Oct 25, 2006
PSP合評会。
この前の日曜日は、月イチ恒例のPSP合評会でした。まずはあたらしい詩集がまたひとつ生まれたこと。
灰皿町の住民でもある詩人高田昭子さんの新詩集「空白期」(水仁舎)が完成しました。
掌にしっくりくる小ぶりの本を開くと、高田さんの独特な魅力が匂い立ちます。
収録された20篇の詩作品は、何処を切っても、高田さん、高田さん、ですね。
この詩集については、また日を改めて書きたいと思います。
この日の合評会、私は少し多めに発言してみました。
と言っても、普段発言が少ない方なので、多めと言っても高が知れているのですが。
それでも自分なりに、他の皆さんの作品について、突っ込んで考えてみたつもりです。
感じたのは、詩の肝となる言葉の存在でした。
会に参加されている方々の詩をじっくりと時間をかけて読んでみると、あ、この行がこの詩の肝だな、
と思われる行に行き当たります。
まずこのような肝がしっかり存在していることが、詩を成立させるためには不可欠なことでしょう。
そういった行が必ず見当たるあたり、やはりPSP参加者のレベルは高いなと感じさせられます。
その行を観察してみると、使われている言葉を少し変えただけで詩全体が大きく変わってしまうぐらい、
その詩において重要な役割を担っていることが見えてきます。
そこにどのような詩句を持ってこれるかによって、詩全体の印象が決まってきてしまう。
ここに絶妙な言葉を挿入することができれば、途端にその他の行の深い意味も浮き上がり、
詩全体が輝きはじめる、あるいはそういうことが起こること自体を、詩と呼ぶのかもしれません。
ですので、この行をばっちり決めることが、詩を詩として成り立たせるために重要となるのでしょうが、
これがまた、いかんせん難しいことです。
その行を存在させられること自体、大変難しいことですし、またその行を絶妙な言葉、
作者が表したかったことを見事に詩の中に出現させる言葉を選び抜くには、
相当の努力と時間とセンスが必要であると思われます。
そこらへんを重々わかっていながらも、他の皆さんの作品を読ませていただきながら、あ、惜しいなあ、
もうちょっとここにいい言葉が入れば凄くなるのに、なんて思ってしまいます。
メンバーの作品全体のクオリティが高いために、そんな贅沢な不満を感じてしまうのです。
逆に、そこぐらいしか突っ込むところがないんですね。
それじゃあどんな言葉を入れればいいんだ、と聞かれても答えられないんですが。
ちなみに私、今回はちょっとわかり辛いだろうなと思う作品をあえて持って行ってみました。
反応は、やはり「???」「…」という感じでしたが、メンバーに気になった箇所をいろいろ
指摘して頂いて、随分参考になりました。
他の人に読んでいただいて意見を言ってもらうと、自分だけでは気付けない点などに気付かされます。
これは伝わるだろうと思い込んでいた部分が伝わらなかったり、あまり気にせず配置した言葉が、
思いがけず読み手を躓かせてしまったり、とても勉強になります。
やっぱりせっかくの場ですから、褒めあいっこしても仕方がないですからね。
ま、褒められると、それはそれですごく嬉しいんですが…。
それと今回はあたらしく、杉本つばささんが参加してくださいました。
杉本さんはずっと京都で活動されていたそうですが、最近東京に居を移され、
これからも参加してくださいそうな気配。
ちなみに現在公開されている「いん・あうと」で杉本さんの書かれた論考を読むことが出来ます。
合評会後はいつもの通り二次会飲み会。
いつもの通りに盛り上がりました。
久谷さんも相変わらず元気そうでした!
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