう言葉を編み出してみたいものですね。
Oct 09, 2006
連休真っ直中
に更新です。私は今まで、所謂ビジネス文書と言われるもの以外、
人目に触れるところに文章を書く機会がありませんでした。
しかし最近では、書評などの文章を書く機会に僅かながら恵まれ、
すると、これも僅かにですが文章について考えもします。
私は、ほとんどの場合、キーボードで文章を打ちます。
その方が手書きより断然早いことと、推敲が楽であることがその理由です。
しかし日本でワープロやパソコンが普及する以前は、
当然ながら誰もが手書きであったわけで、
そしていまもそういう方は多くおられます。
その場合、原稿用紙に文字を書きつけていくわけですが、
長年書かれている方は、10枚という依頼であれば、最初の一行から書き始め、
10枚目の最後の一行できっちり終わる、という技術を持っている方も多いと思います。
所謂キーボードの世代には、この感覚は全くないのではと思います。
勿論私もそうです。
私の書き方は、まず思うままに、文法や順序などを気にせず文章を打っていき、
自分の中のものを全部出しきったところで、推敲に入り、体裁を整えていきます。
考えてみればこのやり方は、手書きで書かれている人から見れば、随分幼稚な、
作法と言うよりパズルに近いやり方でしょう。
大体、筋道を立てて考えを文章にしていく、ということを全くやっていません。
考えてみれば、私は筋道を立てて長く話すということが出来ないのです、昔から。
例えば資料などを見ながら、その一つ一つを説明したり、質問に答えたりすることは出来るのですが、
自分の意見を長い時間述べるとなると、喋っている内に支離滅裂になって、
言わねばならないことが抜けたり、逆に言わなくていいことを長々と喋ってしまったり、
まあとにかく喋るのが下手で、頭の中もじつに混沌としている人間です。
スピーチなどもってのほか。
だからこそ、詩という奇妙な表現を使うようになったとも言えるのですが。
こういう人間は、まず根本から頭の中を鍛えなおすべきなのですが、しかしそんな人間ですら、
キーボード入力だと、推敲さえちゃんとすれば、それなりに文章がかけてしまいます。
それは悪でもありますし、救いでもあります。
多分私はキーボードがなかったら、詩もその他の文章を書いてはいないでしょう。
とりあえず私は恩恵にあずかりましたが、それによって失ったものの事も、
考えるべきなのかもしれません。
Oct 04, 2006
先週の日曜日は、
渋谷のクロコダイルに朗読会を見に行きました。これは詩人浜江順子さんが主催となって毎年開かれているものです。
私は去年初めてこのイベントに行き、詩の朗読というものを、殆ど初めて観ました。
あの時はまだ詩集も出していなくて、会場に知っている方も殆どいなかったのですが、
一年経って、私もいろいろな方と交流させていただくことが出来、
今年は出演者の方に案内のお葉書を頂くことも出来ました。
会場には開演5分前くらいに到着、ぴりぴりしたような雰囲気はなく、
実にフランクな雰囲気の会場に入り、灰皿町の桐田真輔さん、高田昭子さんの隣に居場所を据えると、
お葉書を頂いた海埜今日子さん、森川雅美さん、それに柴田千晶さん、村野美優さんなどにご挨拶。
さて、あとは開演を待つのみ、飲み物でも取ってこようかな、と思っているところへ、
森川雅美さんから「ちょっと手伝って欲しいんだけど」と声をかけられ、なにかと思えば、
森川さんがステージで朗読をしている時に、森川さんの詩の一部を会場からエコーのようにして朗読して欲しいとのこと。
急なことで「え!?」と思いましたが、恥ずかしながら手伝わせていただくことにしました。
しかしプログラムを見ると、森川さんはトップバッター。
練習の時間などなく、原稿を読んで、読めない漢字がないことを確認するのが精一杯。
すぐに朗読が始まり、一応お役は果たしましたが、慣れないことゆえ、
ちょっとタイミングを外してしまいました。
朗読は森川雅美さんのあと、田中庸介さん、柴田千晶さん、渡辺めぐみさん、
筏丸けいこさん、浜江順子さん、海埜今日子さんと続きました。
みなさん流石に場数を踏んでいらっしゃる方ばかりで、見事に朗読をこなしていきます。
筏丸さんは去年と同じバンドのメンバーを率いての朗読。
浜江さんは、ウッディアレンの映画音楽も担当されたトム・ピアソンさんのピアノをバックに。
海埜今日子さんは、ROSSAというアコースティックトリオをバックに朗読されました。
ここで休憩のあと、吉田文憲さん、相沢正一郎さん、キキダダマママキキさんによるトークショー。
吉田さんが去年上梓された「宮沢賢治―妖しい文字の物語」を中心に、宮沢賢治についてのお話。
お題が宮沢賢治となると、お三方とも喋りたいことは山ほどあるでしょうが、
残念ながら時間が30分ほどしかなくて、言いたいことの半分も喋れなかったご様子、
しかし私としては充分面白いお話が聞けました。
キキダダさんは、吉田文憲さんの教え子さんなんですね。
恩師と肩を並べてのトークで、結構緊張されていました。
トークのあとは、この日のハイライトともいえるキキダダマママキキさんの朗読。
私はキキダダさんの詩には、比較的静かな音をイメージして読んでいたのですが、
この日の朗読は、一つ一つの言葉を途切れさせ、叫び、足を踏み鳴らしながらの激しいパフォーマンス。
キキダダマママキキという筆名は、ご自身が思春期の頃、吃音に悩み、
自分の名前を言う時にどもってしまっていたことから、つけられたそうですが、
この日の朗読はそれと同じく、苦しみながらひとつひとつの言葉を必死に吐き出していく様子でした。
また、紙面で個人的に詩を読んだ時と、本人自身から発せられる言葉の間にあるギャップを突きつけられた気もしました。
しかし、そういった領域の広がりもまた、詩の面白いところなのでしょう。
朗読会がはねると、近くの居酒屋で二次会。
去年は知り合いがいなかったので遠慮しましたが、今年は参加。
ここでは浜江順子さんとも、少しですがお喋りすることが出来ました。
大変バイタリティのある方で、まさに中心人物たる人です。
この方の人柄に惹かれて、毎年参加したり観に来たりする方も多いのではないでしょうか。
それに灰皿町の住人でもある、生野毅さんともお喋り。
イベントでよくお顔は拝見させていただいていたのですが、
この方が生野さんであることを、この日初めて知りました。
詩作、朗読、俳句、評論等様々な活動を精力的にされているご様子。
それに年齢が比較的近いことも嬉しかった。
その後、三次会、四次会と場所を移動。
人数は段々少なくなりながらも、話は段々濃いほうへと。
ここでは筏丸けいこさん、林木林さんなどとおしゃべり。
そしてPSPでもおなじみKさんは、先週の飲み会に参加できなかった所為か、
大いに飲まれ、森川雅美さんと熱いバトルを展開しつつ、午後10時くらいにお開きでした。
どなた様も、お疲れ様でした。。。