Oct 29, 2006

「空白期」

先日のPSP合評会の際、参加者の高田昭子さんより新詩集「空白期」をご恵与いただきました。
今回はその感想を。

高田さんの紡ぐ言葉は、そのひとつひとつがとても魅力的であり、
目にした途端に胸を染められてしまうものばかりです。
その見事さに思わずそのまま詩句から目を上げ、感慨に浸ってしまいそうですが、
高田さんの世界はその詩句もさることながら、それらの言葉が浮かんでいる水のようなものにこそ、
本来の魅力があるのだと思います。
高田さんの詩とは、静かな水面にじっと詩句が浮かんでいるような、そんな詩なのです。
ですから、詩や詩句について語るより、その水より伝わってきた思いを書いてみます。

高田さんの詩は、ありのままの世界を表すというよりも、詩人の目で捉えた景色を、
目を瞑って自分の内にある箱庭に植え、自らの水分を養分にして育てるというような、
そんな描き方をされています。
そこにある景色は、現実の世界とは色合いを別にしていながらも、魅力的で、人を惹きつける力を持ち、
同時に詩人自身の内面を映す鏡となっています。
覗き込んでいると、幻想的な色あいの世界であるにも拘らず、
意外なほど詩人の生の姿が映りこんでいるのが見て取れます。

生命を育むものは、季節や自然を流れるもの。
そして同じように人の中にも流れゆくものがあり、それが人としての心を育んでいます。
人が見詰める季節には、しかしなにかがひとつ足りないようで、その足りないぶんが、
様々な奥行きや意味合いを人に思わせ、そこに新たな感慨としての色彩が現われるのでしょう。
それは現実の色彩と、その人だけが持っている色彩が混じり合って醸し出された色であり、
言葉ではとうてい言い表すことが出来ないものですが、
高田さんは自らの時間と共に毎日刻々と変化していくその色彩を、詩という方法によって表現し、
読む者の前に提示します。

そこにある時間は、過去でも未来でもなく、常に「今日」です。
詩を読んでいくと、このかけがえのない今日という時間を、
高田さんはとても大切にしているように感じられます。
そして常に存在し、また失われていくその時間は、人の心の深い底へといつも繋がっています。
そのひとがそのひとであることを証明する、目には見えない心の底の暗い場所、
しかし確かに感じられるその空間の冷たさ暖かさを、
高田さんはゆっくりと、いまという時間の全てを使って感じ取り、
文字の表に浮かび上がらせていきます。

生きているということは、常に期待と不安が続くことです。
ひとは日常の、ほんの些細なことに対してさえ、常に期待し、また不安を感じています。
それは時に微かな感情でしかなく、人はそれをえいと手で払いのけながら一日をやり過ごし、
またそうすることが「大人」である証拠のように思われていますが、それを感じる部分から本当は、
今日を生きていたいと強く願う、祈りのようなものが生まれるのでしょう。

そしてそのようなかけがえのない一瞬の繰り返しによって、人の見詰める季節は巡り、
この世界で起こった沢山の小さな事や大きな事が、思い出として形づくられ、
やがて人の形を成すのでしょう。
高田さんは祈るようにして今現在の時間を見詰め、どんな些細なことも、一瞬である限り、
永遠へと繋がっていくことを「わかって」おられます。

また、この世界と時間はあらゆる方向に向って広がっているにも拘らず、
人はただ一本の道を、真っ直ぐ歩いていくしかありません。
様々なものを目にし、様々なものを耳にしながら歩いていくそのただ一筋の道は、
あるいは円を描いており、最後は最初に戻るのかもしれません。
行く道でもあり帰り道でもあるその道の途中で、人は沢山の眠りを眠ります。

高田さんの詩に現われる眠りは、祈りそのものであるかのようです。
本当の祈りは、夢の中でしか成し得ないものなのか。
詩人の祈りは、決して何を望むわけでもなく、
ただ、全てのものがそこに在る事を祈るようです。
祈りは過去にも未来にも向けられず、ただ現在、今この一瞬にのみ向けられています。
ずっと以前に消えてしまったものさえも、詩人は現在として見詰め、在ることを祈っています。

しかしまた、詩人はその一瞬一瞬の中にも、消えていく無数のものがあることを、
正直に見詰めています。
そして消えていくものとは、いつも何よりも愛おしいものです。
たとえそれらと面識がなくても、また遥か遠い存在でも、詩人は同じく深く祈りを捧げます。
人の目に映るありのままの世界は、指先ひとつ触れることは出来ず、
ただ感じ、見守り、待ち続けるしかなく、
それが即ち生きていることとするなら、あたかも人のする全てのことが、祈りであるようです。
そして詩人にとって、高田さんにとって、それはやはり詩を詠むということであるのでしょう。

最後に、やはり水仁舎の美しい造本に触れないわけにはいきません。
薄い水玉の入った白い表紙に、銀の箔押しでタイトルや著者名が記された、
このシンプルかつコンパクトな本は、とても大切なものを内包している印象を強く与えます。
決して目立ちはせず、しかし宝ものがたくさん詰った小さな箱、といった感じです。
この装丁はまるで上記した「水」のようでもあり、
「空白期」というタイトルは、この詩集の内容、装丁の全てに対して名付けられたものであるようです。
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